世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


5月 9, 2016

HPCの歩み50年(第81回)-2001年(e)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Crayを社名ごと買収したTera社は、CMOSのMTA-2を完成させ、日本に出荷した。Sun Microsystems社はSun Fire 15000(コード名StarCat)を発売した。

アメリカの企業の動き

1) IBM社
新年早々、IBM社はASCI White に次ぐ世界最大の 7.5 TFlops のSP POWER3をゲノム解析のNuTec Science(本社アトランタ)に売ったという景気のいいニュースが流れていた。また、8月には、イギリス政府の進める巨大なコンピュータ・ネットワークの拠点構築を受注したとのニュースもあった。

10月4日、POWER4を搭載したeServer p690 (コード名Regatta) を発表した。偶然とも思えないが、日本ではSun Fire 15000と同じ発表日であった。POWER4は、1999年10月発表され、銅配線やSOIなどを採用し、dual coreでクロック当たり5命令を発効でき、out-of-order実行をサポートする。オンチップでL2キャッシュを持つ。クロックは1.1 GHzまたは1.3 GHz。Itanium(コード名Merced)対抗と見られていた。本格出荷は12月14日から。東京都立大学では2002年1月から稼働させると発表された。OSはIBMのAix Unixが標準であるが、Linuxでも動く。

IBM p690は、遠くはSequent社の技術の流れを汲む共有メモリマシンであり、Regatta(複数の人数によるボート競技)というコード名はそれを表現しているのかもしれない。IBM社によれば、eServer p690には、自己管理/自己修復が可能なサーバ開発プロジェクト「Project eLiza」の技術を取り入れているとのことであり、そのため、p690は、複数階層の自己修復技術を提供し、コンポーネントの故障やシステムのエラーが発生した場合も、動作し続けることが可能と強調している。

2000年にECMWF (European Centre for Midium-range Weather Forecast)は100プロセッサのVPP5000を設置したが、2001年12月21日、IBMはp690 (Regatta)の大きなシステム”Blue Storm”を受注したと発表した。最後はSX-6との一騎打ちだったようである。技術的には、ベクトル化とキャッシュ有効利用のブロック化との優劣であった。従来、有限要素法はリストベクトルによってベクトル化できるのでベクトル計算機に有利とされてきたが、実用コードでは節点毎の計算量が多く、キャッシュが十分あればスカラマシンでもかなり高速化できるようになった。

2003年11月のTop500からp690の100位以内の設置機関を示す。

順位 設置場所 機種 設置年 Rmax
13 NCAR pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2003 4184
16 HPCx (UK) pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2002 3406
18 Naval Oceanographic Office (NAVOCEANO) pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2002 3160
23 ECMWF(2台) pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2002 2560
28 IBM (Canada) pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2003 2310
28 ORNL pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2002 2310
31 Max-Planck-Gesellschaft MPI/IPP pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2003 2198.44
34 US Army Research Laboratory (ARL) pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2002 2140
39 National Centers for Environmental Prediction (USA)(2台) pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2002 1849
42 KISTI Supercomputing Center(韓国) pSeries 690 Turbo 1.7 GHz 2003 1760
76 IBM (USA) pSeries 690 Turbo 1.7 GHz 2003 1424
79 CINECA (Italy) pSeries 690 Turbo 1.3 GHz 2002 1384
91 CSC (Center for Scientific Computing)(Finland) pSeries 690 1.1GHz 2002 1170
91 Florida State University pSeries 690 1.1GHz 2002 1170

 

1999年12月6日に発表された超並列コンピュータBlueGeneの開発については、アメリカのIBMの開発者が何度か来日して講演をしていったが、毎回設計が変わり詳細は一向に分からなかった。7月に開発者の一人であるMarc Snirは、世界中にメールを送り、自分はIBMのWatson研を辞め、8月21日からIllinois州立大学Urbana Chanpaign校のCS教室主任になると発表した。何があったかは分からないが、このころBlueGeneの設計が大きく変わったようである。IBMはいろんなところに売り込んでいるらしく、ニュースが流れていた。8月には、ORNLとBlueGeneを使ったヒトたんぱく質の分子構造解析研究など生物学分野での共同研究開発に合意した、と伝えられた。また、11月には、LLNLとBlueGene/Lを開発するという発表があった。これはこれまでのBlueGeneからは大きく変更されていた。チップ当たりわずか2 CPUでメモリはボード上に置く、しかも一方のCPUは通信専用ということであった。実際には両方を計算に使う方式も開発された。これはBlueGeneの本流なのか、それとも傍流なのか、この時点では分からなかった。

MTA2-680x650

日本に設置されたMTA-2

(写真提供: 福井 義成氏)

