世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

2月 23, 2015

HPCの歩み50年(第28回)-1988年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

いよいよスーパーコンピュータの第2世代が到来した。CrayはY-MPを発売。富士通もVP2000シリーズを発表した。東工大がETA10を導入したことも大きなニュースである。Convex社はX-MP互換のC2を出荷した。世界的に見て大きな出来事はSupercomputing 88(第1回)がOrlandoで開かれたことである。日本ではSWoPPが始まっている。ネットワークではCSNETとBITNETが合併し、CRENとなった。日本でもWIDEやTISNが始まっている。

日本はバブルの真っ最中である。1/1ソ連、ペレストロイカ開始、1/5六本木ディスコ照明落下事故、3/13青函トンネル運用開始、東海道山陽新幹線に5駅開業、3/18東京ドーム開場、4/10瀬戸大橋開通、6/18リクルート事件始まる、7/23なだしお事故、9/17ソウルオリンピック開幕、9/19昭和天皇、吐血重篤、11/8ブッシュ(父)米大統領当選、12/16十勝岳噴火など。筆者は関係者の御尽力により、4月に筑波大学電子・情報工学系教授に昇任した。

筑波大学のQCDPAXプロジェクトでは、まず4ノードのプロトタイプを作り、デバッグを行い、実機の半分である288ノードを組み立てた。いろいろテストすると、4ノードの数十倍のバグが見つかり、数の暴力を実感した。半導体メモリの価格が予定通りに下がらなくなり、予定のノード数を作れそうもなかったので、文部省に追加予算をお願いしていたが、88年12月に認められた。

JSPSの二国間交流で東大理学部とNUS (National University of Singapore)との間に交流協定があり、後藤英一教授のお誘いにより、3月19日~28日にNUSを訪問した。学内の宿舎に泊まったが、宿舎の設備はよかったものの、周りに店も何もないので不便であった。セミナーで講演したり、仲間と議論したり、観光も含め楽しい時を過ごした。

ICHEP (International Conference on High Energy Physics、偶数年) 88がドイツのミュンヘンで8/3-10に開催されたので、7月13日からこれを含めて1ヶ月ヨーロッパ(アムステルダム、トリエステ、パリ、ヴッパタル、ミュンヘン)を家内と漫遊した。オランダではUtrecht大学のコンピュータセンターを見学した。トリエステでは、” Adriatico Research Conference on Computer Simulation Techniques for the Study of Microscopic Phenomena”という国際会議に招待された。”Supercomputers for Particle Physics”というような講演を行った。会議中毎日、研究所のそばのリストランテで家内とワインを飲みながら昼食を取った。あるとき、「(前菜に)私はサラダ、家内はリゾットが欲しい」と(英語で)言ったら、ウェイターがイタリア語で「ペラペラペラ」と答えたのだが、不思議なことに筆者にも家内にも、「リゾットはお二人様からしかご用意できません」という風に自然に聞こえてきた。多少の勘ができてきたようだ。パリでは家内の出席するバイオの国際会議があり、そこでは筆者の方がaccompanied personであった。暇なのでOrsayのパリ南大学でセミナーを行ったが、直前に、知人のベトナム出身のT 教授の自宅に呼ばれ、ベトナム料理の昼食をごちそうしていただいた。ワインもたっぷり。さてセミナーは? 記憶なし。その後、ドイツのWuppertal Universityに数日滞在し、ILUCR法について議論した。ミュンヘンの会議の格子ゲージ理論のセッションにおけるローマ大学の人の講演のなかで、突然「Oyanagiのアルゴリズムがベストだ」というスライドが映写され、びっくりした。ILUCR法のことである。向こうは筆者を知らないようで、講演後、「わたしがOyanagiである」と名乗り議論した。帰りにローマに寄らないか、と誘われたが、安切符では寄り道はできなかった。

後述するように、Supercomputing 88(第1回)がOrlandoで開かれたが、筆者等の投稿したQCDPAXに関する論文が通らなかった(まだマシンが出来ていなかったのでしょうがない)のでどうしようかと思っているところに、筑波大学の使節団として中国視察(11/9-16)に行かないかという話があり、SCをやめてそちらに乗った。代表団は新井敏弘先生と、事務の吉田氏(研究部長)と筆者の3人。初めての中国だったので印象深かった。主たる目的は、西安交通大学の訪問であるが、その前後に、北京大学と清華大学も訪問した。びっくりしたのは、ものすごい数のPC(清華大学では1500台)が使われていたことで、当時の筑波大学よりはるかに多かった。しかもネットワークでつながっていた。学部学生の物理実験でも、一つの機械に2つもPCがついていた。PCもIBM/PCだけでなく、中国製の互換機「長城」や台湾製など。計算中心の大型機としては、IBMは輸出禁止で、西安交通大学でも清華大学でも、ハネウェルのDPSSが学部学生用に、(何と)Elxsiが院生と研究者用に使われていた。100ほどの端末は満員で、しかも24時間開放とのこと。清華大学では富士通のM760が到着したところであった。

