世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


5月 17, 2021

新HPCの歩み(第43回)-1969年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

最初の商用ベクトル演算器(外付け)はこの年IBMによって発売され、行列乗算(今の言葉で言えばSGEMM)で1.59 MFlopsを達成した。他方、Seymour CrayはCDC6600 の後継機CDC7600の製造を開始した。1968年のIntel社に続き、AMD社が同じくFairchild社の関係者によりこの年創立された。両社は現在までマイクロプロセッサの雄を競っている。

標準化

1) CODASYL
1959年に設立されたCODASYL(Conference on Data Systems Languages、データシステムズ言語協議会)は、1969年10月、ネットワーク型データモデルの言語仕様を発表した。これが一般に CODASYL データモデルと呼ばれる。

2) B言語
このころ、AT&T Bell LabsのKen Thompsonと Dennis Ritchieは、B言語を開発した。Multics上で動いていたBCPLを基に開発された。後にC言語で(違う順序で)使われる加減算代入x =+ y やincrement演算子 ++ などを導入し、ALGOL以来使われていた代入の記法 := を = に変更し、比較演算子 = を == に変更した。

3) 入出力インタフェース
日本政府は、System/360に対抗できるコンピュータを開発するため、1966年4月、大型プロジェクト「超高性能電子計算機プロジェクト」が発足したが、その中で、標準入出力インタフェースとして、I/O Interface 69を策定した。DIPS-1に適用するとともに、1969年6月、ISO/TC97のSC4/WG4(後のSC13)に提案した。日本から規格の原案を提出したのはこれが初めてであった。ISOの審議では日本案だけが残ったが、機能要件の確立やインタフェース標準の管理問題などの先行審議を主張する英米の反対にあい、本格的な審議に入ったのは1973年であった。この後、米国の技術的コメントを取り入れて改定したものの、1976年には、米国から一転してIBM System/360, 370インタフェースが標準案として提案されて議論は振り出しに戻り、結局1976年にはI/Oインタフェースの標準化は棚上げとなった。日本側の7年半の努力は水泡に帰した。(情報処理学会『日本のコンピュータ発達史』(オーム社、1998年)p.82やp.300による)

4) RS-232-C
EIA (the Electronic Industries Association)は、1960年5月、シリアルポートのインタフェース規格RS-232を推奨標準として公表したが、1969年8月、RS-232-Cを”Interface Between Data Terminal Equipment and Data Communication Equipment Employing Serial Binary Data Interchange”として制定した。RS-232-Aは1963年10月に、RS-232—Bは1985年10月に制定されている。

5) 日本語文字コード
ISOによる7ビット文字コードISO/R464-1967を受けて、日本では1969年6月1日、カタカナを含む1バイトコードJIS C 6220(現JIS X0201)「7ビット及び8ビットの情報交換用符号化文字集合」を制定した。俗称ではANKコード(Alphabet-Numerical digit-Katakana)と呼ばれる。

また、1969年12月には、情報処理学会企画委員会に漢字コード委員会を設置し、検討を開始した。

アメリカ政府関係の動き

1) ARPANET
アメリカのDARPA (Defense Advanced Research Projects Agency) は1969年ネットワークARPANETを構築した。1966年ARPAのIPTO部長に就任したBob Taylorは全米にまたがるコンピュータネットワークの必要性を痛感していた。前年のところに書いたように、1968年、コンピュータネットワークの計画を作成し、140の会社に提案書を出すよう依頼した。12社だけが提案書を提出し、最終的にはBBN Technologies社と1969年4月7日に契約を結んだ。

当初のARPANETの物理層、データリンク層、ネットワーク層のプロトコルは、ホストコンピュータとは別のIMP (Interface Message Processor)に実装されていた。第一世代のIMPは、Honeywell 316/516というミニコンピュータで構築された。ホストコンピュータ上にはNCP (Network Control Program)が常駐し、FTPやSMTPなどのアプリケーション層プロトコルはNCPを通じてネットワークサービスにアクセスする、これは後のsocketに相当する。年表によると、NCPが完成したのは1970年12月とのことである。ARPANETがTCP/IPに変わるのは1983年1月1日である。当初はUCLA、SRI (Stanford Research Institute)、UCSB、Utah大の4ノードをつないだ。最初のメッセージ(LとO)は10月29日に送られた。詳細は多くの書籍に書かれている。

中国の動き

1) 中国のコンピュータ
詳細は不明であるが、”Advances in Computers”によると、1960年代後半に中国で開発されたコンピュータの情報である。試作なのか量産なのかもよくわからない。

機種

開発者

素子

Bit数

 

1965

109B

CAS ICT

トランジスタ

32

 

1965

DJS-7

Beijing Telecomm. Factory

トランジスタ

21

主記憶は4-32K

1966

DJS-6

Beijing Telecomm. Factory

 

