新HPCの歩み(第167回)-1999年(i)-
Intel社はPentium IIIを、AMD社はAthlonを発表した。IBM社はBlue Geneという名前の1 PFlopsの超並列コンピュータを開発すると発表して世界の度肝を抜いた。Tera社はついに16プロセッサのMTAをSDSCに設置した。SGI社は買収したCray Divisionの売却体制に入った。IBM社はSequent社を買収しNUMA技術を手に入れた。 |
アメリカの企業の動き
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1) Intel社(x86)
1999年2月26日、Intel社は32 bit x86マイクロプロセッサIntel Pentium III Processor(コード名Katmai)を発表した。マイクロアーキテクチャは1995年のPentium-Pro以来のP6 。整数演算のMMXおよび浮動小数演算を高速化するSSE (Streaming SIMD Extensions)をサポート。SSEは専用の128 bitレジスタ(8本)を使う。各チップに96 bitsの製造番号(Processor Serial Number)を埋め込み、ソフトから読めるようにした点は、個人認証には好都合であるが、プライバシーの点から批判された。Intel社は、批判に配慮しこの機能をエンドユーザが承認した場合のみ動作するよう修正すると発表した。Pentium IIと同様にパソコン向けにはCeleronが発売された。写真は、Pentium III Katmai SECC2カートリッジの放熱板を取り除いたもの(Wikipediaより)。
3月17日、サーバ向けのPentium III Xeonが500 MHzおよび550 MHzで発売された。5月、550 MHzのPentium IIIが発売された。10月には、500 MHzから733 MHzまでのデスクトップ用を9種やモバイル用など合計15種の新しいPentium IIIのチップを発売した。AMDのAthlonと激しい競争となっていたが、733 MHzのデスクトップ用Pentium III(@$776)は、700 MHzのAthlonを意識したものであった。AMDはAthlonの価格を下げざるを得ないであろうと見られている。Pentium III Xeonについては、600 MHz、667 MHz、700 MHzのものを出す予定。日本電気、Hitachi Data System社、Compaq社、Data General社、Hewlett-Packard社、Dell社などは、8プロセッサのPentium III Xeonサーバを一斉に出荷した(HPCwire 1999/8/27)。まだ同社は2000年2月のISSCCにおいて、1 GHzのPentium IIIを示し、2000年後半にも出荷すると発表した(HPCwire 1999/12/17)。
Pentium IIIの廉価版であるCeleron (Coppermine-128)は2000年3月29日に発売される。
2) Intel社(Itanium)
IA-64のアーキテクチャについては、Microprocessor Forum 1997で報告されているが、Intel社はComputerWorldにおいて、IA-64の最大の利点はマルチタスキングだと発表した。Merced(Itaniumのコード名)はPentiumの8倍の数のレジスタを持ち、タスク間をレジスタ退避なしにスイッチできる。従来のPentium用のアプリケーションをそのまま走らせるとこの機能が働かないが、チューニングすると劇的に(数値は示されてない)性能が改善される。(HPCwire 1999/6/11)
Mercedの開発については遅れに遅れていたが、7月tape-out(設計終了)したと発表された。2000年半ばには量産が始まるとのことであった。本当に量産が始まるのか疑問の声が上がった(HPCwire 1999/9/17)。9月24日、Intel社、SCO社、Sequent社は、Monterey/64がMercedプロセッサ上で動く最初の商用Unixである、と発表した。Project MontereyにはAcer、Bull、Compaq、CETIA (a subsidiary of Thomson-CF)、IBM Netfinity servers、ICL、Sequent、Unisys、Samsungなど多くのハードウェア企業が参加している。同じ頃、64 bit WindowsやLinuxもMercedの上で動いているという発表があった(HPCwire 1999/9/3)。他方、Compaq社は、Alphaプロセッサ用の自社版のUnixであるTru64 UnixをMerced上で稼働させる計画を中止した(HPCwire 1999/9/24)。
IA-64プロセッサのブランド名をItaniumと正式発表したのは、1999年10月4日であった(HPCwire 1999/10/8)。語源は不明だが、Intel社によれば「Itaniumはどこの国のことばともうまくかみ合う」とのことである。Itanium 2 (Mckinley)も続いて出てくる予定で、これはIntel社初の銅配線を用いたチップになると見られていた。
3) Intel社(独占禁止法訴訟和解)
FTC (Federal Trade Commission)は1998年6月12日、Intel社に対する反トラスト法の訴訟を起こし、マイクロプロセッサ市場における独占的地位を利用して重要な技術情報を隠蔽していると訴えていたが、1999年3月に和解した。
4) AMD社(Athlon, SledgeHammer、x86-64)
