世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


2月 21, 2022

新HPCの歩み(第81回)-1986年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

この年は超伝導フィーバーの年であった。西ドイツのMannheimにおいて、ISCの前身であるMannheim Supercomputer Seminarが始まった。深層学習で重要な役割を担う「逆誤差伝搬法」が提案される。Hewlett-Packard社はPA-RISCアーキテクチャを発表した。TMC社はCM-1を出荷する。KSR社が創立される。

性能評価

1) LINPACK 1000
Dongarraらは1986年、サイズ1000の線形方程式によってコンピュータの性能評価を行う手法を提案。LINPACK 100とは異なり(Gaussの消去法の範囲で)コードの変更を許し、並列処理もよいということになっている。

2) Livermoreループ
LLNLのF. H. McMahonは、1986年12月、“Livermore fortran kernels: A computer test of numerical performance range”をTechnical Report UCRL-53745として発表した。これは、LLNLで使われていた主に核融合における大規模計算の中核FORTRANコードから主要なループを24個選定し、その実行速度からコンピュータの(浮動小数)性能を測定しようとするものである。当時、ベクトル計算機の性能評価によく用いられた。明示的な並列化は考慮されていない。LFK (Livermore Fortran Kernels)とも、Livermoreベンチマークとも、Livermoreループとも呼ばれる。88年にC版も作られた。

前に書いたように、14個のループからなるLivermoreループ(通称、「原型Livermoreループ」あるいは「Livermore14ループ」)が1970年から流通していた。筆者が1986年7月25日にLLNLを訪問した時、副所長のHans Bruijnes氏に、「各ループにウェイトが定義されていないのはおかしい」と質問した記憶がある。氏は、「公表していないが、実はウェイトがあるんだ」というようなことを言っていた。24ループはこの後ろに10ループ追加した形になっている。Roy LongbottomのPC Benchmark Collectionによれば、14カーネル版は、1970年に初めて発表され、1980年代に24カーネルに拡張されたとのことである。

ネットワーク

1) JUNETの国際接続
CSNETは1981年にアメリカで始まったが、1986年東京大学がCSNETに加入し、Venus-Pで接続しJUNETとのゲートウェイとなった。1975年には某組織のサポートでテスト的にメールの交換を行ったが、これで公式に接続された。正式運用は1987年10月からである。正式運用では、半額を利用者が半額をセンターが負担するということで、送信も受信も有料であった。初期は1パケット1円で、メーリングリストなどで大量のデータを受信すると通信料で目の玉が飛び出した。

2) JAINプロジェクト
1986年、科学研究費の総合研究Aの補助を受け、東北大学の野口正一を代表として、JAIN (Japan Academic Inter-University Network)の研究プロジェクトが設立された。1993年にはJAINコンソーシアムを設立する。

アメリカ政府関係の動き

1) ESnet
アメリカのDOEは、1986年ESnet (Energy Sciences Network)を開始した。これは従来から稼働していたHEPnet (High Energy Physics network)とMFEnet (Magnetic Fusion Energy network)とを統合したものである。ESnetはDOE関係の研究者と世界中の共同研究者とを高速に接続し、Internetの一部を構成している。

2) スーパーコンピュータ摩擦
1986年12月10日、アメリカ通商代表部は、日本製スーパーコンピュータの対米輸出について、通商法に基づいて調査すると発表した。明らかな脅しである。詳細は1987年のところで記す。

中国の動き

1) 「863計画」
中国のHPCを語るとき呪文のように繰り返されるのが“863”計画である。最初聞いたときは、「さすが中国には何百という“計画”があるのだな」と誤解したほどである。これは、1986年3月、鄧小平国家主席の決断により、国務院が、応用ハイテク分野を推進する「高技術研究発展計画」を批准したものである。コンピュータなど情報技術も7つのハイテク分野(生物技術、宇宙飛行技術、情報技術、先進的防衛技術、自動化技術、エネルギー技術、新素材)の一つとして位置づけられ、国を挙げて推進されることとなった。863計画の威光が、今に至るまで衰えていないところが中国のすごいところである。

