世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


10月 12, 2020

新HPCの歩み(第15回)-1957年-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Los Alamos研究所ではMANIAC IIを開発した。CDC社や、DEC社や、Fairchild Semiconductor社などが設立された。Livermore研究所のAlder等は剛体球の集団の相転移(Alder転移)をシミュレーションで発見した。

社会の動き

1957年(昭和32年)の社会の動きは、1/1ザールラント州がフランスから西ドイツに復帰、1/29日本の南極越冬隊が南極大陸初上陸、1/30ジラード事件(群馬県で薬莢拾いの女性を米兵が射殺)、2/1吉田茂と佐藤栄作が自由民主党に入党、2/22石橋湛山首相が病気のため辞意を表明、翌日内閣総辞職、2/25岸信介内閣成立、3/6日本初の女性週刊誌『週刊女性』が創刊、3/13チャタレー事件の最高裁判所大法廷判決、有罪が確定、3/18日本初の地下街、「ナゴヤ地下街」(現在の名駅地下街サンロード)開業、3/25欧州経済共同体設立条約と欧州原子力共同体設立条約がローマで調印される、3/25河出書房倒産、4/1売春防止法施行、4/10ダイエーが大栄薬品工業(神戸市)として設立、5/8コカ・コーラ、日本での販売を開始、5/12イギリスがキリバスのクリスマス島で初の水爆実験(その後、英米で20回行われる)、6/1河出書房新社設立、7/8砂川事件、7/25-28諫早豪雨、8/27東海村の原子力研究所で原子炉JRR-1が臨界に達する、9/4アメリカでリトルロック高校事件、9/20糸川英夫らが、初の国産ロケット「カッパー4C型」の発射に成功、9/23京阪千林駅前にダイエー1号店を出店、9/28外務省、初の外交青書、9/29ソ連でウラル核惨事、10/1初の五千円紙幣、聖徳太子の肖像、10/1サリドマイドが西ドイツで発売される、10/4ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、10/10イギリスでウィンズケール原子炉火災事故、12/7長嶋茂雄選手、巨人入団が決定、12/10天城山心中、愛新覚羅慧生が同級生の男子学生と、12/11百円硬貨(銀貨)発行、12/17上野動物園内に日本初のモノレール、12/14 NHK、FM放送の試験放送を東京で開始、など。

話題語・流行語としては、「ロカビリー」「ホッピング」「軽三輪自動車ミゼット」「ポリバケツ」「スプートニク・ショック」など。

ノーベル物理学賞は、パリティの非保存を発見した、楊振寧(Chen Ning Yang)と李政道(Tsung-Dao Lee)に授与された。化学賞は、ヌクレオチドとその補酵素に関する研究に対しVLord (Alexander Robertus) Toddに授与された。生理学・医学賞は、ある種の体内物質の作用を阻害する合成化合物、特に血管系および骨格筋に関するものの発見に対しDaniel Bovetに授与された。なお、文学賞はアルベール・カミュに授与された。

日本政府関係の動き

1) 電子工業振興臨時措置法
通産省は1957年6月11日に電子工業振興臨時措置法(電振法)を制定し、電子工業の振興を図った。1971年3月までの時限立法であった。これは国産コンピュータメーカーの育成策であり、通産省による護送船団ともいうべきものである。この法案の実質的な立案者は電気試験所の和田弘だったといわれている。これにより電子計算機およびその周辺装置の開発研究、性能改善、生産合理化などに対し、補助金の交付や設備合理化融資が行われた。通産省の昭和32年度鉱工業補助金により、下記のような共同分担開発が行われた(情報処理学会歴史特別委員会『日本のコンピュータ発達史』オーム社(1998年)による。

演算・制御装置

東京芝浦電気

磁心マトリックス記憶装置

東京芝浦電気、日本電気、日立製作所

高速磁気ドラム装置

北辰電機

磁気ドラム装置

富士通信機製造、三菱電機、日立製作所

磁気テープ装置

日本電気

光電式テープリーダ

日本電気、日立製作所、沖電気工業

光電式カードリーダ

富士通信機製造

ラインプリンタ

富士通信機製造、沖電気工業

テープせん孔機

黒沢通信工業

カードせん孔機

沖電気工業

テープせん孔タイプライタ

沖電気工業

 

