新HPCの歩み(第17回)-1958年(b)-

IBM社は真空管式のIBM 709に続いてトランジスタ式のIBM 7070を発表した。他方、Remington Rand社は、一部トランジスタ化したUNIVAC IIを開発し、磁気増幅器を素子とするUSSCを発表した。UNESCOはとりあえず「仮国際計数センター」をローマで発足させることになった。 |
標準化関係
1) FORTRAN II
IBM社では1958年にFORTRAN IIを開発した。サブルーチンなど手続き型プログラミングをサポートするとともに、倍精度型と複素数型のデータ型を追加した。この時、倍精度複素数型を定義しておかなかったことは悔やまれる。後に、倍精度の複素数化というコンセプトと、複素数の倍精度化というコンセプトとが併存し、組み込み関数名などで混乱した。IBM社では同時にFORTRAN IIIを開発していたが、発売されなかった。
2) ALGOL 58
最初のALGOL言語であるALGOL 58は、当初IAL (International Algorithmic Language)という名前で提案された。1958年末、ZMMDグループはZ22コンピュータ上のALGOL 58コンパイラを作成した。ZMMDとは、Zürich、München、Mainz、Darmstadtの頭文字であり、開発者やコンピュータの存在場所を示している。欧米のコンピュータ科学者はアルゴリズムの研究開発に用いたが、入出力が標準仕様になく、またBurroughs社以外の大手コンピュータメーカーが興味を示さなかったため、商用アプリには使われなかった。
3) LISP
1958年、MITに所属していたJohn McCarthyは、LISP言語を考案した。1960年にCommunications of the ACMに発表した。
4) 紙テープ標準化
日本では、和田弘(電気試験所)が計算機技術における標準化の重要性に早くから注目し、1958年10月にコード会を設立して、紙テープコードの標準化を試みた。コード会で決めたコードは奇遇検査ビットを含めた8単位と6単位の2種類があり、6単位コードは8単位コードのサブセットになっている。
アメリカ政府の動き
1) ARPAの発足
1958年、アメリカ国防省は、DDR&E (the Director of Defense Research and Engineering、防衛科学技術担当長官)の下に、最先端科学技術を短期間で軍事技術へ転用させるための研究を管理する組織としてARPA(Advanced Research Projects Agency、高等研究計画局)を設置した。
ソヴィエト連邦の動き
1) M-20
汎用コンピュータM-20は、Sergei Alekseyevich Lebedevを中心に、精密機械および計算機器研究所と特殊設計局245において1958年に開発され、1958年からカザン計算機工場で生産を開始した。トランジスタ式で、1語45ビット、主記憶は磁気コアで最大4096語、外部記憶として磁気ドラムや磁気テープが装備できる。20台製造された。
2) M-3
1957年から1958年に、電機産業科学研究所において、小型コンピュータM-3の最初の何台かが製造された。ソヴィエト連邦科学アカデミー電力研究所の電機システム研究室のアカデミシャンI.S. Brukの指導のもと、若手の技術者により開発された。大型機のStrelaやBESMは、保守に多額の費用が必要で、しかも安定な運転が困難であったが、M-3はI.S. Brukの「小型コンピュータ」のアイデアを実現したもので使い勝手がよい。1語は31ビットで、1ビットは符号、30ビットは(1より小の)固定小数である。
M-3は774本の真空管を使用し、そのうち43本は電源用である。主記憶は2048語の磁気ドラムで、性能は約30 ops (operations per second)であったが、同じ容量の磁心コアに取り替えたら1500 -2000 opsに改善された。M-3を基礎に、白ロシアの大型コンピュータファミリMINSKが開発された。
世界の学界
1) Perceptron
Cornell大学のFrank Rosenblattは、1957年にパーセプトロンを考案し、1958年に論文で発表した。1969年に、Minskyらにより、線形分離可能なものしか学習できないことが指摘された。その後、ニューラルネットワークとして発展し、現在の機械学習の出発点となった。
2) UNESCO(国際計数センター)
1951年11月にパリで合意した「国際計数センター」はなかなか批准が集まらず、1958年にとりあえず「仮国際計数センター」としてローマで発足させることになった。その理事に東京大学の山下英男が任命された。1962年に14か国の批准が集まり、ようやく正式の「国際計数センター」ができたが、コンピュータの進歩は著しく、この頃には国際協力で設置する必要がなくなってしまっていた。
3) 並列処理
1958年、IBMの研究者であるJohn CockeとDaniel L. Slotnickは、”Use of Parallelism in Numerical Calculations,” IBM RC-55 (1958)において、数値計算における並列処理の利用について議論している。筆者は読んだことがないが、この議論がSOLOMONプロジェクト(やILLIAC IV)に続いていると言われる。John Cockeは、コンパイラの開発と理論、大規模システムのアーキテクチャ、RISCの開発における多大なる貢献に対して1987年のTuring賞を授与された。