ソ連の動き

1) Elbrus 3
ソ連ではBoris Babayan(またはBabaian)により16プロセッサのElbrus 3が1986年製作された。苗字からわかるように開発者はアルメニア系である。Elbrus 1/2とは異なり、VLIWアーキテクチャを採用した。Boris Babayanは1987年のLenin賞を受賞する。その後も、TransmetaやIntel IA-64の裏にBabayan博士がいるという噂がある。Lebedev InstituteのBabayan博士はElbrus Internationalという会社を作り、E2K processorを開発していたが、資金が足りなくなった。そのアイデアはCrusoeやIA-64に活用されたとのことである。ソ連崩壊後の1990年代にElbrus社は欧米に協力者を求めており、Sun Microsystems社やHewlett-Packard社が興味を示した。

世界の学界の動き

1) 逆誤差伝搬法
UCSDのDavid Rumelhartは、1986年、パーセプトロンに逆誤差伝搬法(Backpropagation)を提案した。現在のニューラルネットブームの端緒である。もちろん、学習のアルゴリズムは1960年代から種々提案されていた。逆誤差伝搬法は、このころ東大の伊理正夫研究室で研究されていた高速自動微分と類似している。

2) Barnes-Hut アルゴリズム
1986年12月、Joshua Edward Barnes(Hawaii大学)とPiet Hut (IAS)は、宇宙物理におけるN体問題のシミュレーションをO(N2)ではなくO(N log N)で計算できるトリーアルゴリズムを提唱した。

3) 高温超伝導フィーバー
1986年1月ごろ、J. Georg BednorzとK. Alex Müllerが酸化物高温超伝導体の可能性を発見し、論文を4月17日付で投稿した。世界中で追試が行われたが、田中昭二(東大)らは、11月13日追試に成功し、12月5日にボストンの材料研究学会においてこの結果が発表された。12月8日には論文が受理された。Paul Chu(朱経武)も追試に成功した。その後数年間にわたって超伝導物質探索フィーバーが続いた。 BednorzとMüllerは1987年ノーベル物理学賞を受賞する。

国際会議

1) ISSCC 1986
第33回目となるISSCC 1986(1986 IEEE International Solid-State Circuits Conference)は、1986年2月19日~21日にカリフォルニア州Anaheim市のAnaheim Hilton Hotel開催された。主催はIEEE Solid-State Circuits Council、IEEE Orange County Section、LA Council、University of Pennsylvaniaである。組織委員長はJ. A. A. Raper (General Electric)、プログラム委員長はAlan B. Grebene (Micro Linear Corp)であった。James E. Solomen (SDA Systems)が“Computer-Based Design for Tomorrow’s Super Chip”と題して基調講演を行った。IEEE Xploreに会議録が置かれている。

2) ARCS 1986
第9回目となるARCS 1986(Architektur von Rechensystemen, Tagungsband)は、1986年3月10日~12日にドイツのStuttgartで開催された。

3) ISCの前身始まる
1986年6月20日~21日、西ドイツのマンハイム大学でMannheim Supercomputer Seminarが始まった。最初はマンハイム大学のHans Meuer教授が提唱した小規模な会議で、参加者はユーザとベンダを合わせて81名だったそうである。最初の何回かは、PowerPointもlaptopもなく、OHP (Overhead Projector)と35mmのスライドだけだったとのこと。アメリカやイギリスからの講演は英語であったが、地元の人の講演はドイツ語で行われた。

この会議は2001年からInternational Supercomputer Conferenceに改名され、現在に至っている。筆者が最初に参加したのは2002年であった。最初からこの会議を主宰していたHans Meuer教授は2014年1月20日に77歳で死去した。

この会議では毎年Hans Meuerが世界のスーパーコンピュータの状況を総括した(Mannheim Supercomputer Statistics)。1986年には世界で約200台(65%がCray、15%がCDC、20%が日本製)。西ドイツでは15台(Crayが7台、Cyber 205が4台、VPが3台、Hitachi IAPが1台)だったそうだ。この活動が、1993年からのTop500につながっている。

第1回のスター講演者は、Raul Mendez (Naval Postgraduate School, Monterey California)であった。彼はアメリカと日本の両方のスーパーコンピュータを性能評価したことのある唯一のアメリカ人であった。筆者の記憶では、彼はしばしば訪日し、日本の友人の助力で各社のスーパーコンピュータを使って廻っていた。

