世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


2月 5, 2024

新HPCの歩み(第172回)-2000年(e)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

アメリカではクリントン政権がコンピュータやインターネットに多額の研究投資を行うことを決めた。NSF関係のスーパーコンピュータ利用システムPACIの体制が整う。中国で、銀河4号や曙光3000などが登場する。集積回路でKilbyにノーベル賞が授与された。

アメリカ政府関係の動き

1) 米大統領、科学技術関連の研究予算増を提案
クリントン米大統領は1月21日、カリフォルニア工科大で演説し、「米国経済の原動力である科学技術をさらに強化するため、来年度の研究予算を28億ドル増やしたい」と述べた。インターネットなどコンピュータ関連技術と生命科学が柱で、承認されれば、2001年度(2000年10月からの1年)の科学技術関連の研究予算は約430億ドル(約4兆5000億円)となる。大統領はとりわけ、米国の経済成長をもたらしたインターネットを中心とする情報技術の役割を強調、高速コンピュータ通信網やワイヤレス通信網など情報技術関連の支出を約10億ドル増加させたいとした。その担い手として全米の大学などに研究費を配分するNSFの予算は17%増と過去最大の伸びで、46億ドルとなる。2月15日、議会下院はNITRD法(the Networking and Information Technology Research and Development Act)を超党派で通過させ、コンピュータや科学研究を推進し、アメリカが技術のリーダーであり続けるために69億ドルの施策を承認した。これは前年度の予算を倍増するものであり、今後5年間にインターネットや医療へのコンピュータ技術の応用について多額の研究投資を行う。

2) ASCI Blue Mountain
1998年に完成したASCI Blue Mountainは、128プロセッサのOrigin 2000サーバをノードとして48台接続したものであるが、核兵器の維持管理のために活躍している。パラメータを変更してシミュレーションを行う、いわゆるcapacity computingが多いが、ある3日間では、31ノードを使い、各10 CPU時間を必要とするシミュレーションを15000種類以上行った。(HPCwire 2000/5/12)

3) ASCI White(完成)
6月30日、IBM社は世界最速のスーパーコンピュータASCI Whiteが完成したと発表した。これは375 MHzのPOWER3を8192個用いたRS/6000 SPスーパーコンピュータで、1ノード当たり16 CPUで512ノード、全体では12.288 TFlopsのピーク性能を持つ。(HPCwire 2000/6/20)この時点ではPoughkeepsieのIBM工場にあったが、8月にLLNLに設置した。重量は106トン、床面積は9920 ft2(890 m2)、電力は1.2 MWである。(HPCwire 2000/8/25)

11月のTop500において4.938 TFlopsで首位を獲得した。ピーク性能が12 TFlopsもあるのにこのLinpack性能は低すぎる。2001年6月のTop500ではLinpack性能が7.226 TFlopsに向上する。

4) ASCI Q(Compaq社受注)
1998年のところに書いたように、1998年2月、Clinton大統領は、ASCIの一環としてPathforward Programを発表し、30 TFlopsを目指して、Digital Equipment社、IBM社、Sun Microsystems 社、Silicon Graphics/Cray社の4社と4年間$50Mの契約を締結した。またASCIは、2000年8月、the ASCI PathForward Ultrascale Tools Initiative RTS – Parallel System Performance Projectにおいてスケーラブルな性能ツールを開発するためにKAI (with Kuck & Associates, Inc.)と協力することを発表した。KAIはまたVampirの開発者であるPalla GmbHとも協力関係を結ぶ。

DOEのNNSA (National Nuclear Security Administration)は2000年8月22日、ASCI Whiteの次の30 TFlops級のマシンASCI Q(LANLに設置)をDigital Equipment社を買収したCompaq社に発注したことを発表した。競っていたSun Microsystemsは敗退した。契約は$200M弱で、30 teraOPSでメモリが12 TBのマシンを2002年前半までに稼働させる。(HPCwire 2000/8/18)(HPCwire 2000/8/25)

