世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


5月 10, 2021

新HPCの歩み(第42回)-1969年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

文部省は1969年、「昭和四十四年文部省令第十八号」を制定し、全国共同利用の大型計算機センターを法制化した。1966年から始まっていた東京大学に続いて、この年、東北大学、京都大学、大阪大学、九州大学で大型計算機センターが設置された。1969年11月、情報処理技術者認定制度による第1回情報処理技術者認定試験を実施した。

社会の動き

1969年(昭和44年)の社会の動きとしては、1/18東大安田講堂に機動隊導入、1/19安田講堂陥落、1/20東大、学部入試中止発表、1/20ニクソン米大統領就任、1/21青瓦台襲撃未遂事件、1/23プエブロ号事件、1/23京都大学学生部の封鎖解除、1/31靖国神社、 A級戦犯合祀、2/10東京駅八重洲地下街開業、2/18日大、機動隊導入、全学封鎖解除、3/1 NHK-FM、本放送開始、3/2中ソ国境紛争、3/6八幡・富士両製鉄の合併調印、3/8シチリア島エトナ山大噴火、3/12首都圏に大雪、3/12秋田明大逮捕、3/29営団地下鉄東西線全線開通、4/1バーボンの輸入自由化(日本)、4/4「ひょっこりひょうたん島」放送終了、4/7永山則夫逮捕、5/10国鉄にグリーン車登場(等級制廃止)、5/13三島由紀夫と東大全共闘が駒場の900番教室で激論、5/16政府、自主流通米制度発足を決定、5/26東名高速道路全線開通、6/8ニクソン大統領、ベトナムからの米軍撤退計画を発表、6/10南ベトナム臨時革命政府樹立、6/12日本初の原子力船「むつ」進水、6/28新宿西口反戦フォークゲリラ事件、7/18エドワード・ケネディ上院議員、飲酒運転の末に自動車事故、7/20アポロ11号着陸船、人類初の月面着陸、7/24東京教育大、筑波移転決定、8/3参院、大学の運営に関する臨時措置法を強行採決し可決、8/7大学の運営に関する臨時措置法公布、8/9 Charles Mansonのカルト信者が、女優Sharon Tateら5人を殺害、8/9-10第1回全日本フォークジャンボリー、8/15-18アメリカ合衆国で第1回Woodstock Music and Art Festival、8/27映画版『男はつらいよ』第1作初公開、9/3ホー・チ・ミン死去、9/6新東京国際空港建設開始、9/23中国が第1回地下核実験、10/1宇宙開発事業団発足、10/4『8時だョ!全員集合』放送開始、10/6松元清松戸市長「すぐやる課」を設置、10/15全米でベトナム反戦デモ、10/30アポロ11号の宇宙飛行士3名(Neil Alden Armstrong、Michael Collins、Edwin Eugene Aldrin)が来日、午後文化勲章授与、11/1新五百円札(岩倉具視)発行、11/12劉少奇死去、11/15大菩薩峠事件、11/17佐藤栄作首相訪米、11/21日米共同声明「沖縄施政権1972に返還」、12/2衆議院解散(沖縄解散)、12/27衆院選挙、自民党圧勝、など。

流行語・話題語としては、「あっと驚くタメゴロー」「エコノミック・アニマル」「オー・モーレツ」「シコシコ」「断絶の時代」「赤頭巾ちゃん気をつけて」「はっぱふみふみ」など。

チューリング賞は、人工知能分野の創造、形成、促進、発展における中心的な役割に対してMarvin Minsky(MIT)に授与された。

ノーベル物理学賞は「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」によりMurray Gell-Mannが受賞し、ほぼ同時に同様な発見をしていた中野董夫や西島和彦や大久保進らは受賞を逃した。化学賞は、有機合成化学に対する顕著な貢献により、Robert Burns Woodwardに授与された。生理学・医学賞は、ウイルスの複製機構と遺伝的構造に関する発見に対し、Max Delbrück、Alfred Hershey、Salvador Luriaの3名に授与された。

