HPCの歩み50年(第23回)-1985年(b)-
世界の学界の動き
1) IEEE 754(IEEE浮動小数演算標準)
IEEE/CS標準化委員会は、1985年3月21日にIEEE Std 754-1985 “IEEE Standard for Binary Floating-Point Arithmetic”を承認した。7月26日にはANSI (American National Standards Institute)も承認した。それまであった、IBM表現(IBMメインフレームやその互換機で使用)、DEC表現、Cray表現などの種々の表現に代わって、多くのCPUやFPUで用いられるようになった。
32ビットと64ビットの表現を規定し、それぞれについてa) 正規化数、b) 符号付きのゼロ、c)非正規化数、d) 符号付きの無限大、e) NaN(非数)が規定されている。基数は2で、正規化数ではいわゆるケチ表現を採用している。4種類の丸めや、演算についても規定されている。

2008年8月にはさらに拡張したIEEE 754-2008が発行された。
2) ICS会議(Kartashevの)
この年、初めてスーパーコンピュータを冠した会議がアメリカで始まった。Kartashev夫妻の主催するInternational Conference on Supercomputingである。1985年12月から89年4月までアメリカで4回開催された。第1回は、12月16~20日にフロリダ州のSt. Petersburgで開かれた。日本からも参加者があったが、運営上いろいろ問題があり、参加者の不興を買っていたとのことである。ちなみに、1987年、D. Kuckらを中心に始まり、第2回からはACM/SIGARCHの下で現在まで続いている同名の会議ICSは別系統である
3) C++
1985年、Bell研究所のBjarne Stoustrupが”The C++ Programming Language”を出版した。
4) Linda
Yale大学のDavid GelernterがACM Transaction on Programming Languages and Systems, pp. 80-112, January 1985において並列プログラミングのためのLinda言語のアイデアを発表。その後、協調言語と呼ばれる。仮想的な共有空間tuplespaceとのやりとりで並列処理を記述する。筆者は名前しか知らない。
アメリカ政府の動き
1) スーパーコンピュータセンターとNSFNET
ARPANETに接続されていない研究者をつなぐために、NSF (National Science Foundation)の資金提供により、1981年にCSNETが構築されたことはすでに述べた。Lax Reportに基づき、1985年頃、NSFは以下の通り5箇所のスーパーコンピュータセンターを構築した。当初の設置システムも記す。
– The Cornell Theory Center at Cornell University (1985) – SP1, KSR1
– NCSA at University of Illinois at Urbana-Champaign (1985) – Y-MP, C3880, CM-5
– The Pittsburgh Supercomputing Center at Carnegie Mellon University and the University of Pittsburgh (1985) – CM-5, T3D
– The San Diego Supercomputer Center at University of California, San Diego (1985) – Paragon , nCUBE, Cray-C98
– The John von Neumann Center at Princeton University (1986) – Cyber 205, ETA10
これに合わせて、NSFはこの5センターやNCARを太いバックボーンネットワークNSFNETで結合した。さらにこれを地域研究教育ネットワークと接続するネットワークを構築した。これにより、全米の大学キャンパスからスーパーコンピュータにアクセスすることが可能になった。CSNETはいわばこの一部を構成していたが、1989年まで自律的に運営され、1989年にCREN (Corporation for Research and Educational Networking)となった。
ヨーロッパの政府の動き
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SUPRENUM (画像出典: Wiki) |
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Inmos T414 Transputer (画像出典:Wiki) |
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Intel 80386 (画像出典:Computer History Museum) |
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Alliant FX1(画像出典:Computer History Museum) |
