世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

7月 13, 2015

HPCの歩み50年(第47回)-1994年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

首都ワシントンで開催されたSC94は史上最大の参加者を集めた。TMCやKSRの不振にもかかわらず企業展示は盛況であった。日本電気のCMOSベクトルコンピュータSX-4も注目を集めていた。驚くべきことにアメリカではこの年Petaflops Computingを目指す会議が始まっている。当時最高速のコンピュータはNWTであったので、その10000倍速いコンピュータを夢見ていたわけである。

アメリカ政府の動き

1) NII

アメリカ政府の諮問会議NIIAC (The National Information Infrastructure Advisory Council)は1994年1月に30名で組織された。E. R. McCracken (SGI社長)とD. Lweis (National Public Radio社長)が共同議長を務めていた。4月29日に3つのメガプロジェクト(ワーキンググループのようなものらしい)を発表した。各委員はどれかのグループに所属する。

(1) Vision and Goals
長期的なビジョンに基づき、ゴールを具体化する。主査はV. K. Opperman委員(West Publishing社長)とJ. S. Patterson委員(ノースカロライナ州知事顧問)。
(2) Access to the NII
音声通信、ビデオ、コンピュータ技術を統合して電話を越える統一的なサービスを提供する。主査は、C. Fukunaga委員(ハワイ州州議会の上院議員)とB. C. Roberts委員(MCI Communications社長CEO)。
(3) Privacy, Security and Intellectual Property
NIIはアメリカ人の市民生活に広範な影響をもたらすことから、プライバシーとセキュリティを守るとともに、知的財産権への配慮が必要である。主査はJ. F. Cooke委員(Disney Channel社長)とE. Dyson委員(EDventure Holdings社長)。

 

2) 不正侵入

アメリカ政府がインターネットの利用を促進しようとしている最中、アメリカ政府の秘密情報を扱う複数のコンピュータがイギリスの16歳の少年に侵入され、数ヶ月にわたって情報が盗まれ、電子掲示板に掲出されていることが判明した。この少年は7月イギリス警察によって逮捕された。国防関係のコンピュータに一晩つなぎっぱなしにしていたので身元が割れてしまったという。アメリカ空軍関係者によると、北朝鮮に関する重要なファイルがアクセスされた形跡があった。同様なニュースはこの後も続く。

 

日米貿易摩擦

 

第45回で書いたように、1993年度の補正予算が10件のスーパーコンピュータ案件についたが、アメリカは本腰を入れてかかり、露骨な対日圧力を掛けて来た。1994年1月段階で9台のうち4台はアメリカ製を購入することが決まっていたが、これでも不十分であり、日本に対し経済制裁を発動する、と米政府関係者は述べている。この脅しが効いたのか、最終的に10件のうち6件7台はアメリカ製に決まった。青色で示す。

当時、Top500の1位のコンピュータNWTを所有していた航空宇宙技術研究所(NAL)は、IntelのParagon XP/S35(480プロセッサ)を1993年度の補正予算で導入し、1994年6月のTop500では25位にランクされた。

組織 ベンダ 機種 Rmax (GFlops)
工技院情報計算センター Cray Research Y-MP C916 13.7
オングストローム技術組合 TMC CM-5E/128 7.7
オングストローム技術組合 富士通 VPP500/30 32.9
生物資源研究所 DEC/MasPar MP-2216 1.6
通信総合研究所 富士通 VPP500/10 11.7
東北大金属材料研究所 日立 S3800/380 21.3
筑波大学学術情報処理センター 富士通 VPP500/30 32.9
理化学研究所 富士通 VPP500/28 30.8
航空宇宙技術研究所 Intel XP/S35 14.2
動力炉核燃料開発事業団 Cray Research T3D MCA 128-2 10.7
国立がんセンター IBM SP2/40 7.2
国立がんセンター DEC/MasPar MP-2216 1.6

 

