世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


12月 7, 2020

新HPCの歩み(第22回)-1960年(b)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

トランジスタを用いて、沖電気はOKITAC 5090を、日立製作所はHITAC 102を、日本電気はNEAC-2203を、富士通信機製造はFACOM 222Pを、三菱電機はMELCOM 1101を、北辰電機はHOC 200を開発した。言語では、ALGOL 60とCOBOLが制定された。

日本企業の動き

1) 沖電気(OKITAC 5090)
沖電気は1960年トランジスタ計算機の開発に着手し、ドラム式のOTC-6020の試作を経て、1960年、磁心記憶を用いたOKITAC 5080を試作した。これを商用化したのがOKITAC 5090である。

 
   

沖電気は、1960年11月、トランジスタと磁心記憶を用いたOKITAC 5090を発表した。日本初の主記憶が磁心記憶のみのコンピュータである。1962年に完成し1号機が設置された。OKITAC 5090は1語50ビット、十進法の計算機であった。なぜ50ビットかというと、十進法1桁を4ビットで表すので12桁で48ビット、それに符号1ビットとパリティ1ビットという訳である。浮動小数は、指数が十進2桁(50の下駄履き)、仮数が10桁であった。入力媒体は紙テープ。A型を1961年に完成し、その後1963年まで6機種を市場投入した。A~D型は周辺装置の違いだけであるが、M型、H型はアーキテクチャが違っている。写真(情報処理学会コンピュータ博物館)は最小構成のOKITAC 5090Aである。

OKITAC 5090ファミリーは、自社製のラインプリンタ、カードリーダ、パンチ、磁気テープなどで構成され、IBM社が売り込んでいたIBM 1401に十分対抗できた。特に大学から注目され、東京大学をはじめ、京都大学、九州大学、小樽商科大学、神戸大学、横浜市立大学、電気通信大学などに納入され、文部省のある年度の大学コンピュータ予算の80%を独占したとのことである。民間や公的研究機関などにも採用された。発売から3年間に52システムを販売した。

ソフトウェアとしては、アセンブラOKISIPと、東京大学森口繁一研究室の指導によるALGOLIPコンパイラが、マシン発表の半年後に開発された。

2) 日立製作所(HITAC 102B、MARS-1)
日立製作所の戸塚工場では、1958年に電気試験所(後の電子技術総合研究所、現在の産業技術総合研究所の一部)からMark Vの製作委託を受けた。素子はトランジスタ。これをベースに、京都大学工学部電子工学教室の坂井利之、清野武、萩原宏らの指導を受けて改良し、京都大学ディジタル万能型電子計算機第1号KDC-I (Kyoto-Daigaku Digital Computer)を1960年11月に納入した。これを製品化したのがHITAC 102Bである。

1950年代後半に国鉄鉄道技術研究所の穂坂衛、大野豊らは座席予約システムMARS-1を設計し、1958年に日立に発注した。1959年、東京駅構内に中央装置が設置され、これを用いて1960年2月より東京・大阪間の特急列車「つばめ」「はと」の座席予約業務が開始された。列車で座席位置まで含めた予約管理をコンピュータで実現したのは世界でも初めてであった。情報処理学会情報処理技術遺産に認定されている。

制御用として開発されたHITAC 501は磁気ドラム1024語をもつ計算機で、AD/DA変換機を持つ。1960年9月、関西電力東大阪変電所へ納入された。日立製作所における初の制御用コンピュータであった。

3) 日本電気(NEAC-2201、NEAC-2203)
1960年頃まで東北大学電気通信研究所との共同によりパラメトロン計算機を開発していた。トランジスタ計算機は、電気試験所のMark IVの技術を導入して、1958年9月にNEAC-2201が完成し、1959年6月にパリで開かれたICIP (AUTOMATH)展示会に出展した。十進法10桁の計算機であった。これをもとに商品化を図り、1959年5月にNEAC-2203を完成した。NEAC-2203は、語長を十進12桁に拡張し、浮動小数も可能とした。主記憶は磁気ドラム2000語と240語の磁心記憶であった。30台が出荷された。

