新HPCの歩み(第86回)-1988年(a)-
いよいよスーパーコンピュータの第2世代が到来した。CrayはY-MPを発売。富士通もVP2000シリーズを発表した。東工大がETA 10を導入したことも大きなニュースである。Convex社はX-MP互換のC2を出荷した。Supercomputing 88(第1回)がOrlandoで開かれた。日本ではSWoPPが始まっている。ネットワークではCSNETとBITNETが合併し、CRENとなった。日本でもWIDEやTISNが始まっている。 |
社会の動き
1988年(昭和63年)、日本はバブルの真っ最中である。社会の動きとしては、1/1ソ連、ペレストロイカ開始、1/5六本木ディスコ照明落下事故、1/13台湾で蒋経国総統没、1/31筑波郡筑波町がつくば市に編入、2/8東京03地域で市内局番が4桁に、2/12浜田幸一衆議院予算委員長辞任、2/13カルガリー冬季オリンピック開幕(2月28日まで)、2/25韓国の盧泰愚大統領就任、3/13青函トンネル運用開始、東海道山陽新幹線に新駅5駅開業、3/18東京ドーム開場、3/20アグネス論争始まる、3/24上海列車事故、修学旅行中の高知の高校生死亡、4/1マル優原則廃止、4/10瀬戸大橋開通、4/11美空ひばり、東京ドームコンサート、5/15アフガニスタンからソ連軍撤退開始、5/23レーガン大統領訪ソ、5/24号として『AERA』創刊、6/18リクルート事件始まる、6/19第14回サミット(トロント)、6/20日米貿易交渉で、1991年から牛肉・オレンジ輸入自由化決定、7/3トルコの第2ボスボラス橋開通、7/6江副浩正がリクルート会長を辞任、7/23なだしお事故、8/10アメリカのReagan大統領が「市民の自由法」に署名し、戦時中の日系人強制収容を謝罪するとともに一人2万ドルの補償を決定、8/20イラン・イラク戦争停戦、8/21ネパール地震(M6.8)、8/28西ドイツの航空ショーで3機が衝突し、観客の上に墜落、9/12平城京の貴族邸跡から大量の木簡が出土、長屋王邸と判明、9/17ソウルオリンピック開幕(10月2日まで)、9/19昭和天皇、吐血重篤、9/22オウム真理教在家信者死亡事件、11/3「大辞林」初版発行、11/8ブッシュ(父)米大統領当選、11/15 PLOがパレスチナ国家独立を宣言、11/15リクルートコスモス非公開株譲渡先26人のリスト公表、11/21衆議院リクルート問題調査特別委員会、江副浩正前会長ら証人喚問、11/25女子高生コンクリート詰め殺人事件、12/2パキスタンでブットーが首相に就任、12/6国連総会でIPCC (Intergovernmental Panel on Climate Change)設置が承認される、12/9宮澤喜一がリクルート疑惑で蔵相と副総理を辞任、12/16十勝岳噴火、12/21リビアによるパンナム機爆破事件、など。1988年頃、ビン・ラーディンによりアルカーイダが組織されたといわれている。
この年の流行語・話題語としては、「ペレストロイカ」「ドライビール」「ドライ戦争」「アグネス論争」「しょうゆ顔・ソース顔」「おたく族」「オバタリアン」「カウチポテト族」「チンする」など。
チューリング賞は、コンピュータグラフィックスにおける先駆的で先見性のある貢献に対してIvan Edward Sutherland(Sun Microsystems社)に授与された。氏は、1968年にDavid C. EvansとともにEvans and Sutherland社を設立して、リアルタイムの機器や3次元グラフィックなどの分野で先駆的な業績を収めたが、1974年から1978年までCalifornia Institute of Technology教授を務め、1980年からはコンサルティング会社Sutherland, Sproull and Associates社の副社長兼技術担当ディレクタとなった。同社はその後Sun Microsystems社に買収された。授賞式は、1989年2月、ケンタッキー州Louisvilleで開催されたACM会議で行われた。
エッカート・モークリー賞は、デザインオートメーションや並列処理の研究で名高いDaniel Siewiorek (Carnegie-Mellon University)に授与された。
この年のノーベル物理学賞は、μニュートリノの発見と、eニュートリノとの違いの発見に対し、Leon M. Lederman、Melvin Schwartz、Jack Steinbergerの3人に授与された。化学賞は、光合成反応中心の三次元構造の決定に対し、Johann Deisenhofer、Robert Huber、Hartmut Michelの3名に授与された。生理学・医学賞は、薬物療法における重要な原理の発見に対し、James W. Black、Gertrude B. Elion、George H. Hitchingsの3名に授与された。
