世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


4月 25, 2016

HPCの歩み50年(第80回)-2001年(d)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

HPCN Europeは衰退の一途をたどり今年が最後となった。これに対し、Hans Meuer教授の主催するISC (International Supercomputing Conference)は会場をMannheim市外に移し発展していく。5回目のHPC AsiaがオーストラリアのGold Coastで開催された。

世界の学界の動き

1) CCGrid
CCGrid (IEEE International Symposium on Cluster Computing and the Grid)の第1回CCGrid 2001が2001年5月15~18日、Bridbane, Australiaで開催された。Honorary ChairsはJack Dongarra (UTK/ORNL)とGreg Pfister (IBM)、General ChairsはRajkumar Buyya (Monash Univ., Australia) and George Mohay (Queenland Univ. of Technology, Australia)、Program ChairはPaul Roe (Queensland Univ. of Technology)、投稿論文126件、採択48件、参加者は162人。2000年7月ごろからCFPが流れていた。プログラム委員にはそうそうたる面々が名を連ねているが、日本からは石川裕と松岡聡の名が見える。

Keynote talksは以下の通り。

a) Ian Foster (ANL), “The Anatomy of the Grid: Enabling Scalable Virtual Organizations”
b) Andrzej Goscinski (Deakin Univ., Australia), “Making Parallel Processing on Clusters Efficient, Transparent and Easy for Programmers”
c) D. Laforenza (CNUCE), “Programming High Performance Applications in Grid Environments”
d) Bruce Maggs (Carnegie Mellon Univ. and Akamai Technologies, Inc.), “Global Internet Content Delivery”
e) Satoshi Matsuoka (Titech), “Grid RPC meets Data Grid: Network Enabled Services for Data Farming on the Grid”
f) Greg Pfister (IBM), “The Promise of InfiniBand for Cluster Computing”

2) International Supercomputing Conference 2001
1986年からMannheim Supercomputer SeminarとしてMannheim大学やMannheim市内で開いてきた会議は、2001年からInternational Supercomputing Conference (ISC)と改名した。2001年はHeidelberg市の会議場で6月20~23日に開催された。基調講演はLeonard Kleinrock (UCLA)。参加者は340名、展示は19件であった。

この会議で日本原子力研究所地球シミュレータセンターの谷啓二が完成間近の地球シミュレータについて講演した。地球シミュレータは地球科学の2つの重要分野、大気海洋相互作用と固体地球を解明しようとしている。前者については全球、地域、局所に対して高精度のモデルを開発している。後者については固体地球全体を記述する動力学モデルを開発し地震発生のメカニズムを研究する。1996年から検討を始め、キャッシュベースのマイクロプロセッサの分散並列システムとベクトルプロセッサの並列システムとを比較した。大気モデルのプログラム AGCM (CCM2)の性能評価を行ったところ、前者ではピークの7%しか出ないが、後者では30%が出る。このため日本電気のSX技術を用いた分散並列ベクトルプロセッサを採用することにした。地球シミュレータは640ノードから構成される分散メモリMIMD並列システムであり、各ノードは8台のベクトルプロセッサから構成され、共有メモリは16 GBである。全系のピーク性能は40 TFlopsでメモリは10 TB。接続ケーブルは2900マイルで220トンにもなる。Linpack性能は期待できるが、重要なことはAGCM 5.4 や POM modelなどの実際のアプリで性能が出ることである、と結んだ。(7月6日付けHPCwire所載C. Lazouの記事による)

3) Top500(2001年6月)
ISC2001に合わせて6月21日に第17回のTop500リストが発表された。Top10は以下の通り。ASCI WhiteのRmaxは前回の4.938 TFlopsからかなり改良された。現在のリストは当初の発表と微妙なずれがある。10以上には変更がない。

