新HPCの歩み(第171回)-2000年(d)-
富士通研究所は「ナノテクノロジー研究センター」を発足させ、量子通信、量子コンピューティングの研究を進める。HUG2000 (HPF User Group meeting)が、ホテルインターコンチネンタル東京ベイにおいて開催されたが、HPFはアメリカではすでに下火であった。北米、欧州、アジアのGrid Forumが連携してGlobal Grid Forumに向かう。 |
日本の企業の動き
1) 日本電気(SX-5、MathKeisan 、TX7/V2600、渡辺貞、ACOS i-PX7300)
2000年6月、日本電気はクロックを4 nsから3.2 nsに短縮した新モデルのSX-5を開発し、10 GFlops/CPUのピーク性能を実現したと発表した。2001年には新モデルのSX-5/128M8が大阪大学サイバーメディアセンターに設置され、Rmax=1192 GFlopsを実現する(2001年11月のTop500で12位)。小型ではあるが、同じく新モデルのSX-5/4Cが京都大学基礎物理学研究所に設置される。(HPCwire 2000/8/18)
アメリカにも売れ、Veritas DGC社はHoustonの施設にSX-5/6Aを設置すると発表した(HPCwire 2000/2/21)。
2000年4月、日本電気はSX-5のための新しい数学ライブラリMathKeisanを発表した。これはBLAS、 LAPACK、 ScaLAPACKなどを含み、HP社のMLIB/VECLIBなどと互換性がある。また固有値計算のARPACKや行列分割のためのMETISなども含んでいる。(HPCwire 2000/4/7)
テキサス州The WoodlandsにあるNEC’s Advanced Technology Computing Centerは、2月、The BCSLIB-EXT (Boeing EXTreme) Mathematical LibraryのSX-5用に最適化した版を公開し、100万自由度の問題に対し、1プロセッサ上で6 GFlopsの性能を実現したと発表した。(HPCwire 2000/2/18)
HPCwire誌のChristopher Lazouは6月日本電気の渡辺貞にインタビューを行った。渡辺は、「チップ上の回路密度が増加するにつれて半導体技術がチャレンジを受けているが、私はSX-5のような並列ベクトルマルチプロセッサが、今後最も期待できる方向性であると思う。」と述べた。(HPCwire 2000/6/16)
“I think future supercomputers will have more compact circuits, providing a faster clock frequency, the new technology will enable the inclusion of more CPUs, more functional parallelism, more unit pipelining and more pins.” — Tadashi Watanabe, Vice President, NEC Solutions |
2000年4月同社は科学技術計算用UnixサーバTX7シリーズの新機種として、V2600モデルを発表した。これは、PA-8600(クロック552 MHz、ピーク性能2.21 GFlops)をノード当たり最大32個搭載できる。
9月には、TX7の上位機種として、共有メモリ並列スカラサーバTX7/superdomeおよびこれに対応するHP-UX11iを発表した。これは、PA-8600(クロック552 MHz、ピーク性能2.21 GFlops)をノード当たり最大64個搭載できる。
2000年5月、Intel社のPentium III (600 MHz)およびPentium III Xeon (700 MHz)を採用した「パラレルACOS i-PX7300」を発表した。OSとしては日本電気のACOS-2/MPを採用するが、Windows機能にも対応する。
2) 日立(メインフレーム事業撤退へ)
日立は3月13日、25年間続いたIBM互換メインフレーム事業をこれ以上拡大させないという決断を行い、米国Hitachi Data Systems社の事業改革を発表した。日立はHDSを、ハード製品販売主体の事業から、サービス・ソリューション事業への転換を図る。メインフレームについては新規顧客の開拓は行わず、現顧客の保守サービスやアップグレードに限定する。
3) 富士通(サーバ戦略)
2000年5月、グローバルビジネスに向けたサーバ戦略を発表した。UnixサーバをPRIMERGY、UnixサーバをPRIMEPOWER、マルチサーバをPRIMEFORCEとした。FUJITSU PRIMEFORCEはメインフレームとオープンサーバを一つの筐体に収納し、メインフレーム資産を生かしながらインターネットにも対応した。11月、PRIMEFORCEにmodel 8007と8015を発表した。
12月、富士通研究所は「ナノテクノロジー研究センター」を発足させた。量子通信、量子コンピューティングを研究するとのことである。