ASCIはred – blue – whiteと色でcode nameを付けて来ており、今度は”Turquoise”(ターコイズブルー、トルコ石色)であったが、発音が難しいのでただ“Q”としたようである。DEC Alpha EV68 (1.25 GHz) を32個搭載のAlphaServer GS320約375台をQuadricsのネットワークで結合したものを予定していた。CPU総数は12000個、総メモリは12 TB。当初は2002年に運用開始を予定していたが、完成は2003年に遅れ、実際には8192 CPUでピーク20.48 TFlops、Linpack 13.8 TFlopsであった。不幸なことに地球シミュレータの後塵を拝してしまい、最初から2位であった。当初のオプションとして、将来のAlphaプロセッサ(EV7、EV8)にアップグレードし、2004年までに100 TFlopsを発揮するシステムを構築することも視野に入れていたが、実現しなかった。

5) NERSC(Phase I、Oakland移転)
1999年のところに書いたようにNERSC (Nuclear Energy Research Supercomputer Center, LBNL)は次期スーパーコンピュータとしてPOWER3を用いたIBM RS/6000 SPシステムを選定したが、そのPhase Iとして2-wayのPOWER3 (200 MHz) SMPノード304台から成るシステムが予定より早く設置され、3月末にはテストを終わり正式に受け入れられた。2000年11月のTop500によると、CPUは604個(2ノードが故障か?)で、ピーク483.2 GFlops、Linpackは310.3 GFlopsであった。

前年に発表したように、2000年11月にはコンピュータとストレージを隣町OaklandダウンタウンのOakland Scientific Facilityに移設した。Horst Simonに「なんでOaklandに移るのか、スペースか?」と聞いたら、「それもあるが電力の問題だ」とのこと。「LBNLには加速器など大型施設が色々あり、電力は十分なのでは?」と言ったら、「実は、NERSCのコンピュータがLBNL内で一番電力を消費するのだ」と改めてコンピュータの電力にびっくりした。2015年11月、NERSCはLBNLキャンパス内の新しいビルShyh Wang Hallに戻る。

Phase IIでは、16-wayのPOWER3+ (375 MHz) SMPノード152台からなるシステムを、遅くとも2000年12月の設置を予定していたが、実際には2001年になる。2001年6月のTopr500では堂々2位にランクしている。

6) ASCIと核兵器管理
HPCの側からは忘れそうになるが、1995年に始まったASCI計画は、核実験を行わずに、シミュレーションによって核兵器の維持管理(stewardship)を行うためにスーパーコンピュータとその応用を推進することが目的であった。2000年4月に、イギリスOxford大学内で、the UK Atomic Weapons Establishment (AWE)の主催により“Exploiting Leading-Edge High Performance Computing”(最先端HPCの活用)と題した2日間の国際会議が開催された。出席者135人の過半数は、英米仏の核兵器研究所関係者であった。ASCI責任者Paul Messinaを始めアメリカ側はASCIの成果と問題点を語ったが、ヨーロッパ側は指をくわえて見ている状況であった。それでもフランスはアメリカの後を追って5 TFlopsのCompaqスーパーコンピュータの導入を予定しているが、イギリスには今のところ計画がない。隣接する博物館では、ダイノザウルスの傍らで各ベンダがHPC製品を展示していた。(HPCwire 2000/4/21)

7) ESnet(Qwest社と契約)
エネルギー省のESnet (Energy Science Network)は、1月初め、Qwest社と7年間$50Mの契約を結んだと発表した。この契約により、Qwest社は2005年までにTb/sクラスのネットワークESnet IIIを全米に構築する。ESnetは、Qwest社のATM (Asynchronous Transfer Mode)により、国立研究所、関係する大学や企業を接続する。(Esnet 2000/1/5)

