世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


4月 1, 2024

新HPCの歩み(第180回)-2001年(e)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

NSFでは、NCSAとSDSCを中心とするPACIに続いて、分散的テラスケール環境DTFを構築し、40 Gb/sの光ネットワークで結合するTeraGridが開始された。他方DOEは公募制の資源提供プログラムSciDACを始める。新生Cray社は“昨日の敵” 日本電気と和解し、SX-6を北米で売ることになった。中国では神威IIが登場する。

アメリカ政府の動き

1) 政権交代
2001年1月21日より、民主党のクリントン大統領から共和党ブッシュ大統領に交代した。2000年11月の開票のドタバタもあり、僅差の勝利であったがアメリカ政府の方針、とくに科学技術政策が大きく変わることが予想された。1997年に発足したPITAC (President’s Information Technology Advisory Council)は1999年から第二期(共同議長は、Raj Reddy (Carnegie Mellon University)とIrving Wladawsky-Bergy (IBM))が始まっており、任期は2001年2月11日までとなっていたが、これを6月1日まで延長した。

レーガン政権下の1986年にできたアメリカの非営利団体Council on Competitivenessは、2月ブッシュ新大統領に対し、先端技術に対する投資がまだ不十分であるという勧告を行っている。

2) SciDAC
2001年度予算の中で、DOE (Department of Energy), Office of Scienceは公募制の資源提供プログラムSciDAC (Scientific Discovery through Advanced Computing)を当初5年計画で開始した。単に既存の資源を提供するだけでなく、スーパーコンピュータを使った科学的発見を促進するために、科学計算用のハードウェアおよびソフトウェアのインフラを開発することを目的としている。分野としては、先進的科学計算、基礎的エネルギー科学、生物的環境的研究、核融合エネルギー科学である。当初計画(2000年3月24日付け)によれば、重要なポイントとして、

 重要な科学的チャレンジを解決するために、モデル化や計算手法の開発、テラスケールのコンピュータを利用するための計算コード
 計算システムと数学ソフトウェアへの長期的な投資
 地域を越えて協力を可能にするソフトウェア・インフラストラクチャ

などを挙げている。

DOEは2001年8月17日、1回目のSciDAC採択プロジェクトを発表した。150件の申請のうち51件が採択され、今年度の補助金は$57Mであった。23件は大型プロジェクトで期間は3年~5年、毎年$0.5M~$4Mを受ける。27件は小型プロジェクトで、期間は3年で毎年$0.5Mを受ける。内容的には、33件は生物化学、化学、物理学の分野である。14件の大学が申請したプロジェクトは気候シミュレーションと予測を前進させるものである。10件は量子化学と流体力学である。(HPCwire 2001/8/17)

3) NERSC(Seaborg)
DOEの研究所NERSC (National Energy Research Scientific Computing Center, LBNL)は2001年1月、“Seaborg”という新しいスーパーコンピュータをOaklandの新しい拠点で構築を開始した。これは3328個のPOWER3プロセッサ(375 MHz)から構成されるIBM RS/6000 SPシステムであり、ピーク性能は5 TFlopsである。4月までに設置を完了し、10月からは運用を開始した。なおこれはPhase Iで、2002年にはノードを倍増しCPUをPOWER3+に変更したSeaborg IIが設置される。(HPCwire 2002/11/8) 2001年6月のTop500では158ノード、2528コアの一部稼働で、2.526 TFlopsのLinpack性能により第2位にランクされている。11月のTop500では、フルスケールの208ノード、3328コアで、Rmax=3052.00 GFlops、Rpeak=4992.00 GFlopsの3位となっている。ちなみに“Seaborg”という名称は、U.C. Berkeleyの物理学者で、超ウラン元素の合成および研究の業績により1951年度のノーベル化学賞を受賞したGlenn Theodore Seaborg教授を記念したものである。教授は、1999年2月25日に亡くなられていた。

4) Maui HPC Center
アメリカではDOEやDOD (Department of Defence)の研究所の運営は、契約でどこかの大学に委託される。ハワイのマウイ島にあるDODのMaui HPC Centerの運営は、1993年以来New Mexico大学が行って来たが、2001年10月からHawaii大学に移行した。運営費の総額は$181Mである。センターはマウイ宇宙監視システム(the Maui Space Surveillance System)やDOD HPC 近代化事務所など国防省関係のユーザのサポートを行う。(HPCwire 2001/6/8)

