新HPCの歩み(第8回)-1950年-
1950年、大阪大学の城憲三らはENIAC型演算装置を真空管で試作した。日本ワットソン統計会計機械株式会社は、C. M. Deckerが社長に就任し、日本インターナショナル・ビジネス・マシーンズ社に改称した。アメリカではRemington Rand社がEckert-Mauchly社を買収し、Texas Instruments社は世界初のSilicon型トランジスタを製品化した。 |
これまで7回にわたって1950年前後までの日本を含む世界のコンピュータの歩みを記しました。これからは以前の『HPCの歩み50年』と同じく年ごとに記します。本シリーズでは同時性を重視し、いろいろな歩みを年ごとに横断的に記述するスタイルを取ります。特定の企業、製品、プロジェクト等の時間的な歩みを調べることは比較的容易ですが、時間的に並べて記述することで見えてくることも多いからです。もちろん必要に応じて、前後の年にまたがる時間的な流れも書くこともあります。技術の詳細については詳しくは触れないことにします。いくらでも調べる方法がありますし、筆者の理解の限界もあります。日本では会計年度や学年の4月から翌年3月の単位が自然ですが、外国の記述もあるので、暦年(1月から12月)を基本とします。
各年においては、おおむね以下の順番に記述する予定です。もちろん特記すべきことがあれば、適宜見出しに加えることにします。
・社会の動き ・日本政府関係の動き ・日本の大学センター等 ・日本の学界 ・国内会議 ・日本企業 ・標準化関係 ・性能評価 ・アメリカ政府の動き ・その他の政府の動き ・世界の学界 ・国際会議 ・アメリカの企業 ・世界の企業 ・企業の創業 ・企業の終焉 |
社会の動きには日本だけでなく世界の動きも入れましたが、話題語・流行語は日本に限っています。またノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞を付記しました。計算科学そのものに対して授与されたのは密度汎関数法のWalter KohnやGaussianのJohn Anthony Popleなど多くはありませんが、その後の計算科学の発展に関係するものは意外に多いからです。
「日本の大学センター等」には、後に大学共同利用研となった研究所なども含めました。
前のシリーズでは、「ベンチャー企業の創業・終焉」という見出しがありましたが、今回は単に「企業の創業・終焉」としました。たしかに企業の創業時は「ベンチャー」ですが、Cray社のように、吸収されるときには大企業のこともあるからです。また今回、日本についても世界についても、「政府の動き」と「学界」と「会議」とを分けましたが、その境目は明確ではありません。プロジェクトでは、政府主導のトップダウンのプロジェクトなのか、学界主導のボトムアップのプロジェクトなのかで「政府の疎き」と「学界」に区別しています。プロジェクトの開催する公開の会合でも、プロジェクトの成果発表の性格の強いものは「政府の動き」または「学界」に、関係分野の一般的な情報提供に近いものは「会議」としました。でも境界はグレイですし、年とともに変化することもあります。
また、プログラミング言語やミドルウェアは、標準化の議論の前でも、「標準化関係」のところに記しました。
歴史の部分では敬称を原則省略しましたが、受賞、訃報、個人的事件などでは付けることもあります。多くの場合出典は記しませんが、主要な資料は下記のとおりです。
- 情報処理学会「コンピュータ博物館」http://museum.ipsj.or.jp/
- HPCwire(電子ニュース、1993年以降)http://www.hpcwire.com/
- 『情報処理産業年表』日本アイ・ビー・エム社が1988年10月、創立50周年を記念して編集した。https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=5820にデジタル版がある。
- Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Main_Page (含日本語版)
- 坂本和一『コンピュータ産業史』(「立命館経済学」第40巻)
- 各社、各機関などのweb page
- 各種新聞・雑誌等の紙面や電子版