2) Cray社
Cray Inc.は2001年4月17日、最初のCray SV1exをARSC (Arctic Region Supercomputing Center)に設置したと発表した。これは$3Mの契約の一部であり、SV1(2000年に設置したものか)のリプレースである。7月には64プロセッサのSV1exをNAVOCEANO (Naval Oceanographic Office)から受注したと発表した。

マルチスレッド・アーキテクチャでは、CMOSで作ったMTA-2が12月初めて出荷された。出荷先は米国外ということ以外公表されなかったが、日本の独立行政法人電子航法研究所(国土交通省所管)に4プロセッサのシステムが出荷されていたことが判明した。Cray社によると、さらに大きな40プロセッサのMTA-2システムを2002年の第1四半期にNorthrop Grumman系列のLogicon Inc.に$5.4Mで出荷する予定。これは結局Naval Research Laboratory(ワシントンDC)に設置され、2002年10月にテストを終了した。結局この2台しか売れなかった。

11月13日、Cray社は次期ベクトルコンピュータ(コード名SV2)の技術情報の一部を公表した。クロックは800 MHz、ベクトルパイプは8本で、プロセッサ当たり12.8 GFlopsとのことであった。我々をびっくりさせたのは、チップの冷却方法である。(ケースの外からでなく)チップに直接液体の冷媒を吹き付け、蒸発させることによって冷却するとのことである。チップの製造はIBM社に委託したという噂も流れていた。

3) Sun Microsystems社
2001年9月26日、Sun Microsystems社は長く待たれていたSun Fire 15000(コード名StarCat)を発表した。日本では、10月4日記者発表、翌日のERC (Education and Research Conference)で一般に披露された。これはStarfire E10000の後継機で、プロセッサは900 MHz銅配線のUltraSPARC III+である。L1キャッシュはチップ上にあり、命令32 KB、データ64 KB、L2キャッシュは外付けで8 MB。最大106個のCPUを搭載できる。共有メモリは最大576 GB搭載可能。相互接続は150 MB/sの「Sun Fireplane インターコネクト」で、冗長構成クロスバーインターコネクト。動的再構成を用いて最大18のdomainsに分割できる。OSはSolaris 8である。

4) Intel社
5月、やっとItanium(コード名Merced)が出荷された。180nmプロセスで製造され、クロックは733~800MHz。1994年にIntel社とHP (Hewlett-Packard)社がIA64の共同開発を発表し、1999年10月5日にSan Joseで開催されたMicroprocessor Forumでその詳細を明らかにするとともに、Itaniumという正式名称を発表した。本当はこのころ出荷している予定であった。4月26日、Intel社とUnisys社はニューヨークで、UnisysのES7000サーバにおいて初のItaniumのデモを行った。IBM、HP、Dellなど他社もItaniumを2~16個搭載したコンピュータを発売する予定とのことであった。長く待たされたCPUであったが性能は満足できるものではなかった。早くも次のMckinleyに注目が集まった。

IA32では、2001年3月までに1.3 GHzのPentium 4 や下位の800 MHzのCeleronを出荷することが発表された。10月2日には、AMDに対抗して1.2 GHzのCeleronを発売した。

Intel社およびCompaq社は、2001年6月25日に以下の発表を行った。

ーCompaq社は、自社のAlpha chipの製造ラインをフェーズアウトし、Alpha technologyのライセンス、toolを含めてIntelに売り渡す。
―「Tru64 UNIX」,「Open VMS」,Himalaya向け「NonStop Kernel」の各OSおよび開発ツールをItaniumプロセサに移植する。
―全ての Highend Server Production (Alpha ベース) を 2004 年までにIntel Itanium ベースへシフトする。
―Compaq は、Hardware Company から Business Service Company へ体質を変える。

すなわち、Intel社はAlpha部門を全面買収し、Alphaは開発中のEV7で終わりということになった。Alphaの技術者はいろんな会社に散ったが、Intelのみならず、AMDやIBMでも活躍したようである。

Intel社の創立者の一人であるGordon E. Moore(72歳)は2001年5月24日、取締役を辞すると発表した。議決権のない名誉取締役および名誉会長として社に留まる。

5) AMD社
2001年4月2日、AMD社は広帯域、低遅延のコンピュータバスであるHyperTransport(ハイパートランスポート)を発表した。この技術は、x86アーキテクチャではAMDとTransmeta、MIPSアーキテクチャではPMC-Sierra, Broadcom, Raza Microelectronicsなど、PCチップセットではAMD、NVIDIA、VIA、SiS、ULi/Ali、HPなど、サーバではHP、Sun Microsystems、IBM、IWillなどが用いている。(Wikipediaによる)

