世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


4月 3, 2023

新HPCの歩み(第134回)-1995年(h)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

前年IBM社が第2世代の超並列コンピュータSP2を出したのに続いて、Cray Research社も第2世代のT3Eを発表した。Intel社はPentiumに続く第6世代のCPUであるPentium Proを発売した。このチップはASCI Red(当初)に用いられた。省電力を目指したTransmeta社が創立される。

 

アメリカの企業の動き

1) 汎用マイクロプロセッサの進展
高性能な汎用プロセッサについては、1993年のところでも述べたが、その後続々発表され、PC、サーバのみならず超並列コンピュータにも使われることになる。

(a) Intel社(Pentium Pro)
11月1日、Intel社はPentiumに続く第6世代のCPUであるPentium Proを発売した。これはx86命令セットアーキテクチャを用いているが、マイクロアーキテクチャはPentiumのP5とは異なり、x86命令を内部で複数の命令に分割して実行するP6マイクロアーキテクチャである。線幅0.6μのBiCMOSチップで、集積度は550万トランジスタ、初出荷時には133MHzであった。その後150 MHz、180 MHz、200 MHz版が発売された。CPUコアと等速度で動作する2次キャッシュメモリをCPUコアと同一のパッケージ上に搭載した。200MHz版は後に初期のASCI Red (1997)で用いられた。

(b) DEC社(Alpha21164)
Digital Equipment社は、1995年、21064 (EV4)に続くAlpha21164 (EV5)を発売した。最初333 MHzであったが、1996年7月には500 MHzに、1998年3月には666 MHzに引き上げられる。このチップはCray T3Eに用いられる。

(c) Sun Microsystems社(UltraSPARC-I)
11月、Sun Microsystems社は、64bitのUltraSPARC-Iプロセッサ(200 MHz)を発表し、年内に出荷した。これはSPARC V9命令セットアーキテクチャ(64ビット)を採用した初めてのプロセッサであった。インオーダで実行する4命令発行のスーパースカラ・プロセッサで整数演算のパイプラインは9段であった。

(d) HAL Computer Systems社(SPARC64)
11月、富士通の米国子会社であったHAL Computer Systemsと富士通は、SPARC64を発表した。UltraSPARCとともに世界初の64ビットSPARCプロセッサである。

 
   

2) Cray Research社(T90、J90)
ベクトルコンピュータでは、Cray T90(コードネームTriton)が1995年出荷された。クロックは2.2 nsでプロセッサ当たりピーク1.8 GFlopsである。Cray Researchとして初めての電線配線をなくした設計であった。たとえばC90は36マイルもの内部配線を用いていた。最大32プロセッサまでの構成が可能。1996年からは、内部表現として従来のCray浮動小数表現の他にIEEE754標準も使うことができるようになった。4プロセッサまではT94で空冷または液冷、16プロセッサまではT916で液冷、32プロセッサまでは液冷でT932と呼ばれるのが原則のようである。発表前の1994年12月に4プロセッサのT90が非公表の場所に設置され検証を通過している。1995年2月現在8台の予約があり、うち2台は日本の非公表の顧客であった。発表時、事前予約が$92Mもあると豪語した。画像はCray Historyから。

1996年11月のTop500から主要なT90の設置を示す。機種名のスラッシュの後ろの数字はプロセッサ数とメモリ(MW = 8 MB単位)を示す。

設置組織

機種

Rmax

Rpeak

初出とランク

日本電信電話株式会社

T932/321024

29.36

57.60

1996年6月35位

NOAA(アメリカ)

T932/20512

23.075

36.00

1996年11月75位

Jülich研究センター(ドイツ)

T916/12512

15.43

21.60

1996年6月66位

某企業(ドイツ)

T932/101024

13.15

18.00

1996年11月152位

原子力委員会(フランス)

T916/8256

10.88

14.40

1996年6月144位

DaimlerChrysler(アメリカ)

T916/8512

10.88

14.40

1996年11月185位tie

NAVOCEANO(アメリカ)

T916/6512

8.3

10.80

1996年月220位

 

4プロセッサのT90は、日本原子力研究所、トヨタ自動車などあと12件ある。

同社は3月、廉価版のベクトル計算機J90シリーズのJ932を発表した。CPUの最大が32までに増加するとともにメモリバンド幅を51.2 GB/sに倍増した。32 CPUのピーク性能は6.4 GFlops。

 
   