AMD(Advanced Micro Devices)社は、1999年6月23日に32 bit x86マイクロプロセッサAthlonを発表した。Athlonという名前は古典ギリシャ語の“athlos”(競技)に由来する。Athleticsなどと同じ語源である。マイクロアーキテクチャはK7であるが、その後のK8やK10に基づくチップでもAthlonの名前は引き継がれた。CPUクロックは500 MHzから2.33 GHzまで。2000年3月6日には、x86プロセッサとしては初の1 GHz製品が出荷される。K7の設計は、かつてDEC社でAlphaプロセッサを設計していたDirk Meyerが主導し、Alpha設計の多くの技術者を取り込むことができた。前に書いたように、DEC社は1998年Compaq社に吸収されたため、Alphaプロセッサの開発は2004年までに中止することになった。AthlonはDECからEV6バスのライセンスを取得しそれを活用した。Athlon (K7)プロセッサは1999年8月に発売された。Intel社との確執など黒歴史については大原氏の記事に詳しい。10月20日、AMD社はFab 30というファブリケーション工場をドイツのDresdenで立ち上げた。この工場は0.18μの銅配線チップを製造することができる。最初は900 MHzのAthlonを製造するが、その後1 GHzを越えるチップを製造する予定である。(HPCwire 1999/10/22)
1999年10月、64ビットプロセッサSledgeHammer(コード名、後のOpteron)についての情報を出し始めた。1999年10月3日~8日にカリフォルニア州San Joseにおいて開催されたMicroprocessor Forumにおいて、AMD社は4日、x86アーキテクチャの64bit拡張x86-64の概要を発表した。Intel社のIA-64とは異なり、x86と互換性を保ちながらアドレス空間もデータ空間も64bitに拡張するところに特徴がある。さらにx86の弱点であった浮動小数点演算体系を革新するためにTFP (Technical Floating Point Instructions)と呼ぶ新しい浮動小数点命令を新設し、8つのレジスタと8つのSSE命令と追加した。Intel社側は、x86-64には革新性がないと批判した。(PC Watch 1999/10/6) 翌2000年8月10日にプログラミングガイドを公開する。Opteronという名前を明らかにしたのは2002年4月24日、正式な発表は2003年4月22日である。AMD社はOpteronの正式発表に合わせて、x86-64をAMD64と命名する。(PC Watch 2003/4/24)
このころ、プロセッサ製造の巨人企業、とくに同じ命令セットアーキテクチャに基づいているはずのIntel社とAMD社とが、64ビット化について別の道を歩み始め、互換性がなくなるのではという心配がささやかれはじめた。(HPCwire 1999/10/8)(ZDNet 1999/10/5)
5) NVIDIA社(GeForce 256)
NVIDIA社(1993年創業)は、1999年、PC用の廉価なGPUとしては世界初のジオメトリエンジンを搭載したGeForce 256を発表した。ハードウェアによる座標変換・陰影処理(Hardware Transform and Lighting)を実装しており、GPU (Graphic Processing Unit)という名称が使われるようになった。
NVIDIA社は1998年にSGI社から特許侵害で訴えられていた。1999年7月20日、SGI社は訴訟を取り下げNVIDIA社と提携すると発表していた。SGI社は3Dグラフィックス開発チームをNVIDIA社に移籍させ、開発されたグラフィックスチップをSGI社が将来採用するとのことであった。SGI社の虎の子であるグラフィック技術の流出は、結果的にSGI社の倒産(2006年)を早めたのではないかと言われている。
6) IBM社(SP POWER3, POWER4)
前年POWER3が発表されたが、当時これを搭載したコンピュータはWSだけであった。1999年2月5日にPOWER3を搭載した並列コンピュータRS/6000 SPが発表された。SP1、SP2と来たが、SP3ではなくSP POWER3と名付けられた。NCARは早速発注した(HPCwire 1999/8/13)。
昨年のところに書いたように、POWER3のL1データキャッシュは64 KBで128 B長の lineが512 行あり、512 linesは4つのcongruence classに分かれている。128-way associativeというすごい連想メモリであるが、置き換えアルゴリズムはLRUではなくround robbinであった。回路を単純化するためであろう。
1月14日、日本IBM社は、工業技術院から日本国内最大の256個の CPUから構成される並列システムRS/6000 SPを受注したと発表した。SP POWER3の公表直前だったので当初は明らかにされなかったが、200 MHzのPOWER3が2個載っているThin Nodeを128ノードという構成。3月末に納入。14億円と報道された。
Top500から主要な設置先を示す。Rmaxの単位はGFlops。
設置機関 |
ways |
コア数 |
Rmax |
初出と順位 |
LLNL (ASCI White) |
16 |
8192 |
7226 |
2000/11 1位 |
NERSC |
16 |
3328 |
3052 |
2001/11 3位 |
Atomic Weapons Establishment(英国) |
