世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


1月 26, 2015

HPCの歩み50年(第25回)-1986年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

中国の動き「863計画」

中国のHPCを語るとき呪文のように繰り返されるのが“863”計画である。これは、1986年3月、鄧小平国家主席の決断により、国務院が、応用ハイテク分野を推進する「高技術研究発展計画」を批准したものである。コンピュータなど情報技術も6つのハイテク分野の一つとして位置づけられ、国を挙げて推進されることとなった。863計画の威光は今に至るまで衰えていないところが中国のすごいところである。Top500のトップに位置する天河2号もこの延長線上にある。

日本の学界の動き

1) 数値解析シンポジウム
自主的に組織している第15回数値解析シンポジウムは、1986年5月22日(木)~24日(土)に、日本大学平野研究室の担当で日本大学軽井沢研修所において開催された。参加者は141名。

2) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所は、1986年11月13~15日に、伊理正夫(東京大学)を代表者として、研究集会「スーパーコンピュータのための数値計算アルゴリズムの研究」を開催した。第18回目であるが、初めて「スーパーコンピュータ」を冠した研究集会であった。報告は、講究録No. 613に収録されている。富士通、日立、日本電気、日本Cray社のベクトルの発表、PAXの並列処理の発表、ベクトルの利用法やアルゴリズムなどの発表もあった。

3) データフロー・ワークショップ
電子通信学会(1987年1月からは電子情報通信学会)は、1986年5月に(工業技術院筑波研究センター共用講堂)で第1回データフロー・ワークショップを開催した。当時日本では、上記電子技術総合研究所を初め、大阪大学、電信電話公社などでデータ駆動コンピュータの研究が盛んであった。なお、このワークショップの発展として、1989年からJSPPが始まる。

4) 円周率
金田康正(東大)と田村良明(緯度観測所)は、1986年9月、東大のS810/20を23時間用いて、円周率を3300万桁まで計算した。Gauss-Legendreの公式を用いた。1986年1月にDavid H. BaileyがCray-2により2936万桁まで計算した記録を破り、この時点での世界記録である。1981年に三好和憲(筑波大)と金田康正が筑波大学のFACOM M-200を137時間用いて200万桁求めて以来、日本人の活躍が目立っている。

5) 共通利用番号制
全国の7大型計算機センターは、4月から共通利用番号制を開始し、他のセンターでの利用料金を自分のセンターのアカウントにつけることができるようになった。18年間運用されたが、2004年からの国立大学法人化に伴い廃止された。

6) 日本のネットワーク
CSNETは1981年に始まったが、1986年東京大学がCSNETに加入し、JUNETとのゲートウェイとなった。正式運用は1987年10月からである。
JUNETは1984年から始まっているが、これで外国とメールをやりとりできるようになった。国際回線のパケット料の半額を利用者が負担するということで、送信も受信も有料であった。

7) (SM)2-II
慶応大学の天野らは、この頃疎行列計算のための並列計算機(SM)2-IIを開発した。これは1983年ごろ開発した(SM)2を改良したものである。CPUはM68000で、20ノードで動作した。

ACOS2000
ACOSシステム2000
MELCOM-PSI
MELCOM PSI
上記2画像 出典:一般社団法人情報処理学会Web サイト「コンピュータ博物館」

日本の企業の動き

1) ACOS 2000
日本電気は2月、汎用コンピュータACOSシステム2000シリーズを発表した。

2) MELCOM PSI
第5世代プロジェクトの成果をもとに、三菱電機は、AIワークステーションMELCOM PSIを1986年5月に発表した。

アメリカ・ヨーロッパの学界の動き

1) ISCの前身始まる
1986年6月20~21日、ドイツのマンハイム大学でMannheim Supercomputer Seminarが始まった。最初はマンハイム大学のHans Meuer教授が提唱した小規模な会議で、参加者はユーザとベンダを合わせて81名だったそうである。最初の何回かは、PowerPointもlaptopもなく、OHP (Overhead Projector)と35mmのスライドだけだったとのこと。

この会議は2001年からInternational Supercomputer Conferenceに改名され、現在に至っている。筆者が最初に参加したのは2002年であった。最初からこの会議を主宰していたHans Meuer教授は2014年1月20日に77歳で死去した。

この会議では毎年Hans Meuerが世界のスーパーコンピュータの状況を総括した。1986年には世界で約200台(65%がCray、15%がCDC、20%が日本)。ドイツでは15台(Crayが7台、Cyber 205が4台、VPが3台、Hitachi IAPが1台)だったそうだ。

第1回のスター講演者は、Raul Mendez (Naval Postgraduate School, Monterey California)であった。彼はアメリカと日本の両方のスーパーコンピュータを性能評価したことのある唯一のアメリカ人であった。筆者の記憶では、彼はしばしば訪日し、日本の友人の助力で各社のスーパーコンピュータを使って廻っていた。筆者もその頃何度かお会いした。会議後、この年の9月には、“The performance of the NEC SX-2 supercomputer system competed with that of the CRAY X-MP/4 and Fujitsu VP-200”というレポートを自分の大学から出している。このセミナーでも恐らく同様な講演をしたものと推測される。Harms氏の回想録によると、靴箱に乱雑に多数のスライドが入っており、整理もせずに持ってきたらしい。Meuerらがその中から30枚ほど抜き出して使ったとか。それでも、字が小さく、最前列の人しか読めなかったそうである。彼は翌年来日し、リクルートISR研究所の所長となった。

