世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


10月 11, 2021

新HPCの歩み(第63回)-1980年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

CDC社はCyber 203の改良型であるCyber 205を発表する。他方、Burroughs社はBSPの開発を中止した。Motorola社はMC68000を量産出荷する。この年、Apollo Computer社、Trilogy社が創立される。

標準化

1) Ada言語
アメリカ国防総省(DOD)は、1980年12月10日、プログラミング言語AdaをMIL-STD-1815として承認した。この日はAda Lovelaceの誕生日であり、彼女の生年は1815年であった。ISO標準としては、1987年にISO/IEC 8652-1987として標準化される。

DODは1970年代から信頼性・保守性に優れた組み込みシステム向き言語を模索していたが、既存の言語には要求を満たすものがなく、1975年にワーキンググループHOLWG (High Order Language Working Group)をつくり、要求要件を整理し、Adaと名付けられたプログラミング言語仕様をまとめた。提案招請(Requests for Proposals)に応じた4者に、別々に開発を委託した。1979年5月、そのうちの一者、Jean Ichbiahを代表とするCII Honeywell BullチームのGREENと呼ばれる仕様が採用された。予備的なAda参照マニュアルは1979年6月のACM SIGPLAN Notices上で出版されていた。(CIIについては1966年の「フランス政府の動き」参照)

1980年10月27日、”fundamental contributions to the definition and design of programming languages”の功績によりACM Turing Awardを授賞されたC. A. R. Hoare郷は、受賞講演の中で、Adaの言語仕様は余りに複雑なので信頼性に欠ける、と批判した。

2) COBOL言語
1980年9月15日に、JIS規格COBOLが改定され、JIS C 6205-1980となった。アメリカ規格は1974年、国際規格は1978年に制定されている。

3) BSD Unix
UC BerkeleyのComputer Systems Research Groupは、DARPAの資金を得て、VLSI Projectのための標準Unixプラットフォームの開発を始め、1980年11月に4BSDをリリースした。その後、1981年6月には4.1BSD(仮想記憶)を、1983年8月に4.2BSDを、1986年6月に4.3BSDをリリースする。4.2BSDからはTCP/IPが導入されている。

4) Endianness
イスラエル生まれのアメリカのネットワーク研究者Danny Cohenは、日本語で「エンディアン」、英語でendiannessの概念を、論文“On Holy Wars and a Plea for Peace”(1980年4月1日付のIETF IEN 137)において提唱した。この論文は、IEEE Computer (October 1981)に再録された。この中で、“…which bit should travel first, the bit from the little end of the word, or the bit from the big end of the word? The followers of the former approach are called the Little-Endians, and the followers of the latter are called the Big-Endians. ”と述べている(英語版Wikipedia)。つまり、一列に並べるとき、上位から先にする (big endian) か、下位から先にする (little endian) かの区別である。このような区別は、通信やアドレス付けの際に問題となる。現在多くの自然言語で左から右に横書きするので、big endianの方が自然に感じるが、負数を補数表現する整数ではlittle endianの方が、互換性が高い。32ビット整数を同じアドレスの16ビット整数として読んでも、値が共通の範囲なら同一の数値となる。逆に、IBM表現の浮動小数では、先頭の符号部・指数部が同じ形式なので、big endianでは、倍精度を単精度として読んでも、RZで丸めた値が得られる。IEEE 754ではどちらのendiannessでもそのような互換性はない。

IBMのmain frame機、モトローラのMC68000系統、Sun MicrosystemsのSPARCなどはbig endianを採用し、DECのVAXや、Intelのx86系統はlittle endianを採用している。MC88000やARMやPowerPCなどは切り替えが可能である。TCP/IPではbig endianとすることが規定されている。また、PDP-11などでは、2バイトをlittle endianで並べたものを単位として、それをbig endianで4バイトに並べるという変な入れ子のアドレス付けを採用しており、後にPDP endianと呼ばれた。