東大の安田講堂(本部事務局があった)は前年6月から占拠されていたが、機動隊により封鎖解除された。筆者のいた理学部1号館(旧館)は安田講堂の裏であるが、前日民青のヘル隊に研究室を追い出され、建物は全共闘の反対派に占拠された。当日、現場には近づけなかったが、バス通りを隔てた本郷郵便局の建物の中で、催涙ガスに目を赤くしながらガラス越しに安田講堂の攻防を見ていた。翌日陥落した。

日本政府関係の動き

1) 通商産業省(改組)
通商産業省は、1969年7月1日、従来の情報産業室、電子工業課、電機通信機課を電子政策課、電子機器課、情報処理振興課に改組した。電子政策課の初代課長は事務官の平松守彦(後の大分県知事)であった。電子政策課(電政課)と電子機器課(電機課)との微妙な関係については面白い話があるようだが、筆者は詳しくない。

2) 通商産業省(情報産業部会)
通産省の産業構造審議会は1967年11月に情報産業部会を設置したが、1968年9月に「中間答申」を、1969年2月に「情報処理施策の基本方向」を発表し、1969年5月30日に「綜合答申案」を大平通産大臣に提出した。その中で政府の当面取るべき施策として以下の事項を提言した。

(a) 大学、高校で電子計算機教育を推進すること
(b) ハードウェア、ソフトウェアを開発すべきこと
(c) 通信回線を電電公社の独占でなく、民間に開放すること
(d) 情報産業の基盤が確立するまで、外資の進出を規制すること
(e) 情報産業を育てるための金融、税制上の助成措置をとること

(a)の情報教育については、文部省の情報処理会議も答申を出しており、現在の10大学、12学科からさらに増設し、教育用の計算機を研究用とは別に置くことなどを提言している。

3) 通商産業省(情報処理技術者認定試験)
1969年11月16日、情報処理技術者認定制度(通商産業省告示)による第1回情報処理技術者認定試験を東京と大阪で実施した。7月26日には大手町の農協ビルで事前説明会が開かれた。第一種および第二種があったが、第一種は応募12924人、受験10527人、合格811人(内女性22人)、第二種は応募29098人、受験22057人、合格1832人(内女性177人)であった。翌年からは国家試験となる。

4) 通信自由化へ
河本敏夫郵政大臣は、11月18日の閣議で「データ通信のための通信回線の利用制度」に関する郵政審議会の答申を報告した。これは「データ通信回線サービス」と「データ通信回線網サービス」を新設するという内容である。これにより、1972年の「第1次通信回線開放」が実現し、公衆交換電話網(電話回線)をデータ通信に使用することが可能となる。

この答申に対し通商産業省は、加入電話網の開放、通信回線使用料金の自由化が入っていないとして強い不満を示した。

5) 電信電話公社(DIPS)
「昭和47年度末(1973年3月)までにデータ通信用大型標準情報処理システムを、ハードウェア・ソフトウェアともに完成し、システムの性能、性能/コスト比において一流の外国機とも比肩し得るものであること」という目標をかかげて、電電公社通信研究所の主管のもとに、日本電気、日立製作所、富士通との4社共同研究体制が1969年4月からスタートした。1971年10月にはDIPS-1試作機を完成し、1972年3月には東京芝局に現場試験機(DIPS-1F)が導入される。

また、電電公社と三社は、1969年7月、汎用性、柔軟性、標準化、互換性、生産工程の整備などを進めながら単一のOS(DIPS-100)の開発を開始した。

11月に電電公社は「総合通信網」を構築し、電信、電話、テレックス、データ通信、ファクシミリ、テレビ電話を一括して伝送できるようにする構想を発表した。

6) 統計数理研究所
文部省所轄の統計数理研究所は、1955年に港区麻布富士見町(現、南麻布)の総理府庁舎に移転したが、1969年10月30日、南麻布に新庁舎が完成し、1971年1月には増築分も完成した。工事が完了するまでの間、文京区本駒込2丁目29の3の仮庁舎(理研が和光に移転した跡地か?)に一時移転していた。