 
   

5) TeraGridプロジェクト開始
2001年8月10日、NSF (National Science Foundation)は、NCSA, SDSC, ANLおよびCACR (Caltech)の4機関に$53Mを投じ、IBM社、Intel社、Qwest Communications社との協力により、分散的テラスケール環境DTF (Distributed Terascale Facility)を構築し、40 Gb/sの光ネットワークで結合すると発表した。TeraGridと名付けられた巨大なグリッド環境である。TeraGridの基盤となるのはIntel社のItaniumアーキテクチャである。これをIBM社がLinuxクラスタに構築する。DTFプロジェクトの責任者Rick Stevence(Univ. of Chicago/ANL)は「これまでのNSFやPACIの成功の上にこのような機会を得たことに興奮している。これは省庁間の協力のすばらしい実例となるであろう。」と述べている。(HPCwire 2001/8/10)この背景には、1999年に発表されたPITAC第1期レポートでTFlops級のコンピュータの設置を強調していることがあると思われる。TeraGridは、Phase Iが2004年2月に正式稼働を始める。ロゴはWikipediaから。

  1. NCSAは、第2世代のItanium(McKinley)を搭載したIBM Linux クラスタを設置し、ピーク性能は6.1 TFlops。既存の設備とあわせて8 TFlopsの演算性能と、240 TBのストレージを持つ。NCSAの計算・通信部門の責任者であるRob Penningtonは、2001年2月26日~3月1日にSan Joseで開催されたIDF(Intel Developer Forum)のパネル討論において、Itaniumのアーキテクチャを絶賛した(HPCwire 2001/3/9)。
  2. SDSCもMcKinleyを搭載したIBM Linuxクラスタを設置、ピーク性能は4 TFlops。ストレージは225 TB。グリッド上に分散したデータへのアクセスを管理するために、次世代のSun Microsystemsのサーバを設置する。なお2月21日にSid KarinがSDSCおよびNPACIの所長を辞任することがUCSDのRobert Dynes学長から発表された。後任は2月23日付けでFran Bermanが就任した。
  3. ANLは1 TFlopsのIBM Linuxクラスタと高精度可視化の設備を用意する。
  4. Caltechは、科学データに焦点をあて、0.4 TFlopsのMcKinleyクラスタと32ノードのIA-32クラスタを設置する。

2002年10月にはPSC (Pittsburgh Supercomputer Center)が加わり、Los AngelesとChicagoのハブを持つ形に整備される、2003年10月にはAtlantaに第3のハブを設置し、ORNL、Purdue University、TACC (Texas Advanced Computing Center)のサイトを追加する。産業界の参加者は、当初はIBM、Intel、Qwest Communicationsの3社であったが、その後Myricom、Oracle、Sun Microsystemsも加わった。

2002年7月10日、Qwest Communications社は、2001年の売上高を$1B以上水増しした疑いでコロラド州Denverの検察当局から操作の手が入っていると発表する。同社は光ケーブル施設への大規模投資などで$26.6Bもの債務を抱える中、競争激化で業績が急速に悪化し、経営危機に陥っている(朝日新聞7月10日)。DTFへの参加と関係あるかどうかは不明である。

特徴的なことは、演算性能の大部分が第2世代のItaniumに依存していることで、全体では3300個のItanium (コード名McKinley、後のItanium 2)を搭載し、ピーク性能の合計は13.6 TFlopsである。発表された頃、現実には第1世代のItanium (Merced)がやっと出荷されたところであった。直接に受注したのはIBM社で、同社は2001年8月9日、4研究機関からコンピュータやストレージやネットワークを受注したと発表した。

8月、NCSAは160台のdual Itanium IBM IntelliStationからなるマシンTitanを稼動させた。これは当時世界最大のItanium Linuxクラスタであった。(HPCwire 2001/6/1) 2001年11月のTop500では、Rmax=0.6779 TFlops、Rpeak=1.024 TFlopsで34位にランクしている。Itanium 2のクラスタがフルに稼動したのは2002年11月であった。

これとは別に、NCSAはPentium III 1 GHzを1024台搭載したNetfinity Cluster(IBM)を2001年2月に設置した。接続はMyrinetで、OSはRed Hat Linux。2001年6月のTop500ではRmax=0.594 TFlops、Rpeka=1.024 TFlopsで30位に、11月には41位にランクしている。

