世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


10月 16, 2023

新HPCの歩み(第159回)-1999年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

情報科学技術部会は諮問第25号への答申を決定し、これに従って情報科学技術先導プログラムの重点領域が定められた。しかしその効果は振興調整費が若干付いた程度であった。筆者が強く主張したので「2010年を目途として、ペタフロップス・ペタバイトクラスの計算機システムの実現を目指すことが重要である。」と一応書かれてはいたが、すぐには具体化に向かわなかった。

社会の動き

1999年(平成11年)の社会の動きとしては、1/1決済通貨としてのユーロ導入(現金のユーロは2002年から)、1/1日本で携帯・PHSの番号11桁化、大阪06市内局番4桁化、1/7米上院、クリントン大統領に対する弾劾裁判を開始、1/14小渕1次改造内閣(自自連立)、1/19富本銭が飛鳥京跡から大量発掘、1/25コロンビアで大地震(M6.2)、2/7ヨルダンのフセイン国王死去、3/1日本初の脳死判定による心臓・肝臓等移植、3/3日本銀行、ゼロ金利政策実施、3/3「だんご3兄弟」CD発売(NHK放送は1月)、3/12金融再生委員会は15行への公的資金注入を正式承認、3/23能登半島沖不審船事件、海上自衛隊が初の海上警備行動、3/24コソボでNATO軍の攻撃始まる(6/10まで)、3/31映画「The Matrix」アメリカで公開、4/1改正男女雇用均等法施行、4/9東京高検検事長、女性スキャンダル、4/11統一地方選挙で石原慎太郎、横山ノックが当選、4/14光市母子殺害事件、4/20米国コロンバイン高校銃乱射事件、5/1本州四国連絡橋、尾道・今治ルート(しまなみ海道)開通、5/7日本で情報公開法成立(14日公布、2001年4月1日施行)、5/21日本でトキのオスのひな誕生、5/28周辺事態法成立、6/?カルロス・ゴーン、日産にCOOとして入社、6/1住民基本台帳法改正、6/1ソニーがAIBO発売開始、6/10福島県田村市から40kHzの標準電波送信開始(2001年には佐賀市からも60kHzで)、6/18-20第25回サミット(ドイツ、ケルン)、7/1 NTTが三分割、7/22中国、法輪功を非合法化、7/23全日空機乗っ取り、機長刺され死亡、8/9日本で国旗・国歌法が成立、8/12組織犯罪対策三法成立、8/12改正住民基本台帳法成立、8/12日本で盗聴法成立、8/13産業活力再生特別措置法(日本版バイドール法)施行、8/14玄倉川中州でキャンプ中に流されて13人死亡、8/17トルコ西部でイズミット地震(M7.6)、8/27筑波第一ホテルエポカル(現在のオークラフロンティアホテル筑波)開業、9/2神奈川県警不祥事発覚、9/8池袋で通り魔殺人事件、9/11映画「マトリックス」日本で公開、9/21集集大地震(M7.7、台湾)、9/29下関、通り魔殺人事件、9/30東海村のJCOで臨界事故、10/5小渕2次改造内閣(自自公連立)、10/20インドネシア新大統領にワヒド議長就任、10/26桶川ストーカー殺人事件、11/1富士山頂気象レーダー運用終了、11/6オーストラリアで君主制の存続をめぐって国民投票、11/15気象観測などを目的の日本の運輸多目的衛星1号(みらい)をH-IIロケット8号機で打ち上げたが失敗、11/22自衛隊機、入間川墜落事故、11/24新宿西口商店街(ションベン横丁)火災、11/28東名高速飲酒運転事故、12/1法の華三法行を詐欺容疑で捜索、12/13横山ノック大阪府知事が選挙中のセクハラで賠償判決、21日辞表提出、12/20マカオが中国に返還、12/21京都小学生殺害事件(てるくはのる事件)、12/31パナマ運河返還、12/31エリツィン大統領辞任、代行にプーチン首相を指名、など。1月にはだんご3兄弟が発表され、爆発的な人気を得た。東海村の臨界事故を受けて、通産省と科学技術庁は、11月5日、第2次補正予算で対策費1296億円を要求することが明らかになり、情報科学技術予算がその煽りをくらうのではないかと心配になった。写真は神戸のポートアイランドにある、神戸開港150周年を記念する150本のO2 HIMAWARIの一つ。背景は神戸市の市民農園。筆者撮影。

