世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

9月 7, 2015

HPCの歩み50年(第54回)-1996年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

日本では並列処理に向けて、様々な動きが行われていた。富士通と日本電気はベクトルコンピュータの開発を進めている一方、汎用プロセッサを用いた並列コンピュータの開発にも力を入れた。日立は、疑似ベクトル処理に基づく超並列機SR2201を出荷し、東大の1024プロセッサのマシンは6月のTop500の首位を占めた。

日本の学界の動き(続き)

14) 日本原子力研究所
前年度発足した原子力研究所の計算科学技術推進センターは、1996年3月11日に、駒込から中目黒の金属材料技術研究所内に移転した。これにあわせて、VPP300/16、Cray T94/4、SX-4/2C×3、SR2201/64、SP2/48の5台の並列コンピュータを設置した。12月4日の第3回並列計算ライブラリ開発専門部会の会合でマシンを見学した。部会員やその学生はセンターの並列コンピュータを実際に使用して、作業することになった。

また、那珂研究所において、核融合のための超並列計算機シミュレーション研究を目指す「数値トカマク研究会NEXT (Numerical Experiment of Tokamak)」が発足し、核融合に限らず種々の分野の超並列計算機利用の現状と将来を捉えるために研究集会を企画した。世話人は徳田伸二。当時、原子力研究所にはVPP500/42とParagon XP/256が設置されていた。

第1回研究集会は1996年2月8~9日に那珂研究所で開かれ、筆者にもお誘いがあった。核融合プラズマ、天体プラズマ、流体力学など10件ほどの発表があった。プラズマ核融合学会誌では、8・9月号に小特集「超並列計算機を用いたプラズマのシミュレーション」が企画された。その後毎年開催されている。

これとともに原子力コード研究委員会の下に数値トカマク専門部会がつくられ、筆者も参加した。年度内に5回開催された。プラズマのシミュレーションコードのひな形を日本のコンピュータメーカに提示して、技術的な検討を行った。実質的な中心人物は、1993年に航空宇宙技術研究所を定年退職し、材料科学技術振興財団参与となっていた三好甫であったと思われる。

15) JAHPF準備会
(財)高度情報科学技術研究機構の三好甫副理事長の発案により、富士通、日立製作所、 日本電気の3社の言語・コンパイラ有識者が集まり、「HPF合同検討会 (準備会)」を1996年7月から12月まで開催した。その結果、1997年1月に「HPF合同検討会(JAHPF)」が発足した。

16) 産業基盤ソフトウェアフォーラム(SIF)
大学、国立研究所、企業の研究部門などにおいて、さまざまな応用ソフトウェアが開発され、成果が上がっているが、それが産業の基盤として機能するためには、幅広くユーザーが利用し改良を重ねる必要がある。そのため、産官学が協調して実用的段階まで育成する場をつくるために、産業基本ソフトウェアフォーラム(SIF, Software Infrastructure Forum)を設立した。富士総合研究所の協力を得て、3月25日に第1回設立準備会を開催し、関口智嗣(電総研)を中心に数回の準備会を経て、8月2日に設立総会を行った。

最初、法人会員14社、個人会員15名で発足したが、最終的には法人会員16社、個人会員31名となった。代表は筆者、副代表は小林朋文(日立)が務めた。企画総務幹事は関口智嗣(電総研)、調査研究部会幹事は山田和夫(富士総研)、提案支援部会幹事は佐藤三久(新情報処理開発機構)、育成支援部会幹事は土肥俊(日本電気)、普及支援部会幹事は小池修一(三菱総研)、監査は高橋亮一(東工大)と井舎英生(CRC総研)であった。

設立総会の記念講演として、「ソフウェア技術の研究開発のあり方」(情報処理振興事業協会理事 棟上(とうじょう)昭男氏)および「産業技術インフラとしてのソフトウェア基盤~コンピュータ ケミストリーの推進を通じて~」(昭和電工 荒井康全氏)をお願いした。

1999年3月までの約2年半に期間を限定し、成果をみてその先を考えるとしたが、実際には1年延長して2000年3月まで継続した。社会に向けての講演活動、調査活動、広報活動などを行った。様々なソフトウェアの実用化支援の可能性を探ったが、一番力を入れたのは、高田俊和(日本電気)らが開発したVRMS(バーチャル・リアリティ顕微鏡)の利用普及であった。これは非経験的方法による分子の電子状態の計算を行うソフトウェアである。評価版をSIF経由で配布し、講習会を行い、使用相談に応じる他、コンテストも行った。

