世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


スパコン探訪記シリーズ

11月 1, 2016

東京大学物性研究所

杉原正一

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こんぶくろ池*1

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こんぶくろ池

こんぶくろ池というきれいな水をたたえた小さな湧水池がある。周りは『こんぶくろ池自然博物公園』と称する豊かな緑に囲まれた貴重な里山で、小動物や昆虫たちの住処となっている。こんぶくろ池から国立がん研究センター東病院の前を通って5分も歩けば、東京大学柏キャンパスに到着してしまう、そのキャンパスの中央に物性研究所はある。

物性研究所

物性研究所創立より半世紀を経た2007年に刊行された創立50周年記念冊子『物性研50年の歩み』には「昭和24年の湯川秀樹博士のノーベル賞受賞を契機として、科学技術発展への機運が高まり、研究者が共同で利用できる研究所設立の動きが起こり、学術会議から国に対して勧告が出された。それを受けて、昭和28年京都大学基礎物理研究所設立、昭和30年東京大学原子核研究所設立、昭和32年東京大学物性研究所設立となった。」と記されている。「物性科学の基礎研究者ばかりでなく、工業界からの期待も背負って、物性科学研究の世界的水準への引き上げと同時に、全国共同利用研究所として日本中の研究者への研究環境の提供という大きな目的を課せられた。」
当初設置場所は大阪という声もあったらしいが、東京大学の中に物性研究所は設置された。2000年には六本木から柏キャンパスに移転した。因みに、つくばエクスプレス線の開通と柏の葉キャンパス駅のオープンは2005年である。

スーパーコンピュータ・センター

スーパーコンピュータ・センターは物質設計評価施設の物質設計部に位置付けられている。物質の設計(Design)、具体的な物質の合成(Synthesis)、そして合成された物質を総合的に調べる評価(Characterization)の三つの研究のサイクルをDSCとして有機的に連携させ、新しい物質の開発を目指している。

物質設計評価施設 笠松秀輔助教と同じく電子計算機室 矢田裕行技術専門職員にお話しを伺った。

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システムを紹介する笠松秀輔助教

スパコンとしては五世代目に当たる現状のシステムは、システムBとしてSGI ICE XA/UV(総理論演算性能2.65PFLOPS)、システムCとしてFUJITSU PRIMEHPC FX10(総理論演算性能90.8TFLOPS)のふたつのシステムから構成されている。システムBの1891ノードの内、288ノードはGPGPUの演算加速装置を搭載している。また19ノードはノード当たり1TBの大容量メモリーシステムとなっており、様々な利用者の要望に応えられるシステム構成となっている。

200以上の課題で500人以上の利用者が全国から利用しているが、利用者の過半数が自作プログラムを用いて計算を行っている。また、課題の半数以上は第一原理計算というのも物性研スーパーコンピュータの特徴だろう。課題審査は物性研以外の専門家のピアレビューを経てスーパーコンピュータ共同利用委員会がその審査結果に基づいて採否を決定している。採択率は高い値を示しているそうだが、大規模計算の為の計算資源割当量に、審査員の評価が反映されているとのことだ。

各システムの諸元は以下の表を参考にされたい。

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【出典】東京大学 物性研究所 スーパーコンピュータ全国共同利用 『スパコンが切り拓く物性物理の最先端』2016年2月

システムAは、歴史的にVPP500,SR8000、SR11000,SX-9といったベクトル並列機であったが、昨年調達した第五期目のシステムからシステムAは消えている。ベクトル機からスカラーパラレル機へのシフトは、システムBがメモリ性能の良かったSGI Altix 3700であった第三期目(2005−2010年)に第一原理計算でもスカラーパラレル機を使いこなせるようになり、両システムを使う利用者が増えたのが布石となっている。そして第四期目(2010−2015年)には、システムBをメインとし、システムAは最小限の規模のシステム導入により、高速メモリ転送のニーズに応える事となった。第五期目(2015−2020年)には、初めてGPGPUを導入した。当初予想よりは利用されており、高速化を実現出来たものもあるとのことである。

