世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

11月 1, 2018

【わがスパコン人生】第7回 平尾公彦

島田 佳代子
Toshio Kobayashi

           第7回 平尾公彦
コンピュータはツールであって目標ではない

 
研究者として多くの成果をあげられるだけではなく、多くの人材を育成されるなど、現在に至るまで日本の科学技術発展のためにご尽力される平尾公彦先生に、「京」コンピューターや、長い研究生活を通じて印象に残っているエピソードなどをお聞きしました。
 

日本のHPCを一変させた「京」コンピュータ


―先生のバックグラウンドを教えてください。

生まれは愛媛県の新居浜市です。近くには山も海もあって、山ではチャンバラをしたり、基地を作って冒険をして、海では泳ぐことも大好きでした。中学生の頃、夜に友達と遠泳をしていたら、海上保安庁に「こんな夜に泳がないでください」と、船に引き上げられたこともありました。そうやって割とやんちゃ坊主で遊びまわっていました。

中学校では陸上部で一生懸命活動をしていたので、勉強をしだしたのは高校に入ってからです。その頃は理工科ブームだったこともあり、自然と理工学部を目指しました。陸上を頑張り過ぎたこともあり、一年浪人して京都大学へ入り、後にノーベル化学賞を受賞された福井謙一先生の研究室で学ぶことになりました。

私が大学院へ入った1969年に京大の大型計算機センターが設置され、富士通のFACOM230-60という、当時国産で最も性能が高かった汎用機が京大に入ったのです。それから、私の専門である理論化学や計算化学での手助けとして計算機を使い始めました。

ドクターへ進み、学位を取りましたが、その頃は非常に就職難だったこともあり、カナダへ1年留学しました。アルバータ大学に偶然日本人の藤永茂先生という、私が当時研究していたテーマと非常に近い分野の先生がいらして、ぜひ一緒に研究をさせて頂きたいと、アルバータ大学を選びました。

―実際にカナダへ行かれてどうでしたか?

その頃の日本は貧しかったですので、カナダへ行って、こんなに自由で豊かな国があるんだと、本当にびっくりしました。物質的にも非常に豊かでしたし、医療制度や保険制度も完備されていて、良い社会を創っているなと思いました。日本とは違う社会を見て、いろいろな意味で参考になりました。

コンピュータも進んでいましたね。日本はまだTSS(タイムシェアリングシステム)というものがなく、カードでプログラムを組んで、それをカードリーダーにかけて結果を出すというものでしたが、カナダではカードはなくて、直接打ち込むTSSが発展していました。その差は歴然でしたが、カナダの学生の方が日本の学生よりも進んでいるとは感じませんでした。

 
 

―カナダから戻れてからのことを教えてください

カナダで1年過ごしたのち、滋賀医大、イギリスのシェフィールド、名古屋大学を経て、1993年から東京大学の工学部へ行き、17年ほどいました。東大は工学部だけでも教授が150人くらいいるので、管理職になることはないだろうと思っていたのですが、いつの間にか、学部長となり、副学長になってしまいました。学部長になると忙しくて自分の研究に時間を割くことはなかなかできませんが、東大へ移ったはじめの10年間は自由に研究をさせてもらうことができ、東大には本当に感謝しています。

理化学研究所(以下理研)が開発している第一原理量子化学計算ソフトウェア「NTChem」の開発メンバーには私の教え子たちがいますが、元々私が東大にいた頃に日本で初めての本格的な分子理論計算のプログラミング・パッケージとなる「UTChem」を開発しました。

プログラムというのは、理論があってそれを数式にしてプログラムにするのですが、理論が完全に分かっていないとプログラムはできません。それに、ソフトウェアというのは、実はフォートランの1行と1行の間には随分と人の創意工夫が入っています。そういったことは実際にプログラムを作ってみないと分からないんですよね。学生にとっても非常に良い訓練になる、勉強になると思ったことがきっかけで開発したソフトウェアです。

―多くの学生と接する上で、気を付けていたことはありますか?

毎年大きな研究室で沢山の学生がいましたが、1人1人違います。本当に頭の良い子もいますし、非常に勇敢な子もいます。愛情の深い子がいたり、人が嫌がることを率先してやってくれる子がいたり。だから、成績の良し悪しだけで判断するのではなく、人間というのはいろいろな側面があって、いろいろな測り方、メジャーがあることを分かって欲しいです。1つのメジャーというのは、それで測れるものしか測っていないのですよ。しかし、人間はそれを超えて、いろいろなファクターがあって、良いところが沢山あるので、そこをきちんと理解して欲しいと学生たちにも話していました。

―長い研究生活の中で印象に残っているエピソードはありますか?

