世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


8月 7, 2023

新HPCの歩み(第151回)-1997年(i)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

前年SGI社に併合されたCray社は、ますます高性能なT3Eを売り出す。Intel社はPentium IIを、Sun Microsystems社はUltraSPARC II発売した。Tera Computer社のMTAはついに稼働し、SDSCに設置されることが決まる。Quadrics Supercomputer World 社はMeiko社の技術を引き継ぎ、高速結合網の会社として羽ばたいた。

アメリカの企業の動き

1) SGI/Cray(T3E)
1996年2月に合併したSGI/Crayは、SGI由来の製品としてOrigin 2000ファミリーを、Cray Research由来の製品としてT3Eを順調に発売した。長期戦略としては、両製品をSN1(Scalable Node)として統合するはずであった。このためAlpha processorベースの超並列コンピュータの新たな開発は中止された。SN1構想は2000年にOrigin 3000として実現するが、同じ年、SGIはCray部門をTeraに売却するので、T3Eの製造はその後も継続することになる。

1997年11月のSC97では、さらに高速な600 MHzの21164A processorを搭載したノード当たりピーク性能1200 MFlops のT3E-1200が導入された。最終的にはT3E-1350まで設置される(Top500への初登場は2000年11月)。このころT3Eは非常によく売れていた。1998年11月のTop500から512プロセッサ以上のT3Eの設置状況を示す。

組織

機種

プロセッサ数

Rmax

順位

米国某政府機関

T3E 1200

1084

891

2

米国某政府機関

T3E 900

1324

815

3

英国気象庁

T3E 900

876

552

5

Mancester大学(英国)

T3E 1200

612

509

7

NAVOCEANO(米国)

T3E 900

700

449

9

NASA Goddard(米国)

T3E

1084

448.6

10

Cray社内(米国)

T3E 1200

540

447

11

NERSC(米国)

T3E 900

692

444

12

Max-Planck Institute(ドイツ)

T3E

812

355

15

Stuttgart大学(ドイツ)

T3E 900

540

341

16(tie)

Pittsburgh Supercomputer Center

T3E 900

540

341

16(tie)

Cray社内(米国)

T3E

540

234

20(tie)

Jülich(ドイツ)

T3E

540

234

20(tie)

 

2) SGI社(Octane、NT WS)
SGI社は、1997年1月頃、Indigo2の後継として、IRIX OSを搭載したワークステーションを発表した。これは、MIPS Technology社のR10000マイクロプロセッサを1個または2個搭載し、システムバスではなくXtalkという動的なクロスバーを用いて、CPU, メモリ、I/Oなどを接続している。改良版のOctaneはR12000やR14000を搭載している。2004年に製造を中止する。Octaneの後継はSGI Tezroである。

1997年9月、SGI社はIntel社のプロセッサとMicrosoft社のOSを搭載したシステムの生産を始めると発表した。OSにはWindows NTを採用する。ハイエンドのワークステーションは、MIPSプロセッサとUnixの使用を続ける。

3) SGI社(CEO交代他)
1984年からSGI社のCEOを務めてきたEdward R. McCrackenは、1997年10月に、辞任の意向を役員会に通告した。約13年間のCEO在任中に、SGI社を年売り上げ$5.4Mの会社から、$3.7Bの会社にまで成長させた。後任が決まるまでCEOにとどまったが、1998年1月からHewlett-Packard社の副社長であったRichard Belluzzo(44)が新会長・CEOとなる。かれはIRIXやMIPSへの投資を縮小させたため、SGIの2本柱をダメにしてしまい、Intel-Microsoft連合がHPCに進出する機会を作った、という見方もある。かれは2年足らずで、1999年8月にMicrosoftに移る。後任はRobert Bishop。

1997年8月頃、Irene Qualtersは、(SGIの子会社としての)Cray Researchの社長、兼SGI上級副社長に指名された。彼女はその後コンサルタントなどを経て、NSFに移る。