7) NHKコンピュータ講座
NHK教育テレビは、1969年4月から日曜日夜7時に「コンピュータ講座」を開始し、1976年まで7年間継続した。最初のテキストは全国で70万部も売れた。マイコン誕生以前で、家庭に計算機などなかった時代である。講師陣は、主任を森口繁一、島内剛一などが務め、石田晴久、筧捷彦などの若手が脇を固めた。政府関係ではないが、公的セクターということでここに記す。

日本の大学センター

1) 大型計算機センター法制化
東京大学大型計算機センターは、1965年4月に全国共同利用施設として設置されたが、1965年10月の日本学術会議第44回総会における勧告「科学計画第1次5カ年計画」にあった大型計算機の全国共同利用は1969年から始まった。文部省は、1969年、「昭和四十四年文部省令第十八号」を制定し、大型計算機センターを法制化した。2019年はその50周年ということで、7月10日に品川で「大型計算機センター法制化50周年記念シンポジウム」が開催された。

2) 東北大学(大型計算機センター設置)
1967年11月に、片平キャンパスに大型計算機センターの建物が竣工し、1969年1月からNEAC2200-500の共同利用が始まっていたが、6月に大型計算機センターが正式に設置された。

3) 京都大学(大型計算機センター設置、FACOM 230-60)
1969年4月、京都大学大型計算機センターが全国共同利用施設として設置され、FACOM 230-60 (2 CPU, 192 KW, 0.8 MIPS)およびFACOM 230-60 (2 CPU, 384 KW, 0.8 MIPS)が稼働した。京都大学学術情報メディアセンターの所蔵するFACOM 230-60のTTL論理回路カードは、情報処理学会から2015年度情報処理技術遺産に認定された。前者のFACOM 230-60は1974年にFACOM 230-75 (1 CPU, 512 KW, 5 MIPS)にリプレースされた。

4) 大阪大学(大型計算機センター設置)
1969年4月、全国共同利用施設として大阪大学大型計算機センターが設置された。当初の設備は2年前に導入したNEAC-2200 model 200であった。1972年3月にNEAC-2200 model 700(1号機)とmodel 500に更新。

5) 九州大学(仮設センター設置、FACOM 230-60)
九州大学大型計算機センターは1967年12月から箱崎キャンパスに建設中であったが、1968年6月2日深夜、九州大学大型計算機センターの屋上にアメリカ空軍のファントム偵察機が墜落し、5階6階が全壊し炎上した。ファントム機の残骸は、1969年1月5日、何者かによって引き下ろされ、1969年10月14日に搬出された。

その間、1969年3月、九州大学大型計算機センターは福岡市東薬院の九州電力研究所跡に仮設センターを設置し、3月7日からFACOM 230-60が稼働を開始した。仮センターと九大構内の受付返却室とは、ライトバンを1日4往復運行させた。6月2日からは負担金を徴収した。センターの建物の工事は1969年12月25日に再開され、1970年3月に竣工した。4月に移転し、4月27日からは業務を再開した。5月8日に開所式が行われた。

 
   

6) 福島大学(TOSBAC-3400)
1969年4月、福島大学に計算センター設置、TOSBAC-3400導入。

7) 上智大学(IBM1130)
上智大学電子計算機室は、1969年5月、IBM1130の主記憶を8 KWから16 KW (32 KB)に増設した。写真はその頃の電子計算機室。

8) 青山学院大学(IBM7040-1401)
1969年3月、教育研究用として無償貸与されたIBM7040-1401システムを、電子計算センター廻沢分室(世田谷キャンパス)を開設し設置、さらに実験設備としてIBM1800システムを導入した。

