世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


11月 6, 2023

新HPCの歩み(第162回)-1999年(d)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

HPF共同検討会はHPF/JA Ver. 1.0を公表する。IECで初めて二進接頭辞が導入された。クリントン政権は、PITAC報告の「長期的基礎的研究の増大」の勧告を受けて、「21世紀の情報技術(IT2)」イニシアティブを発表した。今でも使われているLAMMPSの最初の公開版がリリースされた。Melissa virusが世界中を駆け巡った。

標準化

1) C99
C99の愛称で知られるC言語の標準ISO/IEC 9899:1999が決定された。2000年5月にはANSIの標準として採択される。

 
   

2) HPF/JA
HPF合同検討会 (JAHPF)は、1999年1月14日、RIST(中目黒)大会議室で第17回HPF合同検討会を開催した。第18回は4月15日、第19回は7月14日、第20回は10月20日である。

1999年1月31日、HPF/JA言語仕様書Version 1.0を公開した。

1999年6月1日「High Performance Fortran 2.0 公式マニュアル」(和文、389ページ)をシュプリンガー・フェアラーク東京から出版した。HPF/JA仕様も収録した。

3) HPF
HUG ’99 (The 3rd Annual HPF User Group Meeting)が1999年8月1日~2日にカリフォルニア州Los AngelesのRedondo BeachのCrowne Plaza HotelでHPDC-8(後述)に先立って開催された。最初は5月24日~25日にMaui島のホテルで開催することを計画していた。プログラム委員長はPiyush Mehrotra (ICASE, Hampton)、プログラム委員には妹尾義樹(日本電気)の名前も見える。HPF合同検討会での妹尾義樹の報告によれば、「参加者は日本から約10名、ヨーロッパから約10名、アメリカから10数名で、発表は17件、うち日本から4件であった。ヨーロッパと日本は頑張っているが、アメリカは完全に下火である。コンパイラベンダも、全盛期には7-8社を数えたが、現在真面目に取り組んでいるのは日本の3社とPGIぐらいである。一方、アプリケーションを評価しているグループは結構多い。」とのことであった。

4) InfiniBand
サーバにおけるバスアーキテクチャとしてInfiniBandの規格が制定された。System I/Oアーキテクチャとしては、Intel社を中心としたNGIO (Next Generation I/O)と、Compaq社、HP社、IBM社のFIO (Future I/O) とが提案されており、主導権争いを行っていたが、1999年春、最終的には両陣営が歩み寄り、SIO (System I/O)として統合された。1999年10月にInfiniBandと名付けられた。現在、HPCではクラスタの相互接続ネットワークとして使われることが多い。

5) MOフォーラム
1991年に3.5インチMOドライブ(128 MB)が登場して以来、手ごろで安定な記憶媒体として利用されてきた。容量も1993年には230 MB、1996年には540/640 MBに増加し、CD-ROMと並んだ。1998年には1.3 GBドライブも登場した。

これを受けて、1999年6月21日、日本のMOドライブメーカ3社(オリンパス光学工業、ユニカ、富士通)とメディアメーカ5社は、光磁気ディスク(MOディスク)の普及のためにMOフォーラムを設立した。(HPCwire 1999/6/25) USBメモリの普及に押され、このフォーラムは2010年に解散する。

6) Bluetooth
1999年7月26日、近距離無線通信規格のBluetooth仕様書バージョン1.0が発表された。初めての仕様である。

7) 無線LAN(IEEE 802.11a/b、Wi-Fi)
IEEEは、1997年のIEEE 802.11(2.4 GHz帯)につづいて、1999年10月、IEEE 802.11a(5 GHz帯)およびIEEE 802.11b(2.4 GHz帯)を規定した。

異機種間の無線LAN接続を保証するために、1999年Wireless Ethernet Compatibility Alliance(WECA)という組織が作られ、2000年3月から認定業務を開始する。2002年11月からWi-Fi Allianceと改名する。”Wi-Fi”はこの団体の登録商標であり、団体の認証を受けた機器のみがWi-Fiを名乗ることができる。

