世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


4月 4, 2016

HPCの歩み50年(第77回)-2001年(a)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

21世紀の最初の年となったが、9.11で世界が変わった一年であった。2か月後のSC2001は出展取りやめの日本企業や研究機関が相次いだ。日本電気は、ベクトルコンピュータをCray社にOEM提供することで合意し、懲罰的ダンピング関税が解除された。Hans Meuer教授がMannheim市内で続けて来た会議がISC (International Supercomputing Conference)として大きく発展した反面、Amsterdamを中心に細々と続いていたHPCN Europeは2001年が最後となった。10周年を迎えたLinuxは急速に業界の中心的位置を占めるようになった。

社会の動きとしては、1/6中央省庁再編、1/20ブッシュ(子)米大統領就任、2/9えひめ丸、米軍原潜により沈没、3/31 USJ開園、4/26小泉純一郎内閣発足、6/8池田小児童殺傷事件、7/20 『千と千尋の神隠し』日本で公開、7/21明石の歩道橋で花火大会の見物客が将棋倒し、9/1歌舞伎町ビル火災、9/4東京ディズニーシー開園、9/11米、同時多発テロ、10/5米、炭疽菌テロ、 10/7米軍、アフガニスタン爆撃開始、10/17 Wall Street Journalがエンロン社の不正会計疑惑を報道(12/2に連邦破産法11章適用を申請、破産へ)、11/12スーパーカミオカンデで大規模破損事故、光電子増倍管の70%を損失、11/16ハリーポッターシリーズ初の映画『賢者の石』公開、12/17青森県住宅供給公社巨額横領事件の経理担当職員千田郁司逮捕、12/22日本、不審船を銃撃自沈。この年、昨年に続いてノーベル化学賞を野依良治が受賞。エンロン社の破産は、電力自由化を進める日本にとっても他山の石とすべき事件であった。

個人的には2001年初頭から自宅がJCOMでインターネットにつながり、家でも仕事ができてしまうことになった。苦労の始まりかもしれない。

日本政府の動き

1) 中央省庁の再編
1月6日、1府22省庁は1府12省庁に再編された。文部省と科学技術庁は文部科学省に、通商産業省は経済産業省になった。科学技術・学術関係の6審議会「航空・電子等技術審議会」「海洋開発審議会」「資源調査会」「技術士審議会」「学術審議会」「測地学審議会」の機能を整理統合し、1月6日付けで「科学技術・学術審議会」が文部科学省に設置された。第一期は2001年2月1日~2003年1月31日。ちなみに、「科学技術」は旧科学技術庁の用語、「学術」は旧文部省の用語である。旧科学技術庁は宇宙・原子力・新技術など最先端技術志向であるのに対し、旧文部省は広く平等に伸ばそうという方向なので、合併してうまく行くか心配であった。英語名は“Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology”と長たらしいものになった。略号をMecsstではなくMextとしたのはちょっとしたアイデアであろうか。他の省庁の英語名も長ったらしく、お互いに笑い合っているのではないか、というジョークがあった、「メクスト鼻くそを笑う」。

筆者はこれまで新技術事業団(JSTの前身の一つ)、原子力研究所、理研、地球シミュレータなど科学技術庁系の組織とも関係が深かった。これを知っている文部省の役人からは「小柳さん、科技庁はいけません」とまるで「目のかたき」のように言われていた。「(文部省と科技庁が)合併してよかったでしょう」という人もいたが、「動物の国と鳥の国が合併したらコウモリはどこへ行けばいいのでしょう」という心境であった。大河ドラマで言えば、北条と徳川が手を結んだときの真田みたいなものか? 急遽、上杉と組むというわけにもいかないし。

中央省庁再編に合わせて、旧通商産業省工業技術院および傘下の15研究所を統合再編し、産業技術総合研究所(略称は産総研)が発足した。4月1日からは独立行政法人法の施行に伴い、独立行政法人となった。

科学技術庁傘下の金属材料研究所と無機材質研究所は2001年4月に統合され、独立行政法人物質・材料研究機構として発足した。

2) 総合科学技術会議
中央省庁再編に伴い、内閣主導により行われる政府内の政策の企画立案・総合調整を補助するという目的で内閣府が新設された。1945年2月に設置された科学技術会議は廃止され、内閣府に総合科学技術会議が設置された。その後、2014年5月19日に「総合科学技術・イノベーション会議」と改称された。

総合科学技術会議には情報通信プロジェクトが設置され、桑原主査のもとで2002年度予算への方策が検討された。この段階では、ネットワークに重点が置かれ、高速コンピュータは視野に入っていなかった。

