新HPCの歩み(第82回)-1987年(a)-
日本は第2世代のベクトルスーパーコンピュータの時代に入りつつあり、まず日立はS-820を発表した。またこの年、日本において、私企業で多機種のスーパーコンピュータを集めたセンターが2つも稼働を始めた。筆者としての大事件は、科研費特別推進のQCDPAXプロジェクトが採択されたことである。筑波大のご近所の電総研では、データ駆動コンピュータSIGMA-1が製作された。 |
社会の動き
1987年(昭和62年)の社会の動きとしては、1/1天安門広場で学生数百人がデモ、1/16中国の胡耀邦総書記が失脚、1/17日本初の女性AIDS患者確認、2/4中曽根内閣は売上税の導入を柱にした関連法案を国会提出(5/27廃案)、2/4国鉄は有人のリニアモーターカーで400 km/hを記録、2/21日米半導体摩擦、2/22ルーブル合意、2/23小柴昌俊ら、カミオカンデで超新星ニュートリノを観測、2/26旧富岡製糸場操業停止、115年の幕を閉じる、3/9日本移動通信(IDO)設立、3/17「アサヒスーパードライ」発売、3/30安田火災海上、ゴッホの「ひまわり」を落札、3/31誘拐された若王子信行三井物産マニラ支店長が解放される、4/1国鉄分割民営化、4/? NTTは携帯電話1号機であるTZ-802B型を発売(900g)、4/30警視庁、東芝機械の家宅捜索(ココム違反事件)、5/3朝日新聞阪神支局襲撃、5/8俵万智『サラダ記念日』出版、5/10帝銀事件の平沢貞通死刑囚が死亡、5/13国電の新愛称を「E電」と発表、普及せず、5/28西ドイツの青年が、セスナでモスクワの赤の広場に着陸、6/8-10第13回サミット(Venezia)、6/11マドンナ来日(14日初公演)、6/29ソ連、国家企業法決定、7/14単一欧州議定書が発効、7/1東京都の1年間の地価が85.7%上昇(地価の異常高騰)、7/4竹下登新派閥「経世会」を結成、7/?「オウム神仙の会」が「オウム真理教」と改称、7/15台湾で1949年来の戒厳令解除、7/17石原裕次郎死去、7/23猛暑で東京首都圏大停電、7/29ロッキード事件で田中角栄二審、公訴棄却、8/3比叡山世界宗教サミット、8/17ルドルフ・ヘスが刑務所で自殺、9/2日本で債券相場暴落、9/4第二電電が営業開始、9/22昭和天皇、腸を手術、10/12利根川進教授がノーベル生理学・医学賞受賞と発表、10/19 NY株式大暴落、暗黒の月曜日(Black Monday)、10/20中曽根首相、次期自民党総裁に竹下昇を指名、11/6竹下内閣発足、11/18日本航空、完全民営化、11/18ロンドン地下鉄のKing’s Cross St. Pancras stationで火災事故、11/29大韓航空機事件(蜂谷真由美)、11/30研究学園都市を構成する3町1村が合併してつくば市誕生、12/7ゴルバチョフ訪米、12/8レーガン米大統領とゴルバチョフ書記長、中距離核戦力全廃条約に調印、12/15蜂谷真由美こと金賢姫をソウルに移送、12/16韓国大統領選挙で盧泰愚が当選、12/17千葉県東方沖地震(M6.7)、など。この年、銀座4丁目の土地公示価格が坪当たり約1億円となった。
流行語・話題語としては、「朝シャン」「花金」「マルサ」「第二電電」「サラダ記念日」「バブル」「ワンレン」「ボディコン」など。
チューリング賞は、コンパイラの開発と理論、大規模システムのアーキテクチャ、RISCの開発における多大なる貢献に対してJohn Cocke(IBM)に授与された。なお、1971年に第6回チューリング賞を受賞したJohn McCarthy (Stanford University)の受賞記念講演が、16年後の1987年12月号CACMに掲載された。
エッカート・モークリー賞は、IBM社およびAmdahl社でメインフレームの設計に貢献したGene Amdahlに授与された。
この年のノーベル物理学賞は、1986年ごろ騒がれたセラミックスの高温超伝導体の発見に対し、J. Georg BednorzとKarl Alexander Müllerに授与された。化学賞は、クラウン化合物の開発と応用により、Donald James Cram、Jean-Marie Lehn、Charles John Pedersenの3名に授与された。また、生理学・医学賞は、抗体の多様性に関する遺伝的原理の発見に対し、利根川進に授与された。
東京大学の小柴昌俊教授は3月末で定年(当時は60歳)退官し、4月初めにシンポジウムとパーティがあったが、「先生、定年直前に(超新星)ニュートリノを見つけるなんて、ずいぶん運がいいですね。」とからかったら、「テメー、『悪運』がツエーって言いテーんだろう!」と一喝された。大先生方もスピーチで、「小柴先生が定年になったくらいで、こんな発見があるなんて、もしお亡くなりになったらどんな大事件が起こるか?」などと軽口をたたいていた。ノーベル賞は2002年、亡くなられたのは2020年11月12日。今のところ大事件は起こっていない。
