世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 19, 2017

HPCAsiaの再スタートに向けて

HPCwire Japan

HPC Asia2018が東京・秋葉原で1月28日から31日に開催される。(http://sighpc.ipsj.or.jp/HPCAsia2018/) このイベントは、朴泰祐教授だけでなく多くの方々が関わる国際チームによる数年間の多大な努力と準備の結果である。

この会議と展示会は、1990年代半ばまで開催されていた一連のイベントと同じ名前である。私がこれまでのイベントに関係してきたので、新しいHPC Asiaを成功させるために、これまでの取り組みを見直すことが有用かもしれないと考えている。これらのコメントは私の個人的な非公式の回想と意見である。誤りや欠落がありましたら事前にお詫び申し上げます。

1980年代後半、アジアのハイパフォーマンスコンピューティング(ここではHPC、スーパーコンピューティング、SCという用語は同じ意味で使用されている)を調査し始めた当時、私はこの地域において、米国のIEEEスーパーコンピューティング会議シリーズ(現在はSC’xxと呼ばれている)に匹敵するイベントの必要性を認識する多くの人々に会うことがあった。当時、それをどのように運営し、どこで、いつ開催するか等の詳細は明らかにはなっていなかった。ただ、世界の中で最も速く成長している地域において、HPCが鍵となる技術であり、それらの発展を披露するイベントに価値があることは明らかであった。

ベンダーの参加を重要視して取り込もうしていたスーパーコンピューティング・ジャパンのように、すでにいくつかのローカルで単一の国での会議や、大規模な学術的なものはあった。しかし、その当時を見た我々にとっては、必要と思われるものを捕らえるようなイベントはなかったのだ。

思い起こせば、多くの関心を持った科学者たちがマウイ・スーパーコンピューティングセンターで理事会と運営委員会(EB)を開催した。この地域のほとんどの国(米国を含む)から1名または2名の代表者が招待されていた。アジア地域からの参加者としては、小柳教授(日本)、Z.Si教授(中国)、Y.Yang氏(韓国)、K.Wu氏(台湾)、R.Saldana教授(フィリピン)、L.Patnaik教授およびK.Yajnik教授(インド)、S.Slamet教授(インドネシア)、R.Chitradon博士(タイ)、J.O’Callaghan教授およびM.McRobbie教授(オーストラリア)、K. Broughan氏(ニュージーランド)、およびシンガポールや他の参加者があったと思うが、記憶が定かではない。私はこの議論に参加する権限を与えられていた。

米国のSC’xxを模した英語によるイベントが望まれているという共通の認識はあった。我々は皆このイベントがかなり大きくなるかもしれないと感じていたが、まだ多くの疑問が上がっていた。開催は1か国で行うべきか、それとも数か国で持ち回りするべきか、頻度どのくらいで開催するべきか、査読された技術論文とその他(パネル、チュートリアル、展示など)とのバランスはどの辺りであるべきか、どのように資金調達するべきか、ボランティア活動はどのくらい必要か、関連学会などからのサポートはどのくらいあるか、などなどである。

その後の展開で分かるように、ひとつの最善策があるわけではない。例えば、ドイツで毎年夏に開催される会議のISC、インドで12月に開催される会議のHiPC、そして米国のSC’xxは非常に異なるビジネスモデルを持っているものの、国際的な参加者を引き付けており、活気に溢れ、HPCのトピックに関する議論を行う質の高い場となっている。

理事会と運営委員会(EB)は、この新しい会議シリーズをHPC Asiaと呼び、15から18カ月置きに開催し、関心のある国同士で持ち回りすることで合意した。各ホスト国は、会場費用の保証、参加費の設定などの資金面ばかりでなく、全体的なロジスティックに責任を持つこととなった。もちろん理事会の承認は必要だが。SCのように、ボランティアは各自の機関から必要な支援を受けて、ほとんどの先行作業を行う。この会議をIEEEの会議にしようとする試みはあったが、その時に実施されていた非公式の構造のために、IEEEのルールはあまりにも制限的であると考えられていた。論文発表の手配は、地元のホストの責任となった。他の多くの決断は保留か無視された。

第1回のHPC Asiaは1995年9月に台湾の台北で開催され750人以上の参加者があった。第2回HPC Asiaは1997年にソウルで開催され、約1,000名が参加した。

続いて、HPC Asiaは、日本、中国(2回)、オーストラリア、シンガポール(2回)、インド、韓国など様々な国で開催されてきた。最初のHPC Asiaシリーズは15年間に渡って10件近くのイベントを開催することとなったが、最初の韓国、台湾での参加者数レベルを超えることはなく、最終的に消えていった。

楽しみにしている

先に述べたように、成功し続けるHPCイベントにするには様々な選択肢がある。この著者の意見としては、以下を含むいくつかの特性を考慮する必要がある。

(1)地域活動と地域社会を構築するための発端となった取り組みから。もしくは、個々のイベントが独立した国内会議に発展する。 HPC Asia 2018は日本であるが、他のアジア諸国の科学者は日本の科学者が自国においてHPC Asiaに積極的に貢献することを期待して、成功するよう努力している。
(2)この地域的アプローチには資金的継続性を含むべきである。1年間の利益もしくは損失はスポンサーによって吸収されるか、もしくは奨学金の支給など後続のイベントに持ち越されるべきである。
(3)認定されたジャーナルに掲載し、HPC Asiaから次のHPC Asiaへ続くことが重要だ。論文を提出する参加者は、質の高い公のジャーナルまたは会報誌で引用可能にする必要がある。厳しい審査は、時間の経過とともに、イベントの高さを高め、優れた研究者の参加を促すこととなるのだ。
(4)ベンダーはHPC Asiaの成功の中心的な部分となるであろう。主催者は多くのベンダーの参加を促すために、適切な日付、会場、および展示だけでなくベンダーセッションなどの他の要素についてベンダーと相談する必要がある。これは後回しではいけない。ベンダーを早期に巻き込み、継続的に協力してもらう必要がある。
(5)マーケティングは無視されるべきものではない。主催者のゴールは、技術的な内容の論文、ワークショップ、パネル、展示などだけでなく、地域における特別なコミュニケーションの機会として、HPC Asiaを「必見」のイベントにすることである。これには時間と労力が必要だ。非常に熱心で積極的な実行委員長によって、良いイベントと素晴らしいイベントの違いになることがある。
(6)若者を巻き込む。世界中のHPCにおいてはは人材が不足している。 HPC Asiaは、アジアスーパーコンピューティングチャレンジのようなコンテストのように、大学生や高校生を刺激する活動を展開するために特別な努力をする必要がある。

明らかに、1回目のHPC Asia会議を組織するのに多くの決定があったが、それらは将来のために評価されなければならない。幸いなことに、HPC Asia 2018の主催者は、重要な問題の多くを考慮しており、重要で成功するシリーズの始まりを確実にするために努力しているようである。広範な組織委員会があり、優れた技術学会が関与しており、すでにHPC Asia 2019の会場について議論が行われている。

2018年は、SC’xxの30周年になる予定だ。 30年前、SC17に12,000人の参加者があり、600人以上のボランティアが参加すると誰が想像できたであろう? HPC Asiaも同様に影響力があり、成功することができるだろうか?そうであることを望んでいる。

著者

Dr. David K. Kahaner
アジア科学技術交流協会(ATIP)プレジデント