国際会議
1) 1958 Transistor and Solid-State Circuits Conference
5回目の1958 Transistor and Solid-State Circuits Conference (後のIEEE ISSCC)は、1958年2月20日~21日にPennsylvania大学とHotel Sheraton, Philadelphiaで開催された。IRE Professional Group on Circuit Theory, AIEE Committee on Electronics, IRE Philadelphia Section, AIEE Philadelphia Section, University of Pennsylvaniaが共同で開催している。IEEEの発足は1963年1月であり、AIEEとIREはその前身である。William Shockleyが基調講演を行った。
このシリーズで初めてアメリカ以外からの論文が発表された。イギリスのHarwell原子力研究所のG. Chaplin, “A method of designing transistor avalanche circuits with application to a sensitive transistor oscilloscope”である。電子版の会議録がIEEE Xploreに置かれている。
アメリカの企業
1) IBM社(IBM 709、IBM 7070)
IBM社は1958年8月に真空管式計算機IBM 709を発表した。これはIBM 704の改良版であり、入出力のオーバーラップ機能、間接アドレス指定、十進数命令などが追加されている。オプションのハードウェアエミュレータにより、IBM 704のプログラムを実行することができた。
また1958年9月2日トランジスタ化した十進方式の事務用大型機IBM7070を発表した。データは十進10桁+符号であり、各桁は5者択2符号を用いて5ビットで表現されている。コアメモリは5000~9990Wである。1960年3月に出荷した。その後高速化したIBM 7074(1960/7)やIBM 7072(1961)が出たが、1964年以降はSystem/360に置き換えられた。
2) Sperry Rand社(UNIVAC II、UNIVAC SSC)
1958年、UNIVAC Iの改良版として、UNIVAC IIを開発した。主記憶は磁気コアメモリで、5200本の真空管と1200個のトランジスタを使っているが、基本的に真空管式コンピュータである。
また、同社は磁気増幅器を素子とするUNIVAC Solid State Computer (USSC)を1958年8月(一説には12月)に発表し、商品化した。磁気ドラムベースの固体の(演算素子や記憶素子として真空管を使っていないという意味か?)コンピュータであり、700本のトランジスタと3000個の磁気増幅器(FERRACTOR)を演算素子として使い、電源制御のため20本の真空管を使っている。IBM7070より1月早い。磁気増幅器でなぜ演算ができるのかはよく理解していないが、当時の点接触のトランジスタは安定でなく信頼性が低かったので、演算には主として磁気増幅器を使ったとのことである。2種のパンチカードの入出力に対応し、Solid State 80はIBMの80カラムカードに、Solid State 90はRemington Randの90カラムカードに対応する。SS IとSS IIがあり、SS IIは、コアメモリが1280語追加され、磁気テープドライブが付いている。IBM社のベストセラーIBM 650への対抗機種であった。しかし、IBM 1401が登場すると、いったんUNIVACに移ったユーザがIBMに戻る例も見られた。
USSCは700台出荷され、わが国にも12台設置された(設置リストの一部は1961年の記事に記す)。
3) Honeywell社(H-800)
Honeywell社は、1958年第2世代のH-800コンピュータを発表した。最初の出荷は1960年である。全部で89台販売された。H-800は語長48bであり、英数字8文字、十進数字12文字、16個の8進文字などとして使える。6000個のトランジスタと30000個のダイオードを使い、メモリは磁気コアである。
4) RCA社(RCA 501)
RCA社(1919年創業)は、1958年12月、トランジスタコンピュータRCA 501を発表した。COBOLを提供した。1959年6月から、空軍、海軍、陸軍、保険会社、タイヤ会社などに販売された。
5) Texas Instruments社(集積回路)
1958年にTexas Instruments社に就職したJack Kilbyは、ゲルマニウム半導体の上にひとまとめに回路を形成することを実現した。同年9月12日に経営陣にデモを行った。1959年2月6日に特許を出願し、1964年6月に特許が成立した。Kilbyは2000年にノーベル物理学賞を受賞した。
