世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


3月 22, 2022

新HPCの歩み(第85回)-1987年(d)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

今も続くICS会議がアテネで始まる。ETA Systems社は、1987年4月にETA 10を正式発表した。一号機はフロリダ州立大学に出荷されている。TMC社はCM-1に続き1987年4月、数値計算を強化したCM-2を発表した。Intel社はiPSC/2を発表し、12月から出荷した。イギリスのInmos社は第2世代のT800を登場させた。

世界の学界の動き

1) Saclay(PERCOLA)
1987年5月に、フランスのSaclay研究所でパーコレーション専用計算機PERCOLAが稼働したそうである。32ビット整数乱数生成プロセッサと、64ビット浮動小数演算プロセッサを持つ。後者はWeitek社のWTL 1264 GCDを4チップ用いている。超並列コンピュータではないようである。目的の演算では、Cray X-MPとほぼ同等の性能を出したとのことである。

2) 人工生命
Christopher G. Langton等は、1987年9月9日に国際会議”International Conference on the Synthesis and Simulation of Living Systems”(通称Artificial Life I)をLANLで開催した。「人工生命」という概念が広まる端緒となった。Langtonは、1986年、”Studying Artificial Life with Cellular Automata” (Physica D, 22, 1986)などの論文で人工生命(Artificial Life)の概念を提唱していた。1990年に第2回、1992年には第3回が開催される。

3) 高温超伝導フィーバー
1986年後半から始まった高温超伝導フィーバーはますます燃え上がり、1987年2月には90 K で転移するY-Ba-Cu-O(Y系超伝導体)が発見された。1987年3月18日夜のアメリカ物理学会におけるシンポジウムには、2000人とも3000人ともいわれる人が会場を埋め尽くして興奮のるつぼと化した。

この年か次の年に、筑波大学では東大の北澤宏一教授(後のJST理事長)を招いてセミナーを行った。印象深かった一節です。

アメリカから緑色の物質が高温超伝導を示すという噂が聞こえてきたとき、院生のひとりが、「先生、うちにも緑色の物質がありました」と。北澤先生が「とうなってる?」と聞くと、「机の引き出しに放り込んであります。」「早速調べてみろ。」と指示し実験したらなんと液体窒素温度で超伝導を示した。北澤先生が「なんで測定しなかったんだ?」というと、「だって、先生が、『緑色の物質が超伝導のはずはない』とおっしゃったじゃないですか。」北澤先生、「ばかもの、先生のいうことを信じるやつがあるか!!」

北澤氏は1988年日本IBM科学賞を受賞する。その後、JST理事・理事長、福島原発事故独立検証委員会有識者委員会委員長等を務めたのち、東京都市大学学長となるが、任期半ばの2014年9月26日に亡くなられた。JSTではいろいろお世話になった。

4) IJSA
1987年春、The International Journal of Supercomputer Applications誌が、MIT Pressから発行された。現在はThe International Journal of High Performance Computing Applicationsと名前を変え、Sage Publisherから出版されている。現在の編集長はJack Dongarraで、筆者は1989年から編集委員会の末席を汚している。

国際会議

 
   

1) CHEP 1987
第2回目となるCHEP 1987 (1987 Computing in High Energy Physics)が、1987年2月2日~6日に、カリフォルニア州Monterey郡のAsilomar州立公園の会議場で開催された。日本関係では、三浦謙一(富士通)の他、KEKからも何人か出席したらしいが、手元に資料がない。写真は同会議のポスター(CHEP 2016のページから)。

2) ISSCC 1987
第34回目となるISSCC 1987(1987 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1987年2月25日~27日にNew York市で開催された。主催はIEEE Solid-State Circuits Councilその他であろう。組織委員長はJ. A. A. Raper (General Electric)、プログラム委員長はRichard Baertsch (General Electric) であった。IEEE Xploreに会議録が置かれている。

3) ICS会議
1987年6月、International Conference on Supercomputing (ICS)の第1回がAthens(ギリシャ)で開かれた。会議録はProceedings of First Int’l. Conference on Supercomputing, Athens, Greece, editors: E.N. Houstis, T.S. Papatheodorou, C.D. Polychronopoulos, Springer-Verlag, New York, NY (June 1987)(LNCS 297)。2回目からはACM/SIGARCがスポンサーで、現在まで毎年開催されている。

