世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


7月 11, 2016

HPCの歩み50年(第90回)-2002年(f)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Cray社はスタンドアローンとしては最後のベクトルコンピュータであるX1を発表した。Hewlett-Packard社のFiorina CEOは創業家の反対を押し切って僅差でCompaq社との合併を実現した。Intel社がPentium/XeonのIA32とItaniumとの両面作戦で手を取られている間に、AMD社はx86-64アーキテクチャのOpteronを発表した。

アメリカの企業の動き

1) IBM社
1993年4月、ナビスコCEOからIBMのCEOに就任したLouis Gersnerは2002年1月25日に3月で退任することを発表した。後任は2000年10月からCOOについていたSamuel Palmisano。Palmisanoは2011年10月25日に辞任を発表するまで約10年間CEOの職にあった。

10月30日、Palmisano新会長は“On Demand Computing”という新しいテクノロジに$10Bを投入するという電撃的な発表を行った。現在IBM社が積極的に取り組んでいる“Grid Computing”と“Autonomic Computing”を組み合わせて、さらに新たな技術を追加したものとの触れ込みである。まあ、AutonomicはGersner時代のものなので、新しいキャッチコピーが必要になったのであろう。筆者の第一印象は、「何だ、メインフレームじゃあないか」であった。メインフレームの時代は、汎用コンピュータを情報部門が所有して、ユーザは自分の要求に応じてサービスを受けていたので、そのメインフレームの代わりに分散資源を置いたのではないか、と理解した。アメリカの全国大衆紙USA Todayは31日1面と2面のぶち抜きで報道していたが、それほどのものなのか??

GGFのところで述べたように、IBM社はOGSA (Open Grid Service Architecture)を提唱してグリッドコンピューティングに積極的に乗り出した。草の根で始まったグリッドは大企業IBMのビジネスに変貌した。

IBM社は2月25日カリフォルニア州San Mateoで開催中の“2002 Compound Semiconductor Outlook Conference”の基調講演において、同社が“SiGe 8HP”と呼ぶシリコン・ゲルマニウム化合物半導体を使って、動作周波数110 GHz以上の電子回路を開発したと発表した。リング発振器を動作させた段階だが、今年末までにはチップを作る、とのことであった。いわゆる「歪みシリコン(strained silicon)」のことであろうか?その後実用化したかどうかは不明。

IBM社は2月、主記憶の内容を圧縮する技術MXT (Memory eXpansion Technology)を発表し、主記憶の容量を2倍にしたのと同じ効果があると述べた。IBM社はこの技術を新しいIntel-baseのeServer xSeries 330に応用した。

2) Cray社
前に書いたように、2001年10月5日、Cray社は日本電気との合意によりSX-6のOEM販売を始めることを発表した。2002年6月11日、アラスカ州にあるARSC (Arctic Region Supercomputer Center, Fairbanks)に8プロセッサ、64 GBメモリのCray SX-6が設置されたと発表した。続いて6月28日、Cray社はSX-6を$2.7Mでカナダの企業に販売したと発表した。9月27日、Toronto大学に2台販売したと発表した。価格は公表されていない。大学では、地球の内部構造や大気に関連した研究に利用する。筆者の知る限り、Crayが売ったSX-6はこの4台だけのようである。

Cray社は2002年4月に、Cray社は次世代のスーパーコンピュータ(コードネームはSV2)の主要な技術問題を解決したと発表し、6月には2件、合計$19Mの契約を得た。これらは初期の空冷のシステムである。8月には米国海軍高性能コンピューティング研究センターAHPCRC (the U.S. Army High Performance Computing Research Center)から$9Mの契約を得たとのことである。

2002年7月には開発支援のために今後2年間に$10Mの資金を政府から得ると発表した。CEOのJames Rottsolkは、「政府は、Cray社が高バンド幅、高性能のシステムだけを開発しているアメリカで唯一の会社であることを認識している」と述べている。SV2のピーク性能は当面50 TFlopsでああるが、将来的には改良型により150 TFlopsに達すると豪語した。Cray社は以前からこのような援助を受けており、1999年9月、まだSGIの下にあったころ、SV2開発のためにNSAを含む複数の政府機関から経済的支援を受けている。