1) SUPRENUM
特筆すべきことは、1985年、ドイツの国家プロジェクトSUPRENUMが始まったことである。これはドイツ語のSUPerREchner für NUMerische Anwendungen(数値応用のためのスーパーコンピュータ)から命名された。予算は1.6億マルク。Suprenum-1はMotorola 68020と4個の数値演算コプロセッサ(Motorola 68882とWeitek WTL2264/2265)からなるノード320個(うち64はメンテナンス用)を結合した超並列計算機である。ピークは5120 MFlops。ソフトウェア開発にも力を入れた。研究プロジェクトとしては成功であったが、商用化は出来なかった。ただし、ソフトウェア関係ではこのプロジェクトの関連でGENESIS、SUPERB, Pallas, Manna, PPPE, RAPSなどの企業が出発した。またMeiko Scientific社はヨーロッパのGENESISプロジェクトから生まれた会社であるが、SUPRENUMでの研究の影響を受けている。プロジェクトは1990年終了した。
世界の企業の動き
これまで発足したベンチャー企業を含め、新製品の発表や出荷が続いている。
1) Inmos社(イギリス)
1978年11月にイギリスでInmos Limitedが設立されたことは前に述べたが、1985年に最初のTransputer T414 (32ビット)が発売された。このRISC CPUチップは、2KBのメモリとシリアル通信リンク4本を内蔵している。1987年に登場したT800は、初めて64ビットのFPUを内蔵した。Meiko, Floating Point Systems, Parsytec、Parsysなどの並列ベンダがTransputerを用いている。
なお英語版Wikipediaによると最初のいくつかのTransputerは前年1984年にリリースされたとあるが、これは16ビットのT2シリーズのことであろうか。
さらに意欲的に改良したT9000の開発に取りかかったが、性能目標が達成できず、1989年4月、会社ごとSGS-Thomsonに吸収された。
2) Intel社
10月、32ビットのIntel 80386(別名i386)を発売。数値演算コプロセッサは80387。
Intel社は1984年にScientific Computers divisionを創設し、並列コンピュータの開発を開始した。開発されたiPSC/1は、80286 CPUと数値演算コプロセッサ80287、512KBのメモリ、8本のイーサーネットポートからなるノードをハイパーキューブ結合した並列コンピュータである。ハイパーキューブ結合はGeoffrey C. FoxらのCalTech Cosmic Cubeから受け継いだ技術である。当時はもちろんまだMPIはなく、メッセージ通信のインタフェースとしてNXを開発した。
3) nCUBE社
12月、nCUBE 10をリリース
4) Alliant Computer Systems社
FXシリーズを発表
5) Convex Computer社
Cray-1と互換のミニスーパーコンピュータC1を出荷
6) Cray Research社
Cray-2を製造。これはCray-1を設計したSeymour Crayが設計した。X-MPはSteve Chenが開発したものである。Cray-2は4並列でピーク1952 Mflopsである。回路全体を液体に浸ける新しい冷却方式を採用した。
7) Floating Point Systems社
Floating Point Systems社(1970年創業)はFPS-264を出荷
8) IBM社
メインフレームIBM 3090にベクトル演算器を付加したIBM 3090/VFを発表。VFはVector Facilityの意味である。
9) Silicon Graphics社
MIPS社のR2000を用いたIRIS 2000を発売
10) Sun Microsystems社
Motorola社のMC68020マイクロプロセッサ、MC68881数値演算コプロセッサを用いたワークステーションSun-3を発売。筆者にとってはQCDPAXのホストとしてなつかしい。
11) Encore Computer社
1983年に創業したEncore Computer社は、National Semiconductor社のNS32332(または高速のNS32532)プロセッサを用いたMultimaxを発表
12) Denelcor社
Berton SmithがHEPを開発していたDenelcor社は閉鎖された
ベンチャー企業の創業
1) Ardent Computer社
Allen Michelsによってグラフィックス用のミニコンピュータを目指してSilicon Valleyで創立。チーフアーキテクトにGordon Bellを迎えた。MIPS R2000 CPUと独自開発のベクトルプロセッサを接続した4プロセッサの共有メモリのデスクトップ・コンピュータTitanを目指したが開発が遅れ、ようやく1988年に完成。日本の機械メーカのクボタが資金提供した。さらにStellarに対抗するため、2個のR3000と4個のi860からなるデスクトップを開発しようとした。