 
   

4) Sun Microsystems社(UltraSPARC II、Enterprise 10000、Japan ERC、Java)
Sun Microsystems社は、1997年、UltraSPARC IIを発売した。これはSPARC V9命令セットアーキテクチャを採用し、最初250MHz、最終的には650MHzで動作する。ファブはTexas Instruments社。写真はWikipediaから。

1996年にSun Microsystems社はUltraSPARC 1またはIIを用いたUltra Enterprise 3000, 4000, 5000, 6000 serversを発売したが、1997年4月11日、Cray Researchで開発されていたコードネームStarfireのマシンをその最上位機種Ultra Enterprise 10000として売り出した。これは最大64個のUltraSPARC IIプロセッサを含むことができる。前に述べたように東大の情報科学専攻は3月に購入した。また科学技術計算用に、Enterprise serverをベースとして、2プロセッサのSun HPC 2から、64プロセッサのSun HPC 10000まで、7モデルのSun HPCシリーズを設定した。

11月21日には、4台のSun HPC 10000をノードとする256プロセッサのクラスタを開発し、Linpackで100.4 GFlops(ピーク比78%)を達成したと発表した。1998年6月のTop500で43位にランクしている。1996年、SGI社によるCray Research社買収発表の3日前の2月23日に、日本クレイの正田秀明氏が筆者の耳元でささやいた「Starfireを複数台結合したシステム」とはこれだったのか。

ビジネス用途としては、12月24日、最大256プロセッサまで搭載できる高可用性クラスタシステムSun Enterprise Cluster Ver.2 の発売を開始した。TPC-Cベンチマークで50000 transactions/secを達成した。

1997年7月31日、新橋の第一ホテルにおいてJapan ERC (Education and Research Conference) ‘97が開催され、副社長兼CTOのGreg Papadopoulosが来日した。

10:00-10:10

挨拶

日本サン・マイクロシステムズ  ジェイ・ピューリ

10:10-10:30

挨拶

Sun Microsystems Barbara Gordon

10:30-11:30

Keynote-Network High Performance Computing

Sun Microsystems Greg Papadopoulos

11:30-12:30

招待講演

筒井 康隆

12:30-13:30

Lunch

Track 1

13:30-15:30

共有RSX0を持った超高性能計算

東京大学 平木 敬

次世代インターネット

慶應義塾大学 村井 純

15:20 –

Break

15:30-17:20

早稲田国際化システム

早稲田大学 片岡 裕 

 

学術情報センターのデータベースサービスシステム

学術情報センター 大山 敬三

17:20 –

Break

Track 2

13:30-15:30

Java Education Course U.S. Professor

神戸大学 田中 克己

15:20 –

Break

15:30-17:20

ロボカップ

電子技術総合研究所 野田 五十樹

東京大学VLSIセンター(VDEC)の役割とServer System

東京大学 浅田 邦博

17:20 –

Break

18:00

Party

挨拶  山田 博英

20:00

閉会

 

 

1997年10月10日、Sun Microsystems社は、Microsoft社がJavaについて契約違反をしているとカリフォルニア州San Jose連邦地裁に訴訟を起こした。訴状によれば、Microsoft社は、Javaの互換性テストに合格していないのに、Java互換のロゴを用いている(HPCwire 1997/10/10)。Bill Gatesは、スイスのBerneにおいて直ちに反論し、Sun Microsystems社を逆訴した。10月15日午前9時(西海岸時間)、連邦地裁の要請により、両者間のJavaライセンス契約(1996年3月に締結時は非公開)を公開した。1998年11月には、地裁はSun社の要求通りMicrosoft社に対し、仮の差し止め命令を下し、Microsoft社は直ちに上訴する。1999年になって、地裁は、3つの仮裁定(2件はMicrosoft社の主張を認め、1件はSun Microsystems社の主張を認めたもの)を出し、口頭弁論を経て判決が下される。最終決着するのは、2001年である。

