世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


2月 9, 2015

HPCの歩み50年(第26回)-1987年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

日本は第2世代のベクトルスーパーコンピュータの時代に入りつつあり、まず日立はS-820を発表した。またこの年、日本において、私企業で多機種のスーパーコンピュータを集めたセンターが2つも設立された。筆者としての大事件は、科研費特別推進のQCDPAXプロジェクトが採択されたことである。筑波大のご近所の電総研では、データ駆動コンピュータSIGMA-1が製作された。世界的にはGordon Bell賞が始まった。IntelがiPSC/2を発表した。

社会の動きとしては、2/21日米半導体摩擦、2/23小柴昌俊ら、カミオカンデで超新星ニュートリノを観測、4/1国鉄分割民営化、5/3朝日新聞阪神支局襲撃、9/22昭和天皇、腸を手術、10/19暗黒の月曜日(Black Monday)、株式大暴落、11/6竹下内閣発足、11/29大韓航空機事件(真由美)など。この年、銀座4丁目の土地公示価格が坪当たり約1億円となった。また、利根川進博士がノーベル医学生理学賞受賞。

小柴昌俊教授は3月末で定年退官し、4月初めにシンポジウムとパーティがあったが、「先生、定年直前に(超新星)ニュートリノを見つけるなんて、ずいぶん運がいいですね。」とからかったら、「テメー、『悪運』がツエーって言いテーんだろう!」と一喝された。大先生方も、「小柴先生が定年になったくらいで、こんな発見があるなんて、もしお亡くなりになったらどんな大事件が起こるか?」などと軽口をたたいていた。ノーベル賞は2002年。

HPCとは関係ないが、筑波大学現代語・現代文化学系のM助教授らとともに、サントリー文化財団の研究助成を受けて、3人で「思想のイメージ化」というプロジェクトを始めた。もう一人の共同研究者は建築家のS氏。M助教授は『思考の死角を視る』(勁草書房)により1983年にサントリー学芸賞思想・歴史部門を受賞しており、その延長で、言語でなくイメージで思想や論理を表現できないかという無謀な試みを行った。2年間助成を受けた。

QCD-PAX_board-300x257
QCDPAXボード
QCD-PAX-tall
QCDPAXラック(上記2画像提供:筑波大学計算科学研究センター)

 QCDPAXプロジェクト

科研費特別推進のQCDPAXプロジェクトがついに採択された。詳細は、「超並列計算機CP-PACS 1992-2005」の中の岩崎氏の記事に詳しい。

前年まで代表として申請していた星野氏が、昨年のヒアリングでの騒動で「もう代表を降りる」という意向だったので、岩崎氏が一大決心で研究代表者となり、提案を練り直した。表題も「格子ゲージ理論によるハドロンの質量及びクォーク・グルーオン相構造の解明」と物理に重点を置くよう変更した。分担者は、星野力、筆者、白川友紀、川合敏雄である(途中から金谷和至、吉江友照が参加)。ヒアリングには前回と同様3人で臨んだ。幸いN委員は居られなかったが、厳しい質問が続いた。

Q:格子ゲージ理論の計算は外国でもやっているが、ユニークな点は何か?

Q:物理とコンピュータとどちらに重点があるか?[来た!!]

Q:2億円は材料費だけのようだが、手間は要らないのか?

Q:このLSIのオリジナリティーは?

Q:今のスーパーコンピュータではなぜ不足なのか?

Q:タイトルは物理なのに、予算はコンピュータが主になっている。

Q:サンマイクロ社のWSは国産か外国製か?

Q:CMOSは遅くないか?

Q:世界に先駆けて何をやるか?