6) NPACI (Rocks Cluster)
SDSC (San Diego Supercomputer Center)を中心とするNPACIでは、Linux-baseのクラスタを構築するためのツールキットRocksを開発した。これを使うことにより、クラスタを構築する時間が大幅に短縮される。すでに10以上のシステムで実証された。(HPCwire 2001/3/23)

7) Alliance(ロシアとの協定)
NCSA(National Center for Supercomputer Applications、University of Illinois, Urbana Champaign)を中心とするthe Alliance(The National Computational Science Allinace)は、4月18日、モスクワのKurchatov Instituteと協定を結んだ。最初の国際協力である。4月20日、ArlingtonにあるACCESS(the Alliance Center for Collaboration, Education, Science and Software)において、KurchatovのEvgeny Velikhovを迎えて調印式が行われた。(HPCwire 2001/4/20)

8) Pittsburgh Supercomputer Center
PACIの戦いに破れたPittsburg Supercomputing Centerは、2000年の記事にも書いたように、2001年4月1日、TCSini (Initial phase of the Terascale Computing System, 342 GFlops)を開始し、これを6 TFlopsの TCS-1(Terascale Computing System) に発展させることになった。(HPCwire 2001/3/16)(HPCwire 2001/4/13) 予算は$45Mで、これによりPSCはPACIの第3の中心サイトとなることができた。TCS-1はCompaq社製で、750台の4プロセッサ構成のAlphaServer ES45をQuadricsの相互接続網で結合したものであり、8月から設置を始め(HPCwire 2001/8/17)、10月1日に公式に設置を完了した(HPCwire 2001/10/5)。テープカットの式典は10月29日10時に行われた(HPCwire 2001/10/26)。2001年11月のTop500では、Rmax=4.059 TFlops、Rpeak=6.048 TFlopsで2位にランクしている。

今後半年TCS-1を利用するテーマとして、「人体内の血液循環のシミュレーション」「『宇宙気象』のモデリング」「ガン治療薬のバーチャル試験」「地球の磁気圏のグローバル・モデリング」「乱流の内部で発生する衝撃波と渦のシミュレーション」「素粒子のQCDにおける量子力学的計算」「銀河系と銀河団の大構造」「個々の細胞内におけるタンパク質の相互作用のモデリング」「プラズマの不安定性と乱流の研究」などが挙げられている。(Hotwired 2001/10/4)

9) NCAR(パネル、Blue Sky)
4月にNRC(National Research Council)が開催した気候研究に関するパネルは、アメリカがイギリスやドイツに比べて気候モデル研究に関して遅れていると指摘した。パネルの主査のEdward Sarachik教授(Washington大学)は、「アメリカは$1.8Bを気候研究に使っているが、気候モデルにはその6%($108M)しか使われていない。他方、イギリスはECMRWに$50Mを使い、Hadley Centre for Climate Prediction and Researchに$25M使っている。全体としてヨーロッパの5分の1の予算しかない。」Sarachik教授はさらに、「多くの気象学者の意見では、気候研究に最適なスーパーコンピュータは日本のモデルであり、イギリスやドイツでは広く採用されているが、アメリカでは懲罰関税のため輸入することができない」と述べている。「我々は目的に合った機械を世界中から買えるようになるべきである。さもないと、アメリカは途上国になってしまう。」(HPCwire 2001/4/27) また多くの気象学者は、「人間活動と気候との関係をコンピュータで分析するために、アメリカの研究者はヨーロッパや日本に行かざるを得ない。イギリスや日本では、何十億円もの予算を長期気象研究のためのコンピュータに投資しているが、アメリカでは省庁に分かれた小さな研究センターがあるだけである。」と嘆いている。またUCSDのLarry Smarr教授は、「十二三年前には、天気予報でも気候モデルでもアメリカがトップであることは当然と思っていた。しかし現在では、長期予報でも毎日の天気予報でもヨーロッパがリードしている。」と述べた。この報告はWhite Houseに提出された。(HPCwire 2001/6/15)