1997年12月17日には、Intel社と協力してIA-64のMercedプロセッサのためのSolarisを開発すると発表した。(HPCwire 1997/12/19)(HPCwire 1998/1/9) 

5) Tera Computer Company
Burton SmithはJames Rottsolkとともに1987年Tera Computer CompanyをワシントンD.C.に創立し、翌年シアトルに移った。Burtonのアイデアは多数のスレッド(コア当たり128)を並行して動作させることにより、メモリレイテンシをデータキャッシュなしに隠蔽するMTA (Multi-Threaded Architecture)のアイデアであった。各スレッドは32個のレジスタとプログラムカウンタを持っている。これまでのSC国際会議でも展示は出していたが、製品の発表はなかなかなく、不思議がられていた。

1997年4月、同社は記者発表を行い、プロトタイプ(クロック145 MHz)上でのNPB (NAS Parallel Benchmark)のIS(整数ソート)のデータ(1プロセッサ)を発表した(HPCwire 1997/4/4)。Class Aなので、キーの数は223(約800万で小さい)である。すべて1プロセッサ。

Computer System

Time in seconds

Ratio to Cray Y-MP/1

Tera MTA

1.79

6.40

CRAY T90

2.02

5.67

Fujitsu VPP500

2.19

5.24

SGI Origin2000

13.66

0.84

CRAY J90

13.75

0.83

HP/Convex Exemplar

30.6

0.37

 

記者発表で強調したことはプログラミングの容易さであり、MTAではISの主要部分がわずか11行で書けたと述べた。

また、4月18日には、Cadence Design Systems社と、現在のGaAsを用いているマルチスレッド・プロセッサをシリコンのCMOSで設計し直すために、複数年にわたる$8Mの契約を結んだと発表した。これにより、数千のプロセッサが搭載でき、10~100 TFlopsの大規模システムが可能になる(HPCwire 1997/4/18)。

8月にはUnix-baseのOSがプロトタイプ上で稼働したと発表した(HPCwire 1997/8/29)。それまではOSなしに裸のまま動いていたようである。

1996年のところで述べたように、SDSC (San Diego Supercomputer Center)はNSFから$4.2Mの予算を獲得し、MTAを設置する計画であった。最初のプロセッサが1997年12月に完成し、1プロセッサ構成のMTA-1がSDSCに納入された。さらにSDSCはDARPAから、基幹アプリ、国防関係のアプリをMTAに移植する18ヶ月のプロジェクトを$1.9Mで受託した。SDSCはこのプロジェクトをBoeing社、JPL、Lockheed Martin社、CalTechと協力して行う(HPCwire 1997/8/8)。Tera Computer社は、SC97において、マルチプロセッサでプログラムを動かしたと大々的に発表した (HPCwire 1997/11/27) 。コンセプトは面白いが、1プロセッサ (1 GFlops) 当り4KWの電力を消費するのは若干無理がある。

予定では、1997年末までに、2プロセッサのMTAをSDSCに納入する予定であったが、ネットワークの基板が間に合わず、年末ぎりぎりに1プロセッサのMTAを納入した。基板ができ次第、複数台の構成に更新する予定である。

商品を出してはいないものの、同社の(あるいはBurton Smith本人の)信用は高く、転換社債やワラント債により$9.5Mの資金を集めた(HPCwire 1998/1/9)。資金は潤沢である。なお、 (元日本クレイの) 小林・陣内両氏により日本支社の設立が準備されているとのことであった。

6) Hewlett-Packard社(PA-8200、Steve Wallach)
1995年11月に発売されたPA-8000に続くPA-8200は、1997年6月に発売された。クロックは200 MHzから240 MHzである。分岐予測やTLBを改良した。