DuronプロセッサはAthlonからL2キャッシュを削減した廉価版であるが、8月24日Morganコアを採用した第2世代のDuronが1 GHz以上を実現したと発表した。この世代からは3DNow! Professionalに対応している。ラインアップは0.9~1.3 GHz、L1キャッシュはデータと命令が各64 KB、L2キャッシュは64 KB。

10月12日、AMDは1.53 GHzのAthlon XPを発表した。Pentium 4対抗のプロセッサである。

6) SGI社
2001年4月6日、SGI社は512プロセッサのOrigin 3800をNASA Amesで稼働させたと発表した。同社は世界最大の共有メモリマシンであると強調した。

1999年に会長兼CEOとなったBob Bishopは、2001年5月1日に新しい人事を発表した。Hal Covertを社長に、Warren PrattをCOOに任命した。

7) MIPS Technologies社
2001年7月、MIPS Technologies社はR14000を発表した。0.13μmプロセスで製造され、クロックは500 MHz。2002年2月には改良版R14000Aを発表した。日本電気が0.13μmプロセスで製造し、周波数は600 MHz。

8) Microsoft社
この年Windows XPが発売された。OEM版は10月25日、リテール版は11月16日。一般家庭向けのWindows 9x系をビジネス向けのWindows NT系に統合した製品である。筆者も長く愛用していたが、2014年4月8日でサポートが終了したのでやむを得ず買い換えた。

また、2001年11月、Xboxをアメリカで発売した。日本では翌年2月に発売。CPUはMobile Celeron 733 MHz、グラフィックはNVIDIA製のGeGorce改良版など

9) Apple社
2001年3月24日、AppleのMac OS X version 10.0(コード名Cheetah)が発売された。OS Xの初めての本格版であるが、まだ完成度は低かったそうである。

10) COMDEX
1979年から毎年11月Las Vegasで開催されている展示会COMDEXの主催者は、1995年にThe Interface Groupからソフトバンク社に変更されたが、2001年にソフトバンク社はこれをKey3Media社(Ziff Davisのスピンオフだそうである)に売却した。Key3Media社は経営不振となり2003年2月に連邦破産法第11章の保護を申請した。2004年6月に2004年の展示会は中止され、2003年が最終回となった。

日米貿易摩擦

1) 日本電気とCray社の提携
2000年のところで述べたように、日本電気や富士通のスーパーコンピュータを厳しく排斥してきたCray Research社(SGI社の一部門)は、Tera Computer社に買収され、2000年4月4日にTera Computer社がCray Inc.に名前を変えた。いろいろ交渉があったのであろうと思われるが、2001年2月28日3時30分(日本時間)、日本電気はCray社とスーパーコンピュータ分野に関する提携に合意し、契約書に調印したと発表した。反ダンピング関税の撤廃を申請し、受理されることを条件に、日本電気のベクトルスーパーコンピュータSX-5および後継機を10年間Cray社にOEM提供する。Cray社は北米とメキシコで独占的に販売するとともに、それ以外の国(日本を含む)では非独占的に販売する。合意の一部として、日本電気は5月11日までにCray社の無議決権優先株3125000株を1株$8合計$25Mで取得する(つまり資金援助する)。合わせて日本電気は販売・サポートの米国法人であるHNSX Supercomputers社の事業を1年以内にCray社に統合することも発表された。技術移転についての合意はなかった。

2) 関税撤廃
Cray社はアメリカ政府に日本製スーパーコンピュータのダンピング課税(日本電気製スーパーコンピュータに対し454%、富士通製に対し173.08%、他の日本メーカ(具体的には日立製作所)に対し313.54%、1997年8月21日)の解除を請求した。商務省は日本の3社のスーパーコンピュータに対する反ダンピング懲罰関税を撤回することを決定した。この撤回は2001年3月3日から効力を発生するとともに、2000年10月1日にさかのぼって抗力をもつ。

3) Buzbeeのコメント
NCARのSCD (Scientific Computing Division)に務めていてSX-4排斥の矢面に立ち、1998年に辞職したBill Buzbeeは、2001年4月13日付けのHPCwireでこの動きを歓迎する論説を発表した。その中でかれは、(政治家ではなく)科学技術者がどのようなツールを購入するかを決定する機能を与えられるべきであること、アメリカは国家の優先順位と合致する高性能コンピュータを製造すべきであることとを強調した。

4) Cray SX-6
2001年10月に日本電気がSX-6を発表すると、Cray社もCray SX-6の販売を始めた。最初に導入したのは、ARSC (Arctic Region Supercomputer Center, Fairbanks, Alaska)で、2002年6月11日に発表された。2002年6月にはカナダの企業に、9月にはTronto大学に2台販売された。筆者の知る限りこの4台が全部である。

次回はSC2001について述べる。同時多発テロの2ヶ月後で、アメリカ中が物々しい警戒のなかにあり、車は星条旗を立てて走っていた。

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