世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


10月 24, 2022

新HPCの歩み(第113回)-1993年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

SC93では、HPFのワークショップが朝早くあり、多くの参加者でムンムンしていた。議論は発散気味で、本当に使えるものになるのか早くも暗雲が漂い始めていた。6月、初めてのTop500が発表され、4台のCM-5と、2台のSX-3が上位を占めた。日本規格協会INSTACの調査研究事業として「システム性能評価調査研究委員会」を行うことになり、筆者が委員長を務めた。

日本の米国製超並列コンピュータ設置状況

このころ日本にも多くの米国製超並列コンピュータが設置されていた。しかし米国政府関係者はもっと買えと圧力を掛けた。日本の企業でも遅まきながら超並列コンピュータの開発が進んでいたが、まだ本格商品ではなく、テストベッドとして位置づけられていた。

日経コンピュータ1993年2月8日号に、田中一実記者(故人)による、日本に設置されているアメリカ製超並列コンピュータの設置状況が掲載されている。1993年6月の最初のTop500リストのデータと組合せて示す。備考欄の順位はそのTop500中の順位を示す。

a) TMC(機種の末尾の数字はノード数を示す。CM2では1ビットプロセッサ数)

ユーザ

機種

設置年

備考

ATR

CM2-16k

1991

No. 213 (tie)

計算流体力学研究所

CM2-16k

1991

No. 213 (tie)

新情報処理開発機構(RWCP)

CM5-64

1992

No. 57 (tie)

東京大学医科学研

CM5-32

1993/1

No. 126 (tie)

北陸先端科学技術大学院大学

CM5-64

1993/1

No. 57 (tie)

ATR

CM5-64

1993

No. 57 (tie)

九州大学大型計算機センター

CM5-16

1993/3

No. 253 (tie)

 

b) Intel(Paragonの括弧内はノード数)

ATR

iPSC/2 M-6

1990

 

日本コロムビア

iPSC/860 M-4

1991/92

2台

日立製作所

iPSC/860 M-8

1991

 

九州工業大学

iPSC/860 M-4

1991/8

 

三菱プレシジョン

iPSC/860 M-4

1991

 

三菱電機

iPSC/860 M-16

1992

 

航空宇宙技術研究所

iPSC/860 M-4

1992/12

 

日本電信電話

iPSC/860 M-16

1992/5

コミュニケーション科学研究所

新日本製鐵

iPSC/860 M-8

1992

 

奈良先端科学技術大学院大学

iPSC/860 M-8

1993/3

 

防災科学技術研究所

iPSC/860 M-4

1993/9

 

新情報処理開発機構(RWCP)

Paragon XP/S5 (66)

1993/1

No. 145 (tie)

広島大学理学部

Paragon XP/S4 (56)

1993/3

No. 177 (tie)

東京大学物性研究所

Paragon XP/S5

1993/12

 

 

c) nCUBE

三菱電機

nCUBE-1

1989

 

成蹊大学

nCUBE-1

1990

 

東京電気

nCUBE-1

1990

 

京都産業大学

nCUBE-1

1990

 

ATR

nCUBE-1

1991

 

神奈川県産業技術総合研究所

nCUBE-1

1991

 

高エネルギー物理学研究所

nCUBE-1

1991

 

電力中央研究所

nCUBE-1

1992

nCUBE-2かも?

東京大学(ヒトゲノムセンター)

nCUBE-2

1993

 

奈良先端科学技術大学院大学

nCUBE-1

1993

 

東京農工大学

nCUBE-2

1993

 

三菱電機

nCUBE-2/512

1991

No. 260 (tie)

 

d) NCR

ビッグカメラ

NCR 3600

1992

 

 

標準化

1) PVM
1993年3月、PVM v.3が公開された。MPPが普及するかどうかは標準化に掛かっている、という認識が共有されていた。SC’93でも、各ベンダはPVMの標準サポートを謳い、さらにMPIへの動きが見られた。