Convexの創立者であるSteve Wallachは、Convex社がHewlett-Packard社に吸収されるとともに移っていたが、1997年9月頃Hewlett-Packard社を退社した。

 
   

7) Intel社(Pentium II)
Intel社は1993年にPentiumを、1995年11月にPentium Proを発表したが、1997年1月、PentiumにSIMD動作を行うMMX拡張命令を追加したMMX Pentiumを発表した。MMXはMultimedia Extensionの略称に見えるが、Intel社は略語でない一つの語であるとしている。1997年5月7日にPentium ProにMMXを付加し高速化したPentium IIを発表した。当初の動作周波数は233MHzから300 MHzである。1996年のところで述べたように、ASCI Redは1999年にプロセッサをPentium II (333 MHz)に差し替えて、Linpack 2.379 TFlopsを実現した。AMD (Advanced Micro Devices)社も1997年4月にMMXに対応したK6プロセッサを発表した。写真はWikipediaから。

MMXは整数演算しか高速化せず。浮動小数演算に対応するのは専用の128 bitレジスタ(8本)を使うSSE (Streaming SIMD Extensions)からで、Pentium III (1999年2月)で初めて採用される。他方、AMD社は、32 bit浮動小数2個をSIMD演算するMMXユニット2個を装備した3DNow!を約1年早く1998年5月に発表されるK6-2プロセッサで採用する。

Pentiumの浮動小数除算にバグがあったことは前に述べたが、Pentium ProやPentium IIにもバグがあることが、1997年5月12日発表された。これは浮動小数から16/32ビット整数への変換の際に、整数の表現範囲に収まり切らない場合に立つべきフラグが、特定の条件の下では立たないことがRobert Collinsにより発見されていた。

1997年11月10日頃、PentiumおよびMMX付Pentiumにおいて、さらに重大な欠陥があることが判明した。ユーザモードでも、‘F0 0F C7 C8’等の特定の不正な命令列を実行させると、ユーザプログラムだけでなくOSも停止し、リブートが必要になることが分かった(HPCwire 1997/11/14)。

8) Intel社(EPIC)
Hewlett-Packard社とIntel社は1994年からIA-64 (Intel Architecture 64)を共同開発してきた。これはEPIC (Explicitly Parallel Instruction Computer)アーキテクチャとも呼ばれ、HP社のVLIW技術を採用したものである。1997年10月のMicroprocessor Forum 1997でその概要が発表された(既述)。その後1999年にIA-64の詳細が発表され、これを実装したItanium(コードネームMerced)は1999年発売を予定していたが、実際初出荷されるのは2001年である。なおMercedは英語のmercy(いつくしみ、あわれみ、慈悲)に対応するスペイン語で、ヨセミテ国立公園付近の川、市、郡などにつけられている。

AMD社はこれに対抗して、x86を64 bitsに拡張したAMD64の開発を進め、2000年8月に仕様を公開する。Intel社も結局この路線に乗ることになる。

また、Microsoft社とIntel社は共同して、MercedのためのWindows NTを開発していることが1996年9月に公表された。

9) DEC社(AlphaServer)
DEC社(Digital Equipment Corporation)は、4月14日、エントリーレベルのAlphaServer 800とビジネスサーバAlphaServer 1000Aを発表した。800は333 MHz~400 MHzの21164A(EV56)1基と2 GBのメモリを搭載している。1000Aは、400 MHz~500 MHzの21164A(EV56)1基と8 MBのメモリを搭載している。OSはWindows NTが搭載されている。

10) DEC社(Intel社との訴訟)
1997年5月、DEC (Digital Equipment Corporation)は、Intel社のPentium、Pentium ProやPentium IIの設計がAlphaの特許を侵害しているとしてIntel社を訴えた。Intel社は直ちにDEC社を特許侵害で対抗訴訟した。