8) Grid Forum
Grid Computingへの関心は次第に高まっていたが、前年1998年のSC98におけるBoF (Birds of a Feather)セッションにおいて、グリッド開発者のフォーラムを作ることが提案された(ただしCD-ROMのBoF一覧には見当たらない)。この議論に基づき、Ian Foster (ANL)とWilliam Johnston (LBNL)は1999年6月18日にNASA Ames Research CenterにおいてGrid Forumを開催した。主としてアメリカから100名ほどが集まり、Charlie Catlett (ANL)を座長に指名した。1999年10月にはChicago大学内で第2回のGrid Forumを開催した。(HPCwire 1999/11/5)ヨーロッパでも同様なグループ (eGrid)が1998年に発足し、アジア太平洋地域でもApGrid Partnershipが始まった。これらの各地の組織は2001年3月にAmsterdamで集まり、GGF (Global Grid Forum)が始まる。(Wikipedia “Open Grid Forum”)

9) Project Monterey
企業連合による標準化されたIA-64用のUnix OSの開発プロジェクトMontereyはIBM社、SCO社(Santa Cruz Operation)、Sequent社、Intel社によって1998年10月に開始されたが、1999年4月、Compaqも加わることが発表された (HPCwire 1999/4/9) 。9月には、Intel社、SCO社、Sequent社は、Monterey/64 OSがMerced上でbootすることを確認し、これがMerced上で最初に稼働する商用UNIXとなるであろう、と発表した(HPCwire 1999/9/24)。

10) Linux
1999年当初からLinuxが業界大手を含めて急激に台頭している。CNET 1999/1/27やHPCwire 1999/1/29の記事によると、1月、Hewlett-Parckard社はNetServerラインにRed Hat Linuxを搭載したモデルを発表。Compaq社もAlphaサーバDS20などにLinuxを搭載。IBM社もサーバにLinuxを搭載する方向でRed Hat社と交渉を進めていることが判明した。SGI社もMIPSベースのワークステーションやIntelチップ搭載のワークステーションにLinuxを搭載する詳細を発表した。Dellも現在はオプションとしてLinuxを提供しているが、今後はもっと本腰を入れると見られている。ただ、Gateway社はLinuxを現時点ではロードマップに組み込んでいないと表明した。1999年3月にLinuxWorld Conference and Expoが開催された背景にはこのような発展があった。

また1999年初めに、IA-64プロセッサ上にLinuxを移植するためにIA-64 Linux Project(旧Trillian Project)が組織された。参加団体は、2000年6月現在、Caldera Systems社、CERN、Hewlett-Packard社、IBM社、Intel社、日本電気、Red Hat社、SGI社、SuSE社、Turbolinux社、VA Linux社である。日本の企業としては、2000年6月、日本電気が初めて参加する

このような状況のなか、Sun Microsystems社は1999年5月に、Solaris 7の上でLinuxのアプリが走るようにすると発表した。Solaris Intel Platform Editionに対するlxrunでは、商用のLinuxソフトでも自分で開発したソフトも、修正することなくSolarisのアプリとともに実行することができる。(HPCwire 1999/5/14

Hewlett-Packard社は、ネットワーク管理ソフトOpenViewをLinuxに移植すると見られている。SGI社も、自社のIrix OSの環境をLinuxにリンクさせ、Irix上のアプリをLinuxでも走らせる環境を開発している(HPCwire 1999/5/21)

Linuxビジネスの市場は、2002年には$20Bにも広がるという見方もある一方、Bill GatesはLinuxの役割は限定的であろうと述べている(HPCwire 1999/4/16)。

ただ、Linuxも分裂を重ねたUnixと同じ道をたどるのでは、という心配も報じられた(HPCwire 1999/7/30)。他方、Linuxの未来はバラ色で、いずれ消滅するようなものではないという記事もあった(HPCwire 1999/10/1)。