1993年5月10~11日に、テネシー州Knoxvilleで第1回のPVM Users’ Group Meetingがテネシー大学とDOEの共催、NSF、Convex Computer社、Cray Research社、Digital Equipment社、Intel社の後援で開かれた。参加者は107名。多くのマシンベンダがPVMを実装しており、最適化版を開発したところもある。NetlibによるPVMソフトウェアの配布が9000を越えるなど、PVMは広範に利用されde factoの標準になっている、と報告された。

2) MPI
MPI 25年史によると1993年1月6日~8日、MPI標準化のための公式な会議が、MPI Forumの名前でDallasのBristol Hotelで開かれた。このあと毎月のように開催されたようである。全体として40の組織から60人ほどが参加したが、ほとんどの会合での参加者は30人程度であった。並列コンピュータベンダとしては、Convex、Cray、IBM、Intel、Meiko、nCUBE、日本電気、TMCが参加した。ポータブルな(システム固有でない)メッセージパシングソフトウェア関係では、PVM、p4、Zipcode、Chameleon、PARMACS、TCGMSG、Expressの関係者が参加した。手元の資料は断片的であるが、6回目のMPI Forumが1993年5月12日~14日に、DallasのBristol suites Hotelで開催されたとのことである。参加者リストによれば学界・産業界の有名人が多数参加しているが、日本からの参加者はいないようである。この頃下記のHPF Forumと同様精力的に会議が開かれている。

3) HPF
HPF Forumは1993年3月10日~12日、DallasのBristol Suites Hotelで会合を開き、HPF Version 1.0を確定した。公開したのは5月。SC93では、High Performance Fortran: Implementors and Users Workshopが朝早くあったが、多くの参加者でムンムンしていた。参考書(C. H. Koelber 他著”The High Performance Fortran Handbook” MIT Press, 1994)が、1994年のcopyright表示のまま、展示会場で売られていた(20ドル弱)。筆者も買ってきた。SC93のWorkshopでの主な発表は以下の通り。

  1. Ken Kennedy (Rice):HPFコンパイラは不十分だし、ユーザの誤解もあり、HPFは失敗するかもしれない。
  2. Chuck Koelbel (Rice):データ分散、FORALL、INDEPENDENTの説明。Version 2の課題として、並列I/O、明示的メッセージ・パシングなど。
  3. D. Lovemann (DEC):DECのHPF開発戦略。ビジネスの困難。
  4. Vince Schuster (PGI社長):PGIのHPFコンパイラについて紹介。多次元ブロック分割もサポートすると豪語。チャレンジとして、性能、デバッグ、ポインタなどを挙げた。
  5. Guy Steele (TMC):HPFはmachine independentでなければならないと強調。
  6. John Levesque (APR, Applied Parallel Research):HPFのためのツールを作っている。
  7. Susan Mehringer (Cornell):APRコンパイラでCG法を書いている。
  8. Dan Anderson (NCAR):ユーザをどうやってHPFに引っ張っていくか。
  9. Piyush Mehrotra (ICASE):APRとVienna Fortranの比較。

このあとパネル討論があり、厳しい議論が行われ、最後は発散気味であった。本当に使えるものになるのか、早くも暗雲が漂い始めていた。筆者の印象は、HPFがコンパイラ屋の格好のおもちゃとなり、実用と違う所に労力が注入されているのではないか、ということであった。

4) USL売却
Unixの標準化活動は、UIとOSFの両陣営に二分されて進められてきた。UI (Unix International)は、元祖UNIXの開発元AT&T社の子会社であり、USL (Unix System Laboratories, Inc.)という実行部隊を持っている。一方OSF (Open Software Foundation)は、IBM、DEC、HPなどがサポートしている非営利団体である。

1992年12月、Novell社がUSLをAT&Tから買収するとのニュースが流れ、1993年2月に正式に合意し6月に買収した。

5) COSE
UnixはAT&TやSun Microsystems社などのUIと、IBM、DEC、HPなどのOSFとに別れて開発されているが、Windowsの圧倒的な普及の前に両社の連携が模索されて来た。その結果、1993年3月、主なUnixべンダが集まり、統合されたオープンな標準を策定することを目的にCOSE (Common Open Software Environment)を発足させた。初期メンバはHewlett-Packard社、IBM社、SCO (Santa Cruz Operation)社、Sun Microsystems社、Univel社、USL (Unix Systems Laboraories)の6社ある。日本でも、3月18日に、ホテルニューオータニで共同発表を行った。DEC社も支持を表明した。1993年9月1日、COSEは75以上の企業のサポートを得て、統合Unix仕様を開発すると発表した。