近畿日本鉄道と日本電気は1958年末より座席予約システムの設計開発を行い、1960年4月に稼働を開始した。Wired program方式で非常に高速であったが、設計後の変更や拡張が困難であった。上記の国鉄のMARS-Iに2か月遅れたがほぼ同時の稼働であった。

4) 富士通信機製造(FACOM 138A、FACOM 222P)
富士通信機製造(1967年から富士通)は、リレー計算機FACOM 128Aに対し、加減算や乗除開平算の演算回路の共用やクロスバーメモリから115号リレー(詳細不明)へのメモリ変更等でコンパクト設計を図り、富士通信機製造は1960年廉価版としてFACOM 138Aを発売した。1号機はオリンパスに納入した。富士通川崎工場のテクノロジーホールで動態保存されているFACOM 138Aは、情報処理学会から2015年度情報処理技術遺産に認定された。

リレー計算機、パラメトロン計算機に続いて、1958年10月からトランジスタ計算機の開発が池田敏雄、山本卓眞、松山辰郎らによって進められ、1960年10月プロトタイプ(FACOM 222P)が完成した。1961年4月には製品機FACOM 222Aが完成した。1語は「符号+12桁」であった。1961年11月、1号機を協栄生命保険に納入した。FACOM 222Pから事務用コンピュータとして不要な部分を削除し、小型化してFACOM 241を開発した。

後に述べるように、このころ国産各社はアメリカの企業と技術提携を行い、技術のキャッチアップに努めたが、富士通信機製造は独自開発路線を貫いた。

5) 三菱電機(MELCOM 1101)
Bendix G-15の経験を元に、1959年に、トランジスタ計算機のパイロットモデル MELCOM LD1を開発した。1語33ビット、数値は二進で、主記憶としては遅延線型磁気ドラム(4000語)を用いた。1960年、これを製品化した MELCOM 1101を発表し1961年に出荷した。主記憶は磁気ドラム。約20台が設置された。情報処理学会情報処理技術遺産に認定されている。

6) 北辰電機(HOC 200)
同社は、1958年、十進8桁のコンピュータHOC 100を開発したが、1960年3月に、二進18ビットのコンピュータHOC 200を発表した。この間に、通産省の補助金を受けたHOC 150の開発が行われていたが、製品にはならなかった。1号機を1960年5月に東洋レーヨン岡崎に納入し、2号機を電子協(日本電子工業振興協会)に納入した。

7) トランジスタ計算機のまとめ
このころまでに日本で開発されたトランジスタ素子を使った計算機は以下の通り。事務用については一部しか載せていない。なお世界的には、IBMが商用機としては初のトランジスタ計算機IBM 608を1955年4月に発表し、1957年12月に発売している。

 

完成

機種

主記憶

備考

電気試験所

1956/7

ETL Mark III

ガラス遅延

点接触トランジスタ、プログラム内蔵式としては世界初? 二進法

1957/11

ETL Mark IV

Dh

接合型トランジスタ、十進法

1960/5

ETL Mark V

Dh

製作は日立、十進浮動小数。これをベースに京都大学KDC-I、製品化はHITAC 102

日本電気

 

1958/9

NEAC-2201

Dh

十進法

1959/5

NEAC-2203

C Dh D

事務処理用、十進法

1959/12

NEAC-2202

*

パッチボード式、オンライン、時分割多重

北辰電機

1958

HOC 100

Dh

十進8桁

1960/3

HOC 200

Dh

二進18ビット

日立製作所

1959/4

HITAC 301

Dh C DL

事務処理用、十進法

1961/3

HITAC 201

D

事務処理用、十進法

1960/9

HITAC 501

D

制御用。関西電力(2台)

松下通信工業

1959/4

MADIC I

Dh

十進法

1961/10

MADIC IIA

Dh

二進法

慶応義塾大学

1959/9

K-1(KCC)

Dh

十進12桁、浮動小数、インデックスレジスタ
(後に磁心メモリ追加)