10月11日、Cray社は次世代のベクトルコンピュータX1(コードネームはSV2)を、正式発表前にすでに5ユニット出荷したと発表した。出荷先は公表されなかったが、以前に名前の出た組織であろう。3台は顧客の検収を済ませ、残りの2台も近々テストが完了する。これらはいずれも将来更新する(たぶん空冷から液冷に)ことを予定しているとのことである。

Cray X1システムはSC2002の直前米国時間11月14日に正式発表された。最高性能は52.4 TFlops(地球シミュレータをわずかに上回っている)、メモリは65.5 TBまで可能。システムに搭載可能なプロセサ数は8個から4096個(ノード数は2から1024)、メモリは32GBから65.5TB。早期生産した5台のCray X1は、AHPCRCと、ある顧客の導入検査に合格済みという。2000年5月のニュースでは、AHPCRCはこの頃$18.5Mの契約を、T3EおよびSV2のために結んでいる。またスペインの国立気象研究所が、$8.4Mの複数年契約でCray X1システムを発注しているとのことである。「最初の製品出荷は2002年末の予定で、2003年初頭には大量生産を開始する計画だ」とCray社は述べた。さらに1 PFlopsまで可能なシステムを2010年までに実現する、と述べた。

各ノードは4個のMSP (multi-streaming processors)からなり、各MSPは4本のSSP (single-streaming processors)からなり、各SSPは32ステージの64bit浮動小数ベクトルユニット2個と1個の2-wayスーパースカラユニットを持つ。ベクトルは800 MHzで、スカラは400 MHzで動く。各SSPは64bit演算で3.2 GFlopsの性能を持つ。4個のSSPは2 MBのEcacheを共有する。Ecacheはベクトル演算に必要なバンド幅を持つ。ランダムアクセスでも連続アクセスの半分のバンド幅を持つ。ノード当たり16 GBのメモリを持つ。

2002年11月のTop500によると、設置先は以下の通り。MSPを1コアと数えている。

順位 設置場所 機種 コア数 Rmax Rpeak
29 ORNL Cray X1 504 5.895 6.451
69 米国某政府機関 Cray X1 252 2.9329 3.2256
87 韓国気象庁 Cray X1 188 2.188 2.406
201 Cray社 Cray X1 124 1.4484 1.5872
201 ARSC 同上 同上 同上 同上
201 US Army HPC Research Center 同上 同上 同上 同上
446 米国某政府機関 Cray X1 80 0.937 1.024

 

マルチスレッド関係では、2002年10月11日、40プロセッサのMTA-2が、首都ワシントンにあるNRL (the Naval Research Laboratory)のテストを通過したと述べた。このマシンは、Northrop Grumman Information Technology社との契約によりNRLに設置されたとのことである。結局MTA-2は、前年日本の電子航法研究所に設置した4プロセッサのマシンと合わせて2台しか売れなかった。

3) Hewlett-Parckard社/Compaq Computer社
4ヶ月にわたる創業家の反対でCompaq社の買収は難航した。1月にNew Yorkで開かれたCompaq社の投資家やアナリスト相手の恒例の会合で、CEO のMichael Capellesは「HP社との合併交渉がつぶれたとしても我が社は生き残る」と豪語した。

Hewlett-Packard社は3月19日、委任状の票読みの結果、非公式ではあるがCompaqとの合併について十分な票数が得られそうだと発表した。HPのCEOであるCarly Fiorinaは声明の中で「HPの株主がこの合併がもたらす戦略的経済的な利益を認識してくれたことを感謝する。 Hewlett家やPackard家と関係のない過半数の株主はこの提案に賛成してくれた。今や、合併に賛成の人も反対の人も会社の利益のために力を合わせる時である。」と述べた。

直前にFlint Centerで開かれた株主総会では、反対派の創業家Walter Hewlettがロックスターのように登場すると、「Walter! Walter!」という歓迎の叫びが起こり、報道カメラマンが群がった。反対派は皆緑色の服を着ていた。これは合併反対の投票用紙が緑色だったからである。株主総会はFiorinaの型どおりの歓迎の挨拶で始まった。続いてWalter Hewlettが紹介されるとstanding ovationで迎えられた。Hewlettはこう述べた。「合併に関する熱を帯びた議論は、この会社の“魂”に関する議論であった。これまで聞いたことは、我々がこれまで言い続けてきたことの正しさを証明している。我々が受けた(合併反対に対する)支持を感謝したい。」