筆者は関係者の御尽力により、1988年4月に筑波大学電子・情報工学系教授に昇任した。
ヨーロッパ出張
ICHEP (International Conference on High Energy Physics、偶数年開催) 88が西ドイツのミュンヘンで8/3-10に開催されたので、7月13日からこれを含めて1ヶ月ヨーロッパ(アムステルダム、トリエステ、パリ、ヴッパタル、ミュンヘン)を家内と漫遊した。
1) Utrechtスーパーコンピュータセンター見学
アムステルダムでは、夜行便で到着の朝、王宮前広場を家内とボーッと歩いていたら、マスタードスリにやられそうになった。物は取られなかったが、二人のジャケットにマスタードが付き、洗うのに苦労した。Utrecht大学のCrayのスーパーコンピュータを見学した。オランダは海水が侵入する危険があるので、スーパーコンピュータは2階に置いているとのことであった。
2) Trieste会議
トリエステでは、“Adriatico Research Conference on Computer Simulation Techniques for the Study of Microscopic Phenomena”という国際会議に招待された。”Supercomputers for Particle Physics”というような講演を行った。会議中毎日、研究所のそばのリストランテで家内とワインを飲みながら昼食を取った。イタリアモード全開である。あるとき、「(前菜に)私はサラダ、家内はリゾットが欲しい」と(英語で)言ったら、若いウェイターがイタリア語で「ペラペラペラ」と答えたのだが、不思議なことに筆者にも家内にも、「リゾットはお二人様からしかご用意できません」という風に自然に聞こえてきた。多少のイタリア語の勘がついてきたようだ。
3) Orsayでのセミナー
パリでは家内の出席するバイオの国際会議があり、そこでは筆者の方がaccompanied personであった。暇なのでChadan教授のいるOrsayのパリ南大学の物理学教室でセミナーを行ったが、直前に、知人のベトナム出身のTran Thanh Van教授の自宅に呼ばれ、ベトナム料理の昼食をごちそうしていただいた。ワインもたっぷり。さてセミナーは? 記憶なし。感心したのはMinitel(ビデオテックス)で研究費の申請ができるとのことであった。
4) Wuppertal大学
その後、格子ゲージシミュレーションのメッカの一つである西ドイツのWuppertal Universityに数日滞在し、ILUCR法について議論した。Wuppertalはライン川の支流ヴッパー川の渓谷に細長く伸びる工業都市で、大学は岡の上にある。大学近くの民宿を予約してくださったのはよかったが、管理人のおばさんがドイツ語しか通じないので苦労した。
筆者はILUCR法を超平面法で実装して高速な収束を実現したが、Wuppertalでは多色法で実装していてオヤナギの言うほど速くないとのことだった。筆者の論文ではクォークの質量に関係するhopping parameter (k)の摂動で議論していたので、超平面法も多色法も同じ次数だというわけである。実は次数は同じでも長距離成分を速く減衰させるのがポイントで、それには超平面法が優れていると主張した。超平面法を実装するには間接アドレス(整数配列を添え字とする配列)が必要で、HITAC S810は高速に実行できたが、当時のCrayは苦手であった。その後、同様な事情のSX-2で実装するために、多色(16色)法において、前処理のkを増やして収束を加速するアルゴリズムを発明した。
5) München会議
ICHEPの開かれるミュンヘンには、ローレライの岩などを見ながら特急列車でライン川を上った。ミュンヘンの会議の格子ゲージ理論のセッションにおけるローマ大学の人の講演のなかで、突然「Oyanagiのアルゴリズムがベストだ」というスライドが映写され、びっくりした。ILUCR法のことである。向こうは筆者を知らないようで、講演後、「わたしがOyanagiである」と名乗り議論した。帰りにローマに寄らないか、と誘われたが、安切符では寄り道ができなかった。ローマ大学を訪問したのは翌年である。
日本政府関係の動き
1) 日米科学技術協力協定
カナダのトロントで1988年6月19日から開催されていた第14回サミット出席中の竹下登首相とR.レーガン大統領は、6月20日、日米科学技術協力協定(正式名は「科学技術における研究開発のための協力に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」)を締結した。これは約1年間の交渉の結果ようやくまとまったものである。これまでの協定がプロジェクト中心の個別的なもの(例えば1979年のエネルギー分野に関する日米協力協定)であるのに対し、この協定は両国間の科学技術協力の全般的枠組みを設定するとともに、閣僚レベルの合同高級委員会(Joint High Level Committee)、合同実務委員会 ( Joint Working Level Committee)、産学の有識者からなる合同高級諮問協議会を設置し、協力の推進を意図している。政府が管掌または支援している研究プロジェクトや研究施設、あるいはこれから生み出される科学技術情報に対し、均衡のとれた交流を実現するため相互に「相応の機会(comparable access)」を提供することも新たに定めた。分野としては、宇宙開発、生命科学、基礎物理など。
