世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


4月 11, 2022

新HPCの歩み(第88回)-1988年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

SCの第1回がフロリダで開催され、Seymour Crayが基調講演を行った。Cray社はY-MPを発売する一方、Convex社はC1をクロスバで結合したX-MP互換のC2を出荷。他方、Steve ChenはCrayを退社し、IBMの支援のもとにSupercomputer Systems Inc. (SSI)を設立する。

国際会議

1) C3P
C3P (the third conference on Hypercube concurrent computers and applications)が、1988年1月19日~20日にカリフォルニア州Pasadena Convention Centerで開催され、200人近くが参加した。会議録第1巻第2巻はACM Digital Libraryに置かれている。EditorはGeoffrey Fox (Caltech)である。これは第3回とのことであるが、第1回、第2回の記録はweb上には残っていない。

2) ISSCC 1988
第35回目となるISSCC 1988(1988 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1988年2月17日~19日に、San Franciscoで開催された。主催はIEEE Solid-State Circuits Council等であろう。組織委員長はW. Pricer (IBM)、プログラム委員長はW. Herndon (Fairchild Research Ctr.)であった。B. L. Crowderが“Manufacturing: A New Science and the Design Engineer”と題して基調講演を行った。IEEE Xploreに会議録が置かれている。

3) ARCS 1988
第10回目となるARCS 1988(Architektur und Betrieb vpn Rechensystemen, 10)は、西ドイツのPaderbornで開催された。

4) Mannheim Supercomputer Seminar
2001年からISCとなるこのセミナーの3回目が1988年6月10日~11日にMannheim大学で開かれた。ここでHans Meuerは500 MFlops以上のピーク性能を持つベクトルコンピュータのリストを提示した。当時はピーク性能がスーパーコンピュータの基準であった。後のTop500の片鱗を伺うことができる。基調講演はErnst H. Hirschel, MBB, Germanyであった。三浦謙一氏(富士通)は初回からこのセミナーに参加していた唯一の日本人であった。

このセミナーでは、毎回、「スーパーコンピュータのプロテスタント(MPP派)とカトリック(ベクトル派)の熱いディベート」が行われたそうである。司会はHans Meuer自身。

5) ICS会議
ICS (International Conference on Supercomputing)の第2回目が、7月4日~8日にフランスのSaint-Maloで開催された。この回からはACMの主催。ACMからプロシーディングスが出版されている。

6) ICPP 1988
第17回目となるICPP 1988 (the International Conference on Parallel Processing)は、1988年8月に前3回と同じThe Pennsylvania State Universityで開催された。会議録はPennsylvania State University Pressから2巻に分けて発行されている。講演題目だけは、Trier大学のdblp (Vol 1 Architecture, Vol.2 Software)に置かれている。

7) Lattice’88
第6回目となるInternational Symposium on Lattice Field Theory(通称Lattice’88)は、1988年9月22日~25日に米国イリノイ州BataviaのFNAL (Fermi National Accelerator Laboratory)で開催された。会議録はNuclear Physics B – Proceedings Supplements 9 (1989)として出版されている。

8) SC 88
88年の大事件はSCの第1回がOrlandoで開催されたことである。項を改めて記す。

SC’88

 
   

1) 経緯
主催はIEEE Computer SocietyとACM/SIGARCHで、アメリカの国立研究所や大学の主要人物が協力して組織したようである。当初は、The Supercomputing Conference ’88 (TSC 88)の名の下に、ジョージア州Jekyll島で開催する計画であったが、結局、フロリダ州OrlandoのHyatt Orlando Hotelを会場(写真参照)に、Supercomputing ‘88の名で11/14-18に開催された。1997年から正式名称が“High Performance Networking and Computing Conference”となり、その後も正式名称は色々変更されている(後述)が、通称はSCxy(xyは年号下2桁)である。今回の主要な役員は以下の通り。多くの国立研がバックしていることがうかがえる。

