提 供
HPCの歩み50年(第73回)-2000年(b)-
アメリカではASCI計画の10 TFlops級のマシンASCI WhiteがLLNLで動き出した。次の30 TFlops級のASCI Q (LANL)はCompaqが担当し、DEC由来のAlphaの技術で実現することとなった。他方中国でも、上海スーパーコンピュータセンターが設置されるとともに、国防科学技術大学ではYinhe-4(銀河4号)が開発された。
日本の学界の動き(続き)
11) ATIPシンポジウム
この頃、ATIPは六本木の事務所の脇のセミナー室(Glocomホール、ハークス六本木ビル)で、時々セミナーなどを開催していた。手元の記録によると、以下のtechnology seminarが開催された。
・2月29日 “Deep Computing at IBM” William R. Pulleyblank (IBM)
・9月6日 “The Future of Scientific Computation” Horst D. Simon (LBNL)
・12月4日 “The University Research Enterprise — Investment, Indirect Cost, and Technology Transfer” Fawwaz T. Ulaby (University of Michigan, AnnArbor)
・12月12日 “Nanotechnology -– Making Money on the Atomic Scale” David Tomanek (Michigan State University/東工大)
また、10月18日には、昨年に引き続きThe Second ATIP HPC Workshop “Promoting Information Technology Research: Japanese and US Perspective”が開かれ、日米のHPC政策の違いを議論した。まず、1997年から1999年までPITACの共同議長であったKen Kennedy (Rice University)が“Future Investment in Information Technology Research: The Report of the President’s Information Technology Advisory Committee”と題して講演した。これに対し筆者は”The Strategic Promotion of Information Science and Technology of the Japanese Government”と題して日本の情報科学技術委員会の活動をアメリカのPITACと対比して紹介した。その後、参加者の討論があった。
12) 東京大学
2000年12月、東京大学情報基盤センターは、次期スーパーコンピュータとして日立のSR8000/MPP(144ノード、1152プロセッサ)を導入すると発表した。この時点で商品としてはアナウンスされていたかったが、プロセッサが450 MHz – 1.8 GFlopsで、ノード当たりのメモリは16 GB、ネットワークは一方向当たり1.6 GB/sで、ピーク性能は2073.6GFlopsである。SR8000/F1の増強版である。
13) 東京工業大学
総合情報処理センター(学術国際情報センターの前身の一つ)は、1988年にETA10を導入し、1995年にはCray C916/12256に更新していたが、2000年にSX-5とOrigin2000の組み合わせに更新した。
14) Interactive Essay
情報処理学会誌のInteractive Essayの7月のエディタ佐藤三久(RWCP)の提案により、朴泰祐(筑波大)が「これでいいのか? 日本のスパコン」という問題提起を行った。これに対して、「がんばるぞ、日本のスパコン」(渡辺貞、日本電気)、「これからはクラスタでいいじゃん――ソフト屋の独り言」(松岡聡、東工大)、「これでいいのか? 日本のスパコンXX」(関口智嗣、工業技術院先端情報計算センター)というレスポンスがあり、最後に朴泰祐が「It’s still the Bandwidth」とまとめた。
15) Navidad virus
コンピュータ・ウィルスは年ごとに増えてきたが、2000年12月にはNavidad virusが世界的に猛威を振るった。Navidadはスペイン語でクリスマス(英:Nativity)を意味し、クリスマスカードの添付ファイルを装っていた。東大の中央事務から来た「平成12年度予算の費目変更について」なんていうメールがvirusであった。バチカンのコンピュータもNavidadにやられたそうである。
日本の企業の動き
1) 日本電気
2000年4月、日本電気はSX-5のための新しい数学ライブラリMathKeisanを発表した。これはBLAS, LAPACK, ScaLAPACKなどを含み、HP社のMLIB/VECLIBなどと互換性がある。また固有値計算のARPACKや行列分割のためのMETISなども含んでいる。
