世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

3月 9, 2015

HPCの歩み50年(第30回)-1989(a)年-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

日立、富士通に続いて、日本電気も第2世代ベクトルスーパーコンピュータSX-3を発表した。Seymour CrayはCray Computer社を設立。Cray-3の開発に取り組みはじめた。超並列コンピュータとしてはnCUBE 2が発表された。日本ではいくつかの実験的並列コンピュータが登場している、筑波大学のQCDPAX、東大のGRAPE-1、京都大学のADENA IIである。PVM v.1がこのころORNLで開発された。日米構造協議が始まり、これに基づいて翌年「スーパーコンピュータ導入手続き」が改正された。

SX-3

昭和天皇が1/7に逝去され、昭和から平成に移行した。バブルは崩壊寸前だったがそれに気づいていた人は少ない。そして、鉄のカーテンも一路崩壊へ。日米貿易摩擦も再び燃え上がる。1/20ブッシュ(父)が米大統領就任、2/4ホメイニ、ラシディに死刑宣告、4/1日本で消費税3%スタート、4/11川崎市の竹藪で1億円発見、4/25竹下首相退陣表明、5/29東京地検特捜部、リクルート事件捜査終結宣言、6/3竹下内閣総辞職、宇野宗佑、首相に、6/4天安門事件、6/4ポーランド上下院で「連帯」圧勝、6/26美空ひばり死去、7/17サンフランシスコ大地震(17:04 PST)、8/10海部俊樹、首相に、11/4坂本弁護士一家殺害、11/9ベルリンの壁崩壊、東西交通自由化、11/15坂本弁護士一家、所在不明に、12/24アメリカ、パナマ侵攻。この年、三菱地所はニューヨークのロックフェラーセンターを買収し話題となった。バブルの最後の花であった。

欧州物理学会主催のConference on International Research Facilitiesの第4回目がユーゴスラビア(当時)のザグレブで3/17-19に開かれ、日本物理学会からの4人の代表の一人として参加した。筆者は ”Supercomputing in Physics”という講演を行った。格子ゲージ計算のための専用並列計算機の世界的状況について紹介したが、汎用ベクトル計算機と専用並列計算機とどちらが有利かなどの議論があった。しかしスーパーコンピュータは、加速器や望遠鏡やプラズマ実験装置などと比べて規模が一回り小さく、国際協力の議論は盛り上がらなかった。

帰りに、昨年「来ないか」と言われていたローマ大学を訪問し、QCDPAXについて講演した。アンリツが設計した、6個の筐体を6角形に並べた美しい写真(26回の記事参照)を見せたら、「プロだなあ」と慨嘆していた。QCDPAXは、全体でDRAMを2 GB、高速のSRAM を1 GB装備したが、「半導体王国の日本ならではの贅沢だ」といわれた。ローマ大学で製作したAPEを見せてもらった。筆者にとってイタリアは3回目だがローマは初めてで、復活祭直前のバチカンに詣でたりしてお上りさんを楽しみました。

日本の学界の動き

1) JSPP’89
第1回JSPP(並列処理シンポジウム)が1989年2月2日~4日に熱海ビレッジで開催された。筆者も参加した。主催は、情報処理学会アルゴリズム研究会、オペレーティング・システム研究会、数値解析研究会、プログラミング言語研究会、計算機アーキテクチャ研究会、電子情報通信学会コンピュータ・システム研究会の2学会6研究会であった。2月2日に行われたパネル討論会の記録が、bit誌21巻9号pp.36-43に掲載されている。

すでに述べたように、電子情報通信学会(1986年までは電子通信学会)のデータフロー・ワークショップが1986年5月(工業技術院筑波研究センター共用講堂)と1987年10月(神戸市立神戸セミナーハウス?)に開催されている。JSPPではデータ駆動に限らず、広く並列処理についての発表・討論が行われた。

2) SWoPP 89
第2回のSWoPPが、「1989年並列処理に関する『指宿』ミニシンポジウム」の名称で、1989 年8 月3 日(木)-5 日(土) に、グリーンピア指宿(鹿児島県)で開催された。発表件数44、参加者数140。このときも主催は、電子情報通信学会コンピュータシステム研究会だけであった。

3) 数値解析シンポジウム
第18回数値解析シンポジウムは、1989年6月9日(金)~11日(日)に、昨年に引き続き早稲田大学室谷研究室の担当で、軽井沢近くの早稲田大学追分セミナーハウスで開かれた。参加者105名。

4) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1989年11月29日~12月1日、名取亮(筑波大学)を代表者として、研究集会「数値解析と科学計算」を開催した。21回目である。報告は、講究録No. 717に収録されている。

grape1
GRAPE-1
画像提供:理化学研究所計算科学研究機構牧野淳一郎 様

5) GRAPE-1
東京大学の杉本らは、1989年9月重力多体問題用のGRAPE-1を完成した。精度は低いが高速に演算ができた。

6) QCDPAX
筑波大学の岩崎洋一、星野力らはQCDPAX開発の最終年度であった。半導体の値段が思ったほど下がらないので、予算が足りなくなり、数千万円の追加を申請してどうにか432ノードを用意した(当初の計画は480ノードだった)。1990年4月6日に完成記念記者会見および披露会を行った。有馬朗人氏や菅原寛孝氏も駆けつけてくださった。1990年3月には格子ゲージの計算を始めていたが、ハード・ソフトのバグ取りや調整のために本格利用までには、さらに約1年の歳月が必要であった。これには金谷と吉江が不眠不休で尽力した他、新たに日立から筑波大学教授に着任した中澤喜三郎教授の助言が非常に有効であった。「さすが、メーカでものづくりに命を掛けた人は違う」と感嘆した。ピーク速度は単精度で 13.75 GFlopsと称しているが、これを実現するのはベクトルの二乗和だけであった。

アーキテクチャ研究者に言わせると、「1秒動けば論文が書ける」そうだが、物理学など実用の計算機はそうはいかない。1日24時間、年365日動かないと仕事にならない。これは、手作りのコンピュータにとっては過酷な要求であった。しかし、QCDPAXは1999年3月まで約10年間稼働し続けた。

7) 京都大学
京都大学の野木達夫らは、1983年に開発したADENA 1 (16プロセッサ)に続いて、256プロセッサのADENA IIを製作した。独自開発のスーパースカラのマイクロプロセッサOHMEGAは80 MFlopsの性能で、256個で20 GFlopsのピーク性能を持つ。松下電器と1984年から開発していた。松下電器は1964年にコンピュータ事業から撤退したが、これによって再参入を果たすかと思われた。このマシンを最適利用するために、ADETRANというFORTRANライクな言語も開発した。後に、この言語をVPP500に実装することを試みている。

8) NTT
この頃、NTTのLSI研究所(厚木)の深沢等は、デバイスシミュレーションなどの科学技術計算を目的として、R256を開発した。CPUは自主開発で、IEEEの80ビット拡張浮動小数の演算を実装した。ネットワークは16×16の2次元クロスバである。

また同研究所は、このころ1 bitプロセッサの2次元アレイであるAAP-2を開発した。256×256で、ニューラルネットワークなどを目的としている。1986年ごろ開発したAAP-1の改良版である。

9) 円周率
1987年から1989年にかけて、金田康正(東大)と田村良明(緯度観測所)のグループと、Chudnovsky兄弟とで、円周率の桁数について抜きつ抜かれつの競争が続いていたが、1989年11月、金田・田村組はS-820/80を用いて10.7億桁を計算した。その後も円周率計算の競争が続いたが、2009年4月、高橋大介他がT2Kを用いて2.57兆桁まで計算した。円周率は、この頃まではスーパーコンピュータのある種のベンチマークの役割を果たしていたが、2009年以後は、マイクロプロセッサの高性能化とディスクの大容量化により、個人のPCクラスタで計算できるようになった。Wikipedia(英語版)によると、2013年12月に会社員近藤茂が12兆桁計算したのが最大である。

10) ISRワークショップ
8月にPDGの共同研究でLBLに行った帰りに、ハワイNorth Beachで開かれていた第3回ISRワークショップ(8月30日~9月1日)に出席し、”QCDPAX — A Parallel Vector Processor Array for Lattice QCD”と題してQCDPAXについて講演した。ついでに前の晩、ハワイ大学でもセミナー講演を行った。

11) TISN
昨年のところに書いたように、TISN (Todai International Science Network)は1989年8月9日にハワイ-東大間が接続され、ネットワークの運用を開始した(JPNICの小西和憲理事の記事によると1989年1月にはDECNETで接続したとのことである)。国内は、まず理化学研究所や高エネルギー物理学研究所がデジタル専用回線で接続され、1990年には種々の大学、共同利用研究所、各省の国立研究所が接続された。1992年8月現在、21の機関・組織が加入している。東大理学部のハブでは、WIDE, SINET, JAIN, HEPNET-Jなどのネットワークと接続し、またJUNETやBITNETとはメールやニュースの交換も行っていた。文部省関係はSINETが接続していたが、それ以外の省庁の組織をつないでいるところに特徴がある。TISNは後にIMNET(省際ネットワーク)に発展する。

