世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 14, 2020

新HPCの歩み(第23回)-1960年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Sperry Rand社は同社初のスーパーコンピュータUNIVAC LARCを開発し、1960年6月にLivermoreに納入した。アメリカでは、IBM社がIBM 1410を、CDC社がCDC 1604を、DEC社がPDP-1を開発した。世界的にはIFIPが設立された。

ソヴィエト連邦の動き

1) 白ロシア・ソビエト社会主義共和国

 
   

ソヴィエト連邦に属していた白ロシア・ソビエト社会主義共和国(現在のベラルーシ)では、MINSKと名付けられたコンピュータのシリーズが開発されていた。Minskは言うまでもなく同国の首都である。モデルは1958年ごろモスクワの研究所で開発された小型コンピュータM-3である。1960年、18か月の開発の後、真空管型コンピュータMINSK-1(写真)が完成し、1960年9月にテストが行われた。同年中に生産が始まった。1964年まで230台のMINSK-1が生産された。1語は31ビットである。コアメモリを用い性能は2500 ops (operations per second)で、当時モスクワにあったM-3の30 opsよりも高性能だった。M-3のメモリは磁気ドラムで、磁気コアに変更したら、MINSK-1と同程度になった。MINSK-1のファミリーとして、地震情報のためのMINSK-11、磁気テープの外部メモリを4倍に増やしたMINSK-12、気象データ処理のためのMINSK-14やMINSK-16がある。また、ソヴィエト連邦内務省からの注文により、指紋の保存と検索を目的としてMINSK-100が開発された。

世界の学界

1) IFIPの設立
日本の情報処理学会の設立のところに書いたように、1959年6月UNISCOがパリで開催した国際情報処理会議が成功だったので、これを今後定期的に開催したいという参加者の希望を実現するため、1960年1月にIFIPS(International Federation of Information Processing Societies、情報処理国際学会連合)が発足した。上で述べたようにALGOL 60の規格を制定したパリの会議は、IFIPSの会議であった。初代の会長はIsaac L. Auerbach (1960–1965)である。1961年に名称をIFIP (International Federation for Information Processing、情報処理国際連合)に変更した。

3年に一度IFIP Congressを開催することとなった。1983年のパリでの第9回会議からWCC (IFIP World Computer Congress)と名乗っている。1992年のマドリードでの第12回会議以降は2年毎に開催している。

筆者はあまり関心がなかったが、後に記すように、北京で開かれたWCC2000 (IFIP 16th World Computer Congress)にはたまたま参加した。このときは江沢民主席本人が出てきて中国語と英語で挨拶をしたのでびっくりした。

IFIPには現在14のTechnical Committeesがあり、各委員会は多くのWorking Groupsを含む。

国際会議

1) ISSCC 1960
7回目となるISSCC 1960 (1960 International Solid-State Circuits Conference、後のIEEE ISSCC)は、1960年2月10日~12日にPennsylvania大学Irvine AuditoriumとUniversity Museum、およびPhiladelphia Sheratonホテルを会場に開催された。初めてInternationalと名乗った。組織委員長はArthur P. Stern (General Electric)、プログラム委員長はT. Finch (Bell Labs)。であった。江崎玲於奈が基調講演を行い、トンネルダイオードがホットなトピックであった。IEEEの発足は1963年1月であり、それまではその前身であるAIEEとIREが共同でこの会議を組織している。電子版の会議録がIEEE Xploreに置かれている。

2) International Symposium on Numerical Prediction
第1回数値予報国際シンポジウムは、1960年11月7日~13日に東京の日本都市センター講堂で開催された。出席者は日本99名、アメリカ39名、ノルウェー4名、ドイツ3名、スウェーデン2名など計150名であった。日本では前年から数値予報が始まったばかりであり、熱心な議論が行われ、国際協力の推進が議論された。

アメリカの企業

1) コンピュータ企業の類型
R. Sobelは、『IBM――情報巨人の素顔』(ダイヤモンド社、1982年)で、1950年代半ばから1960年代初めにかけてコンピュータに参入したアメリカ企業を3つの類型に分類している。

 a) 電気・電子機器の大企業

        RCA社 (Radio Corporation of America)

        GE社 (General Electric Co.)

