提 供
【わがスパコン人生】第13回 姫野龍太郎

これからは 高齢者の健康問題に
取り組んでいきたい
姫野ベンチマークテスト(姫野ベンチ)の生みの親で、血流や野球の変化球などの研究で広く知られる姫野龍太郎先生に、日産時代のことから現在取り組んでいること、これからのHPCに求めるものなどお聞きしました。
―幼少期のことを教えてください。どういったものに興味があるお子さんでしたか?
生まれは大分県の別府です。小学生の頃は外ではあまり遊ばず、木で工作をしたり、比較的古い家でガラクタがいっぱいあったので、蓄音機やラジオなどを分解して遊んでいましたね。あと、本をよく読んでいました。マイケル・ファラデーのロウソクの科学やファーブル昆虫記にシャーロックホームズシリーズなど。それに科学という付録が付いた月刊誌が好きで、楽しみにしていました。
―中学生や高校生の頃はどうでしたか?
中学までに読んでいた本は自然科学、推理小説やSF系でしたが、高校1年生の時に突然、文学に目覚めまして。ちょっと遅い思春期だったのか、人は何のために生きているんだというようなことを考えるようになりました。三島由紀夫の仮面の告白がきっかけだったかと思います。
実は高校の入試の時の成績が学年で8番か9番だったんですよ。それが、入学したら、突然小説ばかり読むようになって、どんどん成績が下がり、百何十番にまでなってしまい、入試の時にカンニングをしたんじゃないかと思われたこともあります(笑)
―成績が下がることに対して、焦りのようなものはありませんでしたか?また、ご両親の反応はどのようなものでしたか?
両親は文句を言っていたとは思いますが、私は聞いていませんでしたし、焦りなんてありませんでしたね。もっと重要なこと、今まで本当に考えなければいけないことを考えてこなかったという思いがありましたから(笑)。小説を1年間ずっと読んでいたら、現代国語のテストで「作者の意図はなんだ」という問題があるじゃないですか。それまでは、こんな問題に正解はあるのかと思っていましたが、ビシっと決まるんだなということが分かるようになり、テストでもほぼ満点が取れるようになりました。1年生の時に下がっていた成績も、2年生から徐々に上がって、3年の時には1桁台にはなりました。
―その頃には大学では何を学びたいか、決まっていましたか?
アレクサンドル・オパーリンという生化学者の「生命の起源」という本を読んで、こういうことがやりたいと思っていました。ところが、徐々に興味がコンピュータに移り、大学4年生の時には電磁流体力学を応用したMHD発電方法の効率を最適化するにはどうしたら良いかという研究をコンピュータでやっていました。その時にコンピュータシミュレーションもやったんですよ。そこから、ずっと繋がっています。修士までは京都にいて、修士の時には核融合炉からの発電の研究をしました。
―そこから、なぜ日産(車)なのでしょうか?
単に車が好きだったからですね。大学院は宇治にあるキャンパスに通うことになって、家庭教師もしていたので、中古の車を買いまして、それが日産のチェリーX1という車でした。それと、すごく頭の良い人たちは、電力会社か官公庁へ就職するのでしょうが、あの辺と戦ったら負けるなと思って、あまり電気出身の人がいないだろうというところを選びました。
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―日産に入社して、最初に取り組まれたことを教えてください。
最初の配属面接で希望を聞かれて、「ガソリンがなくなった時の車の動力源をやりたい」と言いました。結局、希望は聞かれただけでした。実際の配属は大学の学部と修士の間、ずっとコンピュータシミュレーションをやっていたので、その応用で、当時はちょうど車体の強度を上げるための構造解析のソフトウェアが充実してきて、次のターゲットは流体だと言われて、それを担当することになりました。
始めは商用のパッケージを買って済まそうとしたけれど、その当時は使えるものが殆どなかったんですよ。色々テストして上手くいかなくて、手法を含めて研究をしていましたが、「世界中で偉い先生が何百人、何千人とかかってこういう研究をしているのに、お前ひとりで何ができるんだ」と言われましてね。色々と見てみると、本質的に会社というのは外部の権威に弱く、社内にいる人間の実力は分からないということが分かり、まずは外部(宇宙科学研究所)の先生の所へ研究生として行きました。
その後は、時々宇宙研に顔を出しながら、会社の中で、計算するためのデータをどうやって作るかということに取り組んでいましたが、時間が掛かりましたね。あとは車の外側の流れだけではなく、空調と冷却ファンの流れだったり、トルクコンバータとか、色々な流体問題をやっていました。
―その当時で記憶に残っているエピソードはありますか?
