世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


提 供

2月 1, 2016

HPCの歩み50年(第72回)-2000年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

20世紀の最後の年となった。幸い2000年問題は大過なくクリアした。アメリカではクリントン政権がコンピュータやインターネットに多額の研究投資を行うことを決めた。日本では地球シミュレータの建設が本格的に始まった。Intel社とAMD社は1 GHzのチップをめぐって大バトルを演じた。

社会の動きとしては、1/28新潟で不明少女が9年ぶりに発見、2/13グリコ・森永事件が時効、3/8日比谷線脱線事故、3/31有珠山噴火、4/1国家公務員倫理法施行、4/2小渕首相が緊急入院、4/5森喜朗内閣発足、5/3佐賀発福岡行きバス乗っ取り、5/15森喜朗首相、「神の国」発言、6/26ヒトゲノムのドラフト完成がクリントンとブレアから発表される、7/8三宅島火山噴火始まる、7/12そごう倒産、7/19二千円札発行、7/25コンコルド墜落(パリ離陸直後)、8/1新五百円硬貨発行、8/12ロシア原子力潜水艦事故、9/4駒ヶ岳(北海道)噴火、9/11東海地方で集中豪雨、9/15シドニーオリンピック開幕(高橋尚子金メダル)、10/1 KDDI発足、10/6鳥取県西部地震、11/7アメリカ大統領選挙開票が混乱、11/8重信房子逮捕、11/11オーストリア・ケーブルカー火災事故、11/19ペルー、フジモリ政権崩壊、12/12地下鉄大江戸線開通、12/30世田谷一家惨殺事件。この年は白川英樹がノーベル化学賞を、Kilbyがノーベル物理学賞を受賞した。コンピュータのY2K問題(2000年問題)が懸念されたが大事なく通過した。

1990年代末期にアメリカ中心にITバブル(.com bubble)が起こり、多くのITベンチャーが設立され、1999年から2000年にかけて株価が異常に上昇したが、2001年にかけてITバブルがはじけた。

日本政府の動き

1) 振興調整費
1999年末に情報科学技術委員会は応募27課題から6つの課題を選定したが、2000年1月、科学技術会議政策調査委員会で平成12年度科学技術振興調整費総合研究(情報科学技術)として以下の3課題が5年計画として選定された。

a) 人間支援のための分散リアルタイムネットワーク基盤技術の研究(慶応技術大学、安西祐一郎)
b) 超高速科学技術計算のための専用LSI組み込み型並列分散処理プラットフォームの研究(九州大学、村上和彰)
c) 共通インフラストラクチャによる並列化コンパイラの研究(法政大学、中田育男)

課題名はその後の議論で修正された。課題毎に研究実施計画策定WGと研究推進委員会を作ることとなった。前者は課題審査委員会の委員が主査となり(a: 諏訪基、b: 小柳義夫、c: 土居範久)、2月に開催しプロジェクトを開始する。後者は、同一メンバーであるが、外部の有識者を主査とするとのことであった。これは常設の委員会で年3回ほど開催する。

筆者は、b課題の研究計画策定WGの主査となり、青柳睦(分子研)、井原茂男(日立)、戎崎俊一(理研)、関口智嗣(電総研)、高田俊和(日本電気)、中村宏(東大)、細矢治夫(お茶大)が委員となった。課題名を議論し、「科学技術計算専用ロジック組み込み型プラットフォーム・アーキテクチャに関する研究」とした。このWGが研究推進委員会を立ち上げ、細矢治夫を主査に指名した。とりまとめ機関は、富士総合研究所(解析第2部次長、大谷康昭)。その後予算が認められ、6月から研究がはじまった。

2001年1月に中央省庁が改革され、文部省と科学技術庁が合併するとともに、科学技術会議が発展的に解消され、より強い機能を有する総合科学技術会議が発足することとなった。このため科学技術振興調整費の在り方も根本的に見直されることになった。複数年度に亘り継続することとして現在実施している課題については終了年次まで継続する。

2) IT戦略本部
2000年7月7日、情報通信技術(IT)による産業・社会構造の変革を取り込み、国際的に競争力あるIT立国の形成を見座した施策を総合的に推進するため、情報通信技術戦略本部(IT戦略本部)が内閣に設置された。同時に、IT戦略会議が内閣に設置された。11月27日、IT戦略本部はIT基本戦略をとりまとめた。また11月29日、高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)が成立した。主要なテーマは、e-commerce、プライバシ、情報セキュリティ、ICカード、政府のデジタル化などであり、HPCのような先端技術はあまり注目されなかった。