2) Stellar Computer社
Bill Poduska (Apollo Computer社の創立者)によってBostonで創立。高性能のワークステーションを開発。1989年、クボタはArdent社とStellar社の合併を強行し、Stardent Computer社となった。1991年、Stardent社は倒産し、クボタがすべての権利を引き継いだ。
1994年、クボタは新規ハードウェアからの撤退を決めた。
3) Supertek Computer社
元、Hewlett-Packard社のプロジェクトマネージャーであったMike Fungによって1985年Santa Claraにおいて設立された。目的は Cray互換のミニスーパーコンピュータを開発するためであった。1989年にCMOSによりCray X-MP互換のSupertek S-1を製造し10台販売した。1990年、Cray Researchによって買収された。そのころ、Cray Y-MP互換のSupertek S-2を開発中であったが、買収後 Cray Y-MP ELとして1992年にCray Research社から発表された。、
4) Meiko Scientific社
INMOS社の経営陣が1985年、transputerの発表を遅らせると示唆したとき、transputerの開発部隊にいたMiles Chesneyら数人が INMOS社を退職し、イギリスのBristolで、transputerを用いた超並列計算機を開発するためにMeiko Scientific社を設立した。社名は日本語の「名工」から命名したとのことである。
32ビットのT414を用いたシステムを1986年Meiko Computing Surfaceとして発表し、1990年までに300システム以上を販売した。最初はSun-3やSun-4をフロントエンドとするシステムであった。後継のtransputerの開発が遅れ、性能的に競争力がなくなると、2個のIntel i860チップと32 MBのRAMを含むボードを作成した。この場合、transputerはプロセッサ間通信を担当した。SPARCプロセッサのボードも開発した。
1993年に、SuperSPARCやhyperSPARACと富士通の1チップベクトルプロセッサμVPからなるMeiko CS-2を発表し、最大224プロセッサのシステムをLLNLに設置した。これが愛国者の神経を逆なでしたらしい。1993年3月、New York Times紙は、国立研究所であるLLNLがイギリスのCS-2を買うことは、アメリカの経済競争力を損ない、国家的安全保障を危険にさらすと批判した。Jack Dongarraは、”I’m stunned that they would make this choice. Meiko doesn’t have an established track record compared to others in the field.”と同紙に述べている(HCwire March 12, 1993)。Meiko Scientific社は直ちに反論した。
しかし、同社はほどなく経営難に陥った。1996年、技術陣はイタリアの Alenia Spazio社との合弁会社であるQuadrics Supercomputing World社に移り、相互接続技術をQsNetとして開発した。
5) Parsytec社
1985年、ドイツのAachenでFalk-Dietrich Küblerによりtransputerを用いた並列コンピュータを開発するために政府の補助金を受けて設立された。社名はPARallel SYstem TECnologyに由来する。1988年から1994年の間に、64個から16384個までのtransputerを用いた様々な Parsytec GigaClusterを製造した。日本の代理店は松下電器産業。2007年7月、ISRA VISION AGが52.6%の株式を取得した。現在は表面検査システムを販売している。
6) Concurrent Computer Corporation
Perkin-Elmer社(1937年創業)のコンピュータ部門が独立し、 Concurrent Computer Corporationとなった。詳細は不明であるが、1994年1月、同社は最初のMaxionマルチプロセッサシステムを出荷している。
7) ATI Technologies社
1985年、中国出身のHo Kwok Yuen(何国源)らは、PCのグラフィックカードなどを製造するために、カナダOntario州MarkhamにおいてArray Technologies Inc.を創立した。その後、ATI Technologies Inc.と改名。1993年にNASDAQとトロント株式市場に上場。2006年6月AMD社が買収すると発表し、10月に合併終了。
次回は1986年、ドイツではISCの前身であるMannheim Supercomputer Seminarが始まる。中国では、鄧小平国家主席の決断により、”863”計画が決定される。
(タイトル画像 SUN 3/60 Workstation 出典:Wiki)
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