世界のスーパーコンピュータとそれを動かす人々


2月 1, 2021

新HPCの歩み(第29回)-1962年(c)-

小柳 義夫 (高度情報科学技術研究機構)

Sperry Rand社はUNIVAC IIIを、IBM社はIBM 7094を、CDC社はCDC 6600を、NCR社はNCR 315を、RCA社はRCA301を、General Electric社はGECOS-IIを、Digital Equipment社はPDP-4を、SDS社はSDS 910とSDS 920を発表した。

アメリカ政府関係の動き

1) 陸軍(BRLESC I)
アメリカ陸軍Aberdeen Proving Ground のBallistic Research Laboratory (BRL) は、BRLESC I (Ballistic Research Laboratories Electronic Scientific Computer)を開発していたが、1962年に稼働した。真空管1727個、トランジスタ853個を搭載し、1語72ビットで主記憶は4096語である。高精度の弾道計算や兵器開発のための計算を目的としている。NBS(現在のNIST)の支援を受けて開発した。

ソヴィエト連邦の動き

1) M-4 family
ソ連邦科学アカデミーのI.S. Bruk(M-3も指導)の指導の下、電子制御コンピュータ研究所では、実時間制御用コンピュータM-4が1957年から1962年に開発された。これはソ連邦科学アカデミーのラジオ技術研究所で開発されていたレーダーシステムのためのものである。国産のトランジスタと半導体ダイオードを用い、1語23ビットの二進固定小数で、負数は補数で表現される。1024個の24ビット数が記憶できるRAMと、1280個の30ビット数が記憶できるプログラム用のROMが装備されている。性能は20000 opsである。ファミリーにはM4M、M4-2M、M4-3Mなどがある。

 
 

MINSK-2

出典:Russian Virtual Computer Museum

   

2) 白ロシア・ソビエト社会主義共和国
ソヴィエト連邦に属していた白ロシア・ソビエト社会主義共和国(現在のベラルーシ)では、MINSKと名付けられたコンピュータのシリーズが開発されていた。1960年の真空管式のMINSK-1に続いて、1962年にはトランジスタ式のMINSK-2(写真)の生産が始まった。118台生産した。1語は37ビットである。真偽のほどは不明であるが、CIAの手引きで、アメリカの国防情報部が10万ドルでこの計算機を購入して調査するという秘密文書が残っている。まあ、西ヨーロッパにも輸出されていたようなので、コンピュータ自体が秘密だったというわけではない。MINSK-1と同様、MINSK-22やMINSK-23などの姉妹機種も製造されている。

世界の学界

1) Manchester大学(Atlas Computer)
イギリスのManchester大学、Ferranti社、Plessey社は、個別ゲルマニウム・トランジスタを用いたAtlas Computerを開発していたが、1962年にManchester大学において正式に稼働した。1語48ビットで、1個の浮動小数、1個の命令、2個の符号付整数、8個の文字のいずれかを収容する。アドレスは文字単位で24ビットであり、200万語の空間がある。16000語の磁気コアメモリの1次記憶と96000語の磁気ドラムの2次記憶を用い、ページング方式の仮想記憶機構を初めて実現した。他に2台製造され、1台はBritish PetroleumとLondon大学のため、もう1台はAtlas Computer Laboratoryに設置された。

2) Illinois大学(ILLIAC II)
米国Illinois大学では、ILLIAC I (1952)の後継機として、1956年からILLIAC IIの研究プロジェクトが始まり、ILLIAC Iの100倍の性能を目標とした。電気試験所にいた相磯秀夫は、1960年9月から1962年3月までIllinois大学に留学し、ILLIAC IIの開発に従事した。相磯の帰国後、1962年に稼働した。

3) SOLOMONプロジェクトとその中止
1958年、並列数値計算について議論したDaniel Slotnickは、IBMの後、Aeronca Aircraftを経てWestinghouse社に移り、レーダーシステムの開発に従事した。Slotnickのチームは、米国空軍との契約により、1024個のビット直列ALU(PE)が、1個の中央制御装置(CU)からの命令で動くシステムを設計した。各PEは、固有の32bit×128語のメモリを持ち、オペランドと演算結果を保持する。CUからは全メモリにアクセスできる。今の言葉でいえばSIMDである。このシステムはSOLOMON (Simultaneous Operation Linked Ordinal MOdular Network)と呼ばれた。Wikipedia“ILLIAC IV”によれば、この名前は1000人の妻を持っていたという古代イスラエルのソロモン王にちなんでいるとのことである。列王記上11:3「彼には多くの妻、すなわち、七百人の王妃と三百人の側室がいた。この女たちが彼の心を誤らせたのである。」(聖書協会共同訳)

テストベッドとして3×3(9 PE)のシステムや、多少簡略化したPEによる10×10のモデルなどが製作されたが、フルシステムは実現しなかった。その間、もっと複雑なPEのアイデアが浮かんだ。各PEに24ビット並列演算器(固定小数)を置き、これを256×32に構成するアイデアである。1963年にはこのアイデアに基づき1個のPEが製作された。その間に米国国防省の主要スポンサーが事故で死亡し、それ以後は研究資金が停止された。このため、1962年頃にSOLOMONプロジェクトは停止した。この事故がなければSOLOMONが完成したのか、それとも元々技術的な困難があって無理だったのかは不明である。Slotnickはその後ILLIAC IVに挑戦する。