16 |
1920 |
1910 |
2002/6 11位 |
NAVOCEANO(米国) |
|
1336 |
1417 |
2000/11 5位 |
ドイツ気象庁 |
16 |
1280 |
1293 |
2001/1 10位 |
NCAR |
16 |
1260 |
1272 |
2001/11 11位 |
NOAA R&D/National Centers for Environmental Prediction(米国) |
|
1104 |
1179 |
2000/11 6位 |
|
1104 |
1179 |
2001/6 9位tie |
|
LLNL |
16 |
1088 |
1100 |
2001/11 16位 |
SDSC |
8 |
1152 |
929 |
2000/11 8位 |
MHPCC |
16 |
812 |
837 |
2001/6 18位 |
総計は42台。いずれもクロックが375 MHzのPOWER3-IIである。
10月5日に、IBM社は、Itanium(コード名Merced)に対抗して、POWER4プロセッサを発表した。0.18μのテクノロジで銅配線とSOIを採用した(HPCwire 1999/10/8)。市場への登場は2001年と見られる。このプロセッサはdual coreで各コアはクロック当たり5命令を発行することができ、out-of-order実行をサポートする。
7) IBM社(Blue Gene、Deep Computing)
IBM社は、米国時間1999年12月6日、Blue Geneという名前の超並列コンピュータを、1億ドルかけて開発すると発表した。目的はタンパク質のfoldingのための古典的分子動力学のシミュレーションである。100万プロセッサで1 PFlopsを実現するとのことであった。メモリはCPUチップ上のメモリだけ(まさにProcessor-in-Memory)で総量500 GB。筆者はアメリカのIBM社から訪日した技術者に「1 PFlopsに500 GBではバランスが悪い」と指摘したが、分子動力学のためには十分とのことであった。「量子的(第一原理)分子動力学はどうするんだ」と聞いたら、「それは考えていない」という返答があった。1チップに32 CPUコアと16 MBのメモリ、1ボードに64チップ、1ラックに8ボード、全体は64ラックで構成される。発熱が少ないので、冷却は研究所の下水で十分とか(本当?)。完成は4~5年後で、最終目標は300個のアミノ酸からなるタンパク質の立体構造をMDシミュレーションで決定するとのことであった。Blue GeneはSMASH (Simple, Many and Self-Healing) と呼ばれる新しいアーキテクチャを採用する。このコンピュータは一種の自己回復能力を装備し、欠陥のあるプロセッサを自動的に見つけて回避する機構を持つ。SC02で発表されたBlueGne/Lの論文はSC20でTest-of-TIME Awardを受けたが、その受賞講演によればBlue Geneの計画は1998年から始まったとのことである。
筆者は、12月7日に宇川氏からのメールで教えられ、あまりの常識外れに驚いたことを覚えている。12月10日付けのHPCwire誌にも、SGIのJohn Mashey副社長からの投書があり、「この提案は珍奇であり、実現は疑わしい」と批判している。「今まで馬鹿でかい数のCPUをもつ大規模コンピュータはしばしばアナウンスされて来たが、実現したものは少ない」と述べている。(HPCwire 1999/12/10) ただし、2001年にBlueGene/Lが発表されたときには、ずいぶん常識的なコンピュータに近づいていた。
これより前のことであるが、1999年5月、IBM社は$29Mを投じてDeep Computing Instituteを設立すると発表した。所長はIBM研究所の数理科学部長であるWilliam R. Pulleyblankである。この研究所の諮問委員には以下のようなbig nameが並んでいる。
Sidney Karin |
SDSC所長 |
Ken Kennedy |
CRPC Rice大学、所長 |
Thomas L. Magnanti |
MIT工学部長 |
Robert Mark |
カナダ商業銀行副頭取 |
Jorge More |
ANL |
Manuel C. Peitsch |
GlaxoWellcom |
Chris Sander |
Millenium Predictive Medichine, Inc. |
Gary Smaby |
Samby Group |
Vivian M. Stephenson |
Dayton Hudson Corporation |
Rick Stevens |
ANL |
Colin White |
DataBase Associates Internationa, Inc. |
John C. Wooley |
Office of Biological ad Environmental Research |
研究所の本部はT.J. Watson研究所内に置かれる。
8) IBM社(G6プロセッサ)
1999年5月、IBM社はS/390 メインフレームのためのG6プロセッサを発表した。銅配線を採用し、クロックは最大637 MHzで、最大12並列までサポートする。ES/9000に続くCMOSの9672では最後のモデルである。
9) Tera Computer社(4プロセッサ、特許、資金、8プロセッサ、MTA-2)
