世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 1, 2014

HPCの歩み50年(第19回)-1983年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

小柳義夫(神戸大学特命教授)

日本でも本格的なベクトルコンピュータの時代が始まった。日立は S-810/20を10月に東大大型計算機センターに納入し、富士通は年末にVP-100を名古屋大学プラズマ研究所に出荷した。少し遅れたが、日本電気は4月にSX-1/SX-2を発表した(出荷は1985)。このころ、中国人民解放軍国防科技大学はスーパーコンピュータ「銀河1号」を開発した。「天河1号、2号」の遠い祖先に当たる。他方、星野力(筑波大)等はPAX-128を製作した。この年もアメリカなどではいくつかのベンチャー会社が設立された。

さてこの年の社会の出来事は、1/9中川一郎代議士自殺、1/31松山事件再審決定、2/11ドラマ『金曜日の妻たちへ』開始、3/23レーガン大統領がSDI(戦略防衛構想)を提唱、4/4 NHK『おしん』放送開始、4/25東京ディズニーランド開園、5/26日本海中部地震、6/13戸塚ヨットスクール校長逮捕、7月カミオカンデ実験開始、7/15免田事件無罪判決、9/1大韓航空機サハリン沖撃墜事件、10/3三宅島噴火、10/9ラングーン事件、10/12田中元首相実刑判決、10/25米軍グレナダ侵攻、11/20米国”The Day After”放映など。

筆者はスピン系に続いて1982年頃から格子ゲージ系に取り組み始めた。最初はゲージ系のモンテカルロ・シミュレーションのベクトル化、並列化を研究していたが、クォークを扱うには格子上のDirac方程式ともいうべき大規模な連立1次方程式を解かなくてはならない。係数は規則的疎行列であるが、サイズが大きい。アメリカの論文ではSORなどを使っているようであった。数値解析の研究会で、村田健郎先生(図書館情報大、故人)から、基板の冷却設計などに使う移流拡散方程式のためにILUCR法(不完全LU分解前処理共役残差法)が有効であるという話を聞いた。ちょっとひらめいたので、格子ゲージのWilson fermionの係数行列にILU前処理を適用してみたら、Dirac行列の性質により非常に簡単にILU分解でき、しかもCR法との相性もよいことを見出した。記録によると、1983年の4月1日の研究室のセミナーで発表している。早速この方法を共同研究していた岩崎洋一氏のグループと宇川彰氏のグループに提供した。10月には東大センターにHITAC S810/20 (64MB)が設置され、11月から一般利用が始まったので早速出かけ、さまざまな苦労の末にベクトル化に成功した。

どんな苦労があったかというと、当時はコンパイラがまだ未成熟であった。高速化するためにunrolling(DOループの一部を手で展開)すると、1, 2, 3(カラーのインデックス)がたくさん現れ、「定数レジスタが足りない」と怒られる。それならというので、I1=1; I2=2; I3=3;として変数に置き換えると、今度は「インデックスレジスタが足りない」とまたベクトル化してくれない。そこでI3だけを定数の3に戻すと、なんとベクトル化が行われ、20倍ほど高速になった。1984年5月7日に岩崎、吉江、伊藤(智)と東大のS810に行き、これを見せた。皆、たちまちベクトルの虜になった。メインフレームで500時間の計算は、いくら環境のよい高エネルギー研でも2~3ヶ月は掛かる。これが25時間になれば、当時東大のS810 がまだ比較的空いていたこともあって1~2週間で計算できた。

岩崎グループでは、1984年に83×16格子、1986年には123×24格子(クエンチ近似)を解くことができた。ちなみに未知数(複素数)の数は後者では50万近い。宇川グループとはfull QCDの初期の試みを行った。ILUCR法のアルゴリズムそのものは1986年まで英語の論文を書かなかったので、なんで日本ではこんな方程式が解けるのかと、外国からは不思議がられた。