SC2001の直前の2001年11月9日、NCAR (The National Center for Atmospheric Research)は、気候変動研究のためのスーパーコンピュータとしてIBM社を選定したと発表した。このコンピュータはBlue Skyと命名され、2002年9月に設置を完了するこれは。IBM SP Power3とIBM eServer p690からなるシステムであり、ピーク性能の合計は7 TFlopsである。(HPCwire 2001/11/13) SP Power3 375 MHz 16 Wayは、2001年11月のTop500において、コア数1260、Rmax=1382 GFlops、Rpeak=1890 GFlopsで、11位にランクしている。また、IBM eServer p690 (POWER4 2C 1.3GHz)は、2002年11月のTop500において、コア数1216、Rmax=3249.2 GFlops、Rpeak=6323.0 GFlopsで10位にランクしている。日本電気のSX-4導入を政治的介入により排斥して以来、やっと世界トップクラスの資源をもつことができた。

10) 情報セキュリティ
インターネット経由のサーバ攻撃についてはこれまでも警鐘が鳴らされてきたが、新世紀に当たってさらなる警告がなされた。CIAのNational Intelligence Council (NIC)は68ぺージの報告書を出し、サイバー攻撃のツールの発展により、アメリカの民間の情報インフラストラクチャは、世界中から攻撃を受けるようになると警告した。また、ワシントンのCenter for Strategic and International Studies (CSIS)は、今後のサイバー兵器競争を警告し、コンピュータを熟知した若者が支援するテロリストが増大するであろうと述べている。アメリカ、ロシア、中国、フランス、イスラエルはサイバー兵器を開発しているが、中国は特に注意を要する。中国人がアメリカの特定の部署に、1人1通メールを遅れは、それだけでDDOS攻撃になりうる。(HPCwire 2001/1/5)また連邦下院では、昨年1年で少なくとも155の連邦政府のコンピュータシステムが、国内国外から不法侵入を受けたことが問題となった(HPCwire 2001/4/13)。

FBIは3月15日、ロシアやウクライナの犯罪集団が、20州にある40システムに侵入し、100万以上のクレジット番号を盗んでいると警告した。(HPCwire 2001/3/16

11) アメリカ同時多発テロ事件
9月11日朝(日本時間11日晩)、4機の定期便の飛行機がハイジャックされた。ボストン空港をロサンゼルスに向けて離陸した2機の航空機、American Airlines Flight 11(Boeing 767)とUnited Airlines Flight 175(Boeing 757)は、相次いでニューヨークの世界貿易センタービルに突入した。ワシントンのDulles空港をロサンゼルスに向けて離陸したAmerican Airlines Flight 77(Boeing757)はペンタゴン(国防総省)に突入し、ニューアーク空港(ニューヨークの西隣)からサンフランシスコに向けて離陸したUnited Airlines flight 93(Boeing 757)は乗客の反抗によりペンシルベニア州に墜落した。その後の展開はご存じの通り。筆者はたまたま数人の大学生らとともに母校の海の家に泊まっており、近くにテレビがなかったので、ポケットラジオでニュースを聞いていたが朝まで状況がつかめなかった。マンハッタン南部で非常線が張られたCanal Streetは、前年2000年12月に家内と泊っていたホテルの近くでもあり、他人事とも思えなかった。第一報を聞いた筆者の密かな期待は、「これでアメリカ人も広島・長崎の痛みを理解するのでは」ということであったが、現実は正反対で、「やられたらやり返せ」という論理で、対イスラム十字軍を結成することになる。

この事件はAl-QaedaのOsama bin Ladenが首謀者とされる。彼の名は、1993年2月26日の世界貿易センター地下駐車場爆破事件など、以前から知られていた。この一二年前からbin Ladenの名前はニュースを賑わせており、彼らの方がインターネットをより巧妙に利用しているという報道もあった(HPCwire 2001/2/9)(HPCwire 2001/9/28)。

これに続いて9月18日と10月9日の二度にわたり、アメリカのテレビ局、出版社、上院議員に対し炭疽菌(しかも兵器級の)が封入された封筒が送りつけられる事件があり、これもAl-Qaedaの仕業かとアメリカ全土を震撼させた。大量破壊兵器を口実にしたイラク攻撃の根拠にされたり、アメリカの生物兵器関係の研究者が疑われたりしたが、2008年8月6日、FBIは、8月1日に自殺した微生物学者Bruce Edwards Ivinsの単独犯行と宣言する。