3) 新興分野人材養成
科学技術振興調整費(現在の科学技術イノベーション創出基盤構築事業)では、「新興分野人材養成」プログラムが2001年度から始まり、初年度は7課題が採択された。「生物情報科学学部教育特別ユニット」(東大)、「産総研生命情報科学人材養成コース」(産総研)、「システム生物学者育成プログラム」(慶応大)、「奈良先端大蛋白質機能予測学人材養成ユニット」(奈良先端大)、「戦略ソフトウェア創造」(東大)、「セキュリティ技術者養成センター」(早稲田大)、「セキュア・ネットワーク人材養成」(大阪大)の7件である。期間は5年間。採択は2005年まで。筆者は最初の2年間、審査委員長を務めた。もちろん自分の研究科の提案のときは席を外した。

4) 地球シミュレータ
2000年3月から地球シミュレータの本体製作が始まった。2001年1月から5月にかけてノード間ケーブルの搬入敷設が行われた。5月には地球シミュレータ研究開発センターが海洋科学技術センター横浜研究所に移転した。6月からは機器の搬入が始まり、7月には最初の計算ノード2筐体(4ノード)が搬入された。こうして2001年12月末にはようやく全筐体の搬入が完了し、最終調整に入った。

2001年12月から、地球シミュレータ運用に向けて開発・チューニングが進められてきた応用ソフトウェアAFESとOFESを使用した性能確認が開始された。12月中旬、7ノードを使用したOFESによって、初めて全球10 kmメッシュの海洋大循環の処理結果が出された。またAFESの全球10 km メッシュの結果では高精密な雲(降水量)の分布画像が得られ、あたかも衛星写真かと見まがうほどであった。

2001年4月、地球シミュレータの運用を海洋科学技術センターが一元的に行うことが決まった。このため海洋科学技術センターでは地球シミュレータセンターの体制づくりが開始された。2001年7月10日、三好甫(はじめ)が初代センター長に就任したが、11月17日に逝去されたので、12月核融合科学研究所の佐藤哲也が地球シミュレータセンター長に就任し、日本原子力研究所理事の浅井清が地球シミュレータ研究開発センター長に就任した。『地球シミュレータ開発史』参照。

5) SINET
学術情報ネットワーク(SINET, Science Information NETwork)は1992年4月から運用を開始していたが、これをさらに高度化するSuper SINET計画が始まった。その後も更新が続いているので、前者をSINET1、後者をSINET2と呼ぶこともある。2001年8月31日、学術総合センターにおいて第1回スーパーSINETシンポジウム「スーパーSINETの構築と活用」が開催され、ネットワークの構想とともに、種々の研究分野における活用事例の研究発表が行われた。SINETは、実際には教育研究のインフラであるのに、「大型計算機センター同士やセンターとユーザーを接続する」という建前が語られ、違和感を覚えた。

2002年1月9日、学術総合センターにおいて「スーパーSINET開通式」が盛大に開催され、運用が始まった。開通式では、テープカットや加納文部科学大臣政務官や末松国立情報学研究所長などの挨拶があり、高エネルギー加速器研究機構とのネットワークを通して、菅原寛孝機構長の挨拶がハイビジョン映像で流れた。

6) 科研費特定領域(C)
2000年11月、文部省学術審議会に情報学部会が設置され、「大学等における情報学研究の推進について」を提言した。情報学部会の中に特定研究領域推進分科会を設置し、当面の具体的な推進方策について議論した。7つの重点分野を定めた。この提言に基づき、2001年4月に科研費特定領域(C)「ITの深化を拓く情報学研究」が発足した。総括は安西祐一郎(慶應義塾)、予算年間8億円。7つの重点分野のうち、何と!筆者が推進しようとした「超高速計算機システム」だけが外れた。すなわち

A01「新しいソフトウェアの実現」、
A02「コンテンツの生産・活用に関する研究」、
A03「人間の情報処理の理解とその応用に関する研究」、
A04「情報セキュリティに関する総合的な研究」、
A05「最先端の情報通信システムを活用した新しい研究手法」、
A06「情報化と社会制度の構築に関する研究」