        Minneapolis-Honeywell Regulaor Co.(1965年Honeywellに改名)

        Bendix Corporation(1963年、コンピュータ部門をCDCが買収)

        Philco Corporation(1961年、Ford Motorが買収)

        North American Aviation Corporation

        Sylvania Corporation

        Westinghose Electric Corporation

 b) 事務機器メーカー

        IBM (International Business Machines)

        Remington Rand(1955年Sperryと合併)

        NCR (National Cash Register Co.)

        Underwood Corporation(1959年、Olivettiが買収)

        Burroughs Corporation

 c) ベンチャービジネス

        Electro Data(1956年、Burroughsが買収)

        General Precision(1965年、コンピュータ部門をCDCが買収)

        Royal McBee(1962年、コンピュータ部門をGeneral Precisionが買収)

        Packard-Bell Computers(1964年、Raytheonが買収)

        CDC (Control Data Corporation)

        DEC (Digital Equipment Corporation)

        などたくさん。

しかし、巨大企業IBMとの競争に耐えた企業は少ない。第1のグループでは、RCA、GE、Honeywellの3社だけが残った。しかし、最終的に残ったのはHoneywellだけであった。そのHoneywellも1991年、コンピュータ部門HISをBull社に売却しコンピュータ業界から撤退した。

第2のグループでは、Underwoodだけは買収されて消えたが、あとはしばらく残った。Sperry RandとBurroughsは1986年に合併してUnisysとなった。NCRも1991年にAT&Tに買収された。

第3のグループはほとんど吸収されてしまった。残ったのはCDCとDECである。しかしCDCは1980年代末に撤退し、DECも1998年Compaqに吸収された。

HP (Hewlett-Packard)社がコンピュータに参入したのは1966年なのでこのリストには入っていない。

1980年代に「雨後の竹の子」のごとく創立された並列ベンチャーが1990年代に軒並み吸収・倒産を迎えるが、1960年代にその第1幕があったといえよう。1990年代に並列ベンチャーに立ちはだかったのもIBM社(とCray社)であった。

2) Sperry Rand社(LARC)
1955年にUCRLL (University of California Radiation Laboratory at Livermore、後のLLNL) からの要請により提案し、契約を獲得したSperry Rand社は、同社初のスーパーコンピュータUNIVAC LARCを開発し、1960年6月にLivermoreに納入した。LARCはLivermore Advanced Research Computerに由来する。これは2個のCPUと1個の入出力プロセッサによるマルチプロセッシングを行える設計となっていたが、製造された2台のマシンはいずれも1個のCPUだけを装備していた。使用した素子は、Philco社が開発したsurface barrier型バイポーラトランジスタであった。48ビットの語長で、二五進法により4ビットで十進1桁を表現する。2500語の磁気コアメモリバンクを使用し、基本構成は8バンクで20000語であった。1号機はLLNLに1960年6月に納入され、2号機はアメリカ海軍に納入された。世界最速であったが、1961年にはIBM Stretchにその座を奪われた。LARCはStretchと異なり、開発した技術をその後の製品に活用できなかった。UNIVAC III(1962年)、UNIVAC 490(1963年?)、UNIVAC 1107(1960年発表、1962年出荷)という3つの開発プロジェクトが競合し、ともに完成が遅れていた。

同社は1960年、UNIVAC File Computer model IIを発表した。旧モデルとどう違うのか詳細は不明である。

3) IBM社(IBM 1410)
ビジネス用としては、第2世代中型機IBM 1410を1960年9月12日に発表した。これは可変ワード長の十進コンピュータである。1401が3文字アドレスであったのに対し、1410のアドレスは5文字で80000文字のメモリを使うことができた。このマシンは、1964年東京オリンピックの競技結果集計システムで使用された。

4) CDC社(CDC 1604)
CDC社(Control Data Corporation)は、48ビットコンピュータCDC 1604を1959年10月に発表し、1960年にアメリカ海軍に納入した。その後1964年までに50台以上が販売された。クロックは208 kHzであり、コアメモリの容量は32767語であった。設計者はSeymour Crayである。