3) Cray Research社(T3E)
MPPとしては、1995年11月28日、Cray T3Eを発表した。以前のT3Dと同様、3次元トーラス接続の分散メモリ並列コンピュータである。T3Dには、フロントエンドとしてY-MPかM-90かC-90などのベクトルマシンが付いていたが、T3Eは完全な分散システムである。OSもマイクロ・カーネルベースのUnicos-MKであり、GigaRing I/Oシステムも新たに開発した。CPUとしてはDEC Alpha 21164 (EV5)を用い、メモリはノード当たり64 MB~2 GBで、8ノードから2176ノードまで拡張可能である。128ノードまでは空冷、それ以上は液冷である。オリジナルのT3EはT3E-600とも呼ばれ、300 MHzのAlphaを用いていた。T3E-900 (1996) は450 MHzの21164A (EV56)を、T3E-1200やT3E-1200Eは600 MHzのAlphaを、T3E-1350は675 MHzである。

1号機はT3DのリプレースとしてPSC (Pittsburgh Supercomputer Center)が1996年に設置されることになった。その他、モービルオイル、Electronic Data Systems、フランス原子力研究所などからも注文が来ていると発表した。翌年Cray Research社が姿を消すなどと誰が考えたであろうか?画像はCray Historyから。

1996年11月のTop500から主要なT3Eの設置を示す。

設置組織

プロセッサ数

Rmax

Rpeak

初出とランク

Pittsburgh Supercomputer C.

256

93.20

153.60

1996年11月11位tie

ERDC MSRC(アメリカ)

256

93.20

153.60

1996年11月11位tie

CNRS/IDRIS(フランス)

256

93.20

153.60

1996年11月11位tie

Jülich研究センター(ドイツ)

136

53.10

81.60

1996年11月24位

Max-Planck-G.(ドイツ)

128

50.40

76.80

1996年11月33位tie

NERSC/LBNL(アメリカ)

128

50.40

76.80

1996年11月33位tie

気象庁(イギリス)

128

50.40

76.80

1996年11月33位tie

Stuttgart大学(ドイツ)

128

50.40

76.80

1996年11月33位tie

 

これ以下では、64プロセッサが5件ある。

4) Cray Research社(CEO交代)
1995年、Cray Research社は、それまでSun Microsystems社の社長兼CEOであったJ. Phillip Samperを、CEOに指名した。Samperはこう述べている。「Cray Research社が技術的にも、商業的にも新しい市場を拡大していく中で、私の第一の課題は収益性と成長である。」

しかし業績はなかなか回復せず、1996年のSilicon Graphics社によるCray Research社買収を見届けた後、SamperはQuadlux社に移る。

5) IBM社
IBM社は1995年5月、RS/6000ワークステーションのビジネスと、POWER Parallel Divisionとを合併し、現在後者の責任者であるIrving Wladawsky-Berger博士の下に置くと発表した。

前年発表し発売を開始したSP2が何と中国にも輸出された。北京の気象庁に32ノードのSP2を7月に設置完了した。日本では原子力発電技術機構の調達でSP2が落札した。ノード数は72。

IBM社は、Lotus 1-2-3で有名なLotus Development社(1982年創業)を株価$32の時に$60を提示して敵対的買収(TOB)を開始した。1995年6月、$3.52Bで買収され、IBMの子会社Lotus Softwareとなった。Lotusの年間売上高は当時$1Bにも行っていなかったと言われる。

1993年にCEOに就任し、1994年には$3Bの純利益を計上したV. Gerstnerが来日し、4月6日東京プレスセンターで記者会見を行った。

6) nCUBE社(nCUBE 3、本社移転、CEO)
nCUBE社は1995年、nCUBE 3を正式発表した。CPUは64bit ALUを装備し、50 MHz(後に66 MHz)で動作するスーパースカラであった。理論上64kプロセッサまで結合することができ、その場合ピーク6.5 TFlopsと発表された。従来のnCUBEマシンとは異なり、全てのプロセッサに直接I/Oデバイスを付加することができ、1台の計算機に、多数のSCSI-2、Fast Ethernet、ATM、FDDIなどを結合できる。Top500に登場したことはない。日本の代理店は住商エレクトロニクスで発表は2月27日。nCUBE 3に続く製品はMediaCube 4(1999)で、これはIntel社のPentium IIを搭載している。

同社は、1980年代末(要確認)に、本社をオレゴン州のBeavertonから、カリフォルニア州Foster City(サンフランシスコの南東約25kmの湾岸都市)に移転したが、1994年に前年比で歳入が倍増し、従業員も60%増加したので、1995年2月、同じFoster City内の別の場所に移転した。面積は倍増した。