ところがAP通信の報道によると、10月27日にIntel社は、DEC社のAlphaチップ製造施設を購入してDEC社がIntel社を特許違反で訴えていた裁判を終わらせると発表した(HPCwire 1997/10/27)。合意事項は数年に及ぶもので、DEC社の半導体製造工場を約$700MでIntel社に売却すること、特許のクロスライセンス、Intel社とAlphaのマイクロプロセッサの両方を供給すること、およびIntel社のIA-64マイクロプロセッサに基づく将来のシステムを開発することなどを含んでいる。DEC社はこれにより、遊休気味であったHadsonプラントを手放す。

その後ほどなく、1998年1月にDEC社そのものがCompaq社に吸収されることとなる。

11) IBM社(G4 プロセッサ)
IBM社は6月、S/390 MainframeのためのG4プロセッサを開発したと発表した。0.28μmのCMOSテクノロジで、17mm x 17mmに7.8Mトランジスタを搭載している。クロックは370 MHzまで。電力諸費も少なく、空冷である。これにより、4年間の努力によりCMOSが伝統的なバイポーラにプロセッサ当たりの性能で勝ったことになる。

12) IBM社(銅配線)
1997年9月22日、IBM社はCMOS 7Sと呼ばれる半導体技術の開発に成功したと発表した(HPCwire 1997/9/26)。これはチップ内の配線にアルミニウムの代わりに銅を用いるもので、電気伝導率が高いので回路を縮小し、消費電力の削減が可能になる。しかし、銅はプラズマエッチングができないこと、シリコンに浸入するとトランジスタにダメージを与えるのでバリアが必要なことなどからこれまで困難であった。銅配線チップの最初の製品は1998年9月のPowerPC 750L (400 MHz)である。IBM社としては今後、S/390やRS/6000やAS/400にも銅配線を導入する計画である。Intel社も1997年8月に成功したと発表していた。

13) IBM社(RS/6000、Deep Blue、Pathfinder)
IBM社は10月15日、RS/6000およびSPの新製品を発表した。POWER2 Superchip (160 MHz)を搭載したRS/6000 Model 397、同プロセッサを搭載したSP thin node、64-bit UnixであるAIX version 4.3、12-way までのSMPが可能なRS/6000 Model S70 serverをなどである。

チェス専用コンピュータ”Deep Blue”により、1996年2月10日にチェスチャンピオンのGarry Kasparovと初対戦しDeep Blueが勝利したが、結局Kasparovが3勝1敗2引き分けで勝利した。翌1997年5月にも対戦し、結果は1勝2敗3引き分けでDeep Blueが僅差で勝利した。前年より改良された点は、計算速度が2倍になったこともあるが、評価関数の改良と序盤の定跡データベースが豊富になったことが大きいと言われる(bit誌1997年7月号、松原仁「コンピュータチェスが世界チャンピオンを破る」)。ちなみに、1997年6月のTop500においてDeep Blueが260位にランクしていた。IBM社は、Deep Blueをチェスではなく、一般向けの商品としてさらに開発する予定である。

1997年7月4日に火星に着陸したPathfinderの中央コンピュータは耐放射線版のRS/6000 single chip CPUであり、128MBのRAMと6 MBのEEPROMを持つと発表された。OSはVxWorks。

14) Microsoft社(Windows NT)
Microsoft社は1997年2月、PowerPC用のWindows NTの開発を今後中止すると発表した。現在のユーザへのサポートは継続する。また、組み込みのPowerPC用のWindows CEの開発は継続する。

1997年6月、Bill GatesはComdex Spring ’97 での基調講演で、1998年前半にWindows NT 5.0を発売すると発表した。ベータ版は9月に出されたが、11月になるとNT 5.0の発売は1998年後半に延期されそうだとの観測が流れた。LinuxなどUnixとの競争に勝てるのか?

