世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


8月 19, 2019

大学計算センター事始め(a) ――計算機事始め――

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

全国共同利用の大型計算機センターの制度は、1965年10月、日本学術会議が科学研究計画第1次5カ年計画を政府に勧告し、1969年文部省令第18号により正式に始まった。それから1971年にかけて7大学大型計算機センターの体制が完成した。今年はちょうど50周年である。去る2019年7月10日に「大型計算機センター法制化50周年記念シンポジウム」が開催され、そこで「大学計算センターの歩み」という講演を行ったが、HPCwire Japan誌のご厚意により、この講演に加筆したものを4回に分けて掲載させていただくことになった。

I. 前史

そもそも、日本に計算機と呼べるものが存在するようになったのはいつからであろうか。

1.パンチカード計算機(日本での設置)

どこから計算機と呼ぶかは難しい問題である。情報処理学会のコンピュータ博物館によると、1905年(明治38年)には、川口式電気集計機なるものが完成し、国勢調査に使われたそうであるが、一種の計数器であり、演算装置とは言い難い。『日本のコンピュータの歴史』(情報処理学会歴史特別委員会編、1985年、オーム社刊)によると、1920年のわが国第1回目の国勢調査実施に備えて、内閣国勢院(後の総理府統計局)は1918年逓信省に「製表機械」の製作を委託したが、関東大震災(1923年)により調整中の9台が破壊されてしまい実用にならなかった。このため、1923年、アメリカから輸入することになったとのことである。PowersはUNIVACの先祖、HollerithはIBMの先祖(というか1924年にIBMと改名)である。機種にもよるが、加算や減算、やがては乗算などもできるものが登場した。第二次世界大戦前には、1000台以上の米国製パンチカード統計機が官民で使用されていたという。その導入初期の一部を示す。

1923年

Powers

内閣統計局、鉄道省、横浜税関等

1925年

Powers

日本生命

1925年9月

Hollerith(45欄)

日本陶器(名古屋)、後のノリタケ

1934年

Burroughs

日本生命

1934年

Hollerith(初の80欄)

帝国生命

1937年

Hollerith

住友生命

1938年

Hollerith

第一生命

1938年

Hollerith

川崎飛行機

1941年

IBM PCS

神戸商業大経営計算研究室

1944年

IBM PCS

神戸商業大経営機械化研究室

 

神戸商業大学は神戸大学の前身である。写真は神戸大学経営機械化展示室の一部。手前は手動カードパンチ機械で、シニアの方には懐かしい機械である。奥は、オリジナルのIBMのカード分類機(右)と、それをコピーした鐘淵実業製のカード分類機。カードホッパー部分以外はよく似た外観である。分散コンピュータ博物館に認定されている。ちなみに、2019年は神戸大学経済経営研究所創立百周年である。

 

2.第二次世界大戦後

戦後になり、1950年代からは、急速に導入が進み、かなりの計算能力をもつパンチカードマシンも国内に設置された。例えばIBM 602は初めて割り算を含む四則演算ができた。ただし演算はリレー式であった。1954年3月、日本科学技術連盟に統計機械活用研究会を設置し、山内二郎(東大)が委員長。当時企業で使われていたIBM 405や602A(602の改良型)などのパンチカードマシンを、集計業務だけでなく、統計解析、オペレーションズリサーチ、その他の科学技術計算への活用を目指した。当時唯一利用可能な計算資源であった。メンバは、安藤馨(日本IBM)、伊藤栄一(第一生命)、鴨志田清(通産省)、島内武彦、高橋秀俊、森口繁一(以上東大)などがおり、月に1、2回集まって討議。

旭硝子にあった機械でJISの乱数表を作ったり、富士製鐵にあった機械で産業連関分析表のための20次の連立一次方程式を解いたりした。単精度では危ないので倍精度で行ったが、パンチカードの配線が大変であったとのことである。涙ぐましい努力である。そもそもよくやったという感じである。10時間掛かり、検算にもまた10時間を要した。戸田英雄「数値計算」(『情報処理』1983年3月号)によると、本当は200次の行列を扱いたかったが、10年も掛かるということで20次にしたそうである。

島内は、カードでプログラムを指示できる万能計算盤を考案した。カードでプログラムを入力できるようになった。翌1955年には統計計算活用セミナーを行っている。1958年からは計算機プログラミングコースとなり、日本科学技術連盟は計算機のプログラミングの普及に努めた。