2000年5月、Intel社のPentium III (600 MHz)およびPentium III Xeon (700 MHz)を採用した「パラレルACOS i-PX7300」を発表した。OSとしては日本電気のACOS-2/MPを採用するが、Windows機能にも対応する。
2) 日立
日立は3月13日、25年間続いたIBM互換メインフレーム事業をこれ以上拡大させないという決断を行い、米国Hitachi Data Systems社の事業改革を発表した。日立はHDSをハード製品販売主体の事業から、サービス・ソリューション事業への転換を図る。メインフレームについては新規顧客の開拓は行わず、現顧客の保守サービスにやアップグレードに限定する。
3) 富士通
2000年5月、グローバルビジネスに向けたサーバ戦略を発表した。UnixサーバをPRIMERGY、UnixサーバをPRIMEPOWER、マルチサーバをPRIMEFORCEとした。FUJITSU PRIMEFORCEはメインフレームとオープンサーバを一つの筐体に収納し、メインフレーム資産を生かしながらインターネットにも対応した。11月、PRIMEFORCEにmodel 8007と8015を発表した。
4) ソニー・コンピュータエンタテインメント社
前年の予告通り、3月4日ソニー・コンピュータエンタテインメント社はPlayStation 2を発売した。これに対抗するようにMicrosoft社はXboxを発表する。
アメリカ政府の動き
1) 米大統領、科学技術関連の研究予算増を提案
クリントン米大統領は1月21日、カリフォルニア工科大で演説し、「米国経済の原動力である科学技術をさらに強化するため、来年度の研究予算を28億ドル増やしたい」と述べた。インターネットなどコンピュータ関連技術と生命科学が柱で、承認されれば、2001年度(2000年10月からの1年)の科学技術関連の研究予算は約430億ドル(約4兆5000億円)となる。大統領はとりわけ、米国の経済成長をもたらしたインターネットを中心とする情報技術の役割を強調、高速コンピュータ通信網やワイヤレス通信網など情報技術関連の支出を約10ドル増加させたいとした。その担い手として全米の大学などに研究費を配分すNSFの予算は17%増と過去最大の伸びで、46億ドルとなる。2月、議会下院はNITRD法(the Networking and Information Technology Research and Development Act)を超党派で通過させ、コンピュータや科学研究を推進し、アメリカが技術のリーダーであり続けるために69億ドルの施策を承認した。これは前年度の予算を倍増するものであり、今後5年間にインターネットや医療へのコンピュータ技術の応用について多額の研究投資を行う。
2) ASCI White
6月30日、IBM社は世界最速のスーパーコンピュータASCI Whiteが完成したと発表した。これは375 MHzのPOWER3を8192個用いたRS/6000 SPスーパーコンピュータで、1ノード当たり16 CPUで512ノード、全体では12.288 TFlopsのピーク性能を持つ。この時点ではPoughkeepsieのIBM工場にあったが、8月にLLNLに設置し、11月のTop500において4.938 TFlopsで首位を獲得した。ピーク性能が12 TFlopsもあるのにこのLinpack性能は低すぎる。2001年6月のTop500ではLinpack性能が7.226 TFlopsに向上した。
3) ASCI Q
1998年のところに書いたように、1998年2月、Clinton大統領は、ASCIの一環としてPathforward Programを発表し、30 TFlopsを目指して、Digital Equipment社、IBM社、Sun Microsystems 社、Silicon Graphics/Cray社の4社と4年間$50Mの契約を締結した。
DOEのNNSA (National Nuclear Security Administration)は2000年8月22日、ASCI Whiteの次の30 TFlops級のマシンASCI Q(LANLに設置)をDigital Equipment社を買収したCompaq社に発注したことを発表した。競っていたSun Microsystemsは敗退した。ASCIはred – blue – whiteと色でcode nameを付けて来ており、今度は”Turquoise”(ターコイズブルー、トルコ石色)であったが、発音が難しいのでただ“Q”としたようである。DEC Alpha EV68 (1.25 GHz) を32個搭載のAlphaServer GS320約375台をQuadricsのネットワークで結合したものを予定していた。CPU総数は12000個、総メモリは12 TB。当初は2002年に運用開始を予定していたが、完成は2003年に遅れ、実際には8192 CPUでピーク20.48 TFlops、Linpack13.8 TFlopsであった。不幸なことに地球シミュレータの後塵を拝してしまい、最初から2位であった。当初のオプションとして、将来のAlphaプロセッサ(EV7、EV8)にアップグレードし、2004年までに100テラFLOPSを発揮するシステムを構築することも視野に入れていたが、実現しなかった。