なお、黒沢通信工業株式会社は、1957年2月1日、富士通信機製造株式会社と株式会社クロサワ(黒沢商店)との共同出資により設立された。資本金1億円(5億円という資料もある)。1985年、富士通アイソテックに商号変更した。余談であるが、黒沢商店を創設した黒澤貞次郎は1900年にカタカナ・タイプライターを初めて製造した実業家である(Wikipedia「黒澤貞次郎」)。

2) 電気試験所(ETL Mark IV)
1954年7月に創設された電気試験所電子部は、1956年7月、点接触型トランジスタ130本を使用したETL Mark IIIを完成したのに続いて、1956年10月ごろから接合型トランジスタを用いる電子計算機の研究を始め、1957年11月には接合型トランジスタ470本を使用した十進法計算機ETL Mark IVが誕生した。わが国では初めて主記憶装置として磁気ドラムを装備した。1語24ビットで、1000語の容量を持つ。Mark IIIのクロックは1 MHzであったが、今度は180 kHzに低下している。基本回路の不備を補い、磁気ドラムの制御に使っていた真空管をトランジスタに代えるなどして、1958年夏に最終的に完成した。これをベースに、日本電気のNEAC-2201(1958年8月)や2203、2206、2230、日立製作所のHITAC 301(1959年5月)、501、502、201、松下通信工業のMADIC-1、北辰電機(1983年横河電機製作所と合併して横河北辰電機)のH-1(1958年10月)などの商用機が発売された。1960年に稼働した慶応義塾大学のK-1もETL Mark IVをベースにしている。

3) 鉄道技術研究所(Bendix G-15D)
1957年、Bendix G-15Dが穂坂衛らによって鉄道技術研究所に導入された。座席予約システム開発のためであった。演算は真空管、メモリは磁気ドラムであった。

日本の大学センター等

1) 統計数理研究所(FACOM-415A、FACOM-128)
1949年に文部省直轄研究所となった統計数理研究所では、初期からコンピュータを使った研究が行われていた。1957年に関する記述によると、当時継電器式自動計算機(FACOM-415A、愛称TSK-I)や継電器式万能自動計算機(FACOM-128、愛称TSK-II)が使われてきた。前者は、平均、標準偏差、相関係数などの計算に1954年から使われた。後者は、3アドレス方式、十進法で、仮数は8桁、指数は-19乗~+19乗である。利用目的は、多元連立一次方程式、微積分方程式、高次代数方程式、フーリエ解析、補間法、任意函数の近似展開等、あらゆる種類にわたる。特にベクトル算、マトリックス算等を含む線型計算に便利なように設計してある、とのことである。

統計数理研究所の特徴として、所内で創案製作された放射能を利用した乱数製作機が接続されている。同研究所では、原理はいろいろあるが、現在に至るまで物理乱数の生成装置を利用している。

日本の学界

1) パラメトロン計算機
このころ、日本では産官学を挙げてパラメトロン計算機の開発を進めていた。1957年に完成したものを示す。資料は、Wikipedia「パラメトロン」、「日本のコンピュータの歴史」(情報処理学会歴史特別委員会編)オーム社1985年、情報処理学会コンピュータ博物館など。

東京大学(高橋研究室)

1957年9月?

PC-1/4

PC-1の4分の1の予備実験機。9ビットで二進4桁の計算が可能。

日本電信電話公社(電気通信研究所)

1957年3月完成

MUSASINO-1

(M-1とも呼ぶ)

二進法並列、2.4 MHz、数値語は40b、命令語は20b、磁心記憶装置256W、パラメトロン5400個、真空管519本。

日立製作所

1957年12月完成

HIPAC MK-1

38b語。固定小数点数。メモリは磁気ドラムメモリで1024W。ストアドプログラム方式。中研に設置。情報処理学会情報処理技術遺産に認定されている。

 

MUSASINO-1については、高島堅助論文がある。山本欣子氏は、1948年に東京女子大学を卒業して、MUSASINO-1のプログラミングを担当した(その後、㈶日本情報処理開発センター開発本部)。彼女は後に、「武蔵野一号なんておイモみたいな名前」と語っている(「学習コンピュータ」昭和47年2月号)。MISASINO-1は試作機で、1960年に実用機MUSASINO-1Bが製造された。なお、1957年秋から東京大学の高橋研究室でPC-1の構築が始まった。完成は1958年。