Executive Committee

General Chairman

George A. Michael

LLNL

Program Chairman

Stephen F. Lundstrom

Consultant

   Deputy Chairman

Robert G. Voigt

NASA Langley

Exibits Chairman

Roger Anderson

LLNL

Finance Chairman

Sidney Fernbach

CDC

Arrangements Chairman

Dennis Duke

Florida State University

Publications Chairman

Harlow Freitag

Supercomputing Research Center

Publicity Chairman

George B. Adams III

Purdue University

Advisory Committee

 

F. Ron Bailey

NASA Ames

 

Robert Borchers

LLNL

 

Bill Buzbee

NCAR

 

Melvin Ciment

NSF

 

Doug DeGroot

ACM SIGARCH (UT Dallas)

 

Jack Dongarra

SIAM (ANL)

 

Joanne Martin

IEEE CS (IBM)

 

Norman R. Morse

LANL

 

Paul Schneck

Supercomputing Research Center

 

Daniel Sorenson

ANL

 

日本関係のプログラム委員としては、Hiroshi Kashiwagi (ETL)、Raul Mendez (ISR)及びKenichi Miura (Fujitsu America)の3人だけであった。電総研の柏木寛氏は、Japanese Subcommittee Chairを務めていた。

参加者は1495人(まだTechnical/Exhibitorという区別はない)。既に述べたように、筆者らはQCDPAXの論文を投稿していたが、採択されなかった。たまたま同じ時期に筑波大学の視察団として中国(北京、西安)を訪問する用事が出来たので参加しなかった。

2) 基調講演 (Seymour Cray)
基調講演はSeymour Crayの“Whats all this about Gallium Arsenide?”であった。総合講演はCarl Ledbetter (ETA Systems)、バンケット講演はCarl Conti (IBM)であった。出席したF氏によると、Seymourが壇上に上ると、後光が差していた、という感じだったそうである。写真は、SCXY Photo Archivesから。

 
   

3) 展示・Round Table
第1回からもう研究展示、visualization theaterなど後まで続く企画が始まっている。スーパーコンピュータセンターのセンター長を集めたCenter Directors’ Roundtableも第1回から開かれている。展示は36件であった。客寄せに、「北米コンピュータチェスチャンピオン大会」が開かれた。

4) 論文
原著論文投稿は150件、採択は60件。日本からの採択論文は以下の8件(意外に多いのは、プログラム委員会内にJapanese Subcommitteeを設けてpromoteしたからであろうか)。

Y. Tanaka, K. Iwasawa, S. Gotoo, Y. Umetani

“Compiling techniques for first-order liner recurrences on a Vector computer”

T. Tsuda, Y. Kunieda

“V-Pascal: an automatic vectorizing compiler for Pascal with no language extensions”

S. Hatayama, M. Tsuchiya, Y. Shinkai, H. Morishige

“Development of job-job step scheduler for NAL numerical simulator”

M. Ishiguro, M. Makino, N. Shinozawa

“Vector and parallel processing of the nuclear reactor transient analysis code RELAPS”

Y. Inouye, S. Hatayama

“FACOM 6443 magneto-optic disk sub-system”

C. Eoyang, R. H. Mendez, O. M. Lubeck

“The birth of the second generation: the Hitachi S-820/80”

K. Hiraki, S. Sekiguchi, T. Shimada

“Efficient vector processing on dataflow supercomputer SIGMA-1”

N. Yoshida

“A transformational approach to the derivation of hardware algorithms from recurrence equations”

 

また、前年の第1回Gordon Bell賞の受賞者を招いて非公式な発表会が行われた。

会議録は、ACM Digital Libraryで公開されている。ACM DLでは会議名が“SC88 International Conference for High Performance Computing, Networking, Storage and Analysis”となっているが、これは現在の名称で、当時は単なるSupercomputing ‘88であった。表紙ページを参照。

5) その後の発展
この国際会議はその後毎年開催されている。基礎データをここに示す。参加数や展示数などにはどの時点で数えたかにより多少の誤差があるが大体の傾向はわかると思う。“tech”はテクニカルプログラム登録者(初回から4回までは登録上区別がなかったらしい)。最近テクニカルプログラム参加者数はほとんど発表されていない。

回数(年号)

場所

総数

tech.