3) 学術審議会
11月、文部省学術審議会に情報学部会が設置され、筆者も委員となった。さらにその中に特定研究領域推進分科会が設置された。12月、「大学等における情報学研究の推進について」をとりまとめた。筆者は超高速計算機システムの開発を主張し、「新たなアーキテクチャに基づく超高速・超大容量計算機システムの実現に関するハードウェア・ソフトウェア両面での研究を推進する」との文言を入れた。これに基づき、科学研究費補助金特定領域(C)が2001年度から発足することとなった。

4) 地球シミュレータ
要素技術の試作(1998年8月~1999年3月)、詳細設計(1999年5月~2000年1月)を経て、2000年3月から地球シミュレータの本体製作が開始された。運用開始は2002年3月を目指した。ピーク性能は40 TFlops。

主な特徴は以下の通り。

a) 最新の半導体テクノロジ
b) 大規模並列システム。CPU数は5120。
c) Unix-baseのOSやミドルウェア

計算ノードの高性能化とコンパクト化を実現するために、0.15μのCMOSテクノロジと銅配線技術を用いることにより、スカラプロセッサでは500 MHz、ベクトルプロセッサでは1 GHzの高速動作が可能になった。5700万トランジスタを実装した1チップベクトルプロセッサが実現した。プロセッサの消費電力が140Wに達したが、水冷を避け、クローズドな冷媒を用いた一種のヒートパイプで効率的な冷却を実現した。

1999年10月に起工式を行った地球シミュレータ建屋は2000年秋に完成した。施設は、シミュレータ棟(幅50m、奥行き65m、高さ17m)およびシミュレータ研究棟、冷却施設棟で構成される。

1999年3月に締結された3機関の協力協定では、海洋科学技術センターは施設の整備のみを担当することになっていたが、2000年3月には協力協定が変更され、地球シミュレータ開発は3機関が均等に分担することとなった。

地球シミュレータ上での応用ソフトについては、振興調整費「高精度の地球変動予測のための並列ソフトウェア開発に関する研究」が1998年度から5年計画で実施されていたが、筆者を主査として中間評価ワーキンググループを構成し、2000年11月27日に研究評価委員会に報告した。固体地球については有限要素法の高並列化を実現し東大情報基盤センターなどでテストを成功させてていたが、気候モデルについては、小規模な並列化しか実現しておらず、地球シミュレータのような数千CPUの高並列コンピュータに実装できるのか心配になった。

5) 日本原子力研究所
日本原子力研究所では、1963年から原子力コード研究委員会を設置し、緊急かつ重要度の高い原子力関係のアプリケーション・ソフトウェア(「原子力コード」と呼ばれていた)の開発、整備、配布を行ってきた。その下部機関として、「計算科学技術推進専門部会」を設置することになり、筆者が部会長を移植された。年何回か会議を開き、原子力研究所内のいくつかのワーキンググループの計画を議論し、その成果を評価した。第1回は8月8日に開かれた。

6) 新情報の中間評価
通産省が1992年度から発足させた新情報処理開発機構(RWCP, Real World Computing Partnership)の中間評価(といっても9年目であるが)を行うことになった。筆者はその中で「並列分散コンピューティング技術分野」を担当した。それまでRWCPから研究費を一切いただいていなかったので依頼されたようである。正式には、産業技術審議会 評価部会 「次世代情報処理基盤技術開発(RWCP)」評価委員会で委員長は鳥居氏、筆者は「並列」領域主査となった。事務局は産業創造研究所。

作業が始まったのは10月で、ちょうど猪瀬博氏が急逝された頃であった。第1回評価委員会は12月6日であった。このプロジェクトは5年目に評価を実施し、大きな方向転換を行っているが、今回はその後の成果を評価せよとのことであった。

このときの評価は各テーマの当事者を直接面接して評価を行った。筆者の関係する分野の作業部会では、12月26日に「シームレス並列分散」(7テーマ)を、2001年1月19日に「光インターコネクション」(7テーマ)を、1月18日には「並列アプリケーション」(6テーマ)のヒアリングを行った。

日本の学界の動き

1) Hokke-2000
情報処理学会ARC研究会・HPC研究会の合同で、第7回「ハイパフォーマンスコンピューティングとアーキテクチャの評価」に関する北海道ワークショップHOKKE-2000が、3月2~3日、千歳科学技術大学で開催された、メインテーマは「PC for HPC (PC によるハイパフォーマンスコンピューティング)」であった。学会的には第129回 計算機アーキテクチャ研究会と第 80回 ハイパフォーマンスコンピューティング研究会の合同研究会である。講演は30件であった。基調講演として、開催地千歳科学技術大学の川合敏雄教授が「計算と物理」という講演を行った。

2) JSPP 2000
2000年記念並列処理シンポジウム(JSPP2000)は、早稲田大学国際会議場において2000年5月30日~6月1日に開催された。参加者290人。実行委員長は平木敬(東大)、副委員長は稲上泰弘(日立)、プログラム委員長は笠原博徳(早稲田大学)、幹事は安藤秀樹(名古屋大)であった。Prof. Thomas Sterling (Caltech/JPL)が”The HTMT Architecture for Petaflops-scale Computing”と題して招待講演を行った。