同じくヨーロッパを会場としていたHPCN (High Performance Computing and Networking)会議が、1993年5月にAmsterdamで始まったが、2001年に終了したことを考えると、この会議の存続は注目に値する。一つには1993年からTop500の発表と組み合わせたことがあるのかも知れない。最初の回から、会議に参加したスーパーコンピュータ・ベンダの一覧(Mannheim Supercomputer Statistics)を作り公表していたそうである。いわばTop500の源流のひとつと見られる。

2) LINPACK 1000
Dongarraらは、サイズ1000の線形方程式によってコンピュータの性能評価を行う手法を提案。LINPACK 100とは異なりどんな言語を用いてもよいし、並列処理もよいということになっている。

CM-1
CM-1(出展:Computer History Museum)
meiko
Meiko Surface CS1(提供:Jim Austin Computer Collection)
KSR-1
KSR-1(出展:Computer History Museum)

アメリカ・ヨーロッパの企業の動き

1) IBM社
IBM社は、VLSIを用いたIBM 3090 model 150, model 180を1986年2月に発表。3090にはVF (Vector Facility)というベクトル演算器を付加することができた。最大4台まで付加できたと記憶している。

2) PA-RISC
2月、Hewlett-Packard社(1947年創業)は、PA-RISCアーキテクチャのCPUおよびこれを採用したHP3000およびHP9000を発表した。筆者の東大の研究室ではHPのマシンをいくつか購入し利用した。

3) Unisys発足
Burroughs社(1886年創業)は、Sperry社(1910年創業)を買収合併してUnisysとなった。

4) Floating Point Systems社
Floating Point Systems社(1970年創業)は2月に超並列コンピュータT-seriesを発表した。詳しくは前回の記事を参照。

5) Scientific Computer Systems社
83年に創業したSCS社は、Cray-1互換のミニスーパーSCS-40を発表。ピーク40 MFlops。

6) Thinking Machines社
1982年に創業したTMCは、CM-1を4月に発表し、出荷した。これは、最大216個の1ビットプロセッサ(3 bit入力、2 bit 出力、4 Kbメモリ)をハイパーキューブ結合したSIMDマシンである。16ノードが1 chipに納められている。最大64Kノードまで2のべき乗のノード数が可能である。人工知能用のマシンで、言語は*LISP (star-LISP)である。

7) Meiko Scientific社
1985年にイギリスで創業したMeiko Scientific社は、transputer T414に基づくMeiko Computing Surfaceを発表

8) Myrias Research社
1983年にカナダで創業したMyrias Research 社は、128プロセッサSPS-1を稼働させた。MC68000を用いた、仮想共有メモリに基づく超並列コンピュータである。

9) TotalView
BBN社の超並列コンピュータBBN Butterfly向けの並列プログラム用デバッガとして開発された。その後1998年にはEtnus, Inc.として独立し、2007年にはTotalView Technolgiesに社命変更。2010年、Rogue Wave Softweare, Inc.が買収。

ベンチャー企業の創業

1) Transtech Parallel Systems社
1986年2月18日、イギリスで設立。2011年4月26日解散。小粒度の同期により、マルチスレッド実行を支援する、組み込みシステムを製造していた。1993年8月には、Paramid Supercomputerを発売。

2) KSR (Kendall Square Research)社
1986年、MIT近くのKendall Squareにおいて創立。創立者はSteven FrankとHenry Burkhardt III。BurkhardtはData GeneralやEncore Computer社の創立者の一人であり、Digital Equipment社でPDP-8の設計に携わった。Cache only memory architecture (COMAまたはAllcache)という一種の共有メモリに基づくアーキテクチャを採用。独自プロセッサにより、KSR-1 (1991)とKSR-2 (1993)を開発した。KSR-1のチップセットはシャープ社が、KSR-2のチップセットはHewlett-Packard社が製造した。当時のHPCwireの記事によると、1994年2月18日、KSR社とキヤノンスーパーコンピューティング社は、KSR1-96をATR翻訳電話研究所に販売したと発表した。1993年夏にBurkhardtは粉飾決算(売り上げの水増し)の責任をとって辞職。1994年3月頃から株主に訴訟を起こされ、7月にはAllcacheの技術を売ろうとしたが、9月21日、製品の製造と販売を停止し、12月30日には連邦破産法第11条(日本の民事再生法に相当)の保護を申請した。
一時の熱狂的な人気と株価高騰が一転して破産に至ったため、この事件はHPC業界に大きな衝撃を与えた。

3) Avalon Computer Systems社
この会社は1982年、カリフォルニア州Santa BarbaraでRoss Harveyら3人によって創立された。安価なスーパーコンピュータを製造することを謳っていた。1994年のSC94で、Alpha 21164 (300 MHz、600 MFlops)を高速スイッチで接続したマシンA12 Parallel Supercomputerを発表した(この名称自体はSC94では公表されなかったかもしれない)。T3Dよりコスパに優れている、という宣伝であった。1995年に売り出したようだが、どれだけ売れたのか、その後会社はどうなったのか、など謎である。
ちなみにAvalonはイギリスの伝説の島であり、アーサー王物語の舞台である。

さて次回は1987年、日本は第2世代ベクトルコンピュータの時代に突入する。他方、筑波大はQCDPAXプロジェクトがやっと採択される。隣の電総研では、「スーパーコン大プロ」の一環でデータ駆動のSIGMA-1が製作される。Gordon-Bell賞が始まるのもこの年である。

left-arrow 50history-bottom right-arrow

特別スポンサー