11) LinuxとWindows NTとどちらが速いか?
PC Week誌によると、4月に、独立系のMindcraft社がLinuxとWindws NTとの比較を行い、NTはLinuxより4倍速いと結論した。その後再検討して再度ベンチマークをおこなったところ違いは2.26倍に縮まった。当然Linux側から反論が出た。ベンチマークとして用いられたのは、web serverソフトのApacheで、入力の種類も少なく、これでは比較になっていない。Mindcraft社も中立とはいいがたい。性能の議論はもっと科学的になすべきである。(HPCwire 1999/7/2)(HPCwire 1999/7/9)

12) XHTML
Webに関する標準化団体W3C(he World Wide Web Consortium)は、SGMLで定義されてきたHTMLをXMLの文法で定義しなおしたXHTML(Extensible HyperText Markup Language)の勧告案を1999年8月27日に公開した。同時に、従来のHTMLの改定版HTML 4.01も公表した。(HPCwire 1999/8/27) XHTML 1.0が正式に勧告となったのは2000年1月26日である。

13) SOAP
Webサービスにおいて構造化された情報を交換するための通信プロトコルSOAP(元々はSimple Object Access Protocol)は、Frontier 5.1の一部として開発されていたが、1998年6月、Dave WinerらによりXML-RPCの名称で発表された。1999年9月13日にIETFに原案が提出され仕様が公開されたが、この提案はRFCとはならなかった。2000年5月8日にはSOAP Ver. 1.1がW3C Noteとして公開されるが、W3C勧告とはならない。2003年Ver. 1.2はW3C勧告となる。(Wikipedia, “SOAP”)

14) 二進接頭辞
1999年1月に発行されたIEC 60027-2の第2次改訂で、初めて二進接頭辞が導入された。ディジタルデータの量を表すbitやByteでは2のべき乗倍の単位が用いられるが、210=1024 が103に近いことから210 BをkB(またはKB)、220 BをMBなどと十進のSI接頭辞を流用してきた。しかしTBやPBではそのずれが10%前後にもなることから、IEC (International Electrotechnical Commission、国際電気標準会議)は1996年にKi (Kibi, 210)、Mi (Mebi, 220)、Gi (Gibi, 230)、Ti (Tebi, 240)の4つの接頭辞を提唱していた。第2次改定では、これらにPi (Pebi, 250)とEi (Exbi, 260)を加えて制定された。2005年8月15日の第3版ではZi (Zebi, 270)とYi (Yobi, 280)が追加される。ISO/IEC 80000ではこの定義を継承している。

これらの二進接頭辞はやっと使われ始めたところで、今のところあまり普及していない。KiBの代わりにKBと書いてSI接頭辞の(小文字の)kと区別する通俗的な流儀もある。なお、二進接頭辞が使われるのはデータ量だけで、通信速度(kb/sなど)、演算速度(GFlopsなど)、周波数(MHzなど)では10のべき乗を意味する。したがって1 TiBのデータを、1 TB/sの速度で転送すると、1.0995秒掛かることになる。

アメリカ政府の動き

1) PITAC(第1期最終報告書、第2期開始)
1997年2月に大統領直属の諮問委員会PITAC (President’s Information Technology Advisory Committee)が設置され、情報技術政策のビジョンの策定を行ってきた。1998年8月には中間報告書を出し、1999年2月24日に(第1期の)最終報告書“ Information Technology Research : Investing in Our Future”を提出した。その中で、情報技術は1992年以降のアメリカの成長の1/3を支えており、21世紀に向けてのITのイノベーションの可能性はますます重要になってきている。しかし、連邦政府のIT研究開発へのサポートは危険なほど不十分かつ近視眼的になっていると指摘している。今後5年間にITの予算を倍増すべきであると勧告した。

優先度の高い研究分野として、

a) ソフトウェア:より使い易く、信頼性が高く、パワフルなソフトウェアの開発のための技術
b) スケーラブルな情報インフラストラクチャ:地球規模のネットワークなどの情報インフラストラクチャを支えるための技術
c) ハイエンド・コンピューティング:2010年までに、ペタフロップスのコンピュータを実利用できるようなアーキテクチャ、ハードウェア、及びソフトウェアの技術
d) 社会経済へのインパクト