HPCとは関係ないが、筆者は筑波大学現代語・現代文化学系の増成隆士助教授(当時)らとともに、サントリー文化財団の研究助成を受けて、3人で「思想のイメージ化」というプロジェクトを始めた。もう一人の共同研究者は建築家のS氏。増成助教授は『思考の死角を視る』(勁草書房)により1983年にサントリー学芸賞思想・歴史部門を受賞しており、その延長で、言語でなくイメージで思想や論理を表現できないかという無謀な試みを行った。2年間助成を受けた。
日本政府関係の動き
1) つくば市誕生
1987年11月30日に、筑波研究学園都市を構成する筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併し、人口約11万人のつくば市が誕生した。この地域の一部の市外局番は029857とか02986とか長かったが、4桁の0298(オーツクバ)に統一された(時期は要確認)。2003年1月11日からは029の3桁化。翌1988年1月31日、筑波郡筑波町を編入する。2002年には稲敷郡茎崎町を編入し、当初の計画が完了する。
2) 電子技術総合研究所(SIGMA-1)
電子技術総合研究所(現在の産業技術総合研究所の前身の一つ)では、例のスーパーコン大プロ(1981年発足)の計画の一つとしてデータ駆動コンピュータSIGMA-1を製作した。前に述べたように、1984年にプロトタイプを製作し、稼働を確認したのち、LSI化して128プロセッサの本システムを製作した。ハードウェアは中央電子が担当した。データ駆動に基づくDataflow-Cという言語も開発した。写真は情報処理学会コンピュータ博物館から。もちろん筆者も実物を見ている。
また、工業技術院情報計算センター(つくば市)はCray X-MPを導入したが、詳しくは後述の日米貿易摩擦のところで。
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SIGMA-1 |
3) 第五世代コンピュータプロジェクト
1985年に公表された個人用逐次推論マシンPSIを複数台相互接続した「並列推論マシンPIM (Parallel Inference Machine)」が1987年構築され、プロジェクトはさらに5年分の予算が与えられた。言語としてGHC (Guarded Horn Cluses)に基づいたKL1が開発され、OSはPIMOSと名付けられた。
4) 情報処理技術者試験(CASL)
1969年に始まった情報処理技術者試験では、これまでCAP-Xというアセンブリ言語が使われてきたが、1987年4月からCASLに変更された。
5) 学術情報ネットワーク
1986年4月に東京大学文献情報センターから改組発足した学術情報センターは、1987年1月、学術情報ネットワーク(NACSIS-NET)パケット交換網の運用を開始した。1989年1月には米国NSFと、1990年2月には英国(BL、英国図書館)との国際接続。この段階ではメール交換や遠隔接続が中心でIP (Internet Protocol)ではない。
6) 気象庁(S-810/20)
気象庁は、1987年11月、S-810/20(主記憶64 MB、拡張記憶 512 MB)を設置した。フロントエンドはM680H。
日本の大学センター等
1) 北海道大学(HITAC M-682H+S-810/10)
北海道大学大型計算機センターは、1987年10月、メインフレームをアップグレードし、HITAC M-682H+S-810/10(主記憶 256 MB)の構成とした。
2) 東京大学(S-820/80)
東京大学大型計算機センターのS-810は1987年12月24日にシャットダウンし、1988年1月からはS-820/80 (512 MB、拡張記憶 6 GB)が稼動する。
3) 名古屋大学(VP-200+M-780/20)
名古屋大学大型計算機センターは、1987年1月、初めてのベクトルコンピュータFACOM VP-100を導入した。メモリは64 MBである。1987年11月にはFACOM VP-200に更新した。メモリは256 MBであった。1987年8月には、メインフレームM-780/20を導入した。CPUは2個、メモリは192MBである。
4) 京都大学(VP-400E)
京都大学大型計算機センターは、1987年11月、FACOM VP-400E (1 CPU, 256 MB, 1.7 GFlops)を導入した。VP-200と合わせてスーパーコンピュータは2台となった。メインフレームとしては、M-380をFACOM M-780/10 (1 CPU, 64 MB, 53 MIPS)に更新した。
5) 九州大学(M-780/20+VP-200)