オングストローム技術組合(正確には、技術研究組合オングストロームテクノロジ研究機構)のCM-5Eは富士通を通して、生資研のMP-2は三菱スペースソフトウェアを通して導入した。国立がんセンターに納入したSP2は、発表前のためSPNという特別仕様機として納入した(直後のTop500には載っていない)。同時に、日本IBMはMP-2も納入した。今回の入札ではアメリカ製並列機を含めたSI提案が目立った。オングストロームでは、落札には至らなかったものの、日本電気も日立も、自社マシンとアメリカ製並列機のSIで応札していた。また理化学研究所の案件に日立が、筑波大学の案件にキャノン販売が、それぞれアメリカ製スーパーコンピュータで応札していた。(日経コンピュータ1994年3月7日号)。なお、DECはMasParの代理店なのであろうか。

Cray Research社は4~5台を目標にしていたのに2台に終わり不満が残った。日本クレイの堀義和社長は、「現在の技術審査はメーカ側の提出書類をうのみにするのに近い。もっと厳格に審査できるよう第三者機関を設置すべきだ」と主張した。また入札前にはアメリカ政府関係者がヒアリングと称して日本の各研究機関を戸別訪問したといわれ、これに対する反発も強まっている。(日本経済新聞1994年1月26日号)

オングストロームのCM-5E/128の導入は、前年年導入のVPP500/32とあわせて実は筆者が技術審査委員長を務めたが、まさか直後に倒産するとは思わなかった。

1994年4月から、スーパーコンピュータの定義が300 MFlops以上から5 GFlops以上に変更された。

 

世界の政府の動き

 

1) イタリア(APE100)

イタリアの原子物理学研究所INFN (Istituto Nazionale di Fisica Nucleare)は、APE (1988)に続き、1989年から開発を始めたQCD専用並列コンピュータAPE100 (APE cento)を完成。2048個のノードを3次元トーラスに隣接接続したSIMDマシンで、ピーク性能は100 GFlopsであった。その後、APE1000 (APEmille)の開発に着手。

また、フランス・イタリアの航空機会社であるAlcatel Alenia Space社はAPEの商品版をQuadricsの名前で売り出した。といっても、この社は2005年に合併によってできたので、売り出したのはその前身であるAlenia Spazio社であろう。

2) 台湾

HPC Asiaの準備会議で2月に訪問した新竹(Hsin Chu)のNCHC (National Center for High-performance Computing國家高速網路與計算中心)は、このころIBM SP1を購入した。台湾で最初のスーパーコンピュータであった。6月のTop500では1.2 Gflopsでの365位であった。

3) タイ

タイの政府機関であるNECTEC (National E;lectronics and Computer Technology Center、1986年9月創立)は、タイ初のベクトルスーパーコンピュータCray EL98を導入した。すべての国の最初のスーパーコンピュータを知っているわけではないが、この話はたまたまKasetsat大学のPutchong Uthayopas准教授から聞いたものである。HPCwireでも報道されていた。

4) インド

CDACのPARAMシリーズについては前に述べたが、インドには他の並列コンピュータプロジェクトもある。Kahanerのレポートから紹介する

a) PARAM (CDAC, Center for Development of Advanced Computing, Pune and Bangalore)
b) ANUPAM (BARC, Bhabha Atomic Research Center, Bombay)
Intel i860を用いたノードを2次元メッシュに結合したMIMDアーキテクチャ。
c) MTPPS (BARC)
MTPPS (Multi-Transputer Parallel Processing System)はT800を用いたノード16個を結合したもので、2個のリンクで1次元ループに接続し、他の2つのリンクはクロスバーにつながり、再構成可能である。
d) PACE (ANURAG, Advanced Numerical Research Group, Hyderabad)
PACE (Oricessir for Aerodynamics Computationa and Evaluation)は4個のスーパークラスタをVMEリンクでFront-End Processroと結合したものである。各スーパークラスタは8個の演算用CPUと2個の通信用CPUを含みVMEバスで結合されている。CPUとしては、MC68030などを用いる。
e) CHIPPS (CDOT, Center for Development of Telematics, Bangalore、1984年創立)
Transputer T800ノードを16個、64個、192個結合し、SAMD (Single Algorithm Multiple Data)により同期なし(?)で動く。
f) FLOSOLVER (National Aerospace Laboratory, Bangalore)
流体力学計算用で、最新版はi860を用いている。

 