背景として、アメリカ側に、日本が基礎技術の面でただ乗りしており、それがアメリカの国際的な技術競争力を弱めているという強い不満があったことが挙げられる。日本はアメリカの要求に応じ、アメリカ人研究者の受け入れ制度の拡充、安全保障にかかわる研究成果の取り扱いは両国国内法の枠組みの中で処理すること、などで合意した。
この協定は5年間であったが、その後何回も延長され、今に至っている。1979年11月に調印されていた「高エネルギー物理学の分野における日本国文部省とアメリカ合衆国エネルギー省との間の実施取極」などは、その後この協定の下に統合された。
2) 工業技術院
つくば市にある工業技術院情報計算センターが購入したCray X-MP/216 (SSD 1 GB)は(後述の東京工業大学のETA 10とは対照的に)順調に納入され、3月に引き渡された。5月25日開所式が行われた。経緯は知らないが、IBM 3090も導入され、フロントエンド兼ファイルサーバとして使われたとのことである。SUN3もフロントエンドとして設置された。
3) 第五世代コンピュータプロジェクト
3回目となるFGCS’88(International Conference on Fifth Generation Computer Systems 1988)は、1988年11月28日~12月2日に東京プリンスホテルで開催された。参加者は1600名。64 PEのMulti PSIシステムの上で、並列オペレーティングシステムPIMOSを動作させることに成功しこのデモンストレーションは大きな反響を呼んだ。
4) 電子技術総合研究所
工業技術院電子技術総合研究所は1988年10月1日付で機構改革をおこない、研究分野について見直しを行った。情報関係では、これまで「パターン情報部」「電子計算機部」「ソフトウェア部」「制御部」があったが、機構改革により「情報科学部」「情報アーキテクチャ部」「知能情報部」「知能システム部」に再編された。
5) NTT(INSネット64)
日本電信電話株式会社は1988年4月19日、「INSネット64」「INSネット1500」の商標でIインタフェースによる商用サービスを開始した。INS(Information Network System)は、国際的にはISDN(Integrated Services Digital Network)と呼ばれる。INSネット64は、2本のBチャネル (=64kbps×2) と、1本のDチャネル (16kbps) を電話用の2本の銅線で重層伝送する。
6) 東大理学部とシンガポール国立大学との交流
JSPS(日本学術振興会)の二国間交流で東大理学部とNUS (National University of Singapore)との間に交流協定があり、後藤英一教授のお誘いにより、3月19日~28日にNUSに一人で滞在した。学内のゲストハウスに泊まったが、室内の設備はよかったものの、周りに店も何もないので不便であった。セミナーで講演したり、仲間と議論したり、島内の観光も含め楽しい時を過ごした。
また、1988年5月30日~6月2日に東京大学大型計算機センターや山上会館を会場に、東大・NUSセミナーが開催された。筆者は、”Vectorization of Pseudo-Random Number Generation”という講演を行った。シンガポール側が、日本の3社のスーパーコンピュータを見たいというので、それら全部が一か所に置いてある計算流体力学研究所に案内した。
日本の大学センター等
1) 京都大学(M-780/10+M-780/30)
京都大学大型計算機センターは、FACOM M382 (2 CPU)を、FACOM M-780/30 (3 CPU, 256 MB, 150 MIPS)に更新した。メインフレームとしては、M-780/10との2台体制。
2) 東京工業大学(ETA 10)
前号に書いたように、東工大の総合情報処理センターは、液体窒素冷却8プロセッサのETA 10の導入を決定した。これは東工大としては初めてのスーパーコンピュータであった。