Oracle社の創業者Larry Ellisonが大株主になったころから、Oracleのデータベースシステムを搭載するなど、科学技術計算とは異なる分野に進出し始めた。いつか不明だが、nCUBE上の有望なアプリケーションとしてVOC(Video On Demand)のサーバが浮上していた。1995年5月、nCUBE 3ベースのVODサーバMetroMedia Serverを発表した。 1995年6月、同社はRonald A. DilbeckをCEOに指名したが、かれはVODの旗振り役を期待されたようである。しかし、1996年にはnCUBE社を去り、Larry EllisonがCEO代行となる。同年Oracle社のネットワーク・コンピュータ部門に編入され、ストリーミング配信サーバのメーカとなる。

7) Avalon Computer Systems社
この会社は、安価なスーパーコンピュータを開発製造するために、1982年Santa Barbaraで創立されたが、前年のSC94で、DECのAlpha 21164 (300 MHz, 600 MFlops)を高速スイッチで結合したシステムを展示していた。1995年1月にMFlops当たり$35のシステムA12 Parallel Supercomputerを発表した。5月以前にご注文いただければさらに半額に値引きします、という触れ込みであった。

相互接続網のバンド幅は400 MB/s、レイテンシはμs以下で、(必要なら)グローバルアドレス空間をサポートする、しかもユーザが相互接続を再構成できるという意欲的なマシンであった。

しかも、12プロセッサ以下のELM (Enclosure-Level Modules)は消費電力1100Wで、バイセクションバンド幅は2.4 GB/sであり、フットプリントは9平方フィート(0.81 m2)。これをモジュールとして大きなシステムを構成する。TFlopsのシステムも、500平方フィート(45 m2)に収まり、200 kWの消費電力で可能とのことである。

Avalonのスーパーコンピュータは、ミサイル防御システム、日本の潜水艦、米空軍の機上システムなど軍事応用に使われた。

なお1998年6月のTop500には、LANLのAvalon Cluster (68 nodes)が19.33 GFlopsで314位に登場しているが、これは自作のBeowulf Clusterで、この会社とは関係がないと思われる。

8) MasPar社
MasPar社は、意思決定支援システムにはSIMDが最適であると主張し、ARPA (Advanced Research Projects Agency)と2台契約したことを公表した。しかし結局、翌年1996年2月にMP-3の開発を中止し、6月には意思決定ソフトウェアの会社Neovista Softwareに転身する。

9) Data General社(AViiOn)
同社は1995年、NUMA (Non-Uniform Memory Access)アーキテクチャに基づくAViiOn並列サーバを発表した。16 CPUのAV/9500と32 CPU のAV 10000である。1992年にMotorola社は88000の後継チップの開発を中止すると発表していたので、Data General社はこの後Intelのi386やPentiumに乗り換えることになる。

10) NVIDIA(NV1)
NVIDIA(1993年創業)が最初の製品NV1を発売した。

11) Silicon Graphics社(SGI)
HPCではないが、1995年6月、SGIはWavefront Technologies社とAlias Research社を買収して合併させAlias|Wavefront社とした。Wavefront Technologies社は1984年にSanta Barbaraで創立され、コンピュータグラフィックスを映画やテレビコマーシャルに販売するとともに、そのためのソフトウェアを販売していた。当時は、コンピュータアニメーションのための出来合いのソフトウェアは珍しかった。Alias Research社は、1983年創立である。Alias|Wavefront社はその後Alias Systems Corporationに社名変更した。3次元コンピュータグラフィックス・ソフトウェアMayaが有名であったが、2005年10月Autodesk社に買収された。

12) Tera Computer社
Tera社の開発しているMTA (Multi-threaded architecture)に関し、1995年11月、ARPAは3年間で$3.5Mの契約を結んだ。これが成功すればメモリ・レイテンシの問題が解決し、安価で高性能なスーパーコンピュータが実現するはずであった。

13) Thinking Machines Corporation(TMC)
TMC社は、1994年8月に連邦破産法第11章(いわゆるChapter 11)の適用を申請し、ハードウェア部門はSun Microsystems社に買収された。しかしSC95にもブースを出していた。1995年12月、TMC社は連邦破産裁判所に再建計画書を提出した。いくつかの投資会社から総計$10Mの資本注入を受けた。1996年2月には、破産状態から脱却することに成功する。