48

科学技術用

1967

109C

CAS ICT

トランジスタ

48

 

1968

C2

Shanghai ICR

トランジスタ

42

 

CAS ICT = Chinese Academy of Sciences, Institute of Computing Technology
Shanghai ICR = Shanghai Institute of Computing Research
1970年代からはICのコンピュータが登場する。

世界の学界の動き

1) Strassenのアルゴリズム
1969年、Zürich大学のVolker Strassenは、n次行列の乗算の演算量をO(n3)より少なくできるアルゴリズムを発見した。シュトラッセンのアルゴリズムと呼ばれている。

2) Unix
1969年、AT&TのBell研究所で、Dennis RitchieやBrian KernighanらによりPDP-7上でUnixが開発された。Unixにとって記念すべき年である。

3) データフローモデル
昨年のD. A. Adamsに続いて、MITのJ. E. Rodriguezは、1969年9月のTechnical Report TR-64, “A Graph Model for Parallel computation”において、データフローアーキテクチャの概念を示した。

4) “Perceptrons”
Marvin MinskyとSeymour Papertは1969年著書“Perceptrons”を出版し、Rosenblattの提唱した隠れ層のない単純Perceptronは、線形分離可能な問題を有限回で解くことができるが、線形分離不可能なパターンを識別できないことを示した。

5) 磁気バブルメモリ
MnBi磁性薄膜に熱や光で反転磁区をつくり、磁場をかけると磁気バブルとなることは1959年頃から知られていたが、Bell研究所のAndrew Bobeckは、電気的に反転磁区を作り、記憶、論理機能を果たさせることを発見し、マサチューセッツ州Bostonで開催された13th Annual Conference on Magnetism and Magnetic Materialsで発表した(9月15日)。その後、読み書き可能な不揮発性メモリとして商用化され、PCやゲーム機などで使われた。例えば富士通は、1976年コンピュータ用外部記憶装置として世界で初めて実用化し、1977年から販売した。日立も、1976年8月31日に256Kbの磁気バブルメモリチップを開発したと発表した。その後、フラッシュメモリなどの大容量化により使われなくなった。

6) 重力波
Einsteinが予言した重力波について、1960年代から共振型の観測装置(Weber bar)を用いた観測がおこなわれていたが、1969年、Maryland大学のJoseph Weberが検出に成功したと発表した。多くのグループの追試にもかかわらず確認されなかった。Weber barの感度は重力波の検出には不十分であったと考えられる。重力波の初めての検出は、2016年2月11日にLIGOグループにより発表された。

国際会議

1) ISSCC 1969
第16回目となるISSCC 1969 (1969 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1969年2月19日~21日にペンシルバニア州Philadelphiaで開催された。主催はIEEE Solid-State Circuits Council、IEEE Philadelphia Sections、University of Pennsylvaniaである。組織委員長はJames D. Meindl (US Army Electronics Cmd., Stanford U.)、プログラム委員長はRudi S. Engelbrecht (Bell Labs)である。電子版の会議録はIEEE Xploreに置かれている。

アメリカ企業の動き

1) IBM社(アンバンドリング)
IBM社は1969年6月23日、ソフトウェアのアンバンドリングを発表し、コンピュータのソフトウェアがハードウェアに付随するものではなく、それ自体が価値をもつ独自の商品と位置付けた。実施は1971年から。IBM社は、1968年12月にCDC社から提訴されたのに続き、1969年1月17日、司法省からも独占禁止法違反で提訴されていた。IBM社が、ビジネス用コンピュータを独占しようとして、CDC 6600の対抗機種を発表してCDC側に打撃を与え、しかもその対抗機種を発売しなかったと訴えられた。この訴訟は1983年まで続いた。その間、Amdahl社などのPCM (Plug Compatible Machine)メーカーは、IBMのメインフレーム用のOSやソフトを妥当な条件で使用することができた。

2) IBM社(IBM 2938アレイプロセッサ、model 85、model 195、System/3)
HPCにとって記念すべき事は、1969年、IBMがSystem/360のI/Oチャンネルに接続する付加プロセッサとしてIBM 2938アレイプロセッサを実用化したことである。IBM Systems Journal, Volume 8, Number 2, pp.118-135 (1969)によると、64語のバッファメモリ(ベクトルレジスタに相当か?)を持ち、乗算と加算の組み合わせを4つのステージに分けてパイプライン実行しており、恐らく最初のベクトル演算器商品ではないかと思われる。100次元の行列乗算(単精度)で1.59 MFlopsを実現し、System 360/65(のFORTRANプログラム)より48倍も高速であった。石油探査のための地震波解析などが主要目的ではないかと思われる。

