HPCの歩み50年(第26回)-1987年(a)-
日本は第2世代のベクトルスーパーコンピュータの時代に入りつつあり、まず日立はS-820を発表した。またこの年、日本において、私企業で多機種のスーパーコンピュータを集めたセンターが2つも設立された。筆者としての大事件は、科研費特別推進のQCDPAXプロジェクトが採択されたことである。筑波大のご近所の電総研では、データ駆動コンピュータSIGMA-1が製作された。世界的にはGordon Bell賞が始まった。IntelがiPSC/2を発表した。
社会の動きとしては、2/21日米半導体摩擦、2/23小柴昌俊ら、カミオカンデで超新星ニュートリノを観測、4/1国鉄分割民営化、5/3朝日新聞阪神支局襲撃、9/22昭和天皇、腸を手術、10/19暗黒の月曜日(Black Monday)、株式大暴落、11/6竹下内閣発足、11/29大韓航空機事件(真由美)など。この年、銀座4丁目の土地公示価格が坪当たり約1億円となった。また、利根川進博士がノーベル医学生理学賞受賞。
小柴昌俊教授は3月末で定年退官し、4月初めにシンポジウムとパーティがあったが、「先生、定年直前に(超新星)ニュートリノを見つけるなんて、ずいぶん運がいいですね。」とからかったら、「テメー、『悪運』がツエーって言いテーんだろう!」と一喝された。大先生方も、「小柴先生が定年になったくらいで、こんな発見があるなんて、もしお亡くなりになったらどんな大事件が起こるか?」などと軽口をたたいていた。ノーベル賞は2002年。
HPCとは関係ないが、筑波大学現代語・現代文化学系のM助教授らとともに、サントリー文化財団の研究助成を受けて、3人で「思想のイメージ化」というプロジェクトを始めた。もう一人の共同研究者は建築家のS氏。M助教授は『思考の死角を視る』(勁草書房)により1983年にサントリー学芸賞思想・歴史部門を受賞しており、その延長で、言語でなくイメージで思想や論理を表現できないかという無謀な試みを行った。2年間助成を受けた。
QCDPAXボード | |
QCDPAXラック(上記2画像提供:筑波大学計算科学研究センター) |
QCDPAXプロジェクト
科研費特別推進のQCDPAXプロジェクトがついに採択された。詳細は、「超並列計算機CP-PACS 1992-2005」の中の岩崎氏の記事に詳しい。
前年まで代表として申請していた星野氏が、昨年のヒアリングでの騒動で「もう代表を降りる」という意向だったので、岩崎氏が一大決心で研究代表者となり、提案を練り直した。表題も「格子ゲージ理論によるハドロンの質量及びクォーク・グルーオン相構造の解明」と物理に重点を置くよう変更した。分担者は、星野力、筆者、白川友紀、川合敏雄である(途中から金谷和至、吉江友照が参加)。ヒアリングには前回と同様3人で臨んだ。幸いN委員は居られなかったが、厳しい質問が続いた。
Q:格子ゲージ理論の計算は外国でもやっているが、ユニークな点は何か?
Q:物理とコンピュータとどちらに重点があるか?[来た!!]
Q:2億円は材料費だけのようだが、手間は要らないのか?
Q:このLSIのオリジナリティーは?
Q:今のスーパーコンピュータではなぜ不足なのか?
Q:タイトルは物理なのに、予算はコンピュータが主になっている。
Q:サンマイクロ社のWSは国産か外国製か?
Q:CMOSは遅くないか?
Q:世界に先駆けて何をやるか?