4) NERSC
1999年のところに書いたようにNERSC (Nuclear Energy Research Supercomputer Center, LBNL)は次期スーパーコンピュータとしてPOWER3を用いたIBM RS/6000 SPシステムを選定したが、そのPhase Iとして2-wayのPOWER3 (200 MHz) SMPノード304台から成るシステムが予定より早く設置され、3月末にはテストを終わり正式に受け入れられた。2000年11月のTop500によると、CPUは604個(2ノードが故障か?)で、ピーク483.2 GFlops、Linpackは310.3 GFlopsであった。
Phase IIでは、16-wayのPOWER3+ (375 MHz) SMPノード152台からなるシステムを、遅くとも2000年12月の設置を予定していたが、実際には2001年になった。2001年6月のTopr500では堂々2位にランクしている。
5) NPACI
1997年に発足したNSFのPACIの一つである、SDSC (San Diego Supercomputer Center)を中心とするNPACI (The National Partnership for Advanced Computational Infrastructure)は、1997年11月に128ノードのIBM RS/6000 SPシステム(SP P2SC 160 MHz)を導入して以来、システムを増強してきたが、2000年9月、1152プロセッサのIBM RS/6000 SPシステムを”Blue Horizon”と名付けた。11月にはこれを375 MHzのPOWER3-IIプロセッサ1152個のシステム(ピーク1.728 TFlops)に増強し、11月のTop500において929 GFlopsで8位を占めた。
6) LANL火事
5月上旬、アメリカニューメキシコ州のチェロ・グランデで山火事が起こり、住宅地やLANL (Los Alamos National Laboratory)に迫った。5月4日の山焼きの火が予想外に広がったとのことである。5月8日LANLは閉鎖され、5月10日にはLos Alamosの住民に避難命令が出た。LANLでも建物の一部が損傷した。5月15日に避難命令解除。5月22日LANL再開。200平方キロ近くが焼失し、$1B以上の損害を出した。最終的に鎮火したのは7月20日であった。(Wikipedia “Cerro Grande Fire”参照)研究員は自宅待機で、研究所のコンピュータにログインして様子をみるだけのようである。ちょうど5月8~11日に近く(40 km)の州都Santa FeでICS 2000国際会議が開かれていて、筑波大学のB氏も滞在していたとのことである。同じような火事騒ぎが2011年7月にも起こっている。
中国の動き
1) 上海スーパーコンピュータセンター
2000年12月28日、上海スーパーコンピュータセンター(上海超級計算中心)が上海市からの1億元の資金により創立され、Sunway 1というMPPを設置した。これは500MHzの Alpha(モデル名不明)を480個搭載し、384 GFlopsである(Linpack性能かどうか不明)。当時中国にはTop500に登録するという発想はなかった。なお、中国で最初にTop500に登場したのは2001年11月である(Hewlett-Packard製)。また2003年には、Sunway 64P Cluster systemを設置した。これは、2.4 GHzのIntel Xeonを64個搭載し、302.8 GFlopsである。
2004年に、中央政府から3000万元、上海市から9000万元の資金を得てDawning 4000A (曙光、Opteron 2.2 GHz, 2560 cores, Myrinet)を設置し、2004年6月のTop500ではLinpack性能8.061 TFlopsで10位にランクされた。正式稼動は11月15日。その後、中央政府から1億元、上海市から2億元を得て、Dawning 5000A (QC Opteron 1.9 Ghz, 30720 cores, Infiniband, Windows HPC 2008、愛称Magic Cube)を設置し、2008年11月にはLinpack性能180.6 TFlopsで同じく10位にランクされている。正式稼動は2009年6月。
2) 国防科学技術大学
