世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


10月 31, 2022

新HPCの歩み(第114回)-1993年(d)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

2年目となるHPCC予算では、 9つの政府機関が共同して次世代HPCとネットワークを整備し提供するため、$800Mを投入した。Gordon Bellは、つぶれるべき超並列企業が政府の資金投入で生き延びているのは不適切と批判した。曰く「政府はアーキテクチャの選定から手を引け」

アメリカ政府関係の動き

1) アメリカの情報スーパーハイウェイ構想
クリントン政権は1993年1月に発足したが、副大統領Al Goreは情報スーパーハイウェイ構想を発表した。これは官民共同で、ネットワークや情報機器や情報サービスを整備し、情報革命を推進するという構想である。「ハイウェイと」いう名前は、Al Goreの父親Al Gore, Sr.が、上院議員であった1956年、Eisenhauer大統領の推進したInterstate Highway(州間高速道路)計画実現の中心人物であったことに由来する。これは、全長65000 kmにおよぶ巨大な高速道路網を、総額$25B(当時のレートで9兆円、1956年度連邦予算の約40%相当)の巨費を投じて10年で整備するという大規模なプロジェクトであった。ちなみにInterstateは原則通行料なしで、有料区間は一部である。ただしこの例えは、情報スーパーハイウェイが単なるハードウェアのインフラだという誤解を与えるとの批判もあった。

6月30日、アメリカ連邦下院のCommittee on Science, Space and Technologyは、National Information Infrastructure Act of 1993を通過させ、本会議に送った。これはこれまでHigh Performance Computing and High Speed Networking Application Act of 1993と呼ばれていたもので、HPCや高速ネットワーク応用のために、1994~1998会計年度に総計$1B(約1000億円)を投資しようとするものである(アメリカの会計年度は前年10月から9月まで)。

2) NSTC設立
クリントン政権は1993年11月23日、連邦政府として科学技術への投資について明確な目標を立て、閣僚レベルで科学、宇宙、技術政策を横断的に調整するため、NSTC (National Science and Technology Council、国家科学技術委員会)を設立した。これは、1976年に設置された大統領助言機関OSTP (Office of Science and Technology Policy、科学技術政策局)の下にある。配下には、CIC (Subcommittee on Computing, Information and Communications R&D、コンピューティング・情報・通信省委員会)があり、後述のHPCC計画の立案、予算化、実施、評価を行っている。

3) ARPA
1993年2月22日、国防省のDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)は、ARPA(Advanced Research Projects Agency)に戻った。

4) Rollwagen商務副長官辞退
就任したクリントン大統領は1993年1月、Cray Research社のJohn Rollwagen CEOを商務副長官(deputy Secretary of Commerce)に指名した。かれは直ちにCEOを辞任しWashington D.C.で商務副長官予定者として活動し始めたが、1991年12月にCray Computer社の株が暴落したとき、その直前にCray Research社がCray Computer社の株式を売り抜け、インサイダー取引を行ったとの批判を受けたことが問題となった(1992年の項を参照)。上院のヒアリングが延期される中、5月24日、指名を辞退すると発表した。

 
   

5) Blue Ribbon Panel on High Performance Computing
NSFはLewis Branscombを座長とするNSF Blue Ribbon Panel on High Performance Computingを構成し、1993年8月に報告書をNSB (National Science Board)に提出した。副題は、“From Desktop To Teraflop: Exploiting the U.S. Lead in High Performance Computing”である。これには現在NSFが直面している4つの挑戦が述べられている。

a) 急速に発展するHPCを米国中の科学技術者に利用可能なものとするための障害の除去。
b) デスクトップからGrand Challengeに必要なTera Flopsまでの階層的な資源へのアクセスを提供する。
c) HPCのユーザ層を教育と訓練により広げること。
d) 将来のHPCへのリーダーシップをどう育成するか。HPCCの中でのNSFの位置づけ。

そのためにNSFの投資を拡大することが必要であることを強調している。4つのスーパーコンピュータセンター(Cornell, NCSA, PSC, SDSC)はこの報告に勇気づけられた。CornellとNCSAは二三年後にベクトルコンピュータを停止してスケーラブルな超並列コンピュータを中心に置く構想を発表した。この報告書からPACI (Partnerships for Advanced Computational Infrastructure, 1997/3)につながっていく。