それぞれちゃんと答えたつもりである。幸い、7月28日付けで交付決定の通知が来た。全体では49件の申請から12課題が採択された。3年間の予算は2.78億円であった。多くの企業に協力を依頼したがすべて断られ、アンリツ社が社運を賭けて製作に協力してくださった。半導体メモリの価格が予想通り下がらなかったので、文部科学省の現地視察の際に数千万円の予算追加を申請し、1988年12月に認められた。これによりほぼ予定のノード数を作ることができた。
CPUはMC68020、FPUはL64133(LSI Logic社)とした。通常のコプロセッサとしてMC68881も欲しかったが予算的にあきらめた。ボードにはソケット用の場所が残っている(
FPUCのプログラムはメモリ上ではデータとして保存され、CPUから起動される。FPUCは独立に動作し、独自の命令メモリ、デコーダ、プログラムカウンタを持つ。原理的にはCPUと並行動作が可能である。結果論であるが、この辺は日立のベクトルコンピュータに似たものとなった。命令セットは、多少圧縮した水平マイクロを用い、SRAMメモリ上のデータのI/Oと演算を並列に実行する。自作のコンパイラがあまり有能でなかったので、高速処理のためにはqfaというアセンブラによりパイプライン動作を直接書く必要があり、ユーザは大変苦労した。このパイプライン動作の記述は後のIntel i860と似ている。コンピュータ科学の素養のなかった筆者としては、FPUCの設計はアーキテクチャのよい勉強になった。後に「オレはプロセッサの設計もしたことがある」とうそぶいたものである。
1987年には、競争相手であるコロンビア大学の格子ゲージ専用マシン2号機が完成した。64ノードで、ピーク1 GFlopsであった。翌1988年にはAPEの1号機も完成する。QCDPAXも急がなくては。
日本の学界の動き
1) 数値解析シンポジウム
第16回数値解析シンポジウムは、1987年6月11日(木)~13日(土)に、昨年に引き続き日本大学平野研究室の担当で、日本大学軽井沢研修所で開催された。参加者は108名。
2) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所では、1966年から数値解析関係の研究会を行っている。1987年11月26~28日には、鳥居達生(名古屋大学)を代表者として、「数値計算基本アルゴリズムとそのソフトウェアの研究」研究集会を開催した。第19回目である。報告書は講究録No. 648に収録されている。
3) SIGMA-1
電子技術総合研究所(現在の産業技術総合研究所の前身の一つ)では、例のスーパーコン大プロ(1981年発足)の計画の一つとしてデータ駆動コンピュータSIGMA-1を製作した。データ駆動に基づくDataflow-Cという言語も開発。
4) データフロー・ワークショップ
昨年に続き、電子情報通信学会第2回データフロー・ワークショップが、大阪大学の担当で1987年10月に神戸市立神戸セミナーハウス(?)において開催された。いわばこの発展として、1989年2月に第1回並列処理シンポジウムJSPPが開催される。
5) リクルートスーパーコンピュータ研究所設立
スーパーコンピュータの時間貸しビジネスを始めたリクルート社は、アメリカからRaul Mendez(UC BerkeleyでPh.D.、前職はNaval Postgraduate School, Monterey, California)を所長にスカウトし、リクルートスーパーコンピュータ研究所(ISR, Institute for Supercomputer Research)をかちどき橋の東詰に1987年に設立した。そこには、Cray X-MP、NEC SX-1、FACOM VP-400、Alliant FX-8、Ardent Titan、PAX-64J、Intel iPSC/2など多数のスーパーコンピュータや超並列コンピュータが設置されていた。30人ほどの研究者が集まった。1988年に発覚したリクルート事件により、時間貸しのビジネスは頓挫し、研究所も1993年に閉鎖された。
実は、彼が日本での職を探しているということを聞き、筆者のいた筑波大学は先に彼にオファーを出したのだが、研究所長の方を選んだのは正解であろう。リクルートの副社長が大学まで「Mendez博士をいただきます」とご挨拶に見えられた。
1987年9月、第1回のISRシンポジウムが安比グランドホテル(岩手県八幡平市)で開かれ、筆者も参加してILUCR法のSX-2上でのベクトル化について講演した。夜には盛大な懇親会が開かれた。バブルが膨らんでいる最中であった。
6) 計算流体力学研究所
宇宙科学研究所に所属していた桑原邦郎は、親の遺産を活用して、1985年11月に目黒の自宅で(株)計算流体力学研究所を創立した。1987年5月に最初のスーパーコンピュータFACOM VP-200を設置した。その後、富士通のVP2600、日本電気SX-2、日立S-820(3台)など最大7台のスーパーコンピュータを保有し、スーパーコンピュータの時間貸しとコンサルティングを行った。多くの若手研究者がたむろしており、あたかも梁山泊であった。その後経営困難となり、1991年末にSX-2を撤去、残りを1992年5月までに撤去した。この研究所に一宿一飯の恩義のある研究者も少なくない。