九州大学大型計算機センターは、1987年8月にシステム増強を行い、メインフレームではM-382がM-780/20に、ベクトル計算機はVP-100 からVP-200に変更された。1987年10月にはUNIXのサービスを開始した。
6) 東京工業大学(ETA 10)
東京工業大学は、1987年9月22日、日本の国公立機関では初めてETA 10の導入を決めた。詳細は後述の日米貿易摩擦のところで。
7) 千葉大学
1987年5月、千葉大学情報処理センターは、千葉大学総合情報処理センターに改組された。
8) 三重大学
1987年8月、計算センターを発展的に解消し、三重大学情報処理センターを設置し、FACOM M760/6システムの導入を決めた。12月に情報処理センターの建物が竣工した。1988年2月正式稼働。
9) 奈良女子大学
1987年9月、奈良女子大学情報処理センターが発足。12月にFACOM M760/6を導入。
10) 岡山大学(SX-1E)
岡山大学総合情報処理センターは、1987年3月、SX-1E (128 MB)を設置した。フロントエンドはACOS-1000である。サービス開始は6月。
11) 島根大学
1987年11月、情報処理センターを設置した。
12) 青山学院大学
1987年11月、情報科学研究センターから事務システム部門を分離した。
13) 大阪大学蛋白工学研究所(VP-200)
同研究所は、1987年、VP-200を設置した。
14) 高エネルギー物理学研究所(S-810/10+M-280H+M-680H)
高エネルギー物理学研究所の中央計算機(共通計算機)では、M-280DをM-680Hに更新し、全体として、M-280H (16 MB) + M-680H (96 MB) + S-810 (128 MB)という構成になった。
特別推進の採択
筑波大学を中心に計画していた科研費特別推進のQCDPAXプロジェクトがついに採択された。詳細は、「超並列計算機CP-PACS 1992-2005」の中の岩崎洋一氏の記事に詳しい。
1) ヒアリング
岩崎氏の記憶によると、前年の大喧嘩となったヒアリングの後、つくばへの帰路で3人は押し黙って山手線のつり革にぶら下がっていたが、突如、星野氏が口を開き、「岩崎さんがリーダーをやってくれなければ自分は降りる」と言い出した。岩崎氏は一週間苦慮した末、一大決心で研究代表者となり、提案を一か月かけて練り直した。表題も「格子ゲージ理論によるハドロンの質量及びクォーク・グルーオン相構造の解明」と物理に重点を置くよう変更した。分担者は、星野力、筆者、白川友紀、川合敏雄である(後に金谷和至、吉江友照が参加)。ヒアリングには前回と同様3人で臨んだ。長倉三郎委員は居られなかったが、厳しい質問が続いた。
Q:格子ゲージ理論の計算は外国でもやっているが、ユニークな点は何か?
Q:物理とコンピュータとどちらに重点があるか?[来た!!]
Q:2億円は材料費だけのようだが、手間賃は要らないのか?
Q:このLSIのオリジナリティーは?
Q:今のスーパーコンピュータではなぜ不足なのか?
Q:タイトルは物理なのに、予算はコンピュータが主になっている。
Q:サンマイクロ社のWSは国産か外国製か?(西澤先生)
Q:CMOSは遅くないか?
Q:世界に先駆けて何をやるか?
それぞれちゃんと答えたつもりである。
2) 採択
7月28日付けで交付決定の通知が来た。全体では49件の申請から12課題が採択され、交付金の総額は25.6億円であった。我々の3年間の予算は2.78億円(当初)である。この年度に採択された特別推進の課題は以下の通り(日経産業新聞7月30日付他)。ビッグネームが並んでいる。
研究代表者 |
年数 |
テーマ |
田中昭二(東大教授) |
3年 |
高温超電導体の研究 |
岩崎洋一(筑波大教授) |
3年 |
格子ゲージ理論によるハドロンの質量及びクォーク・グルーオン相構造の解明 |
佐々木承平(京大助教授) |
5年 |
落款印章、技法分析による日本絵画史研究方法の確立 |
田中英彦(東大助教授) |
4年 |
大規模知識処理システムの研究 |
伊藤憲昭(名大教授) |
5年 |
固体における電子励起誘起原子過程の研究 |
野依良治(名大教授) |
4年 |
新有機化学反応の開拓と生理活性物質の化学合成 |
又賀曻[昇](阪大教授) |
3年 |
光誘起電子移動及び関連現象のダイナミックスとメカニズム |
廣川信隆(東大教授) |
5年 |
細胞骨格の分子構築と機能〜細胞生物学及び分子生物学的研究 |
上代淑人(東大教授) |
3年 |
シグナル伝達に関与するGTP結合たんぱく質の構造と機能 |
志村令郎(京大教授) |
4年 |
遺伝子発現におけるRNAスプライシングの分子生物学的研究 |
中西重忠(京大教授) |
4年 |
血管作動性ペプチドとその受容体の分子生物学的研究 |
五十嵐正夫(群馬大教授) |