COSEは10月26日~28日に、カリフォルニア州San Joseで「CDE (Common Desktop Environment)に関する開発者会議」を開催した。日本においても、UIとOSFの共同プロジェクトである「UI-OSF日本語ローカリゼーショングループ」が10月26日に「UNIX日本語環境実装規約1.0版」を発表した。

6) FreeBSD
Unix系のオープンソースのOSであるFreeBSDを開発するプロジェクトは、1993年6月19日にスタートしたが、1993年11月1日にFreeBSD 1.0がリリースされた。これは、4.3BSD Net/2をベースに開発されたものである。1994年5月6日にはFreeBSD 1.1がリリースされた。4.3BSD Net/2は、当時UNIXのソースコードの権利を持っていたNovell社とUCBとの長期にわたる訴訟の和解により、UNIXのライセンスに抵触する部分があることが認められ、これをベースとした開発は停止される。UNIXライセンスに抵触しないFreeBSD 2.0は1994年11月22日に発表される。

7) Debian Project
1993年8月16日、Debian ProjectがIan Ashley Murdockにより創設された。1996年から、Debian GNU/Linuxを中心とするUnix系システムのdistributionを作成配布している。

8) MPEG-1
ISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Group(MPEG)は、標準動画規格MPEG-1を1988年から開発していたが、最終規格は1992年11月に承認され、1993年に公開された。

9) ISO/IEC 10464
符号化文字集合や文字符号化方式などを定めた、文字コードの国際標準ISO/IEC 10646 (UCS; Universal Coded Character Set)が1993年に制定された。Unicodeとの調整で最後まで難航し、既存規格との変換に不統一が生じた。

性能評価

1) Top500
最初のTop500は、1993年6月に発表された。自己申告に基づき、1991年に提唱されたLINPACK HPC(Highly Parallel Computing、サイズは自由)のFlops値(Rmax)で、世界中のスーパーコンピュータを順位付け、1位から500位までをリストしたもので、著者はJack Dongarra, Konxville and Hans Meuer, Mannheimとなっている。Erich Strohmaier (Mannheim)が実際の作業を担当したようだが、このときの著者には入っていない。当時はまだWWWが一般的でなかったので、comp.sys.superというネットニュース(ネットニュースは1980年ごろ始まる)や、netlibやMannheim大学のanonymous ftpサービスによって発表された。

Dongarraらは、それまでLINPACK(サイズ100,1000,任意)を用いたコンピュータの性能評価のリストを定期的に作成してきた。1993年4月には、LINPACKに基づく“Top 550 Computers”(04.02.93)(現在リンク切れ)とか、Top600 Computers (May 31)などという表も公表されているらしい。また、Meuerらも、Mannheim Supercomputer Seminar(1986年開始、2001年からはISC)では第1回からスーパーコンピュータの性能の情報収集を行っていた。2014年6月19日付けのHPCwireに掲載されているNages Sieslack (ISC)のHans Meuer追憶記事では、Dongarraの方からMeuerに協力を申し出たと書かれているが、私の想像では、むしろMeuerがDongarraに呼びかけて、LINPACK HPCの数値を用いて組織的にランク付けを行うTop500を始めたのではないかと思われる。

6月の第1回のリストでは、1~4位はCM-5、5~6位はSX-3であった。日本のNWT(数値風洞)は、すでに動いていたのに、最初のリストには載っていない。当時のMeuerのメールを読み直してみると、6月15日に締め切り、6月24日~26日のMannheim Supercomputer Seminarで計画の詳細を発表したらしい。しかしMannheim大学のftpサービスで7月1日に一般公開したのは当初Top200であった。情報の整理に時間が掛かっていたものと思われる。現在公表されているリストと、当初発表されたリストは、若干の違いがみられる。

第1回のTop500の上位20位は以下の通り。性能値はGFlops。MinnesotaセンターのCM-5は、まじめにフルシステムで測定していないようである。

順位

設置場所

機種

コア数

Rmax

Rpeak

1

LANL

CM-5/1024

1024

59.7

131.0

2tie

Minnesota Supercomputer C.