2000年前後のPCクラスタの性能向上により、世の中でダウンサイジングが進む中、研究者グループ単位でのPCクラスタ利用が進み、手持ちのPCクラスタである程度の大規模計算が可能となったことから、スパコンセンターの利用者離れが発生した。しかし2005年頃以降には、PCクラスタの性能向上に伴う発熱、電気使用量の増加による設置、維持コストの上昇が表面化してきた。この結果、センター利用を指向する研究者が増えセンターの利用者離れに歯止めがかかった。

2010年にはセンターの電源拡張工事を行い、冷水設備も用意し、SGI Altix ICE 8400EX 3840CPU大規模スカラーパラレルシステムを水冷で導入した。2013年には京コンピュータとの連携をとる384CPUのFUJITSU PRIMEHPC FX10をやはり水冷で導入している。

調達まで数年、調達してから5年間も使用するので、将来技術動向を見極め、メインストリームからはずれないよう方向を見誤らないよう準備するのは大変だ。Linuxはビジネス界でも幅広く使われており、東京工業大学のTSUBAMEをはじめ多くの大学、研究機関等で利用されているSUSE Linux Enterprise Serverを採用している。特に意識すること無く使えているとの話だ。

スパコンを利用して得られた成果は年間500編もの論文を介して発表されている。その中でも、計算結果に基づき実験が行われた例として産業技術総合研究所の三宅隆主任研究員らによる『強力永久磁石の量子シミュレーション』を紹介頂いた。以下にその概要を紹介する。

ネオジム磁石とそれを取り巻く状況

シミュレーションの話の前に、ネオジム磁石とそれを取り巻く状況をみておく。20世紀の大発明のひとつと言われているネオジム磁石は、1982年に当時住友特殊金属に所属していた佐川眞人らにより発明され、直ちに工業化された。当時の高性能磁石だったサマリウムコバルト磁石を瞬く間に置き換えてしまった。現在はハイブリッド車、電気自動車の駆動用モーターや風力発電機などにネオジム磁石は用いられている。ハイブリッド車の駆動モーターなど温度の上がる環境で利用されるネオジム磁石にはジスプロシウムの添加が不可欠になっている。ネオジムもジスプロシウムもサマリウムもレアアースと呼ばれる希土類の金属だ。レアメタルという言葉もあるが、これは鉄、銅、亜鉛、アルミニウム等のベースメタルに対する言葉で、チタン、コバルト、ニッケルなど特定の非鉄金属グループ47元素を表している。もちろんこの中にレアアース17元素も含まれている。周期表でレアメタルとレアアースみると下図のようになる。

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【出典】独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構広報紙JOGMEC NEWS vol.27

原子番号59のネオジムNdは「軽希土類」に属しており、原子番号66のジスプロシウムDyは「重希土類」に属している。「軽希土類」は比較的世界の広い地域に分布しているため、今後各地での開発が進むにつれて供給源の多様化につながりやすいと考えられているが、「重希土類」は偏在性が高く、現在のところ、中国のある特定の鉱床でしか十分に生産できる量が確認されていない。 そのため、同じレアアースでも、「軽希土類」に比べて「重希土類」の方がより調達リスクが高いとされ、その安定供給が危ぶまれている。2010年の9月に起きた沖縄県の尖閣諸島での「中国船衝突事件」をきっかけに、中国が外交カードとしてレアアースの対日輸出の禁止措置に出た。「レアアース危機」である。その当時はレアアースの暴騰が起こったが、今は暴落が起こっているという話だ。中国のレアアース資源の供給量は世界の8割から9割を占めると言われており、不安定な状況は今も続いているのだろう。この様な背景もあり、Dyを用いない強力磁石の開発が要請されている。

強力永久磁石の量子シミュレーション

Nd2Fe14B これがネオジム磁石の分子式である。『スパコンが切り拓く物性物理の最先端』に紹介されている『強力永久磁石の量子シミュレーション』の記事から引用させて頂く。