4年 |
生理活性ペプチドの多角的かつ系統的検索とそれが作動する未知の生体機序の解明 |
3) QCDPAXの開発
この規模になると、手作りというわけにはいかず企業の協力を得る必要がある。多くのコンピュータ企業に協力を依頼したがすべて断られた。S810等でいろいろご縁のあった日立製作所にも声をかけたが、幹部を中心とした一団がわざわざ筑波大学まで来訪され、丁重なお断りのご挨拶をいただいた(皆「断るなら電話一本でいいのに」と思った)。その背後には、1982年のところに書いたように、中央研究所でスーパーコンピュータ開発の司令塔役を務めていた村田健郎の否定的見通しがあったと思われる。当時、日本の三社では、ベクトルスーパーコンピュータの開発が佳境に入り、アメリカを脅かし始めていたところであった。当時のメインフレーマとしては、CMOSなどというバラツキが大きく不安定で遅い素子は使う気が起こらなかったのであろう。1980年代にアメリカなどでは、CMOSプロセッサの超並列機ベンチャーが雨後の筍のように生まれていたが、日本の主流はこれらを児戯に等しいものと見ていた。最後にアンリツ社が社運を賭けて製作に協力してくださることになった。
4) アーキテクチャ
CPUはMC68020である。FPUは前年の試験研究で用いたAm29325を最初考えていたが、L64133(LSI Logic社)を採用した。通常のコプロセッサとしてMC68881も欲しかったが予算的にあきらめた。ボードにはコプロセッサのソケット用の場所が残っている。メモリは高速だが小容量のSRAM(2 MB)と、容量は大きいが低速のDRAM(4 MB)とからなる。プログラムでそれぞれ割り付けるが、高速な演算はSRAMを使う。
L64133は、いわゆるDSP (Digital Signal Processor) で、これを制御するコントローラFPUC (FPU Controller) をLSI Logic社のゲートアレイで自作することにした。白川氏はL64133にクロック毎にデータを供給するDMAを設計した。これでソフトウェア・パイプライニングによる一種のベクトル演算が可能になった。筆者は関数計算を担当した。このチップは加減乗しかできなかったので除算のための逆数が必要であった。さらに、平方根、平方根逆数、三角関数 (sin, cos)、逆三角関数(atan)、対数、指数、そしてM系列乱数生成のための回路を設計した。単精度演算しかないので、精度を保つのに苦労した。三角関数や指数関数などの基本区間への写像などには部分1.5倍精度などのテクニックを駆使した。実際にゲートアレイを設計したのはアンリツの方であった。日本LSIロジック社(1984年創業)の筑波営業所が東大通りから西にちょっと入ったところにあり、何度も訪れた。電総研のEM4 (1990)でもこの会社をつかったそうである。2011年頃、富士通がFX10 のチップ(Sparc64 IX-fx)を設計する際にLSI社(2007年に改名)が協力したと聞いて、懐かしく思い出した。
5) ベクトル演算
FPUCのプログラムはメモリ上ではデータとして保存され、CPUから起動される。FPUCはCPUとは独立で、独自の命令メモリ(writable control store)、デコーダ、プログラムカウンタを持つ。原理的にはCPUと並行動作が可能である。FPUCの命令セットは、多少圧縮した水平マイクロを用い、SRAMメモリ上のデータのI/Oと演算を並列に実行する。自作のコンパイラがあまり有能でなかったので、高速処理のためにはqfaというアセンブラによりパイプライン動作を直接書く必要があり、ユーザは大変苦労した。このパイプライン動作の記述は後のIntel i860と似ている。コンピュータ科学の素養のなかった筆者としては、FPUCの設計はアーキテクチャのよい勉強になった。後に「オレはプロセッサの設計もしたことがある」とうそぶいたものである。
6) 追加予算
1987年には、競争相手であるコロンビア大学の格子ゲージ専用マシン2号機が完成した。64ノードで、ピーク1 GFlops(単精度)であった。翌1988年にはAPEの1号機も完成する。QCDPAXも急がなくては。
その後、半導体メモリの価格が予想通り下がらず、予定のノード数が作れなくなりそうになった。文部科学省の現地視察の際に数千万円の予算追加を申請し、1988年12月に認められる。これによりほぼ予定のノード数を作ることができた。
この年、スーパーコンピュータを多数設置した民間の組織が、日本に2か所も出現した。ISR(リクルートスーパーコンピュータ研究所)と計算流体力学研究所である。後者の設立は1985であるが、この年FACOM VP-200を設置した。その後各社のマシンが多数追加された。
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