コンピュータ(電子式計算機)の誕生からの初期の歩みについては情報処理学会が編集した下記の資料が参考になりました。初期の苦労話は涙なしには読めません。
「日本のコンピュータの歴史」(情報処理学会歴史特別委員会編)オーム社1985年
「日本のコンピュータ発達史」(情報処理学会歴史特別委員会編)オーム社1998年
「日本のコンピュータ史」(情報処理学会歴史特別委員会編)オーム社2010年
高橋秀俊の論文、Hidetosi Takahasi, “Some Important Computers of Japanese Design,”Annals of the History of Computing Vol.2, No. 4 (October 1980)も参考にしました。
また1950年代については、以下の文献も参照しました。
「コンピュータ開発史概要と資料保存状況-第3世代・第3.5世代コンピュータおよびスーパーコンピュータについて-」山田昭彦、国立科学博物館技術の系統化調査報告 第2集 2003年3月
「日本のコンピュータメーカと7人の小人(1)(2)」高橋茂、『情報処理』44巻8号9号(2003)
企業の製品の日付には苦労しました。筆者としては、実際に出荷(ship, deliver)された日、または設置(install)された日、または稼働(operate)した日を知りたいのですが、企業は発表(announce)の日だけしか記さないことが多いようです。英語では、“introduced” “released”“launched” などというあいまいな表現がよく使われており、解釈に苦労しました。また「稼働」についても、「どうにか動いた」から「安定に動作した」「検収に合格した」「正式にサービスを開始した」まで異なる意味に使われていることがあります。あいまいなこともあり、ご容赦をお願いいたします。
社会の動き
1950年(昭和25年)の社会の動きとしては、1/6スターリンの指導するコミンフォルムが、日本共産党の平和革命論を批判、1/7聖徳太子像の千円紙幣発行開始、2/9米国のMcCarthy上院議員が、政府内の共産主義者のリストを持っていると発言(アメリカにおける赤狩りの始まり)、2/18第1回さっぽろ雪まつり、3/3田中耕太郎、第2代最高裁長官に就任、4/1寿屋(後のサントリー)が「サントリーオールド」を発売、4/13熱海大火、4/19鉱工品貿易公団横領事件、4/22山本富士子が第1回ミス日本に、5/3吉田茂首相が南原繁東大総長を「曲学阿世の徒」と批判、5/22琉球大学開学(米軍治政下)、6/6 GHQが共産党関係者を公職追放(日本におけるレッド・パージの始まり)、6/17 Julius Rosenbergがスパイ容疑で逮捕される、6/25朝鮮戦争勃発、北朝鮮が38度線を越えて韓国に侵略、6/28ソウルが陥落、7/2金閣寺、放火により焼失、7/8チャタレー事件、7/11総評が結成、8/10警察予備隊が発足、8/11 Juliusの妻Ethel Rosenbergも逮捕、8/26映画『羅生門』公開、9/3ジェーン台風、徳島県に上陸、9/15朝鮮戦争、仁川上陸作戦、9/22日大ギャング事件、10/2米国で漫画Peanuts連載開始、10/7マザー・テレサ、神の愛の宣教会設立、10/20朝鮮戦争、連合軍が平壌を占領、12/7池田勇人蔵相が「貧乏人は麦を食え」と発言、など。
流行語・話題語は、「オー・ミステーク」「つまみぐい事件」「きいちのぬり絵」「イヨマンテの夜」「朝鮮特需」「糸へん景気」など。
この年のノーベル物理学賞は、原子核崩壊過程の研究および中間子の発見に対し、イギリスのCecil F. Powellに授与された。化学賞は、ディールス・アルダー反応の発見とその応用に対しOtto Paul Hermann DielsとKurt Alderに授与された。生理学・医学賞は、副腎皮質ホルモンの研究に対しEdward Calvin Kendall、Tadeusz Reichstein、Philip Showalter Henchの3名に与えられた。文学賞は、人道的理想や思想の自由を尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰してBertrand Russellに授与された。