また2000年記念ということで、JSPP2000スーパーパネル「ペタフロップスへの道」が企画された。パネリストは、(五十音順で)小柳義夫 (東京大学)、富田眞治 (京都大学)、中澤喜三郎(明星大学)、平木 敬(東京大学)、三浦謙一 (富士通)、三好甫 (地球シミュレータ研究開発センター)、渡辺貞(NEC)であった。パネリストにはあらかじめ次のような質問が与えられた。

a) 日本はペタフロップスマシンのようなHPCマシンを開発する必要があるか?
b) もし開発する必要がある場合には、どのように進めるべきか?
c) 技術的課題は何か?
d) マシン開発の必要性がない場合には、日本のコンピュータ産業の行方?

どんな議論になったかは記録もなく記憶もないが、基本的に推進すべきという方向性が出たと思う。

3) PSC2000
JSPP2000に合わせて、7回目となるPSC2000 (Parallel Software Contest 2000)が開催された。委員長は島崎眞昭(京大)が務めた。委員はアカデミアから、板倉 憲一(筑波大),岩下武史(京大) ,上原哲太郎(和大),岡部寿男(京大),佐藤三久(新情報),島崎眞昭(京大:委員長),関口智嗣(電総研),長嶋雲兵(融合研),西田晃(東大),朴泰祐(筑波大)、ベンダから伊藤能一(富士通),後保範(日立),佐々木祐二(NEC),斎藤智秀(日本SGI)田村榮悦(IBM),水田正人(日本サン),鷲尾巧(NEC)であった。また、これまで委員長を務めた小柳義夫(東大),金田康正(東大),村岡洋一(早大)は顧問として長期的な責任を担うこととした。

本年ご提供いただいた並列コンピュータは、Cenju4 (32 processors, NEC)、AP3000 (16 processors,富士通)、SR2201 (22 processors, 日立)、Enterprise 10000 (64 processors, 日本サンマイクロシステムズ)であった。資源提供企業のほか、日本SGIと日本IBMからも協賛をいただいた。

3月8日に第1回委員会を開催し、計画を議論した。今回は長方形領域での2次元ポアソン方程式を差分法で解くという問題とした。x方向の辺は解法Dirichlet条件、y方向の辺は周期境界条件である。アルゴリズムは自由とした。問題の与え方、最終解のチェックの方法などについて議論が行われた。参加登録は69チームであった。情報は不完全であるが、入賞者は以下のとおり。本戦での完走者はこれがすべてのようである。E10000では並列化されていないプログラムが入賞してしまった。

部門 Cenju4 AP3000 SR2201 E10000
参加チーム数 17 18 17
1位 美船健(27.34秒) 美船健(33.59秒) 美船健(28.9秒) 羽藤隆夫、Irina Pushkina、野中 千穂(4148.83秒)
2位 林田守広、蓬来祐一郎(52.60秒) 林田守広、蓬来祐一郎(81.48秒) 林田守広、蓬来祐一郎(124.1秒)
3位 大澤清(2261.5秒)

今回の特別企画として、「自由部門」を設けた。参加資格は不問、問題は同じで、各自の利用できるクラスタなどで解いて結果を自己申告する方式である。実際には本戦の参加者が他のマシンで計算したものがすべてであった。JSPP2000で報告された。

JSPP2000の最終日6月1日夕刻に反省会を開き、参加者からのアンケートを参考にしながら今後の方針を議論した。今回はアルゴリズムから考えさせるのが特徴で(第1回もそうであったが)、MultigridとFFTが競うことになったことは面白かった。ただその場合、高校生の参加がむつかしくなるとの指摘があった。

4) 数値解析シンポジウム
第29回数値解析シンポジウム(NAS2000)は2000 年6 月7日から9 日の3 日間, 那須ビューホテル(栃木県那須郡那須町)において開催された.担当は筑波大学数値解析研究室である。参加者108名。今回のシンポジウムは20 世紀最後のシンポジウムであるので、「数値計算の21 世紀に向けて」をテーマとして、セッションごとにキーノート講演が行われた。筆者も「20年後の HPC」という怪しげなキーノートを行った。また,特別講演としてS. Hammarling (NAG)”によるThe NAG Libraries for High Performance”と、大石進一(早稲田大学)による「実用段階に到達した精度保証付き数値計算」があった。さらに記念講演として伊理正夫(中央大学)の「数値解析の迷信」と二宮市三(名古屋大学名誉教授)の「数値計算の散歩道」が行われた。一般講演は25件。