HP社の株主総会が僅差で承認したのに対し、3月20日HoustonのWyndham Hotelで開かれたCompaq Computer社の株主総会は、この$20B(約2.5兆円)の買収案件を9対1の大差で承認し、45分で終了した。ただ、「新会社の社長となるCapellasの給料はいくらか」という辛辣な質問があった。かれは「まだ決まっていない」と質問をかわした。Capellaは就任から約6カ月後の2002年11月12日に社長を辞任し、ワールドコムのCEOに就任した。

合併は5月に成立した。なお後のことになるが、Hewlett-Packard社は2015年11月1日に、HP Inc.とHewlett-Packard Enterprise社とに分割された。

合併後、類似する製品ラインの整理統合が計画された。特に注目されたのは1997年に吸収したTandem Computers社の遺産であるNonStop Serverであった。DECに由来するAlphaServerや、HPオリジナルのPA-RISC serverはやめてItaniumに統合するのではと予想されたが、8月頃、両方とも今後開発を続けると表明した。

5月に開催されたISCA29において、Compaq社(すでにHPと合併)は、EV8の後継として計画していたTarantulaというプロセッサを発表した。EV8をベースに32 waysのベクトル命令を追加し、ピークは150 GFlopsとある。消費電力は130W。まあ、絵に描いた餅に終わりそうであるが。

4) SGI社
2002年5月、SGI社は、384 CPUのOrigin 3800を日本の防災科学技術研究所に設置し、8月に運用を開始したと発表した。

米国時間11月11日、SGI社はOrigin 3900を発表した。MIPS 64ビットRISCプロセッサR14000を16個搭載した4Uのユニットで構成し、1ラックあたり最大128CPUと256GBのメモリを搭載可能。NUMAflex共有メモリ・アーキテクチャーにより、単一システムとしては最大512CPU、1テラバイトの大規模共有メモリを実現する。大規模な共有メモリが特徴である。東京大学ヒトゲノムセンターは世界で最初の大規模Origin 3900を購入した。1月から稼働予定。Top500リストではOrigin 3000シリーズは3800も3900も区別されていないのでよくわからない。後継は、2003年1月7日に発表されたItanium 2を搭載したSGI Altrix 3000である。

5) Sun Microsystems
前年Sun Fire 15000(コード名StarCat)を発表したが、相変わらず業績は上がらなかった。1990年代後半までの一人勝ちの状況とは様変わりである。2002年10月17日のWall Street Journalは、同社が7月から9月までの3ヶ月に$111Mの損失を出し、前年の10%に続いて、11%に当たる4400人を整理するであろうと予想した。

1990年代後半に成長したのは、銀行からドット・コムまでのオンラインビジネス用のハードやソフトの需要によるものであった。Sunはこれに対しSparcプロセッサとSolarisソフトウェアという同社独自のシステムで応えた。しかし、ドット・コムのバブルは崩壊し、大企業は技術への投資を削減した。それだけでなく、HPやIBMなどの競争会社が汎用チップを用いたUnixシステムを比較的安価に提供しているのに対抗できなかった。2010年にはOracle社により買収されることになる。

6) Intel社 (IA-32)
2000年11月20日にリリースされた第1世代のPentium 4(コード名Willamette)に続いて、2002年1月8日に第2世代のPentium 4(コード名Northwood)がリリースされた。何と前年12月27日には秋葉原で2.2 GHzのPentium 4がこっそり売られていたという情報もあった。これは130 nmテクノロジで製作され、L2 cacheは256ないし512 KB。この段階ではSMT (Simultaneous Multithreading, Hyper-Threading)はサポートされておらず、2月6日に近々搭載すると発表された。実際には11月からが利用可能となった。既に回路にはSMPを作り込んであり、動作しないようにしているだけで、AMDが新しい製品を出したらこれを稼働させるということであった。5月には2.53 GHzのPentium 4を出荷し始めた。バスも533 MHz。Itanium 2が霞むのでは、と気になった。8月26日には2.8 GHzを、年末商戦までには3.0 GHzを出すと発表した。これに対しAMDは、8月末までにはAthlon XP 2400+およびAthlon XP 2600+を出すと応じ、熾烈な競争を演じた。