このころのことは本人の手記に書かれていて、これによると、1985年に宇宙科学研究所の研究者(おそらく故桑原邦郎氏。後に計算流体力学研究所を設立。)から、日立・富士通・NECのスパコンの性能試験をしてほしいと頼まれ、日本に来たとのことである。ところが、昨年のところに書いたように、Mendezは、すでにその前年、SIAM NEWS, March 1984, “Supercomputer Benchmarks Give Edge to Fujitsu”において、流体力学の5本のプログラム(VORTEX, EULER, 2D MHD, SHEAR, BARO)を両機で走らせ、その結果、「VP-200はベクトル性能の面でX-MPより大幅に勝っており、スカラ性能は互角。」との報告を公表している。

本人に確かめたところ、1985年が最初の来日ではないようである。彼は自分のNYUでの指導教授(Alexandre Chorin教授)と故桑原邦郎氏の東大での指導教授(高見穎郎教授)とが共同研究していた関係で、桑原氏を前から知っており、1983年夏に国際基督教大学での6週間の日本語インテンシブコースに参加した時、桑原氏と相談し、11月に再来日した際に東京大学大型計算機センターのS-810/20でベンチマークを行った。1984年にも来日して富士通沼津工場でVP-200を、1985年には日本電気でSX-3をベンチマークしたとのことである。これで上記の筆者の記憶ともつながった。

会議後、1986年9月には、“The performance of the NEC SX-2 supercomputer system compared with that of the CRAY X-MP/4 and Fujitsu VP-200”というレポートを自分の大学から出している。このセミナーでも恐らく同様な講演をしたものと推測される。Harms氏の回想録によると、靴箱(?)に乱雑に多数のスライドが入っており、整理もせずに持ってきたらしい。Meuerらがその中から30枚ほど抜き出して使ったとか。それでも、字が小さく、最前列の人しか読めなかったそうである。彼は翌年日本に引っ越し、リクルートISR研究所の所長となる。

同じくヨーロッパを会場としていたHPCN (High Performance Computing and Networking)会議が、1993年5月にAmsterdamで始まるが、2001年に終了したことを考えると、この会議の存続は注目に値する。一つには1993年からTop500の発表と組み合わせたことがあるのかも知れない。

4) ICPP 1986
第15回目のICPP 1986 (International Conference on Parallel Processing)は、1986年8月にペンシルバニア州University ParkのThe Pennsylvania State Universityで開催された。会議録はIEEE/CSから発行されている。講演題目はTrier大学のdblpに収録されている。

5) IFIP Congress 1986
第10回目となるIFIP Congress 1986は、1986年9月1日~5日にアイルランドのDublinで開催された。会議録は、North-Holland/IFIPからInformation Processing 86, Proceedings of the IFIP 10th World Computer Congressのタイトルで出版されている。

6) Lattice Gauge Theory
1987年以降、通称Lattice xy(年号)と呼ばれるInternational Symposium on Lattice Field Theoryは、第4回目として、1986年9月15日~19日に米国ニューヨーク州UptonにあるBNL (Brookhaven National Laboratory) において“NATO Advanced Research Workshop on Lattice Gauge Theory”の名称で開催された。会議録は紙で発行され、web上に公開されている(一部PDF版のない論文もある)。

7) CONPAR 86
第2回目のCONPAR 86: Conference on Algorithms and Hardware for Parallel Processingは、1986年9月17日~19日に西ドイツのAachenで開催された。会議録はSpringerのLNCS 237として出版されている。第3回は1990年にVAPP IVとの合同開催。

アメリカの企業の動き

1) IBM社(3090、4381、RT PC、新基本関数)
IBM社は、VLSIを用いたIBM 3090 model 150, model 180を1986年2月に発表した。同時にIBM 4381シリーズの新モデルmodel 11, 12, 13, 14も発表した。

パソコンでは、ISAバスとIBM 801からのROMPマイクロプロセッサをつかったIBM RT PC (RISC Technology Personal Computer)を発売した。IBM社初のエンジニアリングワークステーションであり、RISCを採用した最初の商用機の一つである。マイクロカーネルを採用し、キーボード、マウス、ディスプレイ、ディスク装置、ネットワークは全てマイクロカーネルで制御され、その上に複数のOSを同時に動作させることが可能であった。OSはAIX 1.x、2.XまたはAOSである。タワー型の6150、デスクトップ型の6151がある。1988年2月には、6152 Academic Systemを大学向けに発売した。このマシンは商業的には成功しなかったが、技術としては、RS/6000やPowerPCなどに大きな影響を与えている。