12ビットにスケールダウンしたCDC 160Aを1960年にリリースした。

5) DEC社(PDP-1)
DEC社(Digital Equipment Corporation、1957年創業)は、1960年11月にPDP-1を出荷した。開発は1959年から。トランジスタを使用。1語は18ビット。主記憶は4 KWで、64 KWまで拡張可能。計測器や研究機器の制御モジュールとして出荷した。DEC社はこれをコンピュータと呼ばず、“Programmed Data Processor”と名付けた。インタフェースを公開して、他の機器との接続を容易にすることは、DEC社の大きな特徴であった。

6) Honeywell社(H-800, H-400)
Honeywell社は1958年にH-800コンピュータ(トランジスタ計算機)を発表していたが、1960年12月から出荷が始まった。合計89システムが出荷された。1ワードは48ビット、命令は3-アドレスである。最大8プログラムが時分割により同時に実行できる。このアーキテクチャは1964年にReytheon社と作った合弁会社の技術によるものである。合計89システムが出荷された。

また、1960年にH-400を出荷した。1語48ビット(+2)で十進12桁または英数字8文字を格納できる。主記憶は1~4 K語の磁心記憶創始。1963年にH-400を発展させたH-1400が発表された。主記憶は最大32K語。

ヨーロッパの企業

1) イギリスのコンピュータ産業
イギリスでは1950年代末には、以下の国内企業が活動していた。アメリカのNCRやIBMもかなり浸透している。

 a) BTM社 (British Tabulating Machine、1902年創業) 1962-3年にEMIとFerrantiを買収し、ICT社 (International Computers and Tabulatoers Ltd.)と改名。

 b) EEC社 (English Electric computers) LEO社、Marconi、Eliotなどを買収

 c) LEO社 (Lyons Electronic Office)

 d) EMI Electronics社 (EMI Electronics)

 e) Ferranti社

 f) Marconi社

 g) Eliot Automation社

 h) GEC社 (General Electronic co)

 i) STC社 (Standard Telephone and Cables)

2) フランスのコンピュータ産業
フランスでは、1960年代前半には、国産メーカーであるMachine Bull社(1931年創業)とアメリカのIBM社が市場を二分している。1964年に、Bull社はGE社に資本参加を仰ぎ、合弁会社が設立された。

3) 西ドイツのコンピュータ産業
西ドイツでは、1960年代前半には、以下の国産メーカーが活動していた。

 a) Zuse社(1949年、Zuse KGを設立)251台のコンピュータを販売。1967年Siemens社に買収される。

 b) Siemens社(1847年創立)

 c) Standard Elektrik Lorenz AG(1958年4月にStuttgartで創立)

 d) AEG-Telefunken

しかし、市場としてはIBM社が圧倒的に大きなシェアを占めていた。

4) イタリアのコンピュータ産業
Olivetti社は1908年創業。1960年にコンピュータ事業に参入したが、国内市場はIBMが70%近いシェアを占めていた。1964年、GEに資本参加を仰ぎ、合弁会社Olivetti-GE社を設立した。

5) オランダのコンピュータ産業
Philips社(Koninklijke Philips N.V.)は、当時アメリカ外での最大の電機会社であったが、1962年からコンピュータ事業の本格化を図っている。1969年にメインフレームP1000を市場に出したようであるが詳細は不明。そのほか、Pxxxxという名前のミニコンやメインフレームを出しているようである。オランダ語が分かる方はWikipedia参照。

企業の創立

1) ウノケ電子工業
1960年11月に、深江溢郎が出資し、当時の石川県河北郡宇ノ気町(現かほく市)にウノケ電子工業を設立した。1961年、ウノケ電子工業は、オフィス用の超小型コンピュータUSAC-3010およびUSAC-5010を開発した。1969年、ユーザック電子工業を経て、1987年からはPFU。後に「京」コンピュータや、スーパーコンピュータ「富岳」を製造する富士通ITプロダクツ(FJIT、石川県かほく市)は、富士通とPFUとの合弁会社である。

次は1961年、日本では各大学にコンピュータが入り始める。MITではタイムシェアリングシステムCTSSが完成する。

 

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