国際会議

1) ISSCC 1962
9回目となるISSCC 1962 (1962 International Solid-State Circuits Conference)は、1962年2月14日~16日に、Pennsylvania大学Irvine AuditoriumとUniversity Museum、およびPhiladelphia Sheratonホテルを会場に開催された。主催はIRE Professional Technical Group on Circuit Theory、IRE Philadelphia Sections、AIEE Committee on Basic Sciences, AIEE Philadelphia Section, University of Pennsylvaniaである。IEEEの発足は翌1963年である。組織委員長はJ. J. Suran (General Electric)、プログラム委員長はR. Adler (MIT)である。電子版の会議録はIEEE Xploreに置かれている。

2) IFIP Congress 1962
第2回目となるIFIP Congress 1962が、1962年8月27日~9月1日に西ドイツのMünichで開催された。会議録はNorth-Hollandから出版されている。

アメリカの企業

1) Sperry Rand社(UNIVAC III)
真空管式のUNVAC IおよびUNIVAC IIをトランジスタ化したUNIVAC IIIは1962年6月に発表され8月に完成した。二進マシンである。当時コアメモリは非常に高価だったので、できるだけ使わないように工夫された。1語25ビットで、メモリは8192語から32768語までの構成が可能である。CPUは15個のインデックスレジスタを持つ。1962年6月から出荷し、総計96台生産した。

1962年10月、UNIVAC 1107を出荷した。薄膜メモリをレジスタに用い、主記憶は1語36ビットで65536語であった。1100シリーズ初のトランジスタコンピュータである。なお、発表は1960年12月。

2) IBM社(IBM 7094)
IBM社は科学技術計算用計算機IBM 7090 (1959年)の上位機種IBM 7094を、アメリカでは1962年1月、日本では3月に発表した。1962年9月、1号機が設置された。7090と同様に語長は36ビットで、記憶装置は磁気コア、アドレス空間は32K語である。新しい特徴として、インデックスレジスタを7本持つとともに、倍精度浮動小数を新たに導入した。

3) CDC社(CDC 6600)
CDC社(Control Data Corporation)は、1962年8月、CDC 6600を発表した。出荷は1964年。

4) NCR社(NCR 315)
1884年にNational Cash Register Companyとして創業したNCR社は、1962年1月、電子データ処理システムと称するコンピュータNCR 315を発売した。プリント回路基板を用い、すべて抵抗・トランジスタロジックを用いた。これには人手の要らない大容量記憶装置CRAMが装備されている。1語は12ビットで構成され、3桁の十進数字、2文字の英数字、-99~999までの十進数などを表す。数値は最大8語で表現される。700台設置された。廉価版のNCR 390やNCR 500も発売した。

5) RCA社(RCA 301)
1962年8月、RCA社(Radio Corporation of America、1969からRCAが社名)はトランジスタを用いた事務用中型機RCA 301を発表した。ヨーロッパではSiemensにより、英国ではICTによりICT 1501という名前で、Machines Bull社からはGamma 30の名前で販売された。大型機RCA 601も1962年11月に完成したが、5台で受注が打ち切られた。

6) General Electric社(GECOS-II)
General Electric社は、1962年から36ビットの大型汎用機GE-635向けのOSとしてGECOS-IIを開発した。1970年、GEのコンピュータ部門がHoneywellに移った後、GECOS-IIIはGCOS-3と改名された。後にHoneywellと技術提携した日本電気のACOS-6に相当する。

7) Burroughs社
同社のGreat Valley Laboratoriesでは、1962年、海軍研究所のためにコンュータD825を開発した。これは1~4台の48ビットプロセッサと、最大16台のメモリモジュールと、最大20台のI/Oモジュールがクロスバースイッチで結合されている。世界初の並列計算機と言われているが、並列処理のためというより、冗長性による耐故障性の向上が目的のようである。その後同社は、米国空軍のレーダー追跡装置のためにD825を受注した。

8) Digital Equipment社(PDP-4)
1962年1月、PDP-4を出荷した。PDP-1の低価格版として開発されたが、性能が低く商業的には成功しなかった。語長は18ビット。全部で54台販売された。

9) SDS社(SDS 910, SDS 920)
1961年に設立されたSDS社は、1960年代70年代に、シリコントランジスタを用いて、上位互換のSDS 9 seriesを製品化した。1962年8月にはSDS 910とSDS 920が出荷された。SDS 9 seriesの後継は、1966年に発表されたSDS Sigma seriesである。

次は1963年、これまで大型計算機について積極的でなかった日本学術会議は、ついに「学術研究用大型計算機の設置と共同利用体制の確立について」という勧告を総理大臣に提出した。

(アイキャッチ画像:CDC 6600 出典:Wikipedia )

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