インドはCOCOM規制により、欧米や日本からのハイテク製品の輸入が規制されている。気象研究のためにCray X-MPが設置されているが、厳しい規制の下に置かれている。BangaloreのIndian Institute of ScienceはCrayのスーパーコンピュータを購入しようとしたが、交渉の末断念した。このため、自前の並列コンピュータを開発しようとしている。

 

世界の学界の動き

 

1) SC 94

第7回目のSC 94は、11月13日~18日にWashington Convention Centerで開かれた。参加者5822人、technical program登録者2067人であった。空前の参加者数であった。展示は122件。日本からの参加者もドンドン増えている。組織委員長はGary Johnson。テーマは、HPCよりコミュニケーションの方に重点が移った感があった。2年前から始まったK-12もますます大きくなり、13日(日)から始まっていた。高校の先生をたくさん集め、Hands-on Activitiesとして、インターネットに接続したPCを用意して、さまざまなテーマを体感させていた。

TMCやKSRの不振にもかかわらず、企業展示は盛況であった。とくに、Cray Computer CorporationがCray-4を展示した。今後、Cray-5、Cray-6と出していくと意気軒昂であった。

日本電気のCMOSのベクトルコンピュータSX-4も前週に発表され、注目を集めていた(後述)。IBMのSP2は初登場ながら、すでに200台も売れている(たぶんSP1と合わせて)とのことであった。Barton SmithのTera Computer社は、昨年に続いてMTA (Multi-threaded Architecture)を展示していた。

筆者の記憶にはないが、Avalon Computer Systems社は、Avalonというシステムを展示していた。DEC社のAlpha 21164 (300 MHz, 600 MFlops)をプロセッサとし、400 MB/sの高速スイッチで接続し、最大性能は1 TFlopsとのことである。翌1995年に売り出したが、軍用に売れたこと以外は不明である。1996年に発売したA12は2立方フィートで8 GFlopsを出したそうである。

結局、SX-4、nCUBE-3、Avalonの3つが最高性能として1 TFlopsを謳っていたようである。

ソフトでは、APRとPGIがHPFコンパイラで覇を競い合っていた。
研究展示にもますますリキがはいっていた。GRAPEや埼玉大など日本からもどんどん増えている。

基調講演に先立って、DOEのHasel O’Leary長官(女性)が立ち、NIIにおいてDOEがいかに重要な役割を演じているかを強調した。さすがワシントンである。基調講演はSGIのEdward McCrackenで、かれはNII諮問委員会の共同座長でもある。題して「NIIを現実のものにするには」。

Technical sessionでは、筆者の研究室の建部修見が、“ Efficient implementation of the multigrid preconditioned conjugate gradient method on distributed memory machines”という講演をおこなった。

会期中の11月16日(水)の13時より、 PERMEAN’95のProgram Committeeを近くのGrand Hyatt Hotelにおいて開いた。
HPFについては別項参照。

Gordon Bell賞は3件であるが、その一つに”Development and Achievement of NAL Numerical Wind Tunnel (NWT) for CFD Computations” by H. Miyoshi et al.がHonorable Mention(佳作)で入った。日本からは初めてであった。発表は福田正大。

今回、筆者は妹尾氏(日本電気)のお世話で会議前にRice大学CRPCを訪問し、いろいろ議論した。RiceではKennedyの指導の下、Fortran Dシステムが開発されており、開発環境が工夫されているのが印象的であった。

会議後、18日、College Park(メリーランド州)にあるアメリカ物理学協会の本部を訪問し、WG2の座長であるIrving Lerch教授と会見した。立派な自社ビルを持ち、アメリカ物理学会など傘下の多数の学会の本部が中に入っているのを見てびっくりした。

2) Petaflops Computing 会議

2月22~24日、PasadenaのDouble Tree Hotelにおいて、”The Workshop on Enabling technologies for Peta(FL)OPS Computing“が開かれた。60人以上が参加した。日本からの参加者があったかどうかは不明。筆者は2回目の1999年の会議には参加した。このワークショップの目的は、

a) PetaFLOPSの性能を要求するアプリにどのようなものがあり、どんな資源を要求するか
b) PetaFLOPSの実効性能を実現するための技術的な課題は何か
c) PetaFLOPSの計算能力を実現する技術は何か
d) キーとなる研究課題を確立すること。
e) 近未来に行うべき研究テーマを勧告すること