4) 三菱電機(RASH)
2000年ごろ、三菱電機はFPGAを主体とする可変構造型の並列計算機RASH (Reconfigurable Architecture-based Scalable Hardware)を商品化した。UNITは、Compact PCIバス上に、Altera社FLEX10Kシリーズ8個、SRAM 2 MB, PCI interfaceから成るReconfigurable Boardを最大6枚搭載する。さらに複数UNITをEthernetで接続して大規模システムが構築できる。これを用いたDESの秘密鍵探索処理の報告がある。
5) ソニー・コンピュータエンタテインメント社(PS2)
前年の予告通り、3月4日ソニー・コンピュータエンタテインメント社はPlayStation 2を発売した。これに対抗するようにMicrosoft社はXboxを発表する。
6) サン・マイクロシステムズ社
2000年2月10日に、同社やリセラーの営業担当やSEを対象とした社内のHPCの勉強会をやるので協力してほしいと依頼され、講義をお引き受けした。企画は(株)ソフテック。プログラムは以下の通り。
13:00 |
なぜHPCは必要か ―HPCにおけるシミュレーション技術の重要性について |
東京大学: 小柳義夫 |
14:00 |
HPCにおけるコンピュータアーキテクチャ ―その分類と性能との関連について |
ソフテック: 加藤努 |
15:00 |
休憩 |
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15:15 |
バイオインフォマティクスにおけるHPC ―バイオインフォマティクスと並列処理について |
RWCP: 秋山泰 |
16:15 |
HPCにおけるアプリケーションの紹介 ―HPCにおける応用分野とアプリケーションソフトウェアについて |
ソフテック: 大吉哲郎 |
17:00 |
HPCの最新動向について ―ASCIプロジェクトについて |
ソフテック: 大吉哲郎 |
2000年6月29日に、Sun Enterprise 10000 (Starfire)の利用者に限った会合Sun Starfire Club 2000を赤坂プリンスホテルで開催するとのお誘いをいただいたので参加した。プログラムは以下の通り。
14:00 |
ご挨拶 |
代表取締役社長 菅原敏明 |
14:20 |
基調講演:サンのハイエンド・サーバビジネス |
米国サン・マイクロシステムズ スティーブ・キャンベル |
15:00 |
データセンタにおけるシステムの動向と最新情報 |
米国サン・マイクロシステムズ トム・アトウッド |
16:00 |
アワードプレゼンテーション |
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17:00 |
レセプション |
「東京大学様が同社の代表的な顧客」ということで、壇上で記念品(盾)をいただいた。大学のマシンのところに飾った。
2000年7月28日、教育・研究機関および教育サービス関連企業向けのカンファレンス・イベントのJapan ERC (Japan Education and Research Conference 2000)をフォーシーズンズホテル椿山荘で開催した。プログラムは以下の通り。
9:30 |
ご挨拶 |
サン・マイクロシステムズ代表取締役社長 菅原 敏明 |
9:45 |
「サンの教育分野におけるビジョン」 |
米国 Sun Microsystems副社長Kim Jones |
10:00 |
「次世代Digital Library(仮題)」 |
Cornell大 Tom Hickerson |
10:45 |
休憩 |
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11:00 |
「教育ポータル テクノロジーアーキテクチャ」 |
米国 Sun Microsystems James Simon |
11:45 |
「K-12 そのビジョンと実際のインプリメンテーション」 |
米国 Newark Unified School District Superintendent Ken Sherer |
12:30 |
昼食 |
K-12(初等中等教育)
13:30 |
「教育とテクノロジー」 |
フューチャーインスティテュート株式会社鶴谷武親 |
14:30 |
「米国におけるK-12技術動向」 |
米国 Sun Microsystems Guy Haas |
15:00 |
Coffee Break |
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15:15 |
「サンのK12ソリューション」 |
米国 Sun Microsystems Mark Silzer Ph.D |
16:00 |
「K12における遠隔業の実際」 |
米国 Blackboard Inc |
16:30 |
「EduSP & EduPortal」 |