System/360 model 85は、1968年1月に発表されていたが、1969年12月出荷された。これはSystem/360ではじめてmonolithic ICを採用し、wired logicで実装し、キャッシュメモリ(当時IBM社はbuffer memoryと呼んでいた)を採用したマシンとして知られる。また拡張精度(4倍長、128ビット)浮動小数も実装した。後継のSystem/370とのギャップを埋めるために出されたモデルと言われる。

また、1969年8月、System/360で最大のmodel 195を、1969年8月発表した。すべてwired logicで実装され、DAT機構を持つ。出荷は1971年3月である。

IBM社は1969年7月、独自のミッドレンジコンピュータSystem/3を発表し、1970年1月に出荷した。DEC社等の対応機種に比べて高価格低性能であった。

3) IBM社(ACS)
IBM社の西海岸Menlo ParkにあるACS (Advanced Computing Systems)研究所では、開発すべきスーパーコンピュータのアーキテクチャについて本部と意見が対立していた。本部はCDC 6600に似たACS-1を推していたが、AmdahlはSystem/360との互換性を保ったAEC/360を提案し、ASC内ではその優位性が認められた。IBM本社は、東海岸で進めているSystem/360の改良と衝突するため否定的で、1969年5月にAEC/360に基づくACS/360の提案は公式にキャンセルされた。ちょうどこのころ、Amdahlはruptured disc(椎間板ヘルニア?)で9か月入院し動けなかったようである。

5月には数人の有力メンバがIBMを退社しMASCOR (Multi Access Systems Corp.)を創立した。Amdahlが退社するのは翌1970年である。MASCOR社は後にAmdahl社に合流する。

IBMはこのプロジェクトに基づく製品は出さなかったが、ここで研究された技術は、IBM社のRS/6000やIntel社とHP社が共同で開発したEPICに大きな影響を与えた(Wikipediaより)。ただし、これがACS-1側の技術か、ACS/360側の技術か不明である。また、後にAmdahl社が富士通と共同開発したFACOM M190(Amdahl社の470V/6)にはACS/360(元はAEC/360)の技術が生かされたとのことである。

4) Data General社(Nova)
Data General社(1968年創業)はミニコンピュータNovaを製造した。16ビットミニコンだが、内部構成は4ビット単位。コアメモリ使用。PDP-8よりも小さくて高性能であった。

5) CDC社(CDC 7600)
1969年、CDC社(1957年創業)はSeymour Crayの設計によりCDC 6600の後継機であるCDC 7600の製造を開始した。一号機は1969年3月Livermore(University of California Radiation Laboratory at Livermore、現在のLLNL)に出荷された。CDC 7600も6600と同様に個別トランジスタを利用し、クロック27.5 ns、周波数36.4 MHzである。メモリは磁気コアで、1語は6600と同じく60ビットであり、一次主記憶は65 KW、512 KWまでの二次主記憶を搭載することができる。ピークは36 MFlopsで、手でコンパイルしたコードでは10 MFlopsを実現した。CDC 6600にくらべほぼ10倍の性能を有していた。1970年代でのベンチマークでは、IBM S/360 model 195 より少し高い性能をだした。命令パイプラインが初めて採用された他、高速なトランジスタの利用、C型のフットプリント(丸いC型ではなく、ロの字に切り込みを入れた形)の筐体配置で接続距離を縮め、信号の伝達時間を減少させた。

1969年から1975年まで世界最高速のコンピュータとみなされていたが、故障が多く、LivermoreやNCARからの報告によれば、1日に少なくとも1回、多い日は数回ダウンしたとのことである。75台強が販売されたが、CDC社にとって収益をもたらさなかった。次の8600計画は中止され、Seymour CrayはCDC社を去ることになる。

6) Sperry Rand社(UNIVAC 1106)
1969年5月、UNIVAC 1106を発表した。出荷は12月。命令セットは1108と同じであるが、マルチプロセッサ構成は制限されている。

7) Honeywell社(Series 16)
Honeywell社は16ビットミニコンピュータのSeries-16として、1969年、model 316を発売した。これはARPANETのIMP (Interface Messge Processor)として使われた。

8) Bell Laboratories(Multics撤退)
AT&T Bell Laboratoriesは、1964年からMITとともにGeneral Electric社との共同研究としてMulticsの開発を始めたが、Bell Laboratoriesは1969年にプロジェクトから撤退し、係わっていた人の一部がUnix OSの開発に移行した。1970年、Honeywell社はGEのコンピュータ部門を買い取り、約80カ所の大学や研究所や政府機関でMulticsシステムが稼働した。GEのGECOS、HoneywellのGCOS、日本電気のACOSはMulticsの系統を引くOSである。

9) Intel社(SRAM)
前年設立されたIntel社は、1969年4月、初の製品であるSRAM 3101(64ビット)を発表した。Schottky TTL bipolar素子を使用した。これはHoneywell社の依頼によるものである。同年、Intel社は3301 Schottky bipolar ROM (1024ビット)を生産した。また、世界で初めてMOSFET (metal–oxide–semiconductor field-effect transistor)を商用化して、256ビットのSRAM 1101を製造した。