東京工業大学は1987年9月22日にETA 10の導入を決定し、9月28日に契約、納入期限を1988年3月22日としていたが、間に合わないことが明らかになった。本来標準納期は9ヶ月であったが、これを3ヶ月短縮しても大丈夫かと、日本CDC社が本社にくどいほど念を押したが、案の定遅れてしまった。本体は4月20日前後に運び込まれたが、正式な引き渡しは調整やテストを経て5月31日となった。大詰めの5月下旬には米国から約20人の技術者が訪れ最終調整に取り組んだ。東京工業大学は予算を次年度に繰り越し、ETA Systemsはペナルティを払ったと言われている。補正予算が繰り越しとなること自体は、それほど珍しくもないが、東工大の悪夢の始まりであった。マスコミの質問に対し担当教授は、口重く「長い目でみてほしい」と述懐した。
6月からは一部のユーザが試験的に利用を始め、10月17日から本格的に稼働し、一般ユーザに公開した。11月末日まで利用料を半額に設定した。
ただ、設置されたETA 10は冷却器の故障が多く、しかもOSをはじめとするソフトウェアの整備が行き渡らなかった。並列処理機能が使えず、クロックを下げて空冷の8台のシングルプロセッサとして使われていたとのことである。それでもOSがUnixであることから、学内のLANに接続され、学内のどこからも自由にアクセスできる「みんなのスーパーコン」になった。早くも翌1989年にはETA社が閉鎖される。しかしこのような苦労を経て、東工大は日本のHPCのメッカとして進化して行った。東工大のETA 10導入については、1989年11月10日、衆議院決算委員会において、公明党草川昭三議員から厳しく追及されることになる。1995年にCray Y-MP C916/12256にリプレースする。
3) 群馬大学(M660D)
1988年2月、情報処理センターにHITAC M660Dシステムを導入した。
4) 千葉大学(HITAC M-280H)
千葉大学総合情報処理センターは、HITAC M-260KをHITAC M-280Hにリプレースした。
5) 富山大学
1988年11月、岡山大学情報処理センターは、IBM 3081-KX4を追加設置。
6) 岡山大学(SX-1E+ACOS 2020)
総合情報処理センターでは、1988年5月、メインフレームを入れ替えて、SX-1E、ACOSシステム2010によるサービス開始。
7) 島根大学
1988年2月、情報処理センターを増築し、IBM 3081-GX3にシステムを更新。
8) 佐賀大学
1988年12月、電子計算機センターを廃止し情報処理センター設置した。
9) 工学院大学
工学院大学電子計算機センターは、上智大学とUUCPによる接続を開始した。
10) 青山学院大学
1988年5月、青山キャンパスのパソコンシステム(PC-9801)を入れ替え、世田谷キャンパスには10月スーパーコンピュータSX-1EAを導入した。
11) 上智大学(ACOS 930/10+Pyramid 9820)
上智大学電子計算機センターは、NEC ACOS 930/10(主記憶64MB)に更新し、Pyramid Technology社の対称型共有メモリ並列コンピュータPyramid 9820(主記憶32MB)をあわせて導入した。
12) 九州産業大学(ACOS 430/70)
九州産業大学は、1988年9月、ACOS 430/70を導入した。
13) 名古屋大学プラズマ研究所(VP-200E)
1988年、同研究所はVP-200Eを導入した。追加かリプレースかは不明。
14) 高エネルギー物理学研究所(S-820/80)
高エネルギー物理学研究所では、スーパーコンピュータの導入手続きを行っていたが、1988年6月24日開札され、日立がS-820/80で落札した。最終段階までCray Research社の Y-MP/832と競っていたが、受注残を抱えるCray社は納期を守れない恐れがあるとして開札直前に辞退した、と日本経済新聞(1988年6月25日朝刊)は伝えている。こんな理由の辞退はあり得ないが、筆者はこの調達に多少関係していたので個人的なコメントは差し控える。要求した性能が出なかったのではないかと推測されているが、性能データは提出されていない。「辞退する場合も、技術審査のためのベンチマークデータは提出すること」という条項を入れておけばよかった、と皆で悔やんだ。S820の導入は1989年3月。
15) 分子科学研究所(S-820/80)
分子科学研究所電子計算機センターは、1988年、スーパーコンピュータをS-810/10からS-820/80に更新した。1993年6月の最初のTop500では、Rmax=1.67 GFlops、Rpeak=3.00 GFlopsで、170位にランクしている。
16) 統計数理研究所
1988年に、M-280Hのメモリを24 MBから32 MBに増強した。TSS端末を最大84回線まで稼働できるようになった。
日本の学界の動き
1) 日本応用数理学会設立準備
日本応用数理学会(Japan SIAM)を設立する準備は進んでいたが、1988年7月11日~12日に、日本学術会議講堂において、FIAM ’88 (Forum on Industrial and Applied Mathematics)――先端技術と数理科学の対話――が開催された。そこでは下記のようなパネルディスカッションが行われた。