を挙げている。

新たなマネージメント戦略として、

a) NSFが基礎的IT研究の総合調整のリーダーシップを取ること
b) IT R&Dのためのシニアの政策担当官を置くこと
c) HPCC(CIC)のコーディネーションのモデルを他の主要なプログラムにも応用すべきこと
d) 研究支援のモードを、より広いスコープで、長期間の、チームで行われる研究に重点を置きなおすべきこと
e) 科学者やエンジニアがITの未来の姿を描く「21世紀の探索」のための「バーチャル・センター」を創設すること
f) 次の世代のIT技術を国家の重要な課題に適用していくための「可能にする技術センターを創設すること
g) 研究目標や支援モードの年次レビューを実施すべきこと

を提言している。

PITACは第2期に入り、8月、Clinton大統領はPITACの共同議長として、Raj Reddy (Carnegie Mellon University)とIrving Wladawsky-Bergy (IBM)を指名した。2001年まで。

2) IT2
クリントン政権は、PITAC報告の「長期的基礎的研究の増大」の勧告を受けて、「21世紀の情報技術(Information Technology for the Twenty-first Century ; IT2)」イニシアティブを発表した。ゴア副大統領が、1999年1月24日に、NSFの年次会合におけるスピーチで発表した。2000年度予算の一部として、新たなイニシアティブであるIT2に$366Mの新規予算要求を行い、

a) 長期的視点に立った情報技術研究
b) 科学、工学、国家のためのHPC
c) 情報技術革命の経済的・社会的関連についての研究

の3分野の支援を行う。かつてアメリカ政府が支援した研究の成果(インターネット、Mosaic、プロセッサ等)が、アメリカの情報産業のリーダーシップを強化することに役立ってきたように、情報技術の進歩により、子供の教育、障碍者の生活、地方の医療水準等の改善が可能になってきた。「アメリカが情報技術のリーダーシップを取ることは、国家安全保障を維持するためにも不可欠である」と述べている。

3) ASCI Red(Pentium II Overdrive搭載)
1999年6月、SNLではASCI RedのプロセッサをPentium II Overdriveに変更し、Linpack 2.121 TFlopsを達成した。6月のTop500で1位保持。

4) ASCI Blue Pacific(フルシステム稼働)
すでに述べたように、1998年10月28日、アメリカのAl Gore副大統領は、ASCI Blue Pacificが、IBM社から米国政府DOEのLLNLに納入されたことを発表した。ノードは4個のCPU(PowerPC 604e)を搭載し、全体で1464ノード(5856 CPU)、総メモリは2.6 TBである。(HPCwire 1999/10/29) 1999年11月のTop500では、コア数5808、Rmax=2144.0 GFlops、Rpeak=3856.5 GFlopsで、めでたく2位にランクした。当初の予定ではRedを抜くはずであったが、雪辱を果たせなかった。

5) Pathforward
1998年2月、Clinton大統領は、ASCIの一環としてPathforward Programを発表し、Digital Equipment社(1998年1月26日にCompaq社が買収)、IBM社、Sun Microsystems 社、Silicon Graphics/Cray社の4社と4年間$50Mの契約を締結した。Compaq社は1999年6月、500 MHzのEV6をdualで搭載したDS20サーバを128台結合し、OSはTru64 Unixでシステムを構築した。相互接続にはQuadrics Supercomputer World社の128ポートのQM-S128 (Elite)スイッチと、QM-400 (Elan) PCIバスアダプタを用いた。これにより、SNLから提供された3種のアプリケーションコードをSMPモードで実行し、PathforwardのPhase Iの目標を達成した。(HPCwire 1999/6/181999/7/16) 1999年6月のTop500では、コア数256、Rmax=154.4 GFlops、Rpeak=256.0 GFlopsで、48位にランクしている。8月、Compaq社は、これまでCray社のT3Eでしか動いていなかった共有メモリアクセスライブラリSHMEMを、このPathforwardシステムにも移植したと発表した。(HPCwire 1999/8/27)