1月8日、Tera Computer社はSDSC (San Diego Supercomputer Center)に4プロセッサのMTAを設置したと発表した(HPCwire 1999/1/8)。それまでは前年の4月に設置された2プロセッサのMTAであった。SDSCはNSFやDARPAからの資金によりMTAシステムを導入した。ユーザはSDSCのみならず、Boeing社、LANL、NERSC、Sanders(Lockheed Martinグループ)などにも広がり、分子モデル、航空機設計、防衛プログラム、可視化、データベースなど広汎なアプリが試された。SDSCは2月5日、4プロセッサのMTAシステムを検収したと発表した(HPCwire 1999/2/5)。Tera社は、「次の目標は8プロセッサMTAだ。16やそれ以上も見えてきた。」と誇らしく述べた。4月には、Macneal-Schwendler社と協力してMSC NASTRANをMTAに移植する合意ができたと発表した。(HPCwire 1999/4/16)
1月前半に、同社はアメリカ特許庁にMTAのハード・ソフトに関する15件の特許を申請したと発表した(HPCwire 1999/1/15)。「MTAはプロダクションの段階に入ったので、我々の最先端の技術を守る必要がある」とJim Rottsolk社長が述べていたが、通常は開発の初期に出すものではないか。
4月、Tera社は$7.4Mの資金を集め、8プロセッサ用のネットワークの開発をはじめた(HPCwire 1999/4/9)。そのうち$5MはスイスLuganoのBanca del Gottardoからの投資であった。残りの$2.4Mはtwo year convertible notes(転換社債)で、個人投資家から集めた。7月までになんと$30M以上の資金を未公開株により集めた。 2000年3月に1999年度第4四半期および1999会計年度の財務状況を公表した。1999年度は、売り上げ$2.1Mに対し純損失は$34.5Mで一株あたり$1.74である。1998年度は、売り上げ$2.0Mに対し純損失$19.8Mで一株当たり$1.70であった。1999年末には、現金相当が$11.2Mあり、長期債務はない。2000年2月末には$35.9Mの現金相当を保有している。
意外に早く、7月2日にTera社は8プロセッサのMTAをSDSCに設置したと発表した(HPCwire 1999/7/2)。前に述べたように、筆者は6月始めにCSCSの外部評価のためにSDSCのSid Karin所長とスイスで1週間過ごしたが、そのときかれが興奮して、「今、(MTAの設置予定について)電話が入った」と言っていた。SDSCは多くの応用でテストを進め、7月16日にはテストに合格したと発表した(HPCwire 1999/7/16)。MTAはプログラミングモデルを変更することなくソフトを並列に動かせることが特徴で、とくにPULSE3DおよびMPIREと呼ばれるソフトで顕著であった。PULSE3Dは心臓の3次元シミュレータである。SDSCは11月、引き続き16プロセッサへのアップグレードを$2.5Mで発注した。(HPCwire 1999/11/12) 納入は年内になされたようであるが、2000年4月にSDSCを訪問した友人の話では、ネットワークにバグがあるらしく8 CPUごとに動かしているとのことである。なお2000年3月にはTera社はSGIのCray Divisionを名前ごと買収することになる。
8プロセッサのSDSCへの設置から程なく、Tera社は7月30日に「CMOSのMTAのマイクロプロセッサをテープアウトした」(つまり設計が完了した)と発表した。このチップを使って後のMTA-2が製作される。
同社の1999年度(12月末まで)の決算は、純損失$34.5M(1株当たり$1.74)で、年度内に$30Mの資金調達を行い、年度末の現金は$11.2Mあり、長期負債はない(HPCwire 2000/3/31)。なお、2000年2月のワラント債の発行により現金は$35.9Mに増え、これらの資金でSGI社からCray部門を買い取ることになる。(HPCwire 2000/3/31)
10) Sun Microsystems社(Merced、E10000、Serengeti)
Sun Microsystems社(カリフォルニア州Palo Alto)は1月、Solaris OSをIA-64のMercedに移植することに成功したと発表した。実際には前年11月に成功していたとのことである。(HPCwire 1999/1/15)
同社は、1999年2月19日、Sun Enterprise 10000(通称Starfire)の出荷が通算1000台を越えたと発表した。1998年6月に500台の出荷を発表してから8ヶ月であった。SDSCも64プロセッサのE10000をHPC用に導入した(HPCwire 1999/10/22)。
2月26日、CEOのScott McNealyはSun Microsystemsの次のハイエンド・サーバとしてSerengetiというコード名を持つシステムを開発していることを明らかにした(Serengetiはタンザニアの国立公園名。マサイ語で「果てしなく広がる平原」を意味する)。E10000とは異なりccNUMAアーキテクチャを採用し、600 MHzの次世代のUltraSPARC IIIを用いる。当初は24~78プロセッサしか搭載できないが、クラスタ化技術により、今後プロセッサ数を150程度まで飛躍的に増大させることができる。UltraSPARC IIIは1999年に発売が予定され、Alpha21264やItanium (Merced)に対抗することを目指していたが、出荷は大幅に遅れて2001年となった。Serengetiは2001年9月25日、SunFire 15000サーバとして発表される。