 

この年の流行語・話題語としては、「ブッチフォン」「リベンジ」「雑草魂」「ガングロ」「ヤマンバ」「勝ち組」「カリスマ○○」など。このころアメリカではdot-com companiesというIT関連ベンチャーが多数設立され、1999年から2000年にかけて株価が異常に上昇したが、2001年にはITバブルが崩壊する。

チューリング賞は、コンピュータ・アーキテクチャ、オペレーティングシステム、ソフトウェア工学に対する貢献に対してFrederick Phillips Brooks, Jr.(North Carolina大学Chapel Hill校)に授与された。

エッカート・モークリー賞は、分岐予測やreorder bufferなどのマイクロアーキテクチャ、ベクトルコンピュータのアーキテクチャ、相互結合網などへの貢献によりJames E. Smith(University of Wisconsin at Madison)に授与された。

ノーベル物理学賞は、electro-weak相互作用の解明に対し、Gerardus ‘t HooftとMartinus J. g. Veltmanに授与された。Veltmanは理論物理学者であるが、1963年に数式処理システムSchoonschip(「スクーンシップ」、オランダ語で「美しい船」という意味)を開発したことでも有名である。最も古い本格的な数式処理システムである。1967年に公開し、素粒子分野でよく使われた。2021年1月4日、89歳で亡くなられる。‘t HooftはVeltmanの弟子である。

化学賞は、フェムト秒分光学に対し、Ahmed Hassan Zewailに授与された。アト秒は今年2023年であった。生理学・医学賞は、タンパク質が細胞内での輸送と局在化を司る信号を内在していることの発見に対してGünter Blobelに授与された。

16世紀のフランス・プロヴァンス出身の占星術師Nostradamus(本名Michel de Nostredame)は百詩篇第10巻72番に「1999年7の月に、天から恐怖の大王がやって来る」と書いたが、実際に1999年になって日本で話題となった。五島勉が『ノストラダムスの大予言』(祥伝社、1973年)でセンセーショナルに取り上げたことの影響が大きい。

個人的には前年12月8日に顧問に任命された教皇庁文化評議会のアジア会議が2月1日~3日にタイのバンコックで開催され、日本の宗教状況について30分ほど講演した。質疑応答が30分もあり、ビックリした。他の講演者が、キリスト教はアジアの諸宗教(仏教、儒教、部族宗教など)にも学ぶところがあるという方向であったが、筆者は、あえてアジアの諸宗教への批判的視点を述べた。1997年にタイ・バーツの暴落が引き金となったアジア通貨危機により、不動産バブルが吹き飛び、工事中の高層ビルはそのまま屍となったが、高速道路を走ると工事が中断しているビルがたくさん見えた。その数は508棟に上ったという。11月18日~20日には教皇庁文化評議会の総会がローマであり、これにも出席した。そのためSC99を欠席することになった。アジア会議は英語であったが、総会では伊英仏西の4カ国語が公用語で、同時通訳はあったが、イタリア語の発言が多く、なかなかついて行けなかった。

地球シミュレータ計画

1) 海洋科学技術センターの参画
1998年4月に宇宙開発事業団と日本原子力研究所による地球シミュレータ開発の新たな推進体制が生まれたが、1999年3月、海洋科学技術センター(平野拓也理事長)はこの2法人との間で協定を結び、地球シミュレータ開発の中核機関に加わることとなった。当初は地球シミュレータ施設の設置と運営のみに関わることになっていたが、後には本体の開発などにも対等に参画することになり、2000年3月に協力協定の変更を行う。当時、海洋科学技術センターには地球フロンティア研究システムが設置され、センターが本当の意味で研究センターに生まれ変わろうとする時期であった。

2) 詳細設計へ
横浜市神奈川区の神奈川県工業試験場の跡地では10月に起工式を行った。また、要素技術の試作(1998年8月~1999年3月)に続いて、1999年5月から詳細設計が始められた(2000年1月まで)。

