世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

6月 1, 2018

【わがスパコン人生】第2回 小林広明

島田 佳代子

第2回 小林広明
空気と一緒で見えないけれど
ないと困るもの

長年に渡るスーパーコンピュータ研究開発、そして近年では平時に学術利用されているスパコンを緊急時・災害時に減災のために役立てるシステム開発への貢献が評価され、2017年10月に文部科学大臣賞を受賞された東北大学大学院情報科学研究科の小林広明教授にお話をお聞きしました。

 

「失敗することを恐れずに、楽しくチャレンジ」


―先生がコンピュータの道へ進んだきっかけを教えてください。

私が高校生の頃にはワンボードに配線むき出しのマイコン(マイクロコンピュータ)と呼ばれるいわゆるコンピュータがありましたが、コンピュータを意識したのは大学に入ってからですね。東北大学では西澤潤一先生が半導体技術の分野で大きな成果を上げられており、元々理系の科目が好きだったこともあって、東北大で学んでみたいと思っていました。入学した頃はまだカードにパンチしてプログラムを書いていましたが、そういったプログラミングの実習などを通じ、この分野に進んでみたいと強く意識するようになりました。

大学4年生の頃に電気工学から情報という分野が生まれました。そして、主にアメリカでUNIXなど先進的な技術が生み出され、取り組みたいと大学4年生の時に通信工学科、そして大学院では工学研究科にできたばかりの情報工学専攻を選びました。それ以来、「とにかく速い計算機を作りたい」とコンピュータシステムの設計をしてきました。半導体技術の進歩に支えられてここまでやって来れたという実感はありますが、研究を始めた頃はここまで技術が進歩するとは夢にも思いませんでしたね。

大学時代最初の研究テーマがコンピュータグラフィックス(CG)で、その当時はいかに立体的な綺麗な絵をリアルタイムに作れるかを、そんなことはできるわけがないと思いながら研究していました。ところが、今やパソコンや携帯でも瞬時に綺麗なCGが出てきます。技術革新のすごさというのはそういったところにも出てきていますね。

 

―研究を進めていく上で一番苦労された点はどういったことでしょうか?

みんな当たり前のように成果を発表していますが、実はそれは多くの失敗の上に成り立っており、ほとんどがうまくいかないのがこの業界です。失敗することが多く、成功することの方が少ないです。だから、学生たちにも間違うことを恐れず、間違ったときには見直して、後から来る人が同じ道を歩まないように分析し、新しい方向性を見出すようには伝えています。失敗は失敗としてきっちり精査して、失敗に陥った理由を見つけ出して、また新しい方法を見つけ出していく。その繰り返しです。その一方、その過程でささやかでも自分しか知らない発見があるので、そこに苦労を越える喜びがあります。まさに研究の醍醐味です。

それから、研究と実際に物として製品化されるまでには大きな隔たりがあります。私たちは論文や特許を書くという研究はしますが、それを実用化すのは難しく、今のアイディアをどうやって実際の製品に組み込めばいいかはいつも非常に苦労しますね。

 

―アメリカでも研究をされていますが、アメリカ時代の話を聞かせてください。

 
   

1995年~2000年にかけて延べ2年ほどアメリカで過ごしました。アメリカでは、スパコンの研究というよりも、コンピュータシステムを分類したことでも知られるスタンフォード大学のマイケル・フリン教授とマイクロプロセッサの共同研究を行っていました。95年頃はまさに今の世の中のプロセッサのもととなるRISCが発展した時代で、スタンフォードが作ったMIPSと、UCバークレーが作ったSparcというふたつのシステムの設計方式が花開いていた時代でした。

スタンフォードの周りでは、Google、Hotmail、Sun MicrosystemsといったITの基礎を作った新興企業が誕生していた時代で、良い形で産業の萌芽期から成長期に至るプロセスを目の当たりにすることができ、多くの刺激を受けました。スタンフォードの学生さんがいったんPhDのコースをやめて、起業していたりするわけです。彼らがキャンパスに戻ってきて、学生たちにいかに楽しいかを話したり、寄付をするなどして貢献します。そして彼らをロールモデルとして自分たちを重ね合わせて、追いかけて行くわけですよ。

NVIDIAも90年代に作られた会社ですが、スタンフォードのグラフィックスの先生とその学生さんがアイディアを持ち寄って、NVIDIAの基礎を作ったようなところがあり、創業者も大学に来て研究をしていましたし、私もCGを研究していたのでゼミにも参加していましたが、自分たちがチップを作るんだと非常にアクティブでした。90年代の終わりに CG向けのグラフィックス GPUがNVIDIAで開発され、今やスパコンでGPUが使われていますし、最近ですとAI向けのチップを作るということで世界的な大企業になってしまいました。