7) 円周率
金田康正(東大)と田村良明(緯度観測所)らは、1987年1月13日、日本電気社内のSX-2を35時間15分用いて円周率を1.33億桁計算した。この時点の世界記録であった。Salamin and Brent Algorithmを用いた。1989年頃まで、金田・田村組とChudonovsky兄弟との間で熾烈な競争があった。
日本でのスーパーコンピュータの設置状況
筆者はこの少し前から日本の大学、研究所、企業などにおけるスーパーコンピュータ(当時はベクトルのみ)の設置状況を、新聞雑誌などの公開情報から収集していた。日経コンピュータにも田中一実氏(故人)により時々リストが掲載されていたが、一部は筆者との協力によるものである。1987年9月に作成したリストが筆者のファイルに残っていたので、紹介する。ついでに海外の日本機も分かる範囲で記す。導入予定も入っているようである。富士通はこの頃までに51台のVPを販売・受注していると発表しているのでこの表は完全ではない。日本の民間企業を緑色で示す(NTTも含めた)。
1) Cray Research
組織 |
マシン |
設置時期 |
主記憶 |
拡張/SSD |
フロントエンド |
センチュリーリサーチ |
Cray-1 |
1980/1 |
8 MB |
3081K, Cyber174 |
|
三菱総研 |
Cray-1 |
1980/7 |
4 MB |
3081K |
|
NTT |
X-MP/22 |
1984/8 |
16 MB |
DIPS11-45/3081K/VAX |
|
東芝 |
X-MP/22 |
1984/11 |
16 MB |
128 MB |
3090 |
日産自動車 |
X-MP/22 |
1986/4 |
16 MB |
3090-200 |
|
リクルート(横浜) |
X-MP/216 |
1986/11 |
128 MB |
3090-200 |
|
リクルート(大阪) |
X-MP/18 |
? |
64 MB |
||
本田技研工業 |
X-MP/14 |
1987/2 |
32 MB |
IBM |
|
愛知工業大学 |
X-MP/14se |
1988/7 |
32 MB |
? |
|
工業技術院 |
X-MP/216 |
1988/3 |
128 MB |
SUN3 |
2) ETA
東京工業大学 |
ETA10 |
1988/5 |
3) 日立
東大大型計算機センター |
S810/20 |
1983/10 |
256 MB |
512 MB |
M680H |
日立中央研究所 |
S810/20 |
1983/10 |
32 MB |
M680H |
|
日立日立工場 |
S810/20 |
1984/4 |
32 MB |
M200H |
|
高エネルギー研 |
S810/10 |
1985/6 |
128 MB |
M280H |
|
日立武蔵工場 |
S810/10 |
1985/6 |
64 MB |
||
気象研 |
S810/10 |
1986/9 |
32 MB |
M280D |
|
分子研 |
S810/10 |
1985/12 |
128 MB |
1024 MB |
M680H |
北大大型計算機センター |
S810/10 |
1986/7 |
32 MB |
M680D |
|
日立機械研究所 |
S810/20 |
1986/9 |
64 MB |
Stand alone |
|
日立神奈川工場 |
S810/20 |
1986/10 |
256 MB |
256 MB |
Stand alone |
某企業 |
S810/5 |
1986/12 |
64 MB |
Stand alone |
|
日産ディーゼル上尾工場 |
S810/5 |
1987/5 |
128 MB |
256 MB |
Stand alone |
ブリヂストン |
S810/5 |
1987/5 |
32 NB |
256 MB |
Stand alone |
日本情報サービス |
S810/5 |
1987/5 |
64 MB |
256 MB |
Stand alone |
気象庁 |
S810/20 |
1987/11 |
64 MB |
512 MB |
M680H |
4) 日本電気
大阪大学レーザー研 |
SX-2(注) |
1985/6 |
128 MB |
ACOS-950N |
|
日本電気 研究所 |
SX-2 |
1985/12 |
192 MB |
Stand alone |
|
大阪大学大型計算機センター |
SX-1 |
1986/3 |
192 MB |
ACOS-2000 |
|
東北大学大型計算機センター |
SX-1 |
1986/3 |
192 MB |
ACOS-1000 |
|
東海大学計算センター |
SX-1E |
1986/9 |
128 MB |
Stand alone |
|
岡山大学計算センター |
SX-1E |
1987/3 |
128 MB |
ACOS-1000 |
|
計算流体力学研究所 |
SX-2 |
1987/6 |
256 MB |
Stand alone |
|
Houston Area Research Consortium (USA) |