1997年のYinhe-3(銀河3号)に続き、2000年にはYinhe-4(銀河4号)が発表された。1024プロセッサでTFlops級ということだが、詳細は不明。
3) 曙光
曙光信息産業有限公司(Dawning Information Industry)は、2000年、曙光3000(403.2 GFlops)を発表した。CPUは不明であるが、CPU数は280。2001年3月9日、国家証明を得た。目的の一つはヒトゲノムの解析である。
4) 中芯国際集成電路製造
2000年、張汝京 (Richard Chan)により、Semiconductor Manufacturing International Corporation(SMIC、中芯国際集成電路製造有限公司)が上海で設立された。
世界の学界の動き
1) Grid Forum 3
SDSCとNPACIは3月22から24日に第3回のGrid Forumをホストした。詳細は不明。標準化のところに書くべきだったかも知れない。
2) HPCN Europe
第8回目にあたるHPCN Europe 2000 (High Performance Computing and Networking Europe)は5月8~10日にAmsterdamで開催された。会議録はLecture Notes in Computer Science 1823として出版されている。出席した人の話では、だんだん評判が下がっているとのことである。事実、次の第9回(2001年)で終了する。
3) HPC Asia 2000
第4回目にあたるHPC Asia 2000 (High Performance Computing in the Asia-Pacific Region, 2000)が、5月14日~17日、北京の友誼賓館(Friendship Hotel)で開催された。IEEE/CSの後援を得た。Zhiwei Xu (National Research Center for Intelligent Computing Systems, Chinese Academy of Sciences)とS.C. Purohit (CDAC, India)と筆者が共同プログラム委員長を務めた。1999年12月にMaui島のHPCCでプログラム委員会が開催されたが、筆者は前述のチェコ訪問と重なり、行けなかった。413件の投稿論文があり、regular papersとして29%を受理、short papersとして残りの26%を受理、受理されなかった216件の論文から18%を選考してextended abstractを会議録に載せた。当時、友誼賓館にインターネットサービスはなく、ダイヤルアップで市内のプロバイダにつないでくれとのことであった。写真付きの参加報告がwebに残っている。
基調講演は、
–Gordon Bell, “The PC+ Era, When Computing, Storage, and Bandwidth are Free. The Challenges”
–Jack Dongarra, “High-Performance Computing, Numerical Libraries and Trends”
–Ian Foster, “The Grid: Adventures in Wide Area Computing”
–Richard Stallman, “Freedomware: The Free Software Movement and the GNU/Linux System”
の4件であった。併設イベントとして、”2000 Asia-Pacific International Symposium on Cluster Computing”と”Workshop on Scientific Computation and Software”と”Workshop on HPC Applications”が開かれた。
2001年のHPC Asia開催地はタイとオーストラリアとから提案があったが、オーストラリアに決まった。責任者はAPAC (Australian Partinership for Advanced Computing, ANU)のJohn O’Callaghan。
4) Mannheim Supercomputer Seminar
Mannheim大学のHans Meuer教授の主催するMannheim Supercomputer Seminarは、第15回目を7月8日~14日Mannheim市内で開催された。参加者は257人、展示は19件である。基調講演はGene Amdahl (Xbridge Systems, USA)であった。この会議は2001年からInternational Supercomputer Conferenceに改名される。
世界の学界の動きの続きは次回。6月のTop500では、ASCI Redがまだ首位を占めている。
(タイトル画像:NEC ACOS i-PX7300 出典: 一般社団法人情報処理学会Webサイト「コンピュータ博物館」)