他方、UNESCOは、国際協力研究機関として大型計算機による共同研究センターを設立することを計画し、このための条約会議が1951年11月パリで開催された。当時、大型計算機は世界で共同して建設し、共同で利用するものと考えられていた。今で言えば、高エネルギー加速器かITERか宇宙ステーションといった感じであろう。しかし10年後の1962年にこの条約が批准された時には、すでに国際協力は必要なくなっていた。とはいえ、1959年、ParisのUNESCO会議場でICIFPがUNESCO主催で開催され、その結果IFIPができ、日本の情報処理学会も発足した。

3.リレー式計算機

当時は文部省直轄研であった統計数理研究所は、1944年創立で、早くから計算機が使われていた。

TSK I:FACOM 415A(リレー式自動計算機) 設置時期は不明(1956年以前)
TSK II:FACOM 128A(リレー式コンピュータ)1956年9月納入。

1956年:有隣電機精機富士電算機計算所 FACOM 128A 民間計算センターの走り。岡本彬、平野菅保、山下真一郎などの有能な人材をそろえ、計算受託を行った。大学人も利用。

後の表でも示すが、日本大学理工学部は、1960年、リレー式計算機FACOM 128Bを導入した。現在、富士通沼津工場に動態保存されているFACOM 128Bは15年間の使用後、日本大学から移設したものである。

4.真空管計算機

1952年度文部省機関研究費1000万円が東大工学部へ支給され、東芝とともに真空管計算機TACの試作研究が始まる。なかなか完成しなかったようである。

1959年2月21日、7年かかりやっと稼働し、盛んに学内共同利用された。情報処理学会歴史特別委員会編「日本のコンピュータの歴史」(オーム社、1985年)p.103にTACを利用した計算が34件掲載されているが、数値解析から整数論的計算、命題の証明まで多様である。その分野の広さには驚くばかりである。

1953年、大阪大学は科学研究費で電子管式電子計算機の試作を開始。演算回路はできたが完成に至らず。

5.パラメトロン計算機

関連した動きを年表の形で示す。

 
   

1954年5月:後藤英一がパラメトロンの原理を発見
1956年10月:PD 1516 日本電気測器(東京大学との共同開発)
1957年:PC-1/4 東京大学
1957年3月:MUSASINO-1 電電公社電気通信研究所
1957年12月:HIPAC MK-1 日立製作所
1958年3月26日:PC-1 東京大学(学内共同利用)。写真はPC-1と後藤先生
1958年3月:NEAC-1101 日本電気
1958年3月:NEAC-1102(SENAC-1)東北大に設置、稼働は11月
1958年9月:FACOM 200 富士通信機製造
1958年11月:HIPAC 101 日立製作所  などなど
1963年3月30日:統計数理研究所TSK III (HIPAC 103)設置

1959年8月31日~9月7日 日本物理学会主催「電子計算機講習会」東京大学工学部2号館講堂、満席。当時のスーパーコンピュータではあるが、手作りのPC-1でよくもここまでやった!!

第1日(8月31日)

9:00-10:20

10:40-12:00

電子計算機概説

東大理学部 高橋秀俊

13:00-14:40

パラメトロン計算機PC-1の演算命令

東大理学部 後藤英一

14:50-15:20

電子計算機の使用経験

東大理学部 島内武彦

15:30-16:00

幾何光学等への応用

日本電気KK 岡崎文次

16:10-17:00

結晶解析への応用

東大理学部 竹内慶夫

第2日(9月1日)

9:00-10:20

電子計算機のための数値解析 I(線形計算)

東大工学部 森口繁一

10:40-12:00

電子計算機のための数値解析 II(数値積分と微分方程式)

東大工学部 雨宮綾夫、有山正孝

13:00-14:40

プログラムの作り方(流れ図とその実例)

東大理学部 石橋善弘

15:00-15:50

気象学への応用

東大理学部 都田菊郎

16:00-16:50

流体力学への応用

東大理学部 今井功

第3日(9月2日)

9:00-10:50

プログラムの作り方(サブルーチンの使い方)

東大理学部 相馬嵩

11:00-12:00

プログラムの作り方(R0 R1によるテープの作り方)

東大理学部 中川圭介

13:00-13:30

大学における電子計算機 I

東大理学部 森野米三

13:30-14:00

大学における電子計算機 II

東北大通研 大森充郎

東北大工学部 桂重俊

14:10-15:00

モンテカルロ法

東大核研 藤本陽一

東大理学部 後藤英一

15:10-16:00

量子力学への応用

東大理学部 小谷正雄

16:10-17:00

ORおよび制御工学における応用

鉄道技研 穂坂衡

第4日(9月3日)