6) ASCI Qの建屋
2001年に予定されている4番目のASCIスーパーコンピュータ(30+ TFlops)を収容するための建屋と設備の一式について、LANLの管理を委託されているUniversity of Californiaは、Hensel Phelps Construction Co.と契約を結んだ。総面積は291,000 ft2(約26000 m2)、内コンピュータルームは43,500 ft2(約 4000 m2)、予算は$62.5Mで、竣工予定は2001年末である。(HPCwire 1999/10/15) この時点でまだASCI Qの製造会社は決まっていない。

7) Etnus(ASCIで採用)
ASCIプログラムは、1999年5月、Etnus社(Framngham、マサチューセッツ州。1998年BBN社から独立。その後TotalView Technologies社に社名変更したが、2009年Rogue Wave Software社に買収された)のデバッガTotalViewに3年間で$1.9+Mの予算で6000プロセッサ以上の超並列機のためのデバッガを開発することとした。ASCIはこれまでASCI Blue MountainとASCI Blue PacificのためにTotalViewを採用したが、今後の超並列機に対応できるよう開発を進める。(HPCwire 1999/5/7)

8) SNL(LAMMPS)
SNL (Sandia National Laboratory)では、1990年代中頃から、分散メモリ上で動く並列(古典)分子動力学プログラムLAMMPS (Large-scale Atomic/Molecular Massively Parallel Simulator)を、CRADA (Cooperative Research and Development Agreement)という産官学共同研究の枠組みで開発していた。LAMMPSの場合の参加者は、SNLとLLNLの2つのDOE研究所と、Cray、Bristol Myers Squibb、Dupontの3企業であった。CRADAの終了にあたり、最初の公開版LAMMPS 99がリリースされた。Fortran77とMPIを用いて書かれている。その前にParaDynというソフトがあるようだが、詳細は不明。

その後、Fortran90とMPIによりLAMMPS 2001が作成される。最初のC++版は、2004年9月1日に公開される。LAMMPSは現在でも広く使われている。

9) NERSC(IBM RS/6000 SP選定、Oakland設置、SV1設置)
LBNLのNERSC (National Energy Research Scientific Computing Center) は、4月、次期スーパーコンピュータとしてPOWER3を用いたIBM RS/6000 SPシステムを選定したと発表した。この計画は2つのPhaseから成り、1999年6月に予定されるPhase Iでは2-wayのPOWER3 (200 MHz) SMPノード304台から成るシステムを導入する。POWER3 SMPをノードとするSPとして1号機であった。このマシンは、1999年11月のTop500において、コア数604、Rmax=310.30 GFlops、Rpeak=483.20 GFlopsで30位にランクされた。Phase IIでは、16-wayのPOWER3+ (375 MHz) SMPノード152台からなるシステムを、遅くとも2000年12月の設置を予定している。(HPCwire 1999/4/30)このマシンは、2001年6月のTop500において、コア数2528、Rmax=2526.00 GFlops、Rpeak=3792.00 GFlopsで2位にランクしている。

7月、NERSCは、前身の時代を含め25周年を迎えた。

9月10日、LBNLは、Berkeleyの隣町のOakland中心部にある旧Wells Fargo銀行ビルに、計算センターを移転することを発表した。そこにはNERSCの設備だけでなくLBNLの研究用、業務用のコンピュータも設置するとのことである。新センターは2000年夏ごろ開設される(LBNL Research News 1999/8/25)(HPCwire 1999/9/10)。

9月17日、NERSCにSGI/CrayのベクトルコンピュータSV1が設置され、稼動していることが発表された。最大構成のマシンで64台のベクトルプロセッサから成る。(HPCwire 1999/9/17)

10) ESnet3(Qwest社と契約)
DOEの研究所、DOEと契約のある大学、研究センターなどをつなぐ ESnet(Energy Sciences Network)は5年前にSprintによって構築された。ニュースによれば、1999年12月30日、DOEはQwest社(Qwest Communications International Inc.)と$50Mの契約を結び、今後7年間にわたってESnetを担当することとなった。Qwestへの変更は2001年までに完了する。この新しいネットワークはESnet3と呼ばれる。当面、これまでのOC-3 (155 Mb/s)をOC-12 (622 Mb/s)に増強するが、2004年までには1 Tb/sのネットワークを実現する予定。