6) HPCCプログラム
1992 年度予算(1991年10月~1992年9月)から始まっているHPCC (High Performance Computing and Communication) Initiativeでは、9つの政府機関が共同して次世代HPCを整備し提供する。1993年度予算は以下の通り(単位は$M、当時約1億円)

AGENCY

HPCS

ASTA

NREN

BRHR

TOTAL

ARPA

119.5

49.7

43.6

62.2

275.0

NSF

25.8

107.6

41.1

50.6

225.1

DOE

10.1

63.8

13.8

12.9

100.6

NASA

12.0

57.6

9.1

3.1

81.8

NSA*

36.2

5.9

3.2

0.2

45.5

NIH

3.0 

31.4 

4.1

8.0

46.5

NOAA

0.0

9.4

0.4

0.0

9.8

EPA

0.0

6.0

0.4

1.5

7.9

Education

0.0

0.0

2.0

0.0 

2.0

NIST

0.3

0.6

1.2

0.0

2.1

 

Total

206.9

332.0

118.9

138.5

796.3

*NSA joined the HPCC initiative in 1993. Previously, it had been represented by ARPA.

1994年度には更にこれを倍増する計画である。1993年にBush政権からClinton-Gore政権に代わり、顕著な変更がなされた。7月に議会予算局CBO (Congressional Budget Office)は”Promoting High-Performance Computing and Communications”という報告書を公表した。アメリカの制度では、議会予算局は、連邦予算の全体像や国家経済について、政党とは独立な分析を議会に提示する。予算案は下院と上院で、分野別に議論され、採決される。議会予算局の批判としては、

a) 超並列はプログラミングが難しく、応用は限られている。産業利用の可能性は疑わしい。ベクトルコンピュータの方がよい。
b) 最先端技術が民生に波及するかどうかは疑わしい。むしろ、ワークステーションの技術がスーパーコンピュータに利用されたのだ。
c) 並列にせよベクトルにせよ、スーパーコンピュータ技術でアメリカがリーダーシップをとるために連邦予算を注入すべきであろうか。スーパーコンピュータの売り上げの成長は鈍化しており、むしろワークステーションの市場の方が増大している。
d) Gigabitネットワークがグランドチャレンジなどのために必要だというが、45 Mb/sを越える需要があるからと言ってGigabitまで必要であろうか。

だれが背後にいたかは知らないが、典型的な保守的意見である。日本での「二番ではいけないのでしょうか?」の議論を彷彿とさせる。HPCwireのNorris Parker Smithは「聖なる牛をバーベキューにした」(HPCwire 7月16日号)とこれを批判している。また、Ken KennedyはHPCwireの1993年7月30日号の論説で次のような論点で反論している。

a) 並列システムの研究は、並列機を使い易くするために行われている。
b) スケーラブルな並列性は、結局ワークステーションにも必要になるであろう。
c) ワークステーション技術がスーパーコンピュータに利用されたという主張は、重要な真理を見落としている。ワークステーションの高性能を可能にしている多くの技術、パイプライン、メモリ階層、命令先読み、多重命令発行、並列処理などは最先端コンピュータの設計から生まれたものである。さらに、ワークステーションを使いやすくしているソフトウェア技術の多くは、スーパーコンピュータにその起源をもっている。

Ken Kennedyは、「議会予算局の批判はHPCCの予算がコンピュータ業界だけを潤すという狭い見方に止まっていて、先端的スーパーコンピュータを使う多くの産業の得る利益に目をふさいでいる」と指摘している。「HPCCの現在の実行計画は常に批判にはオープンであるべきであり、プログラム推進の側からだけでなく、FCCSET(連邦科学技術調整委員会)からも引き続き評価を受けるべきである。とにかく、議会予算局はこの一方的な報告書を引っ込め、バランスの取れた正確な表現に直すべきである。」

このような議論の結果、NSF HPCC予算は上院で$50Mカットされ、下院ではARPA関連のHPCC 予算が$100Mカットされた。しかし日本にとっては新たな黒船である。

また、アメリカの会計検査院に当たるGAO (Government Accountability Office)は、5月頃、ARPAの予算について、投資先がIntelとTMCに偏っていると批判していた。