国内会議

1) 電気通信学会(電子計算機研究専門委員会)
1956年から3回にわたって、同学会の全国大会で、コンピュータ関係のシンポジウムが行われている。主催は、電子計算機研究専門委員会である。1957年11月のシンポジウム「電子計算機における記憶装置」の発表は以下の通り。

遅延線による記憶装置

岡崎文次(富士写真フイルム)

磁気ドラム記憶装置

高橋茂(電気試験所)

陰極線管記憶装置

元岡達、船木鉄夫(東大)

角型ヒステリシス磁心記憶装置

三田繁、八木基(東芝)

パラメトロン用磁心記憶装置

高橋秀俊、後藤英一(東大)

交流読み書きフェライト磁心記憶装置

喜安善市、山田茂春(通信研究所)

 

日本企業

1) カシオ計算機(カシオ 14-A)
樫尾製作所(1946年創業)は、リレーを用いた小型電気式計算機を開発していたが、1957年6月、商用機「カシオ14-A」を初めて開発し、カシオ計算機(株)を設立した。14桁の四則演算ができた。大きさは事務机ほどあった。1958年、科学技術長官賞を受賞した。1959年5月には65万円の「カシオ14-B」(平方根が計算できる)を発売し、大学や研究機関などに数多く採用された。

2) 富士通信機製造(FACOM 212A)
1957年9月、日本電気測器のパラメトロン計算機開発グループが富士通信機に移籍し、FACOM 212Aの開発に着手した。

標準化関係

1) FORTRAN
1957年4月15日、IBMにおいて最初のFORTRANコンパイラが開発された。John Warner Backusは、1953年末、IBM 704のプログラムを開発するにあたり、アセンブリ言語に代わるものを開発することをIBMの上司に提案した。1954年にチームを結成してIBM 704向けにFORTRANの設計と開発を行った。1956年10月に最初のマニュアルが作成された。最初のFORTRANは32種の命令を持っていたが、条件分岐は(例外やセンススイッチを別にすれば)算術IFだけであった。IF-THEN-ELSEはおろか、IF(論理式)もなかった。手続き呼び出しもなく、これらはFORTRAN II(1958年)で初めて導入された。

2) 計算機用語
日本では、1957年、電気通信学会(後の電子(情報)通信学会)は、計算機用語のJIS原案作成の委託を受けて、計算機用語専門委員会(委員長清野博)を設けて作業を開始した。この作業は1959年3月に終了した。この原案に基づき、1961年にはJIS Z 8111「計数型計算機用語(一般)」が、1962年にはJIS Z 8112「計数型計算機用語(一般を除く)」の二つの日本工業規格が制定された。なお、このころ情報処理学会はまだできていなかった。

アメリカ政府の動き

1) DDR&E設置
スプートニク・ショックを受けたアイゼンハワー大統領の命令で、1957年、国防長官に進言するDDR&E (the Director of Defense Research and Engineering、防衛科学技術担当長官)を国防総省内局に設置した。これがDARPA/ARPAを設置する動きに発展する。

2) Los Alamos National Laboratory(MANIAC II)
Los Alamos Scientific Laboratory(LANLの旧名)では、カリフォルニア大学と共同してMANIAC Iの後継としてMANIAC II (Mathematical Analyzer Numerical Integrator And Computer Model II)を開発した。演算部には2850本の真空管と1040個のダイオードを用いた。全体では真空管5190本とダイオード1160個である。1語は48ビットで、4096語の磁気コアメモリと、12288語のWilliams tubeを装備していた。1957年に製作された。

世界の学界

1) アルダー転移
1957年、Radiation Laboratory at Livermore(後のLLNL)において、Berni Julian Alder (1925- )とThomas E. Wainwrightは、2次元および3次元の剛体球の集団に対する分子動力学を計算した。かれらの関心はニュートン力学の可逆的方程式が、熱力学の非可逆的振る舞いを説明できるかということであった。かれらは、100個の剛体球の運動のシミュレーションを行い、1粒子運動量分布のエントロピーを計算することにより、比較的急速に、すなわち1剛体当たり約3回の衝突の後、統計平衡に到達することを見いだした。そして斥力しかないのに液相(厳密には流体相)と固相との相転移が存在することを見いだした。これをアルダー転移と呼ぶ。この結果はロスアラモス研究所でのモンテカルロ法による結果とも一致した。