CM-5/544

544

30.4

69.6

2tie

NSA

CM-5/512

512

30.4

65.5

2tie

NCSA

CM-5/512

512

30.4

65.5

5

日本電気(日本)

SX-3/44R 400 MHz

4

23.2

25.6

6

Atmospheric Environment Service (Canada)

SX-3/44 343 MHz

4

20

22

7

Naval Research Laboratory(アメリカ)

CM-5/256

256

15.1

32.77

8

Caltech

Delta i860 40 MHz

512

13.9

20.48

9tie

Cray Research

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

Bettis Atomic Power Lab.(アメリカ)

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

Knolls Atomic Power Lab.(アメリカ)

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

ECMWF(イギリス)

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

アメリカ某政府機関

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

アメリカ某政府機関

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

アメリカ某政府機関

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

アメリカ某政府機関

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

NASA Ames

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

Naval Oceanographic Office

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

NERSC/LLNL

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

9tie

Pittsburgh Supercomputer C.

Y-MP C916/16256

16

13.7

15.24

 

日本設置のマシンで100位以内は以下の通り。

順位

設置場所

機種

コア数

Rmax

Rpeak

5

日本電気(日本)

SX-3/44R 400 MHz

4

23.2

25.6

21

核融合科学研究所

SX-3/24R 400 MHz

2

11.6

12.8

22

NEC Daito Supercomputer C.

SX-3/24 343 MHz

2

10.0

11.0

33tie

日本原子力研究所

SX-3/41R 400 MHz

4

5.8

6.4

33tie

大阪大学

SX-3/14R 400 MHz

1

5.8

6.4

33tie

トヨタ中央研究所

SX-3/41R 400 MHz

4

5.8

6.4

36

東京大学

S-3800/480 500 MHz

4

5.71

32.0

40tie

日本IBM

SX-3/14 343 MHz

1

5.0

5.5

40tie

国立環境研究所

SX-3/14 343 MHz

1

5.0

5.5

45tie

富士重工

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

日本原子力研究所

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

日本原子力研究所

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

京都大学

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

九州大学

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

名古屋大学

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

航空宇宙技術研究所

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

動力炉・核燃料開発事業団

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

動力炉・核燃料開発事業団

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

45tie

大成建設

VP2600/10 312 MHz

1

4.0

5.0

57tie

ATR

CM-5/64

64

3.8

8.19

57tie

奈良先端科学技術大

CM-5/64

64

3.8

8.19

57tie

RWCP

CM-5/64

64

3.8

8.19

73tie

NEC Scientific Information Systems Dev.

SX-3/12R 400 MHz

1

2.9

3.2

73tie

大林組

SC-3/21R 400 MHz

2

2.9

3.2

 

東大のS-3800の値は、次数1000での値である。その後チューニングによりRmaxが28.4 GFlops出ているので、これが最初から出ていれば、5位に入れたところであった。

2) Top500への批判
このとき、ちょっとした騒ぎが巻き起こった。Top500に対して、西オーストラリア大学のGunter Ahrendtがいちゃモンをつけたのである。実は、かれは1993年1月11日付けのニュースグループcomp.sys.superにおいて”List of the world’s most powerful computing sites as of 11-JAN-93”を公表している。これは、サイト毎に、所蔵するコンピュータ(7 MFlops以上)のピーク性能の総和を出し、これを順にリストしている。1位はLLNL (34138 MFlops)、2位はPSC (22540 MFlops)など130位まである。かれはNASAのNPBの数値を使ったと書いているが、どう見てもピーク値である。

彼は早速comp.sys.superに投稿し、「これは私が膨大な時間を使って作ったリストだ。DongarraとMeuerは私のリストのentryを盗んで、LINPACKに入れ替えただけだ。“So Dongarra shows his true self, a rip-off merchant.”(ドンガラはついに正体を現した。かれは悪徳商人だ。)」と激怒した。Ahrendtのリストは、意味がなかったわけではないが、Top500とは比較すべくもない。DongarraはTop500を編集する際に、Ahrendtのリスト(引用[11])も部分的に参照したと書いている。Ahrendtはその後もしばらく定期的に(webに)リストを出していた。