米国 Sun Microsystems Jay Visvanathan |
HIGHER EDUCATION(高等教育)
13:30 |
「次世代大学向け管理ソリューション事例紹介・ケーススタディ」 |
南山大学 大宮則彦 |
14:30 |
「米国の大学遠隔授業の最新動向」 |
米国 Blackboard Inc. Lou Pugliese |
15:00 |
Coffee Break |
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15:15 |
「事例紹介 米国San Diego Supercomputer Center(SDSC)(仮題)」 |
SDSC Ann Redelfs |
16:00 |
「電子図書館、ドキュメント電子化ソリューションの紹介」 |
イスラエル Ex Libris Ltd. |
16:30 |
「コンピュータによる問題解決支援環境(Program Solving Environment)」 -プログラミングフリー科学技術シミュレーションの世界に向かって |
宇都宮大学 川田重夫 |
懇親会
18:00 |
ご挨拶 |
サン・マイクロシステムズ 代表取締役会長 本田敬吉 |
7) 日本IBM社
大阪事業所から頼まれて4月5日「Powerエンジニアリングフェア」の特別講演として「なぜHPCが必要か-HPCにおけるシミュレーション技術の重要性について」という講演を行った。
8) エルピーダメモリ(社名変更)
1999年12月20日に、NECと日立製作所から二社のDRAM部門を切り出して統合し、NEC日立メモリが設立されたが、2000年9月28日エルピーダメモリに社名を変更した。その後、2003月3月、三菱電機からもDRAM事業を譲り受けたが、2012年2月27日に経営破綻し、2013年7月31日にアメリカのMicron Technology社の完全子会社マイクロンメモリジャパンとなる。
標準化
1) OpenMP 2.0
FortranのためのOpenMP version 2.0が公開された。C/C++仕様は2002年。
2) Fortran 2000
Fortran言語の規格を議論しているISO/IECのJTC1/SC22/WG5は、Fortran 95の改訂を議論していた。このころFortran 2000の新しい規格案がまとまりつつあった。実際に公表された規格名はFortran 2003 (ISO/IEC 1539-1:2004)である。
3) JAHPF
1997年に日本で発足したJAHPF(HPF合同検討会)は、第21回合同検討会を1月28日に、第22回を4月21日に、第23回を7月7日に開催した。
第4回のHUG2000が、2000年10月19日~20日にホテルインターコンチネンタル東京ベイにおいて開催された。参加者は84人(アメリカ11、ヨーロッパ7、韓国1)であった。詳細は国際会議の章で。
4) InfiniBand
新しいI/OアーキテクチャであるInfiniBandは1999年から検討が始まっていたが、2000年10月に複数のベンダから構成された業界団体「InfiniBand Trade Association」により、規格書第1版が公開された。1本の線の転送レートは2.5 Gbps双方向で、1本、4本、12本のものが仕様に入っている。
5) 10 Gigabit Ethernet Alliance
企業のコンソーシアムとして、10 Gb/sのethernetを実現し、市場に受容させるために、2000年2月に結成された。IEEE傘下の標準化組織ではないが、密接な連携を保っていた。当初の参加企業は、3Com社、Cisco Systems社、Extreme Networks社、Intel社、Nortel Networks社、 Sun Microsystems社、World Wide Packets社である。3月にはLucent社が加わった (HPCwire 2000/3/3) 。2003年にはEthernet Allianceに統合される。
6) Project Monterey
企業連合による標準化されたIA-64用のUnix OSの開発プロジェクトMontereyはIBM社、SCO社(Santa Cruz Operation)、Sequent社、Intel社によって1998年10月に開始されたが、1999年4月、Compaqも加わり、9月にはIntel社、SCO社、Sequent社がMonterey/64 OSがMerced上でbootすることを確認した。ところが、2000年8月になって、IBM社はSCO社などに無断で、MontereyはAIX 5Lで完成したと発表し、他のメンバから批判された。(HPCwire 2000/8/25) 2003年3月7日にSCO社(正確にいうと、SCOから名前ごと会社を買ったCaldera Systems社が改称した会社)はIBM社を訴え、IBM社がSCOのコードを勝手に使ってLinuxを開発したと主張する。2006年11月30日、裁判所はこの訴えの大半を却下する。
7) Linux