となっている。それまでに、アプリ、デバイス、アーキテクチャ、ソフトウェア技術などのワーキンググループが作られ、その活動報告がなされている。報告書は、日本語に翻訳されて、筑波書房から出版された。

注目すべきことは、当時世界最高性能のスーパーコンピュータは日本のNWTであり、性能は100 GFlopsレベルであったのに、それより4桁も高い性能を見据えて活動を始めていることである。その先見の明には敬服させられる。その後、ワーキンググループの活動がさらに行われた。

3) SUP’EUR 94

第6回 Sup’Eur 94 は、1994年10月2-5日にオランダ・アムステルダムの自由大学 (Vrije Universiteit) で開かれ、日本IBMのご厚意で出席した。Sup’Eur はいわばヨーロッパ版の IBM HPC Forum であり、これまで、Geneva (1989), Aachen (1990), Rome (1991), Umea (1992), Vienna (1993) と開かれてきている。今回は、SARA (the Dutch NationalSupercomputer Centre) が中心となって組織した。参加者は170人ほどであるが、大学・研究所関係者が多く、単なるIBMユーザ会というより、立派な国際会議の体裁である。オープンな会で、CrayやTMCの関係者も来ていた。

DongarraのScaLAPACKの話とか、いろいろなアプリの話などが面白かった。IBM社からの発表ではSP2の概略の説明もあった。筆者の報告を参照。

また、この会議でECCO Achievement Awardが発表された。ApplicationとParallel ToolsとStudentの3部門で、賞金各5000ドル。一番面白かったのはTools部門のThomas Brandes and Falk Zimmermann(GMD)のADAPTORというオープンなHPFコンパイラを自作した話であった。前にのべたように、Brandes氏を9月のHPFフォーラムに招待した。

4) HPC Asia準備

アメリカのSupercomputing会議、ヨーロッパのHPCN、日本のSupercomputing Japanなどの動きを受けて、アジア太平洋地区をベースとした国際会議が企画された。この会議は、Supercomputing 93 (Portland) において、David Kahaner によって企画され、会場でアジア太平洋の各国から2~3人ずつのボランティアが集まって相談を進めた。

1994年2月28日~3月1日には、台北の南西の工業学園都市である新竹(Hsin Chu)のNCHC (National Center for High-performance Computing國家高速網路與計算中心) において準備会を開き、アジア太平洋各国のHPCの現状を分析し会議の準備を進めた。当時は、NCHCの中文名に「網路(network)」は含まれていなかったと思う。このセンターは1988年から検討されていたが、前年1993年4月に正式発足しHPCサービスを提供し始めたばかりであった。

このころからこの準備会はInternational Steering Committeeと呼ばれるようになった。このとき、NCHCは会議の招致にきわめて積極的であった。その後、各国から開催提案を募ったところ、香港と台湾が名乗りを上げ、Email投票の結果台湾に決まった。その後、1994年9月29日~30日にシンガポールで開かれた HPC 94 Singapore において更に準備を進めた(筆者はこの会には行っていない)。

本会議は、翌年、1995年9月18-22日に台北の台北國際會議中心(TICC, Taipei International Convention Center) で開かれた。

5) ICS会議

ACMが主催するICS (International Conference on Supercomputing)の第8回目は、7月11~15日にイギリスのManchesterで開催された。ACMからプロシーディングスが発行されている。

6) Top500

1994年6月の3回目のTop500では、米国SNLのParagon XP/S140が143.4 GFlopsで日本のNWTを抜いてトップを奪還した。11月の4回目のTop500では、NWTが140プロセッサのままでチューニングにより170.0 GFlopsを達成し、トップを抜き返した。1996年6月に東大大型計算機センターのSR2201に抜かれるまで3回連続(2回目を入れれば総計4回)トップの位置を占めた。1996年11月のトップも筑波大学のCP-PACSなので、それまで8回のTop500のうち6回は日本のマシンがトップを占めたことになる。

標準化や企業の動きなどは次回以降に。第3世代として日本電気は少し遅れたがCMOSのSX-4を発表した。IBMはSP2を発表。

(タイトル画像 APE100の演算ノードを構成するMADチップ 出典:INFN APE100プロジェクトMediaWikiページ)

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