すっかり忘れていたが、当時筆者はAhrendtとメールのやりとりをしていて、日本のスーパーコンピュータのデータを尋ねられたり、送ったりしていた記録がある。

面白いことに、1996年9月6日号のHPCwireに彼のインタビューが載っている。それによると、「私はドイツ生まれで、Perthで育ち、西オーストラリアの政府機関で働き、1994年にクジでアメリカの永住権を取ったのでアメリカのカリフォルニアに移住した、私のwebには1日150件のアクセスがある。」などなど。激怒した時よりはだいぶ落ち着いた感じである。1999年ごろもらったメールでは所属をGAPCON Corp. (NJ)と書いている。

11月には第2回のTop500リストが出た。日本のNWT (140 processors, Rmax=124, Rpeak=235.79)がトップに躍り出た。(後述、SC93の項)

LINPACK benchmarkでコンピュータを評価することについていろいろ批判がなされている。たしかに、演算速度のみに重点があり、メモリバンド幅やランダムアクセス性能、相互接続網のバンド幅などは大きく影響しない。しかし、これは結果論である。この時点で考えると、メモリバンド幅や相互接続網のバンド幅が小さく、LINPACKがまともに動かない(ピーク性能の2~3割以上出ない)並列コンピュータは数多くあった。つまり、LINPACK benchmarkは、並列コンピュータのメモリバンド幅や相互接続網のバンド幅などについてベースライン(最低条件)を定めたと見ることができる。LINPACKでさえまともに動かない並列コンピュータは舞台から姿を消すことになる。これがLINPACKベンチマークおよびTop500の大きな功績であったと思う。

3) 「性能評価の標準化」
日本規格協会の情報技術標準化研究センター(INSTAC)の調査研究事業として、日本小型自動車振興会の補助を受け、1993年度に「システムの性能評価調査研究委員会」を行うことになり、筆者が委員長を務めた。これは日本応用数理学会の「高性能計算機評価技術」研究部会(1990年度~91年度)の成果を引き継ぐものである。実際に活動を開始したのは11月であった。委員は以下の通り(1996年度まで)。

小柳義夫(委員長)

東京大学理学部情報科学科 教授

関口智嗣(幹事)

電子技術総合研究所 主任研究官

榊幹雄

日本アイ・ビー・エム(株)SE研究所

田島豊久→住田宏己(1995年11月)

富士通(株)ソフトウェア事業本部

妹尾義樹→中田登志之(1994年7月)→妹尾義樹(1996年1月)

日本電気(株)C&C研究所

竹内陽一郎

(株)東芝情報・通信システム技術研究所

戸室隆彦

日本クレイ マーケティング・セールスサポート→日本シリコングラフィック・クレイ(株)スケーラブルシステムズ推進グループ(1996年2月)

長嶋雲兵

お茶の水女子大学理学部情報科学科 助教授→教授

後藤厚宏→長岡満夫(1994年1月)

→宮崎祐(1995年4月)

日本電信電話(株)NTTソフトウェア研究所

柳生和男

(株)日立製作所オフィスシステム事業部

梅沢茂之→兼谷明男(1994年4月)

工業技術院標準部

徳岡靖崇(事務局)

(財)日本規格協会情報技術標準化研究センター

 

ネットワーク関係

1) JPNIC発足
JCRN(研究ネットワーク連合委員会(Japan Committee for Research Networks))が1990年10月16日に発足した当初は、コンピュータネットワークに対する共有資源の割り当ておよび管理、情報収集と管理などの業務をJCRNのもとで行なうという構想もあったが、さまざまな議論の結果、このような業務を行なう独立の組織として、日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)が平成5年4月9日に設立された。

次回はアメリカなど各国の動き。民主党のクリントン・ゴアのコンビは、情報スーパーハイウェイ構想を推し進めるとともに、HPCCプログラムに多額の予算をつぎ込んだ。

 

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