4) Mannheim Supercomputer Seminar
前年に引き続き第2回が1987年6月12日~13日にMannheim大学で開催された。この年は、アメリカからSidney FernbachとJack Dongarraを招待し、講演を依頼した。他の7人の講師は西ドイツ国内から。2001年からはISCと改名する。

5) ICPP 1987
第16回目となるICPP 1987 (International Conference on Parallel Processing)は、1987年8月にペンシルバニア州University ParkのThe Pennsylvania State Universityで開催された。1985年~1989年は同じところで開催されている。この年の会議録はPennsylvania State University Pressから発行されている。講演題目だけはTrier大学のdblpに置かれている。

6) VAPP III
VAPP III (The Third Conference of Vector and Parallel Processing in Computational Science)は、1987年8月25日~27日にイギリスのLiverpoolのCentre for Mathematical Software Researchで開催された。70件の研究発表があった。会議録はParallel ComputingのVolume 8, Issues 1–3として出版された。VAPP IVはCONPAR 90との、VAPP VはCONPAR 92との、VAPP VIはCONPAR 94との共同開催である。現在続いているVECPARは1993年に始まっているので、別のシリーズと思われる。

7) Lattice’87
Lattice Gauge Theoryに関する国際会議は、1984年からほぼ年1回(1985年は2回)開催されて来たが、第5回目は、International Symposium on Lattice Field Theory(通称Lattice’87)として、1987年9月28日~10月2日に、フランスのSeillacで開催された。以後、この名称が定着する。会議録は、Nuclear Physics B – Proceedings Supplements 4巻(1988年発行)として出版されている。物理学関係では多くの場合、会議終了後に、会議での討論を踏まえた最終版の論文や、場合によって質疑応答まで集め、会議録を出版するので約1年後となる。ソ連でのさる会議の場合、2年後となったこともあった。

8) PPSC 1987
SIAMが主催する第3回のPPSC 1987 (the Third SIAM Conference on Parallel Processing for Scientific Computing)は、1987年12月1日~4日に、カリフォルニア州Los Angelesで開催された。

アメリカの企業の動き

1) ETA Systems社(ETA 10)
ETA Systems社は、1987年4月にETA 10を正式発表した。日本CDCも、1987年10月22日、ETA Systems社の執行副社長Carl Ledbetter氏を来日させ、発表した。ETA 10の1号機は、発表前の1987年1月5日にフロリダ州立大学に出荷されている。最上位機は全体で7機製作した。サイクルは7 ns、8 CPUで、名前の通り10 GFlopsのピーク速度を標榜していた。1988年には東工大に導入される。このほか、空冷の低性能のマシンは27台製作された。明治大学が1台購入したと記憶している。ETA 10のCPUは、44層のプリント基板上に250個のCMOSゲートアレイICを搭載している。このゲートアレイはHoneywell社製で、1.25 μmテクノロジを用い、20000ゲートを収容した最先端のものであった。

各モデルの緒元を示す。各CPUは固有の32 MBのSRAMメモリを持つほか、DRAMで構成されたShared memoryにもアクセスできる。

モデル名

P

Q

E

G

Cycle (ns)

24

19

10.5

7

CPU

1-2

1-2

1-8

2-8

Memory/CPU (MB)

32

32

32

32

Shared memory (MB)

64-512

64-512

256-2000

512-2000

Peak (MFlops)

750

947

6858

10286

冷却方式

空冷

空冷

液体窒素直冷

液体窒素直冷

 

Wikipediaや当時の資料によると、主要な設置先は以下の通り。

設置場所

CPU

導入年月

Florida State University

4

1986/12

Deutscher Wetterdienst(西独気象庁)

4

1987/7

Princeton University(John von Neuman Center)

8

1987/8

Minnesota State University

4

1987/10

Canadian Meteorological Centre

1

1988/4

Tokyo Institute of Technology(日本)

8

1988/5

Johnson Space Center

ETA 10-P

1988?

Purdue University

 

 

Meiji University(日本)

ETA 10-P

1989

Academia Sinica(台北)

ETA 10-P

1988?