当時のシリコンバレーを見ていると、まさにゲームチェンジャーとでもいうのでしょうか。老舗の会社が次々と新しい会社に淘汰されていましたが、そこで働いている人は移動するので、会社を潰してもへっちゃらといった感じでしたね。起業するためにスタンフォードのPhDコースを辞めた学生さんが起業に失敗してもPhDコースに復学して、学位を取ってまたスタートアップを立ち上げるといったことをしていました。割と気軽に起業したり、転職して、何個潰したよといった話しも聞きましたね。スタートアップの講義もありますし、スタートアップの創業者の方によるレクチャーもありました。

日本だと借金を残してそれこそ大変という話になってしまうかもしれませんが、アメリカではある意味リスクを恐れずといいますか、投資家も10人にひとりくらい成功すればという気持ちで投資しているようなところもあり、アメリカの風土がそういったことを許している、支えているのかもしれませんね。

社会環境が違うので、日本では同じようにいかない部分もありますが、「失敗を恐れず、楽しくやろうと」いうことはアメリカで学んだと思いますね。だから、学生たちにも「アイディアを生かして、失敗を恐れず取り組んで欲しい」と伝えています。

 

「人々の生活を下支えする見えない存在」


―アメリカから帰国した後は、どのような研究を続けられているのでしょうか?

我々は計算機屋なので、箱モノは一生懸命作りますが、ひたすら速い計算ができるように研究を進めていて、どう使われるかは考えていなかったところがあるんですよ。昔からよく、「コンピュータを作る人ほど、コンピュータの使い方を知らない」と言われていて、あまり使う目的を意識して作ってはいませんでした。ところが、スタンフォードから戻ってスパコンセンターへ移り、色々な先生がスパコンを使って成果を上げられているのをみて、それに合った形で私たちも開発していかなければいけないと気付かされ、先生方と共同研究という取り組みも多くなりました。そこは自分の中でも大きな転換ですね。昔はチップの中を作っていて、それがどうシステム化されるか、それはインテルが考えればいいやなんて感じだったんですが(笑)

そして、そういった先生たちと組むようになって面白くなりましたね。飛行機ができたり、熱中症のシミュレーションができたり、津波の状況が分かったりと。出口がはっきりすることで、こんなに使い道があるんだ、こんな風に活用してもらえているだと思うと、ますます頑張らなければいけないと思います。ただ、先生方の大きな計算を速くしたいというニーズは止まらないんですね。我々もそういった声を聞きながらやっていますが、物理的な制約で大規模にしにくくなったり、電力の問題とか、半導体の技術もそろそろ限界と言われています。性能の向上のスピードも下がって来てはいるんですよ。システム設計側としては効率というか、今までは無駄にしていた部分を計算に活かすような仕組み、エコなシステムをこれからは作っていかなければと思っています。

私たちのスパコンセンターでは三菱航空機のMRJの開発を手伝っていますが、商用航空機の開発を何十年かぶりに再開して、ここまで来たというのはスパコンの効果だと思います。実機ベースで全て実験をしながら開発をするとなると後発メーカーはなかなかできないと思うんですよね。いかにコストを下げつつ、精度良く機体設計をしていくかということは、スパコンの恩恵だと思います。飛ぶのを楽しみにしています。

また鳥人間コンテストで東北大学は何度か優勝をしていますが、これも流体科学研究所の先生がスパコンを使って流れを解析しています。学生さんたちはユニークな形状を設計してきますし、原型となるアイディアは人が考えますが、最後それをスパコンにかけて構造や流れの解析し、最善化していきます。

 

―スパコンを災害対策に役立てるための取り組みについて教えてください。

私自身生まれは茨城県土浦市ですが、18歳からはずっと東北に住んでいるので、2011年の大震災は非常に辛い時期でした。考え方も変わりますね。2011年以前も津波の研究をしている先生たちのお手伝いをしていましたが、ある意味、自分たちのモデルの検証、閉じた世界での話でした。自分たちの研究の役に立つ取り組みとしてはありますが、それが社会に対して、貢献できる形にもっていくまでではありませんでした。天気予報のように実社会で使えるように、数値などを出していくのは当然責任も発生しますし、そこまでの割り切りはなかったと思うんですよね。

しかし、あの震災を経験し、自分たちの成果を生かして、社会に貢献できたらという思いが生まれました。少々リスクをとってもやれることはやろうと。走りながら考えると言ってはなんですが、どんどん展開していき、フィードバックを受けて、より良いもの、使えるものにしていくということを始めました。情報を提供することで、自治体の方に救済の計画に役立ててもらったり、事前に防災の都市計画にも使えるでしょうし、そういった形で活用してもらえればと思っています。そのひとつの答えとして、産官学共同での「津波浸水・被害推計システム」の開発があり、内閣府の「総合防災情報システム」の一機能として採用してもらいました。

 

―2017年には文部科学大臣賞を受賞されました。受賞が決まった瞬間のお気持ちはどのようなものでしたか?