日本政府の動き

1) IT21(情報通信技術21世紀計画)
政府は新しい千年紀を目前に控えて、人類の直面する課題に応え、新しい産業を生み出す大胆な技術革新に取り組むこととし、「ミレニアム・プロジェクト(新しい千年紀プロジェクト)」を始めることを1999年12月19日に決定した。この中には多くのプロジェクトが含まれているが、「1 情報化」の中には、[(1)教育の情報化]「(2) 電子政府の実現」とともに、「(3) IT21(情報通信技術21世紀計画)の推進」が挙げられている。

2) 情報科学技術部会・委員会
1997年から始まった科学技術会議の情報科学技術部会は1999年2月24日第16回の最後会議を行い、諮問25号「未来を拓く情報科学技術の戦略的な推進方策の在り方について」に対する答申案について議論した。部会の結論は科学技術会議に送られ、6月2日に内閣総理大臣に対して答申が出された。この中で先導的プログラムが提唱された。筆者が主張していたペタフロップス開発については、「第3章 情報科学技術の戦略的な推進のための共通的な方策」の「3. 研究開発基盤の整備」に「その研究手段である高速計算機については、テラフロップスからペタフロップスへの更なる高速化を目指し、ハードウェア、基本ソフトウェア、応用ソフトウェア等の研究を行うことが重要である。」という文言がどうにか入った。

正式の答申が出る前であったが、「情報科学技術の戦略的推進に関する懇談会」が設置され、第1階が3月31日に、第2回は不明、第3回が5月10日に開かれた。正式答申前なので懇談会の形を取った。答申後、科学技術会議政策委員会の下に情報科学技術委員会が正式に設置され、筆者も委員となった。構成員は以下の通り。なお、これは2001年の省庁再編後に科学技術・学術審議会の下にできた情報科学技術委員会とは別のものである。

主  査

石塚  貢

科学技術会議議員(常勤)

議  員

熊谷  信昭

科学技術会議議員(非常勤)

専門委員

秋吉  仰三

(株)モノリス代表取締役社長

飯田  尚志

郵政省通信総合研究所長

礒山  隆夫

(社)経済団体連合会情報通信委員会情報化部会長

 (東京海上火災保険(株)顧問)

伊藤  尚武

国立国会図書館副館長

猪瀬  博

学術情報センター所長(政策委員)

上野  征洋

(株)コミュニケーション科学研究所専務取締役

宇津野  宏二

科学技術振興事業団専務理事

戎崎  俊一

理化学研究所情報基盤研究部長

小柳  義夫

東京大学大学院理学系研究科教授

開原  成允

国立大蔵病院院長

金久  実

京都大学化学研究所教授

上林  弥彦

京都大学大学院情報学研究科教授

後藤  敏

日本電気(株)C&Cメディア研究所長

後藤  滋樹

早稲田大学理工学部教授

清水  康敬

東京工業大学大学院社会理工学研究科長

諏訪  基

通商産業省工業技術院大阪工業技術研究所長

田中  英彦

東京大学大学院工学系研究科教授

土居  範久

慶應義塾大学理工学部教授

中村  道治

(株)日立製作所研究開発本部副本部長

西村  吉雄

日経BP社編集委員

林      弘

(株)富士通コンピュータシステム研究所長

樋口  恵子

東京家政大学教授

畚野  信義

東海大学総合科学技術研究所教授

松田  晃一

日本電信電話(株)先端技術総合研究所長

米澤  明憲

東京大学大学院理学系研究科教授

                                                                                                                     以上 27名       

年内に5回の会議を開催した。

 

 

主要な議題

第1回

1999年6月10日

科学技術庁第7会議室

(1)科学技術会議第25号答申の具体的実施に係る検討について

 (2)当面の委員会の進め方について

議事録

第2回

1999年7月5日

通商産業省別館第939号

(1)重点領域の設定について

議事録

第3回

1999年7月16日

科学技術庁第7会議室

(1)重点領域の設定について

(2)中長期的な検討事項について

議事録

第4回

1999年9月29日

先導プログラムの重点領域に合致する施策について

各省庁からのヒアリング

第5回

1999年12月20日

各省庁共用会議室第946号

(1)科学技術振興調整費の新規課題選定について(非公開)