展示数

投稿数

採択

採択率

1回(1988)

Orlando

1495

700-800

36

150

60

40%

2回(1989)

Reno

1926

1400

47

?

88

 

3回(1990)

New York

2303

 

59

?

92

 

4回(1991)

Albuquerque

4442

 

80

215

83

39%

5回(1992)

Minneapolis

4636

 

82

220

75

34%

6回(1993)

Portland

5196

 

106

300

72

24%

7回(1994)

Washington

5822

2209

122

?

77

 

8回(1995)

San Diego

5772

2017

106

241

69

29%

9回(1996)

Pittsburgh

4682

1642

121

143

54

38%

10回(1997)

San Jose

5436

1837

126

334

57

17%

11回(1998)

Orlando

5750

1984

130

270

54

20%

12回(1999)

Portland

5100

2124

149

223

65

29%

13回(2000)

Dallas

5051

2096

159

179

62

35%

14回(2001)

Denver

5277

2017

155

240

60

25%

15回(2002)

Baltimore

7128

2192

221

230 

67

29%

16回(2003)

Phoenix

7641

2390

219

207

60

29%

17回(2004)

Pittsburgh

8879

 

266

192

59

31%

18回(2005)

Seattle

10000+

 

276

260

62

24%

19回(2006)

Tampa

9000+

 

258

239

54

23%

20回(2007)

Reno

9300+

 

314

268

54

20%

21回(2008)

Austin

11000+

4100+

337

277?

59

21%

22回(2009)

Portland

10200

4100

318

261

59

23%

23回(2010)

New Orleans

10000+

4390

338

253

51

20%

24回(2011)

Seattle

11500

5000-

349

353

74

21%

25回(2012)

Salt Lake City

9822 

 

357

461

100

22%

26回(2013)

Denver

10550 

 

350

449

91

20%

27回(2014)

New Orleans

10198 

 

356

394

83

21%

28回(2015)

Austin 

12868 

 

347

358

79

22%

29回(2016)

Salt Lake City

11100+

 

349

446

81

18.3%

30回(2017)

Denver

12753

 

334

327

61

18.7%

31回(2018)

Dallas

13071

 

364

288

68

24%

32回(2019)

Denver

13950

 

370

339

87

25%

33回(2020)

(Online)

7440V

 

285

?

95

 

34回(2021)

St. Louis+Online

3200P+3300V

 

200+

361

99

27%

35回(2022)

Dallas

 

 

 

 

 

 

 

Vはvirtual (online)出席者、Pはin-person(対面)出席者。私は、第1回、第4回、第12回、第19回、第32回の他はすべて出席した。当初はアメリカの国内会議の印象が強かったが、第10回のころから次第に国際的な会議に成長してきた。名前の変遷は以下の通り。太字は前年からの、年号以外の変更部分。

1988~96

Supercomputing ’88: the 1988 ACM/IEEE conference on Supercomputing

1997~99

SC97: High Performance Networking and Computing Conference

2000~2003

SC2000 High Performance Networking and Computing Conference

2004

SC2004: High Performance Computing, Networking and Storage Conference

2005

SC|05: The International Conference for High Performance Computing, Networking and Storage

2006~

SC06: The International Conference for High Performance Computing, Networking, Storage and Analysis

 

アメリカの企業の動き

1) 世界市場におけるメーカ別のシェア
「コンピュートピア」誌1991年1月号に、1988年の世界市場における大型汎用コンピュータの主要メーカ別の出荷金額ベースのシェアが載っている。IBM社のシェアはかなり減ったがそれでも半分以上ある。2位3位は富士通と日立である。出荷金額の単位はUS$M(当時の為替レートで約1.28億円)。

アメリカ

IBM

14800

51.8%

Unisys

1880

6.6%

Amdahl

1320

4.6%

日本

富士通

2720

9.5%

日立製作所

1930

6.8%

日本電気

770

2.7%

ヨーロッパ

Bull

1010

3.5%

Siemens

810

2.8%

その他のメーカ

 

 

11.7%

 

 
   