順位 設置場所 機種 コア数 Rmax Rpeak
1 LLNL ASCI White 8192 7226.0 12288.0
2 NERSC SP Power3 375 MHz 2528 2526.0 3792.0
3 SNL ASCI Red 9632 2379.0 3207.0
4 LLNL ASCI Blue Pacific SST 5808 2144.0 3856.5
5 東京大学 SR8000/MPP 1152 1709.1 2074.0
6 LANL ASCI Blue Mountain 6144 1608.0 3072.0
7 Naval Oceanographic Office SP Power3 375 MHz 1336 1417.0 2004.0
8 大阪大学 SX-5/128M8 128 1192.0 1280.0
9(tie) NOAA R&D SP Power3 375 MHz 1104 1179.0 1656.0
9(tie) 同上 同上 同上 同上 同上

今回はIBMの存在が目立つ。Top10でも6システム、全体を見てもシステム数で40%、Linpack性能で43%を占める。第2位は、システム数では16%のサンマイクロシステムズ、性能では%13%のCray社である。第3位はSGI社で、システム数で12.6%、性能で10.2%であった。Rmaxが1 TFlopsを越えたのは12システムあり、その中で大阪大学のSX-5は1 TFlopsを越えた初めてのベクトルコンピュータである。

日本国内の100位以内のシステムは以下の通り。性能の単位はGFlops。CP-PACSはついに64位まで後退した。

順位 設置場所 機種 コア数 Rmax Rpeak
5 東京大学 SR8000/MPP 1152 1709.1 2074.0
8 大阪大学 SX-5/128M8 128 1192.0 1280.0
15 高エネルギー物理学研究所 SR8000-F1/100 100 917.0 1200.0
17 東京大学 SR8000/128 128 873.0 1024.0
21 東北大学金属材料研究所 SR8000-G1/64 64 790.7 921.6
24 気象庁 SR8000-E1/80 80 691.3 768.0
31 東京大学物性研究所 SR8000-F1/60 60 577.0 720.0
32 九州大学 VPP5000/64 64 563.0 614.4
35 新情報(つくばセンター) SCore III/PIII 933 MHz 1024 547.9 955.4
45 名古屋大学 VPP5000/56 56 492.0 537.6
46 京都大学 VPP800/63 63 482.0 504.0
48 産総研TACC SR8000/64 64 449.0 512.0
61 原子力研究所 ORIGIN 3000 500 MHz 512 405.6 512.0
64 筑波大学計算物理学研究センター CP-PACS/2048 2048 368.2 614.4
71 理化学研究所 VPP700/160E 160 319.0 384.0
82 電力中央研究所 VPP5000/32 32 296.1 307.2
87 分子科学研究所 VPP5000/30 30 277.0 327.7
92 気象研究所 SR8000/36 36 255.0 363.6
95 東北大学 SX-4/128 128 244.0 256.0
99(tie) 金属材料技術研究所 SX-5/32H2 32 241.4 256.0
99(tie) 東北大学流体科学研究所 ORIGIN 2000 300 MHz 640 241.4 384.0

 

4) HPCN Europe
第9回のHigh Performance Computing and Network EuropeはAmsterdam Science and Technology Centreで6月25~27日に開催された。会議録はSpringer社のLecture Notes in Computer Science No. 2110として発行されている。日程は当初3月に予定していたが、Global Grid Forumのため変更され、ISC2001とほぼ接続する形になった。

この会議で、中島研吾(RIST)、奥田洋司(東大工)らによる論文“Parallel 3D Adaptive Compressible Navier- Storks Solver in GeoFEM with Dynamic Load-balancing by DRAMA Library”がBest Paper awardを受賞した。

参加者の話によると、人数も減り、企業展示も少なく、会場も狭くなったという。e-mail room も大学の計算機室を借りたようであるが、SUN workstationが数台あるだけで、Wi-Fiはおろかethernet portもないありさまであった。結果的にこの回がHPCN Europeの最後となった。

5) WOMPAT 2001
WOMPAT 2001 (Workshop on OpenMP Applications and Tools 2001)は、2001年7月30~31日にPurdue大学で開催された。会議録はSpringer社のLNCS (Lecture Notes in Computer Sciences) 2104に収録されている。