デザイナーがあまり考えないでデザインをすると、エンジンが入らなくなるというのは何とか収まるようにデザインを変えますが、後になって深刻になるのが、冷却風が足りないということ。エンジニアもなるべくデザインを活かせるように頑張るんですよ。でも、最後でオーバーヒートしてしまうなんてことがあるとまずい訳です。
それで色々と不具合が出たりして、これはなんで?と持ち込まれることがありました。一度、後から考えたら、すぐ分かるじゃないと笑ってしまったのが、開口面積は完全にこれで足りているはずだけれど、最後に冷却風が足りなくて、どうしても基準を満たせない。なぜか分からないと持ち込まれたものがあり、計算を色々したのですが、なかなか原因が分からず・・・ハッと気が付きました。なんと、ナンバープレートが穴を塞いでいたんですよ。おいおいと。デザイン初期ではナンバープレートなんか付けていないのですよ。最初に手掛けたのはシルビアという車で、フェアレディZといったスポーツカーの計算はしましたよ。
―先生は野球のフォークボールの研究でも知られていますが、フォークボールの研究を追求しすぎて、理化学研究所へ移られたというのは本当ですか?
はい。野球のボールもひとつの転機でした。他の理由としては、日産には約20年いてそれなりに評価して頂いて頂きましたが、このままいくと自分がこの先、5年、10年経つとどうなっているか、だいたい予想ができます。それで、もう少し違うことをやってみたいと思たことがあります。
僕自身は元々は電気の出身で、流体力学は大学ではやったことがなくて独学なんですよ。だから、流体をやっていると、ずっとアウェイで、大学で流体を学んだ人たちからすると、「えっ、こんなことを知らないの?」ということを知らない訳です。当然、必要なことはその都度やりましたけれど、網羅しているわけではないので、知らないこともあって、ずっと何となく引け目を感じながらやっていました。それなのに、会社の中で20年やっていれば、いっぱしの専門家な訳で、チャレンジングなことをしようとしている人に対して、「そんなものは駄目だよ」と偉そうに言ってしまう自分に、それはおかしい。ちょっとまずいと感じていたこともあり、理化学研究所へ移ることにしました。
―理化学研究所へ移られてから、取り組まれていた血流の研究について教えてください。
理研へ移ってからは、元々は脳動脈瘤といって、瘤状に血管が膨れ上がって破れると死亡率が40~50%とか、そういったものが予測できないか研究していました。瘤があっても破裂しない人がいれば、する人もいるので破裂するリスクがどれ位あるか、また、治療しやすい形の瘤があれば治療しにくい形の瘤もあります。頭蓋骨を開くと大変な手術になるので、カテーテル手術と言って血管内を通して手術をする技法があります。ただ、適用できる場合と向かない場合とがあるので、その辺のことを診断できるようにと研究を始めたんですが、その過程で血管の形がどうやって決まっているのか、コンピュータで調べるようになりました。
血管の形そのものは、遺伝的に決まっている訳ではなく、もちろん真っ直ぐな血管だったら円筒形になりますが、ふたつに枝分かれしている時の形の決定には流体力学的な要因もあるだろうと予測し、研究を行っていたところ法則が見つかったんですよ。それが分かったら何が良いか、例えばバイパス手術をしたときに、血管をどう繋ぐか。変な風に繋いでしまうと、そのあと血管がその法則に従って適応するのに時間がかかるんです。最初からこうして繋げばいいということが結果から言える訳です。
―スパコンの性能が上がれば、上がるほど、そういった計算ができるようになりますが、先生にとってスパコンとはどういったものでしょうか?
単なる道具なんですよ。物凄く高性能な道具なので、やっぱりどう使うかが問題で、特定した用途だけで使えるものではなく、何をやるかで価値は決まると思います。
性能は上がっていますが、計算機の能力がまだ足りないと切実に感じる分野は量子化学計算、触媒とか、あの分野はもう少しスピードが上がってもらいたいと感じる分野ですね。例えば薬の開発では、こういう化学物質がこのたんぱく質とどこで反応するかとか、どのくらいの結合力があるといった計算をしようとすると、今の計算機だと足りません。もう100倍とか、1000倍必要です。
京もそうでしたが、今度の富岳のように、たくさんの数を並べたら、たくさんの計算を一度にできるようになるけれど、1個の計算が速くなるわけではないので、そこがなんとかならないかなというところですね。薬の話は製薬会社と一緒にずっと研究会をやっていたので、彼らが使える道具を何とか開発していきたいという想いはあります。それはHPCの課題ですかね。
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―スパコンは今後、どうあるべきだと思いますか?
今まではひとつのマシンで、世界最速というものを目指してきたけれど、それはもうそろそろ変わると思います。あれだけのお金をかけて、計算する意義が見い出せるか、皆の賛同が得られるかという意味では、ものすごく難しいと思います。
もちろん、基礎研究にお金を注ぐ価値はありますが、巨大なサイエンスは加速器もそうだし、宇宙探査も実はそうだと思いますが、全部で世界一を目指すのはあり得ないし、世界一ってたぶん、そのこと自体には必ずしも強い意味はないと思います。皆の賛同が得られて、国民からそれは役に立つよねと思ってもらわないといけないので、見える成果を出し続けられるかというところに鍵があって、もう少し企業なり、企業でも部署ごとに使えるようなマシンを開発した方がいいのではと思います。
―量子コンピューティングや、今のAIブームに対してはどう思われていますか?