パネルディスカッション:Japan SIAMを考える |
司会:森正武(筑波大学)、藤井宏(京都産業大学) |
パネリスト: 武田康嗣(日立製作所中央研究所長)、戸田巌(NTT常務取締役)、 藤田宏(東京大学理学部長)、伊理正夫(東京大学工学部長) |
このパネルでの議論は、bit誌21巻7号(1989年6月号)にくわしく紹介されている。日本応用数理学会は、1990年4月に設立される。
2) QCDPAXプロジェクト
筑波大学のQCDPAXプロジェクトでは、まず4ノードのプロトタイプQCDPAX4を作り、デバッグを行い、実機の半分である288ノードを組み立てた。いろいろテストすると、4ノードの時の数十倍のバグが見つかり、数の暴力を実感した。半導体メモリの価格が予定通りに下がらなくなり、予定のノード数を作れそうもなかったので、文部省に追加予算をお願いしていたが、88年12月に認められた。
3) 大阪大学(Q-v1)
大阪大学の寺田浩詔は、データ駆動型計算機の研究を行い、1985年には個別ICを用いた4台の試作プロセッサ(Q-p)を完成していたが、1988年、シャープと三菱電機との共同開発により、5個のLSIにまとめた。
4) 早稲田大学(OSCAR)
早稲田大学の笠原博徳らは、集中・分散混合共有メモリおよびローカルメモリを持つマルチプロセッサシステムOSCAR (Optimally Scheduled Advanced ProcessoR)を開発していたが、1988年にハードウェアが完成し、Fortranコンパイラや特定アプリケーション向けコンパイラも開発された。
5) ISR
リクルートISR(1987年創設)は、高速な衛星回線を設置し、米国に対する日本のスーパーコンピュータネットワークのゲートウェイとするため、国際間のスーパーコンピュータネットワークを計画していたが、1988年初め、ニューヨーク州のStaten島のRecruit’s Teleport Computer Centerに設置したIBM 3090-150と、東京のIBM 3090とを56 kb/sの衛星回線で接続した。
ISRでは、1988年5月9日~13日にJack Dongarra (ANL)を招待し、3件の連続セミナーを行った。テーマは「並列プログラミング環境SCHEDULE」「新しいLINPACK」「スーパーコンピュータ用のLINPACK」であった。筆者も聴講した。同時に彼はISRのVP-400やAlliant FX-8やSony NEWS workstationでLINPACKベンチマークを走らせた。
第2回ISR Workshop“Visualization in Supercomputing”が、1988年8月22日~25日に丸の内のNKKビル8階で開催された。参加費は22日が5万円、23日~25日が10万円とあるが、払った覚えはないので、アカデミアは別であろう。招待講演は以下の通り。
Organizing Principles of Visualization in Scientific Computing (ViSC) |
Ms. Maxine Brown (Univ. of Illinois, Chicago) |
Organizing Principles of Visualization in Scientific Computing (ViSC) |
Dr. Thomas DeFanti (Univ. of Illinois, Chicago) |
Role of Visualization in Severe Thunderstorm Modelling and Prediction |
Dr. Kel vin Droegemeier (Univ. of Oklahoma) |
Visualization of Automobile Aerodynamics |
Mr. Katsurou Fujitani (Nissan Moters) |
Role of Supercomputers in Large Scale CAD/CAM Systems |
Dr. Robert Fulton (Georgia Inst. Of Technology) |
Future of Image Communication |
Dr. Hiroshi Harashima(東京大学) |
A Survey of the Latest Visualization Products |
Mr. Laurin Herr (Pacific Interface Inc.) |
Advanced Visualization Environments: Knowledge-based Imaging |
Dr. Bruce McCormic (Texas A&M) |