8) UltraScale Computing(DARPAのエクサフロップス計画)
DARPAでは、未来世代コンピューティングを目指して1996年から2000年までの5ケ年計画として、UltraScale Computing研究開発が行われている。この研究では、従来の材料やプロセスにとらわれることなく、性能とコストパフォーマンスのよい先端的な技術開発を目的とし、既知の技術にとどまらず、まったく新規なものを探索する。JIPDECの調査によると数値目標は以下の通り。

性能

1 ExaFlops以上

ユニット数

1011 processors以上

素子の大きさ

原子間距離レベル

消費電力

1019 ops/joule以下

複雑さ

手に負えない複雑さ

賢さ

推量や創造性を持たせる

 

2000年といえば地球シミュレータ登場前であり、Top500のトップはASCI Whiteの4.938 TFlopsであった。そのような時点で、5~6桁も上のEFlopsを夢見ていたことは驚くべき想像力である。ここでProcessorというのはコアに当たると思うが、その性能を107 Flops = 10 MFlops 程度と想定しているのはいくら何でも少ないのではないか。ASCI Whiteだってコア当たり500 MFlopsを超えている。原子間距離レベルというのはご愛敬としても、Joule当たり1019 ops という電力性能は、2019年11月の富岳の16.876 GFlops/W = 1.6876×1010 Flop/J と比べて桁が違うのではないか。情報源のリンクが切れているので不明である。

これを実現するために、計算の新規モデルとして次のようなことを考えている。

研究テーマ

研究契約先

研究開発項目

2000年度目標

並列コンピューティング

Caltech

Fixed Array, Adaptable Software

 Continuum Computer Architecture (CCA)

100 TFlops性能を検証

Swarm computing

MIT

アモーファスコンピューティング: プログラム可能材料開発技術、アルゴリズム、アーキテクチャ

100万素子のアモーファスアレーの検証

量子コンピューティング

Caltech

量子コンピューティング用エンジンの基礎開発

量子コンピューティングの実現度決定

 

計算実行のための新規物理メカニズムの研究としては以下の通り。何でもあり、である。これに比べると、Tom SterlingのHTMTなどまだ現実的に思えてくる。

研究テーマ

研究開発項目

2000年度目標

DNAコンピューティング

計算実行技術開発と軍事NP-hard問題解決戦略立案

軍事アプリケーションのDNAコンピューティングへのポーティング

細胞工学

計算実行および低コスト計算エレメント製造のための生物工学開発

低コスト計算エレメント製造の実証

神経ネットワーク

電子回路と直接相互作用する合成神経網の試験管培養

2細胞神経網とシリコンロジック間の計算の実証

 

9) NPACI(Blue Horrizon、MTA)
1997年に発足したNSFのPACIの一つである、SDSC (San Diego Supercomputer Center)を中心とするNPACI (The National Partnership for Advanced Computational Infrastructure)は、1997年11月に128ノードのIBM RS/6000 SPシステム(SP P2SC 160 MHz)を導入して以来、システムを増強してきたが、2000年2月9日、1152プロセッサのIBM RS/6000 SPシステムを”Blue Horizon”と名付けた(HPCwire 2000/2/11)。11月にはこれを375 MHzのPOWER3-IIプロセッサ1152個のシステム(ピーク1.728 TFlops)に増強し、11月のTop500においてRmax=929 GFlopsで8位を占めた。

SDSCにはMTA-1の16ノードもあり、Blue Horizonとにらみ合う形となった。Allan Snavelyは、5つの実用アプリケーションについて、MTAとBlue Horizonの上で実行し性能を測定した。60M voxelの男性人体のMPIREによる描画にかかる時間は以下の通り。MTAの16ノードのデータがないのは、1999年のところに書いたように、相互接続網にバグがあり、8ノードごとに動かしていたからであろう。

CPU数

MTA

Blue Horrizon

1

21.12

78.88

2

10.43

40.80

4

6.32

22.16

8

2.79

12.24

16

 

7.06

32

 

4.81

64

 

4.16

128

 

3.67

 

またOrion inner nebulae(どの星雲?)の画像を表示する時間は、以下の通り。

CPU数

MTA

Blue Horrizon

1

724.46

1076.74

2

366.43

563.99

4

182.27

297.68

8

92.16

165.15

 