IBM社のR. C. Agarwalらは、 “New scalar and vector elementary functions for the IBM System/370” (IBM Journal of Research and Development, Vol. 30, No. 2, pp. 126-144 (1986))において、新しい標準関数 f(x) (三角関数や指数・対数関数など)の実装法を提唱した。これまで、引数 x には元々誤差があるので、f(x) の誤差は、x の最下位1ビットの揺らぎの範囲に収まっていればよいという考えであったが、彼らはx を厳密に考え、f(x) に最も近い浮動小数を返す手法を提案した。実際には計算時間とのトレードオフであり、どこまで実用になったかは不明である。

2) Cray Research社(X-MP EA)
1982年に発表したCray X-MPの改良として、Cray Research社はCray X-MP EA (Extended Architecture)シリーズを1986年に発表した。EAシリーズは8.5 nsのクロックサイクル(117 MHz)で、X-MPの9.5 nsより高速化するとともに、アドレスを32ビットに拡張した。これにより最大2 GWを扱えるようになった。従来のシステムとの互換性のため、24ビットアドレスのモードも用意されている。最大の4プロセッサ構成では942 MFlopsである。

3) Hewlett-Packard社(PA-RISC)
1986年2月、Hewlett-Packard社(1947年創業)は、PA-RISCアーキテクチャを発表した。PAはPrecision Architectureを意味する。最初の版PA-7000では32個の32 bit整数レジスタと16個の浮動小数レジスタを搭載していたが、性能向上のためRA-RISC 1.1では浮動小数レジスタを32個に倍増した。1986年に実現したTS1はTTL deviceで構成され、 8 MHzの周波数で動作した。その後multi-chip VLSIで実現されるようになり、NS1 (1987)とNS2 (1989)はNMOSプロセスで、CS1 (1987)とPCX (1990)ではCMOSプロセスを用いた。これらは1980年代にHP3000マシンの一部に採用された。RISCを採用した最初の商用機の一つである。

当初、基本命令に乗除算命令がなく、コンパイラで対応した。オペランドに定数が多いので、綜合的には速いとのことである。例えば3で割るには1/3(二進で0.010101…)を掛けるのだが、シフトと加算でrecursive doubling風に実行する(固定小数で)らしい。

4) Evans & Sutherland社
David C. Evans(Utah大学)とIvan Sutherland(Utah大学)は、1968年、コンピュータグラフィックスの会社としてEvans & Sutherland社をSalt Lake Cityで創立した。同社のグラフィックス・ハードウェアがCray Research社のスーパーコンピュータと結合して動いていることが多いことから、自社製の安価なスーパーコンピュータを製造するために、1986年にEvans & Sutherland Computer DivisionをシリコンバレーのMountain Viewに設立した。基本的なアイデアは8個のCMOS CPUを8×8のクロスバーで接続し、並列実行させることである。各CPUは8段の命令パイプラインで動く。高い価格性能比のマシンとなるはずであった。

5) Unisys社発足
1986年6月、Burroughs社(1886年創業)は、Sperry社(1910年創業)を買収した。11月にUnisysという社名が公表され、1987年1月からはUnisys社となる。UNISYS 2200の多くのモデルを発表した。

6) Honeywell社
1986年、Honeywell社は、HIS (Honeywell Information Systems)と、フランスのGroupe Bullおよび日本電気の合弁会社Honeywell Bull社を設立した。Honeywell Bull社はその後Bullに戻る。

7) CDC社(Norris退任)
CDC社は多くの新興企業を買収しており、1980年代にはハードディスクドライブ製造を主な事業とするようになった。しかし、それ以外の事業はうまくいかず、数千人におよぶレイオフを実施しなくてはならなくなった。また、1984年度の税務上の誤りを証券取引委員会に指摘されると、株主が訴訟を起こし、銀行の信用が低下した。初代CEOのWilliam Norrisは責任を追及され、経営陣の一部入れ替えで乗り切ろうとしたが株主は納得せず、1986年1月CEOを退任することになった。