日本の学界の動き

1) SWoPP 88
この年から、いわゆるSWoPP (Summer Workshop on Parallel Processing)が始まった。この年は、「1988年並列処理に関する『火の国』ミニシンポジウム」という名称で、1988年8月4日(木)-5 日(金) に、グリーンピア南阿蘇(熊本県)で開かれた。発表件数24、参加者数70。主催は電子情報通信学会コンピュータシステム研究会で、この時は情報処理学会の研究会は加わっていない。

2) 数値解析シンポジウム
第17回数値解析シンポジウムは、1988年6月9日(木)~11日(土)に、早稲田大学室谷研究室の担当で、軽井沢近くの早稲田大学追分セミナーハウスで開催された。参加者107名。

3) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所では、1969年から数値解析関係の研究会を行っている。1988年9月29~10月1日には、一松信(京都大学)を代表者として、「数値解析の基礎理論とその周辺」研究集会を開催した。第20回目である。報告書は講究録No. 676に収録されている。

4) 東京工業大学
前号に書いたように、東工大の総合情報処理センターは、液体窒素冷却8プロセッサのETA10の導入を決定した。これは東工大としては初めてのスーパーコンピュータであった。

東京工業大学は1987年9月22日にETA 10の導入を決定し、納入期限を1988年3月22日としていたが、間に合わないことが明らかになった。本来標準納期は9ヶ月であったが、これを3ヶ月短縮しても大丈夫かと、日本CDC社が本社にくどいほど念を押したが、案の定遅れてしまった。本体は4月20日前後に運び込まれたが、正式な引き渡しは調整やテストを経て5月31日となった。大詰めの5月下旬には米国から約20人の技術者が訪れ最終調整に取り組んだ。東京工業大学は予算を次年度に繰り越し、ETA Systemsはペナルティを払ったと言われている。補正予算が繰り越しとなることは、それほど珍しくもないが、東工大の悪夢の始まりであった。

6月からは一部のユーザが試験的に利用を始め、10月17日から本格的に稼働し、一般ユーザに公開した。11月末日まで利用料を半額に設定した。

ただ、設置されたETA10は故障が多く、しかも並列処理機能が使えず、8台のシングルプロセッサとして使われていたとのことである。それでもOSがUnixであることから、学内のLANに接続され、どこからも自由にアクセスできるようになった。早くも翌1989年にはETA社が閉鎖された。このような苦労を経て、東工大は日本のHPCのメッカとして進化して行った。1995年にCray Y-MP C916/12256にリプレースした。

5) ISR
リクルートISR(1987年創設)の第3回Workshopが丸の内のNKKビルで開催された。

VP-2600
FUJITSU VP2600画像提供:富士通株式会社
Cenju3
NEC Cenju-3画像出典:

一般社団法人情報処理学会

Web サイト「コンピュータ博物館」

VPX240

海外で販売されたVPX240

画像提供: Jim Austin Computer Collection

日本の企業の動き

1) 富士通
前年の日立に続いて、富士通も12月、第2世代のベクトルスーパーコンピュータVP2000シリーズを発表した。最高のVP2600ではピーク性能が4 GFlopsであった(その後出荷前に5 GFlopsに変更)。シングル・ノードであるが、ベクトル演算器の利用効率を上げるために、スカラユニットを2台設置するDual Scalar Processorも用意した。1台のものを(/10)、2台のものを(/20)と記す。スカラユニット4台とベクトルユニット2台からなる構成も可能とのことである。OSはメインフレーム系のMSPとUnix系のUXP/Mとが可能であり、仮想マシンも構成できる。なお、2000シリーズではハイフンを入れずにVP2000と書く。海外(の一部?)ではVPX220(VP2200相当)、VPX240(VP2400相当)、VPX260(VP2600相当)という名前で販売されていた。

最高のVP2600モデルでは、ベクトル部は128 KBのベクトルレジスタがあり、VP-100/200と同様に動的に構成変更可能である。2個の同一のパイプラインを持ち、各パイプラインは、乗算または加算または乗加算または論理演算を行う。スカラ部は、パイプライン実行を行い、浮動小数演算ではサイクル毎に命令発行が可能である。

