世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


新・HPCの歩み50年

新HPCの歩み(第13回)-1955年-

9月 28, 2020 |

1955年、UNIVAC 120が東京証券取引所と野村證券に導入された。アメリカのLivermore研究所のEdward TellerはスーパーコンピュータLARCの開発をUNIVACと契約した。IBM社はIBMの商用機 Read more…

新HPCの歩み(第12回)-1954年-

9月 21, 2020 |

東京大学の院生であった後藤英一は1954年5月にパラメトロンの原理を発見した。日本科学技術連盟の機械活用研究会では、パンチカードマシンを科学技術計算に応用する努力を進めた。富士通信機製造はリレー式計算機FACOM 100 Read more…

新HPCの歩み(第11回)-1953年-

9月 14, 2020 |

Remington Rand社 は、UNIVAC 120を出荷し、UNIVAC 1103を発表した。IBM社はIBM 650を発表した。Burroughs Adding Machine社はBurroughs社に社名を変更 Read more…

新HPCの歩み(第10回)-1952年-

9月 7, 2020 |

富士写真フイルムの岡崎文次らは、レンズ設計のための計算機FUJICの組み立てを始めた。Los Alamosでは、Metropolisの主導により開発していたMANIAC Iが3月に稼働した。Reminton Rand社は Read more…

新HPCの歩み(第9回)-1951年-

8月 31, 2020 |

1951年度の文部省科学研究費により東京大学でのTACの開発が始まった。アメリカでは、陸軍傘下でEDVACが部分的に稼働し、ORDVACも運用を開始した。海軍傘下ではWhirlwindが作動した。UNESCOは、大型計算 Read more…

新HPCの歩み(第8回)-1950年-

8月 24, 2020 |

1950年、大阪大学の城憲三らはENIAC型演算装置を真空管で試作した。日本ワットソン統計会計機械株式会社は、C. M. Deckerが社長に就任し、日本インターナショナル・ビジネス・マシーンズ社に改称した。アメリカでは Read more…

新HPCの歩み(第7回)-前史(g)-

7月 13, 2020 |

日本の開国後、欧米から優れた技術が流入し、政府はその対応に追われた。国の機関でその後追いや研究開発を進めるとともに、第二次世界大戦前後には、民間企業もコンピュータの開発に取り組んだ。 日本のコンピュータ開発の源流 1) Read more…

新HPCの歩み(第6回)-前史(f)-

7月 6, 2020 |

第二次世界大戦前から欧米では様々な自動計算機が研究開発されていた。そのうち有名なものを紹介する。戦争により、弾道計算や暗号解読のためのコンピュータの開発が進んだ一方、国家機密とされ、健全な技術の発展が阻害された面もある。 Read more…

新HPCの歩み(第5回)-前史(e)-

6月 29, 2020 |

戦前から神戸商業大学(神戸大学の前身)では、日本最初の経営学部を設置し、創設以来経営教育に先駆的な努力を試みていたが、人々は経営機械化を理解しなかった。太平洋戦争が始まり、アメリカからの機械や消耗品の輸入が止まりパンチカ Read more…

新HPCの歩み(第4回)-前史(d)-

6月 22, 2020 |

大正時代、日本にはアメリカのHollerith社とPowers社のパンチカードシステムが導入され始め、政府や民間企業で盛んに使われるようになった。ノリタケやTOTOの元祖である森村組は、IBM社の日本代理店となり、日本I Read more…