(2)科学技術政策基礎調査「情報科学技術の研究開発における産学官連携の在り方に係わる調査」の中間報告について

(3)今後の進め方について

 

第1回会議で、先導的プログラムについて議論し、重点領域検討WGを立ち上げた。構成員は以下の10名。

主  査

土居  範久

慶應義塾大学理工学部教授

 

小柳  義夫

東京大学大学院理学系研究科教授

 

後藤  敏

日本電気(株)C&Cメディア研究所長

 

諏訪  基

工業技術院電子総合研究所次長

 

中村  道治

(株)日立製作所中央研究所長

 

西村  吉雄

日経BP社編集委員

 

林    弘

(株)富士通コンピュータシステム研究所長

 

古濱  洋治

郵政省通信総合研究所長

 

松田  晃一

日本電信電話(株)先端技術総合研究所長

 

米澤  明憲

 東京大学大学院理学系研究科教授

 

重点領域検討WGは6月中に3回の会議を開き、報告書をとりまとめた。7月5日に7月14日締め切りでパブリックコメントを求めた後、7月13日に第4回を開いた。10名から14件のパブリックコメントを頂き、これを受けて修正を加え、7月16日の第3回情報科学技術委員会で情報科学技術先導プログラムの重点領域を設定した。設定された3つの重点領域は以下の通り。

(1) 安全で豊かなネットワーク社会の構築

【重点技術項目:フレキシブル・ネットワーク技術、モバイル・コンピューティング技術、セキュア・ネットワーク技術、ネットワーク・サービスプラットフォーム基盤技術、先導的ネットワークアプリケーション、ネットワーク社会の経済的・社会的影響に関する総合的研究】 

(2) 人にやさしい情報システムの実現 
【重点技術項目:バリアフリー情報システム技術、人間重視ヒューマンインタフェース技術、人にやさしいソフトウェア開発技術】 

(3) 先端的計算によるフロンティアの開拓 
【重点技術項目:統合シミュレーション技術、可視化技術、並列分散ソフトウェア技術、アーキテクチャ技術】

 

まあ、何でも入るといえば何でも入るというところである。(3)では「これらの先端的計算の分野は、世界的に見ても利潤を研究開発投資に回す拡大再生産のメカニズムが成り立ちにくい状況にあり、国の施策として、先端的計算に継続的に取り組み、計算科学技術の発展を促す必要がある。」と一応書かれている。筆者が強く主張したことであるが、具体的な課題としては、2010年を目途として、ペタフロップス・ペタバイトクラスの計算機システムの実現を目指すことが重要であると指摘している。

この後、筆者がびっくりしたのは9月29日の第4回情報科学技術委員会である。このとき、各省庁から担当者が次から次へと登場し、自分の省の平成12年度(2000年度)の予算案において重点領域に関連した項目がいかに多くあるかという「ご説明」が行われた。各省が重点領域決定前にまとめた予算案であるにもかかわらず、説明によるとものすごい額の予算(1.2兆円)を重点領域に充てていることになる。いささか辟易とした。「牽強付会」(こじつけ)とはこういうことかと実感した(「牽」は、綱をつけて引っ張ること、「付会」は、ばらばらになっていたものを集めてくっつけることだそうだ)。

3) 振興調整費
この重点領域を「重点公募領域(リンク切れ)」の一つとする平成12年度科学技術振興調整費(期間5年)の募集が行われ、11月5日に締め切ったところ27課題の応募があった。書類審査およびWGでの議論を踏まえて、6課題を第二次審査課題(ヒアリング課題)とし、12月9日にヒアリングを行った。12月20日の第5回情報科学技術委員会において、6課題の推薦を決定した。1件数億円程度なので、ペタフロップスマシンを建設するなどという景気のいい課題はやりようがなかった。2000年1月、そのうち3件が採択される。

4) 国立情報学研究所へ
1999年3月、情報研究の中核的研究機関準備調査委員会は報告を提出した。4月、情報研究の中核的研究機関創設準備室が設置され、5月に準備委員会が発足し、7月には中間まとめ提出した。最終報告書は2000年3月。