11) Sun Microsystems社(Java訴訟、社長交代、Bill Joyの毒舌、日本サン)
1997年から続いているJavaに関するMicrosoft社との訴訟合戦は、1999年5月、San Jose連邦地裁が3つの仮裁定を出した。
(a) Microsoft社は、Sun Microsystems社の著作権や特許権を侵害しない限り、独自にJavaを開発してよい。
(b) Microsoft社は、SunのJavaの進歩に、それほど迅速に従う必要がない。
(c) Windows 98やInternet Explorer 4.0に含まれているJavaは、Sun Microsystems社の知的所有権を侵害している。
前二者はMicrosoft社の主張、最後はSun Microsoft社の主張であった。
6月のSan Franciscoの第9巡回区控訴裁判所(日本の高等裁判所に相当)は、この仮裁定を無効とし、San Joseの連邦地裁に差し戻した。巡回区控訴裁判所は、Microsoft社がSun Microsystems社とのJavaに関する契約に違反したことは認めたが、Microsoft社の行為が、契約違反ではなく著作権法違反となる理由を精査せよと、連邦地裁のWhyte判事に命じた。また、巡回区控訴裁判所は、カリフォルニア州の法律では、連邦地裁の仮裁定は、Microsoft社の将来の行動予測に基づくべきであり、過去の行動だけによるものではない、とも指摘している。(ZDNet 1999/8/24) 最終的に決着するのは、2001年のことである。
1999年4月21日、Sun Microsystems社は、Edward J. Zanderを社長に任命すると発表した。Ed Zanderは1998年1月から務めているCOO職も兼務する。これまで会長、社長、CEOを兼任してきたScott McNealyは、引き続き会長兼CEOを務める。
Sun Microsystems社の創立者であるBill Joyは、1999年5月、Microsoft社のお膝元SeattleのWashington大学Mary Gates Hall(Bill Gatesの母親の名を冠した)の竣工を祝う記念講演に招かれ、Windows 2000をこき下ろした。「Windows 2000のソースコードは3~5000万行のC/C++プログラムであり、まるでStar Warsのミサイル防衛システムである。こんなソフトはデバッグも管理もできない。」言っていることは分からないでもないが、ちょっと場違いでは?聴衆はBill Joyに石を投げつけることもなく聞いていたようである。(HPCwire 1999/5/7)
1999年4月1日付けで、日本サン・マイクロシステムズ株式会社は、社名を「サン・マイクロシステムズ株式会社」に変更した。7月1日、サン・マイクロシステムズ日本法人の代表取締役社長に菅原敏明 副社長が昇任し、Sun Microsystems社の副社長も兼務する。これまでの日本法人の社長はロバート・マクリッチであった。
Japan ERC (Education and Research Conference )’99は9月22日に新高輪プリンスホテルで開催された。
12) Microsoft社(独占禁止法訴訟)
1998年の記事に書いたように、同年5月、アメリカ司法省などは、Microsoft社を、独占的立場を悪用して消費者の利益を侵したと連邦地裁に提訴したが、1999年11月、連邦地裁のThomas Penfield Jackson判事は、同社がコンピュータOSにおいて独占的地位を有していると強く批判した。これは評決ではないが、反トラスト法の裁判において、司法省に有利な方向を示唆している(HPCwire 1999/11/12) 2000年には地裁において同社の敗訴の判決が出る。
13) Compaq社(社長交代)
収益不振のためCompaq Computer社は1999年4月18日、社長兼CEOのEckhard PfeifferとCFOのEarl Masonが辞任した。同社に吸収されたDECの運命が心配になった。後任の社長兼CEOには、1998年からCIOを務めていたMichael D. Capellasが指名された。CapellasはHewlett-Packard社との合併に尽力し、8か月の遅延ののち、2002年5月3日に合併する。CapellasはCarly Fiorina CEOの下で合併後のCorHP社の会長となる。
14) Compaq社(Alpha 21264A、Quadrics採用)
1999年6月、Alpha 21264の改良版であるAlpha 21264A(コード名EV67)を発表し、1999年後半に発売した。600, 667, 700, 733, 750, 833 MHzの6種類がある。製造はSamsung Electronicsで0.25μm CMOSプロセスである。
また同社は、32-bitのWindows 2000が稼働する新しいAlphaコンピュータの開発を進めて来たが、1999年8月27日、このプロジェクトを中止し、100人規模のリストラを行うと発表した。しかし、64-bit Windows NTのプラットフォームとしてのAlphaの開発は続ける (HPCwire 1999/8/27) 。また、Alphaチップそのものを放棄する計画はない、と発表した(HPCwire 1999/9/10)。