7) PetaFLOPS Initiative
1993年5月、Pittsburg Workshop and Conference on Grand Challenge Applications and Software Technologyが開催された。

8) CSCC (Concurrent Supercomputing Consortium)
CSCCでは、Ajax(1990年11月に導入したiPSC/860 (64 node))の次期機種として、Intel Paragon A4 (Raptor, 53 node)を導入した。

1993年3月25~26日に、Second CSCC Delta Application Workshopが、Norfolk, Virginiaで開催された。
1993年9月、Deltaのディスクシステムを変更し、システムを安定化した。
1993年12月10日、Intel Paragon L38 (512 node, Trex)を導入した。1994年6月のTop500では20位tieにランクしている。
1993年12月、AjaxはIntel社に返還された。

9) MHPCC (Maui High Performance Computing Center)
1993年、ハワイ州のMaui島のKiheiに、MHPCC (Maui High Performance Computing Center)が、アメリカ空軍のAFRL (Air Force Research Laboratory)の一つとして設立された。運営は契約によりHawaii大学に委託された。Top500によると、1994年6月までに32プロセッサのSP2を設置し、11月までには400プロセッサと64プロセッサと16プロセッサのSP2に更新している。

10) Gordon Bellの批判
このころ日本で、ISRのMendez氏から、「Gordon Bellが、つぶれるべきコンピュータ会社が政府の援助により生き延びている、と批判している。」という話を聞いた。主な標的はTMCのCM-5と、IntelのParagonのようである。このころGordon Bell氏は同様な趣旨の発言を何度も行っているようであるが、手元にあるHigh Performance Computing and Communication Weekの1993年7月8日号には、かれへの長文のインタビュー記録と、TMCとIntelからの反論が掲載されている。かれによるとアメリカの大学には旧DARPAが支援した30台近いコンピュータが設置されている。かれは「連邦政府(とくにDARPA)はコンピュータ・アーキテクチャ(の選択)から手を引け」と言っている。

実はDARPAへの他社からの同様な批判は、以前からなされていた。1991年、Cray Research社やIBM社は、「DARPAは不当にTMCを助成している」と批判した。MasParやnCUBEがIntelとTMCに対するDARPAの支援を批判した記事もある。4月にはこのような批判に答えて、TMC社はDARPAから受けた研究資金やDARPAによる購入の詳細について明らかにした。しかし、5月、MasPar社はARPAから$20Mでソフトウェア開発の契約を得ている。(前述のように1993年3月にDARPAはARPAに改称した)

このせいかどうかは別として、TMCは結局翌年1994年8月に破綻することになる(後述)。

またBellは1994年12月のDecision Resourcesにおいて同様な発言をしている。「ある会社に政府が直接投資して製品を開発させることが、健全な会社を育成するとは思われない。」

11) SSC計画中止
HPCとは直接の関係はないが、元高エネルギー物理屋の筆者としては、SSC計画が建設途中で中止されたことは大事件であった。SSC (Superconducting SuperCollider)とは、テキサス州のダラスの近くに建設中の巨大な高エネルギー加速器で、超伝導磁石を使い、衝突型であるところからこの愛称が付けられていた。すでに全長86.6 km(ほぼ東京外かく環状道路の総延長)の環状トンネルも1/4程掘られ、多数の研究者も働いていたが、予算が年々膨張することなどからアメリカ議会は冷たく、毎年の予算審議のたびに建設を中止すべきだとの議論が起こっていた。

10月17日~20日に、筆者はたまたま、PDG (Particle Data Group) の日本代表として、外部評価を受けるためにLBNLに滞在していたが、この間10月19日にあった下院本会議での討論の生中継を研究所の所長室で、所員たちとワイワイ言いながら見た(『SSC最後の日』)。

反対派の言い分は、”I do not say SSC is a bad science. It is a good science. But it is an unaffordable science.” という誰かの発言に要約できる。賛成派は、「アメリカが技術的優位を保つためには、基礎科学に投資する必要がある」と言っていた。結局、283対142で、SSCの予算削除が可決された。15分の電子投票の時間内に、刻々とYEA(賛成)とNAY(反対)の票数が党派別(民主、共和、無所属)にスクリーンで表示される。時間内なら変更もできるそうで、色々駆け引きをやっているようだった。共和党と民主党で違った傾向は見られなかった。党議拘束のない議会運営は目から鱗であった。その結果SSC計画は中止された。