5) 日本版バイドール法
1999年8月13日、「産業活力再生特別措置法」が制定された。その30条には、「国の資金を用いた委託研究開発の過程で生まれる特許権等について,受託者にその全部を帰属させることができる」ことが規定されており、日本版バイドール条項と呼ばれる。これまでは国の資金を用いた研究で取得した知的財産は、当然国に帰属するものとされ、結果的に死蔵されることが多かった。これを受託者に帰属させることにより、日本の産業競争力向上のために活用されることを期待したものである。この法律は10年の時限立法であったが、何度か延長された。2014年1月20日、産業競争力強化法の施行に伴い廃止される。

6) 日本学術振興会(未来開拓学術研究推進事業「計算科学」)
1997年に始まった未来開拓「計算科学」は、第2回計算科学シンポジウムを1999年2月1日に京都工芸繊維大学1号館会議室で開催した。今回のシンポジウムは,本研究プロジェクトを含む国内外の「計算科学」研究の新展開について,その目的,手法,期待される成果を集中的に議論することを目的として開催さした。筆者は教皇庁文化評議会のバンコック会議と重なってしまい、出席できなかった。プログラムは以下の通り。

10:00

開会の挨拶

矢川 元基(未来開拓計算科学研究推進委員会委員長)

セッション I (司会: 森 正武 京都大学数理解析研究所所長)

10:10

境界要素法の進展

小林 昭一(京都大学大学院工学系研究科教授)

10:50

地球マントルの運動

本多 了(広島大学理学部地球惑星システム学科教授)

11:30

昼食・休憩

セッション II (司会:寺倉 清之 通産省工業技術院産業技術融合領域研究所首席研究官)

13:00

連続体向け超並列計算機の開発

宇川 彰(筑波大学物理学系教授)

13:30

多粒子系向け超並列計算機の開発

牧野 淳一郎(東京大学大学院総合文化研究科助教授)

14:00

次世代エレクトロニクスのための物質科学シミュレーション

今田 正俊(東京大学物性研究所教授)

14:30

コーヒーブレイク

セッション III (司会:稲垣 康善 名古屋大学大学院工学系研究科研究科長)

15:00

設計用大規模計算力学システムの開発

吉村 忍(東京大学大学院工学系研究科助教授)

15:30

回転球面上の流体計算のための高速アルゴリズム

杉原 正顕(名古屋大学大学院工学系研究科教授)

16:00

高次精度大規模直接数値シミュレーション

西田 秀利(京都工芸繊維大学工芸学部助教授)

16:30

タンパク質の立体構造予測シミュレーション

岡本 祐幸(岡崎国立共同研究機構分子科学研究所助教授)

 

17:00

閉会の挨拶

里深 信行(京都工芸繊維大学工芸学部学部長)

17:30

懇親会

 

 

3年目に入ったので中間評価を受けることになり、まず6月14日に東京大学工学部3号館1階会議室で開かれた推進委員会で自己評価のとりまとめを行った。8月6日(金)には学術振興会の理工系評価部会のヒアリングが四谷の学振であり、矢川委員長、寺倉委員と筆者が出席した。忘れもしない1986年のQCDPAXプロジェクト提案のヒアリングで「速い計算機を作りたいのか、物理を研究したいのか、どっちかはっきりしろ」と詰問して提案をつぶした時の長倉先生が部会長だったので思わず身構えたが、このときは好々爺であった。むしろ、このプロジェクトに関する外部評価委員の川添良幸先生から「地球シミュレータの開発が進んでいるが、金田先生の流体のプロジェクトはそれに勝てるのか」と質問されたときには頭に来た。400億円のプロジェクトと1億そこそこの我々のプロジェクトとが勝負になるわけがない。筆者は「我々のプロジェクトの成果は地球シミュレータでも役立ちます」と答えた。また、岩崎プロジェクトについて、ポスト地球シミュレータにつながるのかという質問があったが、筆者は「粒子系サブグループ(牧野淳一郎サブリーダ)は、本プロジェクトでペタに近い実効性能を持つマシンを実際に完成する予定。連続系サブグループ(岩崎洋一サブリーダ)は、チップの設計とシミュレーションを行ない、予算が得られれば製作できるだけのノウハウを蓄積しようとしている。」と答えた。相磯秀夫委員からは「このグループは世界のトップランナーであり、これまでも実績を出している。」との助け舟の発言があり、全体としてはよい評価をいただいた。