8) Scientific Computer Systems社(SCS-40)
1983年に創業したSCS社は、1986年、Cray X-MP/2互換のミニスーパーSCS-40を発表。クロックは22.2 MHzで、CPU当たりピーク44 MFlops。CPUは2個まで。

9) Floating Point Systems社(T-series)
Floating Point Systems社(1970年創業)は1986年2月に超並列コンピュータT-seriesを発表した。詳しくは前述の「アメリカHPC事情調査」の記事を参照。

10) Thinking Machines社(CM-1)
1983年5月に創業したTMCは、CM-1を1986年4月に発表し、出荷した。これは、最大216個の1ビットプロセッサ(3 bit入力、2 bit 出力、4 Kbメモリ)をハイパーキューブ結合したSIMDマシンである。16ノードが1 chipに納められている(正確には、チップ内は完全結合で、ハイパーキューブ結合はチップ間の12次元)。最大64Kノードまで2のべき乗のノード数が可能である。人工知能用のマシンで、最初の言語は*LISP (star-LISP)である。後にC*とCM-Fortranがサポートされた。同時にノードを2次元に隣接結合(torusと言うべきか)するNEWSネットワークも用意されていた。物理学者Richard FeynmanがCM-1を気に入り、この会社に入り浸っていた話は有名である。

11) Sun Microsystems社(NeWS)
Sun Microsystems社はSunDewというウィンドウ・システムを開発していたが、1986年10月にNeWS (Network extensible Window System)を発表した。NeWSでは、一般的なプロセス間通信を行うことにより、どのマシンで(ワークステーションでもスーパーコンピュータでも)走っているプログラムがウィンドウを同じように利用することができる設計であった。しかし市場に受け入れられず、X Windowに敗れることになる。

12) SGI社
Silicon Graphics社は、1986年、IRIS 3000シリーズを発売した。IRIS 3000は、最大12個のgeometry enginesを利用することができた。この年、Silicon Graphics社はNASDAQに上場した。

13) Compaq社(DeskPro 386)
Compaq社は発足当時からIBMのPCの互換路線を取っており、IBMのPCより性能が上でしかも価格の安いクローン機で成功してきた。1986年9月、同社は初めてIBMに先駆けてIntel社の32ビットプロセッサ80386を搭載したパソコンDeskPro 386を発売した。従来のIBM PCとその互換機に搭載されていたMS-DOSでは主記憶は640 KBに制限されていたが、Microsoft社がLotus社と共同した開発した拡張メモリ仕様を提供することにより、標準で1 MB、最大 14 MBまで拡張されるようになった。IBM社が386機を発売したのは7か月後である。

14) Tandem Computers社
同社は1986年、第3世代のCPUであるNonStop VLXをリリースした。データバスは32ビットで、クロックは12 MHzである。

15) Zilog社
Zilog社は、16ビットのZ8000の32ビット拡張版であるZ80000を1986年に発売した。マルチプロセッサに対応でき、6ステージのパイプラインと256Bのオンチップ・キャッシュを備えていた。メモリ空間は4GBである。

16) MIPS社
MIPS Computer Systems社は、1986年1月、最初の製品としてMIPS I ISAを実装したR2000マクロプロセッサおよびUnix WS、最適化コンパイラを発表した。Ardent社、DEC社、SGI社などが採用した。

17) Microsoft社
1986年1月、Microsoft社はMS-DOS 3.2を発表した。

18) TotalView
BBN社の超並列コンピュータBBN Butterfly向けの並列プログラム用デバッガとして開発された。その後1998年にはEtnus, Inc.として独立し、2007年にはTotalView Technolgiesに社名変更。2010年、Rogue Wave Softweare, Inc.が買収。

19) 並列処理コンピュータの将来性
このころアメリカを中心に多くのベンチャー企業が並列コンピュータを開発・営業していたが、『日経コンピュータ』1986年11月3日号に「期待と不安を載せて飛び立った並列処理コンピュータ 数十~100台規模のマルチプロセッサ構成で価格対性能比の良さが特徴」という解説記事がある。メモリの分散・共有、相互接続網の技術など詳しく紹介している。当時、1985年10月に閉鎖したDenelcore HEPの記憶が新しかった。「最近出た並列処理コンピュータは3年後には姿を消す」という声を紹介している。問題はハードウェアよりソフトウェアだとの指摘もあった。台数効果がどこまで出るかが問題だ、と結んでいる。