6) EWOMP 2001
第3回のEWOMP 2001 (European Workshop on OpenMP)が、2001年9月8~9日にBarcelona Hilton Hotelで開催された。これはEWOMP’99, EWOMP’00に続くものである。ホストはCEPBA (European Center of Parallelism of Barcelona)およびComputer Architecture Department of the Technical University of Catalunya (UPC)であった。このワークショップはPACT’01 (International Conference on Parallel Architectures and Compilation Techniques)の一部として開催された。

7) HPC Asia 2001
約1年半に一回開催してきたHPC Asiaは第5回をAPAC (The Australian Partnership for Advanced Computing)の主催でオーストラリアにおいて開催することとなった。タイが対抗馬であった。APACの代表はJohn O’Callaghan。会場としては、ケアンズ、タウンズビル、ブリスベン、ゴールドコーストなどの候補があったが、ゴールドコーストに決まった。

これに先立ち、SC2000では11月8日の夕方にBoF “HPC Asia 2001”を設定し、会議についての議論を行った。

2001年2月14~16日には、予定会場に近いBond University, Gold CoastでSteering Committeeがあり筆者も出席した。出席は20人。タイやベトナムから初めて委員が参加した。筆者は、“The Strategic Promotion of Information Science and Technology of the Japanese Government”というプレゼンを行った。Bond大学は私立の大学で、Bond Corporationと日本の不動産投資会社のEIEイインターナショナルの合弁で1987年に設立されたそうである。EIEグループはバブル期に巨額の不動産投資を行い、総資産は1兆円を超えていたと言われるが、バブルの崩壊とともに資金繰りに窮し2000年に破産した。

本会議は2001年9月24 ~28日にRoyal Pines Resort, Gold Coast (Australia)で開催した。この日付は大学の学期の中間休みに合わせたそうである。投稿論文の締め切りは5月14日。Royal Pines Resort は、日本資本の高級ホテルで所内にはゴルフコースもある。部屋もきれいで広く快適であった。米同時多発テロの影響を心配したが、オーストラリアはさすがに遠かった。

基調講演は、

―Sid Karin, National Partnership for Advanced Computational Infrastructure and San Diego Supercomputer Center
―Mike Levine, Pittsburgh Supercomputing Center
―Don Dossa, Lawrence Livermore National Laboratory
―Rubin Landau, Oregon State University

の4人であった。講演題目の記録は見つからない。

筆者は家内同伴で出席し、空いた時間は家内のレンタカーで遊び回った。会議中の夜に、スプリングブルック国立公園の洞窟に土ボタルを見に行ったり、終了後にカランビン・ワイルドライフ・サンクチュアリにコアラなどを見に行ったり、観光の記憶しかない。

主要航空会社のQantas航空はOne World加盟なので、Star Allianceでオーストラリアに行くには大阪からAnsett Australia航空(ニュージーランド航空の子会社)でシドニーへ行くという手があったが、同社は会議直前の9月14日経営破綻により全便の運行を停止した。どうでもいいことであるが。

次回はインドで2002年12月に開催されることに決まり、会場はDelhi近くの工業都市Puneということであった。実際に開催されたのは南部高原のBangaloreであった。

8) APGrid Workshop 2001
Asia Pacific Grid Workshop 2001は、2001年10月22~24日に品川プリンスホテルで開催され、161名の参加があった。タイ4名、台湾3名、韓国2名、シンガポール2名、中国1名、ベトナム1名、オーストラリア3名、北米11名、欧州3名、日本128名など。1日目はGridの基盤ソフトウェアであるGlobus、Condor、Ninfについてのチュートリアルがあり、2日目には基調講演、および各国の主要なアクティビティの紹介、3日目にはGGFの活動報告、産業界の取り組みの紹介、データグリッドなど。懇親会は屋形船をチャーターしたとのこと。