この前日10月18日には、North BerkeleyにあるApplied Parallel Research社(本社はカリフォルニア州Sacramento)のオフィスにRichard Friedman氏を訪ね、xHPF90 pre-compilerのデモを見せていただき議論した。このオフィスは彼一人しかいないとのことであった。

ドイツ政府の動き

1) Rechenzentrum Jülich
1990年、Forschungszentrum Jülich GmbH(Research Centre Jülich)が始まったが、1993年、この中に正式にRechenzentrum Jülich (Jülich Supercomputing Centre)ができた。1993年6月の最初のTop500の表では、このセンターにはCray Y-MP8/832(8プロセッサ)が1989年から設置され、Rmax=2.144、Rpeak=2.667 (GFlops)で、90位tieにランクしている。またIntelのParagon XP/S5(66コア)も1992年から設置され、Rmax=1.9、Rpeak=3.3 (GFlops)で126位tieにランクしている。また1991年設置のIntel iPSC/860や、1993年設置のCray Y-MP M94/4512もある。

中国の動き

1) 曙光(Shuguang, Dawning)
中国科学院コンピュータ技術研究所は、Motorola 88100を4個、Motorola 88200を8個用いた共有メモリマルチプロセッサ「曙光一号(Shuguang Yihao)」を開発した。OSはUnix V、ピーク性能は640 MFlops。1992年に完成し、1993年10月に政府の証明書を獲得した。20台以上が製造された。この動きは1996年の曙光信息産業有限公司(Dawning Information Industry)の創立に連なる。

2) Inspur社
中国の浪潮(Inspur、1945年創業)がIntelチップによる小型サーバを開発。Inspur社のWebページによると、中国製で初めてのサーバであり、1996年以来15年連続で国産サーバの1位を保った。開発したのは、シンガポールInspurの技術者である。

3) 中国の並列処理研究
Kahaner Report “china-pp.93″により、当時の中国国内での並列処理の研究の一端を示す。

(a) 理論研究:清華大学(北京)のグループは、PAM/TGRと名付けた抽象マシン上での並列処理を研究している。このマシン上のプログラムを、16台のT800からなるマシンに実装し、Fibonacci数列、クイックソート、ハノイの塔などでの性能を測定した。
(b) シストリック・アレイ:武漢の造船会社の研究所では、980-STARという4×4のシストリック・アレイを開発し、初期的な実験を行っている。
(c) Transputer System:上海の東華理工大学では、32個のT800をクロスバスイッチで接続したシステムを開発した。様々なトポロジの接続網(行列、トリー、キューブ、ハイパーキューブなど)を実験することができる。
(d) AP85 Mesh Computer:西安にある宇宙航空産業省傘下のコンピュータ研究所では、Intel 8086/8087を搭載したPEを16個2次元メッシュに接続した並列コンピュータを開発した。PE制御、Fortran、デバッガなどさまざまなソフトウェアも開発した。

4) Cray S-MP
新華社通信の1993年12月16日の報道によると、中国国家教育委員会と世界銀行は、国内の北京大学、大連大学と吉林大学の3大学にそれぞれCray S-MPスーパーコンピュータを設置するとのことである。Cray Research社にとって中国国内の初めての商談となる。ニュースによるとベクトルプロセッサを備えているということであるが、FPS伝来のSparcのMPPに、BIT (Bipolar Integrated Technology)のFPUを付加したのであろうか?

11月中旬、クリントン政権は、中国への貿易制限を緩和する決定を行っていた。これは7月の東京サミットでの江沢民国家主席へのプレゼントであったと報道された。

シンガポール政府の動き

1) NSRC
シンガポールでは、1988年末までにAdvanced Computation CentreがComputer Engineering Systemsという政府系の法人によって設立され、NEC SX-1A (ピーク665 MFlops)やIBM 3090-200E-VF(ベクトルは2本で、ピーク240 MFlops)が設置されたたことは述べた。1993年、the National Science and Technology Boardからの予算により、NSRC (National Supercomputing Research Centre)が設立され、1 CPUのSX-3/11、2 CPUのCray T94、16 CPUのIBM SP2、およびReality Engine 2を搭載した4 CPUのSGI Onyxが設置される。両者の関係は不明。