ずいぶん前ですけれども、MRMP(Multireference Moller-Plesset)法という新しい分子理論を開発しました。私達が使っている数学には、変分法、摂動法やクラスター展開法という3つの主な方法論があります。いずれも有効な数学的方法であり、それぞれに哲学があって、長所と欠点があります。それまでの理論開発は1つの方法論の枠組みの中でのみ行われてきました。摂動論では摂動の次数をあげることによって、変分法ではより高次の電子励起を取り込むことによって理論の精度を追求してきました。単純な分子は良いのですが、少し複雑な分子になると、なかなかそれが上手くいかなくて、皆さんがどうやったら良いのだろうと悩まれていました。そこで、私は変分法と摂動法を組み合わせ、それぞれの長所を生かしたハイブリッドの理論を作ったらどうだろうと研究を進めたところ、非常に簡単な理論なのですが、計算も簡単で驚くほど良い精度が出たのです。実際に数値計算をして、思わぬ良い結果が出たときは感激しましたね。私たち研究者というのは、今までの過去の積み重ねよりも、ちょっと前に出ないといけません。わずかな一歩でも前へ進めたときはとても嬉しいですね。それが研究を通じての楽しみでもありました。

―東大を退官された後のことを教えてください

東大を定年退官する際に、ある私立大学から声を掛けて頂いていたのですが、契約書にサインをする直前に、理研から新たにスパコンのセンターを立ち上げるので、来てくれませんかと話が来ました。私自身は計算機を専門にやっているわけではなく、計算機を使って様々なサイエンスを展開する、計算科学の人間でしたので、果たして私に務まるのかと躊躇しました。それで、その分野の友人たちに相談をしたところ、ほとんどの人たちが、「行かない方がいい」「やめた方がいい」と言うのです。

その頃は事情もよく分からなかったのですけれども、あまりに皆さんが「やめた方がいい」と言うものですから、逆にやってやろうと(笑)。それで2009年4月から理研へ計算科学研究機構設立準備室長として籍を移すことになりました。当時は国家プロジェクトである「京」の開発はベクトル機とスカラ機からなる複合機として開発が進められていましたが、なんと5月にベクトル機を担当していたNECと日立がプロジェクトから脱退してしまいました。大混乱でしたね。友人たちが「やめた方がいい」と言っていたのは、これだったのかと思いました。

NECと日立の撤退により、スカラ型へ変更し理研と富士通で開発を進めることになりましたが、その後処理にてんやわんやしていたら、11月には事業仕分け。踏んだり蹴ったりです。それでも、なんとかしなければいけないと思い、あらゆる人脈も使って元に戻す為に必死でした。

苦労は多かったですが、サポートしてくれる方々も多くいて、我々も心強かったです。県と市にもずいぶんお世話になりました。当時の神戸市長にお願いへ行き、京が設置される計算科学研究機構があるポートライナーの最寄駅の名前を「京コンピュータ前駅」へ変えてもらうことができました。駅名を変えるには、ただ看板を変えればいいだけではなく、様々なところを変更しなければいけないので大変なことです。

―「京」は世界1位を獲得しました。この時のお気持ちは?

1位と言った手前、2位になったら怖いですから、ほっとした気持ちはありました。あの頃の日本は失われた20年とも言われていて、日本の国際的な地位が低下している頃でした。国際競争力もかつては1位だったのが、一人当たりのGDPも随分と下がってしまっていました。「京」が世界1位を獲得した時に、大勢の方からお祝いの手紙やメールを頂きました。中には海外で日本製品を売っている方から、「世界1位、おめでとうございます。これまではちょっとうつむき加減で日本製製品を売っていましたが、これからは堂々と胸を張って仕事ができます。ありがとうございました」というメールもありました。

日本は2002年に地球シミュレータで世界1位になっています。地球シミュレータというのはベクトル方式でした。すでにその頃はアメリカを中心としてスカラ型の並列機でスピードを上げようという方向に切り替わっていました。日本は究極のベクトル機を作って、世界一位となり、もちろん良かったのですが、ユーザーもベクトルの方に流されていましたので、切り替えが上手くいかず、世界から遅れてしまいました。

スカラの並列機である京が出てきたことにより、皆さんが我が国でも並列計算をやらなければいけないと切り替わって、その方向でいろいろな成果が出ていましたし、プログラミングもそういう方向に思考自体が変わりました。そういう意味では、京が持つパフォーマンスが非常に優れていて、多くの成果が出せただけではなく、日本のHPCを一変させたという意味でも京の果たした役割は非常に大きかったと思います。計算科学技術の底上げに貢献しただけでなく、わが国に超並列計算科学技術を定着させました。

 

科学技術が最もエキサイティングな時代へ


―HPC、AI(人工知能)、ビッグデータなど、最近の科学技術の発展についてはどう思われますか?