9:00-10:50

プログラムのエラーを見つける方法について

東大理学部 和田英一

11:10-12:00

これからの電子計算機とプログラミング

東大理学部 高橋秀俊

13:00-16:00

パネルディスカッション「電子計算機の現状と将来」

司会 山内恭彦

パネリスト 磯部孝(東大工)、穂坂衡(鉄研)、高橋秀俊(東大理)、森口繁一(東大工)、小谷正雄(東大理)、和田弘(電試)、喜安善市(電電公社通研)、茅野健(電電公社)

第5日(9月4日)~第8日(9月7日) 実習

 

プログラムを見ると、PC-1の講習会というより、(今でいう)計算科学のキックオフミーティングという感じがする。この中のかなりの先生方は筆者も存じ上げている。表題に出てくるR0は和田英一が作成したPC-1のイニシャル・オーダーのことである。68語で書かれ、超絶技巧と言われた。R1は「長語の整数、小数読み込みルーチン」である。講師の一人で、富士写真フイルムにおいて日本で最初の電子計算機を完成させた岡崎文次は、1959年からは日本電気に移っている。

6.大学の計算機

1961年7月の『情報処理』に「計数型電子計算機納入状況」という記事があり、当時日本で納入された電子計算機がリストされている。また、1962年7月の『情報処理』には、「各大学で電子計算機の設置盛ん」という記事があり、各大学の設置状況が書かれている。それらをまとめてみると、1962年頃の大学の計算環境が明らかになる。なお後者の表にはHITAC 103が3件あるが、これは存在せず、他の資料からHIPAC 103と推定。

設置場所

設置年月

機種

北海道大学

1961

P: HIPAC 103

T: NEAC-2203G

小樽商大

1962

T: IBM 1401

?

T: OKITAC 5090H

東北大学

1958/3

P: SENAC-1 (NEAC-1102)

1962

T: NEAC-2230

東京大学

1958/3

P: PC-1

1959/2

V: TAC

1960/3

P: PC-2 (FACOM 202)

1962/3

T: OKITAC 5090×2

東京大学原子研究所

1960/3

P: MELCOM 3409(愛称INS-1)

東京大学物性研究所

1961/3

P: FACOM 202

東京工業大学

1962

T: FACOM 222

東京教育大学

1962

P: HIPAC 103

一橋大学

1961

V: Burroughs E101

慶応義塾大学

1960/6

T: K-1 (別名KCC)

1962

T: IBM 1401

東京理科大学

1960/7

P: FACOM 201

早稲田大学

1959/8

V: LGP-30 (Librascope General Precision)

1961/2

T: NEAC-2203

1961/3

IBM Punch Card System(事務用)

1962/1

T: PB-250 (Packard Bell社)

1962/7

T: TOSBAC-3100

日本大学(理)

1960

R: FACOM 128B            

日本大学(文)

1961

T: OKITAC 5090

専修大学

1961/11

T: OKITAC 5090

立教大学

?

P: HIPAC 101

明治大学

1961

T: HITAC 501

東海大学

1960

T: NEAC-2203

金沢大学

1962

T: NEAC-2203

富山短大

1962

T: OKITAC 5090

名古屋大学

1961/3

T: NEAC-2203

京都大学

1960/8

T: KDC-1 (HITAC 102)

大阪大学

?

T: MELCOM LD-1

?

T: NEAC-2203

1962

T: NEAC-2206

大阪府立大学

1962

T: HITAC 201

甲南大学

1961

T: IBM 650

岡山大学

1962

T: NEAC-2203

広島大学

1962

P: HIPAC 103

九州大学

1960/3

T: MELCOM 2200

1962

T: OKITAC 5090H

Vは真空管計算機、Rはリレー計算機、Pはパラメトロン計算機、Tは(個別)トランジスタ計算機である。ICはまだない。Librascopeはカリフォルニア州の会社で、メモリは磁気ドラム。

この他、政府関係・公的セクターで30台以上、民間110台以上が判明している。山一證券は8台導入するなど、複数の導入も多い。これと比べると大学が少ない。パンチカードマシンは1960年をピークに減っていった。

7.JECC Rental

コンピュータは非常に高価で、初期投資が大きい。レンタルが出来れば平滑化される。1961年8月、メーカー7社と政府が折半して出資し、国策会社JECC(日本電子計算機)を設立。レンタル業務は10月15日に開始。大学センターもJECCのおかげでコンピュータが導入できた。会社間の競争を阻害するのではないかとか、外国から見ると一種の非関税障壁だとかの批判もあった。

 

II 学内センターの始動(7大学)