台湾政府の動き

1) NCHC
1991年のところに書いたように、台湾ではNSC (Taiwan’s National Science Council)が1988年からスーパーコンピュータセンターを計画していたが、1989年、教育省とともに可能性を探る委員会を設置した。1991年、NCHC (National Center for High Performance Computing, 國家高速計算中心)を開発する5年計画(総額US$100M)が承認された。NCHCは新竹の4階建ての新築のビルに設立され、大型の設備としては、IBM ES9000 (5 Processors)とConvex 3840を導入した。

1993年4月19日~22日には開所式および開所記念会議(IHCC’93(International High-Performance Computer Conference)が開催された。会議では、Jack Dongarra (U. Tennessy/ORNL)、Tony Chan(U. Hong Kong)、David Keyes(Yale U.)など16名の招待講演があった。

世界の学界の動き

1) Mosaicの登場
筆者が1992年に2度も(1月と9月)WWWに関するTim Berners-Leeのデモを見ながら、その意味を理解出来なかったことはすでに述べた。1993年4月30日に、CERNはWWWの利用を無料で誰にでも開放することを発表した。そのころIllinois大学のNCSAのMarc Andreessenは、テキストと画像を同一のWindow内に混ぜて表示出来る画期的なブラウザNCSA Mosaicを開発し、2月にアルファバーションを公開した。最初はX-Windowで開発したが、すぐMacやMicrosoft Windowsにも対応した。

1991年12月9日には、上院議員Al Goreの提唱するThe High Performance Computing Act of 1991が成立し、HPCC計画およびNII (National Information Infrastructure)が発足したことはすでに述べたが、Mosaicはその大きな成果と言われる。GoreがInternetを発明したわけではないが、Andreessenは、「もしWWWが私企業にゆだねられていたら、Mosaicの開発は数年以上遅れていたであろう」と述べている。

AndreessenとNCSAとの間には権利を巡ってトラブルがあったようであるが、Andreessenは1994年、SGIの創立者のJames H. (Jim) ClarkとともにMosaic Communication社を立ち上げ、Netscape Navigatorをゼロから再開発する。他方、NCSAはMosaicのコードを無料ではあるが、制限付きで多くの会社に与えた。1993年には、Amdahl社、富士通、InfoSeek社、Quadralay社、Quarterdeck Office Systems社、Santa Cruz Operation社、SPRY社、Spyglass社などがライセンスを保有していた。Microsoft社はSpyglass社からライセンスを受け、Internet Explorerを開発した。1994年8月26日に、NCSAは最新のMosaicであるAIR Mosaicを出荷する。

2) PTOOLコンソーシアム
1993年11月、Cherri M. Pancake (Oregon州立大学)をリーダーとして、並列化ツールの標準化、開発、普及を目的として、PTOOL Consortium (The Parallel Tools Consortium)が設立された。ツールを開発する側より、ツールを利用する側の研究者を中心として活動が行われている。

3) GF11
IBMのWatson研究所のDon Weingartenは、QCD専用計算機GF11プロジェクトを1984年に始めた。これは576台のPEと再構成型非閉塞Memphisスイッチから構成され、各PEは4個のWeitek FPU(WTL1032×2、WTL1033×2)、1個の固定小数演算器、256語のレジスタファイル、SRAM (64 KB)、DRAM (256 KB)から構成されている。これらは180ビット長の命令によって制御される。名前の通りピークで11 GFlopsの性能である。

1992年のところに書いたように、開発に時間が掛かり、8年後の1992年にやっと稼動した。1993年5月10日のIBMからの発表によると、1年間かけて大規模なQCD計算を行い、Don Weingartenrらは結果を同日付のPhysical Review Lettersで発表したとのことである。

4) Cornell大学
1993年8月10日、Cornell大学は、64ノードのIBM SP1を、512ノードに拡張し、100 GFlopsを実現するために、連邦政府およびニューヨーク州政府から合計$13Mの補助金を獲得したと発表した。実際には、1994年に512ノードのSP2を導入する。

次は国際会議。HPCN Europeが始まるが、9回しか続かなかった。ICSで5年後を占うパネルが行われた。HOT CHIPSは5回目。

 

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