AIは役に立つ分野で使っていくんでしょうね。量子コンピューティングはそれこそ、限られた分野ではまるところにははまると思うので、どちらかというと専用機的な位置づけかなと思います。スパコンから全てを置き換えるような話ではないと思います。
―姫野ベンチマークテスト(himenoBMT)のことを教えてください。
あれは自分でもすごく不思議ですよ。元々、なぜあれを作ったかというと、シンキングマシンズやコネクションマシンとか、並列計算機が結構出てきた時があって、社内で使っていた僕が作った空力のシミュレーションソフトを使って、性能テストをしたかったんですよ。でも、プログラムを全て書き換えるのは大変なので、当時、クレイで動かしたときに、約40%位の計算時間を占めていたところで、かつ短い部分を抽出したんですよ。肝心な部分は100行位でした。これなら書き換えも速いからと、それで測れるようにして各メーカーにお願いして、測定をしていたんです。そうすると、パソコンってどれくらいのスピードなんだろうと、ワークステーションってどうなんだろう?と、疑問に思ってやってみたら、結構面白くて。それで、皆さんもやってくださいとソースを公開したら、皆さんにも喜んで頂くことができました。
自分で「姫野ベンチマーク」なんて言ったことはありませんでしたが、たまたま誰かに送った時のファイル名がそうなっていて、定着してしまったのかもしれないですね。比較するのに相対値ではなく、絶対性能にしたかったんですよ。そこにはこだわって、演算数から理論ピークに対して何%が出ているか、それが分かるようになっていたことが良いところかなと。PCクラスターを作った時に、最初にこれを動かすようにといったマニュアルがあったとかで、突然知らない学生からメールが来たりしていましたよ。あとは、だいぶ昔ですが、コンテストか何かでテーマに使って頂いた高校もあったようです。今後、賞を作るというのもいいかなと思っています。
―今年は日本でラグビーW杯が開催され、日本代表の躍進もあり盛り上がりましたが、楕円のボールに触れたことはありますか?
野球の変化球の研究をしていたこともあって、バレーボールやテニスボールなどの解析の
話が来たこともあり、実はだいぶ前ですが、ラグビーボールのパントキックってあるじゃないですか。あれを一番遠くまで飛ばすには流体力学的にどう蹴れば良いのか、やりましたよ。その当時、日本代表のある選手が蹴るボールだけ、飛距離が長く、それがどういうメカニズムになるのか、解析して欲しいという依頼でした。
理論的には細長いのが、最初は上を向いていて水平になって、落ちるときは下向きになるように蹴ればいいんだけど、ジャイロ効果というのがあって、回転しているボールは回転軸がいつも一定になるという法則があります。だから、普通に蹴ると上に行ったあと、失速して落ちるんですよ。ところが、その選手のキックだけ放物線を描くんですよ。そして、
頭下がりになっていくんだけれども、物理的にはちょっと不思議だなと思って。なんで、頭下がりになるのかなとずっと考えて、駒の歳差運動だとやっと気がつきました。色々と物理の教科書をめくって、答えを導き出すのに1週間もかかってしまいました。この年になるまで、物理の教科書を見たり、ノートに式をいっぱい書くとか、そんなことをするなんて思っていなかったですね。
野球のボールの変化球のコンピュータシミュレーションをやったのをきっかけに、このように依頼を受けて、色々なことをするようになって、その過程で多くの得難い経験をさせて頂くことができて、それぞれ楽しかったですよ。
―先生がこれからやってみたいことはどういったことですか?
高齢者の健康問題です。元々は自分の両親の体がどんどん衰えていくのを見て、考えるようになりましたが、野球の変化球もきっかけでした。投げているピッチャーの運動をモーションキャプチャーでとって解析することをしていました。そうしたら、その技術があるので、例えば、そば打ちの名人の動作はどうかといった話も来て、名人の動きを調べたら、包丁が上下するから、一見手で動かしているように見えるけれど、実は足を上下したり、背骨を動かすことで、腕は一定の角度であまり上下させていないことが分かりました。野球のピッチングも同じです。それで、どうも人間の体の使い方には共通の法則があることが分かりました。
今、理研では社会的使命として基礎研究を行っていますが、現代の日本で問題になっていることに対する取り組みを必ずしも、やっていなかったので、日本社会が直面している高齢化に対して、きちんと取り組みましょうという話が内部からも起こり、取り組むことになりました。年を取って要介護とか、要支援になる原因は、転倒による骨折が多いんですよ。その人の歩き方から、転ぶリスクがどれ位あるか、転ばないようにするトレーニングはどうしたら良いか。今、地方自治体と一緒になって体力、運動能力の計測や運動教室を行っています。
(写真:小西史一)
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姫野龍太郎氏 略歴 |
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