世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


8月 31, 2020

新HPCの歩み(第9回)-1951年-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

1951年度の文部省科学研究費により東京大学でのTACの開発が始まった。アメリカでは、陸軍傘下でEDVACが部分的に稼働し、ORDVACも運用を開始した。海軍傘下ではWhirlwindが作動した。UNESCOは、大型計算機による共同研究センターを設立することを計画し、このための条約会議が1951年11月パリで開催され、占領下の日本からも代表を出した。

社会の動き

1951年(昭和26年)の社会の動きとしては、1/3第1回NHK紅白歌合戦、1/6江華良民虐殺事件、1/17神戸洋服商殺人事件、1/24八海事件、2/9日本青年会議所設立、2/22気象庁、関東地方のこの日の春一番を(遡って)初認定、3/9三原山噴火、3/20日本コロムビア社が日本初のLPレコードを発売、3/21浅草米兵暴行事件、4/2岩倉具視五百円紙幣発行、4/11マッカーサーがGHQ最高司令官を罷免される、4/18パリにて、欧州石炭鉄鋼共同体設立条約が調印される、4/20『聖教新聞』創刊、4/24桜木町事故、5/17貞明皇后崩御、6/3社会主義インターナショナルが結成される、6/27ハリウッドの人気西部劇スターとの触れ込みでケニー・ダンカン(Kenne Duncan)来日、2ヶ月間滞在して大金を儲ける、6/30日本で覚せい剤取締法公布、7/31日本航空設立、9/8日本国との平和条約、日本国とアメリカ合衆国との安全保障条約締結、発効は1952年4月28日、9/10第12回ベネチア国際映画祭で「羅生門」が金獅子賞受賞、10/1後楽園アイスパレスが開場、10/14ルース台風が枕崎市に上陸、10/26イギリスでチャーチル保守党政権成立、10/28力道山デビュー、11/7(現)電力中央研究所発足、11/20京大天皇事件、12/1五十円札発行(高橋是清)、12/24リビアがイタリアから独立、など。この年、民間ラジオ放送局が続々開局。

話題語・流行語としては、「エントツ」「逆コース」「社用族」「上海帰りのリル」「ミネソタの卵売り」「雪山賛歌」「ノーコメント」。

ノーベル物理学賞は、加速器による原子核変換の研究に対し、Sir John Douglas CockcroftとErnest Thomas Sinton Waltonに授与された。化学賞は、超ウラン元素の発見に対し、Edwin Mattison McMillanとGlenn Theodore Seaborgに与えられた。生理学・医学賞は、黄熱病とその治療法に関する発見に対し、南アフリカ連邦のMax Theilerに授与された。

日本政府関係の動き

1) 文部省科学研究費「電気計算機の研究」
1951年度の文部省科学研究費(おそらく科学研究費交付金、1965年からは科学研究費補助金)による綜合研究「電気計算機の研究」が始まり山下英男(東京大学工学部)が班長になった。東京大学でのTACの開発が始まる。

2) 学術会議(計数装置特別委員会)
下に述べるUNESCOの条約会議に刺激され、学術会議に大山松次郎(東大)を委員長とする計数装置特別委員会が設置され、この分野の振興を図ることとなった。その一環として、翌1952年度において、文部省機関研究費1000万円が東京大学に与えられ、大型電子計算機TACの試作研究が始まることとなる。

日本の学界

1) 電気試験所(計算回路理論)
前に述べたように、通産省電気試験所の駒宮安男は、恩師後藤以紀による論理関数方程式の解法理論を、二進加算回路、十進・二進変換回路などの設計に応用し、電気試験所研究報告No. 526に「電気計算回路理論」として取りまとめた。これがリレー式計算機ETL Mark Iに応用された。

2) 科学研究所(サイクロトロン)
1951年12月、科学研究所(1948年発足、財団法人理化学研究所の後継、1958年からは特殊法人理化学研究所)がサイクロトロンの再建に着手した。

3) 電力中央研究所
1951年11月7日、9電力会社と電気事業再編成審議会は、解体した日本発送電の研究部門を元に、財団法人電力技術研究所を設立した。1952年、経済研究部門(現在の社会経済研究所)を設置し、電力中央研究所に改称する。

日本企業

1) 富士通信機製造(山下式統計分類集計機)
東京都庁統計課で、戦災で焼失したIBMパンチカード統計機の代わりに、山下英男(東京大学)らが開発して(山下式)統計分類集計機を設置することになり、これが富士通信機(通称「富士通」)に発注され、1951年2月(一説に5月)に納入された。

アメリカ政府の動き

1) 陸軍 (EDVAC, ORDVAC)
ENIACを開発したJohn William MauchlyとJohn Presper Eckertらは、後継機EDVAC (Electronic Discrete Variable Automatic Computer)を開発した。ENIACと異なり、二進法を使用し、プログラム内蔵方式である。開発契約は1946年4月に結ばれたが、1949年8月にアメリカ陸軍Aberdeen Proving GroundのBallistic Research Laboratoryに運び込まれ、1951年に部分的に稼働した。1951年10月が完成とされている。6000本の真空管と12000個のダイオードを使用している。記憶装置は水銀遅延管を64本使用し、容量は1000Wであった。開発の遅れのため、実用的に稼働した最初のプログラム内蔵方式コンピュータにはなれなかった。

Illinois大学の J.P.ナッシュらは、Ballistic Research Laboratoryでの弾道計算のためにORDVACを開発し、1951年春に運用を開始した。2178本の真空管を使用。ノイマン・アーキテクチャに基づいている。EDVACとの関係は不明である。