11) DOE研究所の情報漏洩
New York Timesによると、4月2日、DOE傘下のLLNL、SNL、LANLの3研究所は、情報セキュリティに問題が発見されたため、エネルギー省長官Bill Richardsonは、秘密情報を扱うコンピュータの停止命令を出した。核物質を常時監視するコンピュータのような必要最小限のものを除きすべて停止した。その間、所員はセキュリティに関する訓練を受ける一方、システム管理者はセキュリティを強化した。

ことの発端は、台湾生まれのLANL研究員Wen Ho Lee(李文和)(生まれた時の国籍は日本、その後台湾籍、1974年アメリカ市民権取得)が、研究所のセキュリティ方針を破り、秘密情報を一般のコンピュータにコピーしたことであった。うそ発見器により、アメリカの核兵器開発に関するプログラムやデータを中国に漏らしたことが疑われ、罷免された。連邦大陪審はLee元職員を訴追したが、犯罪行為は立証できず、秘密データの不適切な取り扱いだけで訴えた。中国も疑惑を否定している。逆にLee元職員は、犯罪が証明される前に彼の名前をメディアに漏らしたとして連邦政府および5つのメディアに対して民事訴訟を起こし、2006年6月に$1.6Mの補償金を受け取っている。Clinton大統領は、彼に保釈を認めず278日も独房に収容したことを陳謝した。

2週間後に再稼働を始めたが、始動にはそれぞれのコンピュータのレベルに応じた承認を必要とするので、手続きは複雑であった。LANLだけをとっても、秘密情報を保護するファイヤウォールの内側にはデスクトップからスーパーコンピュータまで17000台ものコンピュータが置かれていた。(HPCwire 1999/4/9)(Wikipedia “Wen Ho Lee”)

12) 政府機関への不法侵入
FBIは政府機関へのインターネットによる不法侵入阻止に力を入れている。DOEのBNL (Brookhaven National Laboratory, N.Y.)では、14歳のハッカーがホームページを書き換えたが、BNLは直ちに検知して接続を切った。White Houseに浸入した若者たちも、ページにスプレーで絵を描いた。しかし、このようなグラフィティのサイバー版のような示威行動に気を取られて、より深刻なサイバー犯罪を見逃しているのではないかという批判もある。セキュリティの専門家は、オンラインセキュリティに対する最大の脅威は自分を見せないハッカーだと指摘している。(HPCwire 1999/6/4) FBIは10月、政府機関のネットワークに浸入を試みるサイバー攻撃の元をたどると、ロシアから出ていると発表した(HPCwire 1999/10/8)。国防省も、10月8日、合衆国をハッカーの侵入から守り、敵のネットワークを攻撃するための新しい組織を同日発足させたと発表した(New York Times 1999/10/8)。

13) NCSA (National Computational Science Alliance)
NSFは1997年に2つのPACIを採択した。NCSA (National Computational Science Alliance)とNPACI (National Partnership for Advanced Computational Infrastructure)である。NCSAはIllinois大学のNCSA (National Center for Supercomputer Applications)を中心とし、Boston大学、Kentucky大学、Ohio Supercomputer Center、New Mexico大学、Wisconsin大学などからなるコンソーシアムである。

NCSAは3月までに128プロセッサのSGI Origin 2000を2基導入し、アカデミアに公開した。NCSAはこれで総計1024プロセッサのOriginアレイを設置したことになる。これらはcapability computingのために使用される。ユーザは200大学に広がり、月当り600人である。 (HPCwire 1999/3/5)

またNCSAは、New Mexico大学のthe Albuquerque High Performance Computing Center (AHPCC)では、1999年4月8日に初めての128プロセッサのLinuxクラスタ“Roadrunner”が公開した。これはAlta Technology社が製造した、Intel社の450 MHzのPentium IIを2個搭載したノード64台をMyrinetで接続したAltaCluterである。(HPCwire 1999/4/2) 言うまでもないが、これは2008年にLANLに設置され、世界初のPetascaleマシンとなったRoadrunnerとは関係がない。Roadrunner(和名「ミチバシリ」)はアメリカではなじみの深い野鳥で、Great Roadrunner(「オオミチバシリ」)はNew Mexico州の州鳥である。