「Nd2Fe14Bを越える磁石化合物の開発を目指して、NdFe11TiNの第一原理計算を実行した。NdFe11TiNは、1991年に報告された磁石化合物である。高い磁石性能を示すものの、Nd2Fe14Bより劣るため、歴史的には半ば忘れられていた。しかし、知られている鉄基希土類合金のなかで最も希土類の割合が小さく、周辺物質に高磁化の化合物が見つかる可能性が考えられた。TiとNの磁性に与える影響を詳細に調べた。その結果、TiをFeで置換すると大幅に磁化が増加することが判った。さらにNにより磁化が顕著に増加するとともに強い一軸磁気異方性を誘起することも示された。下図は、NdFe11TiNの結晶構造と窒化による電子密度の変化を示している。窒化によりNdとNの間の電子密度が増加する。これを避けるようにNdの4f電子が分布することが強い一軸磁気異方性を誘起している。」

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【出典】T.Miyake, K. Terakura, Y. Harashima, H. Kino and S. Ishibashi, J. Phys. Soc. Jpn. 83, 043702(2014)

「これらの結果は、NdFe12Nが良い磁石化合物であることを示唆する。この計算と連携して、実験グループによりNdFe12NX膜が合成された。磁気特性を測定したところ、室温からキューリー温度に到る広い温度領域で、磁化と異方性磁場のいずれもNd2Fe14Bを越えることが判った。32年振りの記録更新である。」NdFe12N磁石がハイブリッド車に搭載されるには、薄膜から安定したバルクを作る実用化の壁が待ち受けている。「実用磁石材料は主相と副相が入り交じった複雑な材料組織をもっている。特に主相と粒界相の界面の状態が保持力に影響を及ぼすと考えられているが、その機構は未解明である。」

今後この分野の研究がマテリアルズ・インフォマティクス、微視的な計測技術、新たな計算手法を含めた計算科学の連携により益々発展し、Nd2Fe14BやNdFe12Nを越える新化合物が発明される事に期待したい。

ソフトウェア開発・高度化プロジェクトとMateriApps

最後に物性研での二つのプロジェクトを紹介して、今回の探訪を終えたい。物性研では、共同利用スーパーコンピュータの一層の利用促進を目指し、年に二件のソフトウェア開発・高度化プロジェクトを公募している。並列計算の高度化・複雑化に対応するために、物性研教員・専任職員のサポートを受けられる。詳しくはhttp://www.issp.u-tokyo.ac.jp/supercom/rsayh2/softwea-dev を参照されたい。

また、物性研のスパコン共同利用、ナノ統合プロジェクト、HPCI戦略プログラムなどを通じて、開発されてきた密度汎関数法、分子動力学からデータ解析に到るまでの幅広い範囲のアプリケーションを紹介している物質科学シミュレーションのポータルサイト「MateriApps」が用意されている。マニュアル、チュートリアルの充実のみならず、インストレーションツールも整備されている。興味ある方は、http://ma.cms-initiative.jp/ を覗いてみては如何だろう。

*1こんぶくろ池
この辺りはかっては、広大な放牧地の一部だった。江戸時代、水戸街道が通る東葛飾郡を中心に徳川幕府が広大な放牧場を設置し、軍馬育成を行っていた。その中心部が現在の松戸市小金原付近で、通称小金牧(こがねまき)と呼ばれていた。明治時代に入り、政府は開墾会社を設立し、明治維新で職を失った下級武士や旧幕臣達に小金牧の開墾に当たらせた。開墾村が出来た順番に、初富・二和・三咲・豊四季・五香・六実・七栄・八街・九美上・十倉・十余一・十余二・十余三という名前の新しい村むらが生まれたが、東京窮民にとって開墾は困難を極めたようだ。こんぶくろ池周辺も十余二(とよふた)と呼ばれた開墾村だった。その後、昭和の時代に入り十余二の一部が陸軍柏飛行場となり、米軍トムリンソン基地を経て、「柏の葉」という新しい町に生まれ変わった。しかし、十余二の地名を持つ地区は「柏の葉」を取り囲む様にして今でも残っている。

 

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