Prof. Hans Meuer 追悼
朴 泰祐、筑波大学

Hansに初めて会ったのは、1996年11月に米国ピッツバーグで開催された、SC96のTOP500 ListのBoF会場であった。当時、筑波大学が日立製作所と共同で開発した超並列計算機CP-PACSが、1996年11月版のTOP500で第一位となり、そのBoFで結果が発表され、簡単なスピーチを頼まれた際に彼と初めて話をしたのである。当時のTOP500の扱いは現在とはまるで違い、BoFは小さな部屋で参加者は僅か30名ほど。今は1位から500位までにcertificateが渡され、トップスリーのマシンや各地域でのナンバーワンのマシンも華々しく表彰されるが、当時はそういったセレモニーもなく、リストをJack Dongarraらが示して簡単に解説するというもの。ランクされた側も何も準備しておらず、Jackに「このCP-PACSというマシンはあまり情報がないが、誰か関係者に紹介してもらえないか」と呼びかけられ、筑波大を代表して説明をした。
BoFの後でHansが近づいて来て、あの大きく熱い手で力強く握手され、”Congratulations!”と祝ってもらった。一度でも彼に会った人はわかると思うが、あの野太くザラザラした、強烈なドイツ訛りの英語は忘れられない。ともかく、それ以来SCであれISCであれ、どこでも会えばニコニコして強烈な握手、そして温かい言葉をかけてくれた。私もHansと会うのが楽しみで、懇親会で会えばしばらく立ち話をし、日本のHPCの状況等の情報を交換した。
この4年ほど、Hansと仕事の上で特に頻繁に話をするようになった。その一つは、ドイツでずっと開催され、ヨーロッパ版SCと言われるISCにおいて、HPC in Asia Workshop(現在はHPC in Asia Session)の企画を持ちかけられ、そのgeneral chairを任されたことである。当時は中国のTianhe-1Aや、続いて日本の「京」コンピュータと、アジア圏でのHPCの研究開発が活発化しており、ヨーロッパと全世界にその活動を紹介する場を設けて欲しいという話だった。これは私としては光栄な仕事で、喜んでお引き受けし、2011・2012年の2回、ハンブルグでのISCのサテライトワークショップとして開催し、多数の来場者にアジアのHPC活動を紹介することができた。2013年からはメインカンファレンスに組み込まれ、今年も継続する予定である。HansはHPC in Asia Workshopの準備のテレコンに参加してくれ、いろいろな建設的意見を出してくれた。当日は超多忙な中を会場に現れ、来場者に挨拶をしてくれた。
ちなみに、Hansにこの仕事を頼まれた時、ちょっと思いついて「1996年11月にはまだTOP500のcertificateがなかった。もし当時に遡ってRank#1 certificateをCP-PACSのために発行してくれたら、これを引き受ける。」と言ったら、笑いながら快諾してくれた。お陰で、現在筑波大学にはこのcertificateが展示されている。
日本時間で2014年1月22日の未明、ご子息であるMartin Meuer氏から訃報のメールをもらった時、信じられない思いだった。病気で亡くなったと聞いて、そういえばSC2013では姿を見なかったことを思い出し、最後にISC2013で会った時にもっと話をしておくべきだったと後悔した。ISCでの仕事のため、Hansの周りの人達と定期的に連絡を取っていたが、彼のプライベートな話は何も聞いていなかったので非常にショックだった。ほどなくHPC界にニュースが広まり、その反響は彼の存在の大きさを示す何よりの証拠だっただろう。
Hansの名前はTOP500と共に世界のHPC関係者に記憶されていると思うが、ヨーロッパでのHPCの活性化に尽力し、特にTOP500とISCの開催は彼のライフワークであり、人々の記憶に残るだろう。また、それ以上に彼には人間的な魅力があったと思う。あれほど、会った人に強烈な印象を残す人物も珍しいだろう。そして、人々を引っ張る統率力と熱意は並み外れていて、それはISCがこの数年、規模と参加者数で飛躍的な延びを見せていることに象徴される。
今年のライプツィヒのISCは、Hansのいない初めてのISCとなる。彼がいないISCを想像するのは難しくそして悲しいが、彼の意思を継ぐ多くの人が支えていくだろう。もうどのHPC会議に行ってもあの声は聞けない。Hansの存在の大きさを思い出しながら、ご冥福をお祈りするばかりである。