日本政府の動き

1) スーパーコン大プロ終了
1981年度から始まった通商産業省が主導する大型工業技術院研究開発「科学技術用高速計算システムの研究開発」(通称「スーパーコン大プロ」)が1989年度で終了した。「科学技術用高速計算システム発表会」は、1990年6月25日、工業技術院共用講堂で開催された。成果の一つ、ピーク10 GFlopsのマルチベクトル型システムPHI (Parallel, Hierarchical and Intelligent)は、4台(4+2+2+2 GFlops)の市販プロセッサを結合したヘテロ並列ベクトルコンピュータであった。各種の分野のベンチマークプログラムを集めて性能評価を行った後、解体された。

科学技術用高速計算システム技術研究組合は自主研究として、田村浩一郎を主査として「評価尺度研究会」が1988年12月から1990年4月まで9回開催された。目的は、スーパーコンピュータの性能評価について、これまでLivermore kernelなど米国製のプログラムに頼ってきたが、要素技術が著しく進歩した現状から新しい評価尺度が必要とされるので、ユーザ、ベンダおよび研究者の間で共通の議論ができる環境を設定することであった。報告書には、数値計算、画像処理、図形表示処理について多数のカーネルが集められている。これらはPHIの評価には使われたが、その後の商用のシステムの評価にはほとんど影響を与えていないのは残念である。1990年の日本応用数理学会「高性能計算機評価技術」研究部会において重要な資料であった。

日本の企業の動き

1) 日本電気
日立、富士通に続いて、日本電気も4月10日、第2世代ベクトルスーパーコンピュータSX-3を発表した。最大4ノードのメモリ共有並列ベクトルで、最大ピーク性能は22 GFlopsであった。最初の出荷は1990年12月。

AP (Arithmetic Processor)はスカラ部とベクトル部から成り、スカラ部は64KBのキャッシュ、4 KBの命令バッファ(分岐予測を含む)、128個のスカラレジスタ、RISCのスカラパイプラインを持つ。ベクトル部は、最大4個のベクトルパイプライン集合から成り、各集合は、2個の加算・シフトパイプライン、2個の乗算・論理パイプラインを持ち、2.9 nsクロックで最大4個のパイプラインが同時に動作する。つまり、プロセッサ当たりクロック毎に乗算・加算が8個ずつ実行可能であり、ピーク5.5 GFlopsである。SX-3 Rは1992年1月に発表された改良型である。

OSはSX-1/2ではACOS-4ベースのSX-OSであったが、SX-3ではUnixベースのSUPER-UXに変えた。
1993年11月のTop500リストから、SX-3の設置状況を示す。組織名の訳は仮である。

設置組織 型番 Rmax 設置年 順位
NEC SX-3/44R 23.2 1990 6位
カナダ気象庁 SX-3/44 20 1991 7位
核融合科学研究所 SX-3/24R 11.6 1993 29位
NECスーパーコンピュータセンター SX-3/24 10 1991 30位
ドイツ航空宇宙研究所 SX-3/14R 5.8 1993 49位tie
日本原子力研究所 SX-3/41R 5.8 1992 49位tie
大阪大学 SX-3/14R 5.8 1993 49位tie
豊田中央研究所 SX-3/14R 5.8 1992 49位tie
日本IBM SX-3/14 5 1991 57位tie
NECシステム研究所(米国) SX-3/22 5 1991 57位tie
オランダ航空宇宙研究所 SX-3/22 5 1992 57位tie
国立環境研究所 SX-3/14 5 1992 57位tie
スイス科学計算センター(CSCS) SX-3/22 5 1991 57位tie

これ以下の性能のものは11件載っている。

日本電気の関本忠弘社長は、SX-3発表記者会見の席上で慎重にこう語った。「我々は決して米国とケンカをするつもりはない。技術の進歩を全人類共有の財産として役立ててもらいたい。もちろんココム(対共産圏輸出統制委員会)問題には気をつける。どうか米国の人たちにもご理解願いたい。」(日経産業新聞1988年4月11日号)

1989年10月ごろ、Honeywell社との合弁会社HNSX Supercomputers社(1986年10月設立)のHoneywellの持ち株をすべて買い取り、子会社化した。

HITAC-M880
HITAC M-880

出典: 一般社団法人情報処理学会

Web サイト「コンピュータ博物館」

2) 日立
日立は、汎用機HITAC M-880シリーズを発表した。

日米スパコン摩擦

1) 日米構造協議
1989年7月14日の日米首脳会談の席上、ブッシュ大統領が宇野宗佑総理大臣に「日米構造協議」を提案し、9月に日米構造協議が始まった。アメリカの対日赤字の原因を、日本の市場の閉鎖性にあるとして、経済構造の改革と市場の開放を迫った。翌年6月まで5回開催された。アメリカ側は、日本のスーパーコンピュータ・ベンダが大幅なダンピングを行っており、日本国内において国産スーパーコンピュータへの優遇策が取られ、アメリカ製が不当に排除されていると主張した。

