新HPCの歩み(第20回)-1959年(c)-
このころコンピュータの性能を客観的に評価することの重要性が認識され初め、IBM社のGibsonは科学技術計算における頻度を評価し、いわゆるGibson mixを定めた。IBM 709上で複数のジョブを連続的に処理するFMS(バッチ処理OS)が航空機会社によって開発された。 |
標準化関係
1) COBOL
事務処理用言語を統一するために、アメリカ国防総省によって事務処理用の共通言語の開発が提案され、1959年、CODASYL(Conference on Data Systems Languages、データシステムズ言語協議会)が設立された。1959年9月18日にCOBOL(Common Business Oriented Language)という名称を決定した。
この主導者の一人はアメリカ海軍軍人でコンピュータ科学者であったGrace Murray Hopperと言われる。彼女はYale大学で女性初の数学の博士号を取り、教職に就いたが、その後海軍に入り、退役後Harvard大学でHarvard Mark Iなどのプログラム開発に関わった。1949年からはEckart-Mauchly社においてUNIVACの開発に参加した。1957年、英文に近い表現のコンパイラ言語FLOW-MATICを開発したが、彼女はCODASYLに深く関与し、FLOW-MATICを発展させたのがCOBOLと言われている。(Wikipedia「グレース・ホッパー」による)2010年にLBNLのNERSCに設置されたCray XE6は彼女にちなんでHopperと命名された。
2) Backus-Nauer Form
1959年、UNESCO主催のInternational Conference on Information Processingにおいて、John BackusはALGOL文法を表現するためこの記法Backus Normal Formを提案した。Peter NauerはBackusの記法を単純化し、使う文字集合を最小化した。これにより、Backus-Nauer Formとも呼ばれるようになった。
3) 計算機用語
1957年に電気通信学会に設けられた計算機用語専門委員会によるJIS原案の作成は、1959年3月に終了し、この原案は日本工業標準調査会基本部会の計算機用語専門委員会(委員長山下英男)に上げられた。1961年にはJIS Z 8111「計数形計算機用語(一般)」が、1962年にはJIS Z 8112「計数形計算機用語(一般を除く)」が制定された。
4) 日本電子工業振興協会(SIP)
日本政府の動きの節にSIPのことを書いたが、これも広義の標準化活動と言える。
5) 漢字コード
1959年、北海道新聞・中部日本新聞・西日本新聞・産経新聞・中国新聞・共同通信の6社間での共通に記事データを交換するための文字コードCO-59が定められた。漢字を含む文字コードとしては最も古い。東芝が製造した世界初の日本語ワードプロセッサのJW-10(1978年9月発表)にもこの文字コードが使用された。この文字コードは1978年1月1日に制定された「JIS C 6226-1978」の基礎資料として使用された。(Wikipedia「CO-59」)
性能評価
1) Gibson Mix
このころのコンピュータは、並列処理もパイプライン処理も投機的実行もなく、命令は完全に逐次的に実行された。したがって、各命令の出現頻度と実行時間がわかれば、コンピュータの性能を客観的に推定することができた。このための典型的な命令出現頻度リストは一般に「命令ミックス」と呼ばれ、これに基づいた1秒間の命令実行回数をKIPSとかMIPSとか表現した。1959年にIBM社のJack Clark Gibsonは科学技術計算における頻度を評価し、これに基づいてGibson mixを定めた。文書として残っているのは、1970年のIBM Systems Development Division Technical Report TR 00.2043 “The Gibson Mix”である。
世界の学界
1) BNL(放射線損傷シミュレーション)
Brookhaven National Laboratory(1947年設立)では、1959年、George H. Vineyard (1920-1987)らは、分子動力学をつかって金属の3次元の放射線損傷シミュレーションを行った。
2) 磁気論理回路
RCA研究所(現Sarnoff Corporation)にいたHewitt Craneは、フェライトと半導体ダイオードを用いた論理回路を開発し、1959年秋のJoint Computer Conferenceにおいて全磁気論理回路を発表した。この技術は1961年にAircraft Marine Products (AMP) Inc.によって実用化され、New York地下鉄の制御に用いられた。磁気による論理回路は当時の真空管やトランジスタより安定で電磁干渉にも強かった。また、スウェーデンの起業家・実業家のAxel Lennart Wenner-Grenはこれを用いてALWAC 800を開発しようとしたが、プロトタイプ以上には進まなかった。これが、後藤英一のパラメトロンやUnivac Solid State Computerなどの技術とどういう関係なのかはよく分からない。
国際会議
1) SSCC 1959
6回目の1959 SSCC (Solid-State Circuit Conference、後のIEEE ISSCC)は、1959年2月12日~13日にPennsylvania大学とHotel Sheraton, Philadelphiaで開催された。IRE Professional Group on Circuit Theory, AIEE Committee on Electronics, IRE Philadelphia Section, AIEE Philadelphia Section, University of Pennsylvaniaが共同で開催している。前年のタイトルからTransistorの語を外した。電子版の会議録がIEEE Xploreに置かれている。
2) IFIP Congress1959
1959年6月15日~20日、フランスのParisのUNESCO会議場で、ICIP (International Conference on Information Processing)がUNESCO主催で開催された。Automathとも呼ばれたらしい。37か国から1780人が参加し、60件の論文が発表された。会議録は1960年にUNIESCOから出版されている。目次を見ると、線形計算、微分方程式、関数近似、丸め誤差解析などと並んで、画像認識、自然言語の自動翻訳(英語→日本語とか)やmachine learningまで盛んに議論されているのは驚きである。いわゆる第1次人工知能ブームの最中であった。日本からは16人が参加。