14) Pittsburgh Supercomputer Center (PSC)
DOEとPSCとのスーパーコンピュータ契約は1999年2月に終了することになっており、センターの運営継続が危ぶまれたが、DOEは契約を延長し、現会計年度の終わり(1999年9月)まで$2.5Mを提供することになった。

15) NOAA(火災でC90損傷)
1999年9月27日午後4時、メリーランド州Suitlandに設置されているNOAAの数値予報業務用のC90内の電源部2個から火災が発生し、消防隊がdry chemical(粉末薬品)で消火したが、消火剤による汚染でC90は使用不能となった。毎時計算していたモデルは3時間毎にするなど縮小を迫られた (HPCwire 1999/10/8)。Top500にはNOAAのC916/16256が1995年~1997年に登場しているが、これがそれ該当するかどうかは不明。10月になってCompaq社性のAlphaクラスタを導入した(HPCwire 1999/10/15) 。

16)Melissa virus
電子メールを大量に送信するマクロウィルスであるMelissa virusが世界中を駆け巡った。これはWindows上のMicrosoft WordおよびOutlookを標的とし、電子メールによりコンピュータに感染させる。感染すると、このウィルスはOutlook Global Address Bookから50個の宛先に自分自身を送付する。1999年3月26日ごろ、アメリカ・ニュージャージー州のDavid L. Smithが、不正に入手したAOLのアカウントから送信した。ファイル等を消去するなどの被害はなかったが、電子メールシステムが過負荷により機能しなくなり、Microsoft社、Intel社などの企業、政府機関などが影響を受けた。

FBI、ニュージャージー州警察等の捜査で1999年4月1日に逮捕され、Smithは営利企業・政府機関のパソコンとネットワークを破壊して$80M以上の損害を与えたとして告訴された。1999年12月10日、スミスは罪を認め、2002年5月1日、禁固20か月と罰金$5000が言い渡された。(Wikipedia “Melissa (computer virus)”)

17) ロシア・中国などへの輸出
クリントン政権は7月、輸出制限を緩和し、ハイテク工業製品を外国に売りやすくした(HPCwire 1999/7/2)。

New York Timesによると、アメリカ政府はIBM社製のスーパーコンピュータが、ロシアの核兵器研究所に1996年不法に輸出されていたのではないかと2年前から捜索していたが、両国はこの問題についての静かな合意に達したと、1999年10月7日、発表された。10月8日には、アメリカのエネルギー省とロシア国防相のMinatomは、共同で「オープン」なセンターをロシアの兵器研究所に設置し、16台のIBM製のスーパーコンピュータを公式に稼働させた、と発表した。このコンピュータは、軍事研究以外の多くの研究に用いられる。(HPCwire 1999/10/7)

10月下旬にDOEが発表したところによると、SNLが高性能なスーパーコンピュータを中国国籍の人物に知らずに売ってしまったことが明らかになった。その性能は、現在の輸出法で許されているものより遙かに大きいとのことである (HPCwire 1999/10/22) 。

同じ頃、2台のアメリカ製のスーパーコンピュータが某国に輸出され、核兵器を開発している軍関係者の手に渡っているのではないかと商務省が調査している、との報道もあった。中国には191台のスーパーコンピュータが輸出され、中国政府はアメリカの監査を妨害しているが、この件の某国は中国ではないとのことである。(HPCwire 1999/10/22)

次回は、日米貿易摩擦、各国政府関係の動き、世界の学界の動きなど。米連邦国際通商裁判所はダンピングによってアメリカの産業に害を与えているというITC(国際貿易委員会)の決定を差し戻したが、ITCは再び、日本のスーパーコンピュータはアメリカの製造会社に損害をもたらすと判断した。筆者はシンガポールとスイスのスーパーコンピュータセンターの外部評価に招かれた。

 

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