14) Microsoft(Windows 95)
8月25日Windows95英語版を出荷、11月23日本語版発売。この日の午前0時に秋葉原ではお祭り騒ぎが行われたが、集まった人々のなかにはPCを持っていなかったものもいたのではないか?Windowsさえ買えばいい、かと。同日、Office 95日本語版も出荷。

MS-DOSではファイル名が8文字+拡張子3文字であったが、255文字まで可能になり、文字種も拡張された。

OSの各種設定情報をINIファイルではなく、レジストリと呼ばれるファイルで一括管理できるようになった。家庭利用に進出するために、4 MBのRAMしか持たないIntel 386で動作することを目標にしたが、486かPentiumを必要とし、12 MBないと快適には動かなかった。セキュリティも初めから見切った。95の後継のOSとしてはWindows 98やWindows MEがあるが、現在では全く新しく設計されたWindows NT系のOSがWindowsの主流となっている。

15) Red Hat社
1993年にノースカロライナ州Raleighで設立されたRed Hat社は、1995年5月13日、Red Hat Linuxと呼ばれるLinux distributionをリリースした。2003年11月にRed Hat Linuxは開発を終了し、企業向けのRed Hat Enterprise Linux(2000年2月22日リリース)と、Fedora Project の提供するFedoraとに分かれた。

16) APR社(xHPF 2.1)
APR (Applied Parallel Research)社は1995年7月、HPFコンパイラxHPF 2.1をNPB (NAS Parallel Benchmarks)の結果をつけて発表した。Visual Numerics社の日本法人はAPR社の並列FortranコンパイラxHPFを日本国内で販売することとなった。

17) PGI社
PGI (The Portland Group, Inc.)社は、1995年9月、IBM SP2のためのHPFコンパイラpghpfが利用可能になったと発表した。現在の版では、HPFのサブセットの全部と、フルHPFの一部の機能を含む。ORNL (Oakridge National Laboratory)は、6月、PGIのHPFコンパイラをサイトライセンスとして購入した(HPCwire 1995/6/23)。

18) COMDEX
1979年からCOMDEXを主催して来たThe Interface Groupは1995年にこの展示会を日本のソフトバンクに売却した。

ヨーロッパの企業

1) NAG社
イギリスのソフトウェア会社NAG (Numerical Algorithms Group)は2月、“the NAG Numerical PVM Library”という分散メモリ並列処理用のライブラリを発売した。このライブラリはSPMDモデルに基づき、メッセージ・パシングとしてBLACS (the Basic Linear Algebra Communication Subprograms)とPVMを利用し、ScaLAPACKの多くのルーチンを含む。PVMへの依存は最小限であると述べている。最初はCray T3DとIBM SP2で稼働する。

企業の創立

1) Chen Systems社
Steve Chenが設立したSSI (Supercomputing Systems Inc.)社は1993年に破産したが、この年の7月、同社が開発した技術を吸収するために、SCI (SuperComputer International)という会社が作られた。1995年6月にはChen Systemsと改名し、Pentiumを用いたSMPサーバCS-1000を9月18日に発表した。同社は翌1996年6月Sequent Computer Systemsに吸収される。(LinkedInによれば1996年1月に製品開発担当副社長、取締役となる。)1997年、Sequent Computer Systems社はSteve ChenをCTOに迎える。

2) Transmeta Corporation
Transmeta社は1995年、シリコンバレーの一角Santa Claraにおいて、低消費電力マイクロプロセッサを開発するためにBob Cmelikらによって設立された。2000年1月19日、x86互換のCrusoeプロセッサが発表され、11月7日に公表されたが、最初のCrusoeは当初の計画より性能が不十分であった。Intel社やAMD社も低消費電力化に取り組み、Crusoeの特徴は生きなかった。2003年10月14日には第二の製品であるEfficeonプロセッサを発表する。2005年1月、プロセッサ製造から知的財産ライセンス企業へビジネスを変更する戦略を発表し、ソニーなどに販売する。2008年11月18日、ビデオプロセッサを手がけるNovaforaによる買収に最終合意し、2009年1月28日買収を完了する。しかし2009年7月、Novaforaも倒産する。

3) Yahoo!社
Stanford大学の院生であった楊致遠(Jerry Chih-Yuan Yang)とDavid Filoは、1994年1月にweb siteを効率的に検索できるシステムを開発していたが、1995年3月1日、大学を中退しYahoo! Inc.を共同設立し、会社を立ち上げた。1996年4月にはNASDAQで株式を公開した。日本のソフトバンク社は、1995年12月にアメリカのYahoo!の株式を一部買い取り、1996年4月からYahoo! JAPANのサービスを開始した。