それぞれちゃんと答えたつもりである。幸い、7月28日付けで交付決定の通知が来た。全体では49件の申請から12課題が採択された。3年間の予算は2.78億円であった。多くの企業に協力を依頼したがすべて断られ、アンリツ社が社運を賭けて製作に協力してくださった。半導体メモリの価格が予想通り下がらなかったので、文部科学省の現地視察の際に数千万円の予算追加を申請し、1988年12月に認められた。これによりほぼ予定のノード数を作ることができた。

CPUはMC68020、FPUはL64133(LSI Logic社)とした。通常のコプロセッサとしてMC68881も欲しかったが予算的にあきらめた。ボードにはソケット用の場所が残っている(写真の3個のLSIの並びの左端)。L64133は、いわゆるDSP (Digital Signal Processor) で、これを制御するコントローラFPUC (FPU Controller) をLSI Logic社のゲートアレイで自作することにした。白川氏はL64133にクロック毎にデータを供給するDMAを設計した。これでソフトウェア・パイプライニングによる一種のベクトル演算が可能になった。筆者は関数計算を担当した。このチップは加減乗しかできなかったので除算のための逆数が必要であった。さらに、平方根、平方根逆数、三角関数 (sin, cos)、逆三角関数(atan)、対数、指数、そしてM系列乱数生成のためのアーキテクチャを設計した。単精度演算しかないので、精度を保つのに苦労した。三角関数や指数関数などの基本区間への写像などには部分1.5倍精度などのテクニックを駆使した。LSI Logic社(1980年創業)の筑波営業所が東大通りから西にちょっと入ったところにあり、何度も訪れた。電総研のEM4 (1990)でもこの会社をつかったそうである。最近になって、富士通がFX10 のチップ(Sparc64 IX-fx)を設計する際にLSI社(2007年に改名)が協力したと聞いて、懐かしく思い出した。

FPUCのプログラムはメモリ上ではデータとして保存され、CPUから起動される。FPUCは独立に動作し、独自の命令メモリ、デコーダ、プログラムカウンタを持つ。原理的にはCPUと並行動作が可能である。結果論であるが、この辺は日立のベクトルコンピュータに似たものとなった。命令セットは、多少圧縮した水平マイクロを用い、SRAMメモリ上のデータのI/Oと演算を並列に実行する。自作のコンパイラがあまり有能でなかったので、高速処理のためにはqfaというアセンブラによりパイプライン動作を直接書く必要があり、ユーザは大変苦労した。このパイプライン動作の記述は後のIntel i860と似ている。コンピュータ科学の素養のなかった筆者としては、FPUCの設計はアーキテクチャのよい勉強になった。後に「オレはプロセッサの設計もしたことがある」とうそぶいたものである。

1987年には、競争相手であるコロンビア大学の格子ゲージ専用マシン2号機が完成した。64ノードで、ピーク1 GFlopsであった。翌1988年にはAPEの1号機も完成する。QCDPAXも急がなくては。

日本の学界の動き

1) 数値解析シンポジウム
第16回数値解析シンポジウムは、1987年6月11日(木)~13日(土)に、昨年に引き続き日本大学平野研究室の担当で、日本大学軽井沢研修所で開催された。参加者は108名。

2) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所では、1966年から数値解析関係の研究会を行っている。1987年11月26~28日には、鳥居達生(名古屋大学)を代表者として、「数値計算基本アルゴリズムとそのソフトウェアの研究」研究集会を開催した。第19回目である。報告書は講究録No. 648に収録されている。

3) SIGMA-1
電子技術総合研究所(現在の産業技術総合研究所の前身の一つ)では、例のスーパーコン大プロ(1981年発足)の計画の一つとしてデータ駆動コンピュータSIGMA-1を製作した。データ駆動に基づくDataflow-Cという言語も開発。

4) データフロー・ワークショップ
昨年に続き、電子情報通信学会第2回データフロー・ワークショップが、大阪大学の担当で1987年10月に神戸市立神戸セミナーハウス(?)において開催された。いわばこの発展として、1989年2月に第1回並列処理シンポジウムJSPPが開催される。

5) リクルートスーパーコンピュータ研究所設立
スーパーコンピュータの時間貸しビジネスを始めたリクルート社は、アメリカからRaul Mendez(UC BerkeleyでPh.D.、前職はNaval Postgraduate School, Monterey, California)を所長にスカウトし、リクルートスーパーコンピュータ研究所(ISR, Institute for Supercomputer Research)をかちどき橋の東詰に1987年に設立した。そこには、Cray X-MP、NEC SX-1、FACOM VP-400、Alliant FX-8、Ardent Titan、PAX-64J、Intel iPSC/2など多数のスーパーコンピュータや超並列コンピュータが設置されていた。30人ほどの研究者が集まった。1988年に発覚したリクルート事件により、時間貸しのビジネスは頓挫し、研究所も1993年に閉鎖された。