5) SWoPP松山2000
2000年並列/ 分散/ 協調処理に関する『松山』サマー・ワークショップ(SWoPP松山2000)は、2000 年8 月2 日(水)~5 日(土)に松山市総合コミュニティセンターで開催された。主催は電子情報通信学会のコンピュータシステム研究会(CPSY)とフォールトトレラントシステム研究会(FTS)、情報処理学会の計算機アーキテクチャ研究会(ARC)とプログラミング研究会(PRO)とハイパフォーマンスコンピューティング研究会(HPC)とシステムソフトウェアとオペレーティング・システム研究会(OS)である。

6) SNA2000
日本原子力研究所計算科学技術推進センターからの依頼により、第4回原子力におけるスーパーコンピューティング国際会議(SNA2000, Supercomputing in Nuclear Applications)のプログラム調整部会長と国際プログラム委員会委員、組織委員会委員を務めることになった。この国際会議の第1回は1990年3月12~15日に水戸パークホテルで開かれ、どういうわけか筆者も参加した。今回は、虎ノ門パストラルで9月4~7日に開催された。今回はスーパーコンピューティング技術と高度計算科学の融合をメインテーマとした。

招待・基調講演としては、海外からU. Trottenburg (GMD), John V. W. Reynders (Sun Microsystems / LANL), Farid Abraham (IBM, Almaden), Horst D. Simon (NERSC), Robert J. Harrison (Pacific Northwest National Laboratory), Gregg W. McKinney (LANL), J. Hack (NCAR), Ian Foster (ANL), Alfred Geiger (Debis Systemhous), Burton J. Smith (Cray Inc.), Michael Mascagni (FSU)をお呼びした。Ian Fosterが「なんで僕なんかが呼ばれるんだろう」というので、「日本の原研は原子力だけでなく周辺分野にも展開しようとしているのでは」と言ったら、「ANLと同じだね」と笑っていた。

日本からは、谷啓二(原研)、内藤(動燃)、西原功修(阪大)、関口智嗣(電総研)が招待講演を行った。筆者も”Supercomputing Researches in Japan”という招待講演を行った。

7) 数理解析研究所
京都大学数理解析研究所において中尾充宏(九州大)を代表者として研究会「偏微分方程式の数値解法とその周辺II」が2000年11月20~22日に開催された。発表論文は講究録 No. 1198に掲載されている。

8) 学振未来開拓研究事業「計算科学」
第3回計算科学シンポジウムを2000年2月1日に筑波大学大学会館で開催した。島崎眞昭教授(京大)の招待講演「HPCN (High Performance Computing and Networking)の展望 -計算工学からの期待-」のあと、各プロジェクトから進捗報告があった。

また、計算科学の特徴である異なる分野におけるアルゴリズムの共通性に着目し、ワークショップ「計算科学におけるアルゴリズム」を筑波大学計算物理学研究センターにおいて2000年6月12~13日に開催した。各プロジェクトから中心的なアルゴリズムが紹介され、高速化、並列化についても議論した。

9) PDC報告会
PDCの最終年度の終わりに当たり、3月6日(月)にスポンサーの企業向けのclosedな報告会、3月7~8日にopenな報告会を東大山上会館と理学部1号館とで行った。8日の最後には、公開討論会「PDCが生み出したものと将来展望」が近山隆をモデレータとして行われた。

PDCの成果は、参加者やスポンサー企業にだけソフトウェアや成果報告書などがCD-ROMで配られていたが、2000年10月1日づけでwebにより一般に公開された。

10) JST異分野交流研究会
どういう経緯だったか記憶にないが、3月4~6日に伊東の大仁ホテルで開催されたJST(当時は科学技術振興事業団)の異分野研究者交流フォーラム実行委員会によるフォーラム「20年後のエレクトロニクス」に招待され、「20年後のHPC」と題して講演した。コーディテータは和田恭雄氏(日立)であった。委員会からの連絡では、討論において、「否定的な意図を持った質問」「自説を曲げること」「黙っていること」「先生と呼びかけること」が禁止事項とされ、違反者には1回100円の罰金が課せられ酒代にあてるとのことであった。

筆者としては、「10年後までにペタフロップスが実現することは予測できるが、20年後なんてとても想像できない。エクサフロップスなんて現在の技術の延長線でできるとも思えないが、もしできたらこんなことになる。」というような話をした。例えば、反復的で適応的なアルゴリズムが主流になるとか、精度が64ビットでは不足するだろうとか、行列積がO(N2 logN)でできるかとか、探索的なプログラミング法が使われるだろうとか、アナログ的な計算機が復権するだろうとか勝手なことを話した。

日本の学界の続きは次回に。日本とは対照的にアメリカ政府は情報通信技術に本格的な研究開発投資を始めた。

(タイトル画像:2000年1月3日にフランスで年が誤表示された電光掲示版 出典:Wikipedia )

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