11月のPortlandでのSC99において、Compaq社はスーパーコンピュータ市場に進出すると力強く発表した。相互接続にはDigital Equipment社が1997年から提携しているQuadrics社の技術を用いる。(HPCwire 1999/11/17) 11月30日のMünchenでの記者会見において、同社はAlphaServer SCシリーズを発表した。これは、Alphaを搭載したSMPサーバを高速なQuadrics相互接続網で接続したテラフロップス級のクラスタである。2000年には、0.18μで800-1000 MHzのEV68が計画されていて、ピーク性能は1.6 Gfops~.2.0 GFlopsであろう。次のEV7では、L2キャッシュを統合し、4本の6.4 GB/sチャンネルで2次元のトーラスのSMP接続が可能になる。(HPCwire 1999/12/3)
1999年末、Compaqと韓国のSamsung電子は、Alphaマイクロプロセッサの開発のために$500Mを投資するというニュースが流れた(HPCwire 1999/12/17)。
15) SGI/Cray(SGI 320、リストラ、迷走)
1999年1月、SGI社は初めてIntel社のプロセッサを搭載し、Windows NTをOSに採用したグラフィック・ワークステーションを発表した。SGI 320は、2個までのPentium II 450 MHzと1 GBまでのECC SDRAMメモリを搭載する。SGI 540は4個までのPentium II Xeon 450 MHz(L2キャッシュは512 KBまたは1 MBまたは2 MB)と、2 GBまでのECC SERAMメモリを搭載する。
1999年4月、SGI社はなんと128プロセッサのLinuxクラスタをOhio Supercomputer Centerに納入した(HPCwire 1999/8/13)。
7月ごろ、SGI社は256プロセッサのOrigin2000を導入すると発表した。これまでは128プロセッサが最大であった。
また8月ごろ、Windows NTグラフィック・ワークステーション事業をパートナー企業に譲渡する計画であると発表した。SGIは何をメインビジネスにするつもりなのか、という疑問の声が出た。その舌の根も乾かないうちに、10月には、SGI社は譲渡先が見つからなかったので、従前どおり自分の屋根の下でこの事業を継続すると発表した(HPCwire 1999/11/25)。8月10日の発表で、MIPSからIA-64 (Itanium)に移行することを宣言し、MIPSプロセッサについては2002年までは開発を継続すると述べた。
16) SGI/Cray(Cray放出? Belluzzo辞職)
SGIの景気が悪く、8月10日、CEOのBelluzzoは事業計画に大ナタを振るうと発表した。1000人から1500人を解雇し、$320Mを節約する。さらにCray関連の事業を独立したユニットに移し、売却準備に入った。「Cray Divisionを放り出すと言ったって、誰が買うの?」というのが多くの人の反応であった。ただ、$700Mで買ったCray Divisionが今や1/10の値段で今や「お買い得」との観測であった。IBMぐらいしか考えられないが、Sequent社という高い買い物をしたばっかりだし、と。この時点でCray部門は従業員850人で、$300Mの売り上げがある。SV1の後継機SV2への期待は高く、9月頃、NSA (National Security Agency)や他の政府機関が開発の資金援助をするという話もあった(Techmonitor 1999/9/22)。
11月下旬にはCray Division をGores Technology Groupという、名の知られていないアメリカのM&A会社が買うというReuters等の報道があった(Wired 1999/11/22)。かつてTMCを買収した会社である。Gores社は最初Crayに$100Mという価格をつけたが、調査の結果値段を下げたということである。最終的に、Tera Computer社がCray社を名前ごと買収するのは、翌2000年3月2日である。
1998年1月にSGIのCEOをEd McCrackenから引き継いだばかりのRick Belluzzo(元Hewlett-Pakard重役)は1999年8月23日に辞職し、取締役会メンバであったWilliam Bishop(56歳)が後を継いだ。9月3日、BelluzzoはMicrosoft社のthe Consumer and Commerce Group担当副社長に着任することが発表された。これはe-commerce関連の責任者である。後のことになるが、2002年4月、Microsoftを離任する。
17) Hewlett-Packard 社(分社化、Fiorina登場)
HP社のコンピュータ分野以外のすべての業務(計測器、半導体、光ネットワーク、通信用の試験機など)は、1999年、スピンオフしてAgilent Technologies社となった。3万人の会社である。2000年6月に分社化が完了した。
1999年7月、Lucent Technologies社の部門長であったCarleton (Carly) FiorinaがCEOに就任した。彼女は2000年からは会長も兼務。極端な人員削減など辣腕を振るったのでやり手の女性CEO/Presidentとして注目を集めた。2002年にCompaq社の買収を主導するが成果を上げることができず、2005年2月にすべての役職を辞任する。その後政治活動に転じ、2016年米大統領選挙(トランプ登場)の初期の共和党候補の一人となる。
18) Red Hat Inc.(HP社との提携)