10) 大東文化大学
1969年、情報処理講座開講。

11) 金沢工業大学
1969年1月、金沢工業大学の情報処理センター開設。

12) 九州産業大学(計算センター設置)
九州産業大学は、1969年9月1日、産業経営研究所電子計算機室を、組織改革により計算センターとした。1962年からOKITAC 5090が設置されている。

13) 東京大学原子核研究所
パラメトロン計算機INS-1の劣化が進んだので、次期計算機までのつなぎとして、1969年には当時普及しつつあったミニコンFACOM-Rを導入した。

14) 東京大学(ライブラリ開発)
前に述べたように東京大学大型計算機センターでは数学ライブラリを開発してきたが、その成果をまとめて、雨宮綾夫、田口武夫編『数値解析とFORTRAN』が1969年10月丸善から発行された。増補第2版が1971年11月に発行され、第3版は渡部力、名取亮、小国力編で1983年7月に発行された。

国内会議

1) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、公募により毎年多数の研究集会を開催しているが、その一つとして、数値解析関係の大規模な研究集会が毎年1回11月頃開催されている。その第1回が、1969年11月5日~7日に「科学技術基本ライブラリのアルゴリズム」というテーマで高橋秀俊(東京大学)を代表者として開催され、数理解析研究所講究録No. 91に報告が収録されている。

2) ILLIAC IV講演会
1969年8月19日、大手町の経団連ホールでは、ILLIAC IVに関する講演会が開催された。歴史やハードウェアについては電気通信研究所の加藤満佐夫(前年までIllinois大学で開発に従事)が、ソフトウェアについてはD.J. Kuckが講演した。満員だったとのことである。すでにPE数は64個に縮小され、薄膜メモリの代わりに半導体メモリが使われ、論理素子はLSIでもMSIでもなく通常のICが使われるとの報告であった。(bit誌1969年10月号)

日本の企業

1970年にかけて日本の各社はミニコンピュータを競って発表した。

1) 日立(HITAC 10)
1969年2月に、日立は日本初のミニコンHITAC 10を完成した。16ビット語でメモリは4kWであった。この改良機HITAC 10II(1972年10月完成)は筑波大学で1年生のアセンブリ言語教育に用いていたので思い出深い。筆者は担当しなかったが。

2) 富士通(FACOM R)
1969年3月、富士通はデスクトップサイズのミニコンピュータFACOM Rを発表した。主記憶は磁気コアで記憶容量は1~32k語(1語16ビット)であった。

3) 日本電気(NEAC M4)
1969年7月、日本電気はミニコンピュータNEAC M4を発表した。可変語長、4096語(1語8ビット)までのアドレス直接指定、4レベルの割込みなどの機能を有する。

4) 東京芝浦電気
東京芝浦電気とGeneral Electric社とは、GE-400とGE-600とを橋渡しする新シリーズを共同開発するパイ計画がスタートしたが、GE側責任者が1969年に飛行機事故で急死し、中止となった。

5) 沖電気(OKITAC 4300)
1969年に、沖電気はミニコンピュータOKITAC 4300を発売した。主記憶は磁気コアで、標準8192語(1語16ビット)、最大32K語。回路はオールICであった。情報処理学会情報処理技術遺産に認定されている。

6) 松下通信工業(MACC-7)
松下通信工業は、オンラインリアルタイム制御用にMACC-7を1968年から開発していたが、1969年9月に下位機種のMACC-7/Sとともに発表・発売された。16ビットで、記憶容量は4K~16K語、演算は並列二進固定小数点方式である。その後、MACC-7ファミリーに発展した。1973年1月MACC-7/Lを発売した。

7) 日本ユニバック
1969年4月、株式会社日本ユニバック総合研究所が発足した。

次回、アメリカのDARPA は1969年ネットワークARPANETを構築する。4大学をつなぎ、最初のメッセージは10月29日に送られた。

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