4) SSH Communications Security Corporation
Helsinki工科大学の研究者であったTatu Ylönenはインターネットの侵入を防ぐためにsecure shellのプロトコル(現在ではSSH-1と呼ばれている)を考案し、1995年12月に会社SSH Communications Security Corporationを設立した。

企業の終焉

1) Cray Computer社
Seymour CrayがCray-3/4を製造するために1989年設立したCray Computer Corporationは、前年の10月まで新株式を発行していたが、1995年2月には前年の純損失が3779万ドルの損失(1株当たり0.97ドル)であることを発表した。3月24日連邦破産法第11章(Chapter 11、日本の民事再生法に相当)の適用を申請した。$20Mの流動資金が用意できなかったとのことである。Seymour Crayは従業員への手紙で、こう恨み節を述べた。「問題はタイミングだ。スーパーコンピュータの最大の購入者である連邦政府が、天気予報や、先進的な武器の開発や、その他の複雑な問題を解くための超高速コンピュータに、以前ほど金を使わなくなってしまった。今や、未来への長期的な投資は人気がない。時代が違えばうまく行っていたに違いない。」他方、Cray Research社の社長兼COOであるRobert H. Ewaldはこう述べた。「両社に資本関係はなく、互いにライバルにもなりえたが、我が社の社員はSeymour Crayが社を離れた後も彼に敬意を持ち続けていた。彼がスーパーコンピューティングの父であることに議論の余地はなく、かつて我が社の創立者でもあった。彼が次に何をするとしても幸運を祈っている。」

7月14日、再生の見込みがないので連邦破産法第7章(Chapter 7、日本の破産法に相当)の清算処理に移行し、財産を売り払って可能な限り株主に還元すると発表した。資産は$22.2Mに対し、負債は$18.8と発表された。10月26日、資産はGods Holiday Innの庭園で、連邦破産裁判所の手により競売に付された。32ページの品目リストには、プリンタやコーヒーメーカーから走査電子顕微鏡までいろんなものが含まれていた(まるでガレージセールです)。売り上げ合計は$1-2Mと予想され、まだ$11Mの負債が残った。知的財産を買いたいという申し出があったが会社はこれを断り、債権者の手に渡った。会社の最大の財産は会社のビルと60エーカー(2.4ヘクタール)の工業団地の土地であるが、2年契約のリースなので直ちには売却できなかった。11月破産手続きが完了した。

その後1996年8月、70歳のSeymourは超並列コンピュータを開発するためにSRC Computer社を設立するが、直後の9月22日に1995年型CherokeeジープでI-25を走行中3台の自動車が関係する交通事故に遭い、重体で病院に搬送された。合計10人が乗っていたが重傷を負ったのは彼だけであった。一時回復の兆候も見せたが、10月5日午前2時53分Penrose Hospitalで死去した。71歳であった(入院中9月28日に誕生日)。

2) Convex Computer社
Convex Computer社は、1995年3月、NCSA (Univ. Illinois at Urbana-Champaign)と64 CPUのExemplar SPPの購入を含む契約を結んだと発表した。ファイルサーバなどを含め総額は$2Mであった。これで同社は業績を持ち直せるか?

同社は1993年から連続して四半期損失を出し続けてきたが、予想の通り9月21日、Hewlett-Packard社に買収されることが発表された。Hewlett-Packard社はこれまで3年間Exemplarを共同開発しており、1992年以来Convex社の株の5%を保有していた。買収価格は$150Mと言われる。Hewlett-Packard社はExemplarをSクラス(MP)およびXクラス(CC-NUMA)として販売する。

日本では、11月1日、日本電気とConvex Computer社が提携を発表し、Convex社が欧州においてSX-4を販売し、日本電気が日本国内においてベクトルのCシリーズやExemplar SPP1200を販売する契約が公表された。

3) Pyramid Technology社
1981年に創立されたPyramid Technology社は、Siemens社(1847年創業)に吸収された。買収後、MIPS R10000を使い、ノードを2次元メッシュ型に構成したReliant RM 1000を発表する。最大のPyramidシステムは、実験機であるが、4台のNile SMPを含む214 CPUを含むシステムであった。

次は1996年。東大のSR2201が6月のTop500の首位を、筑波大学のCP-PACSが11月の首位を獲得するとともに、富士通がAP3000を、日本電気はCenju-4を発表する。アメリカはNCARでのスーパーコンピュータ調達に対し、反ダンピング提訴を行う。

 

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