国際会議

1) 1957 Transistor and Solid State Circuits Conference
4回目の1957 Transistor and Solid State Circuits Conference (後のIEEE ISSCC)は、1957年2月14日~15日にPennsylvania大学で開催された。IRE, AIEE, University of Pennsylvaniaが共同で開催している。前回のTransistor Circuits Conferenceから名称を変更した。電子版の会議録がIEEE Xploreに置かれている。

企業の創立

1) CDC社(Control Data Corporation)
第二次世界大戦終了後、海軍の暗号解読グループの出身者を中心にERA (Engineering Research Associates)という会社が設立され、ERA 1101(UNIVAC 1101)などの設計を行ってきたが、海軍が実質的にERAを所有していることが問題とされたので、1952年、ERAのオーナーはRemington Rand社に会社を売却した。Sperryとの合併後は、UNIVAC部門に吸収された。UNIVAC IIを任されたが、開発は遅れた。

ERA出身の技術者はSperry Rand社の大企業の社風には合わないと感じて、1957年7月8日、辞職してCDC社(Conrol Data Corporation)をMinnapolisに設立した。CEOには、海軍で暗号解読チームを指揮していたWilliam Charles Norrisを選出した。また、Seymour Crayをチーフデザイナーに選出したが、海軍戦術情報システムの仕事が残っていたため、これが終了する1958年までCDCには合流できなかった。

2) DEC 社(Digital Equipment Corporation)
1957年8月、MITのLincoln研究所の所員であったKenneth Harry Olsenらはマサチューセッツ州Maynardにおいて、Digital Equipment Corporationを設立した。略称はDECまたはDigitalである。1960年代にはPDPシリーズ、1970~80年代にはVAXで成功した。1998年にCompaqに吸収された。

3) Fairchild社
Fairchild Semiconductor International Inc.は、1957年、Fairchild Camera and Instruments社の出資によりSan Joseで設立された。世界初の商用の集積回路を実現した。出資を決断したのは、すでに現役を引退していたSherman Mills Fairchildで、彼の父George Winthrop Fairchild (1854–1924)は、共和党の議員であり、IBMの共同創立者・初代会長である。その父は貧しい農民だったそうで、たたき上げの人物である。なお、Fairchildはアングロサクソン系のありふれた姓である。

その背景には”Traitorous Eight”として知られる8人の反逆者がいたと言われる。1955年に、トランジスタの発明者の一人William Shockleyは、シリコンバレーのMountain Viewで、Shockley Semiconductor Laboratoryを設立した。Shockleyは経営者としても人間的にも問題のある人物で、しばしば部下や出資者と衝突を起こしていたが、1957年9月に突然にこれまで開発を続けてきたシリコンのトランジスタの開発を止め新型の四層ダイオードの開発に転換しようとしたところ、Robert Norton Noyceら8人の社員が反発して9月18日に会社を辞め、Fairchild Semiconductor International Inc.を設立した。同社は、当時半導体材料としてはゲルマニウムが一般的であったなかで、シリコントランジスタの設計製造を開始した。

創業当初からの従業員の多くが、1960年代以降Fairchild社から離れ、Fairchildrenと呼ばれる多くの企業を創業した。Intel社を創業(1968年)したRobert NoyceとGordon Moore、Intel社の3人目の社員(後に社長)となったAndrew Stephen Grove、Intel社を経てZilog社を創業(1974年)したFederico Faggin、National Semiconductor社やApple Computer社のCEOを歴任したGilbert Frank Amelio、AMD (Advanced Micro Devices)社の初代社長に招かれたWalter Jerry Sanders III、親会社がSchlumbergerに買収される(1979年)までCEOであり、その後LSI Logic社を創業(1979)したWildred Corriganなど。このHPCwire Japanの西克也編集長もフェアチャイルド社の出身である。

さて1958年は、日本ではPC-1、SENAC-1、NEAC-1101、FACOM 200、HIPAC 101などパラメトロン計算機のオンパレードである。外国では、IBMでFORTRAN IIが開発され、ZMMDグループはALGOL 58のコンパイラを開発し、McCarthyはLISP言語を考案する。Rosenblattは、パーセプトロンの論文を発表する。ニューラル・ネットワークの先祖である。

(画像:Fairchild Semiconductor 出典:Wikimedia Commons)

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