多くの大学で、部局の計算機に始まり、学内センターへと発展していった。

1.東京大学

 
   

1958年3月26日:理学部でPC-1稼働(学内共同利用)。1964年5月シャットダウン。(6年2か月稼働)
1959年2月21日:工学部でTAC 稼働(学内共同利用)。1962年7月にシャットダウン。(3年5か月稼働)

1962年5月に計算センターが学内組織として発足。実はそれより前の1962年3月に8000万円の予算でOKITAC 5090(写真)を2組購入。理学部1号館に設置。筆者が最初に使ったコンピュータはこのOKITAC 5090であった。言語はOKISIP(一種のアセンブリ言語)。入力は紙テープ。後にカードリーダが設置され、FORTRANの文法チェックをやってくれるようになったが、FORTRAN自体は動かなかった。

いつからか今のところ不明であるが、東京大学には「高速計算機委員会」という全学組織ができていた。これがコンピュータの導入のかじ取りを行った。実は、筆者が東大に教授として赴任した1991年でも存続しており、委員長になったこともあると思うが、その由来や趣旨はよく理解していなかった。1999年には廃止され、代わって「東京大学情報委員会」が設置された。

2.京都大学

1958年2月:前田憲一教授と代表者として工学部から申請していた電子計算室設置に関する予算的見通しがあきらかになり、基本方針の検討が始まる。

 
   

1958年4月:予算が正式に決まり、活動開始。製造者として日立製作所を内定し、打ち合わせを行う。
1960年3月:KDC-I(京都大学ディジタル万能型電子計算機第1号)の工場検収終了。写真は論理パッケージ。トランジスタ計算機(商品名:HITAC 102B)
1960年8月:電子計算機本体、入出力装置搬入、組み立て調整開始。
1960年10月21日:完成披露、翌日一般公開。
1960年12月: 磁気テープを含む全システムの調整完了。
1961年1月:京都大学電子計算機室開設、試用期間に入る。
1961年4月:電子計算機室は学内全部局に対する正式サービスを開始。
1963年:工学部計算センター設立準備委員会発足
1965年:HITAC 5020をKDC-IIとして導入
1966年:学内組織として計算センターが設立された

3.大阪大学

1962年4月:学内組織としての計算機センターが発足。

 
   

1963年3月:NEAC-2206を設置、使用開始。
1967年4月:バッチサービス開始
1967年9月:NEAC-2200 model 200と通信制御装置及び周辺機器を導入。
1968年1月:阪大MAC (TSS)システムサービスを開始。

4.北海道大学

1961年:HIPAC 103およびNEAC-2203G設置
1962年3月:NEAC-2206設置(1号機)(写真)
1962年8月:北海道大学計算センターが学内組織として発足

5.九州大学

1960年頃:工学部で「計数装置委員会」設置
1960年3月:MELCOM 2200設置
1962年5月8日:評議会において中央計数施設の設置を決定
1963年:OKITAC 5090設置。1年後、OKITAC 5090H導入
1965年:期間・時間帯を限定して、紙テープさん孔・印字装置をユーザに開放
1967年2月:大型計算機センター設置の内示(1969年1月稼働開始予定)
1968年:中央計数施設を中心に大型計算機センター設置の準備
(2000年4月:中央計数施設は情報基盤センターに統合)

6.名古屋大学

1961年3月、綜合計算機室にNEAC-2203(10進法計算機)を設置。

7.東北大学

 
   

1958年3月:電気通信研究所が日本電気と共同開発したパラメトロン計算機SENAC-1 (NEAC 1102)が搬入された。写真。
1958年11月:(研究所の?)計算センターで公開。このときの苦労話は、野口正一氏のオーラルヒストリー参照。
1961年12月5日:東北大学計算センター設置
1962年:NEAC-2230設置

8.国立7大学計算センター協議会

これらは、その後、共同利用大型計算機センターが置かれる7大学である。

『情報処理』1962年7月号によると、1962年7月9日、北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の国立7 大学計算センター関係者が東大に会合した。東京大学高橋秀俊教授を議長として議事に入り、この協議会を常置させることに決定した。

この会議には文部省より立松学術課長補佐が招かれており、計算機の維持費、とくに保守契約について文部省の考えを聞き、また各大学が説明を行った。この結果を要望書にまとめて関係当局に陳情することにした。

この協議会は、いわば7大学大型計算機センター体制の原点と言ってもいいであろう。1962年当時、多くの大学で計算センターが設置され始めていたが、旧帝大7大学だけで集まったあたりが時代を感じさせる。

各大学における計算機導入については次回。

 

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