 

Cyber 205等と同様なベクトルレジスタのないメモリ直結のアーキテクチャであり、実効性能は出なかった。並列OSや並列化コンパイラも不十分で利用者の評判は悪かった。東工大でも8個のノードを独立に使っていたそうである。ただ、1 CPUによる100×100のLinpackデータ(Dongarra Report, Oct. 27, 1987)では最高速を実現している。もっとも、100×100のLinpackはこのクラスのスーパーコンピュータにとって、「鶏を割くに牛刀を用」いている感じもする。ETA 10はTop500リストに登場したことはない。

コンピュータ

MFlops

ETA 10-G (1 CPU)

84

ETA 10-E

56

NEC SX-2

43

Cray X-MP/4 (1 CPU, 8.5 ns)

39

NEC SX-1

36

NEC SX-1E

32

ETA 10-Q (1 CPU)

31

ETA 10-P (1 CPU)

25

Cray X-MP/2 (1 CPU)

24

NAS AS/XL V60

21

Cray-2 (1 CPU)

18

Amdahl 1200

18

CDC Cyber 205 (2 pipe)

17

富士通 VP-200

17

日立 S-810/20

17

富士通 VP-100

16

Amdahl 1100

16

Amdahl 500

14

富士通 VP-50

14

Cray-1S

12

IBM 3090/VF

12

 

ETAの売り上げは期待ほどでなく、1988年、CDC社はいったん別会社化したETA Systems社を本社のコンピュータ部門の傘下におき、事業の立て直しを図った。次の30 GFlopsのETA-30を目指して開発を進めていたが、1989年4月、親会社のCDC社はETA Systems社を閉鎖し、スーパーコンピュータビジネスから撤退する。日本側は、「日本のメーカがCDCをつぶした」という感情的な日本批判が起こるのではと危惧した。

1982年にLax Reportが出て、5つのNSFスーパーコンピュータセンターが設立されたことを述べたが、最後にできたThe John von Neumann Center at Princeton Universityは、数台のCyber 205と液体窒素冷却の1台を含むETA 10とを設置したが、1989年4月、ETA Systems社は閉鎖されてしまう。運営のまずさなどもあり、NSFは資金の打ち切りを決定し(第2期の5カ年計画を拒否)、1990年4月にセンターを閉鎖する。知人のB氏が、「おれがプラグを抜いたんだ (I pulled the plug.)」と言っていた。評価委員会のメンバーだったのであろうか。

2) Cray社
Cray Research社は、1987年9月9日~11日に、Minneapolisにおいてthe Third Symposium on Science and Engineering on Cray Supercomputersを開催した。300人以上が参加し40件の講演が行われた。Seymour Crayが登場し、Cray-3とCray-4の紹介を行った。Cray-4は1988年に開発を開始し、GaAs半導体を用いて64 CPUを搭載し、100 GFlops以上の性能を実現する、と述べた。

3) Sequent Computer Systems社(Symmetry)
1983年に創業したSequent Computer Systems社は、1984年にBalance 8000とBalance 21000を発表したが、1987年にはi386 (80386) を用いたSymmetryを出した。Oracleと提携して成功した。

4) Thinking Machines社(CM-2)
1983年に創業したTMC社は、1986年にCM-1を出荷したが、1987年4月、数値計算を強化したCM-2を発表した。基本はCM-1と同様に1ビットマシンであり、1 chipは16ノードを含む。ノード当たりのメモリは256Kbに増強され、ECCが付加された。CM-2では32ノード当たり1個のWeitek3132が設置されている。2のべき乗のノード構成が可能で、CM-2aは4kと8k、CM-2は16k、32kの構成である。クロックは4 MHzから7 MHzに高速化された。ピーク性能は28 GFlops。言語はCM Fortran、C*、および*Lispが使え、PRISMという開発環境が用意されている。信じがたいことであるが、CM-2にはSDI(戦略防衛構想)向けに開発した素子を多く使用していると日本経済新聞1989年4月11日号は伝えている。たしかにDARPAが背後にいたが、SDIとはどういう関係であろうか。

日本で最初に(1990年春)導入したのはATR(国際電気通信基礎技術研究所、1986年3月設立)である。DARPAが開発を支援したことから、同社は国外への販売をそれまで控えていた。

5) Sun Microsystems社(Sun-4、System Vとの統合)
Sun Microsystems社(1982年創業)のSun-3はMC68020を用いていたが、1987年SPARC architectureのプロセッサを用いたSun-4を発売した。SPARCはSun Microsystems社が開発し、1985年に発表したRISC architectureである。

同社は創立以来BSD Unixをベースとしていたが、1987年、AT&T社と提携して、System Vと統合した標準のUnixシステムを開発すると発表した。その成果としてSystem V R4が完成する。1991年9月4日、同社は次期OSをSystem V R4ベースとすることを発表し、Solarisと呼び始める。SunOSの名称も残る。

6) Cydrome社(Cydra-5)
1984年に創立されたCydrome社は、1987年Prime Computersから出資を受け、Cydra-5を開発し出荷した。