2001年10月7日には、アメリカ合衆国が主導する有志連合によるアフガニスタン攻撃が始まった。

2001年10月8日、ブッシュ大統領は、国土の安全保障に関する調整を行うために、the Office of Homeland Security (OHS、国土安全保障局)を設置し、元ペンシルバニア州知事 Tom Ridgeを局長に任命した。これには多くの部門があるが、翌日Richard Clarkeをサイバー空間安全保障に関するホワイトハウス特別顧問に任命した。(HPCwire 2001/10/12) Clarkeは12月、さるIT関係の会合において、「政府は情報セキュリティを強化する措置を講じていくが、産業界もそれに対応した協力をしてほしい。」と述べた(HPCwire 2001/12/7)。

2002年11月25日に国家安全保障省設立法が成立し、OHSはUnited States Department of Homeland Security(DHS、アメリカ合衆国国土安全保障省)に再編される。

SC2001の開催や参加が危ぶまれた。日本のいくつかの企業や研究機関は出展を見合わせた。筑波大学では、中止はしないもののポスター展示だけにとどめることにした。渡航中止勧告でも出ない限り。

日米貿易摩擦

1) 日本電気とCray社の提携
日本電気はスーパーコンピュータの対米ダンピング調査のやり直しを求めたが、1999年2月には連邦最高裁判所が上告を棄却した。また、スーパーコンピュータに対するITC(連邦国際貿易委員会)のダンピング認定を不服として、日本電気と富士通の二社が起こした訴訟で、CIT(連邦国際貿易裁判所)は1999年12月に「日本のスーパーコンピュータ販売はアメリカの製造会社に損害をもたらす」と判断した。60日以内に連邦巡回区控訴裁判所に控訴する道はあるが、二社は勝訴の見込みが低いと控訴をあきらめた。これで、日本側の訴えはすべて退けられたことになる。

2000年のところで述べたように、日本電気や富士通のスーパーコンピュータを厳しく排斥してきたCray Research社(SGI社の一部門)は、Tera Computer社に買収され、2000年4月4日にTera Computer社がCray Inc.に名前を変えた。日本電気はCray社との訴訟合戦のさなか、1997年からCray Research社と提携交渉を進めて来たが、合意直前までこぎつけながら中断していた。さらに1997年秋からは親会社であるSGI社の経営状況が悪化し、1997年10月にはEdward R. McCracken CEOが辞任の意向を示すなど、交渉のできる状態ではなかった。1998年1月、前HP社副社長のRick BelluzzoがSGI社のCEOに就任してSGI社の再建がスタートし、日本電気との提携で事業の再構築を進める方向が出て来た。このころから交渉のポイントは日本電気がSX技術を供与することと、Cray社が商務省への訴えを取り下げることであった。(日本工業新聞 1998/4/14)

この交渉が実ったのであろう、2001年2月28日3時30分(日本時間)、日本電気はCray社とスーパーコンピュータ分野に関する提携に合意し、契約書に調印したと発表した。2001年3月1日付朝刊各紙には衝撃的な見出しが躍った。「NECスパコン、対立の大手に供給へ」(読売)、「NECクレイ社と提携」(朝日)、「NEC“昨日の敵”と和解」(日経)など。

具体的には、反ダンピング関税の撤廃を申請し、受理されることを条件に、日本電気のベクトルスーパーコンピュータSX-5および後継機を10年間Cray社にOEM提供する。Cray社は北米とメキシコで独占的に販売するとともに、それ以外の国(日本を含む)では非独占的に販売する。合意の一部として、日本電気は5月11日までにCray社の無議決権優先株3125000株を1株$8合計$25Mで取得する(つまり資金援助する)。これは7%に相当する。合わせて日本電気は販売・サポートの米国法人であるHNSX Supercomputers社の事業を1年以内にCray社に統合することも発表された。技術移転についての合意はなかった。(HPCwire 2001/3/2) IDCは、どちら側にとっても得られる利益は短期的、限定的なものであろうと観測している。(HPCwire 2001/3/2)(IT Pro 2001/2/28)