6) Fairchild Semiconductor社(シリコン集積回路)
1957年にFairchild Semiconductor社を設立したRobert Noyceは、プレーナ型シリコントランジスタの製造技術を確立した。シリコンウェハ上に複数のトランジスタや抵抗・コンデンサを形成し、不純物拡散によって形成されたSiO2膜の上にAl膜で回路を形成するもので、1959年7月に特許出願され、1961年4月に特許が成立した。
7) Philco社(Transac S-2000)
アメリカのPhilco社(1892年創業、本社Philadelphia)は、1953年、60 MHzでも動作するゲルマニウムのsurface barrier transistorを発明し、これを用いて1958年11月、Transac S-2000メインフレームコンピュータを開発した。アメリカでの最初のトランジスタ式商用機である(プログラム内蔵式では、日本の電気試験所が1956年7月に開発したETL Mark IIIが世界初と自称している。商用機では、日本電気のNEAC-2201が1958年9月に完成)。語長は48bである。Philco社は1961年12月11日、Ford Motors Companyに買収された。
8) CDC社(CDC 1604)
1958年、Seymour CrayがCDCにやっと合流すると、トランジスタベースのマシンの設計を始め、1959年10月、UNIVAC (ERA)1103を48ビット化したトランジスタ版のCDC 1604を発表した。32KWのコアメモリを内蔵し、0.1 MIPSの整数演算性能を持っていた。浮動小数演算も可能である。最初の製品は1960年にアメリカ海軍に納入した。
世界の企業
1) Bull社(Gamma 60)
フランスのコンピュータ企業であるGroupe Bullは、1931年にH.W. Egli – Bullとして設立され、1933年に再編成され、Compagnie des Machines Bullとなった。1958年、ヨーロッパで初めての「スーパーコンピュータ」Gamma 60を発表した。個別トランジスタでつくられているにも関わらず、複数のfunction unitsを持ち、multithreadや、forkやjoinをサポートした。残念ながら、unit間の切り替えのオーバヘッドが大きく、性能は出なかった。
クロックは100 kHz、浮動小数加算200 μs、乗算 350 μsであった。1語は24ビットであるが、3ビットの制御ビットをもち、全体では27ビット。BCD (binary-coded decimal)は4ビット、文字は6ビットである。固定小数はBCDの10桁で、小数点の位置も表示されている。浮動小数もBCDであり、指数部は0~79(バイアス40)である(2語ということか?)。倍精度は4語で、仮数部は11~19桁である。記憶容量は32K語(磁気コア)であるが、先頭の128語はレジスタを指す。その点はHITAC 5020と似ている。1960年に出荷され、総計19台が製造された。設置先はEDF (1960/1)、SNCF (1960/11)、CEA、UAP、GMFなど。外国では、ベルギー、イタリアおよび日本である。『情報処理産業年表』(日本IBM社)によると、1965年9月に三菱商事がGAMMA60を導入している。これに先立つ1963年10月にも、「三菱商事、ブル社のGAMMA3(1号機)導入」とある。
企業の創立
1) 東京電子計算サービス(Bendix G-15D)
伊藤忠商事は、1958年11月、Bendix G-15Dによる東京電子計算サービス㈱を設立した。1961年4月には伊藤忠電子計算サービス㈱に商号を変更。1971年、第一勧業銀行の資本参加により、センチュリ リサーチセンタに商号を変更。1991年7月、CRC総合研究所へ商号変更。2001年8月、CRCソリューションズに商号変更。2006年10月、伊藤忠テクノサイエンスに吸収合併。
2) TRW社
20世紀初頭から自動車業界で活動してきたThompson Products, Inc.およびRamo-Wooldridge Corporationは、1958年に合併しThompson Ramo Wooldridge Incとなった。1965年にはTRW社に改名。自動車や航空宇宙産業の複合型企業であるが、コンピュータ分野にも進出した。製品など詳細は不明であるが、1962年2月、三菱電機は技術提携の契約を結び、合弁会社「三菱テー・アール・ダブリュ株式会社」(現三菱スペース・ソフトウェア)が設立された。この契約により1963年、TRW 530というコンピュータを汎用中型コンピュータMELCOM 1530として製品化した。ほどなく、TRW社はコンピュータ事業から撤退した。
次回は1959年である。世界的にはFORTRAN、COBOL、ALGOLなど高水準言語の開発が盛んであったが、日本では工業振興協会の共通アセンブリ言語(SIP)がプログラミング教育に大きな役割を果たす。東京大学では、真空管計算機TACやパラメトロン計算機PC-1を用いて、計算科学の研究が進んだ。
(アイキャッチ画像:UNIVAC IIコンソール 出典:Computer History Museum)
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