後日、中間評価委員会から指摘されたことは、

(1)汎用計算機に対して専用機(や専用LSI)を開発する意義、
(2)多数のPC等を並列活用する分散システムの課題と可能性、
(3)商用ソフトに対し独自ソフトを開発する意義と課題

であった。これに対し、以下のように回答した。

計算科学の立場からハードウェア・ソフトウェア開発を行うことの出発点は、最先端の計算科学の必要とする大規模計算が、最高性能の汎用計算機の能力を越えてしまう、あるいは充分な実効性能が得られないことにある。従って、前者の場合には必要な計算力を確保し、後者の場合には実効性能が出ない原因を明確に把握した上で、その解決策を考案し、それらの実現のためのハードウェア・ソフトウェアを開発することは、計算科学の推進のために重要な課題である。

 

つまり単にショーウインドーに並んでいる計算機を買ってくるだけでは最先端の研究はできないと主張した。今の言葉で言えば「コデザイン」の重要性を指摘した。われわれとしては、CP-PACS開発の時に実感したことでもある。また、「科学技術計算は、汎用計算機の重要な対象の一つであるから、このような開発は、汎用計算機技術の発展を牽引する効果も充分に期待される。」と社会的な意味も強調した。2009年11月の事業仕分けで蓮舫議員から「世界一でなければならない理由は何なのでしょうか」と問われたとき、こういう議論を展開すべきであったと思う。

牧野淳一郎サブリーダは、1999年4月、東京大学教養学部から理学系研究科天文学専攻に配置換えになった。

7) 日本学術振興会(チェコ訪問団)
1999年9月から2001年3月まで、日本学術振興会国際科学協力事業委員会の委員を務めた。その仕事の一つとして、チェコのプラハを12月12日~16日に視察した。団長は加藤寛一郎 日本学術振興会常務理事(元東京大学工学部航空工学科)、メンバは、家泰弘(東大物性研、学振学術参与)、甲斐千恵子(東大農学生命科学研究科、学振学術参与)、小島定吉(東工大情報理工学、学振学術参与)、小柳義夫(東大理、学振国際科学協力事業委員)と学術振興会の事務の方であった。

元共産圏なので、アカデミーの力が非常に強いのが特徴である。コンピュータ関係では、アカデミーの情報理論自動制御研究所を訪問したが、数学的理論的な研究が中心という印象を受けた。説明では産業界との連携も強調していた。またアカデミーのプラズマ物理学研究所では、トカマクから環境用のプラズマ発生器などの説明を受けた。カレル大学では、ちょうど少人数の卒業式が行われていた。その(ほとんど宗教的な)古風な儀式を見学した。理学部の関係者とも懇談した。その後日本大使館の参事官とともに、チェコ政府の教育省(Ministry of Education, Youth and Sports)を訪問し意見交換した。

夜は、食事に招かれたり、プラハの古風なオペラハウスでモーツァルトの「魔笛」を鑑賞したりした。ただしチェコ語だったので、「パパゲーノのアリア」くらいしか分からなかった。まあ、ドイツ語でもどこまで分ったか。

筆者にとってチェコは初めてであった。朝、ホテルの周りを散歩していたら、大きな古城の跡を見つけた。後で調べたら、スメタナの組曲『わが祖国』の第1曲の「ヴィシェフラド(Vyšehrad)」の城であった。また、カレル大学学長もつとめた神学者ヤン・フス(1369頃~1415年7月6日)の人気には圧倒された。旧市街広場を始め市内至る所にかれの像がある。かれは当時のカトリック教会に反逆して拘束され、世俗の勢力に引き渡され焚刑に処せられた。1世紀後の宗教改革の先駆と言われる。ちなみに2015年はその600年記念で、ローマ教皇は記念式典に特使を送ったとのことである。時代が変われば変わるものである。