2) 懲罰関税撤廃
Cray社はアメリカ政府に、1997年8月21日に課した日本製スーパーコンピュータのダンピング課税(日本電気製スーパーコンピュータに対し454%、富士通製に対し173.08%、他の日本メーカ(具体的には日立製作所)に対し313.54%、)の解除を請求した。商務省は日本の3社のスーパーコンピュータに対する反ダンピング懲罰関税を撤回することを決定した。この撤回は2001年5月3日から有効になるとともに、2000年10月1日にさかのぼって効力をもつ。これにより、上記の日本電気とCray社との提携も有効となった。(HPCwire 2001/5/4)

3) Buzbeeのコメント
NCARのSCD (Scientific Computing Division)に務めていてSX-4排斥の矢面に立ち、1998年に辞職したBill Buzbeeは、HPCwireへの寄稿でこの動きを歓迎した。その中でかれは、(政治家ではなく)科学技術者がどのようなツールを購入するかを決定する機能を与えられるべきであること、アメリカは国家の優先順位と合致する高性能コンピュータを製造すべきであることとを強調した。(HPCwire 2001/4/13)

4) Cray SX-6
2001年10月に日本電気がSX-6を発表すると、Cray社も10月5日に、SX-5に続きCray SX-6の販売を始めた(HPCwire 2001/10/5)。最初に導入したのは、ARSC (Arctic Region Supercomputer Center, Fairbanks, Alaska)で、2002年6月11日に発表される。2002年6月にはカナダの企業に、9月にはTronto大学に2台販売される。2004年にもカナダに3台販売され、合計7台となる。アメリカ本土には一台も入らなかった。

5) これまでの流れ
これまでの動きを年表で示す。頭の*は、連邦裁判所への直接訴訟である。略号は以下の通り。

ITC:米国際貿易委員会、米国際通商委員会とも訳す。準司法的連邦機関。
CIT:国際貿易裁判所、国際通商裁判所とも訳す(米国との貿易と関税をめぐるトラブルを扱う裁判所、連邦地裁とは別であるがその判決をCAFCに上訴することができる)
CAFC:連邦巡回区控訴裁判所(日本の高等裁判所に相当する巡回区控訴裁判所の一つだが、特許権、商標権、関税、政府契約などに特化)

1995

2月:Cray Research社がT90を出荷

3/24:Cray Computer社破産、7/14清算

11/28:Cray Research社がT3Eを発表

12月:NCARのため、UCARがスーパーコンピュータ調達。Crayと日本電気と富士通が残る

1996

2/26:SGI社がCray Research社を買収、Cray部門とする

4/16:Cray Research社地元の下院議員2名が貿易赤字を理由に日本製を選ばないよう圧力

5/20:UCARは日本電気のSX-4を中核とするシステムを入札により選定

7/29:Cray部門は商務省と ITCにダンピング提訴

9/11: ITCがダンピングの審判を行うことを表明(クロの仮判定)

10/15:日本電気とNHSXは、商務省にダンピング調査を中止するようCITに訴訟を起こす

11月:SC96のNCARベンチマークに関する論文発表で、Crayの数値が発表されなかった

1997

3/31:商務省、日本電気と富士通がアメリカにおいてダンピングと認定

8/21:商務省、日本の3社に454%、173.08%、313.54%の懲罰関税を決定

8/25:ITC公聴会で三浦謙一が証言

8/29:NSFがNCARにおけるSX-4の導入中止を決定

9/26:ITCは日本電気や富士通のスーパーコンピュータを脅威と判定

9月ごろ、日本電気とSGI社Cray部門との秘密交渉が中断(SGI経営悪化のため)

11月:日本電気はITCの決定を不服としてCITに提訴

1998

1月:Rick BelluzzoがSGI社のCEOに就任、SGI再建に乗り出す。日本電気との交渉再開

*6月:日本電気は、商務省をCAFCに訴える。

*8/28:CAFCは日本電気の控訴を棄却

*11/5:日本電気が、連邦最高裁に上訴,

9月ごろ:Bill BuzbeeがNCARの科学計算部門の部門長辞任

12月:CITがITCの決定を差し戻す(90日以内に新判断を要請)