5つともMTAの方が高性能だったとこことである。(HPCwire 2000/2/25)

10) NCSA(Larry Smarr転出、LosLobos設置)
1997年に発足したNSFのPACIのもう一方は、NCSAを中心とするthe Alliance (National Computational Science Alliance)であるが、NCSAの創立者でもあり、the Allianceの創立者でもあるLarry Smarrは、3月2日付で両組織の責任者の地位を降りた。The Alliance長の後任は、UIUCのコンピュータ科学科の学科長であるDan Reedとなった。(HPCwire 2000/3/3)

またthe Allianceは、4月に512プロセッサのLinuxクラスタLosLobosを、News Mexico大学のAlbuquerque High Performance Computing Center (AHPCC)に設置した。LosLobosは、256台のIBM Netfinity PCサーバから構成される。接続はMyrinetである。(HPCwire 2000/3/24)

11) Pittsburgh Supercomputer Center (PSC)(第3センターへ)
PSCは2000年8月3日、2001年会計年度(2000年10月~2001年9月)からの3年間、NSFから総額$45Mの資金を受けて、Compaq Computer社と協力して全米の研究者のために「テラスケール」を超える計算能力を提供することとなった。これにより、NCSAを中心とするNational Computational Science AllianceおよびSDSCを中心とするNational Partnership for Advanced Computational Infrastructureと並んで、いわばNSF PACIの3番目のセンターとなった。(HPCwire 2000/8/8)

またPSCはNIH (the National Institutes of Health)から$8.6Mの資金を提供され、8月1日から5年間にわたって、バイオ医学に関するHPCやネットワーク、計算資源、相談、人材育成に使用する。(HPCwire 2000/10/6)

2000年10月1日からは、1996年に256プロセッサで設置し、1997年に512プロセッサに増強したCray T3E(愛称Jaromir)の半分の資源はPACIを通して配分されることとなった。10000プロセッサ時間以下の小規模課題は随時直接PSCに申請するが、10000~100000プロセッサ時間の中規模課題は定期的に募集され、National Computational Science Allianceの選考委員会が審査する。それ以上の大規模課題は、PACIのNational Resource Allocation Committeeが審査する。(HPCwire 2000/9/29)

また、ピーク6 TFlopsのCompaq Alphaプロセッサを搭載したシステムTCS-1を計画している。2001年4月からは初期のシステムTSCiniが稼働する。10月にフルスケールで稼働し、2001年11月のTop500では、Rmax=4.059 TFlops、Rpeak=6.048 TFlopsで2位にランクしている。

12) vBNS
NSF (National Science Foundation)は、1995年4月1日にMCI Worldcom社と5年間の契約を結び、very high performance Backbone Network System (vBNS)により、94の大学を最大2.4 Gb/sで接続してきた。予算は年$10Mである。大多数の大学の接続は620 Mb/sである。両社はこのたび、この契約を3年間延長することとした。現在NSFはvBNSとAbileneと合わせて177の組織に接続を提供している。(HPCwire 2000/4/14)

13) Kevin Mitnickが連邦議会上院で陳述
1995年のところに書いたように、不正アクセス者として有名なKevin MitnickはSDSCの下村努の協力によりFBIに逮捕されたが、2000年1月21日、約5年の刑期を終えて出所してきた。3年間は、コンピュータはおろか携帯電話にも触ってはいけないとの条件付きであった。連邦上院のパネルは、Mitnickに対し、ハッカーたちがどのようにしてコンピュータシステムに侵入するのか、それを防ぐにはどのような立法を行えばよいか、などについて説明を求めた。

上院の政務委員会は、政府機関がハッカー対策を立てるための法律の立法と、それに必要な予算を要求しようとしていた。Mitnickは、かつてAT&T社のネットワークに侵入したときの詳細な手法を語った。また、起案中の法律について「第一歩としてはいいだろう」と述べ、数件の提案を行った。例えば、政府機関がそれぞれのデータの重要性を評価すること、従業員にサイバー攻撃についての教育を行うことなどである。(HPCwire 2000/3/10)