会議と並行して、ParisのGrand Palaisを会場として展示会が開かれ、わが国からは日本電気のトランジスタ計算機NEAC-2201と、日立のパラメトロン計算機HIPAC 101の両者を展示し、会場でデモンストレーションをおこなった。当時の世界の商用機はまだ真空管の第1世代の時代であったので、この展示は日本のコンピュータ技術のレベルの高さを示すものとなった。沖電気はベルト式ラインプリンタを出品した。
1st IFIP Congress 1959ということになっているが、実際にはIFIPの設立の方が後で、この会議を提案したのは、1951年にUNESCOが発足させようとしたICC(国際計数センター)であった。ICIP会議が成功したので、1960年1月にIFIPS(International Federation of Information Processing Societies情報処理国際学会連合)が発足し、3年ごとに会議を開催することにした(1992年以降は2年ごと)。1961年に名称をIFIP (International Federation for Information Processing、情報処理国際連合)に変更した。
アメリカの企業
1) IBM社(IBM 1401、IBM 7090, IBM 1620)
IBM社は、1959年10月5日に、事務用中型機IBM 1401を発表した。トランジスタ方式で可変ワード長十進コンピュータである。IBM 1401は真空管世代のIBM 650に代わる新たな中型機種であり、UNIVAC Solid State Computerへの対抗策でもあった。1万台以上生産され、System/360以前のベストセラーとなった。
IBM社の科学技術計算用第2世代トランジスタ計算機IBM 7090は1959年11月に稼働し、12月に発表された。これは真空管ベースのIBM 709の後継マシンであり、語長は36bit、アドレス空間は32KWであり、磁気コアメモリを用いている。可変長十進データが扱える最初のコンピュータで、文字単位のアドレシング、主記憶と入出力装置の直結などの特徴があった。強力な周辺装置とソフトウェアを伴って発表された。1960年9月に出荷された。10年以上にわたって合計1万台以上が出荷された。
また、低価格科学技術コンピュータとして、IBM 1620を1959年10月21日に発売した。数値は可変ワード長の十進法で表現する。論理回路の大部分はRTL (resistor-transistor logic)であり、ドリフト型トランジスタを使用した。Return addressがスタックでなくレジスタに置かれるので、サブプログラムを入れ子にすることができなかった。IBM 1620 IとIIとがある。
これと比べると、日本でようやく出来上がった計算機は10年遅れていた。日本の各社はIBMからの技術導入を希望したが、IBM社は「下請けとしてなら考えるが、技術供与はお断り」との態度を崩さなかった。そこで、各社は、IBM以外のアメリカのメーカーとの提携を模索した。これについては後に述べる。
2) General Electric社(GE-210)
General Electric社(1878年、エジソンがエジソン電気照明会社として設立)はBank of Americaから小切手処理のためのシステムの開発を受注し、真空管式のコンピュータを開発したが、これをトランジスタ化し、1959年7月、GE-210を発売した。1964年にはその縮小版GE-205を発売。同社はその後制御用にも使えるコンピュータの開発に向かい、これらと互換性のないGE-225 (1961)を開発する。
3) TRW社(TRW-300)
航空機や自動車の会社であるTRW社(Thompson Ramo-Wooldridge)は、半導体やコンピュータにも進出した。1959年には最初期の全トランジスタコンピュータの一つであるTRW-300を製造販売した。三菱電機は1962年技術提携し合弁会社をつくった。
4) North American Aviation社(FMS)
アメリカの航空機製造会社North American Aviation社(1928年創業、1967年にRockwellが買収)は、IBM 709上で複数のジョブを連続的に処理するFMS (FORTRAN Monitor System)を開発した。バッチ処理OSの走りである。IBM社は自社標準製品として採用し、IBM 709やIBM 7090に搭載した。カード群は、$JOBカードで始まり、$FORTRANカードに続いてFORTRANプログラムを置き、$LOADカードでメモリ上にロードし、$RUNで実行が始まる。その後ろにはデータのカード、最後は$ENDカードで終わる。何か見たことがあるような。これを懐かしいと思う人は今や少なくなってしまった。
初期のコンピュータはOSを持たなかったが、システム管理用のツールが開発され始めた。General Motors社は、IBM 701向けのシステム(年不明)やIBM 704向けのシステム(1956)GM-NAA I/Oを開発している。どこまでをOSというかによる。
世界の企業
1) Olivetti社(Elea 9003)
Olivetti社は、1908年、Camillo Olivettiによって創業されたが、1954年からコンピュータの開発を始め、1959年、トランジスタによる大型コンピュータElea 9003を発表した。1964年にGEがコンピュータ部門を買収した。
企業の創立
1) National Semiconductor社
1959年5月27日、Sperry Rand社の半導体部門を辞めた8人に技術者により、コネチカット州Danburyで設立された。主としてアナログ半導体製品を製造した。1984年には32ビットマイクロプロセッサのNS32032を発表した。2011年9月23日、Texas Instruments社に買収された。
2) ICT社
イギリスにおいて、1959年、BTM社(British Tabulating Machine Company)と Powers-Samas社との合併により、ICT (International Computers and Tabulators)が設立された。HEC 4をベースにICT 1201、ICT 1301/2、ICT 1500などを開発したが、1964年のICT 1900ファミリはFerrantiの資産によるものである。1968年、English Electronic Computersとの合併によりICLとなった。
3) 京都セラミック
稲森和夫は1959年4月1日に京都セラミック株式会社を設立した。1982年10月に京セラに変更。
1960年、国際学会IFIPの設立に呼応して、情報処理学会が設立される。第1回プログラミングシンポジウムが開催される。京都大学では、日立製作所と共同開発していたトランジスタ式計算機KDC-Iが完成する。
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