5) Ethernet
Xerox社、Intel社、DEC社の3社で共同開発した10 MbpsのDIX仕様は1979年に制定されたが、1980年、この仕様をIEEE 802委員会にEthernet 1.0規格として提出・公開した。直径1 cmの太い同軸ケーブル(黄色が多かったので、イエローケーブルと呼ばれた)を用い、これに針を刺してトランシーバを接続する。速度は10 Mb/sで10BASE5と呼ばれた。針を刺すには特別な道具があり、技術が必要であった。誤ってショートさせ、1本全体が不通になることもあった。当時はEthernetといえばイエローケーブルであったが、1990年頃から10BASE-Tなどのツイストペアケーブルが主流となる。

このころの競争相手は、IBM社のtoken ringとApple Computer社のApple Talkである。1980年10月、Xerox社、Intel社、DEC社の3社はEthernetの規格を公開して、多くの賛同者を得ることにより勝ち残った。

Ethernetの開発を主導したRobert Melancton Metcalfeは、1980年頃、「通信ネットワークの効果は、接続されるシステム数の二乗に比例する」と述べて、ネットワークの重要性を主張した。これは「Metcalfeの法則」と呼ばれる。

アメリカ政府の動き

1) 著作権法
アメリカでは、1980年12月12日に著作権法が改正され、1981年1月1日から施行された。コンピュータ・プログラムも一部は言語著作物として含まれている。IBMは莫大な投資により開発してきたソフトウェアを手に入れてビジネスを行っているPCMへの対策を積極的に開始した。この流れが1982年6月のIBM産業スパイ事件に連なる。

2) 日米半導体摩擦
日本のDRAMメーカは急速に成長してきたが、1970年代ではまだアメリカの方が一歩先んじていた。1980年代に入ると次第に逆転した。1980年3月25日に日本電子機械工業会(EIAJ)がWashington, D.C.で開いた「品質管理・日本の高生産性の鍵」と題するセミナーにおいて、Hewlett-Packard社のData Systems DivisionのGeneral ManagerであったDick Andersonはこう発言した。「16K DRAMが不足したので日本製品を採用したところ、その品質はアメリカ製品に比べて格段に優れていた。」日本製メモリの信頼性が高いことをアメリカのユーザが実証した形だが、アメリカの半導体業界にとっては大きなショックであった。

世界の学界

1) Berkeley RISC
1980年、UC BerkeleyのDavid Paterson教授を中心として、ARPAのVLSI Projectの下、RISCに基づくマクロプロセッサの設計プロジェクトが始まった。RISC (Reduced Instruction set computing)はPattersonの命名による。このプロジェクトは1984年まで続く。この設計は、Sun Microsystems社のSPARCアーキテクチャやARMアーキテクチャなどによって商品化された。RISC Iの最終設計は、1981年5月のISCA会議で発表される。命令は32ビット固定長で、わずか32種しかなかった。

2) RISC vs. CISC 論争
前項のBerkeley RISCとともに、IBMのIBM801やStanford大学のMIPSなどRISCの開発が進みつつあった。毒舌家のPattersonは ACM SIGARCHの機関紙Computer Architecture Newsの1980年10月15日号で、CICSへの強烈な批判を表明した。VAXの設計者Douglas W. Clarkは同じ号で論点一つ一つに反論を書いている。この論争はまだ続く。

3) ETH Multiprocessor
Simulation誌(Simulation Councils, Inc.発行)の1980年10月号によると、スイスのETH (Swiss Federal Institute of Technology)では、1976年から開始されたETH Multiprocessor Projectの中で、1980年にMIMD並列計算機を稼働させた。PDP 11/40をホストとし、16台のLSI-11Sから構成されている(後のPAX-32Jと似ている)。プロセッサは8本のバスで結合されている。連続系のシミュレーションが主目的(これもPAXと似ている)と言いながら、かなり粒度の小さい、しかも動的に変更可能な並列性の実装を行っている。1982年にはEMPRESSという名称でよばれている。

4) John William Mauchly死去
1980年1月8日、ENIACの主要開発者の一人John William Mauchlyが死去した。1944年頃からEDVACの製作にも関わり始めたが、1946年のENIAC完成後、EDVACプロジェクトを離脱し、John Eckertと共同でEckert-Mauchly社を設立する。資金難から1950年にRemington Rand社に買収されるものの、そこで世界初の商用コンピュータUNIVAC Iを完成させた。