14) LANL火事
5月上旬、アメリカニューメキシコ州のチェロ・グランデで山火事が起こり、住宅地やLANL (Los Alamos National Laboratory)に迫った。5月4日の山焼きの火が予想外に広がり制御できなくなったとのことである。5月8日LANLは閉鎖され、5月10日にはLos Alamosの住民に避難命令が出た。LANLでも建物の一部が損傷した。5月15日に避難命令解除。5月22日LANL再開。200平方キロ近くが焼失し、$1B以上の損害を出した。最終的に鎮火したのは7月20日であった。(Wikipedia “Cerro Grande Fire”参照)

研究員は在宅勤務となり、研究所のコンピュータにログインしてメールなどを見るだけのようである。HPCwireは「LANLは今やLaptop研究所になった」と書いている。ある大学院生は、火事になるや研究室のコンピュータを抱え、規則を無視して自宅に持ち帰ったが、おとがめはなかった。自宅が危険になった研究員もいて、とりあえずデータの詰まったPowerbookを持って避難したそうである。他方、データを持ち出せなかった研究者もいた。Santa Fe Instituteは、自所のコンピュータをLANLから退避してきた研究者に開放した。(HPCwire 2000/5/19)

ちょうど5月8日~11日に近く(40 km)の州都Santa FeでICS 2000国際会議が開かれていて、筑波大学の朴泰祐氏も滞在していた。同じような火事騒ぎが2011年7月にも起こっている。

15) 輸出規制緩和
Clinton大統領は、1999年7月にも輸出制限を緩和したが、2000年2月1日付で、HPC産業の無用な負担を減らすために、輸出規制をさらに緩和した。アメリカ政府は、今後、12300 MTOPS (Millions of Theoretical Operations Per Second)以下のコンピュータの輸出を管理しない。

Tier III国(中国、ロシア、インド、イスラエル、パキスタンなど)への12500 MTOPS以上のコンピュータの輸出は、発送の10日前に商務省に通知しなくてはならない。

Tier II国への、300000 MTOPS以上のコンピュータの輸出には許可が必要である。

Tier IV国(イラク、リビア、北朝鮮、キューバ、スーダン、シリアなど)への国については従来と同様である。(HPCwire 2000/2/4)

4月6日、下院の国際経済政策貿易小委員会はH.R.3680を全会一致で採択した。これまで、1997年の法律により、Tier III国への12000-20000 MTOPSのHPCを輸出する場合に、連邦議会が180日以内に評価することになっていたが、これを30日に減らすという法案である。コンピュータ企業は、180日も経てば最新機も古くなってしまい、他国に取られてしまうと、かねてからの要望していた。4月13日には本委員会に掛けられる。(HPCwire 2000/4/14) 5月18日、安全保障の観点からの批判も強く、下院は議論の末、評価期間を60日に減らすことを、415対8で承認した。政府は、30日まで減らなかったことに遺憾の意を表した。(HPCwire 2000/5/26) 上院も7月12日に、86対11でこの法案を採択した。(HPCwire 2000/7/14)

8月、White HouseはTier III国への制限を緩め、商用軍用を問わず、28000 MTOPSまでのコンピュータの輸出は事前の政府許可を必要としないとした。このスピードは4基のItaniumを搭載した程度のマシンの性能である。専門家は、この程度のコンピュータはスーパーコンピュータとは言えないと考えている。(HPCwire 2000/8/11)

6月27日のWashington Times(旧統一教会系メディア)は、アメリカから中国に輸出されたスーパーコンピュータが、核兵器開発のために使われていると警告を発した。(HPCwire 2000/6/30)