私事であるが、この年の4月、住んでいた静岡県富士郡元吉原村(現富士市)で元吉原小学校の1年生となった。朝な夕なに富士の高嶺を眺めながら国道1号を下駄で歩いて通学した(現在はバイパスが1号と呼ばれている)。まだ「木炭バス」が走っていた。東海道線で移動するアメリカ兵に手を振って、チョコレートを投げてもらった子がいたとか。今から思うと、この小学校の場所は葛飾北斎の描いた富嶽三十六景の31番「駿州大野新田」のすぐ近くであった。
日本政府関係の動き
1) 電気通信研究所
1948年に発足した逓信省電気通信研究所では、1950年、ゲルマニウム点接触トランジスタの試作に成功した。
日本の学界
1) 大阪大学(真空管演算装置)
大阪大学の城憲三らは1950年にENIAC型演算装置を真空管で試作した。4桁の十進方式演算装置で、2桁+2桁の加減算を行うことに成功した。このあと城憲三は牧之内三郎、安井裕とともにEDSACの命令体系に基づく本格的な二進法真空管計算機の開発に着手した。完成直前に国産商用計算機の導入が決まり、実現はならなかった。
日本企業
1) 東京芝浦電気(TAC)
東京芝浦電気(通称「東芝」、1984年4月からは正式に東芝)は、1948年頃から三田繁らにより電子計算機の研究に着手した。TACは、1951年ごろから、同社のプロジェクトとして始まっており、山下英男(東京大学)を班長に文部省科学研究費による電子計算機研究班が発足し、1952年に文部省に申請して1011万円という当時として巨額の費用が認められた。
2) 日本IBM社
日本ワットソン統計会計機械株式会社は、1950年、アメリカ人のC. M. Deckerが社長に就任し、日本インターナショナル・ビジネス・マシーンズ社に改称した。椎名武雄氏の回想録(朝日新聞2015年7月20日)によると、同社は1950年代半ばまで、パンチカードシステムの国産化に努力していたとのことである。
ヨーロッパの政府の動き
1) スウェーデン(BARK)
スウェーデンの計算機委員会は、40万クローナを投じて、BARK (スウェーデン語: Binär Aritmetisk Relä-Kalkylator二進数リレー計算機)を1950年2月に完成した。電気機械式で、リレー5000個を用い、1語32ビットである。1950年4月28日から1954年9月22日まで使用された。
アメリカの企業
1) Remington Rand社 (UNIVAC I)
ENIACを開発したJohn William MauchlyとJohn Presper Eckertは、Eckert-Mauchly Computer Corporationを設立し、コンピュータの開発を開始したが、資金不足に陥った。1950年、Remington Rand社がこれを買収して、真空管式のUNIVAC Iを1950年に完成し、1951年に発売した。名前はUNIVersal Automatic Computerに由来する。一号機は米国勢調査局に1951年3月に設置(一説には6月納入)された。最終的には47台販売された。
2) Texas Instruments社
1930年にテキサス州において設立されたGeophysical Service Inc.は、1950年、世界初のSilicon型トランジスタを製品化した。1951年に、Texas Instrumentsと社名を変える。
3) BBN Technology社
MIT教授であったRichard BoldとLeo Beranekとは、1948年10月15日にBolt and Beranek社を創立したが、1950年、教え子だったRobert Newmanも加わり、社名をBBN (Bolt, Beranek and Newman)に改名した。もともと音響コンサルティング会社であったが、ARPANET関連でコンピュータ技術に進出した。例えば、異なるコンピュータへの電子メール(@マークの導入)(1971)、IP router(1969)、VoIP(1979~1981)、TCP Protocol(1974)などの開発し、TSSの開発(PDP-1を4ユーザで利用、1960)、並列処理関係ではPluribusの開発(1972年~)、BBN Butteflyの開発などである。インターネット分野等を中心に多くの著名人を輩出した。
1951年は文部省科学研究費により東京大学でのTACの開発が始まる。
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