8) 日本学術振興会(科学研究費補助金)
1999年、文部省の科学研究費補助金の一部(小規模なもの)が日本学術振興会に移管された。

9) 科学技術振興事業団(ACT-JST)
1998年に始まったJST(当時は、科学技術振興事業団)のACT-JST(計算科学技術活用型特定研究開発推進事業)は、1999年度は予算が少なく下記の4課題が基本型として新規採択されただけだった。

中村 振一郎(三菱化学株式会社 計算科学研究所 所長)

フォトクロミック動作系の理論計算による徹底解剖

松田 秀雄(大阪大学 大学院情報科学研究所 教授)

完全長cDNA間の共通ドメイン検索システムの開発

功刀 資彰(京都大学 大学院工学研究科 助教授)

大気海洋相互作用研究データベース共有システムの構築

西尾 正則(鹿児島大学 理学部 助教授)

高速通信網と次世代衛星通信システムを利用した大気リモートセンシングの研究

 

1998年度に、通常の課題が17件,期間1年の短期集中型が50件採択されたことから見ると大幅な減少であり、委員から文句が出た。

10) 科学技術振興事業団(外部評価)
JSTの科学技術情報流通促進事業に対する評価部会(部会長、神沼二眞)が行われ、筆者も委員を務めた。流通促進事業はJSTの前身の一つである「科学技術情報センター(JICST)」の流れを汲む事業である。1998年のところに書いたようにACT-JST「計算科学活用型特定研究開発推進事業」は、ERATOやCRESTとは異なりこの事業の一部として行われていた。11月19日の第4回会議(筆者は欠席)で、委員から「高速ネットワークを活用する資源共有型研究開発の資源とは何か。」という質問があり、担当理事から「ネットワークとコンピュータ資源及びネットを組んで参加する各研究機関がすでに保有されている計算資源を主に指している。」という回答があったが、ネットワークの活用ということが審査の基準として生かされていない、というような批判も出た。別の委員から「JSTが行ってきたJSTの研究情報データベース支援事業とどういう関係があるのか。」とさらに質問があった。もっともな疑問である。理事からは、「日本発の計算科学活用型のソフトウェアが非常に少ないことから、研究支援という形よりは、ある意味では基礎研究と同じような次元でソフトウェア開発に力を入れている」とのことであった。4分野に分けると、横断的なものが生きてこないというような意見もあった。1年目や2年目の終りで審査して、駄目なものは切ったらいい、という意見も出た。

11) 日本原子力研究所計算科学技術推進センター
1995年度に設置された同センターは、1996年3月には中目黒に移転し、筆者は1997年4月から第1種客員研究員として3年間研究員の指導に当たった。1996年1月からは、並列計算ライブラリ専門部会(部会長森正武(東大工))を設置し、並列数値計算のライブラリを開発してきた。1999年6月、その名称を研究員から募集し、PARCEL (Parallel Computing Elements)とした。他の案としては、SAMMA (Subroutines for Applied Mathematics on Multiprocessing Architectures、目黒だからか)とか、PAJAMAS (Package of Jaeri Mathematical Subroutines)やPALIMPSEST (Parallel Library using MPI for Scientists)などの案もあった。

12) 理化学研究所(アドバイザリ、情報基盤センター、post-QCDSP)
1999年4月、理化学研究所からスーパーコンピュータアドバイザリコミッティー委員を委嘱され、2002年3月まで務めた。メンバは、日本からは他に佐藤勝彦、藤井孝藏、齊藤稔、戎崎俊一、牧之内昭武、姫野龍太郎で、外国からはAnthony Kennedy (Edinburgh大)であった。新規施策の事前評価なども担当した。

理化学研究所情報基盤センターは、4月、富士通VPP700/128Eを設置した。6月のTop500では、コア数128、Rmax=268.0、Rpeak=307.7(GFlops)で26位にランクしている。

1998年にQCD専用計算機QCDSPがColumbia大学とBNL)に設置されたが、後継機として10 TFlops級のスーパーコンピュータ開発に着手することになり、1999年7月ごろ、T. D. Lee所長から日本政府に約6億円の経費の分担を申し入れてきた。理研の小林俊一理事長から意見を求められたので、「私はコロンビアのQCDSP自体は、それなりの評価を持っている。共同研究開発なら参加する意義があるが、日本が(チェックブックのように)金を出すようなものではないと考えている。」と申し上げた。10月、理研BNL研究センターはColumbia大学と共同で、QCDSPの後継機として10 TFlops級のスーパーコンピュータ開発に着手した。後のQCDOCである。