HPCwire 2000/9/8によると、David Ruppeレポートが公開され、中国に輸出したスーパーコンピュータの多くが行方不明になっていると問題提起している。レポートによると、1996年から1998年の3年間には2000 MTOPS以上のコンピュータが600台輸出されているが、商務省がチェックしたのはわずか3台である。議会でも、これらのスーパーコンピュータが核兵器などの軍事目的に使われているのではないかと問題になっている。

ヨーロッパの動き

1) LRZ(SR8000稼働)
ドイツMünchenのLeibnizrechenzentrum (LRZ)では、2000年6月28日、HITACHI SR8000-F1/112の披露式典が行われ、稼働を開始した。2000年6月のTop500では、コア数112、Rmax=1,035.00 GFlops、Rpeak=1,344.00 GFlopsで5位にランクしている。(HPCwire 2000/6/30)

インドの動き

1) C-DAC(PARAM 10000輸出)
インド政府の電子情報省の研究機関であるC-DAC (Center for Development of Advanced Computing)は1998年ピーク100 GFlopsのPARAM 10000を開発したが、2000年8月、C-DACは16プロセッサのPARAM 10000をロシア科学アカデミーのCAD研究所に2000万ルピー(約5000万円)で販売し設置したと発表した。

中国の動き

1) 上海スーパーコンピュータセンター(創立、神威1号設置)
2000年12月28日、上海スーパーコンピュータセンター(上海超級計算中心)が上海市からの1億元の資金により創立され、神威1号(Sunway 1、音訳ではShenwei I)というMPPを設置した。これは500MHzの Alpha(モデル名不明)を480個搭載し、384 GFlopsである(Linpack性能かどうか不明、恐らくピーク性能)。当時中国にはTop500に登録するという発想はなかった。(HPCwire 2000/5/26)(HPCwie 2000/9/22) なお、中国で最初にTop500に登場したのは2001年11月である(Hewlett-Packard製)。また2003年には、Sunway 64P Cluster systemを設置した。これは、2.4 GHzのIntel Xeonを64個搭載し、302.8 GFlopsである。

その後2004年に、中央政府から3000万元、上海市から9000万元の資金を得てDawning 4000A (曙光、Opteron 2.2 GHz, 2560 cores, Myrinet)を設置し、2004年6月のTop500ではLinpack性能8.061 TFlopsで10位にランクされる。正式稼動は11月15日。その後、中央政府から1億元、上海市から2億元を得て、Dawning 5000A (QC Opteron 1.9 Ghz, 30720 cores, InfiniBand, Windows HPC 2008、愛称Magic Cube)を設置し、2008年11月にはLinpack性能180.6 TFlopsで同じく10位にランクされている。正式稼動は2009年6月。

2) 国防科学技術大学(銀河4号発表)
1997年のYinhe-3(銀河3号)に続き、2000年にはYinhe-4(銀河4号)が発表された。1024プロセッサでTFlops級ということだが、詳細は不明。

3) 曙光(曙光3000)
曙光信息産業有限公司(Dawning Information Industry)は、2000年、曙光3000(403.2 GFlops)を発表した。CPUは不明であるが、CPU数は280。2001年3月9日、国家証明を得た。目的の一つはヒトゲノムの解析である。

4) 中芯国際集成電路製造(SMIC)
2000年4月3日、張汝京 (Richard Chan)により、Semiconductor Manufacturing International Corporation(SMIC、中芯国際集成電路製造有限公司)が上海で設立された。張汝京は、Texas Instrumentsに1977年入社し張忠謀(Morris Chang)の部下であった。張忠謀は1987年、台湾でTSMCを創業したが、張汝京も1997年にアメリカを離れ台湾で世大積体電路(Worldwide Semiconductor Manufacturing Corp., WSMC)を創業した。1998年の半導体不況後の業界再編により、WSMCは1999年TSMCに吸収された。張忠謀は張汝京をTSMCに勧誘したが張汝京はこれを拒否し、中国に渡って、売却した資金でSMICを創立した。現在、中国最大の半導体ファウンドリである。2020年12月18日、アメリカ合衆国商務省産業安全保障局は「中国の軍民融合や中国の軍産複合体の中で懸念される企業との関連が確認された」としてSMICをエンティティ・リストに加え、10nm以下の技術のSMICへの輸出を制限した。