東京芝浦電気

1959

TOSBAC-2100

*

事務用、パッチボード式

1960/3

TOSBAC-8000

*

データロガー用

1961

TOSBAC-3100

C Dh

 

1961

TAC III

C

トランジスタ駆動の磁心記憶

三菱電機

1959

MELCOM LD1

D

パイロットモデル

1961

MELCOM 1101

D

二進法

1960/3

MELCOM 2200

Dh

自動翻訳機、九州大学KT-1

沖電気工業

1960

OKITAC 5080

C

試作、磁心記憶採用

1961

OKITAC 5090

C

十進法

京都大学

1960/11

KDC-I

Dh

 

富士通信機製造

1960/10

FACOM 222P

 

プロトタイプ

1961/4

FACOM 222A

C, DL

 

 

主記憶は、C:磁心、D:磁気ドラム、Dh:高速磁気ドラム、DL:大容量磁気ドラム、*:外部プログラム方式で、内部記憶は十数語程度。

8) ソニー
1960年6月、ソニーはエサキダイオードの量産に成功し、8月20日に発売した。

9) 日本IBM社
日本アイ・ビー・エム社は、1960年、千鳥町工場(東京都大田区)を開設し、パンチカードシステムや80欄カードの製造を開始した。後に、IBM1440コンピュータ、System/360コンピュータなども製造。

標準化関係

1) 国際標準化機構
1960年、国際標準化機構(ISO)にTC97(計算機と情報処理)が発足した。日本でも、情報処理学会に規格委員会が設けられた。

2) ALGOL 60
1960年1月1日~16日にIFIPSの主催によりパリでALGOL 60に関する国際会議が開催され、規格が制定された。1960年8月、オランダのEdsger W. DijkstraとJaap A. Zonneveldにより、Electrologica X1というマシン上にX1 ALGOL 60として最初に実装された。またこの年、CDC 1604上にも実装された。

日本では森口繁一が、いちはやくALGOL処理系JUSE ALGOLを作成し、パラメトロン計算機HIPAC 101Bに実装した。また、東京大学データ処理センターのOKITAC 5090用のALGOLIP (ALGOL Input Program)を開発した。これは、ALGOLをSIPに変換するコンパイラであった。筆者が、このOKITAC 5090上で、OKISIPの次に使ったのはALGOLIPであった。ALGOLは筆者の第2言語である。FORTRANは第3言語。

3) COBOL
事務処理用言語を統一するために、アメリカ国防総省によって事務処理用の共通言語の開発が提案され、CODASYL(Conference on Data Systems Languages、データシステムズ言語協議会)が設立された。1959年9月18日にCOBOL(Common Business Oriented Language)という名称を決定した。1960年1月にCODASYL執行委員会によって最初の仕様書が承認され、1960年4月に発行された。

4) RS-232
EIA (the Electro nic Industries Association)は、1960年5月、シリアルポートのインタフェース規格RS-232を推奨標準として公表した。ホストコンピュータや端末といった「データ端末装置」と、モデムなどの「データ回線終端装置」を繋ぐものとして設計された。1969年8月、EIAはRS-232-Cを”Interface Between Data Terminal Equipment and Data Communication Equipment Employing Serial Binary Data Interchange”として制定した。

5) 計算機用語
日本では1957年に電気通信学会に設けられた計算機用語専門委員会によるJIS原案の作成は、1959年3月に終了し、この原案は日本工業標準調査会基本部会の計算機用語専門委員会(委員長山下英男)に上げられた。1961年にはJIS Z 8111「計数形計算機用語(一般)」が制定された。

6) 第11回国際度量衡総会
1960年の第11回国際度量衡総会(CGPM)において、メートルの定義をKr86の発する光の波長で定義することに決定した。1983年には光速度に基づく定義に変更される。また、新しい国際的な単位系の名称をSIとし、接頭辞として、pico、nano、micro、mega、giga、teraが承認された。この会議はパリで行われたことになっているが、日付は不明。

次回は、情報処理国際連合IFIPが設立される。Sperry Rand社は同社初のスーパーコンピュータUNIVAC LARCを開発し、Livermoreに納入した。

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