なお東大のS810/20は、1984年に拡張記憶256MBが設置された。その後(おそらく1985年)に、主記憶256MB、拡張記憶512MBに増強された(この件については、河辺峻氏(明星大学)、中川八穂子氏(日立)、金田康正氏(東大)から貴重な情報をいただいた)。

高エネルギー研にもS810を入れたかったが、予算の制限のため、東大と同じmodel 20とし主記憶64 MBで我慢するか、ピーク速度半分のmodel 10で主記憶128 MBとするか、選択を迫られていた。GBでないことに注意。10月27日に東大センターでスーパーコンピュータ研究会があり、「格子ゲージ理論」という講演を行ったが、その後、当時日立におられたU氏と根津の小料理屋で飲んだ。氏の助言により、ピーク速度より主記憶の方を重視することにし、関係者に提案した。この判断は正しかったと思う。実際に入ったのは1985年6月である。

7月末から久しぶりにアメリカに出かけ、1月弱ほど各所を廻った。Wisconsin大学(Madison校)では統計学科に1週間ほど滞在しSALSの宣伝をするとともに、物理学科で専用並列計算機によるスピン系のシミュレーションについて講演した。次にはCornell大学で高エネルギー物理の”Lepton Photon Conference”(2年に1回、奇数年)があった。この会議で1982年ノーベル物理学賞を受賞したKenneth G. Wilson教授が招待講演を行った。その中で、「日本もスーパーコンピュータでいろいろがんばっているようだが、これはリトル・リーグに過ぎない。アメリカのコンピュータはメジャー・リーグだ。本気でやれば一ひねりだ。」とかいうような問題発言を行った(残念ながら筆者の英語力では聞き取れなかった)ので、日本人の参加者が質問でかみついた。座長は「講演者は何をしゃべってもいいが、質問は物理に限るように」とか制止していた。筆者はWilson教授と講演後に会い、「私たちは日本で格子ゲージのために専用並列計算機を計画しているが、その予算獲得に苦慮している」と言ったら、「オレが何をやっているか知っているか。日本に負けるぞと煽って、政府から予算を引き出そうとしている。君たちも同じことをすればよい。」というご託宣であった。

わたくし事ではあるが、アメリカから帰った翌日から、編集委員十数人と日光グランドホテルに数日缶詰めになり、最終段階に入った培風館「物理学辞典」のゲラ読み合わせの合宿に加わった。この辞典は翌年9月に発行された。

日本の学界の動き

QA-2
京都大学 QA-2
SX-2
NEC SX-2
上記2画像出典情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」

1) 情報処理学会「数値解析研究会」
前年に発足したこの研究会は活発に活動を続けていた。先駆的なものでは、「数値シミュレーション用プログラム言語DEQSOL(偏微分方程式専用言語)」(梅谷征雄、日立中研)、「ICCG/MICCG法の多段メッシュによる加速について(マルチグリッドによる前処理)」(村田健郎、図書館情報大)、「多変数関数の勾配の計算方法(高速自動微分)」(岩田憲和、伊理正夫、東大工)があり、数式・数値混合処理の発表が3件あった。また、スーパーコンピュータについては、「スーパーコンピュータS-810東大システムにおける数学ライブラリの性能」(唐木幸比古、東大大型センター)の発表があった。応用分野では、「最近の数値予報の進歩について」(住明正、気象庁)や「非線型モデルにおける異常振動の例」(熊野長次郎、三菱総研)などの発表があった。

2) 数値解析研究会
自主的に開催している、第12回数値解析研究会(後の数値解析シンポジウム)は、名古屋大学二宮研究室の担当で、1983年5月26日(木)~28日(土)に、名古屋市民休暇村(おんたけ)で開催された。参加者111名。1979年の御嶽山の初噴火から4年後であった。

3) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1983年11月24~26日、森正武(筑波大)を代表として、「並列数値計算アルゴリズムとその周辺」という研究集会を開催した。第15回目であるが、タイトルに「並列」が付いたのは初めてであった。報告は講究録No. 514に収録されている。12件の発表の内半数が並列またはベクトルのアルゴリズムであった。筆者も、「格子ゲージ理論に現れる大規模連立一次方程式の不完全LU分解CR法とその並列化」という発表を行った。

また、独立の研究集会として「乱数プログラム・パッケージ」(代表、渋谷政昭)が6月9日~11日に開催された。報告は講究録No. 498に収録されている。筆者は「場の理論モンテカルロ計算における乱数」という発表を行った。

4) 筑波大学
実験的並列コンピュータとしては、星野力(筑波大)等はPAX-128を製作した。ポアッソン方程式など並列に適した問題では、PAX-128は筑波大学学術情報センターのメインフレームM190と互角の性能(約半分)を発揮した。PAX-128は週刊誌にも取り上げられた。「週刊サンケイ」1984年11月22日号のトップのカラーグラビアに4ページにわたって「安くて、速くて、扱いやすい 筑波大の高並列コンピューター(ママ)」が特集されている。コンピュータの写真だけではなく、研究室風景、研究室の集合写真、ポアッソン方程式の解を図示したものなどいろいろ掲載されている。

5) 京都大学
野木達夫(京大)らがADENA(16プロセッサ)を製作、萩原宏(京大)らはQA-1 (1977)に続きQA-2を製作した。PAXを含め3件とも京都大学関係者であることが注目される。

日本政府の動き

1) スーパーコン大プロ
1981年に始まった通産省の「スーパーコン大プロ」は2月23~24日、電総研においてワークショップを開催し、筆者も出席した。何が話されたかはよく覚えていない。

日本の企業の動き

1) 日立・富士通
日立が10月にS-810/20を東大大型計算機センターに納入したことは前に述べた。正式稼動は1984年1月から。富士通のVP-100の1号機は1983年末に出荷され、翌年1月から名古屋大学プラズマ研究所で稼動した。

2) 日本電気
日本電気は4月、スーパーコンピュータSX-1, SX-2を発表した。初出荷は1985年である。

3) DEQSOL
数値解析研究会の項でも触れたが、このころ日立中央研究所の梅谷征雄らは、数値シミュレーション用プログラミング言語DEQSOLを開発していた。これは偏微分方程式の解法を数値アルゴリズムのレベルで記述し、これをベクトル計算機向きの FORTRANプログラムに変換するものである。情報処理学会論文誌の1985年1月号に論文があるが、最初の投稿は1983年11月であった。

4) ファミコン
HPCとはあまり関係ないが、7月には任天堂がファミリーコンピュータを発売している。

5) 「松」
管理工学研究所(1967年創業)は、PC9801用のワードプロセッサソフト「日本語ワードプロセッサ」を発売した。1983年末、これをバージョンアップして「松」として発売。初代PC9801の128 KBしかないメインメモリで動いたことは驚異的である。1985年発売の「一太郎」と一時人気を二分した。

イジング専用機

筑波大でPAX-128を開発していた頃、Ising模型シミュレーションのための専用機の開発が行われていた。Ising模型は統計物理モデルとして単純であり、汎用コンピュータがあまり得意でないビット演算が頻出するので専用ハードウェアを作るには適している。Journal of Computational Physics 51巻2号(1983年8月)には、UCSBのPearson等の論文と、Delft大学のHoogland 等の論文が並んで掲載されている。その後、1985年にはOgielski等がBell研究所において、1988年には泰地真弘人等が東大において、特徴のあるIsing専用機を開発し、研究に用いている。

私の思い出が長くなってしまったので、外国の動きは次回に回す。中国では「銀河1号」が製作されるとともに、浪潮(Inspur)社はマイクロコンピュータを発売する。後に「天河1号」「天河2号」などを製作した会社である。

(タイトル画像 PAX-128  画像提供: 筑波大学計算科学研究センター)

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