2) ビジネスモデルの違い
日本のスーパーコンピュータ・ベンダがダンピングを行っていたかは当事者でないので判断は出来ないが、両国のビジネスモデルは大きく異なっていた。Cray Research社は、1970年代にベンチャーとして立ち上がった企業であり、スーパーコンピュータシステムのみを販売していた。これに対し、日本の3社は、巨大な電機・通信機メーカ、大半導体メーカ、メインフレーム・メーカであった。アメリカ側は、メインフレームの利潤をスーパーコンピュータにつぎ込んでダンピングしていると主張した。しかし、半導体技術は共通のものであり、大量生産すれば開発コストは分散できる。コンピュータの半導体開発を全部スーパーコンピュータの価格に転嫁すべきとは言えない。また、制御系はメインフレームのプロセッサやサーバを使うことにより開発費を節約することができた。富士通の山本卓真社長はこう語っている。「クレイやCDCはスーパーコン専門メーカなので、膨大な開発投資を続けるのはかなり苦しいことだと思う。国産勢は体力がある。」(日経産業新聞1989年4月11日号)

日本の大学・研究所などの公的セクターのスーパーコンピュータ導入に、国産優遇策が取られていたかはかなり微妙である。東大大型計算機センターの初代のコンピュータにCDC6600を導入しようという強い動きもあったと言われている。堺屋太一によれば、1960年代の通産省主流は垂直分業論であり、日本は欧米先進国からの工業製品の輸入を厳しく制限すべきという方針であったそうである。従って、初期には国産優遇という意向がなかったとは言えない。結果的にある時まで国産のスーパーコンピュータしか導入されていなかった。

私見であるが、その要因の一つに米社の営業の努力不足もあったのではないか。どことは言わないがアメリカの会社(複数)に、自分たちは世界一のコンピュータ・メーカだから、顧客は文句を言わずに買うべきである、というような本心を垣間見た経験もある。他方、日本は三社の熾烈な競争であった。1988年の東工大のETA10や電総研のCrayの導入はかなり政治的であったが、その後、日本の市場はかなりオープンになったと思われる。

3) スーパー301条
他方、アメリカの公的セクターは、現在に至るまで、ほとんど日本製のスーパーコンピュータを購入していない。ましてや、入札をしてもそれが政治的にひっくり返るのなら、何をか言わんやである。この方が問題である。例外的に、テキサス州の4大学からなるコンソーシアムであるthe Houston Area Research Center (HARC)が1986年にSX-2を設置したことはあるが、このとき米国のスーパーコンピュータメーカ各社による抗議の嵐を引き起こしたそうである(日経コンピュータ1988年2月29日号)。

アメリカは、1988年に「包括通商・競争力強化法」の対外制裁としてスーパー301条を定め、不公正な貿易慣行や輸入障壁があると疑われる国を特定して、改善を要求し、3年以内に改善されない場合、報復として関税引き上げを行うことを定めた。日本のスーパーコンピュータ政府調達に関して、アメリカはスーパー301条に基づいて優先監視を行うことを決めた。

4) スーパーコンピュータ導入手続き
これを受けて日本政府のアクションプログラム実行推進委員会は、翌1990年4月19日に「スーパーコンピュータ導入手続き」を改正し、300 MFlops以上の「スーパーコンピュータ」の政府調達に際しては、資料招請、仕様書の作成、官報公示を含む入札手続、技術審査、苦情処理などのやり方を定めた。スーパーコンピュータの導入には1年半以上の年月を必要とするようになり、日本の科学技術を遅らせようという陰謀ではないかとまで言われた。スーパーコンピュータの定義は変わったがこの手続きは今でも続いている。「マニュアルは日本語とする」などの項目がアメリカへの差別であると問題になり、「マニュアルは日本語および英語とする」と書き改めさせられた記憶もある。

世界の動きは次回。アメリカ政府のOSTPは、報告書”The Federal High Perfomrance Computing Program”を発表し、議会にHPC Programを始めるよう勧告している。Intel社はFPUを統合したi486を発表する。他方、Inmos社やETA社が舞台から姿を消した。

(タイトル画像:NEC SX-3 出典:一般社団法人情報処理学会Web サイト「コンピュータ博物館」)

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