世界の学界の動き

1) 集積回路でKilbyにノーベル賞
ノーベル賞に「コンピュータ科学」部門はないが、2000年のノーベル物理学賞は、Texas Instruments社に勤務していたときに集積回路を発明したJack St. Clair Kilby博士に与えられた。ほぼ同時に異なった集積回路を発明したRobert Norton Noyceは1990年に亡くなっていた。Kilby博士は2005年に亡くなられる。同時受賞は、半導体ヘテロ構造を開発した、Zhores I. AlferovとHerbert Kroemerであった。

2) 量子コンピュータ
2000年3月、LANL (Los Alamos National Laboratory)の科学者は、NMRを用いて、7量子ビットの量子コンピュータを実現した。(HPCwire 2000/3/24)

2000年8月、IBM社Almaden研究センターは5個の量子ドットによる量子コンピュータの実験に成功したと発表した。

3) DNAコンピュータ
1994年、L. AdelmanはDNAを用いて7点のHamilton経路問題を解いたが、Wisconsin大学化学科のLloyd Smith教授は、液体中でなく、金の薄膜で覆ったガラス表面に付着させた合成DNAにより、DNAコンピューティングを実現したと、1月14日付のNature誌に発表した。(HPCwire 2000/1/14

4) 遊休GridによるNUG30問題の解決
NCSAを中心とするthe Alliance (National Computational Science Alliance)は、2000年7月、30か所に分散した1000台のPCの遊休時間を使って、1968年以来の難問と言われていたNUG30問題を7日間で解決したと発表した。NUG30とは、30要素の二次割り当て問題で、Iowa大学のKurt Anstreicher教授は学生のNathan Brixiusとともに、ANLの研究者の協力を得て、分散アルゴリズムを実装した。(NCSA News 2000/7/18)

インターネットに接続されたPCの遊休時間を使うvolunteer computingは1999年5月17日に公開されたSETI@homeでも使われている。

5) Larry Smarr
20年間UIUC (the University of Illinois at Urbana-Champaign)に勤務し、1985年にはNCSA (the National Center for Supercomputing Applications)を創設してセンター長となり、また、1997年にはthe Alliance (National Computational Science Alliance)を立ち上げて主導してきたLarry Smarrは、3月2日付で、両方の責任者の地位から降りると発表した。The Alliance長の後任は、UIUCのコンピュータ科学科の学科長であるDan Reedで、NCSAセンター長の後任は、NCSAの言副センター長であるJim Bottumである。業務の引継ぎは6月1日までに完了する。Larry Smarr自身はAlliance Strategic Adviserの地位に移る。(HPCwire 2000/3/3)

その後、2000年7月1日付けでUCSDのコンピュータ理工学部に転任した。比較文学者のJanet 夫人もUCSD演劇学科の教授となった。(HPCwire 2000/4/28) 7月21日、Entropia社はLarry Smarrを科学諮問委員会の委員長に指名した。

 
   

6) APEmille(格子ゲージ理論専用計算機)
イタリアの国立原子核物理学研究機構INFN (Istituto Nazionale di Fisica Nucleare)は1980年代からQCD計算(格子ゲージ理論)のためのSIMD専用計算機を製作するプロジェクトを推進してきた。初代は1988年に完成したAPEでWeitek演算チップ12個を組合わせたノード16個をループ接続したものであった。次のAPE100 (APE cento)は1994年に完成し、2048ノードを3次元トーラス接続したもので、ピーク100 GFlopsであった。APEmilleは3代目に当たり、1996年ごろから開発が始まった。予算は、$10Mとのことである(HPCwire 1996/7/4)。66 MHzのASICプロセッサで528 MFlopsの演算性能をもつ。クロックは100 MHzまで上げる予定で、ノード当たり800 MFlopsとなり、2048ノードでピーク1.6 TFlopsを持つ。写真はAPEmilleのprocessing board(プロジェクトのページから)。