1999

*2月:連邦最高裁が日本電気の上訴を棄却

3月:ITCは、アメリカに損害を与えていると再判断、日本電気と富士通はCITに再提訴

6月ごろ:NCARは日本にあるSX-4をリモートで利用し、温暖化計算を行う

8月ごろ:NCARはIBM社のSP POWER3を発注

12月:CITはITCの再調査とクロ判定を承認

2000

2月:日本側は、CITの判決に対する、CAFCへの上訴を断念。敗訴が決定

3/2:Tera Computer社がCray部門を買収し、4月に自社をCrayと改名

2001

2/28:日本電気、Cray社との提携を発表

5/3:商務省、日本の3社に対する反ダンピング懲罰関税を撤回

10/3:日本電気、SX-6を発表

10/5:Cray社Cray SX-6の販売開始

10/26:日本電気、日本SGIを子会社化

 

ヨーロッパ政府関係の動き

1) HLRN (the North German Supercomputing Alliance)
2001年、北ドイツの6州が連合して、HLRN (Norddeutscher Verbund für Hoch- und Höchstleistungsrechnen)を設立した。コンピュータ資源の提供およびネットワークの整備を行う。2002年6月のTop500では、Hannover大学のRRZN (Regional Computer Centre of Lower Saxony)とKonrad Zuse-Zentrum (Berlin)のHLRNにそれぞれ1.3 GHzのpSeries 690 Turboが設置され、コア数384、Rmax=708.00 GFlops、Rpeak=1996.80 GFlopsで48位tieにランクしている。この2つが連合の最初のスーパーコンピュータ資源である。

2) Fraunhofer Resource Grid (FRG)
ドイツ政府の研究省の支援により、Fraunhofer研究機構(Fraunhofer Gesellschaft)傘下の5つの研究所が協力して、Fraunhofer Resource Grid (FRG)を構築した。目標として、グリッドアプリをユーザにわかりやすく表示するグラフィカル・アシスタント、グリッドアプリの要素アーキテクチャを開発するためのツール、グリッドアプリを開発するための言語の開発、グリッドのセキュリティの工場、分散ファイルシステムの統合、グリッド上のビジネスサービスの設計開発、などを挙げている。(HPCwire 2001/8/31)

 
   

3) ドイツ気象庁
Hamburgにあるドイツ気象予報コンピュータセンターDRKZ(The German Climate Computing Center)は、12月、これまでのCray Y-MP C916/16256の更新として、日本電気のSX-6を発注したと発表した。これはセンターの現代化プログラム予算DM 67M(当時のレートで約38億円)の一部である。導入は2段階に分けて行われ、2002年春の第1段階ではSX-6/128M16を、2003年の第2段階ではSX-6/196M24にアップグレードする。(HPCwire 2001/12/21) SX-6/128M16は、2002年6月のTop500において、コア数128、Rmax=982.00 GFlops、Rpeak=1024 GFlopsで49位tieにランクしている。SX-6/196M24は、2003年6月のTop500において、コア数196、Rmax=1,484.00 GFlops、Rpeak=1,536.00 GFlosで33位にランクしている。

4) フランス政府調査団
在日フランス大使館のThe Service for Science and Technology (SST)は、スーパーコンピューティング分野に関するフランスの専門家のミッション”Supercomputers in Japan”を組織し、2001年11月26日から30日に日本を訪問して、スーパーコンピューティング分野(ソフトとハード)や、クラスタ、グリッド、メタコンピューティングなどの関連分野における日本の研究開発の取り組みを評価することになった。メンバは、INRIAのSophia-Antipolisユニットの所長Mr. Michel Cosnardを団長とする約10名である。日本での訪問予定先は以下の通り。アカデミアについては具体的に書かれており、今後の研究協力の可能性も探るとのことである。

富士通

日立製作所

日本電気

筑波大学の佐藤三久の研究チーム

東京工業大学の松岡研究室

東京大学の田中・坂井研究室

東京大学のGRAPEプロジェクト

早稲田大学の笠原研究室

早稲田大学の村岡研究室

慶応大学の天野研究室

横浜の地球シミュレータプロジェクト

 

経緯は記憶にないが、筆者も対応した。報告書は公表されるとあるが、見ていない。

 

ロシアの動き

1) MBC-1000Mスーパーコンピュータ
ロシア連邦の工業科学技術省のAlexandr Dondukov大臣は、ロシアは世界第3位のスーパーコンピュータ生産国であると述べた。MBC-1000Mスーパーコンピュータは、667 MHzのAlpha 21264を搭載したノード768個を2 Gb/sのMyrinetで接続したクラスタで、ピーク性能は1 TFlopsである。現在、次のスーパーコンピュータMBC-5000を開発中で、これは1500個のCPUを搭載している。(HPCwire 2001/8/3)