2) 海軍 (Whirlwind)
第二次世界大戦中に、アメリカ海軍はフライトシミュレータを制御するコンピュータをMITサーボ機構研究室に打診し、開発可能との結論を得て、Project Whirlwind(意味は「旋風」)の名前で資金提供を決定した。紆余曲折を経て、1947年、16ビット並列の高速なプログラム内蔵コンピュータの設計を完了した。Whirlwindは1951年4月20日に作動した。このころ海軍は興味を失い、空軍がSAGE (Semi-Automatic Ground Environment)のために利用した。

ソヴィエト連邦の動き

1) MESM
ソヴィエト連邦のKiev近郊(現ウクライナ)にあるthe Kiev Institute of Electrotechnologyにおいて、1948年ごろからSergei Alekseyevich Lebedevの指導のもとで真空管式コンピュータMESM(МЭСМ, Малая Электронно-Счетная Машина)(小型電子計算装置)を開発していたが、1950年末に動き初め、1951年から運用を開始した。6000本の真空管を使用し、25 kWの電力を消費した。

世界の学界

1) UNESCO (共同研究センター)
UNESCOは、国際協力研究機関として大型計算機による共同研究センターを設立することを計画し、このための条約会議が1951年11月パリで開催されることとなった。当時、大型計算機は世界で共同利用するものと考えられていた。今で言えば、高エネルギー加速器かITERか宇宙ステーションといった感じであろう。サンフランシスコ講和条約が発効したのは1952年4月28日であるから、日本はまだ占領下であったが、日本にも招請があった。日本からは、政府代表荻原徴(外務省)と、顧問として山下英男(東京大学)が派遣された。

会議の結果、ローマに国際計数センター(ICC)を設置することが決まり、山下は日本を代表してその理事に任命された。この動きに刺激されて、学術会議に大山松次郎(東大)を委員長とする計数装置特別委員会が設けられ、日本でもこの分野の振興を図ることになった。

日本は、翌1952年に真っ先にこの条約を批准したが、条約の発効には10か国の批准が必要であり、批准書はなかなか集まらなかった。

2) Institute for Advanced Study (IAS Machine)
ニュージャージー州PrincetonのIAS (Institute for Advanced Study)では、1945年から真空管によるプログラム内蔵型コンピュータIASの開発が始まっていたが、1951年夏に部分稼働し、1952年7月15日に完全稼働した。

IAS Machineは二進で、1語40ビットである。命令は20ビット長。メモリはWilliams管で1024語であった。負数は2の補数表示である。メモリとしてRCA Selectron vacuum tubeを使おうと計画していたが、開発に問題があり、Williams管に変更した。

3) EDSACに関する著書
Cambridge大学のMaurice Vincent Wilkesは、David WheelerおよびStanley Gillと共著で、1951年“The Preparation of Programs for an Electronic Digital Computer”をAddison-Wesley, Cambridgeから出版した。これは、EDSACで開発したプログラムのリストを網羅した世界最初のプログラミングの解説書であった。

アメリカの企業

1) Remington Rand社(UNIVAC I, UNIVAC 1101)
1951年、同社UNIVAC部門は、初めてのメインフレームコンピュータUNIVAC Iを発売した。翌年のアメリカ大統領選挙の開票予測に使われた。主記憶は水銀遅延線、回路素子は真空管であった。入出力には磁気テープ装置を使用した。政府機関や企業に46台が設置された。最初に、商業的に成功を収めたコンピュータとなった。

UNIVAC 1101は、アメリカ海軍のOBが1946年1月に設立したERA (Engineering Research Associates) 社が設計し、Remington Rand社が製造したシステムで、ERA 1101ともよばれる。当初、アメリカ海軍艦船局(実際にはNSA)向けに Atlas の名で設計され、1950年12月と1953年3月に納入した。商用版のERA 1101は1951年12月に発表された。2700本の真空管と磁気ドラムを使用している。Remington Rand社は、1952年にERA社を買収し、UNIVAC部門に加えた。NSAの2台のマシンは、1956年ごろには主記憶を磁気コア(磁心)メモリに変更しており、1954年1月に3台目を寄贈されたGeorgia工科大学も、1958年11月に磁気コアメモリに変更した。

世界の企業

1) Ferranti社 (Mark 1)
Ferranti International plcは、1885年創業のイギリスの会社であるが、1949年にイギリスのManchester Victoria大学で製作されたManchester Mark IをベースにFerranti Mark 1を開発した。世界初の商用汎用電子式コンピュータである。一号機を1951年2月にManchester大学に納入したが、UNIVAC Iの一号機より1か月早い。

2) イギリスIBM社

BTM社 (British Tabulating Machine、1902年創業)は、1904年以来アメリカのTabulating Machine社(TMC)のパンチカードシステムの製造販売権をもっていたが、1951年、BTM社との関係を清算してイギリスIBM社 (IBM United Kingdom Ltd.)を設立した。

3) BTM社 (HEC 1)
BTM社は、真空管式コンピュータHEC (Hollerith Electronic Computer)を開発した。最初のHEC 1は1951年に作られた。その後、HEC 2, 2M, 4などのモデルを製造し、合計100台を超える。これらは2 KBのドラムメモリと1000個の真空管で作られ、パンチカードを入出力に使うことができる。

1959年、Powers-Samas社との合併によりICT社となったが、HEC 4をベースにICT 1201シリーズが作られた。

企業の創立

1) 日本NCR
1951年1月、日本エヌ・シー・アール(日本NCR)が設立された。

次は1952年である。通産省電気試験所ではリレー式計算機ETL Mark Iが完成する。

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