7) IBM社(4381、日立との共同プロジェクト、イギリスの研究センター)
IBM社は1987年5月、IBM 4381シリーズの新モデルmodel 21, 22, 23, 24を発表した。

IBMと日立が、ソフトウェアをつくるのに必要なプログラミング情報の相互利用を行うことで合意し、専門技術者による共同プロジェクトチームを発足させていることが、1987年11月4日明らかになった。IBMが検討対象にしている日立の製品として、DEQSOL (Differential Equation Solver Language、第70回の記事参照)とSEWB (Software Engineering Workbench)の名前が報道されていた。

12月の日経産業の報道によると、IBM社は学術研究専用のスーパーコンピュータセンターを、イギリスのGlasgowかCambridgeに設立する予定とのことである。とはいえ、当時SP1の登場前であり、何を設置するつもりだったのだろうか。IBM 3090/VFか? IBM社は総額£40M(96億円)を投じて、西ヨーロッパの5か所にセンターを開設する計画とのことであった。その後、どうなったかは不明。

8) IBM社(PS/2、OS/2)
IBM社は、1981年のPC参入以来オープン化の政策を取ってきたが、1987年4月、IBM PC ATの後継として互換性のないPS/2を発表し、インタフェース情報の公開も制限した。下位モデルは8086、上位モデルは80386を採用している。また、OSとしては、Microsoft社と共同開発したOS/2 1.0を1987年4月2日に発表した。出荷は1987年12月。IBM社がPC用の新しいOSを開発していることは、1984年末頃から報道されていた。1988年8月4日付日経産業新聞によると、MSのPalmer副社長は「1999年にはOS/2がPC-DOSを出荷数で抜く」と豪語していた。

他方、クローンのメーカはIBMが止めてもPC AT互換のパソコンを供給し、アプリも増え続けたので、元祖IBMのパソコンだけが業界標準でないという奇妙な状態となった。

Microsoft社は、MS-DOSの後継としてWindowsを開発し、Windows 1.0 (1985)、Windows 2.0 (1987)を経て、Windows 3.0を1990年に発売し、1992年にはOS/2の共同開発から手を引くことになる。

筑波大学の教育用システム(ホストはIBM 3090、VM/CMS搭載)のユーザ端末としてIBM PCをそろえ、暫定的にMS-DOSを搭載し、いずれOS/2に変更することになっていたが、結局最後までOS/2が使われることはなかった。OS/2のPCは世界中でどれだけ使われたのであろうか。

9) Apple社(Macintosh)
1987年3月22日、Apple Computer社はMacintosh IIおよびMacintosh SEを発表した。Macintosh SEは20MBのハードディスクと1個の拡張スロットPDSを装備している。Macintosh IIは16 MHzのMC68020を搭載している。

10) Intel社(iPSC/2)
iPSC/2を発表し、12月から出荷。ノードは、80386+80387である。初代のiPSCでは、メッセージ通信に10 Mbイーサーネットによるstore-and-forward方式を用いていたが、iPSC/2では、Direct-Connectという一種の回線交換ネットワークを用いている。iPSC/1との違いは、Direct-Connectではまず送り手と受け手の間でルートを確立してからメッセージを送ると言う点である。これにより、ルート確立のオーバーヘッドはあるが、フローコントロールが不要となった。インテルジャパンは、1988年7月に販売を開始する。

増強版としては、各ノードにWeitek 1167を加えたSX (Scalar eXtension)と、各ノードに乗加算を高速に実行するモジュール(Analog Devices社のADSP-3210とADSP-3220を用いた)を組み合わせるVX (Vector eXtension) とがある。後者では、キャビネットに収容できるノード数は半分になる。

11) Intel社(人事)
1987年、Andy Groveが3代目のCEOになった。

12) Silicon Graphics社
Silicon Graphics社は、1987年、初めてMIPS社のRISCプロセッサR2000を搭載したワークステーションIRIS-4Dシリーズを発売した。

13) AMD社(Am29000)
AMD社は1987年、32ビットのRISCマイクロプロセッサAm29000を発表した。1988年1月からサンプル出荷し、3月から量産に入る。これはBerkeley RISCに基づくもので、Sun SPARCやIntel社のi960や、ARMやRISC-Vの兄弟である。レジスタ・ウィンドウを採用している。このプロセッサは、平均17 MIPS、最高25 MIPSの処理能力を持ち、1.2μCMOSの二重アルミ配線技術を採用している。このシリーズは多くのメーカのレーザプリンタに搭載されたが、1995年に生産を終了した。