1993年6月のTop500リストからVP2600の設置状況を示す。順位は45位タイ。

 設置組織

機種

Rmax (GFLOPS)

   設置年

京都大学

VP2600/20

4

1990

富士重工

VP2600/10

4

1990

日本原子力研究所

VP2600/10

4

1991

日本原子力研究所

VP2600/10

4

1991

名古屋大学

VP2600/10

4

1991

動力炉核燃料事業団

VP2600/10

4

1991

動力炉核燃料事業団

VP2600/10

4

1991

九州大学

VP2600/10

4

1992

航空宇宙研究所

VP2600/10

4

1992

大成建設

VP2600/10

4

1992

VP2400は2件記載されている。

2) 日本電気
1986年頃から並列処理を研究していたが、1988年、64 PEのマルチプロセッサシステムCenjuを開発した。ノードはMotorolaのMC68020にMC68882とWeitekのWTL1167(ピーク1.6 MFLops)を付加し、主記憶は4 MBであった。メモリはローカルアドレスとグローバルアドレスに分けられ、通常の実行ではローカルアドレス、他のプロセッサのメモリのアクセスにはグローバルアドレスで指定する。日本において、他の高並列システムが純粋な分散メモリ方式を採用しているのに、グローバルアドレスを利用しているところが注目される。キャッシュコヒーレンシ機構はまだないようである。回路シミュレーションなどが応用のターゲットであった。その後、Cenju-II (1992)、Cenju-3 (1993)、Cenju-4 (1996)と発展していく。

3) 東芝
東芝はこのころ並列AIマシンProdigyを開発した。CPUは68070 (MC68000互換のPhilips製)、ネットワークはBase-8 3-Cube(512の場合)である。まず、Prodigy-16を製作し、その後、Prodigy-512を開発した。目的はHPCというよりAIであった。

4) IBM
この頃、IBM東京基礎研究所では、並列ワークステーションTOP-1を試作した。10プロセッサのSMPマシンで、ノードはIntel 80386とWeitekを使っていた。スヌープキャッシュを搭載している。製品には結びつかなかった。

アメリカの学界の動き

1) SC 88
まず大事件はSupercomputing Conferenceの第1回がOrlandoで開催されたことである。主催はIEEE Computer SocietyとACM/SIGARCHで、アメリカの国立研究所や大学の主要人物が協力して組織したようである。当初は、The Supercomputing Conference ’88 (TSC 88)の名の下に、ジョージア州ジェキルで開催する計画であったが、結局、フロリダ州Orlandoを会場に、Supercomputing ‘88の名で11/14-18に開催された。1997年から正式名称は”High Performance Networking and Computing Conference”となり、その後も正式名称は色々変更されているが、通称SCxy(xyは年号)である。

基調講演はSeymour Crayの“Whats all this about Gallium Arsenide?”、総合講演はCarl Ledbetter (ETA Systems)、バンケット講演はCarl Conti (IBM)であった。筆者は行かなかったが、出席したF氏によると、Seymourが壇上に上ると、後光が差していた、という感じだったそうである。第1回からもう研究展示、visualization theatherなど後まで続く企画が始まっている。スーパーコンピュータセンターのセンター長を集めたCenter Directors’ Roundtableも第1回から開かれている。参加者は1495人(まだTechnical/Exhibitorという区別はない)。展示は36件、原著論文投稿は150件、採択は60件。

2) 「2000年のプログラミング言語」
Niklaus Wirthは、Pascalの発明に対し、1987年IEEE Computer Society Pioneer Awardを受賞した。この授賞式はCompcon Spring 88で行われたが、その時、こう言ったと言われている(要検証)。
“I do not know what the [programming] language of the year 2000 will look like, but I am sure it will be called FORTRAN.”(2000年のプログラミング言語がどのようなものになるかは分からない。でもFORTRANと呼ばれているに違いない。)

3) Gustafsonの法則
Sandia National LaboratoryのJohn L. GustafsonはCommunication of the ACMの31巻5号(1988年5月)に”Reevaluating Amdahl’s Law”を発表し、いわゆるGustafsonの法則を主張した。

企業関係は次回。Convex社はC1をクロスバで結合したX-MP互換のC2を出荷。他方、Steve ChenはCrayを退社し、IBMの支援のもとにSupercomputer Systems Inc. (SSI)を設立する。インド政府の電子省は、C-DACを設立。
(タイトル画像: CRAY Y-MP 出典:Wikipedia)

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