世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


1月 12, 2021

新HPCの歩み(第26回)-1961年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

IBMの開発したスーパーコンピュータStretchは9台しか売れなかったが、パイプライン処理、割込み処理、メモリのECC、命令プリフェッチ、投機的実行、即値オペランドなど、ここで開発された技術は、その後のIBMのコンピュータの開発に生かされた。Burroughs社は、初めての大型メインフレームB5000を発表した。

世界の学界

1) MIT (CTSS)
MIT計算センターはIBM 7094上のタイムシェアリングシステムCTSS (Compatible Time-Sharing System)を開発し、1961年に最初の実演を行い、1962年に会議で発表した。ただしIBM 7094の正式な設置は、1962年9月。Compatibleとは、IBM 7094のバッチ処理OS(モニター)と互換であることを意味する。CTSSはタイムシェアリング処理が可能であることを初めて示し、大きな影響を与えた。

 
  南部陽一郎氏(画像出展:Wikipedia)
   

2) 南部陽一郎
シカゴ大学の南部陽一郎(当時は日本国籍)は、1961年、G. Jona-Lasinioとともに「対称性の自発的破れ」のアイデアを提唱した。南部陽一郎はこれにより、小林誠、益川敏英とともに2008年のノーベル物理学賞を受賞した。

国際会議

1) ISSCC 1961
8回目となるISSCC 1961 (1961 International Solid-State Circuits Conference)は、1961年2月15日~17日に、Pennsylvania大学Irvine AuditoriumとUniversity Museum、およびPhiladelphia Sheratonホテルを会場として開催された。組織委員長はTudor R. Finch (Bell Labs)、プログラム委員長はJ. J. Suran (General Electric)である。IEEEの正式発足は1963年である。電子版の会議録はIEEE Xploreに収録されている。

アメリカの企業

1) IBM 社(Stretch)
IBM社は、LASL(Los Alamos Scientific Laboratory、1981年からはLANL)への売り込みに成功し、1956年11月に契約を結んだ。IBM社はStretchにIBM 7030の名前を付け、1号機を1961年LASLに納入した。これを含め9台の納入先が知られている。パイプライン処理、割込み処理、メモリのECC、命令プリフェッチ、投機的実行、即値オペランドなど、ここで開発された技術は、System/360などその後のIBMのコンピュータの開発に生かされた。

固定小数点数は、二進では1~64bitの可変長、十進では1~16桁の可変長。符号なしとありの両形式がある。浮動小数点数は63bitらしい。文字は任意長で8bit以下の任意の文字コードが使える。これを“byte”と名付けた(1956年6月)のはStretch開発に参加していたWerner Buchholtzと言われる。可変長が基本なのでStretchというのであろうか?なお、IBM社はその後可変長のマシンを作っていない。Gene AmdahlはStretchプロジェクトの途中でIBMを退職したが、1960年に復職し、System/360の開発に従事した。

 
IBM Stretch (7030) (画像出展:Wikipedia)  
   

1961年、IBM社はStretchの更に100倍の高性能コンピュータを開発するプロジェクトを開始した。Andoの記事によると、最初はニューヨーク州のWatson研究所で進められていたが、Seymour Crayの成功に刺激され、カリフォルニア州のStanford大学近くにACS (Advanced Computer Systems)という開発部隊を設立し、東海岸から数百人のエンジニアを送り込んだ。その部隊を率いたのがGene Amdahlであった。

しかし、このプロジェクトは1969年にキャンセルされたので、Gene Amdahlは1970年にIBMを再度退職してAmdahl社を創設した。

IBM社は、1961年7月31日、IBM Selective typewriterを発表した。いわゆるゴルフボールタイプライターである。ボールを交換することにより多言語に対応できる。筆者も愛用したが、科学論文を英語のボールとギリシャ文字・数学記号のボールとを交換しながら打つのは大変であった。IBMや他社のコンピュータのコンソールライターにも使用された。

2) Burroughs社(B5000)
Burroughs社(1886年、American Arithmometer Companyとして創立)は、1961年、初めての大型メインフレームB5000を発表した。ALGOL指向のスタックマシン・アーキテクチャを採用した。これはセグメント方式で仮想記憶をサポートした、世界初の商用コンピュータである。

3) Sperry Rand社(USSC II)
1961年9月、USSC (Univac Solid State Computer) IIを発表した。初代のUSSCに比べ、コアメモリは1280語多く、磁気テープドライブをサポートしていた。USSCと同様に、IBM式のカードに対応する80モデルと、Remington Rand式の90欄カードに対応する90モデルとがある。

4) General Electric社(GE-225)
同社はGE-210の後継(互換性はない)として1961年に(一説には1960年4月)GE-225を発売した。1語20ビットで、アドレスは13ビット、CPUには浮動小数演算装置か、十進固定小数演算装置を付加できる。標準構成で10000個のトランジスタと20000個のダイオードで構成され、8K語の磁気コアメモリを持つ。11台の入出力チャネル制御装置を持つ。GE-215 (1963)は縮小版。GE-235 (1964)は高速化版。

同社は、このころDartmouth大学とタイムシェアリングシステムの開発に取り組んでおり、同社の工場用プロセス制御小型コンピュータDatanet-30に多数のテレタイプ端末を接続してDTSSを構成した。GE-235はその背後で要求されたプログラムを実行していた。1965年、同社はDatanet-30とGE-235をまとめてGE-265を構成した。GE-265は世界初のTSSマシンであり、後にBASICがその上で開発された。

企業の創立

1) Scientific Data Systems社
SDS (Scientific Data Systems)社は、1961年9月、Packard BellにいたMax Palevskyや、BendixにいたRobert Beckらによって設立された。シリコントランジスタの利用(SDS 910)や集積回路を比較的早期に採用し、1962年、24bitのSDS 910とSDS 920を製造した。

TRW社のコンピュータ事業からの撤退に伴い、三菱電機はSDSと技術提携を行い、Sigma 7とSigma 5を導入して、MELCOM 7700、7500として国産化した。1969年にXerox社に売られ、XDS (Xerox Data Systems)と呼ばれた。

企業の終焉

1) Philco社
1961年12月11日、Ford Motor CompanyがPhilcoを買収した。その後、1962年にPhilco 2000 Model 212がNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)のシャイアン・マウンテン空軍基地に納入された。1963年には、NASAのジョンソン宇宙基地のシステムを担当した。しかしFord Motorはコンピュータ事業に理解がなく、撤退の方向に進んだ。

次は1962年である。日本国内の大学では急速にコンピュータの整備が進む。

(アイキャッチ画像:IBM Stretch 出典:Wikipedia )

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