このころから1999年にかけてNTのセキュリティ上の弱さがしばしば議論になった。特に、NTにはanonymousというユーザが最初からシステムに組み込まれており、マシン間の通信に使われるが、各リソースのセキュリティ設定が甘いと、これが不当なアクセスを可能にする危険がある(HPCwire 1997/4/25)。

余談であるが、Bill Gatesは11月のCOMDEX(COMputer Dealers’ EXhibition)においてこう述べた。「もし、GMがコンピュータ産業のような技術革新を行なえていたら、われわれは25ドルの自動車を、ガロン当たり1000マイルの燃費で走らせていたであろう。」General Motors社は直ちに反撃してこう述べた。「その通りだ。でも、1日2回もクラッシュする自動車に誰が乗るだろうか?」

15) Sequent Computer Systems社(CTO)
1996年6月にChen Systems社を買収したSequent Computer Systems社は、1997年S. ChenをCTOに迎えた。NUMA-Qがどれだけ売れたかは不明であるが、1997年4月にフィリピンのIBankが NUMA-Q 2000を購入したとのニュースがある。同社は1999年9月にIBM社に吸収され、名前が消えることになる。

16) NCR社
1884年に米国オハイオ州で設立された情報システムのグローバル企業であるNational Cash Register社(1974年からはNCR社)は、コンピュータの黎明期にBurroughs, Univac, CDC, Honeywellと並びBUNCHと称されていた。1990年にIntelの386や486 やPentiumを用いて、System 3000シリーズという、デスクトップから数百プロセッサの大型機までカバーするファミリー開発すると発表した。成功したという話は聞かない。直後の1991年にAT&Tに買収された。なお、1997年1月1日に再び独立を果たしている。

17) Data General(AViiON AV 20000)
1997年11月に、Data General社は第2世代のccNUMAシステムであるAViiON AV 20000(32プロッサ)を出荷したと発表した。Motorola社が88000の後継の開発を止めてしまったので、プロセッサは200 MHzのPentium Proを採用した。ただ、x86ベースのサーバは競争が激しく、ビジネスは困難であった。

18) Apple Computer社(Jobs復帰)
Apple Computer社は、1988年ごろから数社と合併交渉を行ってきたが、まとまることはなかった。1997年2月に、1985年にSteve JobsがApple Computer社を辞して設立したNeXT社をApple社が買収し、Steve Jobsも非常勤顧問としてApple Computer社に復帰した。8月6日、マイクロソフト社が$150M相当のApple Computer社の株を購入し、両社は業務提携およびライセンス交換で合意。Steve Jobsは、8月には暫定CEOに就任した。9月26日、Mac OS 8を発売。1998年5月にiMacを発表する。

19) PGI社
PGI社は、1997年5月15日、PentiumおよびPentium Pro上で走るLinux86およびSolaris86用の、実用版の、HPF、F77、C、C++コンパイラを発売した。こららは、SNLのASCI Redで使われているコンパイラと同じものである。(HPCwire1997/5/16)

Cray Research社とPGI(Portland Group)社は、1997年7月15日、HPF_CRAFTが、Cray T3Eファミリ・スーパーコンピュータ用の新しいHPFコンパイラPGHPF 2.3に含まれるようになる、と発表した。HPF_CRAFTは、T3Eのためのオープンで標準規格ベースの並列プログラミングモデルである。(HPCwire 1997/7/18)

Cray Research社(SGIの子会社)とPGI社(Portland Group Inc.)は、T3E上で、NAS Parallel Benchmark 2.2を、HPFとMPIで走らせ、その性能を公表した。使ったコンピュータはNERSCのT3E(300 MHz)、コンパイラはPGI社のPDHPF 2.3である。予想に反して、HPFの方が高性能のケースもある。例えばNAS BT (Block Tridiagonal)では、手で並列化したMPIコードよりよい。以下に計算時間(sec)を示す。もちろん常にそうなるわけではないが、心強い結果である。(HPCwire 1997/8/1)

PE数

BT Class A

BT Class B

 