16) PHASEプロジェクト
前年始まったPHASEプロジェクトは、手弁当なのであっという間にまとまった。第6回のミーティングは1月11日に開かれ、JCRN, Ninf, PSC、Moriplotなどを含むHPC関係の種々の情報の公開を行うことを検討した。いろいろトラブルはあったが、どうにかサーバが動くようになった。5月、netlibの正式ミラーサーバが稼動した。その他種々の情報を公開した。

17) 高エネルギー物理学研究所
筆者が1978年まで在職した高エネルギー物理学研究所の共通計算機システムは、所内の全体的な計算のために設置されているが、1996年1月、メインフレームのHitachi M-880から、25ノード、75 CPUのUNIXサーバマシン群にダウンサイジングされた。

日本の企業の動き

1) 富士通
FUJITSU VPP500をCMOS化したVPP300は前年1995年2月に発表されたが、PE数は最大16と小規模にとどまっていたので、いずれ大並列マシンが発表されるのではないかと予想していた。1996年2月、富士通はVPP700シリーズを発表した。VPP300と同様ノード当たりピーク2.2 GFlopsで、最大512PEまで構成でき、その場合のピーク性能は1126 GFlopsであった。VPP700Eはノード当たり2.4 GFlopsである。

1999年11月のTop500に収録されているVPP700は以下の通り。

AP3000

FUJITSU AP3000

出典:一般社団法人情報処理学会Webサイト

「コンピュータ博物館」

設置組織 機種 Rmax 設置年
理化学研究所 VPP700/128E 268 1999
ECMWF(イギリス) VPP700/116 213 1997
九州大学 VPP700/56 110 1996
Leibniz Rechenzentrum(ドイツ) VPP700/52 106 1998
ECMWF(イギリス) VPP700/48E 97.5 1998
国立天文台 VPP700/22 45.9 1999
オングストローム技術組合 VPP700/20E 45 1999
通信総合研究所 VPP700/17E 38.5 1998

スカラプロセッサを用いた超並列機としては、1996年3月にFUJITSU AP3000を発表した。プロセッサとしては64ビットSPARCアーキテクチャのUltraSPARCを使用し、ノード当たり1または2個のCPU (SMP)で、最大1024までのノードで構成できる。相互接続ネットワークはAdvanced Parallel System Network (AP-Net)という2次元Torus Networkである。高エネルギー物理学研究所はKEKB加速器のため、AP3000(28 CPU)を7台発注した。

富士通並列処理センターは1996年11月12~13日に富士通川崎工場で「第6回研究交流会(PCW’96)」を開催し、Prof. John Darlington (Imperial College, London)とProf. Robin Stanton (ANU)が基調講演を、喜連川優(東大)と筆者が招待講演を行った。

2) 日本電気
日本電気は、メモリを増強したSX-4Bを発表した。従来のSX-4はシングルノード(32 CPUまで)で8 GBであったが、SX-4Bでは32 MBのメモリを持てる。

NCARでの日米摩擦の一件は後述する。
CPUチップとしては、MIPS RISC R5000のNEC版であるVR5000を発売した。

3) 日立
日立は、1995年7月21日に最大300 GFlopsのSR2201を発表していたが、2月に東京大学大型計算機センターにSR2201 (1024 PU)を設置し、5月から正式運用した。前に述べたとおり220.4GFlopsで6月のTop500の首位を占めた。このとき日米貿易摩擦のこともあり、外国機の導入も視野に入れて仕様書が作られ、海外機の応札もあったが、価格/点数の比較でSR2201が落札した。

高橋大介・金田康正は、東京大学大型計算機センターのSR2201を用いて、1997年8月3日に、円周率の値を515億桁まで計算した。

HPCとはあまり関係ないが、日立は1996年、アメリカのメインフレーム市場において、IBMに次ぐ2位の地位を占めた。1995年はIBMが80%、Amdahlが12%、日立が7%であったが、1996年にはIBMが73%、日立が20%、Amdahlが7%であった(HPCwire1997年7月11日)。たとえば、日立系のViON社は、1996年8月には、アメリカの社会保障番号(SSN)管理用のシステム購入計画MAP 2000 (Mainframe Acquisition Project Year 2000)を受注している。

アメリカのHPCCは1996年9月(年度末)に終了したが、その成果を踏まえて、これを拡張したより包括的なCIC R&D計画(1997年度~2001年度)が策定された。ASCI 計画も着々と進んでいた。

(タイトル画像: FUJITSU VPP700 出典:一般社団法人情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」)

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