多くの人が感じていると思いますが、AIやビックデータ、また大規模なスパコンやICT(情報通信技術)などで世の中が大きく変わろうとしています。あくまでも私自身の解釈ですが、現在は第4次の科学技術革命ではないかと思っているのです。16世紀にコペルニクス、ガリレオは地動説を唱え、地球は太陽の周りをまわっており、地球は決して宇宙の中心ではないというのが、人類の認識を変えた第1次だと思います。

第2次がダーウィンの進化論。19世紀、ダーウィンは「種の起源」で進化論を発表し、人間は神が作り給うたものではなく、人間も他の生物と同じように突然変異と自然淘汰の繰り返しによる生物的進化の一つであると主張しました。第3次が、少し専門的になるかもしれませんが、20世紀初頭のアインシュタインだと思います。不変なものは光の速度だけであって、他は相対的に変わるものですよという、これは物理学というか、物事の見方を根底から変えました。そして、第4次というのが、今起こりつつある科学技術革命ではないかなと思います。生物と機械とは何が違うのか?生命とは何か?が問われている気がします。これはあくまでも私自身の勝手な解釈ですが。

以前、一般の方向けに「京を知る集い」などを行っていたことがあり、「コンピュータがこれだけ発展すると、将棋や碁ではコンピュータが人間を超えてしまうのではないですか?それをどう思われますか?」と聞かれることがありました。私は将棋や碁といった一種のルールがある世界での競争では、おそらくコンピュータが人間を超えてしまうと思うのですが、ルールがない世界、例えばサイエンスといった世界では人間の方がまだ優れているのではないかとお答えしていました。

ところが、今の技術の進展のスピードというのは、拡散スピードも非常に速くなっています。どこかで開発されたことが、かつてのように徐々に拡がるのではなく、瞬く間に世界中へ拡がり急激に普及します。その波及効果がどんなものか分からないうちに、世界中へ拡散されてしまうということがあり、予測し難いところもありますね。なかなか人間の方がついていけません。技術のほうが非常に先に進んでしまっています。

―将来的にHPC(スパコン)とAI(人工知能)の融合はあるのでしょうか?

HPCは、どちらかというと、最初に条件を与えてやれば、あとはシミュ―レーションで走り出すわけで、演繹的アプローチです。AIやデータサイエンスはどちらかというと、人間にも処理出来ないような莫大なデータがあって、その中から特徴量を抽出するという帰納的推論です。

ただ、今のAIやディープラーニング(深層学習)は方法論的にはそんなに新しいわけではなくて、むしろHPCが発展したから、今まで出来なかったことがディープラーニングで出来るようになって、それで精度も上がり、実用に使えるようになりました。今はそれぞれが違いを際立たてる方に動いていますが、両方を取り込まないと、サイエンスのその後の発展はないですから、将来的には融合しないといけないでしょう。

 
 

―これからはどういったことをされたいですか?

私自身は2018年3月に理化学研究所の機構長を退任して、今は顧問を務めています。ポスト京が完成するのが2021年だと思うのですが、その頃まではお手伝いをさえてもらえたらと思っています。

理研以外では、ひょうご科学技術協会で理事長をしています。主に若い研究者を支援する活動を行っています。今年の10月からは京都大学の福井謙一記念研究センターでリサーチディレクターも務めます。一研究者にもどります。

現代は科学技術の最もエキサイティングな時代です。21世紀は技術主導の科学の時代です。強力な科学的測定装置が科学を主導し、新しい領域を開拓しています。例えば、大型ハドロン衝突型加速器は素粒子論を、次世代ゲノムシークエンサーは生命科学を、ハッブル宇宙望遠鏡やすばるは宇宙論、天文学を大きく発展させました。重力波を初観測したLIGOもそうです。

スパコンはこうした傾向を加速することでしょう。ある特定の領域に利用される他の科学的装置と違って、スパコンはあらゆる科学技術分野で力を発揮します。そこが他の装置と違います。おそらく、今後も様々な分野でコンピュータによるシミュレーションは予測能力を格段に上げていくでしょう。コンピュータというものはツールであって目標ではありませんから、それを使って何をするかということが一番重要です。シミュレーションの演繹的推論とデータサイエンス、AIの帰納的推論、両者の融合で新たな価値が創出されていくことでしょう。

コンピュータは、単に科学技術だけの発展に貢献するだけではなく、いまや社会の基盤技術となっていますので、社会に起こるあらゆる事柄にコンピュータが関わっています。これから先はそれが更に複雑に絡んでくると思いますし、人類が抱えている様々な課題、その解決にコンピュータは大きな力を発揮するだろうと思います。これから完成するポスト京もそれに適ったスパコンであることは間違いないと思います。ポスト京を大いに活用して、世界があっと驚くようなことを、私自身は出来ないでしょうけれども、若い人達がやることを少しでも手伝いたいと思います。

 

平尾公彦 略歴

1974年 京都大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)
1988年 名古屋大学教養部教授
1993年 東京大学工学部工業化学科教授
1995年 東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻教授
2004年 東京大学工学系研究科長・工学部長
2007年 東京大学副学長
2008年 東京大学理事・副学長
2009年 理化学研究所 特任顧問、東京大学名誉教授
2010年 理化学研究所 計算科学研究機構長
2018年 理化学研究所 計算科学研究センター 顧問

(写真)小西史一