中国の動き

1) 五カ年計画(第十次)
中華人民共和国はソビエト連邦にならって1953年から五カ年計画を始めた。政治的な混乱などもあり、実質的な意味をもつのは1981年からの第六次五カ年計画からと言われる。スーパーコンピュータについては、1991年の第八次五カ年計画から研究開発が計画されている。2001年からの第十次五カ年計画では、「テラフロップススパコンとその環境の開発」が目標に掲げられた。

2) 神威II
1996年中国は、Alpha21164を使った神威I(ピーク312 GFlops)を完成した。2001年に金怡濂は、「神威II(ピーク13.1 TFlops)」を完成したらしい。採用CPUなどは不明。(中国巨型計算机之父金怡濂

3) Dawning Information Industry(Dawning 3000)
1996年のところに書いたように曙光信息産業有限公司(Dawning Information Industry)は、中国科学院コンピュータ技術研究所からのスピンオフとして設立された。同研究所は1993年に曙光一号を、1995年に曙光二号(Dawning 1000)、2000年にDawning 2000を開発している。4世代目のDawning 3000が製作され、2001年1月28日に国家の認証を得た。これは10個のラックから成り、280 CPUでピーク性能は403.2 GFlopsである。CPUは不明。

このマシンはTop500には出てこない。DawningシリーズでTop500に登場するのは、2004年6月の10位にある上海スーパーコンピュータセンターのDawning 4000A(Opetron 2.2 GHz, 2560 cores、Rmax = 8061.0 GFlops)が最初である。

4) 中国がTop500に登場
11月、はじめてTop500に中国にあるマシンが登場した。148位以下32台tieで並んでいるHPのSuperDome/Hyper Plexの一つである。設置場所は山東省の中国農業銀行(Agricultural Bank of China)。Wikipediaによるとこの銀行は中国の四大商業銀行の一つである。

5) 龍芯プロジェクト(中国科学院)
中国科学院計算技術研究所の胡偉武(Weiwu Hu)は、第十次五カ年計画の一環として、2001年、龍芯プロジェクトを始めた。2002年、江蘇綜藝集団(Jiangsu Zhongyi Group)と官学共同投資のBLX IC Design Corporationを設立し、MIPSアーキテクチャの32ビットプロセッサLoongson(龍芯)を開発する。

6) 江綿恒(Jiang Mianheng)
HPCwire の記事によると、当時の江沢民主席の長男江綿恒(Jiang Mianheng)は、中国科学院の副会長の一人であり、政府の資金をディジタル業界に注ぎ込んでいるが、その活動は政府系メディアでは一切報じられていないとのことである。その後、2007年には全人代の代表になれなかったが、2011年まで中国科学院副会長を務め、その後中国科学院上海支部長となり、2014年には上海科技大学の学長に任命されている。HPCwireの記事は氏をDigital Princeと紹介している。(HPCwire 2001/3/9)

アジアの政府関係の動き

1) iHPC(シンガポール)
前に述べたように筆者はシンガポールのiHPC (Institute for HPC)のInternational Advisory Panelを委嘱されていたが、2月26日~28日にその会合がシンガポールで開催された。家内も同伴した。他のメンバは、Dr. Alfred Brenner (IDA), Prof. D.R.J. Owen (Swansea Univ., UK), Dr. Lean-Luc Lambia (AOL), Dr. Richard Hirsh (NSF), Dr. Horst Simon (NERSC)であった。

2) KISTI発足(韓国)
韓国では、System Engineering Research Institute(Science and Technology Information Distribution Center)、Korea Institute of Industry and Technology Information(KINITI)、Korea Research & Development Information Center(KORDIC)、Supercomputing Center (ETRI)などが合併して、Korea Institute of Science and Technology Information (KISTI)が組織された。元をたどると、1962年に設立されたKorea Science & Technology Information Center (KORSTIC)に遡る。Dr. Jysoo Leeは、2004年~2006年および2009年~2012年に所長を務めた。

次回は、世界の学界の動きと国際会議である。今でも使われるOSSのQuantum ESPRESSOの初版が公開された。量子コンピュータにより15=3×5 の因数分解ができたという快挙が報告され、実現に一歩近づいたと感じられた。

 

left-arrow   new50history-bottom   right-arrow