Performance of Graphics Supercomputers |
Dr. Raul Mendez (Recruit ISR) |
Lighting Simulation |
Dr. Eihachirou Nakamae(広島大学) |
Future of Image Computing |
Dr. Kouichi Omura(大阪学院大学) |
Computer Graphics and Computational Chemistry |
Dr. David Pensak (E. I. DuPont de Nemours, Inc.) |
Visualization at the Institute for Laser Engineering |
Ms. Kyoto Shima(大阪大学) |
Supercomputing Environments for the 1990’s |
Dr. Larry Smarr (UIUC, NCSA) |
Fractal Geometry: The Visual Language of Nature |
Dr. Richard Voss (IBM, Thomas J. Watson Res. Lab.) |
On the Art of Numerical Experimentation |
Dr. Karl-Heinz Winkler (LANL) |
Visualization in Computational Fluid Dynamics |
Dr. Paul Woodward (Minnesota Supercomputer Center) |
どういう経緯だか忘れたが、Mendez 所長との間でISRのAlliant FX-8 (4 nodes)を使わしていただけることになり、ISRの負担で筑波大学の数値解析研究室との間に1年間だけ専用回線(9600 bps)を引いた。当時は、大学内のLANは整備されていたが、インターネットはまだ一般的ではなかった。ISRは、国内30大学とこのようなRAP(Remote Access Program)を提供していたようである。この年、筆者の研究室にいた修士2年の岡本諭がこれを使って新しい前処理法「不完全歪二重分解前処理」を開発し、成果を修士論文にまとめた。長方形領域の2次元問題で、4隅から並列に超平面的に不完全LU分解していく方法である。3次元の直方体の場合は8つの頂点から並列的に分解する。あわせてISRから「並列アルゴリズム」の受託研究として100万円をいただき、PC98や一太郎Ver.3やインクジェットプリンタなどを買った(当時はこれだけで100万円弱掛かった)。研究では、Alliantの他、QCDPAXの試作機、QCDPAX4も使用した。
6) HAS研発足
1988年12月6日、日立アカデミックユーザ会(仮称)設立懇談会が開催され、会の名前を「日立アカデミックシステム研究会(略称HAS)」とすることを決めた。翌、1989年3月14日に設立総会および第1回研究会が開催される。
国内会議
1) 統計数理研究所
統計数理研究所では2月22日~24日に研究会「確率過程とその周辺」が開催され、「LU分解更新による格子ゲージシミュレーション」という講演を行った。
2) 数値解析シンポジウム
第17回数値解析シンポジウムは、1988年6月9日(木)~11日(土)に、早稲田大学室谷研究室の担当で、軽井沢近くの早稲田大学追分セミナーハウスで開催された。参加者107名。
3) SWoPP 88
この年から、いわゆるSWoPP (Summer Workshop on Parallel Processing)が始まった。この年は、「1988年並列処理に関する『火の国』ミニシンポジウム」という名称で、1988年8月4日(木)-5 日(金) に、グリーンピア南阿蘇(熊本県)で開かれた。発表件数24、参加者数70。主催は電子情報通信学会コンピュータ・システム研究会で、この時は情報処理学会の研究会は加わっていない。筆者が出席するのは宮崎のSWoPPからである。
4) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所では、1969年から数値解析関係の研究会を行っている。1988年9月29日~10月1日には、一松信(京都大学)を代表者として、「数値解析の基礎理論とその周辺」研究集会を開催した。第20回目である。報告書は講究録No. 676に収録されている。
次回は日本の企業やネットワークなど。アメリカではCSNETとBITNETが合併し、CRENに統合された。東京大学理学部は学術インターネットとして国際的に接続するTISNの構築を始めた。11月2日にいわゆるMorrisワーム事件が起こり、世界中のインターネットが自己増殖するwormによりマヒ状態となったが、日本は接続前で被害を免れた。
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