実は、彼が日本での職を探しているということを聞き、筆者のいた筑波大学は先に彼にオファーを出したのだが、研究所長の方を選んだのは正解であろう。リクルートの副社長が大学まで「Mendez博士をいただきます」とご挨拶に見えられた。

1987年9月、第1回のISRシンポジウムが安比グランドホテル(岩手県八幡平市)で開かれ、筆者も参加してILUCR法のSX-2上でのベクトル化について講演した。夜には盛大な懇親会が開かれた。バブルが膨らんでいる最中であった。

6) 計算流体力学研究所
宇宙科学研究所に所属していた桑原邦郎は、親の遺産を活用して、1985年11月に目黒の自宅で(株)計算流体力学研究所を創立した。1987年5月に最初のスーパーコンピュータFACOM VP-200を設置した。その後、富士通のVP2600、日本電気SX-2、日立S-820(3台)など最大7台のスーパーコンピュータを保有し、スーパーコンピュータの時間貸しとコンサルティングを行った。多くの若手研究者がたむろしており、あたかも梁山泊であった。その後経営困難となり、1991年末にSX-2を撤去、残りを1992年5月までに撤去した。この研究所に一宿一飯の恩義のある研究者も少なくない。

7) 円周率
金田康正(東大)と田村良明(緯度観測所)らは、1987年1月13日、日本電気社内のSX-2を35時間15分用いて円周率を1.33億桁計算した。この時点の世界記録であった。Salamin and Brent Algorithmを用いた。1989年頃まで、金田・田村組とChudonovsky兄弟との間で熾烈な競争があった。

日本でのスーパーコンピュータの設置状況

筆者はこの少し前から日本の大学、研究所、企業などにおけるスーパーコンピュータ(当時はベクトルのみ)の設置状況を、新聞雑誌などの公開情報から収集していた。日経コンピュータにも田中一実氏(故人)により時々リストが掲載されていたが、一部は筆者との協力によるものである。1987年9月に作成したリストが筆者のファイルに残っていたので、紹介する。ついでに海外の日本機も分かる範囲で記す。導入予定も入っているようである。富士通はこの頃までに51台のVPを販売・受注していると発表しているのでこの表は完全ではない。日本の民間企業を緑色で示す(NTTも含めた)。

1) Cray Research

組織

マシン

設置時期

主記憶

拡張/SSD

フロントエンド

センチュリーリサーチ

Cray-1

1980/1

8 MB

3081K, Cyber174

三菱総研

Cray-1

1980/7

4 MB

3081K

NTT

X-MP/22

1984/8

16 MB

DIPS11-45/3081K/VAX

東芝

X-MP/22

1984/11

16 MB

128 MB

3090

日産自動車

X-MP/22

1986/4

16 MB

3090-200

リクルート(横浜)

X-MP/216

1986/11

128 MB

3090-200

リクルート(大阪)

X-MP/18

?

64 MB

本田技研工業

X-MP/14

1987/2

32 MB

IBM

愛知工業大学

X-MP/14se

1988/7

32 MB

?

工業技術院

X-MP/216

1988/3

128 MB

SUN3

2) ETA

東京工業大学

ETA10

1988/5

3) 日立

東大大型計算機センター

S810/20

1983/10

256 MB

512 MB

M680H

日立中央研究所

S810/20

1983/10

32 MB

M680H

日立日立工場

S810/20

1984/4

32 MB

M200H

高エネルギー研

S810/10

1985/6

128 MB

M280H

日立武蔵工場

S810/10

1985/6

64 MB

気象研

S810/10

1986/9

32 MB

M280D

分子研

S810/10

1985/12

128 MB

1024 MB

M680H

北大大型計算機センター

S810/10

1986/7

32 MB

M680D

日立機械研究所

S810/20

1986/9

64 MB

Stand alone

日立神奈川工場

S810/20

1986/10

256 MB

256 MB

Stand alone

某企業

S810/5

1986/12

64 MB

Stand alone

日産ディーゼル上尾工場

S810/5

1987/5

128 MB

256 MB

Stand alone

ブリヂストン

S810/5

1987/5

32 NB

256 MB

Stand alone

日本情報サービス

S810/5

1987/5

64 MB

256 MB

Stand alone

気象庁

S810/20

1987/11

64 MB

512 MB

M680H

4) 日本電気

大阪大学レーザー研

SX-2(注)