大学を経由して役所から連絡がありましたが、「私で良いの?」というのが率直な感想でしたね。私よりもはるかに実績がある方がいっぱいいらっしゃいますのでね。地道に研究をしてきたこと、また授賞理由にも書いてありましたが、震災後に取り組んでいる防災のことが評価して頂けたのかなと思います。

発表後最初のゼミでは学生たちが花束をくれました。やっていて良かったと思った瞬間でしたね。研究に入って30年経ちますが、津波のことだけではなく、これまでに様々な学生さんたちと一緒に研究を行ってきた成果が認められたのかなと。学生さんも喜んでくれていますし、そういう評価をしてもらえる取り組みだと思えてもらえたと思います。現代ではインフラは見えにくくなっているので、下支えの技術を認めてもらえるきっかけになればと思います。

 

―先生の口から「学生さん」という言葉が多く聞かれます。今の学生さんは先生が学生の頃と違いますか?

昔は師弟関係じゃないですが、研究室に入るとある意味家族のような感じで、毎日研究室に入り浸って研究をしていた記憶がありますが、今の学生さんは朝来て夕方には帰り、自分の時間もきちんと確保しながら、生活の一部として研究室での研究を楽しんでいるように感じます。

発想力が豊かで非常に良いアイディアをお持ちなので、失敗を恐れずに自分のひらめきを大事にして取り組んで欲しいですね。自分が興味を持って取り組むことが大事です。最初はどうしてもやらされているイメージがあって、「ここまでやれば卒業できますか?」なんて聞きに来る学生さんもいます。でも、大学に入るということはそういうことではなく、入学したときは何かしら取り組みたい、興味あることがあったと思うんですよ。それが途中で失われていってしまうのか・・。大学は課題も与えられるかもしれないけれど、原点は理系でいえば何か新しいことを発見したいとか、作りたいといったことだと思いますし、自分がどんなことを学びたいかを大切にして欲しいなと思いますね。先生のための研究ではなく、君たちのための研究だということはよく話します。

それから、質問するとまず検索するんですよね。Googleもいいけれど、きちんと文献にあたって見極める力を持たないとウソの情報でも騙されてしまいますからね。ウィキペディアも正しいか分かりませんからね。英語翻訳でもすぐに自動翻訳をしますが、そのまま持ってくるとおかしい部分もあって、ある程度の英語力がないと、正しいか見極める力がないと使えないよと話しています。

 

―先生の今後の目標を教えてください。

スパコンは社会インフラとしては見えなくなってはいますが、空気と一緒で見えないけれど、ないと困るものだと思っています。天気予報もそうですし、安心、安全、健康、創薬もそうですね。確実にスパコンの技術が社会を住みやすくしているとは思いますので、我々はスパコンを運用している立場としては、しっかりやっていかなければいけないと思います。

スパコンの高度化というのはひとつの変わらぬ目標ですが、その中でいろいろな制約条件。物理的な半導体技術の制約、消費電力の制約、扱う上での大規模化による障害などがあるので、それらを解決するための技術をさらに発展させていきたいです。いずれにせよ論文のための技術ではなく、最終的には社会に役立つ。喜んでもらえるというところを目指してやっていけたらいいなと思います。自分のアイディアをものとして確かめて、それが社会に約立つとなればそれが一番嬉しいですし、工学の醍醐味ですね。

 

小林広明氏 略歴

1988年 東北大学大学院工学研究科博士課程修了
1988年 東北大学工学部助手
1991年 東北大学工学部講師
1993年 東北大学大学院情報科学研究科助教授
1995, 1997, 2000-2001
    スタンフォード大学電気工学科
    コンピュータシステム研究所客員准教授
2001年 東北大学サイバーサイエンスセンター教授
2008年 東北大学サイバーサイエンスセンター長
2016年 東北大学大学院情報科学研究科教授
2016年 東北大学サイバーサイエンスセンター長特別補佐
2017年 「情報化促進貢献個人等表彰」文部科学大臣賞受賞
2018年 科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(開発部門)受賞