5) 『岩波数学辞典 第2版』英訳
日本数学会編の『岩波数学辞典 第2版』は1968年に発行されたが、この英語訳が”Encyclopedic Dictionary of Mathematics” (Editor : The Mathematical Society of Japan) として、1980年MIT Pressから出版された。日本語の辞典の英文翻訳は珍しい。

国際会議

1) ISSCC 1980
第27回目となるISSCC 1980 (1980 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1980年2月13日~15日に再びSan Franciscoで開催された。主催はIEEE Solid-State Circuits Council、IEEE San Francisco Section、University of Pennsylvaniaである。組織委員長はJ. A. A. Raper (General Electric)、プログラム委員長はJ. D. Plummer (Stanford U.)であった。J. Fred Bucy (Texas Instruments, Inc.)が“The Semiconductor Industry Challenges in the Decade Ahead”と題して基調講演を行った。会議録はIEEE Xploreに置かれている。

2) ARCS 1980
第6回目となるARCS 1980(GI-NTG Fachtagung Struktur und Betrieb von Rechensystemen)は1980年3月19日~21日に西ドイツのKielで開催された。

3) ICPP 1980
9回目となるICPP 1980 (1980 International Conference on Parallel Processing)が1980年8月26日~29日に(おそらくオハイオ州Columbusあたりで)開催された。共催は、Ohio State University、IEEE/CSで、ACMは協賛。トリーア大学のdblpには1982年以降しかないが、たまたま手元に発表論文“Numerical Computations on CM*”(P. G. Hibbard and N. S. Ostlund)のコピーがある。

4) IFIP Congress 1980
8回目となるIFIP Congress 1980は、1980年10月6日~9日に東京で、1980年10月14日~17日にオーストラリアのMelbourneで開催された。筆者は全然記憶にないが、東京での開会式では、当時の明仁皇太子(現上皇)が挨拶されたとのことである。

会議録はInformation Processing 80, Proceedings of IFIP Congress 80のタイトルで、North-Holland/IFIPから出版されている。

アメリカの企業の動き

1) CDC社(Cyber 205)
CDC社(1957年創業)は、1980年6月3日、Cyber 203の改良型であるCyber 205を発表し、翌年出荷した。今度はECLゲートアレイを用いてベクトルパイプラインを設計し直した。冷却にはフレオンを用いた。最初の顧客は英国の気象庁であった。Cyber 205にはベクトルパイプラインが2本のものと4本のものがあり、4本の版は、64ビットで400 MFlops、32ビットで800 MFlopsのピーク性能をもつ。メモリ直結なのでバンド幅ネックであり、メモリバンド幅がI/O合計で9600 MB/sだったということであろうか。ベクトルパイプラインが2本のものは半分の性能である。

2) Burroughs社(B6900、BSP中止)
1980年7月1日、マルチプロセッサ方式の大型コンピュータB6900を発表した。

1980年12月、Burroughs社は1977年の発表以来4年余の開発期間を費やしたスーパーコンピュータBSP開発プロジェクトを中止した。Cray-1の成功を見て、勝ち目がないという判断であろう。日本電子計算(株)との導入契約も解除。

3) IBM社(IBM 3081D/K)
IBM社は、1980年11月12日にLSIを用いたIBM 3081Dを発表した(当初は3081。コード名はAdirondack)。これはそれまでHシリーズと報道されていた製品の一部と思われる。続いて1981年10月21日に3081Kが発表され(日本では1981年12月3日)、3081Gは1982年9月に発表される他、多くの下位モデルがある。パッケージ技術としてTCM (Thermal Conduction Module)を採用した。

4) Data General社(Eclipse MV/8000)
Data General社(1968年創業)は1980年4月、32ビットマシンであるEclipse MV/8000を発表した。同社はFountainheadというコード名の32ビットマシンを開発していたが、完成が遅れたので、これは16ビットのEclispeをベースに32ビットのミニコンを開発したものだそうである。16ビットのEclipseとともに、筆者のいた筑波大学の数値解析研究室(森正武教授、池辺八洲彦教授)のメインマシンとなったコンピュータである。数値計算用としては価格性能比のよいマシンであった。このマシンの開発には、後にConvexを創立したSteve Wallachが係わっていたことが、1981年に出版され、翌年Pulitzer Prizeのnonfiction部門を受賞したTracy Kiddler著”The Soul of a New Machine”(『超マシン誕生』糸川洋訳、日経BP)に書かれている。