7) イギリスのQCD計算
これまでドイツなどと共同してQCDシミュレーションの研究を続けてきたイギリスのUKQCDのグループがアメリカのColumbia大学と共同で、QCDOCプロジェクトに参加することとなった。予算は約10億円。

8) 遊休Gridによる円周率計算
SETI@homeと同様に、多くのコンピュータの遊休時間を使って、二進法の円周率πのずっと先の数字を求めるプロジェクト「PiHexプロジェクト」は、カナダの大学生Colin Percivalによって始められた。1998年9月5日から2000年9月11日までの間に、56カ国の1734台の雑多なPCを用いて、円周率の二進1000兆桁目周辺の64ビットを求めることに成功した。これはBBP型公式(Bailey–Borwein–Plouffe-type formula)により、十六進のある桁より先だけを求める手法を利用したものである。平均的なCPUは450 MHzのPentium IIで、CPU時間は合計120万時間。それ以前には5兆桁目や40兆桁目も求めていた。一番の問題はノイズの検知と除去であろう。

9) Computer History Museum(名称変更)
1999年にBostonのThe Computer Museumが閉鎖され、すべてがカリフォルニア州Moffett FieldのThe Computer Museum History Centerに移設されたが、2000年、名称をComputer History Museumに変更した。2002年にはMountain Viewのランドマークビルに移転する。

10) Higgs粒子の発見(LEP実験)
2000年9月5日、CERNはLEP (Large Electron-Positorn Collider )の研究会において、LEPの4つの実験グループ(ALEPH, DELPHI, L3, OPAL)はHiggs粒子と思われる信号を質量115 GeV付近で検出したと発表した。衝突エネルギーは206 GeVであった。CERNは慎重で、統計的なゆらぎかも知れないと指摘していた。LEPは運転終了の予定であったが、このため数ヶ月延長した。しかし結局確認はできなかった。確認されたのは2010年のLHC実験である。

11) ヒトゲノム計画
アメリカのDOEとNIHは1990年$3Bの予算でヒトゲノム計画を開始した。英国、フランス、オーストラリア、日本などもコンソーシアムを作り参加した。国際的な協力の拡大と、配列解読技術、コンピュータ技術の大幅な進歩により、2000年にはドラフト版が完成し、6月26日、ビル・クリントン米国大統領とトニー・ブレア英国首相から盛大に発表された。15年で完了することを目指していたが、コンピュータ技術の進歩などにより2年前倒しで実現した。

12) SSQ II Computer Science Workshop
個人的なことであるが、Templeton財団が支援し、BerkeleyのCTNS (Center for Theology and the Natural Sciences)が主宰するプロジェクトSSQ II (Science and Spiritual Quest II)のcomputer science部門から参加を招請された。このプロジェクトは科学と宗教との対話を目的とし、4つのグループからなる。筆者はGroup 4に参加した。

Group 1

Physics and Cosmology

Group 2

Genetics and Evolution Biology

Group 3

Sciences of the Human Person

Group 4

Computer Science and Information Technology

 

12月9日~12日にニューヨークでComputer Science and Information Technologyグループのワークショップがあり家内と出席した。滞在中に大統領選挙のフロリダの票数が確定しブッシュの勝利がやっと決った。ニューヨークは久しぶりであったが、以前と違って街はきれいで華やいでいた。人々は楽しそうにクリスマスの買い物を楽しんでいた。筆者も家内とレストランで豪華なディナーを楽しんだり、深夜にエンパイア・ステート・ビルに登ったりした。このとき家内が「もしかしたらこれはニューヨークの最後の栄光かもしれない」と言ったのをはっきりと覚えている。その時はまさかと思ったが、翌年9.11の同時多発テロが起こり家内の予言は不幸にも的中した。Canal Streetのそばのホテルに泊まっていたが、9.11のときの非常線がその辺りに張られることになる。

次回は国際会議である。

 

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