2) Convex Computer社(C2)
Convex Computer社は、1988年、C2を発表した。これはC1をクロスバで結合したマルチプロセッサで、最大4プロセッサまで構成できる。写真はConvex 240(Wikipediaより)。Convexの製品としてもっとも成功したものと言われる。リクルートISRの発行するVector Register Vol. 3, #2(1990年2月)に、1989年7月にLANLのチームが行ったC-240(4 CPU, 512 MB, 32 bank)の性能評価を発表している。Cray X-MP/14と比較して、シングルプロセッサでは、ピーク性能は1/4であるが、ベンチマークでは1/4~1/2の性能があり、並列のベンチマークでも並列化効率は50%から90%の性能が得られた、とのことである。価格は1/10程度で、Cray社を追い上げ、Cray社も低価格製品を検討しているとのことである。

3) Cray Research社(Y-MP)
1988年、Cray Research社はCray Y-MPを発売。プロセッサのベクトル演算パイプラインは1本で、クロック(6 ns)ごとに浮動小数演算が2個可能。最大8プロセッサ。ピークは2.67 GFlopsである。1993年6月の最初のTop500のリストにはY-MPが122件ある。当時非常に多く設置されていたことが分かる。

4) ETA Systems社
東京工業大学へのETA 10の引き渡しが2ヶ月以上遅れたことは前に述べた。文部省幹部は、「日本企業なら突貫工事ででも納期に間に合わせるんだろうが。こんなことだからアメリカは製品競争で日本に負けるんですよ」と論評したと、朝日新聞(1988年6月7日朝刊)が伝えている。同時に、「やはり信頼できるのは日本企業」というムードを高める結果になりかねない、と記者は危惧している。

報道によると、同社は1988年だけで$100Mの営業赤字を出したとのことである。

5) IBM社(3090-S、ESA/370)
IBM社は、1988年7月、IBM3090-Sシリーズの10機種を発表した。クロックは15.0 nsに高速化され、主記憶は最大512MBまで拡大された。

またIBM社は、1988年2月、新しいアーキテクチャESA/370を導入した。その特徴は、複数の31ビット仮想データ空間をサポートし、総計16 TBの記憶領域を持つことである。このESA/370を活用するために設計されたOSが、MVS/ESA、VSE/ESA、VM/ESAである。

6) Floating Point Systems社(Celerity 6000)
Floating Point Systems社(1970年創業)は、Celerity Computing社(1983年創業)を買収してFPS Computingと改名し、Celerity 6000をFPS Model 500として販売した。これは最大8プロセッサ(8個のスカラか、4個のスカラと4個のベクトル)をもつミニスーパーコンピュータである。

7) Encore Computer社
Encore Computer社(1983年創業)は、1988年、日本鉱業が所有していた Systems Engineering Laboratories社(1961年創業の制御用ミニコンピュータの会社)を買収した。背景はよくわからない。日本鉱業は現在のJX日鉱日石エネルギーの源流の一つ。

8) CDC社(Cyber 900)
CDC社は、1988年2月、汎用コンピュータCyber 180ファミリーを引き継ぐCyber 900ファミリーを発表した。

9) DEC社(VAX 8000シリーズ)
VAX 8800シリーズ(コード名Nautilus)は、1982年に開発が始まり、1986年に発表していたが、1988年8月から出荷された。VAX 8810, 8820, 8830, 8840, 8842の5機種あり、十の位はCPU数を表す。対称型密結合のマルチプロセッサである。8842は、2台のVAX 8820からなるクラスタである。

10) Intel社(AMD社提訴)
Intel社は、1988年、80286のマイクロコード使用に関する特許権侵害などについてAMD社を提訴した。1976年の協定で「マイクロコードの使用権を与える」という表現について解釈の相違があった。1992年12月、いったんはIntel社の勝訴となるが、Intel社の提出した証拠書類に改ざんがあったことが発覚し、再審の結果1993年4月AMD社が勝訴する。