9) SC2001
SC2001 (11/10-16)とその関連事項については別項で述べる

10) ATLAS
ソフトウェアの自動チューニングの嚆矢であるATLAS (Automatically Tuned Linear Algebra Softweare)はこのころから研究開発されており、R. Clint Whaley, Antoine Petitet, and Jack J. Dongarra (2001). “Automated Empirical Optimization of Software and the ATLAS Project” (Parallel Computing 27: 3–35)が発表された。

11) 量子コンピューティング
IBMのAlmaden研究センターで、Shor’s Algorithm を始めて「実用的に」実行したというニュースが12月21日にあった。なんと、15=3×5 の因数分解ができたという快挙!! 5つのフッ素原子と2つの炭素原子から、7つの核スピンを持つ新しい分子を合成し、7 qubitsの計算を行った。

12) SSQ II
科学と宗教の問題を議論するSSQ II (Science and Spiritual Quest II)のコンピュータ科学部会が、昨年のニューヨークに引き続き、5月23~26日にParisのUNESCO本部であった。筆者は、科学とキリスト教の闘争について発題した。近代科学はキリスト教の土壌でのみ育ったが、キリスト教のImago Dei(神の像)という人間観は、環境破壊の元凶と批判されている。キリスト教が進化論を嫌う4つの理由を挙げ、いずれも根拠がないことを議論した。筆者のプレゼンにAzriel Rosenfeldというコンピュータ科学者(Director, Center for Automation Research, University of Maryland)がコメントしたが、かれはユダヤ教のラビ(教師)であり、いささか緊張した。かれは唯一神教という意味ではキリスト教もユダヤ教も同じであり、創造性と環境への奉仕は結局一致する。進化論を嫌うのは「偶然」が問題だろう、と言った。別の参加者から、筆者が自分の造語だと言ったscientism(科学主義)という言葉が既に広く使われているという指摘もあった。いろいろ議論が盛り上がった。

Tree algorithmで有名なPiet Hut (IAS, Princeton)氏が夫人(池上えいこ氏)同伴で参加していた。筆者も家内同伴だったので、Hut氏抜きの3人でパリのビストロで夕食を楽しんだ。

アジアの動き

1) iHPC
前に述べたように筆者はシンガポールのiHPC (Institute for HPC)のInternational Advisory Panelを委嘱されていたが、2月26~28日にその会合がシンガポールで開催された。家内も同伴した。他のメンバーは、Dr. Alfred Brenner (IDA), Prof. D.R.J. Owen (Swansea Univ., UK), Dr. Lean-Luc Lambia (AOL), Dr. Richard Hirsh (NSF), Dr. Horst Simon (NERSC)であった。

2) Dawning Information Industry
1996年のところに書いたように曙光信息産業有限公司(Dawning Information Industry)は、中国科学院コンピュータ技術研究所からのスピンオフとして設立された。同研究所は1993年に曙光一号を、1995年に曙光二号(Dawning 1000)、2000年にDawning 2000を開発している。4世代目のDawning 3000が製作され、2001年1月28日に国家の認証を得た。これは10個のラックから成り、280 CPUでピーク性能は403.2 GFlopsである。CPUは不明。

このマシンはTop500には出てこない。DawningシリーズでTop500に登場するのは、2004年6月の10位にある上海スーパーコンピュータセンターのDawning 4000A(Opetron 2.2 GHz, 2560 cores、Rmax = 8061.0 GFlops)が最初である。

3) 中国がTop500に登場
11月、はじめてTop500に中国にあるマシンが登場した。148位以下32台並んでいるHPのSuperDome/Hyper Plexの一つである。設置場所は山東省の中国農業銀行(Agricultural Bank of China)。Wikipediaによるとこの銀行は中国の四大商業銀行の一つ。

次回はダイナミックなアメリカ企業の動きである。

(タイトル画像: 当時TOP500の首位となったASCI White  出典:LLNL)

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