MPI

PGHPF

MPI

PGHPG

4

1237.9

976.4

 

 

16

324.6

247.9

1311.1

1102.4

64

76.3

65.5

328.4

317.5

 

ヨーロッパの企業

1) Parsytec社
同社は、1994年に、transputer T800とPowerPC 601を用いたPowerXplorerを発表したことは前に述べたが、今度はPentium Proを用いたシステムCognitive Computerを開発した。(HPCwire 1997/3/7) オランダの4大学により設立されたthe Advanced School for Computing and Imagingは1997年1月、ドイツのParsytec社を情報機器の供給者に選定した(HPCwire 1997/3/14)。

2) Quadrics Supercomputing World Ltd.
Meiko Scientific社が1996年、Alenia Spazi社とMeiko Scientific社との合弁会社としてQuadrics Supercomputer World (QSW)社をブリストルとローマで設立したことは述べた。1997年6月、QSW社のJohn Taylorは、Meikoの技術はQSW社が引き継ぐことになったと表明した。

企業の創業

1) Entropia社
企業内のデスクトップPCの遊休計算資源を集めて分散コンピューティングを行うためのソフトを開発販売するために1997年にScott KurowskiによりDan Diegoで創立された。いわゆる「遊休グリッド」の走りである。分野としては、医薬品開発、材料科学、化学研究、財務サービスなど。The Scripps Research Instituteと協力して、AIDSの薬を探索するFightAIDS@homeプロジェクトに使われた。2004年に活動を中止。

企業の終焉

1) Encore Computer社
Kenneth Fisher、Gordon Bell、Henry Burkhardt IIIなどそうそうたるメンバによって1983年創立されたEncore Computer社は、Multimax (1985)、Multimax 500 (1989)、Encore-91 (1991)、Encore-93、Infinity 90 (1994)、Infinity R/T (1994)などを製造した。日本の代理店は理経。1990年代半ばに超並列市場が振るわなくなると、コンピュータ部門を何年かかけて売却し、最後にStorage Products GroupをSun Microsystemsに売却し、1997年コンピュータ関係の業務を停止した。

2) Amdahl社
1970年、IBM技術者のGene Amdahlによって創立されたAmdahl Corporationは、IBM mainframe互換コンピュータを製造して来たが、1997年7月富士通の完全子会社となった。これまでの業績を生かして、サービス志向の会社に変貌させる予定である。

3) BBN Technologies社
BBN Technologies社は、1948年にマサチューセッツ州Cambridge(MITキャンパス)において、Leo BeranekとRichard BoltおよびRobert Newmanによって音響などの研究開発会社として創立された。1978年にJ. F. Kennedy暗殺の録音解析を行ったことで有名である。ARPNETのネットワーク開発の黎明期に活躍し、並列コンピュータPluribusやBBN Butterflyなどを製造した。1998年、BBNのインターネットサービスプロバイダ部門がGTE (General Telephone and Electronics)社(現Verizon)に買収された。最終的には2009年10月にRaytheon社の子会社となっている。2013年2月1日、BBN Technologies社はNational Medal of Technology and Innovationを受賞する。

4) Tandem Computer社
NonStop Computerを開発してきたTandem Computers, Inc.は、1997年、Compaq社により買収された。

5) CompuServe社の買収
WorldCom社は、パソコン通信サービスのCompuServe社の親会社H&R Blocki社から、CompuServe社の株の80%を$1.2Bで買収することで合意したことが、1997年9月8日に発表された。WordlCom社は、コンテンツ部門のCompuServe Interactive ServiceをAOL (America Online)社に転売した。

次は1998年。日本では情報科学技術部会、アメリカではPITACの議論が続く。日本では計算科学を表題とする初めての政府主導プロジェクトACT-JSTが始まる。ASCIはPathforward Programを始める。

 

(アイキャッチ画像:Sun Ultra SPARC II 出典: Wikipedia )

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