Linuxはビジネスでも用いられるようになってきた。InformationWeek Research社が行ったIT管理職300人の調査によると、彼らの会社がLinuxを使っているという割合は、1999年3月には14%であったが、2000年1月には26%に上昇している。また、11%は、来年中にはLinuxを導入する予定であると述べている。(HPCwire 2000/2/28)
他方、Linuxがオープンソースであることは諸刃の剣であり、侵入者に弱いのではという批判も聞かれるようになった(New York Times 2000/3/29)
2000年5月、The Linux Standard Base (LSB) と Linux Internationalization Initiative (LI18NUX)は合併してFree Standards Groupとなると発表した。Debian ProjectやTurbeoLinuxなどの関係団体や企業が支持と援助を表明した。「Linuxは一つ」が標語となった。(HPCiwire 2000/5/12)
1999年ごろからコンピュータ業界の大手(IBM社、Hewlett-Packard社、SGI社、Intel社など)がLinuxの開発に加わるようになり、開発のスピードが上がった。しかし開発は思うように進まず、はじめ1999年10月に公開が予定されていたLinux kernel 2.4は開発が遅れている。「Microsoft Windowsだって、いつも遅れているではないか」とLinux側は反論していたが、ほめた話ではない。Linus Torvaldsが1997年2月からTransmetaの社員となり、昼間の時間を取られているのでは、という話もあった。(HPCwire 2000/5/5) 2000年夏、2000年秋と完成予定がずるずる遅れた。実際に公開されるのは2001年1月4日である。
8) Global Grid Forum
1999年6月18日にNASA Ames Research Centerにおいて発足したGrid Forum(北米のグリッド標準化団体)は、2000年3月22日~24日にSDSCとNPACIが主催しSan Diegoで第3回が開かれた。(HPCwire 2000/3/10)(SDSC News 2000/3/6) 第4回については不明。
2000年10月15日~18日に、Bostonにおいて第5回のGrid Forum Workshop(GF5)を開催し、11カ国の100の組織から、190人以上が参加した。アメリ以外からも40人が参加した。9つのWGが開催された。(HPCwire 2000/10/13)
恐らくこのGrid Forumの時だと思われるが、北米のGrid Forumと、ヨーロッパのeGrid Forumと、アジア太平洋地域のAP Gridとが統合してGlobal Grid Forumが結成することになった。2001年3月、最初のGGF1がアムステルダムで開催される。2006年からはOpen Grid Forumとなる。
9) P2P (Peer-To-Peer) Working Group
Intel社は、2000年8月24日のSan JoseでのIDFにおいて、P2P接続の共通仕様を策定する標準化業界団体Peer-To-Peer Working Groupを結成したと発表した。P2P接続は,サービスやデータを必要とするコンピュータ同士で直接やり取りする技術である。(日経XTECH 2000/8/30)
10) XML標準化
XML(Extensible Markup Language)はW3C (World Wide Web Consortium)においてSGMLを基に開発されたマークアップ言語で、1998年2月10日にXML1.0がW3Cの勧告になった。これに対し日本規格協会のINSTAC (情報技術標準化研究センター)ではJIS標準化の可能性を考えるため調査研究を行うことになり、どういうわけか全く不適な筆者がとりまとめを依頼された。実際の中心は大野邦夫氏(INSエンジニアリング)。企業と大学から委員を出していただき委員会を構成した。これはXML規格とその応用について世界や日本の動きを調査し、日本が今後どう取り組むべきかを提言することが目的で、XMLの規格制定そのものを行う予定はなかった。もちろん、単なる勉強会でなくアウトプットが必要であった。第1回を7月12日に開催し、ほぼ月1回の会合をもった。様々な分野におけるXMLの応用について調査したが、XBRL (Extensible Business Report Language)については国際的に活躍している渡辺榮一氏(東京商工リサーチ)に委員になっていただき、その結果実際の規格制定にも関与することになった。その間、10月24日には、W3CがCanonical XMLとXML Schemaを勧告候補として公表するなど、様々な動きがあった。応用についても議論が白熱し、とくに電子政府については現在の政府の方針が、紙の書式をディジタル化すればよいというような考え方で、「あるべき姿」から乖離していることを指摘した。