14) Motorola社(MC68030、MC68882)
Motorola社は、1987年、32ビットマイクロプロセッサMC68030を発売した。命令キャッシュを256B、データキャッシュも256B搭載している。いずれも16B長のdirect map方式。また、デマンド・ページ方式仮想記憶対応メモリ管理ユニット(MMU)を内蔵している。また、浮動小数演算コプロセッサMC68882も発売され、68881の2~4倍の性能を達成した。

15) National Semiconductor社
1987年春、National Semiconductor社はNS32332を改良したNS32532をリリースした。動作周波数は、20 MHz, 25 MHz, 30 MHzでMMUを内蔵してメモリ性能を向上させている。

16) Microsoft社(Windows 2.0)
Microsoft社は、1987年12月9日、Windows 2.0をリリースした。Windowがオーバーラップできるようになった。これに対しApple Computer社は、自社のLisaやMacのGUIをWindows 2.0に盗用し著作権を侵害しているとして、1988年3月17日にMicrosoft社とHewlett-Packard社に対し、合衆国連邦裁判所の地方裁判所に訴訟を起こす。

世界の企業の動き

1) Inmos社(T800)
イギリスのInmos社(1978年創業)は、第1世代のtransputerであるT2やT4を1983年に発表しているが、第2世代として、1987年にT800を登場させた。64ビットのFPUをもち、20 MHzもしくは25 MHzで動作する。日本の代理店は松下電器貿易。

Inmos社を中心に、ESPRIT Supernode projectが1985年12月から1989年11月まで続けられた。その目的はT800 transputerを用いて低価格で高性能なリコンフィグラブルなコンピュータを開発しようとするものである。Parsys SN1000はその商品化である(SNはSupernodeから来ている)。

2) Acorn Computers(Archimedes)
イギリスCambridgeのAcorn Computers社は、1987年6月、自社製の32ビットARM RISC CPUを使ったAcorn Archimedesを発売した。ホビー用や教育用に使われた。BBC放送が放映したパソコン講座に採用されたことが英国での普及に貢献した。

企業の創立

1) MasPar Computer社
1987年に、Digital Equipment社(DEC)副社長であったJeff Kalbによってシリコンバレーの一角Sunnyvaleで創立された。彼はDECにおいてGoodyear MPP (1983)のためのIC開発を担当していたが、PEを1ビットでなく4ビットとし、4個の最隣接接続でなく8個の接続(Xnet)とし、別に大域ネットワークを作ったらよい、という新しいSIMDマシンの着想をえた。DECは自社で商品化する意志がなかったので、Kalbは自分の会社を設立した。1989年のSC’89では注目を集めていた。1990年にMP-1を出荷し、1992年には改良型のMP-2を出荷した。全体で200台のシステムを出荷した。日本では1990年頃、理経が代理店となった。MP-3が完成する前に、会社は1996年6月にハードウェアビジネスを中止し、NeoVista Softwareというソフトウェア会社に転身する。

2) Tera Computer社
1985年に閉鎖されたDenelcor社の副社長だったBurton Smithは、1987年、Tera Computer社をWashington, D.C.で創立した。1988年にSeattleに移転。Burton Smithは1988年から2005年まで主任技術者であった。この会社は、MTA (Multithreaded Architecture)に基づく共有メモリシステムを開発した。MTA-1はGaAsプロセッサを用い、各プロセッサは128スレッド分のレジスタファイルを持っているのでプロセッサ当たり128スレッド走る。データキャッシュはなく、メモリ・レイテンシはマルチスレッドで対応する。実装についてはIBMと技術提携し、ルータはRP3のものを使っているとの観測がなされている。1998年にSDSCに2プロセッサが設置される。最終的には4プロセッサまで設置された。

2000年に、1996年にSGIに吸収されていたCray Research社を名前ごと買収し、Cray社となる。これは後の物語である。その後CMOSを用いたMTA-2を2台出荷した。2002年に40プロセッサのマシンが米国のNaval Research Laboratoryに、4プロセッサのマシンが日本の電子航法研究所に販売された。

3) 華為技術有限公司
Huawei Technologies Co. Ltd(華為技術有限公司)は、1987年、人民解放軍出身の任正非氏によって、通信機器の研究開発、製造、マーケティングのために広東省深圳で設立された。