11) Motorola社
Motorola社は、独自に開発した32ビットRISCプロセッサMC88000ファミリーを1988年4月発表した。このファミリーには、整数および浮動小数点ユニットを単一チップ上に搭載したMC88100と、RISCプロセッサ用の高速キャッシュメモリMC88200などから成る。MC88100は1.5 μCMOSプロセスを用い、165000素子を集積し、並列パイプラインを採用した。MC88200はMMUとキャッシュコントローラを担当し、一つの88200が4個までの88100をサポートする。クロックは20 MHzで、性能は14~17 MIPS、7~12 MFlopsである。SPARCやMIPSから2年ほど遅れて登場したので、自社のMVMEや組み込み用途以外はあまり成功しなかった。例外はData General社のAViiONで、1995年にIntelに移行するまでMC88000シリーズを使い続けた。

12) MIPS社
MIPS Computer Systems社は、1988年6月、R3000マイクロプロセッサを発売した。これはMIPS I ISAのマイクロプロセッサである。

13) Microsoft社
1988年、MS-DOS 4.0が出荷された。IBM版はこの版からPC DOSではなくIBM DOS 4.0と名称を変更した。1990年10月、IBM版4.05から日本でDOS/V(IBM DOSバージョンJ4.0/V)が登場する。

14) Apple Computer社(MicrosoftとHPに対する提訴)
1987年のところで述べたように、Microsoft社はWindows 2.0をリリースしWindowがオーバーラップできるようになった。これに対しApple Computer社(以下Apple社)は、自社のLisaやMacのGUIをWindows 2.0に盗用し著作権を侵害しているとして、1988年3月17日にMicrosoft社とHewlett-Packard社に対し、合衆国連邦裁判所の地方裁判所に訴訟を起こした。Apple社は189件のGUI要素を盗用として提示したが、裁判所はそのうち179件はMicrosoft社のWindows 1.0に関する合意により許可されており、Windowのオーバーラップなど残りの10件もほとんど著作権の保護対象ではないと判断した。

両当事者は地方裁判所の陪審による裁判は不要であると合意し、Apple社は地方裁判所の判断は破棄されるべきであるとして、1994年7月11日に第9巡回裁判所(控訴裁判所)に控訴した。アメリカの裁判制度はよくわからないが、地方裁判所での最終的な判決が出ていない段階で控訴できるようである。Apple社の主張は、個々のGUI要素を個別に見るのではなく、インタフェースを総体として見るべきだということであった。しかし、1994年9月11日、巡回裁判所は下級審の判断を肯定し、「ほとんどすべての類似性は、許可によるものか、基本的なアイデアとその自明な表現に由来する。不法コピーが成立するのは、全体として実質的に同一である場合だけである。」と判断した。つまりアイデアが似ているだけでは成立せず、その細部の表現が同一でなければコピーにはならない。ただ、弁護士費用はMicrosoft社が持つべきであるという判断は否定した。さらに連邦最高裁判所に控訴したが審理の対象でないと却下される(1995年2月か?)。

またこの訴訟の最中にXerox社は、PARCで開発したGUIの著作権を侵害しているとしてApple社を訴えた。判決でも、Apple社にはオリジナリティがないと指摘している。(この項はWikipedia “Apple Computer, Inc. v. Microsoft Corp.”による)

15) NEC Research Institute
NEC Corporation of Americaは、1988年、ニュージャージー州PrincetonのSouth BrunswichにNEC Research Instituteを設立した。MOSトランジスタで有名なD. Khangを所長とし、トップにP. Wolff、W. Gears、J. A. Giordamineなどの大物をそろえた。またフェローとして、R. Tarjan(Princeton大学)とL. Valiant(Harvard大学)を(part timeで)招聘し、full timeの研究者としてはE. BaumやL. Gillesなど神経回路網の著名な研究者を引き抜いた。全体としては、物理研究部門とコンピュータサイエンス研究部門からなり、総勢70人規模の研究者をそろえる予定である(bit誌1990年7月号の甘利俊一の記事による)。