5) Digital Equipment社(VAX 11/750)
1980年10月、DEC社は、VAX 11/780の小型版VAX 11/750を発表した。互換性はあるが、TTLゲートアレイで実装され、性能も低かった。

6) NAS社(AS700N、7000、700DPC、9000)
Itel社のコンピュータ部門は、1979年10月にNS (National Semiconductor)社に吸収されてその子会社NAS (National Advanced Systems)社となったが、1980年1月12日、3032, 33レンジのAS700N、7000、700DPCを発表した。また、8月24日には、日立製作所がNAS社と、超大型コンピュータの納入・販売に関する契約を結んだことが公表された。9月3日にはAS9000を発表した。これは日立のM-280H相当で、IBM 3081D対抗である。

7) Hewlett-Packard社
Hewlett-Packard社は、1979年にパーソナルコンピュータHP 80シリーズを発表し、最初のHP 85は1980年に発売された。16K RAMと32K ROMを装備し、表示は5インチのCRTで、32字×16行の文字か256×192ドットのグラフィックが表示でき、テープドライバとプリンタがついて$3250であった。その後、HP-83(1981)、HP-86A(1982)、HP-87(1982)などと続く。このころ筆者の父は職場でHPのPCを愛用していた。「なぜHPがいいのか」と聞いたら、「ゲームができないから」とか言っていたのを覚えている。

8) Motorola社(MC68000)
Motorola社(1928年創業)は、1979年に発表されていたマイクロプロセッサMC68000を1980年2月量産出荷した。外部16ビット、内部32ビットである。

9) Intel社(Intel 8087)
Intel社は、同社の16ビットCPUである8086や8088のための数値演算コプロセッサ8087を1980年に発表した。

企業の創業

1) Apollo Computer社
Apollo Computer社は、Prime Computerの創立者であるWilliam Poduskaによって1980年にマサチューセッツ州Chelmsfordで創立された。1980年から、Motorola社の68000ファミリのプロセッサを搭載したApollo/Domainワークステーションを生産した。独自のOSであるAegisを使用していたが、後にDomain/OSと改名された。、グラフィック・ワークステーションの草分けの一つである。最初はMotorolaのMC68000を利用していたが、DN10000には、Apollo独自開発のRISCプロセッサPRISM (Parallel Reduced Instruction Set Multiprocessor)を1個~4個搭載した。電気系や機械系のCADマシンとして愛用された。1983年5月に日本法人を設立した。

1989年Hewlett-Packard社に買収された。

2) Trilogy Systems社
1980年、Gene Amdahl、その息子Carl Amdahl、Clifford MaddenによりTrilogy Systems社が創立された。当初はACSYS社と呼ばれた。かつてのAmdahl社の成功によりAmdahlは$230Mを投資することができた。Groupe Bull、DEC社、Unisys社、Sperry Rand社などから支援を受けた。彼らの目標はWSI (wafer scale integration)により、IBM compatible mainframeを製造することであった。Array Processorを付加することも計画していたようである。しかしその実現は困難であることが判明し、1984年半ばにGene AmdahlはCEOを辞任し会長となった。1985年末、Gene Amdahl会長はすべての技術開発を中止することを決断し、残った$70Mの資金でElxsi社(現在のTata Elxsi)と合併した。1989年、Gene Amdahlは会社を去り、自分が1987年に中型のメインフレームを製造するために設立したAndor International社に移った。この会社は1995年に破綻する。

3) Symbolics社

Symbolics社はMIT人工知能研究所からのスピンオフとして、1980年4月9日にCambridgeを本拠地として設立された。その後、Concord(マサチューセッツ州)に拠点を移した。工場はLos Angeles郊外である。1983年、3600シリーズを発表する。

次回は1981年、通産省はいわゆる「スーパーコン大プロ」を始める。これにはベクトルも並列もデータフローもGaAsも超伝導も入っている。アメリカではCalTechのFoxがCosmic Cubeプロジェクトを始める。

(アイキャッチ画像:CDC Cyber 205  出典:IT History Society

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