10) RCA社
RCA社会長のRobert Sarnoffは、IBMに次ぐ業界第2になる目標を立て、1969年1月、IBM社のサービス担当副社長L. E. Donegan, Jr.をスカウトした。彼は、事業部の重要なポストをことごとく彼が採用したIBM元社員に替え、これまでRCA社のコンピュータ事業を築いてきた人々は会社を去った。これがRCA社のコンピュータ事業の崩壊の始まりであった。

なお、この年、正式社名をRadio Corporation of AmericaからRCAに変更した。

日米コンピュータ技術格差

1960年代、日本のコンピュータ技術は米国を必死に追いかけているという状況であった。それは、個々の要素技術に関して遅れていただけでなく、コンピュータの方向を示す新しいコンセプトを打ち出すという点でも遅れていた。1980年代から日本はスーパーコンピュータ製品でアメリカを脅かすことになるが、基本コンセプト確立という面での格差は覆うべくもない。いくつか例を挙げる。

1) コンピュータの概念について

・メインフレームコンピュータ:System/360はコンピュータの概念を変革した。特にファミリーコンセプト。
・科学技術用コンピュータ:CDC 6600に続きIBMもSystem/360 model 91を市場に送った。
・会話型利用:Multicsプロジェクトは1964年に始まった。Unixの祖先である。

2) 並列処理について

・ILLIAC IV:完成は1970年代であるが、開発は1964年に始まった。
・ベクトル処理:IBM社のSenzigらが1965年に提唱した。1969年製品化。
・データフローアーキテクチャ:Adams (1968)やRodriguez (1969)は基本概念を提示した。
・Flynnの分類:並列コンピュータなどまだ夢であった1966年に提唱された。
・Amdahlの法則:1967年に提唱され、並列処理の基本原理となった。

3) 半導体産業

・Mooreの法則:自然法則ではないが、1965年に提唱され、その後の半導体技術の発展を主導した。
・ベンチャービジネス:Intel社は1968年、AMD社は1969年に創立され、その後のコンピュータ業界をけん引した。

ヨーロッパ企業

1) ICL社
1968年に成立したイギリスのICL(International Computers Limited)社は、1969年にICL 1900Aを出荷した。これまでのゲルマニウム個別トランジスタの代わりに、Texas Instruments社の7400シリーズのTTL集積回路を用いた。その後1970年にかけて、ICL 1902A、1903A、1904A,1906Aを出荷する。

2) AEG-Telefunken社
1967年に合併して設立されたドイツのAEG-Telefunken社は、1969年、TR 4を改良してTR 440 (Telefunken-Rechner 440)を開発した。

企業の創立

1) AMD社
1968年にIntel社が設立されたと述べたが、Fairchild Semiconductor社を退社したJerry Sandersら8人によって、1969年5月1日にAMD (Advanced Micro Devices)社がやはりシリコンバレーの一角Sunnyvaleに設立された。AMDもFairchildrenの一つである。当初、各社の半導体のセカンド・ソースのメーカーとして出発した。1975年にはIntel社と8085のセカンド・ソース契約を、1982年には8088のセカンド・ソース契約を締結している。

しかし1970年代に独自開発したAm9511/Am9512は8ビットCPU時代のde facto standardとなったFPUである。星野らはPAX-32/128でAm9511を使用する。これにはIntel社がセカンド・ソース版8231を製造している。

Intel社は1985年発表の80386(Intel 386)プロセッサのセカンド・ソースを認めず、製造に必要な資料も公開しなかったので、AMD社は互換性のあるプロセッサを独自に開発した。これに対しIntel社は、1987年には386のライセンスに関し、1988年には286のマイクロコード使用に関する特許権侵害などについてAMDを提訴し、2009年に和解するまで永年の法廷闘争に巻き込まれることになる。

2) Storage Technology社
4人のIBM出身の技術者によって、1969年、Storage Technology Corporationが設立された。この会社は2005年Sun Microsystems社によって買収される。

3) サムスン電子工業
韓国では、1938年に設立されたサムスングループの中で、1969年1月にサムスン電子工業株式会社が設立された。半導体事業に参入したのは1977年。

企業の終焉

1) SDS社
1969年2月、Xerox社はSDS社を買収してXDS社(Xerox Data Systems社)とし、コンピュータ事業に進出した。しかし、1973年頃のオイルショックの影響で販売は低迷し、1975年にXDS社を閉鎖した。

次はSystem/370が発表される1970年である。日本では3つの企業連合へと向かう。

(アイキャッチ画像: ローレンスリバモア国立研究所に設置されたCDC 7600 出典:Computer History Museum

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