の6班から成り、初年度には計画研究12件と公募研究88件が始まった。

7) ITBL
文部科学省は、2001年度から5年間で250億円を投じ(一部2000年度補正予算)、国立研究機関を構想ネットワークでつなぎ、計算資源やデータ資源の共用化、遠隔地との共同研究を可能とする仮想研究環境の構築と普及促進のためにITBL (IT-Based Laboratory)、正式名称は「IT革命を先導するための研究開発のIT化」というプルジェクトを開始した。目標は、「仮想研究環境構築に必要な情報基盤技術の開発」「プロトタイプ版による仮想環境の構築・技術検証」「仮想環境上でのアプリケーション開発」であった。当初は国立大学まで含める計画であったが、主として、旧科学技術庁傘下の6研究機関(日本原子力研究所、理化学研究所、航空宇宙技術研究所、物質・材料研究機構、防災科学技術研究所、科学技術振興事業団、いずれも2001/4の名称)で実施された。日本原子力研究所関西研究所にスーパーコンピュータ(富士通PRIMEPOWER、128 CPU/node、4 nodes構成、ピーク1.2 TFlos)を導入した。

一種のグリッドを目指していたようであるが、interoperabilityの概念が不十分で、VPNを利用した大部分旧科技庁ローカルな開発に止まった。国内連携としては5大学との接続、国際連携としては、StuttgartのHLRSのUNICOREとの相互接続の実験が行われている。ITBL基盤ソフトウェアの開発が行われ、2002年にα版プロトタイプが完成したが、その改良計画は中止されNAREGIに移行した。

当初、高速ネットワークを張って各研究機関のスーパーコンピュータの空き時間を活用すれば、計算資源など無限に(?)沸いてくるというような一般向け説明が行われたので、筆者などは眉をひそめた。実際には関西研に新しい計算資源を導入した。グリッドと称して新規の資源を設置するのは世界的な傾向であった。2001年11月に第1回ITBLシンポジウムが開催された。

関西研究所に設置されたITBL用のスーパーコンピュータ入札は、2001年7月2日に公告され、8月31日に締め切られた。日本IBM、日立、富士通、アルゴグラフィックスの4社から応札があったが、9月26日、日本IBMおよびアルゴグラフィックスに技術審査不合格が通知された。9月28日開札され富士通が落札したが、日本IBMは10月9日に政府調達苦情検討委員会に苦情申し立てを行った。

経緯は2001年12月21日付けの報告書に詳しく記されているが、日本IBMは、ベンチマークのXRAYのMPI使用において、新しいcommunicator作成のためのcallでreorder引数をTRUEとした場合rank番号の割り当てを変更することに対応していなかったと主張した。原研は、IBM製システムの定義が特殊であると主張した。苦情検討委員会は、この点について原研に重大な瑕疵を認めたが、ノード間通信速度および磁気ディスクと主記憶装置との間の総データ転送速度について仕様書の要求要件を満たしていないので、調達手続の結果を是認せざるを得ないと結論し、苦情申し立てを却下した。この裁定に対し原研側は、「再割り当ては、CPU間の物理的距離を小さくすることにより通信時間を短縮し、並列処理性能の向上を図ることが目的であり、スーパーコンピュータのように通信速度が高速な場合は必要がない。現在の6機種すべてにおいて、『再割り当て可能』としていても、再割り当てをしない仕様のMPIライブラリが使われている。従って、再割り当てをしないという命令文を入れなかったことは、少なくとも重大な瑕疵にはあたらない。」と反論している。

8) 原子力試験研究
原子力試験研究費は、日本の原子力の開発利用に関する試験研究を一体的かつ総合的に推進することを目的として1957年に創設された予算制度であるが、適切な評価を実施し、評価結果を資源の配分や計画の見直し等に反映するために、2001年4月10日の第14回原子力委員会定例会議は原子力試験研究検討会を設置した。座長は岩田修一(東大)。前年度まで基盤技術部会に関係していたため、この検討会に委員として参加し、「知的基盤WG」の責任を取ることになった。他には「生体・環境影響WG」(主査は嶋(東大))、「物質・材料WG」(主査は阿部(東北大)、「防災・安全WG」(主査は澤田(名大))があった。「知的基盤」は、人工知能やシミュレーション技術などの応用であるが、自分たちの独自な研究を無理矢理原子力への寄与をこじつけて提案する例が少なくなかった。この検討会は事前評価(申請の採否)、中間評価、終了評価を一貫して行う。なお原子力試験研究費は、2008年度より新規課題の採択を停止し、2011年度にすべての課題を終了した。2008年度からは「原子力基礎基盤戦略研究イニシアチブ」が始まった。

9) 文部科学省の移転
文部科学省研究振興局は、2001年7月23日、文部科学省別巻(旧科学技術庁)から郵政事業庁ビル12階に移転した。

2002年度分から、科研費の研究計画調書がMS Wordまたは一太郎で配布され、それに直接書き込んで提出できることになった。まあ一歩前進だが、「紙のものをそのまま電子にすれば、電子政府」という安易な発想が読めますね。