1985/6

128 MB

ACOS-950N

日本電気 研究所

SX-2

1985/12

192 MB

Stand alone

大阪大学大型計算機センター

SX-1

1986/3

192 MB

ACOS-2000

東北大学大型計算機センター

SX-1

1986/3

192 MB

ACOS-1000

東海大学計算センター

SX-1E

1986/9

128 MB

Stand alone

岡山大学計算センター

SX-1E

1987/3

128 MB

ACOS-1000

計算流体力学研究所

SX-2

1987/6

256 MB

Stand alone

Houston Area Research Consortium (USA)

SX-2

Laboratory of Aerospace Research(the Netherlands)

SX-2

1987/11

(注)このマシンは NEC SAP(Scientific Arithmetic Processor)という機種名で導入された(既報)。

5) 富士通

名古屋大学プラズマ研究所

VP-200

1983/12

64 MB

M380Q

富士通沼津工場

VP-200

1983/12

64 MB

Stand alone

京都大学大型計算機センター

VP-200

1984/4

64 MB

M780-10

VP-400

1987/10

256 MB

M780-30

動力炉核燃料開発事業団

VP-100

1984/4

32 NB

M200

富士通川崎工場

VP-400

1984/8

128 MB

M380

日本原子力研究所

VP-100

1984/10

32 MB

M380R

VP-100

1986/1

32 MB

M380R

トヨタ自動車

VP-100

1985/9

32 MB

M382

富士通システムラボラトリ

VP-200

1985/8

128 MB

M382

アドバンテスト

VP-50

1985/11

64 MB

M200AP

九州大学大型計算機センター

VP-100

1985/12

32 MB

M380S

松下電器産業

VP-100

1985/12

64 MB

M380Q

富士電機

VP-50

1986/1

64 MB

Stand alone

ソニー

VP-50

1985/12

128 MB

Stand alone

川崎製鉄千葉製鉄所

VP-50

1985/1

64 MB

Stand alone

某研究所

VP-100

1986/3

64 MB

M380

東京天文台

VP-50

1986/3

32 MB

M380Q

千代田情報サービス

VP-50

1986/4

32 MB

M380

シャープ

VP-50

1986/4

32 MB

M380

計算流体力学研究所

VP-200

1986/4

256 MB

Stand alone

オリンパス光学

VP-50

1986/3

64 MB

Stand alone

石川島播磨重工

VP-50

1986/1

32 MB

M380R

リクルート

VP-400

1986/1

256 MB

M380

清水建設

VP-50

1986/6

32 MB

3081K

三菱化成

VP-50

1986/7

64 MB

Stand alone

名古屋大大型計算機センター

VP-100

1986/10

64 MB

M380R

東大生産技術研究所

VP-100

1986/11

64 MB

Stand alone

航空宇宙技術研究所

VP-400

1986/12

256 MB

M780-10

VP-200

1986/12

128 MB

M780-10

某企業

VP-100

1986/12

64 MB

Stand alone

某企業

VP-50

1987/3

64 MB

M380

航空自衛隊

VP-50

1987/3

神戸製鋼

VP-30

1987/7

64 MB?

川崎重工

VP-50

1987/7

64 MB?

日本鋼管

VP-50

1987/7

64 MB?

Siemens (W. Germany)

VP-200

Amdahl (USA)

VP-200

GECO (Norway)石油

VP-200

NORSTAR (Norway)石油

VP-50

IABG (W. Germany)

VP-200

Western Geophysical Lab. (UK)

VP-100

特徴的なのは、日本では民間企業に設置されたスーパーコンピュータが非常に多いことで、当時のアメリカとは対照的である。

続きは次回に回す。日立はS-820を発表し、富士通はVP-400をリクルートとNALに納入する。ETA 10の1号機がフロリダ大学に納入される。ベンチャーとしてはMasParやTeraが設立される。最初のGordon-Bell賞はnCUBEを用いた計算に与えられた。

(タイトル画像: 当時のQCDPAX 画像提供:筑波大学計算科学研究センター)

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