企業の創立

1) Supercomputer Systems Inc.
CrayのSteve Chen(陳世卿)は、X-MPの後Y-MPの開発に取りかかったが、1985年にそれをLester Davisに委ね、次のマシンCray MPに取りかかった。Y-MPの次はCray Z-MPかと思ったが、”crazy MP”と聞こえるので、唯の“Cray MP”にとしたそうである。ところが、余りに開発費がかかるので、CEOの John Rollwagenは1987年末Cray MPの開発計画を中止した。1988年1月(LinkedInによると1987年8月)にSteve Chenは自分のチームとともにCrayを退社し、(1987年4月に)IBMの支援のもとにSupercomputer Systems Inc. (SSI)を設立し、CEO兼会長となった。ある時、「なんでまた新しい会社を作ったのか」という質問に対し、”My wife kicked me out.”などと言っていた。皆が「何を出すのか」と固唾を呑んだが、結局、製品は出さずに1993年倒産する。SS-1というマシンを開発していたようである。

2) Wavetracer Inc.
デスクサイドのMPPコンピュータを開発製造するために、1988年6月、マサチューセッツ州Actonで創立された。1990年5月のNew Productsとして、また1991年2月25日~3月1日に開催されたCompcon Spring ‘91において、DTC (The Data Transport Computer)を発表している。DTCは1ビットプロセッサを3次元正方メッシュに結合したSIMDマシンである。目的は3次元の物理現象のシミュレーションである。Model 4は4096プロセッサ、Model 8は8192プロセッサ、Model 16は16384プロセッサであり、各プロセッサは2K bitsのSRAM、および8~32 KBの拡張メモリを付加できる。1990年6月11日号のComputerworld誌によると7月には商品として登場する、とある。1991年5月、住商エレクトロニクス社が日本国内総販売代理店契約を結んだ。1991年11月11日号のComputerworld誌によると、Zephyrという商品名で呼んでいる。

実はこの会社や製品については記憶がないが、1992年4月のSupercomputing Japan 92について筆者が実行委員長として紹介している新聞記事(日刊工業?)に、主要な並列計算機の表があり、何とZephyr-16も紹介されている。自分ではすっかり忘れていた。1993年1月までに業務を終了したようである。

3) Parsys Limited
Parsys社はイギリスで1988年にイギリスのThorn EMI(1979年10月創立)の中に創立されたMPPの会社であり、ヨーロッパで進められたEspritのSupernodeプロジェクトからのスピンオフである。SN1000 (SuperNode 1000 series)は、ノードあたり2個のtransputersを含み、一方(workers)は計算を、他方(support)はI/Oと通信を担当する。通常、ノードは16個のworkersを含むが、タンデムノードでは32個まで可能である。それらは、512 KBの高速なSRAMか、もしくは8 MBのDRAMを共有している。使われているtransputerはInmos社のT805-20であるが、より新しい版も利用可能になっている。64ノード(1152プロセッサ)のピーク性能は1.5 GFlopsである。

売れ行きが好調なので1990年に独立の会社となった。その後Parsys Holdings Ltd.の子会社となった。T9000を使ったSN9000を開発したが、本格的にT9000が出る前にInmos社はSGS-Thomsonに吸収されてしまった。また、T9000とAlpha21066を用いたTA9000や、i860を使ったConcertoも開発していた。現在の状況は不明。

4) Ross Technology社
Ross Technology社は、1988年8月に、Dr. Roger D Rossによりテキサス州Austinで設立された。RossはMotorola社で、MC68030や88000の開発を主導していた。Cypress社が初期投資を行った。SPARCプロセッサに特化してhyperSPARCの開発を行ったが、1998年、富士通に買収された。

5) 雑誌“Supercomputing Review”
1988年に表記の雑誌がSupercomputing Review社から月刊で創刊された。1992年5月を最後に発行されなくなった。Computer History Museumは、完全ではないが88年10月号から1992年5月号まで収録している。Utah大学にも書誌情報だけ収集されている。同社は、1992年1月31日、SUPERNET INTERNATIONALというネットワークに関する電子ジャーナルを始めた。当時はまだwebが一般的でないので、telnetで配布した。

企業の終焉

1) Cydrome社
1987年にCydra-5を出荷したCydrome社(1984年創業)は、9台製造したが、1988年活動を停止した。このVLIWによるソフトウェア・パイプライニングのアイデアはIntel Itaniumなどに引き継がれた。

次回は1989年、日本電気はSX-3を発表し、Seymour CrayはCray Computer社を設立。nCUBE-2が発表される。

 

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