13) 日本のビル・ゲイツ
科学技術会議の情報科学技術部会ができた流れとも関係あると思われるが、8月末、通産省が「未踏ソフトウェア創造事業」という天才級の個人を対象とする事業を概算要求するというニュースが流れた。提案者の話では、大臣に4回もレクチャーに行ったが、大臣以外が皆反対で困った、とのことである。「日本のビル・ゲイツを育てる」という触れ込みであったが、ゲイツがソフトウェアの天才かどうか?結局このプロジェクトはIPA(情報処理振興事業協会、現在の情報処理振興機構)の事業として実現し、2000年度から始まる。2008年からは若い人材の発掘・育成に重点をおいて再編成し、「未踏IT人材発掘・育成事業」として現在も継続している。

14) 通商産業省の動き(次世代情報基盤、シミュレーション)
答申25号の流れの一つかと思われるが、このころ通産省でも機械情報産業局電子機器課を中心に計算科学やHPCの動向を見定め、省としての基本姿勢を定めようとの動きがあった。「コンピュータ関連基盤技術開発に関する調査研究」と名付けられ、2010年頃までに必要な最先端コンピューティングを実現するための関連技術にかかわる研究開発プログラムの策定を行った。

a)次世代情報基盤技術研究会
 このため、HPCやデバイスなど関連の産官学の有識者から構成する研究会によって検討を進めることになった。当初は「高速化・大容量化に関する研究会」などと呼ばれており、野村総合研究所が事務局を担当した。まず4月14日午後には通産省別館に若手研究者が集まり、「高速化・大容量化に関するブレインストーミング」が開催された。その後、「次世代情報基盤技術研究会」と名付けられ、7月30日から5回にわたって開催された。委員長は田中英彦東大教授、大学からは村岡洋一(早大)、荒川泰彦(東大)、小柳光正(東北大)と筆者、産業界からは松本寛(日本電気)、小林二三幸(日立)、三浦謙一(富士通)、武田喜一郎(ソフテック)、長澤文夫(セゾン情報システム)、電総研から坂本統徳、大蒔和仁が委員を務めた。この研究会の結論は「次世代情報基盤技術の技術開発戦略」として1999年11月付で発表された。

 b) コンピュータ・シミュレーション開発体制検討委員会
 上記研究会のいわばワーキンググループとして、表記委員会が設置され、1999年9月1日から2000年1月11日まで5回の会合を行った。委員長は筆者、大学からは中村宏(東大)、朴泰祐(筑波大)、産業界からは稲上泰弘(日立)、田原伸夫(富士通)、渡辺貞(日本電気)、工業技術院関係からは秋山泰(RWCP)、関口智嗣(電総研)、佐藤三久(RWCP)、寺倉清之(先端情報計算センター)、三上益弘(物質工学研)、長嶋雲兵(融合研)が委員を務めた。事務局は(財)日本システム開発研究所が担当し、各産業分野でのヒアリングを行った。これに基づき、シミュレーション技術の高度化を検討し、重点領域と実現化方策を検討した。検討結果は、「コンピュータ・シミュレーション研究開発のあり方に関する調査研究報告書」として、2000年3月付で公表された。手法面の重点開発領域としては、高精度化、新しい計算モデル、異なる手法の統合化技術、データマイニングなどを研究開発項目として挙げた。

15) TACC(SP POWER3)
電子技術総合研究所(当時)先端情報計算センター(TACC, Tsukuba Advanced Computing Center)は、1999年1月、IBM社のSP POWER3 200 MHz(256プロセッサ)を14億円で契約したと発表した。3月に設置された。1999年6月のTop500では、Rmax=149.3 GFlops、Rpeak=204.80 GFlopsで50位にランクしている。

次回は、日本の大学センターと学界の動きである。大学センターを結んでいたN-1ネットワークが停止し、TCP/IPに変わる。日本でも本格的なクラスタの開発設置が始まる。

 

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