サーバ向けのXeonは、Pentiumとの関連をモデル名に付けているのはPentium III Xeonまでで、NetBurstマイクロアーキテクチャ以降は単にXeonと呼ばれる。2002年2月25日に、コード名Prestoniaで開発されて来たXeon 1.8からXeon 2.2(1.8 GHzから2.2 GHz)がリリースされた。これはPentium 4の第2世代Northwoodをベースに開発されたものである。130 nmテクノロジで製作され、MMX, SSE2, Hyper-Threadingをサポートする。 L2 cacheは512 KBである。1月10日には各社から搭載製品が発表されていた。Hyper-ThreadingではBIOSがきちんと対応してればユーザからはプロセッサ数が倍以上に見える。性能は物理的なmulti processorには劣る。11月4日には、Gallatinのコード名で開発されて来た、Pentium 4第二世代のNorthwoodベースの新しいXeonプロセッサを3種リリースした。これらは8プロセッサまでのサーバに対応できる。周波数は1.5 GHz、1.9 GHz、2 GHzの3種であり、前二者は3次キャッシュを1 MB、2 GHz版は2 MB搭載している。テクノロジは130 nm。IBM社やHP社やDell社は早速このチップを搭載したサーバを発表した。Sun Microsystems社のUltra Sparc III搭載のサーバへの対抗と見られるが、Itaniumの市場を食ってしまうのではと危惧する向きもあった。

Intel社は8月13日、90 nmの集積回路のための微細加工技術にめどをつけ、2003年度後半に量産できると発表した。チップ上に3億個以上のトランジスタを集積できる。次世代Pentium 4(コード名Prescott)は90 nmプロセスで製作され、初期には3.2 GHz、2004年にかけて4~5 GHzに達すると予想された。

7) Intel社 (IA-64)
AMD社が64-bitチップ(コード名Sledgehammer)の正式名称を“Opteron”と発表した日(4月24日)の翌日、Intel社は第2世代のItanium(コード名McKinley)の正式名称を“Itanium 2”と発表した。おもしろくはないですね。性能は第1世代のItaniumの2倍という触れ込みであった。Itanium 2は180 nm テクノロジで製造され、1次キャッシュを32 KB、2次キャッシュを256 KB、3次キャッシュを3 MB同じダイ上に搭載し、最大1 GHzで走る。果たして初代Itaniumの悪評を打ち消すことができるのか? 6月には、ダイを10%縮小することに成功し、421 mm2となったことが発表された(それでも結構大きい)。IBM社やUnisys社やDell Computer社などはItanium 2を4台から64台搭載したサーバを発表すると予想された。Intel社は7月8日、Itanium 2の販売を正式に開始した。動作周波数は900 MHzと1 GHzで、L3 cacheの要領は1.5 GBまたは3 GB。

これに続くMadisonとDeerfieldは2003年中頃に、Montecitoは2004年内に予定している、との発表もあった。初代Itaniumと同様、予定は遅れた。Intel社は2002年6月19日、第3世代のItanium(コード名Madison)の試作品が完成し、複数のOSの起動に成功したと発表した。テクノロジは130 nm。来年には量産体制に入ると述べた。

シミュレーションソフトを販売しているMSC Software社は、IA64用のLinux MSC.Linux V 2002を売り出した。ターゲットはHPC分野である。Intel社とともにItaniumの開発に力を入れてきたHP社は、Red Hat社に対しItaniumに対応したLinuxを急ぎ開発するよう要請した。

