世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


9月 16, 2014

HPCの歩み50年(第9回)-1974年-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

小柳 義夫(神戸大学特命教授)

アメリカではベクトルコンピュータSTAR-100がLLNLに納入されたが、思ったほど性能は出なかった。Motorola社は8ビットマイクロプロセッサMC6800を開発した。Dongarraらは線形計算ライブラリLINPACKをこのころ公開した。次数100の連立一次方程式の求解時間で測定した性能が表となるのは1977年である。他方、日本ではSystem/370対抗の通産省の補助金の成果が出つつあった。

この年も社会ではいろんなことがあった。3/19元日本兵の小野田寛郎をルパング島から30年ぶりに救出、5/4堀江謙一、単身無寄港世界一周、8/30三菱重工ビル爆破事件、9/1原子力船「むつ」放射能漏れ事故、10/14長嶋引退「わが巨人軍は永久に不滅です」、10/22『田中角栄研究』立花隆、11/8フォード米大統領訪日、11/26田中角栄首相辞任、12/9三木内閣発足。この年、佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した。世界では3/3パリでトルコ航空機墜落、4/22パンアメリカン機がバリ島で墜落、8/8ニクソン大統領、ウォーターゲート事件の責任を追及され、辞任表明し、翌日フォードが米大統領に、9/11イースタン航空機シャーロット(アメリカ)に墜落、9/13日本赤軍、ハーグ事件、10/6ラロック証言「米艦船は核兵器を搭載して日本に寄港」、11/20ルフトハンザ機、ヨハネスブルグ空港で墜落、など。

筆者は生まれて初めての海外旅行で、6月28日から8月17日までヨーロッパを漫遊した。主たる目的はロンドン大学で開かれるICHEP (International Conference on High Energy Physics)に出席することであった。これは2年に1回偶数年に開かれる高エネルギー物理学の主要な国際会議で、アメリカ、ヨーロッパ、ソ連圏を順番に会場としていた。筆者もその後何回か出席している。湯川財団から17万円援助を戴いたが往復の飛行機代に消えてしまった。会議後、イタリア・トリエステのICTP研究所、マックスプランク研究所(ミュンヘン)、サクレー研究所(パリ郊外)、ラザフォード研究所(イギリス)などで講演して謝礼や滞在費をもらう旅芸人であった。パリの町中を皆で歩いていた時、仲間の若手のフランス人物理研究者が、ニクソン弾劾の新聞記事が張り出されているのを見て、「なんでアメリカ人は大統領に完璧を求めるのだろう。政治家なんて汚いに決まっているのに。」とつぶやいた。さすがフランス人、と感心したのを覚えている。

当時イタリアは国家経済が破綻に瀕し、リラが暴落していたが、トリエステの人々はゆったりと生活していた。夕方、海に面した公園で、人々がアドリア海に落ちる夕日を背に、コーヒーやビールをゆったりと飲んでいる様子を見て、これぞイタリアと感激した。国家(イタリア)なんてわずか100年の歴史しかないが、都市や、教会や、大学などは千年もの歴史を持っている。国なんてその程度のものという認識であろう。ICTP研究所からの滞在費が出たのはだいぶあとで、前半1週間は持っていったドルで生活していた。そこで余ったリラを、上限を越えてこっそり持ち出したが、国外では二束三文であった。

余談に類するが、最後ヒースロー空港で日本行きの飛行機にチェックインしようとした時、前に日本人の団体がいて手間取っていた。係員と話が通じていないようなので、頭に来て通訳を買って出ると、「この荷物は機内持ち込みか預けるのか?」というだけのことであった。「何の団体ですか」と聞くと、「中高の“英語”の先生の団体です。」と。

ロンドンでのICEHPでは公表されなかったが、実は、大発見が進行していた。1974年11月に、 SLACのB. Richterと、BNLのS. Ting(丁肇中)が独立に新粒子J/ψを発見したことが報告され、高エネルギー物理学は急に賑やかになった。その後の新粒子ブームの幕開けであった。この2人は1976年にノーベル賞を受賞した。筆者らも新粒子関連ではいろんな論文を書いた。ただ、高エネルギー研の加速器はこのエネルギー領域には届かず、日本の実験屋は指をくわえて見ているよりしょうがなかった。

日本の動き

1) 数値解析研究会
自主的に企画している数値解析研究会(後の数値解析シンポジウム)の第4回は、1974年5月14日(火)~16日(木)に、赤城レーク・ハウスで開催された。参加者は25名。

2) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1974年10月31日~11月2日、高橋秀俊(東京大学)を代表者として、「数値解析とコンピュータ-」という研究集会を開催した。第6回目である。報告は講究録No.253にある。「複素関数論と数値解析」(高橋秀俊)と並んで「最近の大型計算機の進歩とベンチマーク問題」(村田健郎)などという講演もある。