11) XHTML
Webを記述する新しいプロトコルXHTML 1.0が標準化された。これはHTML 4.01をXMLにより再定義したもので、HTML 4.01と同様にStrict、Transitional、Framesetという3種類のDTDが存在する。2000年1月26日に勧告となり、2002年8月1日に改訂版であるSecond Editionが勧告される。
12) SOAP
Webサービスにおいて構造化された情報を交換するための通信プロトコルSOAP(元々はSimple Object Access Protocol)は、1999年9月13日にIETFに原案が提出され仕様が公開されたが、この提案はRFCとはならなかった。2000年5月8日にはSOAP Ver. 1.1がW3C Noteとして公開されたが、W3C勧告とはならなかった。2003年のVer. 1.2はW3C勧告となる。(Wikipedia, “SOAP”)
13) ICANN(非営利法人設立、新トップドメイン、米国政府の関与)
新HPCの歩み(第94回)に書いたように、1990年にJCRNが設立され、これからDomain NameやIPアドレスなどのインターネット資源の割り当てのための組織JNICが生まれた。筆者も多少関係した。その後(株)日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)に進化した。
世界的には、米国政府の援助も受けつつ技術者や研究者のボランティアで運営されてきたIANA (Internet Assigned Numbers Authority)がインターネット資源管理の責任を負っていた。1993年からはNSFがIANAの活動の一部を支援し、拡大し続けるインターネットに対応しようとした。1990年代後半になると、インターネットが社会に急速に浸透し、当時NSFからの委託でドメイン名等の管理を行ってきたNSI社(Network Solutions Inc.)に対し独占という批判が高まり、今後インターネット資源の世界規模での調整をどうすべきかについて活発な議論が行われた。クリントン政権は1998年2月、IPアドレスやドメイン名などの資源の管理を、政府の管理ではなく、非営利法人の管理に移すべきという方針を示した(HPCwire 1998/2/6)。これは1998年10月の民間の非営利法人ICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)の設立につながった。IANAはその下部機関となった。詳しくはJPNICの「ICANNの歴史」を参照のこと。
世界中でICANNの一般会員を広く募集し、会員の投票によって理事を決めることになり、2000年5月18日、「ジャパンICANNフォーラム」という会が発足した。このフォーラムはICANNの活動の重要性を日本に広く広報し、その理事に日本から選出するための環境を整えることを目的としていた。ことになる。これを母体としてAt Large委員会が設立され、ICANNに対して日本を代表する組織となった。筆者も委員の一人となった。実際にはほとんど出席できなかったが、6月2日、6月13日、6月15日と急いで議論をまとめ、6月30日、第2回 ジャパンICANNフォーラム会合を如水会館で開催し、理事候補者が紹介された(筆者も出席)。第4回のAt Large委員会を9月7日、第3回ジャパンICANNフォーラム会合を9月20日に開催し、10月1日~10日の理事選挙に備えた。これら努力の甲斐あって、富士通の加藤幹之(かとう まさのぶ)氏がアジア・太平洋地域の理事として当選した。なお、慶應義塾大学の村井純氏は初代At Large理事として、1998年10月から就任している。
2000年11月16日、ICANNは新しい7つのトップドメイン名を決定した。「.biz, .info, .name, .pro, .museum, .aero, .coop」である。 2001年半ばから使用可能になる予定である。その後、ICANNの運営について地域選出の理事から不明朗であるとの批判が出され、アメリカの連邦議会上院の商務委員会がヒアリングを行うことになる。(HPCwire 2001/2/16)
歴史的な理由で、当面は米国政府とICANNが共同で運営に当たるということで、IANA契約を結び、米国政府からの委託という形で運営することになった。これまでインターネットの立ち上げに米国の多額の予算がつぎ込まれて来たとはいえ、全世界のインターネット資源に米国が監督権限をもつことに対して批判もあり、この監督権限は2000年9月30日までとされた。しかし、実際にICANNが米国政府の監督権限から離れたのは2016年10月1日である。
次回はアメリカを始め各国の政府関係の動きと世界の学界の動きである。アメリカではASCI Whiteが完成し、ASCI QはCompaq社が受注する。中国でもスーパーコンピュータセンターが設立され始める。
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