8) AMD
AMD (Advanced Micro Devices)社は、2002年4月24日、これまで“SledgeHammer”と呼ばれていた64-bitプロセッサを“AMD Opteron”と名付けたと発表した。最初「タコ(Octopus)プロセッサ」かと笑ってしまった。同社によるとラテン語の”optimus”(最適な)から来ているとのことである。すでに2001年末に、同社は“AMD FORTON”、“AMD METARON”、“AMD MULTEON”、“AMD VANTON”、“AMD OPTERON”の5つの名称をアメリカで商標登録している。AMD Athlonがデスクトップやノートパソコン向けなのに対し、これはサーバをターゲットにしている。発売は2003年前半の予定。Opteronはx86命令セットを64-bitに拡張するx86-64アーキテクチャで、大きなサイズの仮想メモリや物理メモリに対応するとともに、既存のx86プログラムとの互換性を持つ。64ビットの汎用レジスタは16本に増えている。同時にMicrosoft社がこれに対応した64-bit Windows製品を開発していることも発表された。2002年8月14日、Red Hat社がOpteron用のLinuxをフルサポートすると発表した。

もう一つ特徴的なことは、LSI間のpoint-to-point接続のためのバス技術“HyperTransport”を採用したことである。これは同社が2001年4月2日発表したものである。チップ当たり3本のHyperTransport内部接続を備え、合計のバンド幅は19.2 GB/sに達する。またメモリコントローラをプロセッサに内蔵する。

同時にAMDは廉価版のDuronの製品ラインを2003年までに打ち切ると発表した。これはIntelのCeleronとぶつかり、勝算がないと判断したようである。Athlonをさらに低価格化してこれに対抗すると述べた。

同じ頃、AMD社はMIPS64という命令セットアーキテクチャをMIPS Technology社からライセンスしたと発表した。MIPS社は1990年初頭以来プロセッサの設計を様々なthird partyにライセンス提供している。

日本AMD社は、12月10日にベストシステムズ社と共同で、大手顧客向けに「AMDクラスター・ソリューション・カンファレンス2002」を開催し、4プロセッサ構成のOpteron搭載システムのデモを行った。AMD社は、価格がXeonと同じレンジであり、圧倒的なコストパーフォマンス上の優位を強調した。最初のOpteronは2003年前半に登場し、直後にデスクトップ向けのAthlon 64、その後にモバイル用のAthlon 64を投入するとのことである。製造はドイツのDresdenにあるFab30の130 nm SOIプロセスで製造される。2004年前半には90 nmに移行する予定。この席でAMD社はCray社が10000個以上のOpteronプロセッサを用いてRed Stormを開発中であり、性能は40 TFlopsを上回ると述べた。また、松岡聡(東工大)は、Athlon MPを用いた大規模クラスタシステムを紹介した。初め2000年11月のTop500に、Pentium IIIを用いた128ノード、256プロセッサで挑戦して惨敗したが、2001年6月には、1.3 GHzのAthlonを用い78ノードのクラスタを作り、77.4 GFlopsで439位にランクインした。2001年11月には128ノード256プロセッサ(1.2 GHz Athlon MP)に改良した331.7 GFlopsで86位、2002年6月には716 GFlopsで47位にまで躍進した。

9) Digital Equipment社
DEC (Digital Equipment Corporation)は1998年1月26日にCompaq社に売却されることが発表され、そのCompaq社も2002年5月にHP (Hewlett-Packard)社に合併された。しかし、「虎は死して皮を残し、デックは死して技術を残す」というような記事がZDnetの10月11日号に出ていた。

Intel社がXeonに導入し、11月にはPentium 4に導入するHyperThreadingの技術の一部はDECが研究していたものであり、1997年にIntel社がDEC社からライセンスを取得し、多くの研究者を雇用した。AMDのOpteronに採用されたHyperTransportだって、アメリカの大学で研究され、DECが関心を寄せていたものであった。

DEC社は1957年にKen Olsenが設立し、1970年代のPDP-11は名機であったが、ミニコンにこだわり過ぎでPCにもUnixにも乗り遅れてしまった。Olsenはlow end市場を信じず、「Unixはロシア製のトラック並みにつまらない」と言っていたそうである。1990年代に巻き返しをはかり、1992年にAlphaプロセッサを開発したが、Sun、HP、IBMなどとの競争に勝てなかった。

1997年5月、DECはIntelがAlpha関連の特許10件を侵害していると訴訟を起こしたが、10月に和解し、DECは$700Mを得て、IntelにDECの工場を売却し、IntelはDECの技術者を多数採用した。