1999年1月27日、Hewlett-Packard社は、これまでWindows NTを搭載していた同社NetServerラインの新モデルにLinux搭載モデルを追加し、そのためRed Hat Software社とサポート契約を結んだと発表した。Compaq Computer社も、Alpha ServerのDS20にLinuxを搭載し、Intelチップ搭載のシステムにもLinuxを搭載する予定である。IBM社もRed Had社と交渉を続けている。Dell Computer社も近々Linuxをサポートする製品を発表すると期待されている。Linuxに対する顧客の要求は1998年6月から急速に増加している。(CNET Japan 1999年1月27日、HPCwire 1999/1/29)アメリカだけでなく、秋葉原でもソフトウェア販売店のLinux関連商品の床面積が倍増したとのことである。ジャストシステム社は、日本語ワープロソフトウェアの首位はMicrosoft社に譲ったものの、一太郎のLinux版を出すと報じられている(HPCwire 1999/2/26)。このような動向に対し、Linux OSの自由な開発精神が、商業化によって汚染されるのではと危惧する意見もあった。
3月、Linuxの最大手ソフトウェア会社であるRed Hat社に、コンピュータ業界の大手4社、IBM社、Compaq Computer社、Oracle社、Nobel社が資本参加することが発表された。Red Hat社は、1999年8月11日に株式公開し、Wall Street史上8番目の初日利益と報じられた。
19) WMware社
前年創立されたVWware社は1999年最初の製品であるVMware Workstationを発売した。VM (Virtual machine)はメインフレームの時代から研究されて来た。プログラムの仮想アドレスはゲストOSの物理アドレスに変換されるが、VMではそれをさらにホストマシンの(物理)アドレスに変換する必要があり、2重の変換となってオーバーヘッドが掛かる。またゲストOSの特権命令は直接割り込むのではなくホストOSの特権命令に変換する必要がある。これらのオーバーヘッドを削減して高速化する技術が研究されてきた。VMwareでは、ユーザモード命令はそのままプロセッサで実行させ、特権命令のみをエミュレートする。
20) Dow-Jones工業株平均
Dow Jones社は、世界的にみても最も歴史のある株価指標のひとつであるDow-Jones工業株平均(DJIA)の構成銘柄を1999年11月1日から入れ替えると発表した。小売のSears Roebuck社、石油のChevron社、タイヤのGoodyear Tire & Rubber社、化学のUnion Carbide社の歴史ある4社が除外され、ソフト大手Microsof社、半導体のIntel社、地域通信のSBC Communications社、小売のHome Depot社が新規採用された。とくに、Microsoft社とIntel社はNASDAQ取引銘柄で、NY証券取引所以外の銘柄がDJIAに採用されるのは初めてのことであった。(Internet Watrch 1999/10/27)
日米以外の企業
1) Siemens(hpcLine)
ドイツのバイエルン州Münchenに本社を置く多国籍企業Siemens AG(多分その子会社)は3月頃hpcLineという新しい並列コンピュータのコンセプトを打ち出した。詳細は不明であるが、Top500にはUniversität Paderborn – PC2にhpcLine clusterが登場し、192コアの450 MHz Pentium IIIをFast Ethernetで結合したクラスタである。1999年6月にはRmax=30.40 GFlopsで355位、1999年11月にはRmax=41.45 GFlopsで351位にある。この年、Siemens Nixdorf Informationssysteme AGは、Fujitsu Siemens Cmputers AGの一部となる。2005年には3.2 GHzのXeon EM64Tの400コアをInfiniBandで結合したシステムに更新しRmax=2.0 TFlopsを記録している。6月には213位、11月には372位となる。
2) Quadrics社
1996年、Alenia Spazi社とMeiko Scientific社との合弁会社としてブリストルとローマで設立したQuadrics Supercomputer World社は、QsNetによりhigh-endなHPCで活躍している。QsNetはglobal address modelをサポートし、ノードとしては4 CPU以内のSIMDをサポートする。QsNetはElanというNetwork Communications Processorと、Eliteと呼ばれるネットワークスイッチからなる。これに加えてランタイムの環境も提供している。(HPCwire 1999/11/5)
企業の創業
1) Mellanox Technologies社
Galileo Technology社の重役であったEyal WaldmanとRoni Ashuriにより、1999年集積回路製造会社として、イスラエルのYokne’am(ヨクネアム)で創立された。ヨクネアムは、北イスラエルのカルメル山のふもとでメギドの近くにあり、ハイテクベンチャー企業の創業地として有名である。現在本社はカリフォルニア州Sunnyvaleにも置かれている。2007年NASDAQに上場し$102Mの資金を集める。2009年頃までにInfiniBandやEthernetの完全なend-to-endシステム(アダプタ、スイッチ、ソフトウェア、チップなど)の会社に発展する。InfiniBandプロトコルを処理する集積回路はTSMCで製造している。2019年3月11日、NVIDIAが$6.9Bで買収すると発表される。