その他の企業の動き

1) Meiko Scientific社 (Computing Surface)
1985年にイギリスで創業したMeiko Scientific社は、transputer T414に基づくMeiko Computing Surfaceを発表。ネットワークは2次元メッシュ。

2) Myrias Research社(SPS-1)
1983年にカナダで創業したMyrias Research 社は、128プロセッサSPS-1を稼働させた。MC68000を用いた、仮想共有メモリに基づく超並列コンピュータである。

3) ESI Group
ESI Group(1973年創業)のE. Haugらは、有限要素法の陽解法により、Volkswage Polo車とコンクリート壁との時速50 kmの正面衝突のシミュレーションを一晩で実行した。自動車の実物モデルの衝突シミュレーションは世界初であった。使ったコンピュータは不明。このときはFEM-Crashと名付けていたが、後のPAM-CRASHに連なる。

4) Nixdorf Computer AG(創業者死去)
1952年Nixdorf Computer AG(当初はLabor für Impulstechnik)を創業したHeinz Nixdorfは、1986年3月17日、Hannoverで開かれていた見本市で心臓発作をおこし急死した。

企業の創業

1) Transtech Parallel Systems社
1986年2月18日、イギリスで設立。2011年4月26日解散。小粒度の同期により、マルチスレッド実行を支援する、組み込みシステムを製造していた。1993年8月には、Paramid Supercomputerを発売する。

2) KSR (Kendall Square Research)社
1986年、MIT近くのKendall Squareにおいて創立。創立者はSteven FrankとHenry Burkhardt III。BurkhardtはData GeneralやEncore Computer社の創立者の一人であり、Digital Equipment社でPDP-8の設計に携わった。KSR社はCache only memory architecture (COMAまたはAllcache)という一種の共有メモリに基づくアーキテクチャを採用。独自プロセッサにより、KSR-1 (1991)とKSR-2 (1993)を開発した。KSR-1のチップセットはシャープ社が、KSR-2のチップセットはHewlett-Packard社が製造した。当時のHPCwireの記事によると、1994年2月18日、KSR社とキヤノンスーパーコンピューティング社は、KSR1-96をATR翻訳電話研究所に販売したと発表する。1993年夏にBurkhardtは粉飾決算(売り上げの水増し)の責任をとって辞職。1994年3月頃から株主に訴訟を起こされ、7月にはAllcacheの技術を売ろうとしたが、9月21日、製品の製造と販売を停止し、12月30日には連邦破産法第11章(日本の民事再生法に相当)の保護を申請した。

一時の熱狂的な人気と株価高騰が一転して破産に至ったため、この事件はHPC業界に大きな衝撃を与えた。

3) Avalon Computer Systems社
この会社は1982年、カリフォルニア州Santa BarbaraでRoss Harveyら3人によって創立された。安価なスーパーコンピュータを製造することを謳っていた。1994年のSC94で、Alpha 21164 (300 MHz、600 MFlops)を高速スイッチで接続したマシンA12 Parallel Supercomputerを発表した(この名称自体はSC94では公表されなかったかもしれない)。T3Dよりコスパに優れている、という宣伝であった。1995年に売り出したようだが、どれだけ売れたのか、その後会社はどうなったのか、など謎である。

ちなみにAvalonはイギリスの伝説の島であり、アーサー王物語の舞台である。

4) HNSX社
1986年10月、日本電気はHoneywell社と均等出資で、アメリカとカナダにおけるスーパーコンピュータ販売会社HNSX(Honeywell NEC Supercomputers)を設立した。

さて次回は1987年、日本は第2世代ベクトルコンピュータの時代に突入する。他方、筑波大はQCDPAXプロジェクトがやっと採択される。隣の電総研では、「スーパーコンピュータ大プロ」の一環でデータ駆動のSIGMA-1が製作される。Gordon-Bell賞が始まるのもこの年である。

(アイキャッチ画像:Thinking Machine CM-1 出典:Computer History Museum)

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