一部の技術者はIntel以外に移籍した。Alpha技術者の一人であるDirk Meyerは1996年にAMDに移りAthlonの開発プロジェクトマネジャーの一人となった。OpteronでもAlphaの設計が生かされている。HyperTransportはAMDとAlpha Processor社(API)が共同開発したものである。APIはCompaqとSamsungの合弁会社である。HyperTransportを開発しているAMDのBoston Design Centerの従業員の大半の35人はAPIからの移籍者である、などなど。

ビジネスは技術だけではうまくいかないようである。

10) Transmeta社
2000年1月19日のCrusoeに続いて、Tansmeta社は2002年(日付不明)に、クロックを上げ性能を改善した第2世代のCrusoe TM5800を発表した。2002年7月、Transmeta社は初の人員削減を行い、従業員数を40%削減した。その後、2003年にIntel社が低消費電力のPentium Mを出荷したことなどにより、ノートパソコンでの採用は伸びなかった。

11) Avaki社
2002年6月、グリッドソフトウェアのAvaki社は、North Carolina大学を中心とするthe North Carolina Genomics and Bioinformatics Consortium (NCGBC)のBioGridの実用システムとして採用されたと発表した。Avaki社のソフトウェアは、

(a) 異なるハードウェアや管理組織や地理的条件を越えて、データや計算資源へのシームレスなアクセスを提供し、
(b) 組み込まれたセキュリティ機能により、認証とアクセス制御を支援し、
(c) 異質なハードウェア、OS、負荷管理、キュー管理を越えて、BioGridの必要とする応用ソフトをサポートする、

と述べている。グリッドの研究ではなく、実用的なシステムとして運用していることが強調されている。

2002年3月12日には、バイオや製薬の分野で、Gene Logic Inc.、Infinity Pharmaceuticals、および Structural Bioinformatics, Inc. (SBI)の3件の受注を得たと発表し、今後製造業からビジネス計算までグリッドを広げていくという意向を明らかにした。

2002年12月9日、Avaki社は、業界初となるJ2EEベースの商用データグリッドのソフトウェア“Avaki Data Grid 3.0”を発表した。Avaki社によると、米HP、IBM、Sun MicrosystemsがAvakiのデータグリッドを高く評価する意向を表明しているとのことである。

12) Amazon.com社
2002年7月、クラウドサービス「Amazon Web Services」(AWS)を開始した。当時どのようなサービスを提供していたかは不明。2006年にはAmazon.comは子会社Amazon Web Servicesを設立している。

13) Apple社
このころApple社のiMACはCPUとしてIBM社のPowerPCを用いていたが、2003年末までにx86アーキテクチャのCPUの採用を余儀なくさせるだろうとの予測が流れていた。実際にIntel CPUベースのiMACが発売されたのは2006年1月であった。

14) Microsoft社
Microsoft社は2002年1月5日、アプリケーション開発・実行環境である.NET FRAMEWORK 1.0をリリースした。これはWindows 98、Windows NT 4.0、Windows 2000、Windowt XP向けに提供された。

Microsoft社の社長兼COOのRick Belluzzo (48)は4月初め、5月1日をもってこれらの職を辞すると発表した。かれは23年間Hewlett-Packard社に勤めてCEOとなり、1998年1月にSGI社のCEOとなり、1999年9月にMicrosoft社の副社長となった。SGI社も1年半、Microsoft社も1年半であった。

2002年8月、Microsoft社は、次期のOffice(コード名Office 11)では、XMLがネイティブの文書形式になると発表した。

15) Microsoft社への反トラスト法訴訟
Windows 98に対し、OSとブラウザを抱き合わせ販売はトラスト法違反であるという訴訟は、1998年5月、アメリカ20州とWashington DCの検事総長と司法省からWashinton連邦地裁に提訴されていた。2000年4月3日、Washington連邦地裁はMicrosoft社の違反を認め、6月にはMicrosoft社にOS部門とアプリケーション部門との2つに分割する命令を下した。Microsoft社はWashington 連邦高裁に控訴し、審議が行われた。2001年6月28日、連邦高裁は一審判決を破棄し、Washington 連邦地裁に差し戻す判決を下した。