ACOS77-400
ACOSシリーズ77システム400
COMOS700
COSMOシリーズ モデル700
FACOM-M190
FACOM M-190
HITAC-M180
HITAC M-180
上記画像出典:一般社団法人 情報処理学会 Web サイト「コンピュータ博物館」

日本の企業の動き

System/370対抗の通産省の補助金の成果が出つつあった。

1) 日本電気・東芝
5月には、日本電気・東芝はACOSシリーズ77システム200, 300, 400, 500を発表した。LSIやMSIを採用したものである。
11月に、日本電気・東芝はさらに、ACOSシリーズ77システム600, 700を発表した。MSI、キャッシュメモリ、仮想記憶を採用している。

2) 三菱電機・沖電気
同じ5月、三菱電機・沖電気は、大型コンピュータCOSMOシリーズmodel 700を発表した。これは、LSIを採用し、多重仮想記憶方式で、256語のTLB (Translation Lookaside Buffer) によりアドレス変換の高速化を図っている。

3) 富士通・日立
1974年3月、富士通と日立は、販売会社「ファコム・ハイタック」を設立し、教育機関への販売を担当した。1993年まで存続した。
富士通・日立は11月、汎用機Mシリーズを発表した。両社ともSystem/370を基本アーキテクチャとして採用した。富士通は11月FACOM M-190を、翌年5月にFACOM M-160を、翌年9月にFACOM M-180IIを発表した。日立は11月にHITAC M-180を、翌年5月にHITAC M-170を、1977年2月にM-150を発表した。

アメリカの動き

1) CTRCC(後のNERSC)の設置
1974年、DOE (Department of Energy) は、LLNLにCTRCC(Controlled Thermonuclear Research Computer Center, 制御核融合研究センター)を設置した。その後、NMFECC(the National Magnetic Fusion Energy Computer Center)と改名し、さらに1990年代初頭にNERSCと改名しその後Berkeleyに移った。当初CDC 6600を持っており、1975年10月にはCDC 7600を導入した。私が1986年7月25日に訪問した時には、Cray-1, Cray X-MP, Cray-2などが動いていた。ちょうど7600の撤去の最中で、ボードなどを持っていってもよいということで皆群がっていた。「ヨシオも持っていかないのか」と聞かれたが、あの警備厳重なLLNLからどうやって持ち出せたであろうか。

2) LINPACK
このころLINPACKの開発が始まり、FORTRAN 66で書かれた線形方程式の求解ソフトウェアが1974年に公開された。もちろんベンチマークではなく線形計算ライブラリとしてである。1977年には次数100の方程式を用いてコンピュータの性能をMFLopsで評価したリストが公開された。たしか次数100ではコードの変更が許されず、as isでの測定が要求されたと思う。ソフトウェアパッケージが完成したのは1979年であるが、当時のUsers’ Guideには、すでに17種のマシン上での性能値が示されている。
1986年には次数1000の方程式による性能評価が提案され、言語の制約がなくなり、チューニングが許された。
1991年にはLINPACK Table 3として、HPC (Highly Parallel Computing)が導入され、サイズも任意、アルゴリズムも任意(Gauss消去法の範囲で)となった。現在Top500で用いられているRmaxはこれである。

アメリカでの企業の動き

1) Motorola社のMC6800
1974年、Motorola社(1928年創業)は、8ビットマイクロプロセッサMC6800を開発した。洗練されたアーキテクチャが魅力であった。16ビットのMC68000は1980年に出荷されることになる。

2) STAR-100
CDC社は、ベクトルコンピュータSTAR-100をLLNL (Lawrence Livermore National Laboratory)とNASAのLangley研究所に納入した。実効性能が上がらず、後のCray-1に負けてしまった。納入先のLLNL部門は上に述べたCTRCCではないようである。

ベンチャー企業の創業

1) Zilog社
Intel社を退社したFederico Fagginによってカリフォルニア州でZilog Inc.が設立された。1980年に一時 Exxon社の子会社となったが、1989年に再独立。1998年にTexas Pacific Groupによって買収された。1976年、Intel 8080の上位互換の8ビットプロセッサZ80を発売。

ネットワークの発展

このころネットワーク・プロトコルの開発が進んでいる。

1) TCP/IP
ARPANET関係では、1974年12月Vint CerfらによりTCP/IPの原型とも言うべきRFC 675が発表された。1975年には、Stanford大学とイギリスのUniversity College Londonの間で通信実験が行われた。1983年ARPANETは完全にTCP/IPに切り替えられた。

2) SNA
IBM社は、1974年9月にSNA (Systems Network Architecture)というプロトコルの体系とこれを実現するVTAM(Virtual Telecommunications Access Method) を開発した。これは、政府機関、銀行などのネットワークに広く使われた。

次回は1975年、Cray Research社はCray-1を発表する。同じ年、Microsoft社が設立される。

(タイトル画像 Motorola社MC6800 出典:Wikipedia)

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