10) 新情報
2000年12月から始まった新情報処理開発機構(RWCP, Real World Computing Partnership)の中間評価は、第2回評価委員会を2月19日に、第3回評価委員会を3月22日に開いた。結果をまとめ4月20日の「産業構造審議会 評価小委員会」において鳥居委員長より報告された。5段階評価で付けた評点はかなり厳しいものになった。委員全体の印象として、集中研は高く評価できるが、分散研については多くの成果は出ているものの、補助金の感覚で、このプロジェクトでなければ挙げられなかった成果が明確でないという批判が出た。とくに、末端の各チームの話を聞くと、このプロジェクトの戦略性を認識していないのではないかと感じられることが多かった。

中間評価が終わったと思ったら、8月頃「次世代情報処理基盤技術開発(RWC)」の事後評価(最終評価)を行うという話が持ち上がり、今度は筆者が評価委員長を仰せつかった。事務局は川鉄テクノリサーチであった。第1回評価委員会は10月25日、第2回は11月8日、第3回は11月20日に開催された。また、プロジェクト評価の最終的な討論の場である経済産業省産業構造審議会評価小委員会(RWC)評価WGは2002年1月29日に開かれることとなった。

RWCP2001最終成果展示発表会」が10月3~5日に東京有明の東京ファッションタウンで開催された。この成果展示発表会は、各研究テーマの研究成果について、ユーザーの発掘・獲得、実用化等プロジェクト終了後の展開へつなげていくため、それぞれの最終的な研究成果を具現化した実証システム(プロトタイプシステム)を展示・実演し、想定される潜在的ユーザーに対して具体的に見せることを最大の目的としたものであった。600を超える幅広い企業・大学・機関から2000人を超える多数が来場した。

11) 産総研
2001年4月に独立行政法人として発足した産業技術総合研究所(産総研)の情報処理研究部門(大蒔和仁部門長)と知能システム研究部門(谷江和雄部門長)は、10月18日にオープンハウスを行った。

お台場にある産業技術総合研究所 生命情報科学研究センター(産総研CBRC)では、バイオインフォマティックス用のPCクラスタMagiを開発しつくばに設置した。ノードは933 MHzのPentium IIIを2基搭載するNECのPCサーバExpress5800を採用し、これを520台Myrinet (4 Gbps)で接続する。システムソフトウェアはLinux上で動作するRWCPで開発したScoreを利用する。同センターは2001年10月4日、Linpackで654 GFlopsを達成したと発表した(11月のTop500では39位)。この日、PCクラスタコンソーシアムも発足。

経済産業省は12月30日に産学官連携情報技術共同研究整備として、200億円を投じて次世代スーパーコンピュータを備えた新たな研究施設をつくば市に建設することを発表した。

12) 天才プログラマー/スーパークリエータ
1999年に提案されたIPAの未踏ソフトウェア創造事業では、2000年度において306件の応募(提案テーマ数205件)から55件を採択して事業を実施した。9月18日成果が公開され、うち12名について「天才プログラマー/スーパークリエータ」と認定された。HPC関係では「高速化した計算機システムにおけるフーリエ変換ソトウェア」のテーマで高橋大介が認定されている。

13) つくばWAN
つくば市に設置されている最先端の研究機関や大学を専用の高速回線で結ぶ「つくばWAN」の構想が讀賣新聞3月4日号で明らかになった。参加するのは、産業技術総合研究所、国立環境研究所、文部科学省の研究交流センターと防災科学技術研究所などで、6つの国立研究所、7つの民間研究所、筑波大学なども参加を検討しているとのことである。ネットワークにより省庁の垣根を越え、情報交流を飛躍的に向上され、世界に通用する独創的な研究成果を生み出そうという構想である。といいながら、「それぞれが保有しているスーパーコンピュータをつなぐ」という表現が出て来るあたりが、当時の雰囲気を物語る。結局11機関が参加し、2002年春までに50kmに及ぶ光ファイバーでリング接続した。2001年3月15~16日にはTsukuba WAN International Symposiumがつくば市内で開催された。

次回は日本の学界の動きである。JSPPに併設されてきたPSC (Parallel Software Contest)は、当初の役割を果たしたということで、8回目の今年が最後となった。

(タイトル画像: 産業技術総合研究所のMagiクラスタ 出典:産総研が当時発表したプレスリリースより)

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