和解交渉が進み、2001年11月2日に和解案が提示され、会社の分割は求めない代わりに、PCメーカーに独自のソフトの統合を認めること、Windowsの情報開示の範囲を広げることなどを求めた。これに対し、9州は受け入れを決めたが、他の9州は拒否し、2002年3月から、強硬派の9州が提案した是正案に対する審議が始まった。Microsoft CEOのSteve Ballmerは3月4日の宣誓供述において、「もし連邦地裁が、9州の要求しているような裁定を下すなら、我が社はWindows OSから撤退せざるを得なくなる。」と脅しをかけた。異例ではあるがNetscape Communication社の前会長Jim BarksdaleやLiberate Technologies社の会長Mitchel KertzmanやSun Microsystem社のCEOのScott McNealyの供述も公開された。Microsoft社のCEOのBill Gatesも宣誓供述を行ったようであるが、これは公開されなかった。Microsoft社、強硬派の9州とWashington DCのヒアリングは3月11日から始まった。双方は100時間の持ち時間があるので、全体で8週間はかかると予想された。

この裁判は2002年6月19日に最終弁論が行われて結審し、11月1日の判決では2001年11月に9州が受け入れた和解案を大筋で認め、和解に反対している9つの州が求めていた是正措置案を却下した。司法省との和解によりMicrosoft社は今後,コンピュータ・メーカーによるMicrosoft社製品と競合製品の同時提供を認めることになる。また,以前行っていたコンピュータ・メーカーやソフトウェア開発者などに対する報復措置もできなくなるなど同社にとっての痛手も少なくないが、4年半に及んだ裁判はMicrosoft社の事実上の勝利と見られている。

16) Lindows社
Lindows社は、2001年8月に設立され、Windowsに似たAPIのLinux OSを開発していた。同社はDebianのAdvanced Packageing Toolに基づくCNRにより使いやすいGUIを開発し、2001年末、Lindows 1.0を公開した。2002年Microsoft社はWindowsの商標の侵害であるとしてLindowsを訴えた。裁判所は、Windowの概念はXeroxやAppleが採用しているとしてこの訴えを退けた。Microsoft社は再度訴えたが、2004年7月16日和解が成立し、Lindows社は$20Mを受け取る代わりに、社名と製品名をすべてLinpireと改称することになった。2008年7月2日にXandros社に買収された。

17) Mozilla財団
6月5日、Mozilla 1.0がリリースされた。

18) Entropia社
企業内のデスクトップPCの遊休計算資源を集めて分散コンピューティングを行うためのソフトを開発販売するために1997年にScott KurowskiによりSan Diegoで創立されたEntropia社は、2002年2月のGGF4 (Toronto)において、OGSA (Open Grid Services Architecture)標準をサポートすると発表した。OGSAは、グリッドコンピューティングとウェブサービスを統合するために、GG4FにおいてIBMとGlobusが発表したものである。

Entropia社は早速8月にSDSC (San Diego Supercomputing Center)に売り込み、共同研究を始めたと発表した。

19) Cell Computing(NTTデータ)
NTTデータ社は、United Devices社と協力して、Cell Computingと名付けた分散コンピューティングを2002年12月20日から提供した。PC所有者に登録してもらい、分散コンピューティング技術を用いて、PCの遊休計算能力を集約して利用する。2008年3月31日終了。

20) Gateway社
PCメーカーの米Gatewayは12月10日、同社の直営店に置かれ、ほとんど使われていない数千台のPCを活用し、大規模プロジェクトのために追加の処理能力を必要としている企業などに従量課金制で販売する新サービスをUnited Devices社と開発し発表した。GatewayはPC 1台当たり1時間に15セントの料金で、最新のGatewayデスクトップの処理能力を企業向けに提供するという。在庫処分のかわりにGridとは面白い発想だが、どこまで本気か?

翌年、2003年5月の報道によると、the American Diabetes Association (ADA) はGateway社のグリッドサービスを、糖尿病の治療の研究のために採用した。

23) Tabor Griffine社
同社は、HPCwireの発行元であるが、2002年6月17日からグリッドに重点を置いたGRIDtodayという週刊の電子ジャーナルを発刊した。編集長はJohn Hurley。2004年まで続いた。

次回はBaltimoreで開催されたSC2002である。

(タイトル画像:Cray X1 出典:Cray Super Computers.com )

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