4) TSMC
1987年、台湾の新竹(Hsinchu)で、TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company, Ltd.、臺灣積體電路製造股份有限公司)が張忠謀(Morris Chang)により設立された。張忠謀は寧波市に生まれたが、アメリカに渡りHarvard、 MITを経て、1955年、Sylvania Semiconductorに入社、さらに1958年にTexas Instrumentsに入社し、副社長まで昇進した。1984年にTIを退職し、General Instrument社の社長兼CEOを経て、1985年に台湾の政治家孫運璿に招聘されて工業技術研究院(ITRI)の董事長兼院長に就任した。1987年、科学技術担当の閣僚から半導体メーカを国内に作るよう指示され、TSMCを創設した。TSMCは自社ブランドを持たず、ファウンドリに徹することで、成長した。現在では、世界最大の独立系半導体製造会社である。

5) SGS-Thomson社
1987年6月、政府所有の半導体会社2社の合併により、SGS-Thomson社が、スイスのGenva近郊のPlan-les-Ouates創立された。元となったのは、フランスの”Thomson Semiconducteurs”と、イタリアの”SGS Microelettronica”である。”SGS Microelettronica”は、1972年に、ATES (“Aquila Tubi e Semiconduttori”)と、Adriano Olivetti(Olivettiの創立者の息子)が1957年に創立した”Società Generale Semiconduttori”との合併によって生まれた会社である。創立当時、ヨーロッパ最大の半導体メーカであった。1989年4月、Transputerを開発していたInmos社(1978年創業)はSGS-Thomsonに売却される。1998年5月、Thomsonが撤退したため、社名をSTMicroelectronicsに改める。

6) Parasoft社
Parasoft Corporationは1987年末、カリフォルニア州Monroviaで創立された。創立者の5名は、いずれもCaltechでCosmic Cubeプロジェクトで働いていた卒業生である。Expressという製品は、Cosmic Cubeでのメッセージパシングツールをあらゆるタイプの並列計算機に適合させたものである(G. C. Fox et al., “Parallel Computing Works” p.146)。C/C++test、Concerto、Insure++、Jtest、SOAtest、dotTEST、Virtualizeなどを開発した。Parasoft社は、IBM社、Cray Research社、Intel社などにparallelwareをOEMで提供している。日本には、1994年に日立のSR2001に提供した。

7) LSTC(LS-DYNA3D)
1978年のところで述べたように、LLNLで開発されたDYNA3Dの有用性が高く評価されたので、1987年、開発者のJohn O. Hallquist はLSTC (Livermore Software Technology Corporation)を創立し、DYNA3Dの改良を集中して続けた。その結果できたのがLS-DYNA3D(その後LS-DYNAと短縮)であり、これは構造解析の標準的なツールとなった。LS-DYNAでは陽解法に加えて、陰解法のコードも実装されている。

8) UUNET
1980年、UC BerkeleyでUsenetはARPANETにもつながり、電子メールやNews Groupsが広く流通するようになった。通信量が増大し、1980年中ごろになると、UUCPハブを務めるノードに相当な負荷をかけるようになった。バージニア州のCenter for Seismic Studiesのシステム管理者であったRick Adamsは、これらの接続サービスを商用化することで、既存のハブの負荷を減らすことを考えた。

1987年、Usenixから借り入れた資金により、UUNET Communication Serviceを立ち上げ、非営利組織に対して、Usenetの配送、電子メールの配送、大規模ソフトウェアのリポジトリの提供などを行った。この試みは成功し、1989年には非営利事業から脱皮し、社名をUUNET Technologiesに変更した。世界初の商用インターネットプロバイダとなった。

1996年にはUUNETはWorldComの一部としてMFS Communications Companyに買収され、2001年にはWorld Comに統合された。

9) プロサイド
ソードの創業者である椎名堯慶は、ソード退社後の1987年6月1日にプロサイド株式会社を設立した。PC/AT互換機の組み立て、販売、保守などを行っていた。9月には、PC/ATとPC9800シリーズの双方と互換性のあるP-VS2を販売した。P-VS2のアーキテクチャやBIOSなどはトムキャットコンピュータが開発したものである。

 

次回は1988年、ついに第1回のSCが開催される。ベクトルコンピュータは第2世代の始まりである。CrayはY-MPを発表、富士通はVP2000を発表。ConvexはX-MP互換のC2を出荷。東工大がETA 10を導入。日本ではSWoPPが始まる。ネットワークではCSNETとBITNETが合併し、CRENとなった。日本でもWIDEやTISNが始まっている。

 

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