SX-2 |
||||
Laboratory of Aerospace Research(the Netherlands) |
SX-2 |
1987/11 |
(注)このマシンは NEC SAP(Scientific Arithmetic Processor)という機種名で導入された(既報)。
5) 富士通
名古屋大学プラズマ研究所 |
VP-200 |
1983/12 |
64 MB |
M380Q |
|
富士通沼津工場 |
VP-200 |
1983/12 |
64 MB |
Stand alone |
|
京都大学大型計算機センター |
VP-200 |
1984/4 |
64 MB |
M780-10 |
|
同 |
VP-400 |
1987/10 |
256 MB |
M780-30 |
|
動力炉核燃料開発事業団 |
VP-100 |
1984/4 |
32 NB |
M200 |
|
富士通川崎工場 |
VP-400 |
1984/8 |
128 MB |
M380 |
|
日本原子力研究所 |
VP-100 |
1984/10 |
32 MB |
M380R |
|
同 |
VP-100 |
1986/1 |
32 MB |
M380R |
|
トヨタ自動車 |
VP-100 |
1985/9 |
32 MB |
M382 |
|
富士通システムラボラトリ |
VP-200 |
1985/8 |
128 MB |
M382 |
|
アドバンテスト |
VP-50 |
1985/11 |
64 MB |
M200AP |
|
九州大学大型計算機センター |
VP-100 |
1985/12 |
32 MB |
M380S |
|
松下電器産業 |
VP-100 |
1985/12 |
64 MB |
M380Q |
|
富士電機 |
VP-50 |
1986/1 |
64 MB |
Stand alone |
|
ソニー |
VP-50 |
1985/12 |
128 MB |
Stand alone |
|
川崎製鉄千葉製鉄所 |
VP-50 |
1985/1 |
64 MB |
Stand alone |
|
某研究所 |
VP-100 |
1986/3 |
64 MB |
M380 |
|
東京天文台 |
VP-50 |
1986/3 |
32 MB |
M380Q |
|
千代田情報サービス |
VP-50 |
1986/4 |
32 MB |
M380 |
|
シャープ |
VP-50 |
1986/4 |
32 MB |
M380 |
|
計算流体力学研究所 |
VP-200 |
1986/4 |
256 MB |
Stand alone |
|
オリンパス光学 |
VP-50 |
1986/3 |
64 MB |
Stand alone |
|
石川島播磨重工 |
VP-50 |
1986/1 |
32 MB |
M380R |
|
リクルート |
VP-400 |
1986/1 |
256 MB |
M380 | |
清水建設 |
VP-50 |
1986/6 |
32 MB |
3081K | |
三菱化成 |
VP-50 |
1986/7 |
64 MB |
Stand alone | |
名古屋大大型計算機センター |
VP-100 |
1986/10 |
64 MB |
M380R | |
東大生産技術研究所 |
VP-100 |
1986/11 |
64 MB |
Stand alone | |
航空宇宙技術研究所 |
VP-400 |
1986/12 |
256 MB |
M780-10 | |
同 |
VP-200 |
1986/12 |
128 MB |
M780-10 | |
某企業 |
VP-100 |
1986/12 |
64 MB |
Stand alone | |
某企業 |
VP-50 |
1987/3 |
64 MB |
M380 | |
航空自衛隊 |
VP-50 |
1987/3 |
|||
神戸製鋼 |
VP-30 |
1987/7 |
64 MB? |
||
川崎重工 |
VP-50 |
1987/7 |
64 MB? |
||
日本鋼管 |
VP-50 |
1987/7 |
64 MB? |
||
Siemens (W. Germany) |
VP-200 |
||||
Amdahl (USA) |
VP-200 |
||||
GECO (Norway)石油 |
VP-200 |
||||
NORSTAR (Norway)石油 |
VP-50 |
||||
IABG (W. Germany) |
VP-200 |
||||
Western Geophysical Lab. (UK) |
VP-100 |
特徴的なのは、日本では民間企業に設置されたスーパーコンピュータが非常に多いことで、当時のアメリカとは対照的である。
続きは次回に回す。日立はS-820を発表し、富士通はVP-400をリクルートとNALに納入する。ETA 10の1号機がフロリダ大学に納入される。ベンチャーとしてはMasParやTeraが設立される。最初のGordon-Bell賞はnCUBEを用いた計算に与えられた。
(タイトル画像: 当時のQCDPAX 画像提供:筑波大学計算科学研究センター)