2) Parabon Computation社
1999年に創業され、COTS (Commercial off-the-Shelf)によるGrid solutionを提供する”Frontier Enterprise Computiong Platform”を翌年発足させた。これは企業内の既存のIT資源を集約して安全で高性能の仮想計算環境を提供するソフトウェアである。現在もバージニア州Restonに存在し、HPC、ナノテク、バイオインフォマティックス、データマイニングなどの事業を行っている。
3) United Devices社
1999年、分散コンピューティングのためにテキサス州Austinにおいて創立された。2007年9月17日、Univa社に併合される。
4) Rackable Systems社
1999年、HPCシステム、データセンターのためのx86システムや可視化システムを製造するためにSan Joseにおいて設立された。2009年4月1日、同社はSilicon Graphics社を買収し、Silicon Graphic International社に社名変更した。旧Silicon Graphics社のロゴを継承。
5) D-Wave Systems社
1999年、Haig Farrisらにより、カナダのブリティッシュコロンビア州Burnabyで量子アニーリングに基づく量子コンピュータを開発するために創業された。FarrisはUBC (British Columbia大学)のビジネスコースの教授であった。名前の由来は、d-wave超伝導体を用いるからである。2011年5月11日、D-Wave Oneを発表する。
6) Massively Parallel Technologies社
Kevin Howard, Scott Smith, Gerard Verbeckによりアリゾナ州Scottsdaleで創立された。Blue Cheetahという並列化環境を提供する。John Gustafsonは、2008年5月、Scott Smithを継いでCEOとなった。かれはその後IntelやAMDで働いている。
7) Terra Soft Solutions社(Yellow Dog Linux)
Power系アーキテクチャ向けLinux OSのdistribution vendorとして、1999年に創業した。AppleのVARやCell/B.E.対応のLinuxを発売している。1999年にYellow Dog Linuxの最初の版をリリースした。Linux製品としては、フリー版のYellow Dog Linuxと、企業向けサポートを含むYellow Dog Enterprise Linuxとがある。2008年10月31日、日本のフィックスターズ社が全事業を買収する。
8) Napster社
1999年5月、ファイル共有サービスを提供するNapster社が、開発者であるShawn Fanningらによってカリフォルニア州Redwoodに設立された。一時アメリカで大流行するが、2003年6月、連邦破産法第7章(清算型破産)による破産手続きが決定する。
9) Gridware社
PortlandにおけるSC99を機に、ヨーロッパのGenias Software GmbHと、アメリカのChord Systems, Incが合併してGridware Inc.をなった。Genias Software社は、計算資源管理ソフトウェアを販売し、Chord Systems社は計算資源管理ソフトの付加価値販売業者である。新会社の本社はカリフォルニア州San Joseに置く。(HPCwire 1999/11/12)
企業の終焉
1) Sequent Computer Systems社
1999年7月12日、IBM社とSequent Computer Systems社は合併の合意に達したと発表した。IBMはSequent社の1株当たり$18.00を現金で支払う。買収金額は$810M(約1000億円)に及ぶと推定された。IBMは合併が完了し次第、SequentのNUMA (Non-Uniform Memory Access)技術をIBMの製品に統合する予定である。IBMはSMPの技術は持っていたが、NUMA技術に関しては遅れを取っていた。(HPCwire 1999/7/2)このためProject Montereyを活用し、IA-32/64およびPowerPCで動作するUnix製品を開発すると発表された。実際には2001年にProject Montereyは失敗だったと発表される。
Steve Chenは、2011年6月にInformation SuperGrid Technology社を創立し、CEO and Chief Architectを務めている。同社は、北京と米国San Joseに営業所を持つ。
2) Data General社
Data General社(1968年創立)のData General社は、1999年8月9日、大型ディスクアレイ装置の最大手のEMC Corporation(1979年創業)に買収され、CLARiiON以外の製品系列は破棄された。
3) Netscape Communications社
1994年に設立された同社は、1999年11月24日、AOLによって$4.21Bで買収された。
次はついに2000年。LLNLではASCI Whiteが動き、SGIはOrigin 3000を発表する。Intel社はPentium 4を発表。Tera Computer社は、SGIからCray Divisionを名前ごと買い取り、Cray社と改名する。
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